表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第8章 餞別
140/261

村雨組包囲

 眠い目をこすりながら、沖野は俺に問うた。


「……麻木ィ。どういうこった? うちの本部がカチコミかけられたってのは? もっと詳しく説明しやがれ」


 まだまだ睡魔が体内に残存しているようだが、先ほどよりも意識は確か。つい先ほど俺が出した“襲撃”の2文字で一気に正気へ引き戻されたようである。どんなに眠かろうと組が危ういと知ればジッとしていられないのは、極道者ヤクザとしての性か。その辺りは尊敬に値する。


「さっき沼沢から電話が来た。本家の連中に屋敷を散り囲まれてるって。だいぶヤバそうな感じだったぜ」


「ほ、本家の連中!? どうして本家が!?」


「分かんねぇ。すぐに戻って来いってさ」


 沖野が所有している携帯電話には、最後に行った通話の音声データを自動的に録音し保存する機能がある。口で言って聞かせるよりもそちらの方が早く済むと思ったので、俺は再生のボタンを押した。


「……なるほど。穏やかじゃねぇな」


 先刻の俺と沖野の会話の録音を聴いた沖野は、やがて全てを理解したようにコクンコクンと頷いた。


「にわかには信じられねぇが。沼沢は洒落や冗談の類を抜かす男じゃないんでな。何かしら一大事が起きたと考えるべきだろう」


 そもそもこんな時間帯に舎弟が電話をかけてくること自体、尋常ではない。村雨組と本家との詳しい事情を知らない沖野も、瞬く間に事態の深刻さを悟ったようだ。


「しっかし、どうして本家は女将様を引き渡せと? 本家と女将様の間に何があったってんだ? いや、元を辿れば、どうして女将様は村雨組うちに……」


「分からねぇ。とりあえず、今は行ってみるしかねぇだろ」


「お、おう」


 理由を説明できないのが非常にもどかしいが、何とか沖野を説き伏せて出発の支度をさせた。俺たちはそのまま、ホテルのチェックアウトを済ませて駅へと向かう。始発の東京行きの新幹線に飛び乗って豊橋を出る頃には、既に太陽が顔を出していた。


「朝だな。日が昇ってやがる」


「ああ。さっきまでは薄暗かったんだけどな」


「朝焼けってのは、こんな時ほど綺麗に見えるもんだぜ。どうにも嫌な予感がする時に限ってな。不思議なこった」


 沖野も何となくキナ臭さを感じていたようである。そもそも彼は煌王会クーデターの件を未だ知らない。ゆえに本家の軍勢が村雨邸を取り囲む理由も、連中が勢都子夫人を引き渡せと要求する理由も、いまいち見当がつかないのだろう。


 東京へと向かう道中、掛川駅を過ぎた辺りで沖野は村雨邸に電話を入れ直す。無論、それは現在の状況の如何を確かめるためだ。今回も沼沢が応答したようだが、通話を終えるなり、沖野の表情は曇った。


「……夜明け前から、ずっと睨み合いが続いてるとよ。あちら側は目視で数えた限り100人は下らないらしい」


「なっ、100人もいるのかよ!?」


「ああ。んで、3時間くらい、ずっと睨み合ってるってわけさ。一体、何がどうなってるのやら」


 いわゆる、膠着状態。襲撃者たちは大人数で村雨邸の東西南北をぐるりと包囲し、拡声器らしき物で「女将様をこちらに返せ!」と叫び続けている模様。一方の村雨組側も相手が煌王会本家に遣わされた兵だけあって迂闊な手出しができず、門の防備を固めて威嚇するだけに留まっている。


 俺は首を傾げた。


「だいぶ長いこと睨み合ってんだな。いや、でも、村雨組こっちから手が出せないのは分かるけど、どうして向こうも攻めかからないんだ? 100人いるなら数の上じゃあ有利だろ?」


 すると、沖野は単純明快な答えを放つ。


「そりゃ、お前。決まってんだろ。こっち側には残虐魔王がいるからだよ」


 説明としては実にあっさりしていたが、瞬く間に全てを理解できた。


「……なるほど。そういうことか」


 我らが村雨組の組長、村雨耀介は一騎当千の武闘派極道だ。読んで字のごとくたった単身ひとりで千人単位の敵を蹴散らす戦闘力を持ち、剛毅果断かつ残忍極まりない戦い方をする。


 いくら本家の連中といえども、そんなバケモノを相手にすれば腰が引けてしまうのだろう。恐れおののく彼らの心情は大いにわかる。かつて俺自身も村雨の喧嘩を間近で見ているので、尚更に共感ができる。


