我に奇策あり
それから俺たちは首都高で1時間ほど揺られて村雨邸に着いたわけだが、具体的な策はやっぱり浮かばなかった。冷静に考えれば考えるほど、無茶苦茶なミッションだと気づく。
前提条件がおかしい。名古屋のクーデター鎮圧と横浜の戦争を同時にこなすなんて、逆立ちをした状態でラーメンを食べるようなもの。無理に決まっている。
勿論、そこは優先順位をつけてどちらか一方から先に取りかかることになろう。横浜の情勢を決しておろそかにはできない。されども、困ったことに村雨組長は前者の方を優先しようしている。
「ここで村雨組が先陣を切らねば他の者どもに示しがつかぬ。何より六代目の信を失うことになる。横浜は確かに気がかりだが、家入を倒せばどうとでも片が付く」
車の中で何度かアプローチを試みたものの、いずれも不発に終わった。元より残虐魔王は頑固な男。俺ごときの意見具申で考えが変わる可能性の方がそもそも低いのだが。
(いや、でも横浜を留守にしちまうのは……)
どう考えてもまずいに決まっている。しかし、村雨耀介はあくまでも名古屋への西上を優先する腹積もり。邸宅への帰着後、組長は俺に言った。
「案ずるな。できる限り、奴らには悟られぬよう動くつもりだ。ひとかたまりになって動けば目立つゆえ、数回に分けて兵を名古屋へ運ぶこととしよう」
「なあ、それって全員で行かなきゃいけないのか? 何人か横浜に留守番を残しといたらどうだ? せっかく庭野や桜琳から人手を借りたことだし……」
「いや、全員で行かねばならん。これは単なる抗争に非ず。真っ当に戦って勝つだけでは足りぬのだ」
「どういうことだよ?」
村雨組の今後を見据えた政治的な話だと組長は語る。
今回のクーデタ―鎮圧には、庭野組と桜琳一家が全兵力を供出することになっている。それは彼らに坊門一派と交戦させた犠牲を出させることが目的。今後、幹部として直系組織に昇格した村雨組が議定衆の中で発言力を行使するため、現状で幅を利かせている庭野組・桜琳一家の力を削いでおこうというのだ。
「坊門たちは私一人でも難なく片付けられるのだがな。せっかくの機会だ。存分に利用させてもらおうではないか」
そもそも坊門による蜂起自体、長島会長とその取り巻き達による内輪揉めのようなもの。坊門が長島グループなら、庭野と片桐もまた同じということになる。
彼ら同士で潰し合いをさせれば自ずと長島グループの勢力は減衰する。そうなれば、謀反鎮圧後の煌王会におけるパワーバランスは一変するだろう。少なくとも長島グループ(二代目桜琳一家出身者)一強ともいえる現状は覆り、我らが村雨組にも付け入る穴が生まれるかもしれない。
ただ単に抗争に勝利するだけでなく、戦いが終わった後の展開までを見据えた戦略的判断。一応、理屈としては十分に同意できるものだった。
「なるほどな。確かに出世のチャンスではあるよな。だったら、その庭野組と桜琳一家だけを戦いに行かせて、俺たちの主力は横浜に残しとくってのはどうだ? そしたら横浜で何が起きても大丈夫だ」
「いや、我らも全力をもって名古屋へ赴かねばなるまい。謀反を征伐した立役者は、あくまでも村雨組。その筋書きでなくては後の論功行賞に障りが出るゆえ」
「そうか……」
討伐軍の指揮を執った事実を成立させるためには、やはり村雨組も全兵力を名古屋に派遣することが必要不可欠。庭野と桜琳だけに戦わせていたとあっては後々で角が立つかもしれないので、やむを得ぬ選択だ。どうやら、横浜で力の空白が生じるのは避けられない流れらしい。
(これはマジでヤバいな。どうにかできねぇのか?)
