表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第8章 餞別
151/261

とんだ計算違い

 1998年12月3日。


 この日の朝、俺は開科研を出た。ずっと病床の上で寝たきり同然の暇な生活を続けていたのだが、ようやくの退院だ。師走に入ったこともあって、外はすっかり冬模様。ついこの前までの残暑が嘘のようである。


 木曜日らしい陽射しに包まれ、施設の正面玄関をくぐった俺を待っていたのは芹沢舎弟頭。いかにもヤクザらしい黒塗りの車で迎えに来てくれていた。


「おう。涼平。退院、おめでとさん」


「ああ。おかげさまで良くなったぜ。医者によりゃあコウイショウ? は無いって話だ。よく分かんねぇけど」


「へへっ。そいつぁ良かった」


 命を繋ぎ止められたことが本当に奇跡という状態から、たった2ヵ月で歩けるくらいまで回復したのだ。己の自然治癒リカバリー力の高さには我ながら驚かされる。医学的には疎いので解釈は当然不正確だが、このまま前線に復帰しても良いのではないか。足腰の節々の自由も効いているのだから。


 いや、しばらくは無理をしない方が安全かもしれない。冷静になってみると傷跡はまだまだ痛い。おまけに俺を診た医師も真顔で釘を刺していた。


(激しい動きをすると息が上がりやすいって……)


 まあ、その辺は少しずつ感覚を取り戻してゆくとしよう。俺が名誉の負傷で長らく現場を離れていたことは皆知っているのだ。病み上がりに無理を強いたりはしないはず。


 そんなことを考えながら、俺は芹沢が乗ってきた車にぼんやり揺られる。屋敷へと向かう道中、舎弟頭は険しい顔で窓の外を見つめながら話を切り出した。


「……今朝、スギハラの死体が上がったよ。河川敷だ。ブヨブヨに膨れ上がってて、ひでぇ有り様だったぜ」


 病院を出て早々にダーティーな話題のご登場だが、これには理由わけがある。入院中、俺が組長に調査を頼んでいたのだ。それはお抱えの武器商人、ジョセフブライアン・スギハラが笛吹慶久と内通していた疑いについて。単なるコネやパイプを持っている云々に留まらず、金銭等で本格的に買収を受けていたのではないかと思ったのだ。


「死体が上がった……ってこたあ、組で落とし前をつけたのか?」


「いいや。組としては一切手を出してない。海外に高飛びされる前に何とか身柄ガラを押さえようと探してたんだが、見つける前にああなっちまった」


 少し時を遡らせて事情を記すと、俺が組長に一連の疑惑を打ち明けたのは11月の半ば頃。怪我の具合が回復してきて日常生活に支障が出なくなったので、見舞いに来た村雨に鋳物工場での出来事を詳しく話した。どういうわけか工場で敵方に待ち伏せされていた件を知るや否や、村雨は『何故にもっと早く申さなかった』と苦言を呈し、情報の漏洩についてはスギハラの仕業だと直感した反応だった。


 それから即座に本人に問い質そうとした村雨だが、スギハラはまるで機先を制したかのように忽然と姿を消し、逃亡。身を隠してしまった。無論、村雨組も総力を挙げて探した。ところが今日に至るまで何の手がかりも見つからず、人探しのプロである組員たちも手をこまねいていたのだとか。


 普通に考えても明らかにおかしい状況。話を戻すが、芹沢はスギハラの背後には何かがあると踏んでいた。内通も奴ひとりだけの仕業でなく、笛吹をも巻き込んだ、大きな陰謀じみた黒幕の存在を感じ取っているようだった。


「俺が思うに、その黒幕は用済みになったからスギハラを消したんだろうよ。村雨組おれらと笛吹を潰し合わせて得をした奴。そいつが正体だ」


 要は、漁夫の利をかっさらう第三者。しかしながら、いまいち見当がつかない。俺が潰した中国マフィアも、ヒョンムルも、笛吹自身が糸を引く黒幕であったとしか思えないからだ。


「考えられるとすりゃ、家入……? いや、待てよ。あいつも笛吹にまんまと踊らされてたようなもんだった。ただの間抜けだ。敢えて騙されたふりをして上手くやるだけの頭があるとは思えねぇ」


「他に心当たりは無いか、涼平。あの日、笛吹って野郎は誰と通じてる風だったか。もういっぺん、頭ん中を整理して思い出してみてくれや」


「そう言われてもなあ……」


 笛吹は周囲の人間を駒としか見ていない一方、己がいいように利用されることはひどく嫌っていた。あの日の奴の言動を振り返っても、まさに自分が立てた作戦で麻木涼平を誘き出してやったかのような振る舞い。誰かに糸を惹かれている風ではまったく無かった。