 残虐魔王、村雨耀介がいる――。


 この事実が、敵勢による屋敷への侵入を今のところ防いでいるのだ。それらしい語句を用いてたとえるならば「抑止力が作用している」という表現が妥当であろうか。


 されども、これから先、情勢がどう変化するかは分からない。組長のためにも、一刻も早く村雨邸へ馳せ参じたかった。


「何が起きてるのかは分からねぇけどなあ。村雨組うちに粉かける奴がいたら、そいつを全力で追い払うだけのことだ。気合い入れとけよ、麻木ィ」


 吐き捨てた後、沖野は輸入物の紙巻に火をつける。当時は新幹線の車内でも喫煙が楽しめた。もとい、彼の中にタバコを楽しむなどという感情は1ミリも有りはしない。ただ、気を紛らわせるがために煙を肺へ取り込んだのである。ニコチンによってもたらされる束の間の快楽で、暗雲漂う感情に蓋をするために。


 俺も煙草を持っていたならば、きっと同じ行動に出ていたことと思う。新横浜駅へ着くまでの沈黙の2時間が往路の倍以上に長く感じられた。


「……」

 往路では窓の外を眺めたり、IQテストの本を読んだりして時間を潰し、次第にウトウトしてきた中でつい居眠りに落ちてしまった俺だが、気持ちここまでが張り詰めた朝だとそうはならない。目的地に着くまで胸の動悸は鳴り止まず、まるで落ち着かなかった。


 そんなこんなで駅に着くと、新幹線ホームから続く改札口のところで俺たちは思わぬ顔を見つける。


「お、おい、麻木ィ。あれって、もしや……?」


「ああ。間違いねぇ」


 菊川だ。ちょうど切符売り場近くの太い柱に寄りかかるようにして、我らが村雨組の若頭は1人で立っていた。


 まさか彼が待ち受けているとは考えてもいなかったので、俺と沖野は互いに顔を見合わせる。何故、ここにいるのか。現在、村雨邸は煌王会本家の組員たちに包囲されているのではなかったのか。


「やあ。時間通りに来たね。沼沢クンからキミたちは始発に乗るって聞いたもんだから、待ってて正解だったよ」


「あんた、どうしてここに? 組は大丈夫なのか?」


 およそ半日ぶりの再会となった若頭に前述の疑問を早速投げかけてみると、菊川は苦笑いしながら首を横に振った。


「ううん。大丈夫……とは言えないね。なかなかに危うい状況だ。まさか、こうも早く本家の連中に勘付かれてしまうなんて」


 聞けば、カタギの出入り業者に扮して村雨邸の包囲を密かに潜り抜けてきたという菊川。そんな忍術じみた芸当ができるとは驚いたが、本題はそこではない。何故に敢えて危険を冒してまで俺たちを出迎えに来たのか。そして、そもそも何故に村雨組は本家の包囲を受ける事態となったのか。その二点である。


「順を追って説明してくれ。頼むからよ。沼沢の野郎から聞いた話じゃあ、例の女将様が敵に見つかったとか何とか……?」


「うん。ざっくり言えば、そんな感じだね」


 ひと呼吸ほどの間を置いた後、菊川から語られた話は大方想像通りの内容であった。


「どうにも尾行されてたらしいんだよ。女将様を乗せたタクシーが。名古屋を飛び出して村雨邸うちに駆け込む瞬間まで、ばっちり見られていたらしい」


 やはり追跡されていたとは。仄かに抱いていた嫌な予感があろうことか的中し、俺はがっくりと項垂れる。


(マジかよ……)


 そこから先は言わずもがなだ。勢都子夫人を追尾した坊門組配下の若衆は、彼女が村雨邸に入ってゆく模様を目視で確認し、電話で組に連絡。入電を受けた坊門は夫人を捕らえるべく、すぐさま実力部隊を編成。無数のワゴン車に分乗して横浜へ押しかけ、山手町の村雨組本部を取り囲むに至ったのである。


