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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第8章 餞別
143/252

調略

 それにしても物々しい雰囲気だった。


 座卓を挟んだ向かい側に腰を下ろす庭野と片桐は、入室してきた俺たちに鋭い視線を浴びせて無言の凄みを寄越してくる。構成員2万を誇る巨大組織の幹部だけあってなかなかの迫力だ。


 この状況を単純明快に書けば両名に「睨まれている」わけだが、理由が分からない。先ほどの本庄の言葉から察するに、馬橋ここへ俺たちを呼び付けたのは彼らの方であろう。何故、敵意のこもった目を向ける必要があるのか。まるで俺と村雨が何か非礼を働いてしまったかのように。


(っていうか、どうして呼ばれたんだよ……)


 状況を改めて整理しておくが、煌王会総本部長の庭野にわの建一けんいちと煌王会若頭補佐の片桐かたぎり禎省さだみはクーデター派に与している。舎弟頭の坊門と結託して長島会長に謀反を起こし、組織の実権を奪い取った人物だ。


 村雨組とは敵対関係にあるといって良い。何せ俺たちはクーデター派が幽閉した勢都子夫人を救った挙句、追いかけて来た謀反の首魁たる坊門組の兵隊を皆殺しにしてしまったのだから。


 会談の目的が単なるシークレット・ミーティングでないことは容易に想像がついた。穏やかな話し合いであるはずがない。だとすれば、和平交渉か。もしくは、村雨組が坊門一派に再び恭順の意を示す降伏表明の席という可能性も考えられる。


「……」


 以降も数分ほど無言の間が続いた後、男のしわがれた声によって漸く沈黙が破られる。場を仕切るべく話を切り出したのは本庄だった。


「ええっと、お二方。黙ってへんと挨拶するなり、何か喋ってくださいや。村雨はんに会いたいってワシに頼んできたのはあんたらの方でっしゃろ?」


 すると、庭野と片桐は互いに顔を見合わせてコクンと頷いた。それから本庄に対して焦ったように返答を送ったのは右側に座る男。庭野総本部長だ。


「お、おう。いやあ、何から話せば良いのか分かんなくなっちまってよぉ……」


「そうでっか。いちおう言うときますけどなぁ、庭野組長。今日、この席が設けられたんはうちの会長のご尽力があってのことや。あんたらが坊門にはもうついて行かれへんて泣きついてくるさかい、会長が骨を折ってくださったんやで。分かっとられますか?」


「そりゃあもちろん。分かってるさ」


「もしも万に一つ、会長の努力が無駄になる結果になれば、そん時はあんたらが会長の面目を潰したいうことになる。それをくれぐれもお忘れなきように。ほんま、頼んますで?」


 本庄に凄まれ、庭野は背筋を微かに痙攣させてピンと伸ばした。左横に座る片桐も同様。まさに「蛇に睨まれた蛙」ならぬ「さそりに睨まれた蛙」と喩えたところか。


 しかしながら、煌王会の最高幹部にして現状組織のナンバー2の地位にある人物がこうも簡単に臆してしまうとは。相手は中川会の人間、それも一直参組長だ。情けないやら、滑稽やら。俺には心底意外であった。


 会話の内容から察するに、おそらく中川会の会長が絡んでいるのだろう。勢都子夫人が幽閉先を脱して横浜へ逃れた件を知った庭野および片桐が情勢の不利を悟り、坊門からの早期離反を目論んで中川会に仲立ちを頼み、我らが村雨組に接触を図ったものと思われる。なればこそ、本来ならば格下の存在であるこちら側に対し異様に縮こまっているのだ。


 都内の中立組織である関東岸根組に声をかけて、料亭馬橋の一室をセッティングしたのも差し詰め中川会の会長。本庄はその使いでやって来た、謂わば見届け人というわけだ。


(じゃあ、村雨は中川の会長に声をかけられて……?)


 どうやらが鶴見区へ金塊を回収しに行っている間、村雨のもとに本庄を通じて中川会から連絡が入ったようである。「庭野と片桐が会いたがっている。浅草までお越しいただきたい」と。


 未曾有の窮地に立たされている村雨組にとっては、言うまでもなく闇中に射した光明のごとき好機。断る選択肢などあるはずも無い。俺たちが馬橋に来店した目的はクーデター派への降伏ではなく、むしろ向こうの投降を受け入れるべく赴いたのだといえよう。


 但し、前述の通り庭野らにとって村雨組は大いに格下の存在。本家の総本部長ならびに若頭補佐が三次団体の枝を相手に頭を下げて頼み込むなど、常識的に考えれば決してあってはならぬこと。庭野と片桐がこの場で口ごもってしまうのも無理もなかった。


 されど、それは仲介役の本庄にとってみれば不愉快この上ない話。庭野に助けを求められたからこそ、代紋の違いを越えてわざわざ会見の席を用意したのだ。無論、本庄は中川会長の命を帯びて来ている。


 この期に及んで煮え切らない態度を見せる依頼人たちを前に、次第に苛立ちを露にしてきた。


「返事くらいしたらどうです? さっきのワシの話、ちゃんと聞こえてましたかぁ?」


 またしても身を震わせ、庭野は答弁を放つ。


「な、中川会長のお力添えは有り難く思ってる。俺たちの意を汲んで、このような場を設けてくださったことは感謝の念に堪えない。で、出来ることなら、直接お礼を……」


「ああ!? 何を調子ええこと抜かしとんのや、ボケナス! おどれらごとき三下が会長に御目通りできるわけないやろがいッ!!」


 ついにサソリが吠えた。たどたどしい庭野の言葉を強引に遮り、本庄は文字通り激しく一喝する。


「おい、庭野ぉ。自分が何やってるか分かっとんのか? 自分とこの組でカシラ殺して親分に弓ぃ引いて、挙げ句に姐さん閉じ込めて、そんで立場が悪うなったから鎮める側に寝返りたい? ふざけんのも大概にせぇよ! このド阿呆! そないムシのええ話が通ると本気で思うとんのか!? ああゴラァ!?」


「そ、それは……」


「おどれらのしでかした事件ことはなぁ、うちの会長もえらくお怒りや。何せ、おどれらは中川会を名指しして日下部殺しの濡れ衣着せたんやさかいのぅ! 舐めとんのか、ボケ! この落とし前、どないしてつけるつもりや!? おお!?」


 丁寧語を用いて紳士的に振る舞っていたつい数秒前とは打って変わり、我を忘れたように早口でまくし立てる本庄。関西弁の所為か、物凄い迫力だった。


 俺は、ふと思い出す。そういえば坊門一派は各地の二次団体に宛てた檄文の中で、長島六代目の銃撃については日下部若頭の犯行と罪を擦り付け、おまけに日下部の背後には中川会がいたと荒唐無稽な暴論を書き立てていたのだった。これを中川が快く思うはずがない。日下部殺害はともかく、長島を銃撃した真の首謀者であると名指しされたのだ。烈火のごとく怒って当然だ。


 猛烈に庭野を詰る本庄の声は、まるで中川会三代会長の激しい怒りを代弁しているかのようであった。


「日下部はんはのぅ、西と東が戦争にならへんように折に触れて東京へ挨拶に来てくれとったんや。おどれらも知っとったろ! その外交努力を内通呼ばわりたぁ、ワレ何様のつもりじゃゴラァ!!」


「ま、待ってくれ。あれを書いたのは坊門であって、俺と片桐じゃない。俺たちはただ、坊門のすることに従っただけで……」


「同罪や! 舐めとんとちゃうぞ、このボケが! 中川会うちの窓口やった日下部はん殺して罪ぃ擦り付けよった時点で、おどれらは中川に喧嘩売ったも同じことや。この落とし前、どないしてつける気ぃや!? ああ!? さっさと言うてみや!」


 いつになく昂っている本庄。そこまでヒートアップしなくて良いのにと思ったが、やはりここへは組織の看板を背負って来ている手前、終始強気で対峙せねばならないのだろう。極道は舐められたら終わり。下手に出た隙でも見せようものなら、忽ち相手をつけ上がらせてしまう。戦略的に考えれば正解の行動だった。


