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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第8章 餞別
157/252

村雨耀介の過去

「僕が村雨耀介に初めて会ったのは1982年の春、ブリクストンにある公園だった。あの頃、僕は父親の仕事でロンドンに住んでいてね。朋友は……」


「ちょ、ちょっと待て! ロンドンだと!? まさかあんた、ロンドンって、あれか? イギリスの首都の」


「他にどこがあるんだよ」


 いきなり突拍子もない話が出てきた。菊川と村雨が出会ったのは、なんとイギリスときたものだ。これは流石に予想外すぎる。


「たまげたな。俺はてっきりあんたらはどこぞのドヤ街で出会ったのかと……」


「呆れた偏見だ。ヤクザが総じて貧民街の出身だと思ってもらっては困る。僕も村雨も出自自体はれっきとしたエリートの家柄だ。まぁ、お前は知らなかったろうけど」


「ああ、知らなかった」


「あの時のイギリスは人種差別が酷くてね。白人以外の有色人種、特に黄色人種は徹底して目の敵にされた。中でも敗戦国の日本は針の筵さ。僕みたいな外交官の息子だろうとお構いなしに殴られたよ」


 またしても衝撃てなワードが飛び出した。よりにもよって外交官とは。聞けば、菊川の父親はロンドンにあった駐英日本大使館で一等書記官を務めていたらしく、その縁で少年期の菊川自身も同地に滞在していた。


「僕は小学6の時からあの街に居たんだが、日本人ってだけでさんざんないじめや迫害を受けてね。暴力をもって潰しにかかってくる奴も多かった。それにやり返してるうちに少しずつ喧嘩が強くなって、気付いたらグレてたってわけさ」


「はは、そいつは気の毒なこったな。で? 組長とはどうやって知り合ったんだ?」


「喧嘩だよ。彼は当時、一匹狼の不良少年でね。あの頃から、そりゃあもう恐ろしい強さだった。現地の子供たちは彼をイエロー・ワスプ《黄色い害虫》なんて呼んでたかな。一応は朋友もセレブな資産家の息子だったんだけど、何故か不良に染まってたな」


 そんな少年時代の村雨と、菊川は死闘の場で初めて相まみえることになる。同年代の悪ガキたちを率いてヤンチャを繰り返していた菊川少年の前にある日突如として村雨が現れ、些細な諍いをきっかけに殴り合いへ発展。瞬く間にボコボコにされたのだという。


「瞬殺だったのか?」


「うん。容赦のなさっぷりが全然違った。普通、子供の喧嘩ってのは相手が『参った』と言えば終わる。だけど、あいつは決して相手を許さなかった。腕や脚の骨を折ったり、気絶したり、とにかく自分が満足するまでひたすらに相手を痛めつける。それがあの男のやり方だった……」


「うっわ。えげつねぇな」


「でも、喧嘩が終わってみると、自然と悪い気はしなかった。悔しさは無くて、むしろすっきりしていた。何て言うか、それまで自分を縛り付けていたくだらない見栄だとかプライドだとかが、一気に洗い流されたような心地がして」


 その辺りは芹沢と似ている。自分をボコボコにした相手に惚れこんでしまうとは、どうも俺には共感し難い感情である。曰く、その日をきっかけに意気投合し、同じロンドン在住の日本人同士、翌日以降から村雨とつるむようになったという菊川だが、俺にはとても不思議な話のように聞こえていた。尤も、その辺の心境は本人たちにしか分かるまい。ここは話の続きを聞くとしよう。


「それから何度か一緒に遊ぶようになって……まぁ、仲良くなったわけだ。ロンドン中で色んな悪さをした。『ジャップ! ファックユー!』なんて言って襲いかかってくる奴を一緒に返り討ちにしたり。毎日のように喧嘩に明け暮れていた。けど、村雨は僕と違って自分のことをあまり話そうとしない男だったから、詳しいことは分からなかった。ただ、彼が時々、遠い目をしていることだけは分かった」


「……ふぅん」


「そんな日々を送っていた矢先のことだった。僕たちがいつも通りに学校帰りに遊んでいる時、突然に街の奥で火の手が上がるのが見えた。アイルランド系の過激派組織が大規模な暴動を起こしたんだよ」


 ニュースには全く疎いので何のことやら分からなかったが、どうやらその出来事は『アイリッシュ蜂起』と呼ばれる有名な事件らしい。


 アイルランドの独立を唱える組織の武力蜂起に端を発した暴動は、あっという間に全英に拡大。ロンドン市内では尻馬に乗った不埒者たちによる放火や略奪が横行し、連日、死傷者が続出したという。菊川の話によれば、村雨と菊川が共に居た時にも同様の事件が起き、二人はそれに巻き込まれたのだそうだ。