「まあ、地道に探すとしよう。黒幕が誰であれ、そいつは組を裏切ったお尋ね者の逃亡に手を貸したんだ。しっかりケジメをつけねぇと代紋が廃る」


 とはいえ調査は難航しそうだ。後頭部を搔きむしりながらボヤく芹沢の姿がとても印象的だった。


 スギハラは内通が露見する可能性を予め想定し、逃亡および潜伏の手はずを整え、協力者を用意していた。間違いない事実だ。その協力者が事件の黒幕、または手先となっている人物であり、連中の目的にとって用済みとなったために始末された、そう見るのが正しかろう。


 村雨組を取り巻く問題は、他にもあった。


「あのさ。開化研の連中が話してるのを聞いたんだが。組のシノギ、上手くまわってないんだって?」


「まあ、お世辞にも『全てが順調』とは言えんな。ご指摘の通り、新しいシマの開拓に四苦八苦してるよ。俺も復帰早々戸惑うことの連続だ」


 坊門の乱鎮圧の武功を称えられ、11月1日付で煌王会の直系組織へと昇格した村雨組。煌王会からは横浜市と伊豆半島全域、そして豊橋市の貸元に任じられ、本家での役職として「若中」を通り越し「幹部」の座が与えられた。四代目斯波一家傘下の三次団体だった立場からの急速な出世であり、これは明治時代から続く煌王会始まって以来の大抜擢人事であった。


 四代目斯波一家総長だった清原武彦は坊門の乱でクーデター派に加担した罪を問われ、絶縁。旧斯波一家は取り潰しとなり、領地シマは村雨組が継承、一家の組員たちは村雨組に吸収される。それが本家の裁定だった。


 ただでさえ異例の出世劇であることに加え、つい最近まで格下だった者が格上を併合する結果になったのだ。当然、これを快く思わない声は強く、特に旧斯波一家で村雨の兄貴分だった幹部たちは猛反発。新たに伊豆半島の支配者になった村雨への協力を拒否し、一部の層が武力反抗を企てているとの噂も流れていた。


 そんな有り様ではシマの仕切りなど上手くいくはずもなく、伊豆半島からの上納金アガリの取り立ては停滞。


『伊豆のゴタゴタを一気に鎮めるため、村雨が旧斯波一家の元幹部たちを全員粛清するのではないか?』


 不穏な風聞がまことしやかに囁かれ、俺が入院していた開化研の職員たちも表情を曇らせて話していたのだった。


「実際のところ、やっぱり抗争ドンパチは避けられねぇ流れなのか?」


「虚しい話だがな。向こうの気持ちはよく分かるぜ。これまで弟分だった人間が、ある日いきなり親父分、それも本家の幹部になったんだ。承服出来るもんじゃねぇだろ」


「まあ、確かに……」


「喧嘩の実力じゃ村雨組うちの方が上だ。本家のお墨付きだってこっちが持ってんだ。抗争になる前に、あれこれ脅しつけて傘下に加え込むやり方だってあるんだぜ」


 だが、清濁併せ吞んでくっついたところで遺恨は残る。人間のわだかまりはそう簡単に解消されるものではない。目先の平和を勝ち得たところで、いずれ必ずひずみが表面化する。抗争は避けられない。そう考えるのが妥当のようだった。


「戦いが終わったばっかりだってのに、すぐ次の喧嘩支度をしなきゃいけねぇなんてな」


「ヤクザの世界はそういうもんだよ。俺もこの世界に入ってだいぶ経つが、血の匂いがしない年なんてなかった。治に居て乱を忘れず、そんな心構えでいなきゃ極道はしまいさ」


「そりゃあそうだけど。シマを手に入れてのし上がるために頑張ってきたのに、そのせいで苦労させられるなんて。皮肉なもんだよな……」


「仕方ねぇよ。村雨組がデカくなるためにゃあ避けては通れん道だ。シノギのためにも伊豆の仕切りは急務だ」


 伊豆半島からの上納金が安定して確保できれば、組の財力の更なる盤石化が可能。かつての上下関係に囚われない新たな人員を呼び込むことも、金さえあれば容易となろう。議定衆入りした本家での立場問題もあり、村雨としては一刻も早く伊豆半島の平定を行いたいようだった。


