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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第8章 餞別
141/261

救うべくして

 俺たちの奇襲は功を奏した。


 愚かにも笛吹隷下のチンピラどもは敵が攻めてくることをまるで想定していなかったようで、大半の者がパニックを起こして右往左往。混乱で生じた隙を突き、俺は案外簡単に施設内への侵入を成し遂げられた。


 壊れた塀を乗り越え、偶然にも開いていた窓から屋内に足を踏み入れた俺。今のところは順調に事が進んでいるが、油断は禁物だ。ここからが本番である。


(しっかし、思ったより質素な場所だな……)


 中世城郭を思わせる荘厳な造りの外観とは裏腹に、施設内部は至って平凡だった。言うなれば「少し大きめの木造家屋」といった雰囲気。贅を凝らした趣向が何処にも見られない。


 むしろ旧横浜大鷲会ほどの大所帯の本拠地にしては、いささか拍子抜けしてしまうほどのみすぼらしさ。てっきり、至る所に派手な装飾や調度品が置かれているものと思っていた。山手町の村雨組本部とはえらい違いだ。これにはシノギで得たカネは極力地域住民に還元させるべく自分たちは慎ましい“清貧”を是とする、藤島茂夫の思想が反映されているのだろうか。


 村雨邸のように廊下に赤絨毯を敷かずとも、せめて輸入物の家具くらいは置いても良いものを。本当に何も無い、実に殺風景な空間が屋敷中に広がっている。


 おかげで遮蔽物が無く、身を隠すのが大変だった。


「ど、どうなってやがる!? カチコミか!?」


「ああ。刀を持った奴が表で暴れてる。『村雨組の若頭補佐』だってよ。あいつら、ついに攻めてきたんだよ!」


「でも、敵が1人なら大丈夫なんじゃ……」


「馬鹿野郎! その1人相手に何人も斬り殺されてるんだぞ! とりあえず、笛吹さんに報告だ! 急げ! 何が何でも地下室を死守するんだ!」


 柱の影へ慌てて潜伏した俺の近くで、おろおろと話し合う4人の男たち。こいつらは皆、笛吹の部下らしい。拙さの滲み出た顔つきと服装からして、カネで集められた臨時雇いのチンピラと見て間違いない。絵に描いたような動揺ぶりである。


 そんな彼らの情けなさを心の中で嘲笑しつつ、とりあえず俺は頭の中で情報を整理してみる。


 まず、連中のうち1人が「笛吹さんに報告だ」と口に出したので、ここが笛吹一派のヤサであることは確かのようだ。それから、もう1人が唱えた「地下室を死守するんだ」という台詞は、この施設の地下室とやらに何かしら重要な存在が隠されている事実をあらわす。


(大原の娘は地下室に閉じ込められてるのか?)


 真偽の程を確かめるには、このまま隠密偵察を続けて更なる情報を集めるか、もしくは早速地下に居りて己の目で見極めるかの二択しかあるまい。


 ただ、それとは別に男たちの会話からはどうにも聞き逃せないワードも耳に飛び込んできた。


「笛吹さんはどこへ行った!? 居ねぇぞ!?」


「馬鹿な! それじゃあ、あの人は俺たちを見捨てて逃げたってのかよ!!」


「そんなはずは。さっきまでは会長室に居たんだ。でも、ちょっと目を離したら居なくて。それで、探し回ってるうちに分からなくなっちまって。ところで地下室ってどうやって行くんだっけ……?」


「お前、屋敷の構造くらい覚えとけよ。アホかよ」


 チンピラたちがボスの姿を見失ったというではないか。彼らの語る通り、第一に考えられるのは笛吹が既に現場から逃走しているとの線。あの男の狡賢くて狭量な人間性を考えれば、可能性として大いに有り得る。先日の雑居ビルの時と同様、今回もまた逃げられてしまったか。


 だが、仮にそうなら大原恵里の身柄は如何にするのか。いくら逃げ上手の笛吹といえど、この短時間で人質を連れて外へ出ることは不可能だろう。攻め込んできた襲撃者に、あっさりと奪われてしまう羽目になる。尤も、地下室に隠されている対象物が誘拐した捕虜だと仮定すればの話だが。


(とにかく、地下室に行ってみるしかなさそうだな)