 結果は見事効果てきめん。当初はこちらを侮るような目をしていた庭野と片桐も、今やすっかり縮こまっている。


 自分の立場をようやく悟ったのか。庭野は低い声で本庄に答えた。


「……必要があれば、指を詰めて詫びを入れよう」


「阿呆! その程度でケジメになるかいな。おどれら2人の安い指で片が付くほど、会長のお怒りは小さくないわ」


「だ、だったら金か? シマか? 」


ちゃう。首や」


 首――。


 そのワードが聞こえた瞬間、庭野と片桐から完全に余裕が消えた。唾をゴクリと呑み込み、膝の上に置いた両手を瞬く間に震わせ始めた。


 たぶん任侠渡世の専門用語だろうが、何となく意味は分かる。「やっぱりそうだろうな」と庭野たちを憐れみながら、俺はこれから本庄が言おうとしていることに静かに耳を傾けたのだった。


「事件の絵図を描いた人間の首。そいつを貰わんことには手打ちにはしてやれんと、会長は仰ってる」


「それってつまり、坊門の首か?」


「いいや。坊門だけじゃのうて、おどれらもや」


「なっ!?」


 次の瞬間。本庄は懐から拳銃を取り出していた。


「売られた喧嘩は倍以上の値で売り戻す。そいつがうちの会長のモットーでのぅ。おどれら2人は今この場で弾いて来いとのお達しや。んで、煌王会には後日改めて問罪表送らせてもらうと」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! あんた、俺たちを殺すというのか!? 中川は煌王会と戦争する気なのか!?」


「それだけ大事おおごとになっちゅうって話や! ちったあ頭を使って考えんてみんかい! ボケが!」


「ば、馬鹿な……!」


 愕然とする庭野たち。よもやここで銃を向けられるとは想定もしていなかったのか、実に分かりやすい動揺ぶりが顔に表れ出ている。


(まあ、どうせ中身は空砲だろうよ……)


 何となく予想がつく。その証拠に、本庄が右手に握る銃は以前と同じだ。S&W M19リボルバー2インチ。ちょうど2ヵ月前にこの場で村雨と対峙した際に得物として持っていたものと、色も含めて何ら変わらない。きっと今回も単なる脅しである。実弾を模した空薬莢を撃つことで銃声を響かせ、庭野たちをビビらせるつもりなのだ。尤も、あの時に村雨が銃口を向けられた際には瞬きひとつしていなかったが。


 本庄がトリガーに指をかけたところで、中身は空砲。仮に撃鉄が落ちたとしても、実弾は出ないのだから問題はあるまい。ただ、直後に発せられるであろう轟音への備えをしておけば良い。


 俺はそう思っていた。引き金にかけた右の人差し指を本庄がひくまでは。


 ――ドンッ!


 例によって凄まじい音が響く。ただ、一瞬のうちに発生した出来事が、俺には信じられなかった。


 なんと、実弾が発射されていたのだ。


「うぎゃあああっ! いてぇ……畜生め……!」


 銃口から放たれた弾丸は真っ直ぐに飛んでいき、庭野の隣に鎮座する片桐の左肩を抉った模様。傷口とおぼしき穴からはドクトクと血が噴き出て、苦痛に悶える片桐の手を鮮やかに染め、そのまま下へと滴り落ちて畳を赤く汚す。


(えっ、実弾!? 何で!?)


 完全に予想外だった。暫しの間、驚愕の声を出さぬよう全力で堪えていたと思う。本庄にしてみれば、これから村雨が話し合いを行うにあたって庭野および片桐を徹底的に畏縮させておく必要があるのだろうが、よもや実弾を放つとは。おまけに威嚇発砲ではなく、最初から相手の身体に命中させた。


「うあああ……痛ぇ……!」


「お、おいっ! しっかりしろ! 片桐! 片桐!!」


 慌てふためきながらも撃たれた弟分を庇い、懸命に介抱する庭野。そんな彼に本庄は銃口の標的を移し、高らかに言い放った。


「次はおどれを撃つ。おどれら2人があまりにも阿呆やさかい、脅しじゃ済まんようになってもうたわ。悪う思わんでな」


 危機と恐怖に、庭野はひどく取り乱す。


 宣言通り、本庄は中川会の命令により庭野たちを射殺する気でいるのか。だが、それでは肝心の話し合いができなくなってしまう。元来、中川会の会長の意向は極秘会談の仲立ちだと思っていたのだが。


 驚きを隠せない俺とは対照的に、当の村雨組長はといえば至って冷静そのものだった。表情を微塵も変えることが無いまま、平然とその場に座って沈黙を保っている。


 立場上、このようなシチュエーションは見慣れているのか。あるいは、前もって何かしらの打ち合わせを行っているのか。


 その問いの答えを俺は直後の本庄の行動で知ることになる。


「おう、山崎! 入りや!」


 主君の合図に呼応し襖を開けて現れたのは、俺にとってはよく見覚えのある男。本庄利政の腹心にして本庄組の若頭、山崎吉人だった。


「親分。出番でしょうか」


「そうや。そこのド阿呆を医者に連れてったれ。手筈通り、赤坂の病院や」


「承知しました」


 彼の顔を見るのも実に2ヵ月ぶり。プロレスラーのようにがっしりとした体形は勿論の事、目鼻立ちに至るまで、容姿は何ひとつ変わっていなかった。たった2ヵ月だから当然といえば当然か。


 これまた想定外の再会に少しばかり心が弾んだ。


 一方、指示を受けた山崎はテキパキと行動に移る。村雨によってどかされていた座卓を避け、ぐったりとした片桐の身体を庭野からやや強引に引き離し、肩を支えると、傷口を押さえて部屋の出口へと連れて歩いてゆく。


「片桐組長。お気を確かに。弾丸タマは急所を外れていて、なおかつ体内からは抜けてます。大した傷じゃありません」


「ううっ……ううっ……」


「過呼吸にならないよう気を付けてください。息をするときはゆっくり、深呼吸です」


 傷の状態を見て的確な助言が出来るとは。どうやら山崎には医学の心得があるようだ。相変わらずの彼の博識ぶりに心の中で賛辞を贈った俺に本人がニヤリと笑ったような気がしたが、おそらくそれは気のせい。片桐を抱えてその場を後にする山崎の背中を俺は無言で見守るしかできなかった。


 ただ、これではっきりした。一連の本庄の行動は、全てひとえに庭野を徹底的に脅すためのもの。片桐を撃ったのは彼の射殺が目的ではない。相方が被弾したことによる庭野の精神的動揺を誘うためだ。そして、村雨組長は事前に本庄からこれらの説明を受けている。事前の打ち合わせがあったからこそ、山崎が入室する前の段階で座卓をどかしていたのだ。


(何だよ……それならそうと教えてくれれば……)


 もしかしたら俺が迂闊な行動をとってしまう可能性を懸念したのかもしれない。作戦の成功に万全を期すなら、リスクの芽は摘み取っておくに限る。多少の不満はあったが、村雨組長たちの判断は理解できた。


 実際のところ、結果は作戦の通り。庭野はすっかり怯えきっている。口をあんぐりと開け、目を見開き、全身が硬直してしまっているではないか。この人物は本当にヤクザかと思わずツッコミを入れたくなるほどの竦み様だった。


 それと何やら、畳がにおう。かつて理科の実験で嗅いだことのあるアンモニア臭。発生源はどこかと思って周囲をぐるりと見渡してみると、庭野の股間付近が濡れていた。


 なるほど。大体の事情は察した。先ほど片桐が肩を撃たれた際、恐怖のあまり失禁してしまったらしい。


 本庄は笑った。


「ははっ! 煌王会の大幹部ともあろう御仁がお漏らしかい! 情けないのぅ! どうせ鉄火場に出たこともあらへんのやろ? いいご身分よなぁ! 経済ヤクザっちゅうんは!」