「涼平。いざ抗争が始まったら、お前さんにも出張ってもらうぞ。病み上がりのところですまんが頼む」


「もちろん。やってやるさ。具体的に、ドンパチが始まるとしたらいつ頃からになりそうだ?」


「俺の予想は年明けだ。関西系の極道には『師走には荒事をしない』って風潮があるからな。尤も、うちの組長はそういうのを一切気にしてないから、もっと早く先手を打つかもしれんが」


 次なる戦争は早く始まりそうだ。怪我の後遺症は皆無だが、長きにわたる入院生活で勘が鈍っている。以前のような俊敏な動きを取り戻すには時間がかかるであろう。


 しかし、やるしかない。何故なら、俺はもうすぐ村雨耀介の“息子”となるのだから。


 やがて車が山手町に差し掛かると、芹沢が言った。


「早いもんだな。来週にはお前の盃事か。俺がブチ込まれてる間に話が進んでて驚いたが、今となっては楽しみだ」


「お、おう」


「組の連中だって、皆、何だかんだ言ってお前には期待してるんだぞ」


「そうなのか。それなら良いんだけど……」


 俺の正式な村雨組加入は目前に迫っている。気がかりなのは、組長以下、他の組員たちがどのように思っているかだった。


 適切な人間関係が築けなくては“実子格”を名乗れない。芹沢の話では『成り上がり野郎』と眉を顰める者こそ未だに存在するが、前のようにあからさまな嘲笑を向けてくる連中は一人も居なくなったという。それにははやはり、中国マフィアとヒョンムルをほぼ一人で壊滅させた先日の決戦が大きく関わっているのだろう。


「今や麻木涼平を侮る奴は組の中に誰もいない。川崎の獅子、麻木光寿の遺伝子を持つお前の腕はこないだの戦いで証明されたんだ。自信をもって良い」


「若頭や沖野は何て言ってる? あいつら、俺に対してけっこう当たりが強かったから。そう簡単に見方が変わるもんでもねぇだろ」


「まあ、口じゃあ『まだまだ未熟』と手厳しい評価だが、認めざるを得ないだろうよ。入院してて気づかなかったかもしれんが、先々月にお前がやり遂げたことは横浜のみならず、煌王会全体でも大きな話題になったんだから。村雨組には麻木涼平っていう化け物みてぇなガキがいる、ってな」


「えっ!?」


 俺は困惑した。煌王会全体で広がったということは、中川会などの他の組織も含めて、裏社会全体で話題に上っているということ。自分がそれほど大きな戦果を挙げたのか、いまいち実感が湧かなかった。


「あれって、そんなにすげぇことだったの? 雑魚をまとめて片付けただけだぜ? 中国人のボスはあんたが殺ったわけだし……」


「広まってる話じゃあ、張覇龍の首もお前が獲ったことになってるぞ。涼平」


「おいおい、マジかよ!? いくら何だって尾鰭が付きすぎだろ、そりゃあ!」


 いやいや。おかしい。実際問題、あの場で張を取り逃がさずに済んだのは芹沢がいたおかけだった。彼が助っ人として現れなくては、みすみす張は笛吹を連れて脱出をはかっていたことだろう。若頭たちが指摘する通り、俺はまだまだ未熟だ。それなのに――。


「無理もねぇわな。俺が助っ人として加勢したのは秘密扱いになってるらしいから。どうにも組長と中川会の間で、そういう取り決めがあったようだ」


「……なるほど。だから、あの局面で最初から最後まで俺一人だったってことになってるわけか」


「そういうことだな。俺としては別に構わん」


 おそらく、芹沢の出獄に関しては中川会の便宜は表向きは無かったものとされているのだろう。その辺は政治的な事情があるかもしれない。渋々ながらも俺は俺自身を納得させるしかなかった。


「しかし、解せないな。どうしてうちの組長と中川会が取り決めを? 中川とはどういう関係なんだ?」


 村雨組長が極秘裏に結んでいる同盟を芹沢は知らない。密約相手はあくまでも中川会全体ではなく直参の本庄組だけなのだが、組長からの許しが無い以上、詳細な説明は避けた方が良いだろう。俺は最大限に自然な口ぶりで話すよう努めて言葉を濁した。


「分かんねぇな」


「だよな。まったく意味が分からん。俺の釈放には明らかに中川会の手が入ってる。奴らには何の得があったんだ。競合の三下なんぞを助けても、メリットなんざひとつも無いってのに」