 今のまま柱の影で聞き耳を立てていても、何も始まらない。ここで上手く大原恵里を救い出せることを祈りながら、俺は再び動き出す。


 大原恵里が、まだ生きている。その一縷の光明にすべてを託して。


 4人の男らが去ったのを確認してから移動を再開した俺だが、その足取りは鈍重にならざるを得なかった。旧大鷲会の本部が想像以上に入り組んでいて、地下室の位置がなかなか特定できなかったからだ。


 廊下は迷路のように何度も折れ曲がっており、階段の場所を見つけることさえ一苦労。勘に任せて進んだ結果、気づいたら2階へと移動してしまっていた始末だ。俺自身、方向音痴の認識はない。たぶん、これは大鷲会のヤサが忍者屋敷のように複雑怪奇かつ摩訶不思議な構造をしている所為だ。きっとそうに決まっている。


 さらに言えば、あちらこちらに敵兵がいるのだ。実力で正面突破を試みても良かったが、俺に地の利が乏しい以上は無謀な戦いは避けるべき。狭い場所で取り囲まれたら流石の俺でも形勢は危うくなる。


「笛吹の旦那は!? まだ見つからねぇのかよ!?」


「ああ。どこにも居やしない。俺たちを置いて逃げちまったのかもしれない。『表に怪しい人影がある』って報告した矢先にこれだもんな……」


「クソッ、俺たちは捨て駒かよ! 畜生め!」


 途中で出くわした敵の会話に耳を傾けながら、俺は空き巣の要領でゆっくりと屋敷の中を這うように進んでゆく。


 如何ほどの時間が流れたか。体内時計で30分ほど経過した頃、俺はようやく例の地下室というべき場所に辿り着く。しかし、そこは想像よりもかなり異様な雰囲気を放っていた。明らかに、おかしい。


(おいおい、ここって……?)


 地下へ続く階段の隣に「この先、地下室」と看板が掲げられていたのだ。普通は秘匿するものだろう。射撃練習場であったり、虜囚の監禁スペースであったり、表に見られてはまずいものが存在する以上、部外者にパッと見て悟られるようではいけないはず。


 あまりにもでかでかとした文字だったので、最初は侵入者を誘導するための罠かと疑ったが、少し年季の入った看板の質感からして可能性は低いと思われる。どうやら昔からあったらしい。この屋敷の設計者たる藤島茂夫は危機管理意識が乏しいようだ。いや、“ハマの英雄”としての余裕の表れか。何にせよ、地下室が謂わば秘密の場所となっている我らが村雨邸では決して有り得ない状況だった。


 首を傾げながらも、俺は地下に続く階段を居りてゆく。進んだ先で待ち伏せ攻撃が用意されているかもしれないので、慎重にだ。


 薄暗い灯りで周囲を目視したところ、現時点で歩哨の姿は見られない。俺と同じく、雇い兵たちも入り組んだ屋敷の構造で迷って未だ地下室には辿り着けていないのか。


 だが、少なくとも笛吹は敵襲に気づいている。闇に紛れて背後から仕掛けてくるかもしれない、一度刃を交えているだけに、奴のやり方は痛いほどに分かっていた。狡賢い不意打ちに倒れてたまるものか。むしろ、返り討ちにしてやろうではないか。


「……」


 静かな緊張感の中で武者震いしつつ、ゆっくり、ゆっくりと先へ踏み込んでゆくゆく俺。やがて階段から脳内計算で50歩ほど進んだところまでくると、何やら風の音が聞こえる。


 心臓が脈を打つように一定のリズムで繰り返されている空気の音。何の音だろう。俺は即座に考察を開始する。


(あ、もしかして……?)