俺は頭を抱えた。現在、横浜には村雨組の敵対勢力として、中国マフィア「狗魔」や韓国マフィア「ヒョンムル」が勢力を張っている。いずれも脅威と呼ぶに相応しい兵力を持った厄介な外敵。そんな連中と笛吹が手を組み、一斉に暴れ出したらどうなるか――。
主力不在の村雨組に勝ち目は無い。瞬く間に各拠点を落とされ、全てのシマを奪われてしまうだろう。旧横浜大鷲会から引き継いだ所領もあっという間に持って行かれる。この2、3ヵ月で村雨組が投じてきた労力が全て水泡に帰してしまうのだ。経済的な損失は計り知れぬものとなる。
だが、それでも村雨の意思は変わらない。横浜を事実上失うことになりかねないリスクを織り込んだ上で、名古屋へ向かおうと彼は言う。勿論、組総出での話だ。
「坊門を倒し、奴の謀反を鎮めた暁には、我らの議定衆入りが約束されておる。さすれば煌王会の幹部になれるのだ。いくらでも銭が入って来よう」
「うーん。それって要するに。笛吹たちに横浜を奪われても、損した分は簡単に取り戻せるってことか?」
「左様。議定衆の椅子が待っておるのだ。そのためならば所領のひとつやふたつ、奴らにくれてやる」
「おいおい。そりゃあちょっと言いすぎじゃねぇか」
大局的に考えれば正しいのかもしれない。されど、それはあくまでも「全てが上手くいって村雨が幹部になれれば」の話。恩賞が未だ不確定な段階でそのように大博打ともいえる選択を行うのは、あまりにも迂闊だろうに。
不適切な見識であることは百も承知だが、優先順位が明らかにおかしい気がする。突如として降って湧いた大出世を前に、少々目が眩んでいるのか。俺は村雨組長の選択に首を傾げずにいられなかった。
せめて村雨組だけでも何人かの留守居役を残していった方が良いのではないか。いや、その方が絶対に良いに決まっている。
けれども異議を申し立てたとて無駄な話。如何に説得を試みたところで残虐魔王は折れやしないし、考えを改める可能性は微塵も無い。ただ単に俺が不興を買うだけで終わってしまう。
ゆえに直接諫言を行うのは諦めた。ひとまずは組長の方針に同意を示しておいて、俺なりの対応策を考えておくことにした。村雨組が出払っている間、外敵の動きを封じる具体的方策を。
(でも、俺の頭脳だけじゃ限界がある……)
誰かしらの知恵を借りたいところ。こんな時、組長以外で頼れる“知恵者”として真っ先に浮かぶのが、若頭の菊川塔一郎だ。
しかし、どういうわけか当の菊川は前述の大博打に賛意を示していた。戻ってきた村雨と言葉を交わすや否や、事の詳細が決まった経緯を問い質すわけでもなく「わかった」とあっさりと頷いてしまったのである。またしても村雨と菊川が口論になる展開を予想していたので、呆気に取られてしまった。
「……庭野たちと手を組んで名古屋に攻め上るのか。ま、クーデターを鎮めるにはこれしかないだろうね。調略が上手くいったようで何よりだよ」
ちょっと待った。まるで村雨による先ほどの交渉劇を前もって知っていたかのような態度ではないか。
すかさず菊川に問うてみると、これまた驚愕の事実を知らされる。案の定、彼は事前に村雨組長と示し合わせていたようだった。そればかりか、組長に対して声を荒げた午前中の言動も周囲を欺くための演技だったというのだ。
「勿論、知ってたさ。僕は若頭。組のナンバー2だ。不測の事態に備えて、打てる手は打っておかなきゃいけないからね。尤も、組長が人間相手に負けることはまず無いだろうけどね。あはははっ」
「……万が一、交渉をしくじって浅草で殺された時に備えてたってわけか。そりゃあ、いくら仲介を頼んでるからって相手は敵側の人間だもんな。油断しないに越したことはないか」
「うん。常に最悪の最悪を想定して動く、これは渡世の鉄則だよ。どんなに自分の腕に自信を持っていようと、安全バイアスだけはかけちゃいけないのさ」
「理屈は分かった。けど、驚いたもんだな。午前中にはあんな激しくに啖呵を切ってたのに。そいつが演技だったなんて。どうしてそんなややこしい真似を?」
すると、横にいた村雨が口を開く。
「我が郎党どものためだ。涼平」
一体、どういう意味か。詳しく尋ねてみると、組長の口からは思いのほか合理的な動機が語られた。
「彼奴らは表面上でこそ私を褒め称えておったが、心の内では『不満を抱く者も少なからずおったであろう。ゆえに菊川に頼んだのだ。皆の動揺を先回りし、先んじて代弁することで不満の受け皿になってくれと」