 村雨邸に着いて以降、勢都子夫人は村雨や菊川の諫言を容れて屋敷の外へは一歩も出なかったうだが、出発地点たる名古屋から尾行されていたのでは最早秘匿のしようが無い。


 あまりにも不可抗力的で尚且つ早すぎる急展開に俺は心の中で地団駄を踏む。一方、沖野は冷静に尋ねた。


「カシラ、いま屋敷を取り囲んでるのは全員が坊門の手下? 坊門組の人間ってことですかい?」


「うん。僕が見た限りじゃね。全員、坊門組の代紋を着けていた。本家の奉公衆は軒並み破門にしちゃったらしいから、坊門も自前の兵を使うしかないんじゃないかなあ」


「なるほど。だとすると、屋敷を取り囲んでるのは坊門組の全兵力ですか。うーん。解せねぇな。あの坊門代行が、どうしてそこまでして女将様を……」


「何かしらの事情があるんだろうね。たぶん」


 その事情とやらを菊川は知っているが、ここで沖野に話してしまうわけにはいかない。お得意の口八丁で上手く誤魔化していた。


 若頭の話術の妙はさておき、俺が気になったのは襲来した敵兵が全て坊門組の組員だった点だ。坊門清史はクーデターにより組織の覇権を奪取し、会長代行の座に就いた。現状、最高権力者の地位にいるわけだ。


 村雨組を包囲している軍勢の総数は、おおよそ100人。


 天下を獲った御仁が差し向ける兵力にしては、いささか規模が小さいように思えた。曲がりなりにも組織の頂点に立っているのだから、もっと多数の兵を動員できるだろうに。同じく謀反に加わった他の直系組長が保有する戦力を使っても良いところであろう。


(何故、坊門組が直々に……?)


 そこが俺には疑問に思えてならなかった。しかし、理由がどうであれ、屋敷を外敵に取り囲まれている以上は然るべき対処をせねばなるまい。武力衝突に発展してしまうのは勿論、このままでは囲まれ続けても良いことは何ひとつ無い。


 今回は相手が相手なので非常に厄介だが、打開策がまったく無いわけでもないという。後頭部を強く掻きむしった沖野に、菊川が淡々と語る。


「今回は県警の横浜北署に動いてもらおうと思う。あそこのトップはこないだ村雨組うちが買収したばかりだからね。機動隊を出すくらい、造作もないでしょう」


 賄賂で手懐けた警察の力を借り、襲撃者を退散させるつもりでいるらしい村雨組長。方法としては悪くない話だ。こちらとしては“実力行使”に出られないため、むしろ現時点で考え得る最善の手段になるわけだが。


「正気ですかい、カシラ!? 警察サツを頼るなんて!? いくら鼻薬を効かせてるからって、極道が公僕を頼っちゃメンツが立たねぇでしょう」


「しょうがないだろ。僕らの方から坊門組に手を出せば『村雨組が煌王会本家に反逆した』ってことになりかねない。だから、それしか手が無いんだよ」


「いや、だとしても警察は……」


「分かってくれ。利用できるものは全て利用する。それが村雨耀介の流儀なんだ。今までだって、ずっとそうやってきたじゃないか」


 若頭に諭されてもなお、納得がいかない様子の沖野。彼の言いたいことも分かる。この街の支配者たる村雨組の体面を一番に考えるならば、公権力に縋りつく行為が正しいはずがないからだ。


 しかし、状況が状況である。今は名誉や外聞を気にしていられる場面にあらず。現時点で煌王会の最高位に在る坊門組を追い払える戦力といえば、公の武力を持つ警察以外では考えられない。


 尚も沖野は「他の組織に取り成しを頼めば良い」と言ったが、煌王会会長代行を相手に仲裁の権を発動できる組織が何処にいるというのか。


 現状いまの坊門と同格の存在を考えれば極道渡世では中川会の会長くらいしか浮かばないが、それはまったくもって非現実的。俺たちが頼れる相手ではない。本庄組を経由するルートも一応はあるが、そもそも奴との同盟関係は組長同士の密約なのだ。ここでおいそれと披露してしまうなどもっての外。名よりも実を取らん、と割り切るしかなかった。


 顔をしかめる沖野をよそに、俺は菊川に尋ねた。


「警察の手を借りなきゃどうにもならない状況だってのは分かった。けど、奴らは本当に敵を追い払ってくれるのか?」


 川崎時代から何度も嫌な思いをしてきた所為か、俺は警察組織あるいは個人に対してまったく好感を持っていない。


 現にヤクザに賄賂カネで買収されているくらいだから、清廉潔白な集団でないことは確か。村雨組が横浜北署をいとも簡単に手懐けているように、連中も土壇場で坊門組に買われてしまうのではないか。その辺りの懸念はどうにも拭えなかった。


 だが、若頭よるとその心配は無用という。


 神奈川県警の上層部は既に村雨組がもたらす利権で甘い汁を吸っており、切っても切れない蜜月関係が築かれている模様。よほどのことが起きない限り、横浜の警察は俺たち側であると菊川は語った。