 瞬く間に理解が追い付いた。これは人間の呼吸である。よく耳を澄ましてみれば、スース―、ハーハーと吸って吐く音が明確に聞こえてくる。間違いない。人だ。この近くに人がいるのだ。


 しかし、一体どこにいるのだろう。地下室は照明に乏しい空間だったために視界が不明瞭。空間の大まかな形状こそ認識できるものの、どこに何があるのかといった詳細までは把握不能。


 さて、どうしたものか。視覚に制限がある状況下では自ずと聴覚や嗅覚が敏感になるものだが、それで得られる情報は残念ながら少ない。前述の人間の呼吸音しか聞こえないし、空間の匂いといっても至って普通の部屋の匂いだ。


 それでも恐る恐る足を前に踏み出してみると、件の呼吸の音が少しずつ近づいてくる。だいぶ距離が迫っていると分かった。得体の知れない対象への防衛意識からか、俺の腕が反射的に左右に広がる。


「……ッ!?」


 すると、左肘が何かにぶつかった。壁だ。俺の左側に壁があるのだ。暗闇のせいでまったく気づかなかった。慌てて壁に手を這わせてみると、何かスイッチのようなものに手が触れる。正体の判別に少し迷ったが、これが蛍光灯の開閉器であることに数秒遅れで気づいた。偶然にも、それは一般家庭にあるそれとほぼ同型だ。ゆえに触っただけで気づいたのだ。


 幸運か、不運か。それは押してみなければ分かるまい。正体不明の相手と対峙する中、暗闇に居続けるのも大変だ。部屋にいるのは誰か。確かめる術があるならば、一刻も早く確かめなくては。


 意を決して、俺はスイッチを押す。


(まさか、そこにいるのは笛吹か……!?)


 身構える間もなく、ほんの一瞬で灯りがついた。


 しかしながら、そこに居たのは笛吹ではなかった。ましてや、武装した敵兵も待ち伏せでもない。


 女だ。


 俺の佇む場所から2メートルほど離れたところに、1人の女が倒れている。急に辺りが明るくなったのでわずかに目が眩む。どうにかして目を開けて再度確認してみると、倒れている女の背がやけに低いことが分かった。


 あの身長はおそらく子供だ。しかし、どうしてこんな所に女児がいるのか。わずかに疑問に思った俺だが、即座に答えが頭に浮かぶ。


 間違いない。あれは、大原恵里である。


 事前に写真で顔や容貌について知り得ていたわけではないのだが、今この場所にてこの状況で見つかったとなれば彼女以外考えられない。富田の話は本当だったのだ。家入組が日本橋で拉致して豊橋へ連れ去った後、その処遇に困った家入行雄が横浜の大甥の元へ移送したものとみられる。


 少々手間取ったが、一応は目的達成。人質になっていた三代目伊東一家総長の娘を発見できた。俺はすぐさま駆け寄ってみる。


「おい、大丈夫か!? 助けに来たぞ!!」


「……っ」


「しっかりしろ! すぐに安全な場所に連れてってやるからな!」


 呼びかけに対してうっすらと反応があるので、気を失ってはいない模様。白い布で目隠しをされた上に両手は背中側にて縄で縛られ、両足はグルグル巻きにされている。いくら拘束する必要があったとはいえ、年端もいかぬ子供を相手にこのような仕打ちをするとは。家入と笛吹の悪辣さに反吐が出そうだった。


「とにかく、ここから出なくちゃな」


 今すぐにでも拘束を解いてやりたかったが、あいにくロープの縛りはきつくてすぐにほどけそうにない。この場での処置を諦めた俺は、いわゆる“お姫様抱っこ”の要領で恵里を抱きかかえ、立ち上がろうとする。


 だが、ちょうどその時。


『居たぞ! 侵入者だ!』


 間が悪いことに、無数の男たちが室内になだれ込んできた。皆、鉄パイプや金属バットといった得物を手にいきり立っている。俺はあっという間に囲まれてしまった。


「……どけや」


「テメェ、村雨組の者か!? そのガキを助けに来やがったんだな!? そうはさせねぇぞ! ここでガキもろともぶっ殺してやる!」


「笛吹はどこだ。奴に聞きてぇことがある」


「うるせぇ!! 死ねーッ!!」


 時間的空白を微塵も置かず、俺と恵里めがけて一斉に襲いかかってきた男たち。少し面倒ではあるが致し方ない。俺は抱えていた少女を一旦床に置くと、目前まで迫っていた敵の腹部に蹴りを叩き込んだ。