坊門組の軍勢を武力で蹴散らした組長の対応は、あの局面ではやむを得ぬものであったにせよ、やはりどうしても懸念が付いてくる。現状における煌王会のトップ、坊門組を敵に回してしまったのではないかという絶望的な懸念が。あの沖野でさえ組取り潰しの可能性が頭に浮かんだくらいだから、きっとそうだろう。
沖野以下、組員たちは今回の調略交渉を知らない。そのまま何もせず放っておけば、彼らの中で不穏な空気が流れ始める。精神的動揺は次々と伝播し、瞬く間に集団の足並みを乱してしまう。
だからこそ、そうなる前に組長は菊川にひと芝居打たせることで対策を施していた。
若頭が「なんてことをしてくれたんだ! キミのおかげで組は取り潰しだぞ!」と面と向かって組長に食ってかかれば、それは組員たちの心の奥底にあった負の感情を代弁する行為。立場的に表立って文句が言いづらい者たちは安堵するだろう。少なくとも、瞬間的な不平不満は中和されよう。
「なるほどな。不満を言わせない空気を作るんじゃなくて、適当に吐き出し口を作って芽を摘み取ると。斬新なやり方だな」
「うむ。人は所詮、一枚岩になれぬ生き物だ。皆で同じ意思の共有をはかったところで、必ずどこかで綻びが生まれるものだ。ならば、最初から綻びを抱える前提で考えた方が良かろう。完全を目指すより、その方が現実的ではないか」
手法としては実に素晴らしいと思った。しかし、せめて俺だけには「あれは芝居だ」と伝えておいて欲しかった。菊川の怒りの演技が凄まじすぎて、本当に激昂しているものだと騙されてしまったのだ。沖野は仕方ないとして、俺には事前説明があっても良かっただろうに。
「いや、まあ。別にいいんだけどよ。後々で皆に説明するのが大変なんじゃねぇのか? 名古屋で起きてる事の真相だって、もうすぐ説明しなきゃならないわけだし……?」
「案ずるな。皆、話せば分かってくれる。元より血気に逸った者たちだ。事の詳細を聞くより、先ずは戦で手柄を立てる機会が来たと喜ぶであろうな。お前が心配することは何ひとつ無い」
組長に呼応するかの如く、菊川も大きく頷いた。
「そうだよ。キミは黙って喧嘩支度でもしていれば良い。今回の抗争に勝てば、僕らは直系昇格を通り越して幹部になれるんだよ? 『煌王会直系、村雨組』と堂々名乗れる日がすぐそこまで来ているんだ。栄誉ある話だと思わないかい? 前祝の宴をやったって良いくらいだ」
すっかり目を細めた彼の表情で、俺は直感する。菊川も村雨と同じだ。クーデター鎮圧のことしか考えていない。不確定な恩賞に心を躍らせ、捕らぬ狸の皮算用を何のためらいもなく語ってのける始末。
違うだろう。名古屋の件も確かに大事だが、いま有る所領をどうやって守るかを考えねばなるまいに。横浜を外敵に奪われたところで幹部に上がればおつりが来るとでも考えているのか。
俺には、彼らの目論見がまったくもって理解できなかった。されどもここで敢えて口に出したりはしない。
「ああ。確かにな」
最早、何を言ったところで無駄なのだ。そう口を繕うと、俺は頃合いを見計らって組長たちの元を離れた。向かった先は自室。いつになく、両脚が疲れている。失望と苛立ちで心が飽和したせいか、体がとても重く感じられた。
時刻は午後9時26分。実に中途半端な夜のひと時。全身に蓄積する疲れ具合とは対照的に、眠気はそこまで押し寄せてもいない。勿論、普段は起きている時間帯である。ゆえに当然といえば当然なのだが。
とりあえず自室に引き上げてベッドに寝転がり、ぼんやりと宙を見上げてみる。眠ったりはしない。ここで考えることは、たったひとつだ。
(どうすりゃ良いんだろうな……)
横浜のことがひどく気がかりだ。村雨組の戦力が出払っている間、街に巣食う外敵たちにシマを奪われてしまう。それがあまりにも不安で、不安でたまらなかった。
村雨組長の考える今後の方針は実際のところ正しいのかもしれない。政治的な見地に立てば確かに村雨組は全員で出撃すべきだし、借り受けた庭野組と桜琳一家の兵たちも名古屋の坊門一派と戦わせて消耗させるのが良かろう。煌王会で幹部になれば横浜など容易に奪還できる、その見立てが愚かとも言い切れない。
では、そもそも俺は何故にここまで思い悩むのか。横浜の街を取られてしまうと懸念を募らせるのか。
真っ先に浮かんだのが絢華の存在だった。
彼女にとって、横浜は帰るべき場所。そして唯一無二の家である。現在、異国にて自分の運命と懸命に対峙しているあの子の、かけがえのない安息の地だ。