「……」


「おい、何とか言えや! おどれも一発貰うか? おお?」


「やっ! やめてぇ! やめてくれぇぇぇぇぇーっ!」


 もはや素人同然に悲鳴を上げて銃口を怖がる庭野に、なおも恐怖を与える本庄。震えが止まらない庭野の頭に銃口を押し当てる所業はまさに鬼畜だ。本庄は半ばその行為を楽しんでいるようにも見えるので、始末が悪かった。


「おい、庭野。さっきワシが喋ったことやけどなあ、あれはホンマなんやで?」


「な、何を」


「ワシ、会長に言われて来てんねん! 事と次第によっちゃあ、ここでおどれを弾いてもええってなあ! 本音を言やあ、ワシかておどれを撃ちたいんやわ! 中川の代紋を軽く見るような阿呆やさかいのぅ!!」


「た、た、た、頼むからそれだけはやめてくれ……」


 恥も名誉も何もかも捨てて一心不乱に許しを乞う庭野は、やがてその場に正座して完全に屈服した。そんな彼に向けて本庄は感情の赴くまま引き金をひこうとしたが、それは寸でところで村雨が制止した。


「本庄公。もう良い。どうかその辺で」


 ここで引き金をひいてしまっては、これからの会談ができなくなる。まだ庭野からは少しも話を聞いていないのだ。中川会会長の意を汲んで庭野を処断するにしても今は時期尚早。村雨組長がストップをかけてくれて、本当に助かった。


「ああ。まだ殺したらアカンねやな」


「左様。もう十分に脅したであろう。ここから逃げ出すことも、我らに対して偽りを申すこともあるまい」


「せやな。んじゃ、後は村雨はん。あんたに任すわ」


 少し気怠そうに本庄は後ろへ数歩ほど下がり、村雨と立ち位置を代わる。


 かくして尋問の主導権を得た村雨であるが、その初動は思いのほか穏やか。やはり残虐魔王らしくストレートな脅しをかけるものと想像したが、どういうわけか村雨は庭野の前に平伏す。


 そして呆気に取られる俺たちを尻目に、ゆっくりと言葉を吐いていったのだった。


「総本部長、此度はかような所まで足をお運びくださりまこと恐悦至極に存じます。先ほどはご無礼を致しました。何卒お許しくださいませ。お話は本庄公より伺うておりまず。名古屋の騒乱を鎮めるにあたり、恐れ多くも我らを頼ってくださるとか。その辺りを今一度詳しくお尋ねしとうございます」


 いつもとは口調が少しだけ違うものの、やはり古風な言葉で話す村雨組長。誰に対しても威丈高な彼がこのように丁寧語を使うということは、それだけ目の前に居る相手が特別なのだろう。


「つかぬことを伺いますが、総本部長。かようにして話を持ちかけるのは村雨組われらだけでございますか?」


「あ、ああ。そうだ。けど、神戸の松下組も嗅ぎ付けたみてぇだ。あそこの当代は察しが良いからな。今回の一件が只事じゃねぇってのに、早い段階から気づいてたと思う」


「神戸は松下の当代と申しますと、たちばなきち公でございますな。確かに。あの方は頭が切れる」


 神戸の松下組というのは、二代目松下組のことか。それならば勢都子夫人が村雨組に先んじて救援要請の電話をかけた所帯だと聞いていたが。ただ、庭野によるとそちらとは正式な話をつけていないという。


「橘の野郎は好きじゃねぇ。頭は切れるが腹黒くて信用ならねぇんだ。だから村雨! お前さんだけが頼りなんだよ! 坊門を倒して、このクソみてぇな状況をどうにかしてくれる、たったひとつの望みだ……!」


 彼が交渉に赴いたのは、あくまでも村雨組のみ。勢都子夫人が横浜へ脱出したと聞いたのが理由とのこと。


 腐っても鯛。怯えて腰を抜かそうが小便を漏らそうが、庭野建一は煌王会本家総本部長。つまり現時点において組織のナンバー2であることに変わりは無い。


 村雨としても不本意なはずだ。庭野たちクーデター派は恩ある古牧組長を唆し、若頭殺害の実行犯に仕立て上げた憎むべき存在である。本当ならば、今すぐに首を刎ねてやりたくて堪らないほどに憎かろう。それを腹の奥に抑え込んで冷静な応接を続けられるとは、実に見事なもの。こういうのを「大人の対応」と呼ぶのかもしれない。自分にはまだ難しいなと思いつつ、俺はそれからも黙って様子を観察することにした。


「村雨! 信じてくれ! 俺と片桐は乗せられただけなんだ! 俺たちは自分テメェの過ちに気づいた! まさか坊門の野郎が会長まで標的マトにかけてるだなんて、思いもしなくてよぉ」


「ええ。存じております。一先ず、名古屋にてあのような事が起きるに至った流れをお伺いいたしましょうか」


「わ、分かった。話せば長くなるんだが……」


 安堵した。庭野は素直に吐いてくれる模様。前段階がだいぶ長くなってしまったが、ここからが本番。ようやく重要事項を聞き出せる。気を引き締めなくては。


 坊門清史がクーデターを起こした動機と展開。それを理解しないことには、事件の全容を掴めない。


 村雨の相槌を挟んだ後、庭野は重い口を開いた。


「……そもそもの発端は日下部のカシラだ。日下部が俺たちのシマに手を出したこと、それが何もかものきっかけなんだよ」


 始まりは2年前にまで遡る。煌王会の最高幹部会にて、日下部平蔵若頭率いる日下部組が庭野と片桐の所領で勝手にシノギを行っていた事実が発覚。片桐ともども、日下部に詰め寄る事態になったと庭野は語る。


「あの野郎、本家若頭の立場をいいことに“査察”って名目で俺たちのシマに若衆を送り込みやがって。土地を転がして荒稼ぎしてたんだ」


 当然、それは職権の乱用にあたる不当な行為。シマ荒らしが任侠渡世でタブーとされているのは既知の通りで、庭野・片桐の訴えにより、日下部には長島会長より相応の処罰が下されるものと思われていた。


 ところが、そうはならなかった。


「日下部はお咎めなしだったよ。あいつは月毎のアガリとは別に、相当な額を会長へ個人的に包んでるからな。んで、甘い汁を吸わせてもらってる六代目は当たり前のように日下部を不問に付したんだ」


 煌王会の中でも屈指の経済ヤクザとして知られ、合法・非合法を問わず幅広くインテリジェンスなシノギを展開していた日下部。そんな若頭にもたらされる恩恵を誰よりも享受しているのが長島会長で、彼としては日頃より良い思いをさせてもらっている見返りに多少のルール違反には目を瞑ったのだろう。


 だが、それで庭野たちが承服しないのは無論のこと。本家若頭の職権、そして上納金額が煌王会内でナンバー1の“稼ぎ頭”という事実を傘に着た日下部の専横ぶりはかねてより腹に据えかねていたのだ。曰く、庭野組および桜琳一家に対するシマ荒らしは日下部が事前に長島会長の内諾を得ていた疑惑も浮上しているのだとか。


 以降2年間の間、庭野と片桐は日下部の横暴をことに触れて訴え続けるも、長島は微塵も取り合わず。むしろ「お前は孝行者だから」と日下部の肩を持ち、おかげで銭ゲバの若頭はますます増長、他の幹部の所領も平然と侵食するようになった。


 若輩者の頭で考えても、まったくもって理不尽な話。庭野たちが不満を抱くのも無理はなかった。


「なるほど。それであなた方は坊門ならびに家入と結託し、会長に対して謀反を起こしたというわけでございますか」


「いいや! 違う! 俺たちが企てたのは、あくまでもカシラを政治的に嵌めて失脚させることだけだ。暗殺なんて元より考えちゃいねぇ。絵図を描いたのは坊門だ」


「ほう?」


 興味深そうな反応を示した村雨に、庭野は必死で説明を続ける。


「す、少し前から坊門は日下部と揉めてて、カシラの暗殺を計画してやがったんだ。で、俺と片桐はそれに乗っかったってだけのことさ。いや、『乗っかった』っていうよりは、『見てみぬふりをすることにした』って言った方が正しいかもしれん。坊門あいつ、ご丁寧にも俺たちに打ち明けてきやがったからな」