「ブリクストンにあった僕らの家も焼き討ちに遭って、僕は両親が殺されて姉がレイプされた。まあ、劣等生の僕を見下してあからさまに虐げてくる連中だったから、別にいいんだけど。悲惨なのは朋友の方だ。暴動の混乱の中、彼の最愛の妹が誘拐されてしまったんだ」


「誘拐? 組長の妹さんが攫われたってのか?」


「ああ。現地のマフィアたちにね。奴らは少女の人身売買を生業とする、きわめてあくどい連中だった」


 攫われた妹を救うべく、計5日間続いた暴動で荒廃したロンドンの街を必死で探した村雨耀介。だが、全力の捜索の果てに彼を待ち受けていたのは、妹の身柄が既に国外へ売り飛ばされてしまったという非情なる事実であった。


「そ、そっか……んで、組長はどうしたんだ?」


「無論、そこで諦める男じゃないよ。妹を買ったのが日本のヤクザで、ケンブリッジの港から船で日本へ向かったという情報を得るや否や、すぐさま自分も日本へと渡った。僕も一緒にね」


「それであんたらは日本に帰ってきたってわけか……」


「僕にとってはね。だが、朋友は違う」


 違うとは、どういうことか。日本人が日本の地に戻って来たのだから、それ即ち“帰国”であろうに。俺が首を傾げながら聞き返すと、菊川は衝撃的な事を口走った。


「朋友、村雨耀介はもともと日本人じゃない」


「はあ!?」


「中国系イギリス人だ。当時、彼は名をジェラルド・オウと言ってね。お父さんはかつて香港で貿易業を営んでいたとか何とか言っていたな。まあ、朋友自身は養子らしいんだけど。香港は去年までイギリス領だったから、香港で生まれた朋友は必然的にイギリス国籍ってわけ」


「そういやあ中国に返還されたとかされなかったとか、ニュースでやってたよな……」


 俺は愕然とするしかなかった。村雨耀介が中国人だった? しかも旧名はジェラルド・オウ? まったく想像がつかない。かつて外国人であったならば、何故に戦国武将のような喋り方をするのだろうか。わけが分からななかった。


「し、信じられねぇわ……」


「そりゃそうだよね。朋友の話す日本語は発音がめちゃくちゃネイティブだから。けど、あの頃は中国語と英語しか喋れなかったよ。日本に来たばかりの頃は酷いもんで、読み書きはすぐに覚えられても発音が壊滅的。その上、僕も帰国子女だから日本語は危うい。おかげで日本では散々苦労させられたよ」


 当然、妹の捜索はまったく進まず、有力な情報どころか手がかりすらも掴めない状況が続く。おまけに、当時の彼らは16歳。何のツテも無い外国人の少年にまっとうな働き場などあるわけが無く、異国の地で生きてゆくために裏社会へ足を踏み入れることを余儀なくされた。


 村雨耀介と菊川塔一郎。彼らがヤクザになった経緯が少しずつ分かってきた。


「僕らが最初に行き着いた町は福岡でね。イギリスからの密航船がそこへ寄港したんだ。『日本のヤクザに買われた』っていう妹の手がかりを少しでも得ようと、僕と朋友は地元の組の下請け仕事をこなした。そこからはもう、とんでもない毎日だったなぁ」


「だろうな。言葉すら通じねぇところからスタートしたんだからな」


「アホみたいな条件で安くこき使われたよ。無知で間抜けな外国人って扱いでさ。死体の処理から夜の街の用心棒、カチコミの時の先陣まで、本当に散々な日々だった」


 時にはヤクザ同士の抗争に巻き込まれ、銃撃戦に遭遇することもあったという。


「けど、朋友はまったく臆していなかったな。初っ端から腰を抜かしていた僕とは違って、奴はいつも冷静沈着だった。組の幹部たちですら恐れていたような大男たちを素手でぶちのめす姿は、今でもよく憶えている」


「その辺はさすが村雨耀介って感じだな」


「ああ。けど、決して優遇されていたわけじゃない。ある日、僕らは幹部たちに呼び出されて、銃を突きつけられた。『俺達を差し置いて偉くなられちゃ困る。ここで死ね』って」