「通報も僕らが連絡を入れたんじゃなくて、押しかけ騒ぎを聞きつけた近隣住民が署に110番したって設定テイにしてもらう。だから、村雨組が本家に嚙みついたことにはならない。キミが不安に感じる必要は無いよ」


「なるほど。それなら、上手くいくか……」


 警察組織の実力やら、坊門組の練度やら、俺としては色々と訊いておきたいことがある。だが、結局のところ村雨組と警察の関係性などは組長のみぞ知るところなのだろう。あまり深入りはせず、話題の自然な流れに身を任せておいた。


「……わかった。で、あんたがここに来た理由は? わざわざそんなことを伝えるためだけに来たわけじゃないだろ?」


「うん。察しが良いね。ご想像の通り、キミたちに報告してもらうためさ。今回の豊橋旅行の、成果の報告をね。さあ、話してくれたまえ。何かしらの成果はあるだろ」


 やはり、そうであったか。俺としては予め予想がついていたこと。特に動揺はせず、あくまでも淡々と菊川に説明を始める。


「一応、聞き出せたわ。家入の野郎は……」


 俺は菊川に事の次第を全て話した。家入がさらった大原恵里が実は横浜にいること、全ては家入の大甥たる笛吹が画策したという証言、そして一連の内容を吐露したのは家入組の若頭である富田で、彼自身は家入と上手くいっていないこと。


 何もかも、富田からじかに聞いた生々しい話だ。嘘偽りや改編の類いは、一切無い。報告を聴き終えた菊川はあからさまに顔をしかめた。


「やっぱり上手くいってなかったか。いや、噂では聞いてたんだよ。家入組は一枚岩じゃないって……」


「あの富田とかいう若頭も愛想を尽かしてたんだろ。家入のジジイに。そうでもなくちゃ、あんなにペラペラ秘密を喋ったりしねぇよ」


「うんうん。それにしても、驚いたな。まさか大原の娘の監禁場所は横浜だったなんて。組長が聞いたら驚くよ」


 家入組は煌王会の直系組織。そこで繰り広げられる人間関係は、菊川の耳にも入っていたのだろう。俺たちが持ち帰った情報がきっかけとなり、更なる確証が得られたものと思う。


 ただ、現在いまはそれどころではない。坊門が派遣した軍勢による村雨邸包囲に対し、何らかの対処を打つ必要がある。豊橋から戻った報告を悠長に繰り広げている時ではないだろうに。


 会話がひと段落したところで、俺はすかさず尋ねる。


「あのさ。俺たちは何をすれば良い? そうやってあんたが直々に来たってことは、何かしら俺たちにやってほしいことがあるんだろ?」


 今は時間も余裕も無い。ゆえに自分でもかなり踏み込んだ回答を投げたつもりだ。すると、菊川から返ってきたのは、あまりにも具体的な作戦プランであった。


「とりあえず救出してきてよ。大原の娘を。2人いれば楽勝さ。ひとりが敵の注意を引き付けて、もう片方が攻め込めば良いんだから」


 いやいや。簡単に言ってくれるが、実際にやってのけるのは至難の業だ。しかしながら、若頭によれば、これは組長の意思と云う。最初から俺と沖野が大原恵里の居処を掴み次第、そのまま救出作戦を決行させる予定だったとか。


「そのためにわざわざ豊橋まで行ってきたんでしょ? 帰って来たばかりのところで申し訳ないけど、頼むよ」


 だとすると、俺たちが豊橋へ派遣された目的は他でもなく、大原恵里の救出だったことになる。


(おいおい。マジかよ……)


 これ大いに意外である。家入に関する弱みを探れとの指示だったので、本題は違う所にあると思っていたのだ。「ほら、俺の言った通りだったろ!」と俺の肩を激しく叩いた沖野に視線を切り替え、菊川は淡々と言葉を続ける。


「大原総長の娘を村雨組うちで助ければ、伊東一家に恩を売れる。その理屈はキミたちにも分かるはずだ。このまま鶴見へ向かい、救出を実行してくれ」


「分かりました。カシラもご存じの通り、俺は力の加減ができない性分なんでね。一度刀を抜いたら、辺り一帯が血の海になりますが。どれだけ死人を出しても問題ねぇってことですか?」