 専横ぶりが目に余るようになってきたので、これを機に日下部を実力で排除し組織の正常化をはかる――。


 今年の8月頃、片桐と共に坊門から秘密の呼び出しを受けた折に彼の計画を知ったという庭野。当初は彼も冗談かと思ったようだが、その時点で坊門は既に実行役まで確保していたそうな。


「信州貸元の古牧組を使って、中川会との外交出張で東京都内にいる日下部を襲わせる。それが俺たちが坊門に聞かされた算段だった」


「確かに。さすれば、若頭を討ったのは中川の仕業と見せかけることができますゆえ。なかなか巧妙な策を弄したと言えましょうや」


「古牧は俺たちと同じように日下部を憎んでた。シノギが不得手なせいで、今の体制じゃ冷や飯を食わされてたからな。10年前の抗争では一番の功労者だってのによ」


「……日下部公を討つ動機は十分にありますな」


 話を聞いた村雨組長は、少なからず不機嫌さをあらわにしていた。彼にとっては旧恩人である古牧が陰謀の手駒として使われたのだ。そのくだりを聞かされるのは面白くないに決まっている。


 古牧が現在の煌王会で不遇の日々を送っていた旨は、俺も村雨から聞き及んでいた。六代目体制が推し進めるシノギの現代化の波についていけず、さらには近年の不景気のあおりもあって経済的に苦しくなり、上納金すらも他所に建て替えてもらう有り様だと言っていた。


 喧嘩しか取り柄の無い昔気質の侠客、まきいわお。幾多もの抗争で活躍し、1988年に発生した煌白こうはく戦争せんそうでは長島の六代目襲名を嫌って離反した敵組織、白水はくすいかいを徹底的に攻撃して壊滅に追い込み、数え切れぬほどの武勲を立てたと聞く。


 古牧に逆風を浴びせているのは他でもなく、長島会長が推し進める「煌王会改革」である。表向きは時代の変化に沿った組織の現代化を謳った改革であるが、結局のところ長島会長により多くの上納金を貢いだ者を優遇するだけの独善的な施策に過ぎない。


 日下部や坊門、庭野、片桐といった経済ヤクザばかりが優遇されて高位に就けられる一方、鉄火場で暴れることしかできない武闘派たちは悉く左遷の憂き目に遭っている。


 そんな不満を持つ層の代表格である古牧に目をつけ、坊門は謀反の手先として利用した。古牧にとっては、坊門も日下部同様、自分を差し置いて出世した嫌うべき対象。いくらルサンチマンを晴らせるとはいえ、何と皮肉な構図であろうか。俺だったら絶対に受け付けない。


 また、あたかも他人事のような庭野の口ぶりも癇に障る。日下部を倒そうと思っていた矢先に丁度良く暗殺計画を聞かされたので黙認しただけと言っているが、結局のところ庭野もまた、古牧の立場に付け込んで自らの政争の道具に使ったのだ。


 何だかとても腹立たしくなってきた。目の前で足を投げ出して座る庭野に一発かましてやりたい気分だ。きっとそれは村雨組長とて同じだろう。


「……」


 されども、村雨は動かないまま。感情を強く押し殺しているようにも見えたが、面前に佇む庭野を罵ることもしなければ、何か具体的に非難の言葉を浴びせたりもしない。未熟な俺と違い、ここまで己を抑えることができるとは本当に見事なものだ。


 俺の青臭い感心はさておき、村雨組長は気持ちを切り換えるかのごとく次なる問いを放ったのだった。


「……では、あなた方の狙いは日下部公おひとりだけであったと? それでは些か辻褄が合いませんな。何故に六代目までもが撃たれたのでございますか?」


「坊門の野郎に騙されたんだよ。あいつ、俺たちには若頭カシラの暗殺って言ってたが、本当の狙いは日下部ともども会長を弾くことだった。それを隠していやがったんだ」


 会食中の長島と日下部を襲撃する――。


 それが坊門の立てた計画だったとすれば、古牧が実行犯に選ばれたことにも納得がいく。古牧は長島に対して強い恨みを抱いている。銃を渡されて「やれ」と命じられれば、感情の向くままに引き金をひいてしまうはずだろう。


「古牧が会長まで撃ったって聞いた時には腰が抜けたよ。事前に聞かされてた話と全然違うんだからな。俺たちはただ、カシラひとりを始末できればそれで良かったってのに……」


「総本部長。私が思いまするに、坊門は共謀者が欲しかったのでしょう。六代目と若頭を倒した後で煌王会を乗っ取り、支配するための。煌王会は日本一の大所帯。坊門組の兵だけでは足りますまい」


「組織を牛耳るのに俺の庭野組と片桐の桜琳一家の兵力が必要だったってわけか。だから、奴は俺たちに片棒を担がせた。『カシラを弾く』とわざわざ漏らしてきたのは、俺たちを共犯に仕立て上げて後戻りできなくさせるため?」


「左様でございます」


 最初からクーデターが目的であった坊門。謀反人が組織の実権を掌握し続けるには兵力が要る。頭数をより1人でも多く抱えておくに越したことは無い。また、煌王会本家御殿を武力制圧するにあたっては、総本部長である庭野の協力があれば事が容易くなろう。ヤクザ社会において総本部長とは「総本部の責任者」を意味する。共謀者とするには実にうってつけの存在だ。


 暗殺計画を黙認した時点で罪人であることに変わりは無いが、結局のところ庭野はいいように乗せられたのだ。そう思うと、どこか哀れにも見えてくる。


 顔を苦渋にしかめ、彼は嘆きの句を吐いていた。


「……クソッ。坊門の野郎、あいつのせいで全てが滅茶苦茶だ。ああ。自分の馬鹿を呪いたいぜ。どうして俺はあんな奴と手を組んじまったのか」


 まるで坊門ひとりに全ての罪を押し付け、自分には何の責任も無いかのような言い方だ。傍から聞いていた俺は虫唾が走る。今すぐにでも指摘してやりたい区分だったが、組長に沈黙を命じられた以上は静かにしておく。


 ちなみに、庭野は日下部だけでなく坊門とも不仲だったようだ。


「前からいけ好かねぇ奴だった。日下部と同じくらい、いや、それ以上のクズだ。元々は大手不動産屋勤めのサラリーマンで、土地転がしの才を長島の親分に買われてヤクザになった成り上がり者さ。カシラとも折り合いが悪かったよ」


 どうやら近年の最高幹部会の場においては、長島の下で、日下部派、坊門派、庭野派という三派閥が形成され、謂わば三つ巴の様相で火花を散らし合っていたと考えられる。


 そんな状況を前に長島は子分たちを戒めることは特にせず、ただ己の私腹を肥やすことにうつつを抜かし、組織内融和に向けた有効策は何ら打たなかった模様。


 長島にとっては坊門もまた、日下部と同様に莫大な上納金で懐を潤してくれる有り難い存在。月々の年貢さえきちんと納めてくれれば、子分同士で何をしようと知ったことに非ず。よもや、長島の頭の中にはカネのことしか無かったのではあるまいか。


「坊門は不動産屋上がりだからな。桜琳に居た頃から役目は専ら金庫番で、まともに鉄火場に出たことも無ければ拳銃ハジキを持ったこともありゃしない。あんな輩に舎弟頭の地位を与えた親分の気が知れん」