「はあ? 何だよ、それ……?」


「妬んだと同時に、朋友の強さに恐怖を抱いたんだろうね」


 無茶苦茶な話である。そちらから危険な役目を押し付けたくせに、そこで結果を出すと逆恨みされるという理不尽極まりない展開だ。しかし、彼らの境遇を考えれば無理もない話だとも思った。恐らく、彼らの存在はあまりにも異質過ぎたのだろう。


「で、あんたはどうしたんだ?」


「ちょっと待ってくださいって片言の日本語で猛抗議したよ。でも、その間に朋友が幹部たちを全員殺した。あの頃の僕は全てにおいて助けられっぱなしだったよ」


 それから2人は組織の報復を恐れて福岡から逃亡。長距離トラックの荷台に紛れ込み、大阪へ辿り着いた。

「妹を救い出すっていう本懐はおろか、日本で生きてゆく糧すら掴めていない最悪の状況。それでも、朋友はいつも冷静だった。地道に情報を集めようってことで、必死で夜の街を駆けまわったよ」


「手がかりは得られたのか?」


「いや。まったく。大阪にはこれっぽっちの情報も無かった」


 やがて同地でも例によって地元の組とトラブルを起こし、命を狙われたとのこと。


「まったく、無茶苦茶な輩ばっかりだったね。『日本語が通じない』ってだけで因縁をつけられて、襲われるんだから。そういうのはイギリスで散々経験済みだったから慣れてたけど、さすがに堪えたよね」


 故郷では“黄色人種”だの“異邦人”だのと罵られた上、日本に来たら今度は“ガイジン”と忌み嫌われる。俺が彼らの立場だったら、心が参ってしまうだろう。菊川の話には同情を禁じ得なかった。


「当時の大阪はまだ煌王会のシマじゃなくて、すいてんかいっていう組織が仕切ってた。そこの会長が嫌な奴でね。僕らは執拗に追い回された挙句、何度も殺されかけた。なるべくヤクザとは無駄に揉めないようにしようねって話してたけど、度重なる攻撃で朋友がついにブチギレて、水天会の本部に乗り込んで当時の会長を殺してしまったんだ」


「えっ!? マジかよ。でも、そんなことをしたら……」


「ああ。報復かえしが待ってる。朋友は僕を守るために、福岡のみならず大阪でも手を汚してくれたんだ」


 とはいえ会長を殺された水天会からの報復は凄まじく、数の上での不利もあってか次第に追い込まれてゆく村雨たち。だが、そこへ思わぬ救いの手を差し伸べる者が現れる。それは煌王会だった。


「ちょうど同じ時期、大阪制圧を目指してた煌王会と水天会との間で抗争が始まってね。煌王会は僕と朋友を拾ってくれたんだ。その実働部隊を仕切ってたのが当時は二代目桜琳一家で若頭をやっていた日下部平蔵親分さ」


「そうか。だから、組長はその日下部って人に……」


「うん。僕だって、今でも頭が上がらないよ。命を拾ってもらったんだからね」


 そうして事が落ち着いた後で、日下部氏にこれまでの経緯を説明した村雨。すると、日下部氏は妹の写真をじっと見つめ、「似た女を伊豆で見かけた」と語ったという。言うまでも無く、これは大きな前進であった。日本に来てから初めての成果。彼らはさっそく現地へ飛んで行った。


「日下部若頭の話では、おそらく当時の伊豆を領地シマにしてた斯波一家に買われて娼婦をさせられてるんじゃないか、って見立てだった。けれど実際のところは違った。よく似た別人だったんだ」


「無駄足になっちまったってわけか……」


「ああ。そのまま僕らは斯波一家の三代目にスカウトを受けてね。日下部さんからの強い後押しもあって、僕と朋友は斯波の盃を呑むことになったんだ」


 出生時より日本国籍だった菊川はともかく、当時の村雨はジェラルド・オウ。外国人に盃を下賜するのも珍しいと思ったが、そうではないらしく、博徒系暴力団では広く行われている模様。在日コリアンや中国人、所によってはヨーロッパ人を組員として囲っている組もあるというからたまげたものだ。


(中川の会長もフランス人みてぇなもんか……)


 それはさておき、村雨と菊川の斯波一家入りは喜ばしいものではなかった。組の若衆になったことで妹の捜索に時間を割けなくなり、またしても「外国人だから」という理由で兄貴分たちに差別や迫害を受ける日々が始まった。そもそも組の盃を呑んだこと自体、三代目総長から半ば強要の上に呑まされたようなもの。不本意であった事実は想像に難くない。