「ああ。大暴れしてくれて構わないさ。報告を聞いた限りじゃ、鶴見を占拠してるのは全員が笛吹の取り巻きみたいだからね。極道とは違う」


「へへっ! んじゃ、ヤサにいる敵をどれだけ殺しても良いってことですね。そいつは楽しみだ」


 不敵な笑みを浮かべる沖野を尻目に、俺は頭が沸騰寸前になっていた。兎にも角にも展開が急すぎる。村雨組が包囲された件を知らされたかと思えば、すぐさま鶴見へ直行して大原恵里を救い出せと命じられた。早すぎてついていけない。村雨組長の目的が最初からそれであった点もまた、俺をひどく困惑に陥れた。当然だろう。


 大体、組長に了解をとらなくて大丈夫なのか。これから俺たちが鶴見にカチコミをかける件を村雨は知らない。「報告を受けた上での判断は僕に一任されている」と菊川は宣うが、電話の一本くらいは容れておいた方が良い気がする。


「大原の娘を豊橋で捜索し、救出してもらうまでがキミたちのそもそもの役目だったからね。場所が横浜へ変わったと思えば良い」


「いや。そうだとしても、一旦は組長に連絡した方が良いんじゃねぇのか? あんたの考えが組長の考えとは限らねぇわけだし」


「いいや。僕と朋友は常に以心伝心で一心同体、考えてることは同じさ。第一、あいつは今それどころじゃないし。県警の上層部に電話をかけまくってるから、たぶんこっちから架けても繋がらないと思うよ」


 村雨組長は坊門への対応に追われているため、俺たちの相手が出来ないというわけか。


 現在、村雨邸を守る組員は20人余り。俺と沖野はこれより彼らとは別行動をとる、謂わば“別働隊”

 として動くのだ。倍以上の敵を相手にせねばならない山手町の情勢も気がかりだが、大原恵里救出の任務も重要といえば重要。天運が味方してくれることを信じて、気持ちを切り替えるしかなかった。


「ああ。分かったよ。んじゃ、ちょっくら行って来りゃ良いんだな? 大原の娘を助け出しに、鶴見へ」


「うん。よろしく頼むよ。組長には僕から伝えとくよ……と言っても、伝えるすべが無いや。屋敷の電話回線は坊門組に切られて使えないし、携帯だと傍受される可能性があるし」


 それゆえに菊川は屋敷から抜け出して、直接新横浜駅まで俺たちを迎えに来たというわけか。新富士駅を過ぎた辺りから村雨邸との通信が途切れてしまっていたようなので、沖野も合点がいったようだった。


「ははーん。どうりで繋がらなくなったわけだ。しっかし、電話の回線を切るとは。坊門組は強気ガチで来てますね。どうしてそこまで?」


「いやあ。分からない。坊門組の連中は『女将様を引き渡せ!』としか言ってないからね。僕としても、何が何だか分からないよ。何でこうなっちゃったのか」


「ですよねぇ。『女将様を引き渡せ!』ってのも意味が分かりません。ただ、病院を抜け出して横浜へ来ただけでしょ? そんなに大問題ですか? あ、そう考えたら、大体にして何で女将様は横浜に……」


「ま、まあ、とにかく! キミたちはキミたちの仕事をしてくれ! 坊門組のことは僕と組長に任せて、何も心配しなくて良いんだから」


 やや強引に会話を終わらせると、菊川は足早にその場を去って行った。然もありなん。「実は坊門はクーデターを起こしており、勢都子夫人はその人質として幽閉されていた」などとは間違っても口に出来ない。かなり苦しい態度であったが、秘密保持のためには至極真っ当な振る舞いであろう。


 ただ、そのような秘匿をいつまで続けられるかは未知数だ。沼沢を始め、組員たちの中には現在の状況を訝しく思う者も確実に出始めている。血気盛んな若頭補佐の沖野もまた、そのうちの1人だ。


「一体、何が起きてやがるんだ? 女将様が事前の連絡も無しに、いきりなり横浜見物だなんて。有り得ねぇよ」


「そうだな。お偉いさんの考えることは分からねぇよな。あの感じじゃあ、何かしら本当の目的があるんだろうけど」


「六代目が撃たれた件もそうだ。あの日下部組長が会長を撃ったなんて、考えられないぜ。日下部組長は長島会長の懐刀で、桜琳一家時代からの腹心中の腹心だったってのに」


「たぶん、魔が差したとか。そうでなけりゃあ、シャブでも食って頭がおかしくなっちまったとか。どちらにしたって、俺には皆目見当もつかねぇな」


 長島会長銃撃事件の“真相”を俺は知っている。舎弟頭だった坊門が直系組長の古牧を唆して凶行に走らせ、その罪を射殺した日下部に全てなすけたのだ。勿論、組長から口外を禁じられているので俺の口からは何も言えない。のらりくらりと話をかわし、知らぬ存ぜぬを貫き通すのみ。