「坊門が商売上手という話は私めも聞き及んでおりました。ゆえに、おそらく坊門はその腕を買われたと存じます」


「ったく、冗談じゃねぇよ……親分の前で堂々と屁をこくような奴だってのに」


 自らを舐めた無作法な振る舞いがあっても、カネ稼ぎに長けた有益な存在なので笑って許した。きっとそんなところだろう。


 煌王会六代目会長、長島勝久という人物は思った以上の単純な男なのかもしれない。「長幼の序を重んじ、組織の規律と風紀を乱す行為を許さない」だとか、「伝統や慣習を重要視する」などといった人物評を聞いていたので、俺はてっきり昔気質の頑固者、藤島茂夫や大原征信のような任侠親分を想像していた。ところが、実際には単なる拝金主義者だった。


 厳格だったのはあくまでも外面だけ。身内には滅法甘く、本来ならば規律違反であるはずの日下部若頭によるシマ荒らしや坊門の暗躍を認めてしまっていた。あと、思い返せば長島は勢都子夫人に対して月に億単位もの高価な買い物を許していたとかいう話だった。夫人が煌王会の金庫から私用で金を支出することも、長島は何食わぬ顔で許していたのだとか。


 長島勝久は、決して名君ではない。元より組織の最高幹部人事を軒並み自らのお気に入りだけで固めてしまうような御仁。公明正大な聖人だと思う方にそもそも無理があろう。


(なるほど。古牧さんに憎まれるのも当然ってか……)


 話を戻すと、今回の煌王会クーデターの実態は現在の最高幹部陣、つまりは二代目桜琳一家出身者たちによる内輪揉めが発端。事実上のお家騒動といって良い。


 長島六代目も、日下部若頭も、坊門舎弟頭も、庭野総本部長も、片桐若頭補佐も、皆かつては桜琳の代紋を掲げる同志であったにもかかわらず、今はではすっかり仲違い。血に塗れた惨事が起きてしまったというわけだ。


 先述の通り、その中で日下部と坊門と庭野とは三つ巴の構図で争っていた。坊門は日下部だけでなく、庭野とも不仲だったのだ。現に、こうして庭野は坊門から離反する形で俺たちの前に姿を現わしている。


 俺の脳内で瞬く間に浮かんだのは、庭野の思惑。それを代弁するかのように村雨が問うた。


「総本部長。あなたにとって、坊門は若頭の排除が成った時点で用済み。かようにいつまでも天下を握られ、ましてや煌王会の七代目の椅子に座られるなど堪ったものではない。ゆえに、我らに坊門を倒してもらうべくここまで足を運んだ。違いますかな?」


 少々語気を強めて訊かれた庭野は返答に困った。当然である。ここで素直に頷いてしまえば、それ即ち自分が謀反に関与したことを認めてしまうも同じなのだ。


 だが、かと言って否認ないし黙秘を決め込むのは迂闊だ。村雨組長の隣では本庄が睨みを利かせている。彼の発したあからさまな咳払いには、かなりの迫力があった。


 この期に及んで下手な隠し立てをすれば、忽ち激昂した本庄に発砲されかねない。


「……」


 静寂を間に置いた後、庭野は観念するしかなかった。


「……ああ。お前の思う通りだ。お前たちには本家御殿に居座る坊門と家入、それから古牧たちを片付けてもらいたい」


 すると、村雨はすかさず返答を放つ。


「良いでしょう。しかし、実に哀れでございますな。煌王会総本部長ともあろうお方が我らのごとき三下にへりくだり、怯えるとは。おまけに庭野公、あなたは此度の会見を設けるにあたり中川に仲立ちを乞うたとか。煌王の人間としての恥は無いとお見受け致した」


「ど、どうとでも言ってくれ。今はこうするしか無いんだよ。このままだと煌王会が滅茶苦茶になっちまう!」


「何をおっしゃる。滅茶苦茶にしたのはあなた方でございましょうに。あなた方が謀反などと大それた行為を起こさなければ、かような有り様にはならなかったのです。己のしたことをよくよく省みられるがよろしい」


「ううっ……!」


 強烈な嫌味を浴びせられた庭野は押し黙った。村雨の指摘は実にごもっともで、煌王会の大幹部を前にしても一切臆さない様は見ていてとても痛快だった。されど村雨も他人のことを言えた口ではない気がする。村雨組長もまた、本庄との密同盟という形で中川会と手を結んでしまっているのだから。無論、それはここでは突っ込まないでおくことにしよう。


「つくづく虫の良い話であると存じますが、お引き受けいたしましょう。我ら村雨組は煌王会が忠臣。六代目には心よりの忠誠を誓ってございますゆえ」


「おお! やってくれるか! そいつは助かる!」


「あなたのためではない。六代目をお助けするためにこそ、我らは動くのです。ゆめゆめ勘違いなさらぬよう。それと、庭野公。あなたにはいくつかの条件を呑んでいただきとう存じます」


 村雨が希望する対価とは、何か。


「まずは現在の名古屋の情勢を包み隠さず、全て私にお教えいただくこと。次に、本家御殿を奪還するにあたっては私の立てる策に一から十まで従うこと。そして、謀反を鎮めた暁にはこの村雨耀介を本家議定衆に推薦すること。以上の3つにございます。いかがでございましょうか? お約束いただけますか?」


 なるほど。何とも村雨らしい合理的な要求だった。クーデター鎮圧の報酬としての議定衆への推薦、つまり煌王会幹部の座はなかなか魅力的だ。直系昇格を通り越して一気に幹部まで見えてくるとは。考えただけで心が躍る。


 村雨は他にも坊門との全面対決に際しては、庭野組と三代目桜琳一家の兵を惜しみなく貸すよう要求した。実質的に自らの指揮下に入ってもらうということだ。


(よし。それなら頭数も足りてくる……!)


 直系組織が三次団体と共闘することに少なからず抵抗はあろうが、事ここに至っては受け入れるしかない。まさに渋々といった様子で、庭野は首を縦に振った。


「ああ。分かったよ。片桐のとこの兵隊も含めて、全部をお前に差し出す。下の連中は俺が説き伏せておくよ」


「よろしい。さすれば我が方としても存分に戦えましょう。ときに総本部長、坊門は現在いま如何なる様子でございますか?」


「カンカンに怒ってたぜ。東京へ向かう俺たちとちょうど入れ違いだったから、あんまり話はしてねぇけどよ。噂には聞いてるぞ。坊門組をお前さん一人で壊滅させたんだってな。大したもんだよ」


「ええ。奴らは女将様に危害を及ぼそうとしましたゆえ、私の判断で返り討ちに。総本部長、その件につきましてはあなた様にご尽力いただきとう存じますな」


 横浜へ送った手勢が壊滅したとの報告を受けた坊門は当然のごとく激怒。本家御殿へ戻ってくるや否や、今すぐ村雨組を取り潰してやると鼻息を荒くしていたらしい。


 破門状および問罪表は一度でも出てしまうと、渡世において絶大な効力を発する。村雨が坊門を討伐するまでの間、その動きを庭野が抑え込んでくれれば俺たちは政治的な事情を気にせずに動ける。心強いことこの上なしだ。


「分かった。万が一にもお前さんに赤文字が出ねぇよう、その辺は俺があれこれ手をまわして何とかしておく」


「ええ。助かります」


「しかし、坊門の目を誤魔化すのも時間に限りがあるぞ? 野郎は勘が働くからな。俺たちの裏切りがいつバレるか分かったもんじゃねぇ。出来ることなら、坊門に悟られる前に行動を起こせねぇか? 最大限、早くにだ」


「ご案じなさいますな。無論、私としてもそのつもりでございます」


 クーデター鎮圧作戦の第一段階は、長島の身柄を押さえること。現在、名古屋市内の病院に入院中の長島は坊門にとっては事実上の人質。六代目の身柄が手元にあるからこそ坊門は会長代行を名乗れるのであり、これを俺たちが奪取してしまえば奴は賊軍に転落、組織の全権を掌握する大義名分を失うのだ。