愛する人のホームタウンを敵の手に委ねたくない――。
その想いから、俺はこんなにも頭を捻らせているのだろう。自分で自分が可笑しく見えた。他人の目からもとんだ滑稽な男に感じられるはず。だが、それでも俺には大切だった。絢華が帰ってくる横浜を守り続けることが、己のとても大きな使命のように感じられたのである。
少々自嘲気味に再認識した俺は、今一度思案し直す。何か良い方法は無いか。村雨組の隙を突いて必ず動き始めるであろう外敵を一度に打ち払う、決定的な策が浮かんでくれば良い。
「……とか言ったって。あるわけねぇよな。みんな一か所にまとめて叩き潰す、都合良い方法なんか」
おっと。いけない。つい独り言が漏れてしまった。このような場面では緊張感が緩んでしまうから困る。元より思っていたことが口に出やすい性分だ。尤も、今この場には俺以外に誰も居ないので問題は無いのだが。
ただ、そんな偶然飛び出た独り言のうち、俺には引っかかる部分があった。『あるわけねぇよな』という否定の句ではない。『一か所にまとめて』の部分だ。
(一か所にまとめて……そうか。それなら簡単か)
狗魔、ヒョンムル、笛吹と横浜にスクール 3つの敵を1か所に集めて一斉に撃退するというのが俺の建てた策だ さすれば戦も早く終わる。各個撃破するより手間がかからない、とても効率の良いやり方といえる。
だが、問題は敵の陽動。如何にして敵を誘い出すか、そこが大きな問題だった。出てこいと言われて 多い それと出てくるような奴はいないだろう。ましてや 今は抗争の真っ最中。こちらが罠を張っていることは 敵も了承しているはず。とても単純な話ではなかった。
(何かしら、食い付かせるための餌があれば……)
俺は頭をかきむしる。
餌をばらまいて敵を誘き出すことに成功すれば、後は容易いこと。狗魔、ヒョンムル、笛吹はそれぞれ敵対関係にある。 一堂に会せば当然のごとく殺し合いを始めるであろう。やつらがドンパチで数を減らしてゆく様を高みの見物で静観し、弱りきったところで駆け出してトドメを刺す――。
そんな戦略が頭の中で生まれていた。だからこそ、その作戦を実行に移すための餌がいまいち思い浮かばないことに俺はひどく苛立った。
「はあ……何か無いかなあ。良い餌は」
苛立ちと焦燥が募り、うっかり2度目の独り言が飛び出てしまった。すると その時 部屋のドアがしたとかにロックされる。
「涼平。居るか?」
村雨 組長 だ 俺は慌てて自制を直し 入室を迎え入れる。
「あ、ああ。どうしたんだよ。こんな所に。用があるなら呼び出してくれゃあ俺の方から行ったのに」
「偶然通っただけだ。今、何を考えておった? お前のことだ。先刻の話に納得がいっておらぬのであろう?」
「……それは、その。確かにそうだが」
先ほど執務室を出て行く仕草から、考えていることが見透かされていた。村雨組長は人の心を読む天才だ。まったくもって恐れ入る
「横浜のことは後からどうとでもなると申したであろう。何故、左様なまでに思い悩む? それほど心配なのか?」
こうなっては仕方ない この重要な局面にあっては 面目など気にしてごまかす 必要もないだろう 一生にふされることを覚悟の上で 俺は 思いの丈をぶちまけてみた
「……敵に横浜を乗っ取られるってことは、当然この屋敷も占拠されちまうだろ。俺は守りたいんだよ。あいつが、絢華が帰ってくる場所を。あんたにとっては単なるシマ、単なる家かもしれねぇけど、絢華にとっては大切な場所なんだよ」
本来であれ 村雨の見通しの甘さを指摘したいところだった。しかし、そんなことはできるわけがない。痛烈な台詞が喉まで出かかったが、ギリギリで止めておく。
絢華のためにこそ、横浜を敵の手に委ねたくない――。
俺の言葉を聞いて、村雨は何を思ったのだろうか。しばらくの間黙っていたが、顔つきはそこまで険しくもない。眉間にしわは寄っていないので怒っているわけでもなさそうだ。いたずらに不況を買う結果にならなかったことに一安心を覚える。
だが、その直後に帰ってきた言葉に俺は背筋をこわばらせた。
「愚かだな」
直後にため息が続いて出た。苛立ちの色は孕んでおらず、どちらかといえば呆れて失笑するかのような短い言葉。
愚かとは、いかなる意味か。あなたの愛娘の気持ちを慮っての献策をそのように詰るとは。俺は全身に力を入れたまま、恐る恐る村雨組長の口から続く次なる言葉に耳を傾ける。
「えっ?」