 されども、沖野は引き下がらなかった。


「麻木ィ。お前、何か知ってるんじゃねぇのか?」


 胸の近くがドキッとする。まさか直接的な疑問符を浴びせてくるとは思わなかった。動揺が顔と声に出ないよう、俺は必死で堪える。そして全力を振り絞って平静さを保ち、静かに返事を投げた。


「いいや。何も知らねぇ。菊川さんのあの感じを見りゃあ、確かに何かしらの裏があるとは思うがな」


「だよなあ……」


 これで納得してくれたか。大きく首を縦に振った若頭補佐の様子に、俺は安堵感を覚える。だが、その束の間。沖野の口から、思いも寄らぬ台詞が飛び出した。


「……麻木ィ。極道には、極道の第六感ってのがあってな。大抵の出来事は予想がつくんだよ」


 さしずめ組長から口止めされてるんだろ、とまで見事に言い当ててきた沖野。一時は収まったかに思えた動悸が、再び胸を苦しくさせる。どういうことか。まさか、沖野には既にお見通しなのか。


(悟られてる!?)


 しかし、それ以上に図星を突かれることはなかった。何としても隠さねばなるまいと身構える俺とは裏腹に、次に沖野が口にした言葉は思いのほか、穏やかなものだったのだ。


「けど、そいつをしつこく尋ねるような真似はしないし、するべきじゃないと思ってる。何故だか分かるか?」



「……さあ。何故だろうな」


「敢えて箝口令を敷かれたということは、それはつまり俺たちに対して秘密にするご意思があったということ。にもかかわらず俺が余計な詮索をして秘密を暴いちまうのは、その組長のご意思に反する」


 極道たるもの、常に主君の気持ちを汲み取り、主君の利益を第一に考えて動け――。


 なればこそ、秘密保持をはかる村雨組長の意思を尊重して執拗に問い質したりはしないし、組長が自分たちに情報を伏せておくというならそれを甘んじて受け入れるまでだと沖野は堂々と言ってのけた。彼以外の村雨組組員も、皆同じ心構えだという。


若頭カシラは未だしも、麻木ィ。お前までが情報の共有者に含まれてるのは心外だがな。そいつが組長のお考えなら仕方ねぇ。俺たちは従うだけだ」


「ほ、ほう。そりゃあご立派なこった」


「昨日も言ったが、極道ってのは親分の想いを汲んで動いてナンボなんだよ。よく覚えておきやがれ」


 この男が“真相”をどこまで悟っているのかは知らないが、今ここでこれ以上に追求してこないのは有り難い。口下手な俺には何よりの僥倖だ。ここから如何にして追及を回避しようかと思っていたところだったので、文字通り助かった。


「んじゃ、無駄話はそれくらいにして。さっそく行くとしようじゃねぇか。大原のお嬢ちゃんを助けに。分かってると思うが、敵の巣窟だからな。気合い入れとけよ。麻木ィ」


 張り切って歩き出した沖野の後を俺も慌ててついて行く。新横浜駅から鶴見区までは、首都高を使っておよそ20分ほど。環状2号線で拾ったタクシーに乗り、目的地までの道を急いだ俺たち。


 途中、沖野がニヤリと笑いながら話しかけてくる。


「大鷲会の本部へ行くのは初めてか?」


「ああ。行ったことは無いな。けど、昔の城みてぇにやたらとデカい建物だって話は聞いてるぜ」


「デカいってことは、その分攻め手にとっては難しいってことだ。敵の兵隊も何人いるのか分からねぇ。菊川のカシラの立てた策で行けば問題は無いだろうが、用心しておくんだな」


「分かってるさ」


 1人が正面で騒ぎを起こして敵兵の注意を引き付け、その間にもう1人が目立たぬ場所から施設の中へ忍び込む。単純明快かつ、効率の良い戦術だった。


 今回、正面でのおとり役は沖野が担ってくれるという。刀を片手に大暴れして敵を釘付けにし、俺が敷地内へ潜入し人質を捜索・救出するまでの時間を稼いでくれるのだ。


「良いのか? だいぶ危ねぇ役回りになるぞ?」


「誰に向かって言ってんだ。橿原鬼神流免許皆伝者を舐めてもらっちゃ困る。来るのが100人だろうが、1000人だろうが、皆まとめて叩き斬ってやるよ。テメェはテメェの心配だけしてろ。麻木ィ」