「あんたは山崎さんから何か聞かされなかったか?」


「いいや、何も。ブタ箱の看守と同じく、俺が事情を聞いても『それは教えられない』の一点張りだったからよ。っていうか、お前……」


 芹沢が目を丸くした。


「何で知ってるんだ? 俺をあの場所に連れて来た人間の名が“山崎”だって。本庄組の若頭としか言ってなかったはずだぞ?」


 おっと。しまった。ここ数日は誰とも話していなかったせいか、コミュニケーション能力が衰えている。ついついボロを出してしまった。元々それほど高くはなかったが。


 ハッとする気持ちを抑え、慌てて軌道修正を施す。


「里中に追われて東京へ逃げ込んだ時に匿ってもらったんだよ。本庄組に。そんで、そこの若頭の山崎の家に居候してたってわけだ」


「なるほど。だから名前を知っていると」


「ああ。そうだ」


 すると、芹沢はため息をついた。


「そうか。やっぱりな。そういうことだったか……」


 村雨と本庄の同盟関係は誰にも知られてはいけない。少し危ないところではあったものの、上手く隠し通せたか。俺はホッと胸を撫で下ろす。


 ところが、その束の間。芹沢が思わぬ反応を見せた。


「……お前は良い子分だよ。涼平」


「え?」


「親分の秘密を守るのも子分の務めだ。親分に『伏せておけ』と言われたら、何が何でも伏せる。そいつができなきゃ組長の実子格なんざできやしない」


「な、何を言ってんだ?」


 納得させられたと思ったのだが。隠し通せたと思ったのだが。上手くやり過ごせたわけではなかったのか。


くだんの山崎って野郎がうちの組長をあんまり親し気に呼んでたもんでな。薄々、察してはいたんだ。俺のいねぇ間にそういうことになってたとは驚いたぜ」


 ああ。駄目だったか。これでは半年前と同じだ。この芹沢暁を前に隠し事は通じない。芹沢は相手の偽りを見抜く天才だ。心理学の類でも学んでいたのだろうか。完全なるでまかせを演じきったつもりが、言葉の節々の声の震えを正確に読み取られていたようだ。


 けれど、芹沢も村雨耀介の忠臣。組長の決めたことを絶対視しているだけあって、俺の立場も理解してくれる。それ以上、追及されるようなことはなかった。


「ま、どうあれ組長が選んだ道だ。現場から抜けてた舎弟頭が口を挟むのもおかしい話だわな。俺は黙って従うだけさ」


「……う、うん」


「一緒に支えてやろうじゃねぇか。村雨耀介を。なあ?」


「もちろんだ」


 会話が思いのほかうまく着地点に降りたので、俺は心の底から安堵する。芹沢のことだ。今後は密約に関しては気づいていないふりを貫いてくれるだろう。


 実に有り難い心配りだ。里中からの逃走に手を貸してくれた件も含めて、俺は彼への感謝がまた一つ増えることとなった。まだまだ頭は上がらなそうだ。


「さあて、そろそろ着くぞ。あの戦い以来、久々に戻ったんだ。組の皆に成長した姿を見せてやらねぇとな、涼平」


 芹沢の言う通り、俺に対する組の連中の見方は変わっていた。以前よりも少しだけ上を向いたというか、事あるごとに向けられていた敵愾心のようなものが和らいでいる。組の一員として俺のことを認める動きが、次第に広まっている。自意識過剰ではない。2ヵ月ぶりに訪れた山手町、村雨邸は確かに空気感が違ったのである。


 横浜に勢力を張る外敵の中で村雨にとって殊更に厄介な存在であった中国マフィア、在日を壊滅に追い込んだ功績は俺の想像以上に大きかった。廊下ですれ違うたび、若衆たちに嫌味を言われなくなった。そればかりか、どこか感謝しているような物腰で話しかけられたりもした。尤も、その程度で調子に乗るなよと釘を刺してくる古参者も居たことには居たのだが。


 何より、菊川や沖野からお褒めの言葉を賜ったことは意外であった。


「まだキミのことを完全に認めたわけじゃないけど、少なくとも組長の側に置いておける人材ということは分かったよ」


「おお、戻ったか。手柄を横取りされた気分だが、結果的に云えば組の利益にかなう。よくやったな、麻木ィ」


 皮肉っぽくも評価を与えてくれた菊川はともかく、沖野が俺を肯定してくれるとは思わなかった。敵の拠点に単騎で突っ込んで大暴れする役目は元々は彼が担っていたので、鋳物工場での件を知れば不愉快に感じるものと警戒していた。だが、沖野も組織の一員。個人感情はさておき、褒めざるを得ない所があるのだろう。同じく鉄砲玉タイプの武人として共感というか、理解を示している部分も彼からは伝わってきた。