「僕と朋友の仕事は専ら雑用。いや、雑用以下だな。言ってしまえば福岡の時よりもはるかに酷かった。危ない橋を何度も渡らされたけど、朋友はじっと耐え忍んでいた。『これも妹を救うためだ。組員でいれば裏社会の情報が自然と入ってくる。いずれか必ず有力な手掛かりが得られるだろう』って。僕らは斯波一家の情報網を頼みの綱としていたのさ」


 だが、手がかりは依然として掴めないまま無情にも時間だけが淡々と流れてゆく。期待していた情報網には触れさせてもらえず、押し付けられる汚れ仕事はどんどんエスカレートしてゆく。そんな中で、彼らはとある任務を言い渡される。


「写真を渡されてね。『この赤ん坊を攫って、両親を殺して来い』って言うんだ。2歳くらいの女の子さ。何のことだか分からなくて、理由についても全く教えてくれなかったけど、『それをこなせば組の力で妹を探してやる』って言われたからやるしかなくて。仕方ないから、朋友と2人して準備を進めて現場に向かった」


 持たされた拳銃にサイレンサーをつけて、“標的”となる人物の家に押し入った村雨と菊川。単なる鉄砲玉とも違う異質な暗殺任務に菊川が少々臆していた一方で、村雨は率先して引き金をひく。相手は極道ではなく警護の者も居なかったので簡単に片が付き、寝込みの深夜帯に決行したこともあって任務は成功。女児の身柄を確保して家に火を放ち、無事に戻って来られたという。


「その女の子、実はとんでもない大物の娘だったんだよ。当時『次期首相候補』とも噂されていた、気鋭の中堅政治家のおとだねだった」


 落し胤とはすなわち妾腹の非嫡出子、私生児のこと。単語そのものに馴染みは無くとも、意味は何となく分かる。親本人にとっては汚点ともいうべき、なるだけ存在を表沙汰にしたくはない子供のことだ。


「その政治家は当時、通産大臣を務めていてね。選挙区が静岡5区ということもあって斯波一家が後ろ盾になっていたんだ」


 件の女児は通い詰めていた茶屋の芸者を見初めて肉体関係を持った末に産まれたといい、当然のごとく世間体を気にした政治家は娘を認知しなかった。


 その後、母親は口止め料も兼ねた手切れ金を渡され、芸者を辞めて一般人の男と結婚。政治家の落胤である事実を伏せたまま、ごくありふれた平凡な家庭を築いていったという。


 ただ、その政治家にとっては何とも気がかりな話。若くして内閣に初入閣し、さらには与党総裁選も懸かった大切な時期。隠し子の存在は公に出来るはずがなく、出来ることならば永遠に闇に葬ってしまいたいと考え、斯波一家に依頼。これを請けた斯波の総長はどうとでも替えが効く“使い捨て要員”である村雨と菊川に暗殺実行を命じ、任務は無事に果たされたというわけである。


 しかし――。


「あれ、ちょっとおかしくねぇか? その政治家は隠し子を殺せって斯波の総長に頼んだんだよな? なのに、斯波の総長はどうして『攫って来い』って……?」


「そう。そこなんだよ。当時の斯波の総長、逸見いつみさとるは雇い主の“弱み”を握ろうとしたんだ。標的を殺さず、敢えて生かしていくことによってね」


「なっ……!?」


 公職者にとってスキャンダルは命取り。逸見総長からすればそのネタを持っておくことで、これから万が一政治家との関係がこじれた場合、その政治家を実力で屈服させる切り札となり得るのだ。


「逸見は僕らに『然るべき時が来るまで赤ん坊を預かっていろ。それまで誰にも悟られるな』と命令した。正直、冗談じゃないって思ったよ。何でこんなことをしなきゃいけないのかって」


 村雨と菊川に対し、山奥に作られた斯波一家の極秘施設で女の子の面倒を見るよう命じた総長。だが、それに従えば村雨たちは伊豆半島を離れられなくなり、連れ去られた妹を探す機会は失われてしまう。何より「この仕事をこなせば組の力で妹探してやる」と言った逸見が、自ら約束を反故にすることになる。


 あまりにも理不尽な展開に、少年たちは憤った。


「それまで散々ひどい扱いを受けてもジッと耐えてたけど、もう我慢の限界だった。だから僕と朋友は逸見に言ったんだ。『そんなことをするくらいなら斯波一家を抜けます。あなたの命令とはいえ、女の子1人の世話をするために組員になったわけじゃありません。妹を連れ戻せないなら、ここにいる意味なんかありません。破門して頂いて結構です』ってね」