「そのままの意味だ。その考えは浅慮が過ぎると申しておる。占拠されたのなら、後々で奪い返せば良かろう。もっと大きな目で考えてみよ。謀反の征伐により得られる恩賞に比べたら、左様なことは些末事ではないか」
「あ、あんたは良いのか? 外人たちは何をするか分からねぇ。乗っ取られるどころか、火をつけられるかもしれねぇんだぞ!?」
「ならば、新たに屋敷を建てれば良い。その程度の金は幾らでも転がり込んで来よう。大体、この屋敷も元はと申せば他者から貰い受けた物だ。大して思い入れは無い」
名古屋の相談を無事に鎮めて煌王会幹部の地位を手に入れる。その野望に燃える村雨にとっては、愛娘と過ごす邸宅を失うことさえも必要経費というわけか。何故、そこまで割り切れるのか。魔王、村雨耀介のあまりの冷徹さに俺は愕然となってしまった。
「良いか? 涼平。此度はただの戦ではない。勝てばこの先一生の道が開ける、千載一遇の好機なのだ。目先の損得や感情にとらわれて全力を尽くさぬは愚かなことぞ。これに勝る大事は無く、他の全てをかけ捨てるべきと心得よ」
組長らしい、あまりにも毅然とした説諭。こうまではっきりと詰められると、己の考えに自信が無くなってくる。村雨の立てた見通しの方が大局的で、なおかつ正しいのかと思えてくる。
大事を見据え、小事をかけ捨てるという判断。それが出来ない俺はきっとまだまだ未熟で青臭く、渡世人として修行が足りないのだろう。
一方で、村雨はこうも言った。
「ただ、お前の情の深さは見上げたものよ。左様にして絢華のためを思い、己の考えを堂々と示せるとは。青いなりに大した心がけだ」
文字面だけを見れば皮肉とも嫌味とも受け取れる言葉だが、組長の口ぶりは至って穏やか。表情も叱責しているという風でもない。褒めてくれているのか。
「では、その殊勝さに免じて、お前の言い分を参考までに聞いてしんぜよう。お前は横浜に幾らばかりかの兵を残すべきと思うのだな?」
どうやら意見具申の機会を与え続けてくれるらしい。待ってましたとは思わないが、せっかくのこと。愚かな俺なりに提言を行ってみるとしよう。
「ああ。出来れば味方の半分くらいは。けれど、そいつが出来ねぇってんなら仕方ない話だ。組の兵隊を全員出さきゃいけない理屈も分かるからな。俺が横浜に残る。俺ひとりで何とかするよ」
「確かに、今のお前は極道ではないゆえ。横浜に残ったとて名目上は障り無いのだが。お前ひとりで何ができる? 仮に笛吹どもが攻めてきた時、お前ひとりで奴らを打ち払えるとでも思っておるのか? 戯言の類を申しておるのではあるまいな?」
「そりゃあ、勿論。あんたの前で冗談なんか言わねぇさ。作戦があるんだよ。つっても、さっき思い付いたばっかだけどな」
「ほう? 聞かせてみよ」
良くも悪くも興味深そうな反応を見せた村雨に、俺は先ほどの計略を提案してみる。敵を一箇所に誘き出して狗魔、ヒョンムル、笛吹の三者を一同に介させ、互いに殺し合わせるという奇策だ。当然、猿知恵と笑い飛ばされることは覚悟の上で。
「……というわけだよ。敵全員を潰すことは出来なくても、それなりの打撃は与えられる。俺にしてみりゃ必勝の策ってわけだ」
必勝というよりは唯一の策だ。他にも色々と状況を想定してみたが、やはり狗魔、ヒョンムル、笛吹の三陣営を一気にまとめて壊滅させるにはこれしかない。元よりこちら側とは戦力において大きな開きがあったので、効率性を重視すれば自然とこの策に行きつくだろうけど。
「なるほどな。笛吹はともかく、狗魔とヒョンムルは昔から不仲だ。我らという共通の敵がいたとて仮初めにも手を組むことは無いであろう。おまけにjヒョンムルは日本人を恨んでおるのだ。お前の見立て通り、三者が出くわせば殺し合いが始まろう」
話を聞いた村雨組長も、一応は理解を示してくれた。
「だが、どうやって奴らを集めるつもりだ? AもBもCも警戒心は強い。そう簡単にこちらの誘いに乗ってはくれまいぞ?」
「そこなんだよな。何かしら、うってつけの“餌”があれば話は早いんだが。連中を皆まとめて食い付かせる“餌”だよ。何か無いかなあ」
「フッ、私に尋ねるか。まあ、助け船を出してやらんことも無いが。“餌”と聞いて、私が思い当たるものはひとつだ」
ダメ元で話を振ったところ、思いのほか芳しい反応を見せてくれた組長。彼なりに心当たりがある様子だ。勿論、尋ねずにはいられなかった。
「おいおい。もったいぶらずに教えてくれよ。何をぶら下げりゃあ、連中は食いついてくるんだ?」