 村雨組長の反応はと言えば、特に感激して俺を褒めたりはせず、いつも通りの厳格かつ平然とした振る舞い。


「涼平、戻ったか。ただでさえ組の人手が足らぬ時に随分と長い休みを取ってくれたものだな。待ちくたびれたぞ」


「そりゃ、怪我してたから……」


「お前にはこれよりも我が組の要として、力を尽くしてもらわねばならぬ。ちょっとやそっとの手傷で前線を離れられては困るのだ。分かるか?」


「う、うん」


 要は俺の今後に大いなる期待を抱いているということ。それならそうと、普通に言ってくれれば良いのに。いちいち叱咤を添えて投げかけてくるあたりが何とも村雨らしい。


「ともあれ、大義であったな。当面はあまり無理をせずゆっくりと勘を取り戻すが良い。盃の日までは大人しくしておれ」


 俺に盃を下賜する儀式も着々と準備が進んでいる模様。組長の話では、12月8日だ。俺が16歳を迎える誕生日に合わせて行うらしい。


 村雨の“実子格”としての盃を呑むことで村雨耀介の養子となり、その後で絢華と正式に婚約する儀式を執り行う。もちろんいずれも法的な効力は無く、あくまでも任侠渡世における私的なもの。だが、そうすることによって俺はいずれ村雨耀介の後継者となる資格を得られる。


 絢華がいつ、日本に帰ってくるのか。彼女と再会できる日はいつになるのか。とても楽しみだった。


(来週を迎えるのが待ち遠しすぎる……)


 しかしながら、待ち望んだ通りの未来は訪れなかった。屋敷に戻った翌日、村雨組長に呼び出された俺は言葉を失う。急転直下、あまりにも衝撃的な内容を告げられた。


「これよりアメリカへ行って参る。絢華の調子が芳しくないのでな。しばし、横浜を留守にするぞ」


 なんと、現地で療養生活をおくる絢華が体調不良気味だという。当然のごとく彼女の帰国は予定が延びた。いつ戻って来られるかも分からぬ状況であり、最悪の場合、もう1年ほどの滞在を強いられるかもしれないとのこと。


 聞いていた話では、手術後の経過は良好なはずだったのに。臓器移植手術において移植後の急変はよくある事例らしく、彼女も例に漏れぬというわけだ。雷に打たれたような衝撃に包まれ、俺は硬直した。


「おいおい、大丈夫かよ……?」


「兎にも角にも行ってみなければ分からぬ。すまんが、お前の盃事も延ばすことと相成った。絢華の具合にもよるが、万事、私が戻ってからだ」


 これからどうなってしまうのだろう。“絢華の具合にもよるが”という台詞に背筋が凍る。俺と同様に、組の皆も動揺している。組を取り巻く情勢も決して良いものでないことは村雨も承知の上で、それを後回しにしても愛娘の側にいるべく米国へ渡ろうというのだ。言うまでも無く、緊急の事態。よほどの出来事だ。


「あんたが街にいない間、組はどうするんだ?」


「暫しの間、組長の権は芹沢に預からせるゆえ、あの者の申すことに従え。伊豆と戦になるやもしれぬが、その暁も奴に指揮を執らせる。落ち着いて動くのだぞ」


「……」


「案ずるな。すぐに戻って参る。絢華とて強い娘だ。そう容易くやられたりはせん。それはお前もよう分かっておるであろう」


 困惑と焦燥に駆られる俺を宥めると、組長は空港へと向かう車に乗って行ってしまった。何だか、これからだいぶ長いこと会えないような気がする。


 ああ。いけない。そんな未来図を勝手に描いて恐怖に震えている暇があるなら、今後のことを考えねば。


 俺の16歳の誕生日である12月8日に行われる予定だった盃事は、無期限で延びた。それは仕方のないこと。ただ、たとえ組長が居たところで予定は延期されていたかもしれない。外部の情勢も緊迫の度合いを強めている。それを象徴する出来事が思わぬ形で起きた。