「そしたらどうなった?」


「激怒した総長が兵隊を呼んで、僕等は嬲り殺しにされかけたよ。まあ、朋友が軒並み返り討ちにしてくれたから、何とか逃げ出せたんだけど。でも、朋友はあろうことか『女の子を連れて逃げる』って言ったんだ」


「えっ? そりゃ、どうしてまた……?」


「ここで一緒に逃げなければ、彼女は用済みになった時点でいずれ必ず殺される。ゆくゆくは殺されると分かってるのに飼い殺し状態で生かされるなんて、そんな悲しい話は無いだろ。あの頃は、僕も朋友も青二才の若造だったからね」


 幼い女の子を連れて行くのは今後の行動の妨げになる。それを分かった上で、敢えて連れ出すことを選択した村雨と菊川。逸見に対して一泡吹かせてやりたい意図もあったのだろうが、組長には別の思いもあったと若頭は語る。


「どうにも重なったようなんだ。その女の子に、妹の面影がね。あの日、イギリスで自分がもっと妹の側にいれば誘拐されずに済んだかもしれない……そんな悔恨の念が朋友の中じゃあ渦巻いていたんだろ」


 だからこそ、悲運の少女を見捨てられなかった村雨耀介。本来ならばあの場で家族ともども殺してやれば良かったところ、極道の横暴な論理で中途半端に生かしてしまったことへの責任じみた感情も抱いていたのかもしれない。


 16歳で“子持ち”となってしまった村雨であるが、伊豆半島から逃げ出して各地を転々とする間も決して弱音を吐かず、あらゆる苦労を甘んじて引き受けていたと菊川は語る。明日の命をも知れぬ暮らしの中で、次第に愛情めいた思いも生まれてゆく。やがて、その子にはとある名前が付けられた。


「朋友が名付けたのは“”アヤカ”。これはお前も聞き覚えのある名前だろう?」


「ああっ! ま、まさか……!」


「そうさ。あの時、朋友が命を救ったのは絢華あやかちゃんさ。朋友はあの子を現世に生かした責任を取り、あの子の親になると決めたんだ」


 話が繋がった。以前、村雨から聞かされていた話と照らし合わせてもぴったりはまる。ただ、村雨組長は最初から殺せと言われていたところを自らの甘さゆえに引き金をひけなかったと語っていた。その辺りにズレは生じるが、菊川によればそれは俺に対して言い聞かせるために所々で改変を行ったものであるという。


「朋友は自責の念に駆られているのさ。上の命令とはいえ、あの場で引き金をひかなかったばっかりに。絢華ちゃんに辛い宿命を背負わせることになってしまったんだから」


「……」


「ちなみに“アヤカ”っていう発音は朋友が考えたものだけど、“絢華”の字を付けたのはお前の父親、麻木光寿だ。伊豆から逃げた後、僕等は紆余曲折を経て川崎に辿り着いて、そこで少しの間面倒を見てもらったんだ」


「お、俺の父さんが……!?」


 それもまた初耳である。曰く、親父は川崎へ逃げ込んできた村雨たちに仕事と衣食住を与え、一定期間中川会系三次団体「麻木組」の食客として遇していたのだという。


「僕には半端なところがあったからね。川崎の獅子にはイチから鍛え直してもらったよ。喧嘩の仕方から人の殺し方まで、極道の基本から叩き込んでくれた。今でも感謝してる。それから、朋友には新たな名前を与えた。“ジェラルド・オウ”のままじゃ何かと不便だからって、戸籍を入手してくれたんだ」


「父さんが、そんなことまで……」


「そうさ。村雨むらさめ耀介ようすけの名前は麻木光寿が与えたものだ。僕も、朋友も、足を向けては寝られない。あの時、麻木組の世話になっていなかったら、今の僕らは無いと言って良い。もちろん、絢華ちゃんもね」


 そう言った意味では、麻木光寿は村雨耀介という存在を作り上げたといって良いだろう。なお、彼らが川崎で滞在していたのは1986年~87年頃とのころで、俺が幼少期を過ごしていた時期とも重なる。

 かつての自分は、もしかしたら村雨耀介たちと出会っていたのかもしれない――。

 そんな考察が生まれたが、今は止めておこう。


「キミの父親には何から何まで本当に世話になったよ。朋友が妹を救い出せたのだって、川崎の獅子の助力があったゆえのことだ。あの子を助けるために僕らは最終的に中国本土まで冒険したんだが、それも麻木光寿の支えが無ければ成し遂げられなかった」