それに対し、組長は一言で答える。
「お前だ」
直後、真顔で指を刺された。どういうことか。
「はあ!? 俺!?」
「左様。笛吹とヒョンムルは我らとは別にお前個人を標的としておる。お前自身が“餌”となれば、間違いなく食いつくであろうな」
「冗談だろ」
「無論、本気だ。お前を相手に戯言など申さぬ」
俺が囮になれば敵を誘き出せる。何とも衝撃的であるが、これは紛れも無い事実だ。ここ最近、横浜市内でヒョンムルの構成員たちが俺を探して街を歩き回っていたとの目撃情報も出ているという。よって「〇〇地区で麻木涼平を見た」と情報を流せば、奴らは大軍を編成して向かってくるのではないか。
「マジかよ……まあ、でも仕方ねぇか。いいぜ。囮になってやるよ。それで笛吹とヒョンムルを潰せるなら願ったり叶ったりだ。喜んで囮になってやるよ」
ただ、問題は狗魔。あの中国マフィアは専ら家入の依頼で動いているので、俺との因縁は無い。連中を誘き出すための“餌”として前述の作戦はあまり効果が見られないはず。
「中国人はヒョンムルとも仲が悪いんだろ? じゃあ、ヒョンムルが大勢で集まってるとなりゃあ自然と湧いて出てくるんじゃねぇの?」
「いいや。狗魔は用心深い連中でな。敵方の陽動については殊更に警戒しておろう。おいそれと誘い出されてはくれぬはずだ」
「い、言われてみれば……!」
思えば、狗魔で首領を務める張覇龍なる人物は相当の切れ者だったか。相電キグナスに居た俺たちに外注の殺し屋を送り込んできた点からも、その計算高さがうかがえる。あれは村雨組を挑発するのにとても効果的だった。
話を戻すが、組長曰く狗魔を誘き出すにはひと工夫が必要であるという。奴らに「行きたい」ではなく「行かねば」と思わせるだけのネタ、それを撒き餌にしなくては陽動などは夢のまた夢。
勿論、瞬間的に思いつくものでもない。俺は再び頭を捻り、大いに悩ませた。
(何だ……? どうすれば中国人を誘き出せる?)
俗に云う“無い知恵を絞る”とは、まさにこの事。頭をフル回転させて必死で思考する。どうにかして、有効な一手を思いつきたかった。
中華街のマフィア、狗魔。彼らに関する情報を脳内で片っ端から捻り出してみる。相電キグナス最上階のファミレスで殺し屋の女に襲撃された一件、尾瀬島のホテルのロビーで見かけた張覇龍総督とその取り巻き達、そして彼らが繰り広げていた会話の数々など、幾つかの要素が瞬時に思い出される。
その中で、俺の頭の中で不意に聞こえて来た台詞があった。確か、張の部下が発した言葉だったか。
『やっぱり怪しいんじゃないですか? 家入は信用できないと思います。“金塊”の隠し場所だって、こっちには一切教えてくれないし……』
偶然、引っかかった台詞だ。この台詞の主はカタコトの日本語で話していた。ゆえに直後に張から「外ではリーベンの言葉を使え」と窘められていたっけ。おぼろげな記憶ではあるが、そんな気がする。俺には何故だか印象に残っており、不思議と今この時になって真っ先に脳内再生されたのだ。
(ん? あの男は“金塊”の隠し場所って……?)
不自然な日本語の発音ではあったが、奴は確かにそう言っていた。とりあえず前後の脈絡と照らし合わせてみる。
すると、俺の中で爆発的な衝撃が轟いた。
「ああっ! そういうことだったのか!」
三度、思っていたことが声に出てしまう。今回は目の前に村雨組長がいたので少々驚かせてしまった。組長は怪訝な声と共に、俺を軽く睨みつけた。
「何だ、いきなり。素っ頓狂な声を出しおって」
「悪い。すっげえ事に気づいちまってよ。つい、声が出ちまったんだわ。分ったんだ。中国人どもを誘き出す、他には無いってくらいの方法が」
「ほう?」
目を丸くした村雨に、俺は出来立ての自説を述べる。
「午前中に取ってきた、金の延べ棒。あれを使うんだよ。俺が思うに、あの延べ棒を盗んだのは狗魔の連中だ」
6月に発生した海道銀行名古屋栄支店襲撃事件。そこでは煌王会の長島会長が溜め込んだ個人資産、5億円相当の金塊が奪われていた。
つい先日に尾瀬島地区のインターコンチネンタル・ホテルにて耳にした中国人の会話から、俺はその強奪犯が狗魔の息のかかった人間であることを察した。男が発した「隠し場所を教えてくれないので家入は信用できない」というフレーズに、件の金塊が家入の身内である笛吹の元にあった事実が符合したのだ。
「おい、待て。藪から棒に何を申す?」