「おらよ」


「ぐはあっ!?」


「何だよ。ぜんぜん弱いじゃん」


 例によって、たった一撃でダウンしてしまったチーマー風の男。まさかとは思ったが、流石に弱すぎる。所詮は臨時雇いの雑兵たち。鉄火場の経験値は著しく低いようだ。


 おまけに武器を持っているといえども、いずれも近接系のものばかり。飛び道具を携行する輩は1人も見られない。


 なるほど。これなれば本気を出さずとも片づけられそうだ。己の有利を悟った俺は、余裕の笑みで声を上げる。


「おいおい、どうした? その程度か? さっさとかかって来い! 全員まとめてミンチにしてやるよ!」


 俺の煽りを受けて、次々と襲い来る烏合の衆。


 そこからは一方的な“乱戦”がしばし続いた。いや、“乱戦”というよりかは“嬲り殺し”と形容した方が良いかもしれない。


 こちらが攻撃を繰り出せば必ず当たり、一方で向こうの挙動は驚くほどに鈍く、いとも簡単にかわせてしまう。ちゃんと狙って武器を振るっているのだろうか。むしろ、敢えて避けようとしない方が当たらずに済むくらいだ。


(あれ、チーマーってこんなに弱かったっけ……?)


 およそ15分後。無機質な白い床を鮮血で生々しく染め、俺は全ての敵を殴り倒してしまったのだった。


 恵里を守りながら大勢を相手にせねばならない不便さはあったものの、正直なところ赤子の手をひねるより容易かった。大の字で転がっている者の中には、首が完全に折れていたり、頭部が醜く損傷していたりする連中もちらほら。そこまで力を込めて殴ったつもりはないが、まあいいか。


 辛うじて息がある奴を1人見つけると、俺は胸ぐらを掴んで無理やり起こして問うた。


「おう、笛吹はどこだ? どこへ隠れてやがる?」


「し、知らねぇ! こっちが聞きてぇよ! 会長の執務室にも居ねぇし、無線で何度呼び出しても繋がらねぇし……」


「そうかい。なら、見捨てられたんだな。お前らは」


 俺たちの来襲の報告を受けた時点で、笛吹は部下を置いてひとり逃亡をはかったのだろう。既に用済みとなった大原恵里を奪還されてしまうことは、奴にとって然程問題ではなかったと見える。


「ち、畜生……」


 そこまで言いかけると、暴走族風の男は意識を失った。如何ほどの金を積まれたかは分からないが、所詮は捨て駒として集められた雑兵要員。気の毒なことだ。同情の念が湧かなくもなかった。


 しかし、敗者には何も施してくれないのが裏社会の常。全てはこの男の愚かさが招いた結末であると気持ちをし、俺はゆっくりと立ち上がった。


「んじゃ、気を取り直して。ここから出るぞ」


「……っ」


「え? お、お前、まさか!?」


 横たわる恵里を再び抱きかかえた時、その体温の異様さに俺は驚いた。恐ろしいほどに熱い。これは室温の蒸し暑さゆえに体が火照っているとか、その類の問題ではない。


 明らかに熱があるのだ。慌てて彼女の額に手を当てた時、その感触の凄まじさに俺は思わず声を出してしまった。


「うわっ! こりゃ、ひどい熱じゃねぇか!」


 すぐにでも病院へ担ぎ込まねばならないレベルだ。医学の心得が無い俺でも直感できた。とはいえ、救急車を呼ぶ術を持っていない。携帯電話は所有していないし、ここは地下室。電話の設備が見当たらない。もたもたしていると、そこへ沖野がやって来た。


「おい、麻木ィ。こいつはたまげたぜ。まさかテメェひとりでやっちまうとは……って、そこにいるのは大原の娘か? 助け出したのか?」


「ああ」


 自分の居ぬ間に事が大きく進んでいたと驚く沖野。そんな奴の刀はベッタリと血に塗れている。あれは敵を斬った痕だろうか。屋敷の入り口付近にいた歩哨たちは、全員まとめて沖野に斬られてしまったのだと俺は瞬時に悟った。


 しかしながら、彼の到着は意外と遅く感じた。


「けっこう時間かかったな。あんたなら、もっと早くに来ると思ったぜ」


「いやあ、悪い悪い。久々に刀を振るったもんでよ。止まらなくなっちまったんだ。んなことより、大原の娘はどこで見つけた? 笛吹の野郎は?」


「……ちょっと込み入った話になるぜ」


 俺は沖野に、事のあらましを全て伝える。


 この施設内が迷路のような造りをしていたせいで発見に時間がかかったこと、苦労の末に見つけ出した恵里が発熱していること、現場に押しかけた笛吹隷下のチンピラたちと交戦し多くを殺傷したこと、そして笛吹本人はとっくに脱出済みであったこと。