「……さっき本家から報せがあったんだがな。三島で跳ねっ返りが暴れたらしい。あのバカ野郎ども、副市長の西口を攫いやがった」


 なんと旧斯波一家の幹部たちが武力蜂起を起こしたというのだ。


 村雨組長が日本を離れた翌日、村雨組の伊豆半島支配に不満を持つ極道たちが出勤中だった三島市の西にしもりあき副市長を拉致、同市内の廃屋に監禁し煌王会本家に“要望書”を送り付けた。その内容は「旧斯波一家の代紋再興と村雨組の取り潰し」。要望が7日以内に通らなければ、人質の西森副市長を殺害すると強硬な態度を見せている。


 急遽大広間に組の者を集めた後、芹沢は渋い顔で言った。



「奴らとはなるだけドンパチを避けようと交渉を続けてたんだが、まさか話が付く前にこうなっちまうとはな。俺達が示した妥協案がよほど気に食わなかったらしい。完全に不覚を突かれた」


 彼の云う“妥協案”とは、直系に昇格した村雨組の本部を横浜から三島市に移し、旧斯波一家の幹部たちを子分ではなく弟分として扱い、盃直しを行うというもの。


 もともと三島市は斯波の本部があった街で、伊豆半島の最大都市だ。人口は10万人程度で政令指定都市の横浜とは比べるべくもない。しかしながら重工業が盛んな伊豆半島を統べる中心部としてヤクザ者には非常に魅力的な土地であった。


「こちらとしては歩み寄りをはかったつもりが、火に油を注ぐ結果になったらしい。向こうに言わせりゃ言語道断だわな。伊豆半島の支配者だった自分たちを差し置いて余所者が出しゃばるなんざ」


 村雨組が続けていた交渉はあっけなく決裂し、斯波の元幹部たちは副市長を誘拐する挙に出た。西森氏は当時の三島市役所の中では最も極道と親しく、古くから斯波一家との橋渡し役を担っていた人物だ。そんな西彼が斯波一家に早々と見切りをつけて村雨組に乗り換えたことも犯行グループが激昂する一因となった模様。


 煌王会本家は村雨組に対し、事態の早期収拾を指示。犯人側のどんな要求にも決して応じることなく、速やかに彼らを制圧、西森副市長を救出しろというのだ。


 幸いにも、警察当局には知られていない。誘拐直後、元幹部たちが「警察にタレこめばその時点で副市長を殺す」と西森氏の家族を脅迫したからだ。これで村雨組としては心置きなく三島市で活動できるかに思えたが、決してそうではないらしい。


「伊豆はまだまだ“未開の地”だ。横浜と違って警察サツの懐柔も済んでいない。司法当局の中には未だ斯波一家の型を持つ人間もいる。俺たちが現地で迂闊な動きをすれば、問答無用で捕まるぞ。やるなら慎重にやらねばならん」


 本来ならば時間をかけてゆっくりと打開作戦を進めたいところ。されども本家からは急かされている、もしも今回の件で西森副市長が殺害された場合、所領統治の不行き届きで村雨組を幹部から降格すると言ってきているらしいのである。


「こういう事件が起こること自体、恥だからな。交渉なんてまどろっこしいことはせずにもっと早く伊豆の連中を粛清しておくべきだった。やり方を間違えた」


「んで、舎弟頭オジキ。俺たちはどうすれば?」


「今夜中に三島へ入ってくれ。まずは現地の斥候、情報収集からだ。くれぐれも慎重に頼むぞ」


 芹沢は沖野に対し、手勢を何人か率いてすぐさま三島市へ向かうよう指示した。こうなったからには足踏みしてなどいられない。一刻も早い対処が肝要である。


「いいか? 何が何でも副市長を救出するんだ。ここで失敗すれば、苦労して議定衆入りを勝ち取った血と汗がパーになっちまうからよ」


 まさに村雨組の興廃を賭けた、絶対に失敗できない作戦。横浜での庶務が片付き次第、芹沢も現地入りして隠密行動を仕切ると語った。当然、俺にも役目が与えられる。


「涼平。お前も沖野について三島に向かってくれ。奴がうっかり跳ねないよう傍でしっかり支えてやるんだ」


「わかったよ」


 2ヵ月前、沖野とはコンビを組んで敵地への潜入を成し遂げている。今度は少し人数が増えるが、豊橋と違って三島はそこら中に監視の目があるわけでもないはずだ。きっと、どうにかなるだろう。


 沖野が考えている出発の時刻は夜の19時。ふと時計を見ると、現在は15時34分。定刻まで3時間近くの余裕がある。


(ちょっと時間を潰してくるか……)