「悪い。分かりやすく言えば、中国人は家入の協力で金塊を盗み出し、その隠し場所も家入に任せた。だが、家入は隠し場所を教えなかった。中国人にとって金塊はある種の弱み。そいつを握ってりゃあ、中国人に言うことを聞かせる切り札にもなるからな」
「話が飛躍しすぎではないか? 仮に6月の事件が家入と狗魔の結託によるものだったとして、それをしでかす動機は何だ? たかだか5億のために煌王会会長の資産を奪うなど、危険と実入りが釣り合わぬと思うが?」
仰る通り、それだけで決めつけるのは乱暴だ。現状のままでは仮説に穴がある。それを少しずつ埋めるかのように、俺は村雨の投げる問いに正確に答えていった。
「家入も馬鹿じゃねぇからな。じゃあ、持ち主が煌王会の会長だと知らないで盗んだのだとしたらどうだ。おそらくは、盗んだ後で会長のものだと気付いたか」
「ああ、それだと辻褄が合うな。では、隠し場所に笛吹の隠れ家を選んだ理由は何だ? それに笛吹が金塊を置き去ったのも不可解だ。金塊の隠し場所として白羽の矢が立ったのなら、何故に笛吹は金塊を持ち去らなかったのだ? 大叔父から託された大事な金塊であれば、是が非でも持って逃げるのが道であろう?」
「逆だよ。金塊は確かに中国人を操る切り札だが、いわくつきの代物でもある。効力はあるが、直接持ってるのはヤバい。だから、笛吹に押し付けた。家入にとって、笛吹は単なる捨て駒だ。笛吹はそれに気づいたから、敢えて金庫の中に手を付けずに逃げたんだよ」
「何だと!?」
俺が思うに、金塊を預かった時点で笛吹はその正体を知らなかった。「わけあって豊橋に置いておくのはまずい延べ棒だ。すまんが預かっておいてくれ」とでも言ったのだろう。
ところが後日になって、笛吹は何らかのきっかけで金塊が持っているだけでリスクとなる盗品であることに気づいた。同時に、大叔父に厄介事を背負わされたことを悟った。そしてちょうど時を同じくして俺たちが鶴見を襲撃したため、奴は金塊を置き去ったまま拠点を逃げ出した。というのが、俺の仮説だ。
「ここからは完全に俺の予想になるが、強盗に成功したら見返りを貰う約束で家入は中国人と手を組んだ。延べ棒を現金に換える役目を買って出たんだろ。けど、後になって中国人が盗んだ金塊が実は長島会長の持ち物だったと気付いた」
「……ゆえに、それを大甥の笛吹に押し付けた。あたかも金塊は家入本人が安全な場所に保管していると見せかけ、狗魔の張たちには『然るべき時が来たら換金する』と偽りを申しておると」
「そうだ。で、いつまでも換金しないで、家入は中国人を手駒として使ってるのさ。あれこれ無茶な要求を吹っかけてな。中国人も家入の言う通りにしないと金を貰えないかもしれねぇもんだから、仕方なく従ってる。だいぶ不満が溜まってるみてぇだけどな」
強奪犯が狗魔だとすれば、事件の異常性にも説明が付く。大量の銃火器を所持していた点は勿論、人質の一般人を何のためらいもなく射殺した点や、警察の捜査網を掻い潜って逃走に成功した点。これらは全て、百戦錬磨の犯罪組織だからこそ成し得た所業だ。
豊橋での富田の証言によると、狗魔日本支部は現在のところ慢性的な資金難に喘いでいるのだったか。ゆえに金塊強奪は彼らにとって、兵糧調達の手段であったと考えるべきだろう。それをまんまと成功させてしまったわけだ。
だが、狗魔も今は困った状況に陥っている。
銀行から奪った金塊の現金化を家入に依頼したは良いが、様々な理由をつけて先延ばしにされ続け、肝心の金塊の隠し場所も教えて貰えない――。
あくまでもこれは俺の推察による仮の結論だ。しかしながら、信憑性はかなり高いと思っている。
そこから、自然とひとつの作戦が導き出された。
「中国マフィアたちに偽情報を流すんだよ。『家入が
預かった金塊を勝手に溶かそうとしている』ってな。そうすりゃ連中はブチギレて阻止しにやってくる。必ず、何が何でもだ。そうしてノコノコおいでなすった兵隊をヒョンムルや笛吹とぶつけて、殺し合わせる。どうだ? なかなか良いプランだろ?」
以前、組長から聞いた予備知識が頭をよぎる。延べ棒を現金化するには然るべき業者に売却せねばならないのだが、盗品をそのまま売ってしまっては足が付く。銀行で保管されている延べ棒には、必ず管理番号が刻印されているからだ。よって、一度延べ棒を溶解して再錬成し、刻印を消す必要がある。
「何と……」