「おお。組長の妹さんは無事に助けられたのか。それなら良かったぜ」


「いまはアメリカで実業家として元気に暮らしてるよ。絢華ちゃんが滞在してるのも彼女のところだ。ちょうど今ごろは兄と姪っ子と三人で仲良く楽しくやってるんじゃないかな」


 今の村雨組があるのも麻木光寿のおかげで、川崎の獅子の存在なくしては何もできなかったと語る菊川。親父の偉大さについては各方面で聞く通りであり、裏社会において燦然と輝く数々の金字塔を打ち立てているということは俺も知っている。この世界に飛び込んできてからというもの、あらゆる局面で学んできた。いや、学ばされてきた。


 ゆえに俺は菊川に問う。


「あんたらにとって麻木光寿ってのは恩人なわけか?」


「そうだよ」


「じゃあ、その恩人の息子をあんたは殺すのか? 話がだいぶ逸れちまったけど」


 問わねばならなかった。単に自分の命が惜しいのではない。20年以上も前から、親父の代から紡がれて来た村雨組とのゆかりをそう容易く切ってしまいたくなかったのだ。絢華の話を聞いた途端、なおさら口惜しく感じられてきや。


「……」


 菊川は一度眼を閉じて、ふぅっと息を吐き出す。


「……それとこれとは別問題だよ。麻木涼平。お前の父親には確かに恩がある。だが、お前の排除は今後のために決して欠かせないんだ。『迷ったら主君にとって少しでも利益の大きい方を選べ』、これは他でもない。麻木光寿が教えてくれたことだ」


「ふっ、情に流されるなってことか。なら、聞くけど。父さんが昔のあんたらを助けたのは、情ってやつに流されて判断した結果じゃねぇのか?」


「さあな。それは本人に聞いてみなければ分からんよ。あの世で直に訊いてみたらどうだ」


 語気を強めて言い返すと、菊川は再び拳銃を構える。いつの間に弾丸を装填し直したのか。先ほどはホールドオープンしていたにもかかわらず、今ではすっかり発射可能状態だ。敵ながらにあっぱれ。見事な手際だ。これもまた、川崎の獅子による教授の賜物であろうか。


 菊川は俺を殺すと明言している。


 されど俺とて殺されるつもりはない。


 ならば、もう言葉はいらない。


 俺は大きく息を吐いた。


「……やるか」


 構えを取って、菊川を睨む。奴もまた俺を見据えていた。じりじりと間合いを詰めていく俺たち。互いの緊張が高まってゆく。張り詰めた空気感が体を冷やし、感覚を研ぎ澄ませていった。生きるか死ぬか。未来を懸けた一騎打ちが始まる。ここで勝った者こそが村雨耀介の下に帰り、彼と共にこれからを作り上げてゆく――。


 そう思っていた。しかし、そうはならなかった。


「……おいおい。マジかよ」


 菊川が得意気な表情で指をパチンと鳴らした瞬間、目の前にぞろぞろと現れた集団を見て、俺は思わず息を呑む。「畜生め」という文句が即座に続いて出てきた。


 俺の周りを取り囲んだのは、武装した村雨組の組員たち。沼沢をはじめとするヒラ若衆のみならず、名も知らぬ1名の若頭補佐や古参幹部までがお出ましだ。全員が臨戦態勢であり、いつでも俺に飛び掛かって来られる様子だった。


「……はかりやがったな。若頭さんよ」


「おうおう。謀るだなんて、これまた難しい言葉を使うね。お前も日々勉強して成長しているんだな。良いことだ。ここで殺すのが勿体なくなってきたくらいだよ」


「ふざけんじゃねぇよ、クソ野郎が」


 今までダラダラと長い昔話を繰り広げていたのは、組員たちを開化研屋上に集結させるための作戦。つまり、俺は菊川にまんまと時間稼ぎをされてしまったわけだ。俺は舌打ちをして、菊川を睨みつけるしかなかった。


「……」


「悔しい、って顔してるね。いい気味だ。僕を差し置いて朋友の隣に立った報いだよ。これからお前の身体にしっかりと刻み込んでやるから覚悟しろよ」


「……返り討ちにしてやる」


「強がり言っちゃって。ああ、そうそう。冥途の土産に教えておくよ」


 今度は何を言い出すのやら。菊川は余裕綽々といった調子で語り始める。


「朋友の喋り方って、ちょっと独特だよね。古風っていうか、妙に芝居がかってるっていうか。例えて言うなら戦国武将みたいな……どうしてあんな言葉遣いをするようになったと思う?」