 全てを聞き終えた沖野は、地団駄を踏んで激しく悔しがった。彼を差し置いて俺が先に人質を救出してしまったからではない。


 またしても、笛吹慶久を取り逃がした――。


 この事実に沖野は歯噛みする。先日の雑居ビルの一件以来、二度目の討ち損じとなるのだから無理もない。近くに転がる敵の骸を思いきり蹴って当たり散らし、肩を震わせていた。


「くそったれ! まったく、逃げ足だけはネズミみてぇに早いやつだ。今度会ったら必ず決着をつけてやる」


「あの野郎には俺も一発かましてやりてぇぜ。ところで、この娘はどうすんだ? 熱が出てっけど……?」


「ありゃりゃ。まずいな」


 呼吸を荒くして悶え苦しむ恵里の様子を見て、沖野もただならざる容態だと悟った模様。即座に携帯を取り出し、番号を打ち始めた。


「駄目だ。ここだと電波が届かん」


 やはり、地下空間ではいくらアンテナを立てようと圏外になってしまうらしい。119番で救急車を呼ぶのかと尋ねたら、返ってきたのはノーマークの答え。


「開科研から人を寄越してもらうんだよ。普通の病院へ担ぎ込んだ日には色々と面倒だからな」


 村雨組御用達の病院、開発科学研究所の存在をすっかり忘れていた。そこには医療スタッフが常駐しているので大抵の症状はどうにかなるはず。敢えて大原恵里を病院へ連れていかずとも事足りるのだ。


「……確かにな。普通の医者に診せたら日本橋に連絡が行くかもしれねぇもんな。やっぱり、しばらくは村雨組うちで預かった方が良い」


「そういうことだ。伊東一家に返す体裁が整うまではな。このお嬢ちゃんは今後、何かしらの外交カードになるかもしれない。易々と返しちまうのは勿体ねぇぜ」


 俺も沖野も思考の根本的な部分は共通している。その選択が、村雨組および村雨組長の利益に繋がるか否か。すべてそれを基準に判断するのだ。今回とて例外ではない。恵里本人には少し申し訳ないが、俺たちは俺たちの道を採らせてもらおう。


 恵里を“お姫様抱っこ”の体勢で運びながら、俺は沖野が恵里の体調を気遣っていたことを意外に思った。今回の救出作戦では人質の生死を強いて気にする必要がなかったにもかかわらず、迅速に医者を呼ぶ決断を下した。


 根っからの武闘派ヤクザの沖野も、元を辿れば人の子。最低限の情けくらいは持ち合わせているのだろう。


「ああ、それから。両足を縛ってるロープは絶対にほどくんじゃねぇぞ。そのままにしておけ」


「どうしてだ?」


「血管が長いこと圧迫されてるとよぉ、細胞の中に毒物が蓄積されるんだ。そいつが圧迫から解き放たれた途端全身にまわって内臓を壊す。だから、ロープをほどくのは医者が来た後だ」


 曰く、医学的にはクラッシュシンドロームと呼ばれる現象らしい。詳しい話はよく分からなかったが、その辺の知識も持ち合わせているとは驚いた。どうやら沖野一誠は単なる刀馬鹿ではなかったようだ。これは認識を改めなくては。


「とはいえ、熱が厄介だな。何かしら熱を冷ませるものがあれば良いんだが……」


「熱を冷ますっていうと、氷とか?」


「そうだな。手っ取り早いのは氷だな。麻木ィ、俺が電話してる間に探してきてくれや。ここは藤島のジジイの住処でもあったんだ。台所を当たれば氷のひとつくらいはあんだろ」


 地下室を出た後、俺は恵里に視線を移す。


 顔はひどく青ざめ、肌からは湯気が立っている。おまけに体全体が小刻みに痙攣。見るからに苦しそうだと分かる。家入たちに捕まっている間、どんな扱いを受けたというのか。高熱を出すくらいだ。一連の仕打ちを想像しただけで吐き気がした。