「フッ、そいつは失礼。余計な心配だったかもな」


 考えてみれば、確かにおとり役には俺よりも沖野の方が適している。徒手空拳で丸腰の俺に対して、彼は白鞘刀という得物を持っている。俺自身も経験はあるが、長期の持久戦になることを考えれば武器があった方が戦いやすかろう。一方で身軽な俺は施設内での隠密行動がとりやすいので、言うまでもなく、適材適所の役割分担であった。


 思ったよりも簡単かもしれない。だが、そう思った俺の楽観的な予感は、現地に到着してみると瞬く間に打ち崩されてしまった。


(おいおい。マジかよ……!?)


 横浜大鷲会本部事務所。その大きさは、俺の予想をはるかに上回っていたのだ。


 周囲を塀でぐるりと囲まれ、どんとそびえ立つ母屋は要塞を思わせる堅牢な造り。見た限りは地上3階ほどあるだろうか。鶴見のメインタウンや住宅街からは程遠い、郊外の人里離れた場所に建っている所為もあってか、建物全体がただならぬ雰囲気を醸し出している。


 喩えるならば、ファミコンのロール・プレイング・ゲームに登場するボスキャラの本拠地を前にしているような気分。ただただ雰囲気に呑まれ、俺は圧倒されていた。


 すると、沖野が言った。


「どうだ? なかなかのモンだろ? 大鷲会の本部は。まさにハマの英雄の本拠地ヤサに相応しい場所だぜ」


 聞けば、この城郭を築いたのは旧横浜大鷲会の藤島茂夫会長。日本経済にバブルの兆しが見え始めた1980年代の初め頃、港湾開発や不動産利権で得た莫大な富を使って建てられたそうな。暴力団の本部と呼ぶに相応しく、地下には専用の射撃練習場まで完備されているというから驚きだ。


「あの頃は横浜全体が今以上に潤っててな。大鷲会も勢いがあって、本当に強かったよ。けど、バブルが弾けると同時にシノギが萎み始めて、あっという間に衰退した。村雨組うちが横浜に進出してきた所為もあるんだけどな」


「確か、村雨組が横浜に来たのって……?」


「今から7年前。バブル崩壊とほとんど同時期だ。

 不景気で弱った大鷲会からシマを奪うのは本当に容易かったぜ。いやあ、懐かしい話だ。俺が村雨耀介に拾われたのも、そのくらいになるか」


 実に興味深い昔話だったが、今は過去の回想に浸っている時ではない。この場所の状況を冷静に観察し、潜入の糸口を見つけなければ。


 俺はぐるりと周囲を見渡してみる。藤島が死亡した現在では、この施設は全て笛吹一派が掌握し、彼らの根城と化してしまっている。


(敵の数は……ああ、やっぱり多いな)


 敷地内には笛吹配下のチンピラらしき男たちがウジャウジャいる。一体、如何ほどの兵力を笛吹はかき集めたのか。大叔父の家入に頼って金を出してもらい、札束にモノを言わせて街中の不良少年や暴走族、チーマー集団を傘下に入れたことは想像に難くない。


 軽い舌打ちと共に、沖野は呟いた。


「まったく。灯台下暗しとは、まさにこの事だぜ。よもやここが笛吹のアジトになってるなんて考えもしなかった。完全に見落としてたぜ」


 笛吹は大鷲会を抜けたがっていたので、今さらその本拠地に戻ってくることは無いだろうと踏んでいた沖野。彼がそのような予想をつけたのも理解できるが、この大規模な本部事務所は悪人がアジトとして用いるには丁度良い施設だ。


 しかしながら、塀自体は然程高くは無い。よく見ると、一部分が崩れているではないか。混乱に乗じて侵入するには、実にうってつけだ。


「塀が壊れてやがるな。あんなの、敵に侵入してくださいって言ってるようなもんじゃねぇか。笑えるぜ。天下のハマの英雄が自分とこの事務所もろくに修理できねぇとは。そんなにジリ貧たったのかよ」


「まあ、ここ数年の大鷲会の懐が寒かったのは事実だわな。村雨組うちとの抗争もあるが、一番は藤島のやり方だ。あの爺さんは街からみかじめの類を一切取らなかったからな」


「ああ。そういえば、そんなことを……」


 我々はハマに生かしてもらってる身だ。ハマを泣かせるのは仁義に反する――。


 思い返せば、藤島茂夫は生前にそのように語っていたような気がする。あの老人は悪い意味で昔気質すぎた。村雨組との抗争で大鷲会が経済的に苦しくなっても尚、自らの哲学を守り続けたらしいから、まったく愚かな話である。