「総本部長には六代目を救い出し、我らが横浜までお連れ頂きたい。お願いできまするか?」


「病院から連れ出すのはどうとでもできるが、親分は今ご重態にあられる。横浜まで連れてったとして、その後はどうするんだよ」


「心配ご無用。六代目の御身は必ずやお守りいたします。それに、横浜には我らの召し抱える腕の良い医者が多数おりますゆえ。このまま名古屋に置いておくよりもよほど良い施しを受けられましょう。安全はお約束いたします」


 村雨が言うお抱えの医者というのは、おそらくは開化研だろう。あの施設は厳密には病院ではないので受けられる医療レベルの程は曖昧。庭野も何となく事情を察したようだが、ここはやはり村雨の言葉に従うしかないようで、不安を顔に滲ませつつも同意していた。


「分かったよ。六代目を横浜まで連れて行けば良いんだな?」


「よろしくお頼み申し上げます」


「俺たちは他に何をすれば良い? あとは何かあるか?」


「今、本家御殿に如何ほどの兵が詰めておるのか。それを知りとう存じます。御殿の間取りの絵図面でもあればなお良い」


 庭野曰く、現在のところ総本部を守るクーデター派の人員は多く見積もって3千人ほど。この日の朝に村雨組が壊滅させてしまった坊門の手勢と、俺たち側に寝返る庭野組と桜琳一家、それらを差し引けば少しばかり手薄になるという。


「本家に詰めてるのは家入組と和倉わくら興業こうぎょう。どっちも舎弟頭補佐で、坊門の腰巾着だ。他にも古牧組、斯波一家、月島一家、井上組が陣取ってる。勝てそうか?」


「案ずるまでもございません。我らと庭野組、それから桜琳一家の兵がひとつになれば容易いこと。この私が単騎ひとりで討ち込んでも良いくらいです」


「そ、そうかい。それなら、良かった。けど、本当に良いのか? 古牧はお前さんの恩人だろ? その古牧と直接やり合うことになるぜ?」


「何を今さら。古牧巌は私にとっては確かに恩ある御仁なれど、今やただの謀反人に過ぎませぬ。煌王の禄を食む者として、罪ある者は討ち取らねばなりますまい」


 たとえ誰を敵に回すことになろうと、謀反鎮圧に意気込む村雨の決意に揺らぎは無い。それを聞いた庭野は少しばかり安心したようであった。


「お前さんなら、そう言ってくれると信じてたぜ。お前さんを頼って良かった。恩に着るぞ、村雨よ」


 すると、ここで黙っていた本庄が急に口を開く。


「おい、庭野! うちの会長にはどないしてくれるねん! おどれごときのためにわざわざ動いて、村雨はんに話ぃ通してくださったんやで? それでいて礼のひとつも言わんのか、おどれは?」


「それは後で、改めて菓子折りでも持って……」


「ワレ、舐めとんと違うぞ! このボケ! 菓子折りで済むとホンマに思うとんのかい!!」


「だ、だったら、金一封でも」


 震える声で放った庭野の返答に対し、本庄は更に強烈な一喝を浴びせたのだった。


「違うわ! もう、おどれにできることなんかあらへんわ! よう考えてみぃ。今回、中川会うちは煌王会から遠回しに喧嘩を売られたんやで? そのケジメを取れる人間言うたら1人しかおらへんやろがい!!」


 一連の事件の首謀者、坊門清史の身柄。本庄は中川会の代表として、それを必ず引き渡すよう強く求めていた。当然だ。坊門は中川会の名前をダシに自らの行為を正当化したのだから。むしろ坊門一人の身柄で済ませてくれるのはかなり寛大といえよう。


「もしも煌王会が坊門をこっちに渡せん言うなら、その時は長島の親分さん直々に東京まで出向いてケジメつけてもらうことになるで?」


「そ、そんな! 無茶苦茶な!」


「無茶苦茶もしわくちゃもあるかい! ボケが! 中川会としては今すぐ戦争やったってええんやで。せやけど、うちの会長のご慈悲で最低限に留めよう言うとんねん。有り難いと思えや」


「……」


 坊門が中川会を日下部若頭殺害の黒幕呼ばわりしたこと。これが本当にまずかった。何の打算があって坊門はそんな軽挙妄動に出てのかは存ぜぬが、きっと中川会の力を甘く見ていたに違いない。


 ヤクザが最も嫌うのは舐められること。それは関東の中川会とて同じ。本庄は凄まじい勢いで、なおも庭野に迫った。


「坊門は必ず生け捕りにせい! 始末はこっちでつけたるさかいのぅ! 勝手に殺したらあかんで!」


「……だ、だが、坊門は煌王会にとっても大罪人だ。あんたらの言い分は分かるが、落とし前はあくまでも煌王会側でつけねば」


「せやったら戦争やるっちゅうんか!? おお!?」


 室内に先ほどと似たような怒声が響き渡る。本庄はますますヒートアップしてゆくので、埒が明かなくなってきた。流石に村雨が止めに入る。


「落ち着かれよ。本庄公。坊門の身柄は必ずそちらに渡すゆえ、ご心配なさるな」


「くれぐれも頼むで。こればっかりは曲げられへんのや。ワシも会長からきつく言われとるもんでな」


「うむ」


 村雨が制止しなければ、本庄は庭野に殴りかかっていただろう。決して冷静さを忘れているわけではなく、これは相手を臆させるための演技。硬と軟を使い分けて相手を恫喝し、恐怖で揺さぶるのが五反田のサソリの常套手段である。


(でも、相手は煌王会の総本部長だぞ……)


 少々やり過ぎな気がしなくもなかった。先ほどはその下の片桐若頭補佐を銃撃し、負傷させてしまったわけだが、後々で外交問題に発展しないのだろうか。本庄が中川会の会長からどのような命令を受けているのやら、俺はひどく気になった。


 一方、村雨は気を取り直して庭野に視線を移す。


「総本部長。最後にひとつ、お尋ねしたいことがございます」


「な、何だ」


「6月に海道銀行から奪われた10億円相当の金塊、あれらが実は長島六代目の隠し資産であったという噂は本当まことでございましょうか?」


 その瞬間、庭野に明らかな動揺が生まれた。


「なっ!? お前、その話をどこで……!?」


「風の噂で耳にしただけにて。それゆえ、かようにして総本部長より直に真偽を窺っておるのです。さて、お答えをいただきましょうか」


「……正解だ。お前が聞いた通りだよ」


「左様でございましたか。まあ、これより先は立ち入らぬことにいたします。何やら深い事情があるとお見受け致しましたゆえ」


 庭野は心臓が飛び出そうな顔をしている。そんな反応を見て、俺は村雨の問いに対する答えが「YES」であることを訊く前から確信していた。何と分かりやすい男だろうか。


 しかし、どういうことなのか。あの金塊の所有者が長島だとすると、色々と事情が変わってくる。情報量の多さを前に頭の中で処理が追い付かないが、ひとつ断言できるのは「金塊強奪の犯人(=おそらく笛吹)は煌王会を敵に回すことになる」という事実の成立だ。


 海道銀行貸金庫にあった30本の金塊、『703451』から『703481』までのインゴットが全て長島の持ち物だと知っていての犯行か。


 いやいや。それは流石に割り切れるリスクではない。承知の上だとしたら、あまりにも間抜けの度合いが過ぎよう。第一、金塊が鶴見区の旧大鷲会本部に隠してあった理由も分からないのだが。


(笛吹の強盗に家入が手を貸したって可能性は……?)