「お……おにいさんたち……だあれ……?」


 ここで恵里が口を開いた。俺たちの会話を聴くや否や、自分を誘拐・監禁した男たちとは雰囲気が違うと悟ったのだろうか。声色に少しばかりの安堵が滲み出ていた。


「あ、ああ、名乗るほどのモンでもねぇさ。通りすがりに人助けした流浪のスーパーヒーローってところかなあ」


「どこのくみなの……?」


「い、いやあ。それは」


 いきなり相手に所属組織を尋ねるとは、流石はヤクザの娘。傍らで見ていた俺は思わず関心してしまった。


 だが、無論のこと迂闊に素性を明かすわけにはいかない。ヒーローなどという子供騙しの戯言で誤魔化そうとした沖野は、すっかりたじろいでいた。我々が村雨組であるという事実は、然るべき時に追って説明を行った方が良い。


 そう思ったのだが――。


「村雨組……たすけてくれたんだね……」


 恵里には気づかれてしまっていた。一体どうしてかと目と耳を疑ったが、思い返せば先ほど俺たちは村雨組の名をはっきりと口に出していた。それを聞かれていたのだろう。


「ねぇ、目隠し、取って……?」


「いや。暫くは取らねぇ方が良い。ずっと暗いところに居たんだ。いきなり目隠しを取ると目が痛んじまう。あと少し我慢してくれ、な」


「そう……」


 適当な理屈を言い聞かせ、少女を宥めすかした沖野。特に必要性は生じないが、やはりここは顔を見られずにいるのが無難な選択といえよう。


 一方の恵里も物分かりが良くて助かる。日頃は言うことを聞かずに困っていると大原総長は言っていたが、お転婆娘のイメージとは程遠いしおらしさだ。誘拐という惨たらしい危害を加えられた直後なのだから、当然といえば当然か。


「んじゃ、ちょっくら探してくるわ。それまで大原のお嬢ちゃんのこと頼んだぜ。電話もあんたに任せる。適当な氷が見つかれば良いけどな」


「気をつけろよ、麻木ィ。この拠点ヤサの敵を全員片付けたわけじゃねぇんだから。くれぐれも慎重にな」


「あははっ。誰に言ってんだ」


 恵里を沖野に託し、俺は施設内の捜索を始める。


 歩き始めてすぐに携帯電話のプッシュ音が聞こえた。高熱に悶え苦しむ恵里のため、沖野としても迅速に医者を呼びたいようである。


(さてと……どこから探すか……?)


 氷はきっと台所にあるもの沖野は言うが、そもそも台所の位置関係が分からない。施設全体の見取り図でもあれば事は容易かっただろうに。また、あの迷路のような廊下を歩いて地道に探すとなれば気が引ける。


 されども、ここでサボタージュを決め込んでは男が廃る。開科研から医師が到着するまでの時間が分からない以上、少しでも恵里に応急処置を施しておいた方が良いはず。娘が生きて戻ってきた方が、大原総長も喜ぶに決まっている。村雨組が伊東一家に作れる貸しも自ずと大きくなろう。


 ふと考えてみると、大原恵里は父の征信とあまり似ていない。太文字眉毛と顎に蓄えた立派な髭が特徴の大原総長からは比較にもならぬほどに、恵里の容姿は可憐で、流麗だ。父と娘がまったく似ていないのは村雨耀介と絢華と同じ。あの親子同様、大原恵里も拾い子か。


 いや、違う。確か恵里の実母は彼女が物心つく前に大原総長と離婚し、それゆえにずっと父の男手ひとつで育てられてきたのだったか。しとやかさを教える女親が不在という点では、一人娘が男勝りのお転婆になってしまうのも無理はない。ただし、大原恵里の場合は9歳の時点で美貌を持っているので将来は可愛らしい乙女に化けるかもしれない。そう考えると、何だかこれから先が楽しみである。


 おっと。いけない。今の俺に下世話な想像を繰り広げている暇は無いのだった。歩いている途中にくだらぬ空想を浮かべてしまうのは俺の悪い癖。そのせいで、いつも重要な場所をうっかり見落としてしまったりする。


 今回も例に漏れず、俺は気づかぬうちに長い距離を歩いていた。慌てて数歩足を戻すと、いくつかの部屋を通り過ぎていた。そのうちのひとつが『会長執務室』。読んで字のごとく、会長が職務を執るための部屋であろうか。


(あれ? 俺、いつの間に2階に上がったんだ?)