 ほんの軽い気持ちで、俺は外へ出た。とりあえずコンビニで雑誌を立ち読みして陽が落ちるまでの間を過ごそうかなと思ったのだ。冬至前だけあって夜の訪れは早い。暗くなったら屋敷へ戻ろう。そんな考えだった。


 坂道を下りながら自分が置かれた状況について再考察を試みた俺。ここ数日で色々な事が起こっている。夏に比べたらそれほどではないが、激動と呼ぶには相応しいように思える。


 今日にも帰国するはずだった絢華とは再会できず、正式に村雨の息子になる盃も吞めなかった。それどころか、村雨組を取り巻く状況も新たな火種が生まれた。長い戦いの果てに掴み取った直系昇格と幹部就任の栄光がきっかけで新たな戦いが発生しようとは、一体誰が想像したことだろうか。


 けれども乗り越えるしかない。これを解決させなくては俺に未来など無い。組長不在の状況だからこそ己の腕が試される、そう自分自身に言い聞かせて与えられた役目を果たし続けよう――。


 自己暗示に夢中になっていた俺は、前方にいた存在に気が付かなかった。


「あのぅ……すみません……」


「ああ?」


 ハッと我に返って声のした方を見やると、老婆が地面にうずくまっている。転んで足腰を痛めたのだろうか。肩で大きく息をしながら俯いているではないか。


「どうしたんだよ、婆さん。こんな道のド真ん中で倒れ込んじまって。車が来たら轢かれちまうだろうが」


「さっき……転んだ時に足を挫いてしまって……申し訳ありませんが、起こしてもらえないでしょうか……?」


「ちっ、めんどくせぇな」


 舌打ちをしながらも、俺は老婆の元へ歩み寄る。素通りを決め込んだ瞬間に車が来て轢かれたとなっては、流石に寝覚めが悪いからだ。一瞬だけ肩を貸してやるくらい造作も無いことだだろう。


「ほら、掴まれよ。婆さん」


「ありがとうございます……」


「おらよ」



 いつになく見せた優しさで、手を差し伸べた、ちょうどその時。背後から妙な気配を感じた。一体、この殺気は何だろうか。


(誰かいる……!?)


 身の危険を感じ、俺は老婆を放して咄嗟にしゃがみ込む。すると予感は辺り、躱した直後に攻撃的な挙動が繰り出されていた。なんと、背後からスタンガンを所持した人物が接近していたのだった。


 ――パチチチッ!


 俺が避けたことで不発に終わった電撃の音が辺りに響く。迫力を感じずにはいられないサウンドだ。万が一接触していれば、流石の麻木涼平でも気絶は避けられなかったと思う。


 しかし、それもさることながら、俺が驚いたのは後ろにいた人物の正体。見覚えのある姿。いや、紛れもなく名前を知っている顔である。


(えっ? どうして……!?)


 驚愕と衝撃に身を震わせつつ、俺はその名を叫んだ。


「山崎さん!?」


 そう。そこにいたのは中川会直参本庄組若頭、山崎やまざき吉人よしひと。五反田で居候暮らしをしていた折に世話になった本庄組のナンバー2だ。


 だが、何故にここにいるのか。それも何故、俺にスタンガンを突きつけたのか。まったく、理解できなかった。


「あ、あんた。何で……?」


「おお。やっぱり避けたか。避けると思ったぜ」


 訳が分からず動揺する俺。狐のような細い目元をニタッと緩ませ、山崎は不敵な笑みを浮かべる。この表情は何だろうか。


 そう思った時、俺に考えがよぎる。


(ま、まさか!?)


 動機こそ全くの不明であるが、スタンガンを所持していたということは即ち、山崎は俺を拉致しようとしていた。それ以外には考えられない。倒れていた老婆に気を取られていた隙に後頭部を攻撃し、虚を突こうという策。ということは、先ほどの老婆は俺の注意を引きつけるためのおとり――。


 直感を抱くや否や、すぐに後ろで殺気が感じられる。瞬発的な判断で間に合う、間に合わないかはさておき、ここで何もしなくば危うい。俺はすぐさま右足を駆使して背後に蹴りを浴びせた。


 ――ドンッ。


「ぐへえっ!?」


 こんなことがあるものなのか。全くの案の定。俺が視線を移した先には、ワイヤーを手にした老婆が倒れ込んでいた。おそらくはこの鉄線で俺の首を絞めて意識を絶つものだったと思われる。転んで捻挫をしたのは真っ赤な芝居。俺を油断させるための罠だったのだ。


「いやあ、凄いな。このババアは関東でも指折りの女アサシンだったんだが、そいつを見事にいなしちまうとは。川崎の獅子、麻木光寿のディー・エヌ・エーは伊達じゃないね」


「おい。山崎さん。これはどういうこった? どうしてスタンガンを? まさかジョークだなんて言わねぇよな?」


「冗談なんかじゃないさ。『麻木涼平を連れて来い』とのご命令だッ!!」


 そう言い切ると、山崎は再び得物を突き出してくる。なかなかに速い一撃。相当な訓練を受けているようだ。


(……くっ!)