村雨組長は暫しの間、呆気に取られていた。衝撃の雷鳴で背中を打たれたような表情。単に驚いていただけなのか、もしくはとんだ猿知恵と呆れ返っていたか。詳しいところは本人のみぞ知る所で、俺には分からない。
されど、数十秒ほどの間を挟んで組長が見せたのは、考えていたよりもずっと肯定的な反応であった。
「……ああ。よく思いついたものだな」
笛吹一党と韓国マフィアのヒョンムルは、麻木涼平の存在を餌にして呼び出す。少し離れた人気のない土地に、なおかつ単独でうろついているとあれば、文字通り狙い目。連中にとって俺の首を獲りに来ない理由は無いだろう。
上述の銀行強盗のくだりは全て俺の推論で、憶測の域を出ない。陽動を仕掛けた敵が本当に現れる確証も100パーセント担保されているわけではなく、一種の賭けともいえようか。
それでも、俺にとっては唯一無二の必勝の奇策。横浜に巣食う外敵たちを打ち払うため、俺につきまとう黒い影を一網打尽にするため、そして何より愛する絢華の帰る場所を守るため、やらないわけにはいかない。
村雨組長は、俺に質す。
「涼平。重々に分っておると思うが、あまりに危険な綱渡りとなろうぞ。自らの身体を囮として使う限り、生きて帰れる保証はどこにも無い。それでもお前はやると申すか?」
「ああ。やるよ。鬱陶しい奴らを皆まとめてぶっ潰せるんだ。喜んで囮になってやるさ。まあ、俺が全員を相手にする必要も無いんだ。敵さんが現れたらドサクサに紛れて適当な所に隠れて、しばらく高みの見物をさせてもらってから、頃合いを見計らって逃げ出すよ。簡単な話じゃねぇか。心配要らねぇ」
「いにしえの鵯越と桶狭間をいっぺんにやるようなものだ。私の知る限り、かようなまでに無謀な話は聞いたことが無い。なれど、お前がそうまでして我が後顧の憂いを絶ちたいと、役に立ちたいと願うのなら……」
暫し無言で宙を見上げた後、村雨は言った。
「……私はお前を誇りに思う。私も私で、出来ることをしよう。恩に着るぞ、涼平」
こちらこそ、認めてくれてありがとうという思いだった。口ではリスクを甘んじて呑むようなこと言っていたが、やはり村雨組長も本音では横浜を守りたいのだろう。そんな気がしていた。
「風説の流布と各所への根回しは私が済ませておく。お前は体を温めておけ。まあ、お前のことだ。治に居て乱を忘れず、いつも常在戦場だろうがな」
「ジョウザイセンジョウ?」
「万事、戦いに慣れておるということだ」
俺が急遽提案した奇策で、村雨組長は方針を変えた。それはクーデター討伐軍を率いて名古屋へ行っている間、俺を横浜に残して別作戦を決行させるというもの。現状、村雨組にとって脅威となる中国マフィア「狗魔」、韓国マフィア「ヒョンムル」、そして笛吹慶久を陽動で誘き出し、罠に嵌めて一斉に撃滅するのだ。
組長曰く、俺の決戦の舞台は川崎の鋳物工場にするとのこと。金塊を溶かすにはそれなりの鉱炉が必要。同地にて家入組の関係者が盗品の金塊を勝手に溶かそうとしていると偽情報を流布し、一方で工場内に麻木涼平がいると触れ回ることで外敵三陣営を呼び出す。
また、上手くいけば家入本人も釣れるかもしれないと村雨は語った。金塊が中国人に取り返されてしまえば、家入は彼らに対する優位性を失う。家入には家入で「笛吹が金塊を中国人に引き渡そうとしている」と吹き込み、気が気でなくなった家入に川崎までおいでいただく。そして混沌の潰し合い合戦の中へ放り込み、奴を始末するのである。
「風説を信じて家入組の兵が名古屋を離れれば、五点を占拠する坊門も戦いづらかろう。こちらとしても一石二鳥。良いことずくめだ」
「なるほどな。けど、どうして川崎? 鋳物を溶かす工場なら横浜にも何軒かあるんじゃねぇのか?」
「横浜は我が所領。あくまでも金塊を溶かすのは家入という体を装うのだ。川崎の方が自然であろう。それに、あの街は古くから工場が余るほど多くてな。横浜で行うよりも目立つまいと考えたのだ」
「そっか。なら、川崎の方が良いかもな」
一体、何の因果か。奇しくも俺の地元が決戦の地に選ばれてしまったが、見知らぬ土地でないだけまだ良いというものだろう。むしろ、勝手知ったる地元であれば気が楽かもしれない。
何せ、これは俺にとっては人生最大にして最後になるかもしれない大勝負。決死の覚悟で挑む舞台なのだから。
(まあ。いいさ。大事なもんのために命張るんだ)
決戦の時が、すぐ目前にまで迫っていた。
村雨組のために覚悟を決めた涼平。外敵を一網打尽にする奇想天外な策は成功するのか……?