 ともかく、どんな部屋なのか気にはなる。台所とは違うものの、1分程度なら寄り道をしたって悪くはあるまい。好奇心の赴くまま、俺は木製のドアを開けてみた。


「……校長室みてぇな部屋だな」


 不覚にも独り言がこぼれてしまったが、俺が受けた第一印象はまさにそれ。義務教育の期間中、何か問題を起こす度に連れて行かれたあの忌まわしき空間にそっくりだ。


 見るからに高級そうな机があって、応接用のローテーブルとソファーが並んでいる。会長専用とおぼしき机は生前の藤島が座っていたものらしいが、大鷲会壊滅以降は本部を占拠した笛吹の席になっていたと思われる。窓にはシルクのカーテンがかかり、部屋の左隅には鎧兜が堂々鎮座。他にも白磁の壺や翡翠の像といった美術コレクションがちらほら見える。シノギで稼いだ金を領地に分配する一方で自らは清貧を旨としていたという藤島会長でも、威儀をととのえるべく、流石に会長室くらいは豪華に飾っていたのだろう。


 謂わば、古風な極道の親分らしい『会長執務室』と呼ぶに相応しい場所。そんな部屋の中でキョロキョロと周囲を見渡していると、俺は机の近くにとあるものを発見した。


 家庭における冷蔵庫ほどの大きさを有した、真っ黒な長方形の箱。金庫だ。現金あるいは貴重品をしまっておくのに用いられる設備で、俺も何度か見た事のあるタイプである。


 ただ、何故だか扉が開いている。逃げ出す直前、笛吹が慌てて中身を持ち出したのだろうか。そう思って無意識のうちに内部を確認して見ると、そこには思わぬ景色があった。


(中身が入っている……!?)


 ぎっしりと詰められた黄金色の物体が、眩いばかりの輝きを放っているではないか。その光の強さに、俺は思わず目を背けてしまう。


 これは一体、何か。再度目視してみると、前にテレビドラマで目にした小道具に似ている。


 金のぼう。つまりは、金塊だ。


 しかし、どうして金塊がここにあるのだろう。藤島が生前に集めた資産だったとしても、依然として会長室の金庫内に入っていることが不可解。普通に考えれば、笛吹の手で持ち出されているはずなのだ。俺が来た時点で金庫の扉が開いていた事実を加味すると、持ち出されていない理由が尚更分からない。


 笛吹は強欲かつ傲慢な男。金庫にぎっしり詰められた延べ棒を目にすれば、瞬く間に自分の物にしたくなるであろうに。何故、敢えてそれをやらなかったのか。俺たちの襲撃があまりにも突然であったため、持ち去る余裕が無かったのだろうか。


「……ん?」


 ちょうど、その瞬間。背後に不穏な気配を感じた。危機を勘で悟った俺は、本能に委ねて左に身をかわす。


 ――ブンッ!


 何かで風を切る音が鳴った。奇襲だ。物音を立てずに俺の背中まで忍び寄っていた敵が、不意討ちを仕掛けてきたらしい。


「くそっ! 避けられた!」


 驚くのも束の間、失敗に終わった攻撃を悔やむ声が聞こえる。こういう時に限って勘が当たる。気配を感知した瞬間に事態を軽視せず、きちんと避けて正解だった。


「おっと、危なかったぜ。どこへ隠れてやがった?」


「死ねぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 日本刀を携えた男が部屋全体に響く大音声と共に、勢いよく斬りかかってきた。されども、加速度が弱い。所詮は敵にあらず。俺は落ち着いて斬撃をサイドステップで避けると、男の隙を突いて腹部を強かに拳で打った。


「うあっっ!?」


 そして腕を掴むと、そのまま後方へ背負い投げを見舞った。


 ――ドサッ。


 我ながらに鮮やかな連続攻撃。怯んだ男の手から刀がこぼれ落ちるのを確認すると、俺はそれを奪い、奴の喉元に突きつけた。


「テメェ、笛吹の手下か。ボスは何処へ逃げた?」


「知らない……」


「だろうな」


 この男もまた、笛吹に置き去りにされてしまったものとみられる。これ以上尋問したところで、得られる答えなどはたかが知れている。もう、こいつに用は無い。時間を浪費し続けるのも厭わしいので難しいことは考えず、俺は刀の刃先を喉に突き立てて敵兵の息の根を止めた。