「さあな。何だってんだよ」


「お前のお父さんにやれって言われたんだよ。朋友は日本語の発音が苦手でなかなか上達しなくて、そりゃあもうひどいカタコトだったから、見かねた麻木光寿に『時代劇のビデオを観てその喋り方を真似ろ。多少不自然にはなるが、カタコトよりゃずっとマシだ』と勧められたんだ。そしたら中国人っぽさが消えて、みるみるうちにネイティブな日本語になった。凄いもんだよねー、川崎の獅子は。人を見る目も違いすぎる」


 そんな経緯があったとは。緊張感のせいでリアクションは抑制されたが、内心ではとても驚いていた。


 確かに時代劇に出てくる侍の特徴的な喋り方を真似るのは、外国人が日本語を学ぶ手段としてはある意味有効なのかもしれない。現在の村雨組長は一度としてカタコトの日本語を発音したことが無い。元々日本人ではなかったという事実も、この日聞かされて初めて知ったくらいである。発音はとても綺麗かつ正確で、まったくもって純潔の日本人にしか見えない。たまに外国人の歌手が邦楽をカバーした楽曲を巷で聞くが、あれのイントネーションがほぼ正確なのと原理は同じだろう。


 息子の贔屓目と言われればそれまでだが、流石は麻木光寿。人間というものをよく知っている。


「……おっと。またあんたの作戦かよ。父さんの昔話を出して、俺を油断させようってのか」


「せっかくの慈悲をそんな風に言わないでくれよ。僕はただ、純粋に、お前に川崎の獅子の話を教えてあげたんだから。感謝の一言くらい、くれたって良いんじゃない?」


 嘲笑うような眼差しを注いできた後、居並ぶ男たちに若頭は言い放った。


「お前たち、かかれっ! 麻木涼平の首を獲れ! 遠慮は要らん、この場で血祭りに上げろッ!!」


 一斉に向かってくる組員たち。さしずめ俺を真っ先に殺した奴には褒美をとらす云々と言われているのだろう、その動きはとても俊敏で闘志に満ちてていた。相手にとって不足はない。対する俺もアドレナリンが出まくっていて身体中を駆け巡っている。


 俺はまず一番近くにいる男に向けて突進した。


「ううっ!?」


 男は一瞬怯んだもののすぐに体勢を整えて銃口を向けてくる。俺は反射的に腕を上げてガードしようとすると、横から別の男が殴りかかってきた。俺はすかさずそいつの手首を掴み捻りあげる。男の持っていた拳銃が床に落ちカランという音が鳴り響いた。


「ぐあああっ……!!」


 そのまま無防備になった脇腹を思いきり蹴り上げると、男は白目を剥いて気絶してしまった。かつての仲間とはいえ手加減など無用。手を抜いた瞬間、こっちがられてしまう。


「この野郎ッ!!!」


 また一人近づいてきている。今度は二丁の拳銃を構えており、先ほどよりも威圧感があった。しかしどんな武器を使っていようが関係ない。俺は臆することなく立ち向かう。


「死ねっ!クソガキィイッ!!!!」


 引き金を引く指の動きに合わせて銃弾が轟音と共に飛び出す。


 ――ズガァァァァン!


 いつものように避けようとした俺。けれどもタイミングが合わず、一発目は頬、そして次弾は右肩をそれぞれ掠めてしまった。


「……くぅっ!!」


 被弾箇所に痛みを感じながらも構わず前進して接近戦に持ち込む。相手の顔面目掛けて右ストレートを放つがギリギリ避けられてしまう。だが予想通りだ。俺は続いて左フックを繰り出した。


 ――バキッ。


 拳は見事にヒットするが、よろめくだけで倒れない。ならばと思い切り踏み込んでみぞおちに肘打ちを決めると、ようやく倒れた。


 あと20人くらい残っている。次はどこから来るか。そう思って再び構えをとった、直後だった。


 ――シュゥウウッ!!


 突如として視界が真っ白に染まったのだ。これは煙か。 いったい何が起こったのか理解できなかったが、やがて鼻腔をつくような刺激臭に襲われて気付く。


(煙幕か!)


 しまったと思った時にはもう遅かった。スモークグレネードが次々と投げ込まれていく。たちまち辺りは白い霧に包まれていった。


「はははっ! この霧の中じゃあ何も見えんだろう! いくらお前でも煙に包まれていては戦えまい!」


 菊川の高笑いする声が聞こえる。どうやら奴の作戦らしい。悔しいが、煙で視界を事実上ゼロにされては相手が見えない。


(くそっ……!)