 領地からのみかじめ料をきちんと徴収できていれば、最晩年の状況も少しは違ったのではないかと沖野は指摘する。


「少なくとも、組から跳ねっ返りが出ることも無かったろうよ。藤島の爺さんは銭勘定が下手だった。いや、下手ってレベルじゃねぇな。あれは」


 大鷲会を割った笛吹慶久は、主君たる藤島の経済観念の無さに嫌気が差して反逆へと至ったのだ。元はと言えば、すべて藤島が撒いた亀裂の種ではないか。尤も、俺たちはそのわだかまりを利用して横浜大鷲会を分裂に追い込んだわけなのだが。


 そんな話をしていると、ふと目前の状況には変化が起きていた。俺たちの存在に気づいたのか、事務所の中から数人の男たちが出てきたのである。


 鉄パイプや金属バットを手に、ゆっくりとこちらへ距離を詰めてくる歩哨たち。俺たちは特に物陰に隠れているわけでもなかったので、当然の流れだ。軽く身構えていると、沖野が俺に耳打ちした。


「んじゃ、麻木ィ。後は手はず通りで。これから俺はあいつらを一刀両断にして、騒ぎを起こす。その合間にお前はヤサの中へ忍び込め。あの崩れた塀のところから入りゃあ大丈夫だろ」


「わかった」


「見ての通り、奴らは寄せ集めのチンピラだ。腕もそこまで良くはないはず。とはいえ、気をつけろよ。何人か、銃を持ったのがいるかもしれない」


「おう。あんたも気をつけろよ」


 やがてチンピラたちが目の前まで来ると、沖野は刀の柄に手をかける。そして彼らが「何!?」と慌てふためくや否や、一気に猛烈な挙動に出る。


 気づいた時には、既に鯉口が切られていた。


「ぐえあっ!?」


 ほんの一瞬の出来事。一番近くまで迫っていた緑髪の男めがけて、沖野が刀を振るったのだ。刃は瞳の瞬きをも凌駕する速度で斬り上げられ、男の首元に真っ赤な一筋の線を入れる。


 醜い断末魔を上げ、男は仰向けに倒れた。それと同時に、男の首がゴロッと落ちるのが見えた。


「うわああああッ!!」


「カ、カチコミだ! 人を! 人を呼んで来い!」


「笛吹さんに知らせろ!」


 残された男たちは悲鳴を上げるが、慌てて事務所の中へ逃げ戻った者を除いて全員が沖野の刃に倒れた。絵に描いたような、鮮やかすぎる一刀両断。その場があっという間に血で赤く染められてゆく。


「おいおい? その程度か? 素振り程度にもならなかったぜ。もっと強い奴はいねぇのか? なあ?」


「ば、バケモノめぇぇぇぇぇーっ!」


 ――ザクッ。


 勇気を振り絞って金属バットで果敢に挑みかかった敵兵もまた、沖野に一瞬で斬られた。


 相手が戦闘経験の浅い、素人に毛が生えた程度のチンピラという事実もあろうが、こうも手際よく人を真っ二つに出来るとは。沖野曰く「地上最強の居合剣術」という橿原鬼神流が、そのように呼ばれる理由が少しだけ分かった気がする。


(よし。こっちも行くか……)


 心強い味方に後顧を託し、俺は己の役割に集中する。目指すは敷地内。大原恵里の身柄を確保し、上手く連れ出すまでが今回の任務だ。


「テ、テメェ、どこのモンだ!」


「俺は村雨組若頭補佐、沖野一誠。お前らのボス、笛吹を斬りに来た。早いとこ連れて来てくれや。さもねぇと、ここにいる全員がサイコロステーキになるぜ?」


「う、笛吹さんだと……ぐわっ!!」


「御託は良いから、早く笛吹を連れてこいってんだよ! 俺は人を斬るのが何より好きなんだ。相手がガキだろうが、素人だろうが、構わず叩き斬ってやる。分かったのか、この野郎!」


 白鞘の刀を手に立ち回り、一閃、また一閃と剣撃を浴びせて死体の山を築く沖野。辺りが騒然となる中、俺は足早に駆け出していった。



ついに始まった作戦。極道たちの思惑に翻弄された哀しき少女を涼平は無事に助けられるのか? 次回、決死の救出劇!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