(あ、殺す前に台所の場所を聞いとくんだった……)


 もはや後の祭り。ともあれ、本題に戻らなくては。先ほど見た金塊のことは一旦忘れ、恵里の熱を冷ます氷を探すべく俺は部屋を出る。


 この付近に残党が潜んでいたということは、施設内には未だそれなりの数が留まっていると容易に想像できる。まったく、馬鹿馬鹿しい話である。この期に及んで、どうして笛吹に忠を尽くす必要があるのやら。奴は自分たちを見捨てて逃げたのだから、恩も何もあったものでは無かろうに。そもそも金で雇われただけの関係だ。極道における盃事とは違うのだから、笛吹のために命を懸けて戦う義務など生じない。連中も連中で、さっさと逃げ帰れば良いのだ。


 考えてみれば実に鬱陶しい話だが、俺の前に現れたら逐一叩き潰してやるだけ。とても簡単なことだ。


 そう思って再び歩き出した俺だったが、歩みは即座に中断された。早速奇襲を受けたわけではない。背後から、大きな声が聞こえてきたのだ。


「おーい、麻木ィ! 大変だ~!!」


 ギョッとして視線を送ると、沖野が全速力でこちらへ向かってきている。血相を変え、ただ事ではない様子だ。背中には恵里がおんぶされている。まさか、先ほどからの間で彼女の容態が急変してしまったか。だとしたら、こんな所で油を売っていた俺の不手際だ――。


「ここに居やがったか。麻木ィ。探したぜ」


「ああ。沖野さん、悪い。氷はまだ手に入ってない。ちょっと迷っちまって、気づいたらこの部屋の前まで来ちまってた」


「そいつはもう良い。んなことより、さっき山手町から緊急の電話が入った」


「は? 緊急の連絡?」


 坊門組の包囲により、電話回線が遮断されていたのではなかったのか。それが緊急の電話とやらをかけられるようになったということは、即ち電話回線が復旧した事実を示す。


「じゃあ、警察サツを使うっていう組長の作戦は上手くいったんだな? 坊門組は追い払えたんだな?」


「それなんだが、まずいことになった……」


 煌王会本家による包囲という不測の事態が進展したというのに、何故だか晴れやかな顔をしていない沖野。それどころか、かなり深刻そうな面持ちをしている。ああ。なるほど。これは大袈裟ではなく、本当の意味で「まずいこと」が起きたようだ。一体、今度は何事か。瞬く間に募り上げる嫌な予感をため息で緩和し、俺は沖野の言葉の続きを待つ。


「……うちの組長が、坊門組の兵隊に手を出しちまったって。で、警察が来る前に大暴れして、屋敷の前に集まってた全員を殺しちまったと」


「はあ!?」


「とにかく、組に戻るぞ。話はそれからだ」


 またしても予感が当たってしまった。人質を救うべくして訪れた場所で、よもや信じ難い衝撃の報せを受けることになろうとは。俺たちは、今後どうなってしまうのだろう。


 詳しい説明を受けずとも、大方の事情は察しが付く。睨み合いによる膠着状態が続いた後、何らかのきっかけで坊門の兵が邸内に侵入し、それを押し返そうと雨が大立ち回りを演じたのだろう。残虐魔王といえど、武断一辺倒の御仁ではなく頭は切れる。本家の人間に手を出すことの意味と重大さは十分に存じているはずだ。にもかかわらずこのような結果に至ったということは、差し詰めそれなりのきっかけがあったと見るべきだ。尤も、如何なるきっかけによるものであろうと悪手は悪手。決して越えてはならない一線を越えてしまったことに変わりはないのだが。


 本家の人間を殺した――。


 この事実が、村雨組を更なる窮地に陥れてゆく。

大原恵里を無事に救出し保護……したかと思ったら、喜びも束の間に届いた衝撃の報せ。これからどうなってしまうのか!?


次回、村雨組の運命の決断。


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