 この男は、強い。


「いきなり何をしやがるんだ! 悪いが、あんたらに構ってる時間は無いぞ。俺はこの後、行く所があるんだからな」


「ああ。村雨組の連中と一緒に三島に行くんだろ」


「なっ!? どうして!?」


「おうおう。『何であんたが知ってんだ』って顔してるな。残念ながらお見通しなんだよ。だが、心配しなくていい。三島の件は芝居みてぇなもんだからなあ」


 どういうことか。中川会の人間が知っているはずのない情報ではないか。深く問い質そうにも反応が追い付かない。


 連続して繰り出される突撃を右に左に動いて躱すが、俺はほぼ勘頼みだ。山崎の攻撃は動きにまったくの隙が無く、どこから飛んでくるか、頭で考えることがまるで不可能。五反田滞在中に聞いた「ああ見えて中川会屈指のヒットマン」という噂は本当だったのか。


 坂の頂上にある村雨邸からは近くもなければ遠くもない距離。大声で助けを呼ぼうか、それともここで戦って撃破するか。必死でよけながら思案する俺は、襲撃者に問うた。


「おい! 俺を『連れて来い』だと? 命令したのは本庄か!?」


「ああ。確かにあのお方も絡んでいるともさ。だが、厳密にいえば違う。きっとお前には想像もつかないだろう。自分という人間の存在価値も含めてなぁ!」


「何を言ってやがる!?」


「説明は省く。問答無用で一緒に来てもらうぞ」


 やがて正面に繰り出されたスタンガンをかわし、俺は決死の覚悟で山崎の腕を掴む。回避しようと膝蹴りが飛んできたが、こちらも膝をつき出して処理する。腕力と腕力が拮抗する、取っ組み合いになった。


「ふふっ、意外とやるようだな」


「あんた……誰に命令されてここへ来た……?」


「来れば分かる。いい加減、大人しくしたらどうだ」


「誰が行くもんか……!」


 捕まってなるものか。逆にここで奴をボコボコにして、奴自身の口で命令者の名を吐かせよう。そんな思いで全力を尽くして踏ん張る俺。


 すると、山崎が不意に語り出した。


「できれば俺も手荒な真似はしたくない。お前、知りたくはないのか? どうしてこういう状況になったのかを」


 どの口が言ってやがる。お前がいきなり襲ってきたから、やむを得ぬ格闘戦に陥ったのだろうに。俺は虫唾が走るのを覚えた。


「う、うるせぇ……!」


「俺と一緒に来れば会わせてやるぞ。お前の拉致を命じた人間にな。ああ、それから事の真相も分かるだろうよ。『どうして村雨組が伊豆の仕切りに手こずっているのか』もな」


「ああ!?」


「己の運命に逆らうな。お前は生まれた時から、ずっとこうなる定めだったんだから」


 山崎の言葉で動揺して僅かに力が抜けた瞬間、防御の腕を振り払われてしまう。「しまった」と思った時には、もう既に遅かった。スタンガンが胸部に直撃してしまう。


 ――バチバチバチッ!


「ぐああああっ!?」


 焼け焦げるような痛みと同時に、全身を襲う痺れ。直後に、頭が揺らめく感覚がする。ああ、これはまずい。意識が飛んで行ってしまう。電流を食らってしまった。


「こ、この野郎……」


「悪く思わないでくれ。こうするのが一番なんだ。村雨組のためにも、任侠渡世の安寧のために、そして何よりお前自身のために」


「ううっ……」


 無理やりにでも俺を連れて行って、どうしようというのか。奴と本庄組にとって、何のメリットがあるというのか。おまけに村雨組の伊豆の件を口にしていたがが、何故に山崎が知っているのか。


(まさか、黒幕は中川会……?)


 軽く仮説を見つけ出した所で、俺の意識は途絶した。

盃事が延びて気落ちする間も無く、新たな波乱が涼平を襲う。山崎が引き合わせたい相手とは……? 次回、衝撃の展開!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