 家入は煌王会の人間、それも強奪事件発生時点で最高幹部に居た。彼ならば煌王会の目が笛吹に向かぬよう内側から手を回すことも一応は可能ではないか。


 ただ、現状では論拠に乏しい。降って湧いた疑問に頭を捻らせながら、俺は会見の終わりまでその場を見守り続けたのだった。


 それからも村雨は庭野に対して約束を必ず履行するよう念を押していた。秘密協定の立会人は本庄。互いの立場をきっちりと確認し合った後で会談は幕を閉じた。


「では、総本部長。何卒よしなに」


「おおう。ところでよ、片桐はどうした? さっき赤坂の病院に連れてくとか何とか言ってたが……?」


「それについては本庄公にお尋ねくだされ」


 村雨から話を振られると、本庄はぶっきらぼうに答えを投げた。


「あらかじめこっちで医者を手配しとったさかい、心配あらへんわ。せやけど身柄ガラはしばらく中川会で預からしてもらうわ。庭野はん、あんたに村雨はんとの約束を守ってもらうための“担保”っちゅうわけで」


「なっ……!?」


「あんたにとっては大事な弟分なんやろ。よくよく考えて動くこっちゃな」


 この期に及んで庭野が翻意し、寝返りを白紙化するようなことは無いだろう。それでも打てる手は事前に打っておいた方が良い。


 意味合い的には“担保”ではなく“人質”と表現した方が適切かもしれない。本庄は最初からそれを見越して片桐を撃ったと考えられる。煌王会の最高幹部の身柄を押さえるとは何とも豪胆な話だが、その辺りは本庄組長の抜かりのなさが表れ出ていると思う。


「……分かったよ。俺がお前たちを裏切ることは無いから安心しろ。坊門には上手く誤魔化しとく」


「せやったら、早う名古屋へ戻って長島親分を連れ出して来いや。善は急げって言葉を知らんのかい。くれぐれも、バレへんようにな」


「あ、ああ」


 五反田のサソリの相変わらずの狡猾さに感嘆をおぼえつつ、俺は足早に部屋を出て行く庭野総本部長の背中を目で追った。


 情けないというか、 間抜けというか。 謀反という軽挙妄動を起こしておきながら、いざ都合が悪くなったら簡単に立場を変える浅はかさ。彼がクーデターに加担したのは日下部若頭の排除が目的で、それが済んだ時点で坊門は用済み。片桐と共に「自分の過ちを悟った」などと言っていたが、要は俺たちを体よく使って坊門を始末させたいだけなのだ。


 向こうが俺たちを利用しようというのなら、こちらも奴を利用してやれば良い。その意味では村雨が庭野に対して突き付けた交換条件は実に素晴らしかった。クーデター鎮圧後、村雨組はその功績で直系に昇格して幹部になれる。


 今回のやり取りは本庄組長が全てテープレコーダーにて録音していた。その音源を使えば、いくらでも庭野に強請りをかけられる。


 会長を標的にすることこそ知らなかったものの、若頭暗殺に関しては黙認していた――。


 この件は庭野の泣き所だ。坊門を打倒後は全てを無かったことにしたい総本部長にとっての、実に致命的な弱みとなろう。永久に伏せておく見返りに村雨の出世をアシストすることなど、お安い御用のはず。いや、むしろ庭野と片桐は金輪際村雨組長に逆らえなくなるのではないか。


(上手くいったな……)


 超略は完全に成功した。後は庭野が長島を救出するまでを待ち、然るべき手段によって名古屋へカチコミをかけるだけ。


「ほな、村雨はん。ワシもこれでおいとましますわ。この店の支払いはもう済んどるさかい、財布は出さんでええで」


「左様か。気前の良いことだな」


「うちの会長もあんたには期待しとったで。上手くいくとええのぉ。ああ、例の件は考えとってなぁ?」


「分かっておるわ」


 一体、どうなっている。村雨と本庄の密約関係を中川の会長は知っているのか。そういえば先ほど、本庄組の山崎も室内に俺が居たことに何ら驚きを見せていなかった。久々に会ったのだから少しは戸惑うところだろうが、何故だか平然としていた。まるで、料亭馬橋に俺が村雨と随行して来ている旨を前もって知らされていたかのよう。


(あれは俺たち3人だけの秘密のはず……?)


 訝しく思えてならなかった。だが、今はこの問題を深く論じている時ではない。どちらかといえば先ほどの金塊の件の方が大きい疑問だ。


 退出後、勿論俺は真っ先に組長へ問うてみる。


「驚いたぜ。まさか延べ棒の持ち主が煌王会のお偉いさんだったなんてな。あれを銀行の倉庫から奪って鶴見に隠したのは、やっぱり笛吹なのか?」


 すると村雨は失笑した。


「それを一番に聞くか。もっと他に聞くべきことがあろうに。まあ、構わぬが」


 組長にしてみれば些末事だったようだ。確かに、少し順序がおかしかったかもしれない。けれども、俺の質問にきちんと答えをくれた。


「私は違うと思うておる。金塊を奪うことについて、危険の割に笛吹が得られる旨味が少ないのだ。背後に家入がいたとて同じだ」


 金塊強奪は笛吹にとってのメリットがあまりにも少ない。そもそも事件発生時の6月といえば、笛吹がまだ大鷲会の本部長だった頃。今後の謀略のための資金が必要だったとしても、大きなリスクを冒してまでインゴットを手に入れる必要は無い。


「そっか……じゃあ、何で延べ棒は鶴見の大鷲会のアジトに? 奪ったのが笛吹じゃねぇなら、延べ棒があの場所にあった理由は何だろう?」


「笛吹以外の何者かが、奪った金塊を大鷲会の屋敷に隠した。笛吹の一切関知せぬところでな。そう考えれば少しは矛盾が消えるであろう」


 奪われた金塊は煌王会会長の個人資産。おまけに盗品という肩書き付き。持っているだけでリスクとなる代物だ。然るべき手段で現金化するまでの間、どこかに隠しておかねばならない。その安全な保管場所として旧大鷲会本部跡が選ばれたというのが村雨の見立てである。


「金庫に詰められたまま執務室に置き去られていたのであろう? それは笛吹が持ち出さなかったという何よりの証左あかし。奴は持ち出しを拒んだのだ」


 金庫の戸が開けっ放しだったことは、笛吹が一度は自らの手で開けているという事実を示す。何気なく開けた時に金塊の存在に気づき、さらにはそれが盗品であることを何らかの経緯で知り、リスクの大きさに気づいて恐れ戦いた。なればこそ、笛吹は金塊にまったく手をつけなかった。


「なるほどな。確かに煌王会が血眼になって探してるってなりゃ、持ってるだけでヤバいもんな」


「左様。いくら家入とて流石にそれは庇いきれぬ。家入が関わっておる線も否定できぬが……いずれにせよ、此度坊門が謀反を起こしたことは奴にとって渡りに船だったのだろうな」


「ん? 渡りに船?」


「ああ、困っておる時にちょうど都合の良い出来事が起こるという意味だ」


 初めて意味を知った聞き慣れないことわざだが、考えてみればまさにその通りだ。家入は俺たちに中国マフィアとの結託を突き止められ、大いに焦っていた。結託の証拠を掴まれたと思い込み、長島に告げ口されて失脚することに戦々恐々としていたと思う。


 そんな時に坊門のクーデタ―が持ち上がったのだ。話を持ち掛けられた時点で、家入は嬉々として計画に乗ったはずだ。そうする他に、もはや奴に挽回のチャンスは残されていなかったのだから。


「渡りに船。今日の会見は我らにとっても同じであったな。お前と沖野が鶴見へ出かけてすぐ、本庄公より電話が入った。おかげで大きな光明が見えたぞ。庭野と片桐を味方に引き入れることができたのだ。これで坊門と正面から戦える」


「だよな。っていうか、例の坊門清史とかいう野郎は俺たちが倒すのか? 名古屋へ戦いに行くってことだよな? いま、横浜を離れるのはまずいんじゃねぇの? 韓国人も、中国人も、それに笛吹だっているわけだし」


「曲がりなりにも村雨組われらは六代目に忠誠を誓うておる。思う所は私に色々とあるが、ここで義理を果たさなくば我が名が廃る。横浜のことは追って考える。案じずとも良い」


「そうかよ……まずはラスボスを倒すのが先ってわけか。前から思ってたけど、坊門ってどんな奴なんだ? けっこう珍しい名字だよな、ボウモンって」


 村雨によると、坊門ぼうもん清史きよしは元々は某大手不動産会社で働いていたカタギだったそう。そんな坊門は日本の地価が高騰し始めた80年代初頭頃、当時はまだ二代目桜琳一家の総長だった長島勝久と知り合う。