 ありとあらゆる感覚を研ぎ澄まし、この場でどっしり構えて全方向からの攻撃に備えなくては。防戦一方となってしまうが、やむを得ない。


 すると……。


「オラアッ! 死ねぇ!」


 さっそく、金属バットを携えた男が殴りかかってくる。振り下ろされた凶器を間一髪避けるも、男はすぐさま第二撃を放ってきた。


「お返しだぁッ!」


 咄嵯にガードするも間に合わない。


 ――ゴンッ!!!


「ぐわあああっ!!」


 腕に衝撃を受けてしまい思わず叫んでしまう。痛みで全身を怯ませつつも、俺は何とか反撃の蹴りを見舞って相手を退けた。とはいえ、位置関係が把握できないので勘に頼った一撃。瞬く間に攻め込まれてしまった。


「オラアァアッ!」


「うおっ!?」


 日本刀の使い手と対峙し撃退できる自信は無い。

 俺が頭を強くかきむしるうちに、菊川は無線機に話しかけていた。


「やあ、沖野クン。そっちはどうだい?」


『全て良好ですぜ。カシラ。言われた通り、あの女の所にいます』


「ふふふっ、ご苦労さん」


 何のことか。


(あの女……まさか!?)


 刹那に嫌な予感が背筋を走り抜けた。


「んじゃ、やってくれ。手筈の通りに」


『了解』


 次の瞬間、無線機の向こう側から覚えのある声が聞こえてきた。


『た、助けて! 麻木さん! 助け……いやあああああああッ!!』


 ――ザシュッ!!


 女の悲鳴と共に、何か肉が切断されるような音が響いた。まさか、こんなことが。俺は一瞬で、全てを理解していた。


「エ、エレナさん!!」


 声を上げる余裕も無かった。


 無線機の向こうにいる沖野の手により、エレナが刀で斬られたのだ。事実が事実として認識される。あまりにも残酷な出来事を前に、俺は全身が凍るのを感じた。


(ど、どうして……エレナさんが……)


 全身から力が抜けてゆく。


 エレナを巻き込んでしまった。一体、どうして。彼女は関係ないではないか。何故、あの人にまで刃を振り下ろすのか。まったく分からない。


「くっくっ……! はははっ! 聞いたかい、涼平? お前の彼女、ずいぶんと綺麗に死んだみたいだよ? ざまあみやがれってんだ! ひゃははっ!」


 高笑いする菊川の声が、茫然自失となった俺の鼓膜を揺らす。


 何が起きたのか、数秒遅れで再認識される。エレナが斬られた。俺のせいで。俺とかかわったせいで、こんなことに――。


 今までに味わったことのない程の量で、悲痛が襲いかかってくる。それはやがて激情へと昇華。


 気づいたときには、いちばん近くにいた男を殴り倒していた。


 ――グシャッ!


 肉が抉られ、潰され、骨が砕ける感触。それと一緒に血しぶきが上がり、俺の手を真っ赤に染める。その一撃で相手が絶命したとすぐに分かった。


「なあっ!?」


「う、嘘だろ……!?」


「たった一発で……!」


「こ、こいつ……やっぱり化け物かよ! 怪物だ!」


 それまで笑っていた組員たちは、みるみるうちに様子が一変。こちらを見ては後ずさりし、明らかに動揺している。恐れおののくあまり尻餅をついている者も目についた。


 そんな中で、菊川は満足そうだった。


「いいねぇ。ようやく本気になってくれたみたいだね。麻木涼平。その顔だよ。その顔が見たかったんだ。一方的ななぶり殺しじゃあ、つまらないからねぇ……」


「うるせぇ!!!」


 激昂に身を任せて若頭の言葉を遮った後、俺は奴を真っ直ぐに見据えて宣言した。


「菊川塔一郎……お前を殺す!!」


 すると、菊川は舌を出して笑う。


「ははっ! やってみな。やれるものならね」


 俺を挑発するような動作をとると、奴は銃を捨て、懐の中から抜いた得物を手に取って構える。極道者にとってはお馴染みの武器。短刀ドスだ。


「殺してやるッ! 菊川ーッ!!!」


 何も武器を持たぬまま、全速力で駆け出す俺。麻木涼平と、菊川塔一郎。互いの意地をぶつけ合う戦いが、再び始まろうとしていた。

血にまみれた過去を共に乗り越えて来たからこそ、未熟な涼平の存在が許せない菊川。一方で涼平にも譲れないものがある。


次回、麻木涼平 VS 菊川塔一郎の決戦!!

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