 不動産投資でたんまりと儲けさせたことで坊門から気に入られた坊門は、誘われるがまま彼の盃を呑み、会社員からヤクザへと転身。桜琳一家の組員となった。そして、博識な頭脳と金銭感覚を活かして桜琳一家の中でみるみるうちに成り上がってゆく。


年齢としこそ重ねておるが、ヤクザの経験で云えば坊門はまだまだ浅い。最高幹部の中では一番の新参者だ。あの男はまともに鉄火場に出たことが無いばかりか、銃を握ったことも無いと聞く」


「えっ? そんな野郎が舎弟頭に?」


「お前も不相応と思うであろう。なればこそ、坊門は快く思われていなかったのだ。本来、組織において舎弟頭は若頭と並んで実務を取り仕切る地位。戦にて功あった者に与えられるが打倒だ。古牧巌のような、歴戦の功労者に」


「人選ミスってやつだな、そりゃ……」


 実際のところ、坊門の舎弟頭起用には内外から批判が集まった。日下部や庭野、片桐といった同じく桜琳一家出身者でさえも長島に対して「あいつを舎弟頭に就けるべきではない」と、真っ向から異を唱えたとされる。九州の親睦団体からも坊門の登用を諫める書状が届いたというから、よっぽどの異例人事といえる。


 しかし、坊門のもたらす上納金ですっかり良い思いをしていた長島は「組織改革の一環だから」としてまるで耳を貸さず、莫大な富をもたらす坊門を寵愛し続けた。この点に関しては日下部若頭の専横を上納額の高さを理由に許し続けた件と似ている。


(おいおい、長島ってとんだ拝金主義者じゃねぇか……)


 周囲の反対を他所に、寵臣に高位を与えた会長。それによって舎弟頭の地位を得た坊門は権力基盤を強化すべく、自らに従う派閥の形成に力を注いだ。


 結果、坊門の推挙により舎弟頭補佐に就任したのが直系「和倉わくら興業こうぎょう」代表の和倉わくら光次みつじ、そして直系「家入組」組長の家入行雄だったというわけだ。


 和倉も家入も経済ヤクザの典型例ともいうべき人物であり、もちろん今までの抗争では何ら武功を立てていない。家入に至ってはシノギに関しても不得手で、坊門の引き立てと会長の囲碁の相手をすることで地位を維持しているようなもの。そんな彼らが勲功者である古牧らを差し置いて破格の大出世を果たしたことは多くの反感を買い、長島体制への不満は爆発的に高まった。


 古牧の他に、クーデターには複数名の直系組長が実働役として関わっている模様。彼らはいずれも長島体制下で冷遇された昔気質の武闘派たち。


 今回の件は、起こるべくして起こったルサンチマンの爆発だったと考えるべきだろう。


「……なるほど。でも、不思議なもんだよな」


「何がだ?」


「古牧さんが坊門の言うことを聞いてる理由。古牧さんだけじゃねぇ、いま名古屋の総本部に陣取ってる連中は殆どが坊門のせいで出世できなかったんだろ? それなのに、どうして坊門に従うんだろうと思って」


「奴らもまた、坊門を利用しておるだけだ。ただ、今の長島体制を倒さんがゆえにな」


 結果として武闘派を冷遇してきた日下部若頭が排除され、長島六代目は事実上の退陣に追い込まれた。積年の不満と恨みを一気に晴らすことが出来た古牧たちにとって、願ったり叶ったりの展開である。


「そうか。だったら、古牧さんたちにとって坊門はもう用済みだよな? 上手く手を回して古牧さんたちをこっち側に付かせたりとかは……?」


「無理だな。その者どもには若頭を殺し、六代目に深い傷を負わせた罪があるゆえ。坊門ともども落とし前を取らねば道理が通らぬ」


「そ、そうか……」


 村雨組長にとっての恩人が少しでも赦されればと思ったが、どうにも庭野および片桐とは立場が違うようである。それが渡世の摂理というならば、受け入れる他あるまい。いや、当の村雨はそもそも古牧たちの赦免を願ったりはしていないようだった。


「世知辛いもんだな。上手く乗せられただけだってのに。元はと言えば、長島の親分さんだって悪いじゃねぇかよ」


「やむを得ぬ。如何なる理由があろうと、謀反は大罪だ。それが賊軍となった者の定めと心得よ」


「はあ。分かったよ」


 また、車内で村雨はこんな事も言っていた。


「時に涼平。総本部長と若頭補佐、お前はあの2人をどう思った?」


 不意に庭野と片桐の人物評を尋ねてきたのだ。俺ごときの意見を聞いてどうするのかとも思ったが、一応自分なりの見解を述べてみる。


「すっげえダセェって雰囲気だったよ。銃向けられてあんなにビビるなんて、あんたそれでもヤクザかよって思ったわ。ああいう大人は嫌いだね、俺は」


「そう思うたか。ならば良い」


 満足そうな声で応じた後、村雨は俺に言った。


「庭野と片桐、あの2人の稼ぎ出すアガリは尋常ではなく、坊門や日下部と並んで『煌王会きっての経済ヤクザ』などと呼ばれておる。なれど、涼平。カネ稼ぎも肝要だが、ヤクザの本分は荒事にある。まっとうに戦が出来るからこそ代紋に重みが生まれるのだ。それを忘れた者にヤクザを名乗る資格は無い」


 世間一般に“文武両道”と云う言葉が存在するが、ヤクザは武に偏っていても何ら問題は無いのだと村雨は語る。むしろ武門一辺倒の方がヤクザとしての値打ちは上であるという。


「長島の代になってからというもの、煌王会は銭勘定が全てを決めるようになった。おかげで組織の懐は潤いを保ち続けておる。しかし、それはヤクザとしてあるべき姿ではない」


「要するに、金儲けの上手さよりも喧嘩の強さの方が大事ってことか?」


「その通りだ。今の煌王会はそれを完全に忘れきっておる。ゆえに庭野や片桐のような軟弱者が最高幹部の座に座るのだ」


「確かにな」


 村雨の説くヤクザとしての在り方や哲学、持論などが正しいのかどうか。俺には分からない。けれども、とりあえず肯定的な相槌を打っておくとしよう。


「シノギに励むは己が贅沢な暮らしをするためではない。一族郎党に飯を食わせ、強兵を養うためだ。私が申すことの意味は分かるな?涼平?」


「分かってるよ。いざって時に暴れられるよう、戦力を整えておく。ヤクザの金儲けはそのためにやるんだと」


「うむ。ゆめゆめ忘れるな。間違うても、庭野や片桐を見習うでないぞ。あれはヤクザとして恥ずべき姿。渡世の笑い者だ」


「あ、ああ」


 そんな事よりも、俺にとっては横浜の情勢がひどく不安だった。


 俺が懸念していたのは、村雨組総出で名古屋へクーデター鎮圧に赴くことにより横浜に勢力的空白が生まれる可能性だ。横浜の兵力が手薄になった隙を突き、外敵たちが一斉に暴れ出すのではないか。それがとても心配であった。


(いま、横浜をガラ空きにして大丈夫なのか……?)


 いずれの物事にも優先度というものがあって、何から先に取り組むべきかは時と状況によって逐一変動するもの。それを上手く見極めてやらねば、いたずらに事態を悪化させるだけ。


 今、村雨組長の頭の中には煌王会を奪還することしか無い。そんな気がする。勿論、仕方のない話。中川会の手まで借りてクーデター派の調略を行ったのだ。ここで守勢のままでいては、関係者の顔が立たなくなったしまう。


 しかし、横浜の情勢の不安も拭いきれない。如何に手を打つのが正しかろうか。帰路をひた走る車の中、俺はただただ頭を悩ませていたのだった。

クーデタ―の鎮圧に動き出した村雨組。しかし、気がかりなのは横浜の情勢。過酷な二正面戦争を前に打つ手はあるのか……?

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