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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第2章 ふたりの異端者
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失ったものと、手に入れたもの

 答えに窮していると、怒声が飛んできた。


「さっさと答えなさい! このチンピラ!」


 露骨な敵愾心に包まれた目。それは氷のように冷たく、薔薇のごとく刺々しい印象を与える。初対面の相手に、ここまで突っかかって来る女も珍しい。少なくとも俺が知っている中には1人もいなかった。


(何だコイツ……!? 喧嘩売ってんのかよ)


 つくづく癇に障る言い方である。普段であれば、即座にぶん殴ってやりたいところ。しかし、脳裏には組長の恐ろしい姿が浮かぶ。下手に傷つければタダでは済まないのは明白だ。


 とりあえずこらえて、俺は説明した。


「たしかに、金目当てといえば金目当てだな……けど、言いつけられた仕事はできるだけ真剣にやらせてもらうつもりだぜ? それがあんたの世話だろうと、何だろうと。覚悟はできてるさ」


「フフッ。認めるのね。見たところ、生活に困ってるってわけじゃなさそうだけど。信じられないわ。あなたのようなクズが欲しがるのは結局、名誉とお金。自分がどれだけ恵まれているかも理解せずに……まったく、浅ましい限りよ」


 その瞬間、自分の中で何かがプツリと切れた。


「ふざけんな」


「!?」


 実に、衝動的な行動だった。


 絢華の口から出た「クズ」の2文字が、俺の心を抉ったのだ。猛烈な怒りがボイラーのように湧き起こる。我慢できなくなり、彼女に駆け寄って胸倉を掴む。そして、目を大きく見開いて睨みつけた。


「恵まれてただ? ふざけんじゃねぇよ! お前、さっきから聞いてりゃあ訳わかんねえ事ばかり言いやがって。お前には親父さんが居て、召し使いが居て、食う物にも着る物にも困らねえで、おまけにこんなデカい家に住んでるってのに……どうしてそんな事が言えるんだよ! 俺に言わせりゃ、自分がどんだけ恵まれてるかも分からねぇお前の方が『クズ』だぜ?」


 すべて、素直な言葉である。


 そもそも俺は、恵まれてなどいない。親父が死んでからは常に孤独で、誰とも付き合うことなく寂しい毎日を過ごしてきた自覚があった。


 ヤクザの息子という出自のせいか、それとも俺自身の粗暴さのせいか。いつも周囲の大人たちには「狂ってる」と見放され、同じ歳の子供からは「怖い」と敬遠されてきた。せめて家族とは良好な関係でいたかったが、その年の冬には母親からも勘当されてしまった。


 (なのに、俺が“恵まれてる”? 冗談じゃねぇよ!!)


 だが、俺の怒りを目の当たりにした絢華に大して変化は無かった。ほんのわずかに驚愕の眼差しになったが、すぐ元の冷たい目つきに戻る。


「手を離しなさい。あなたの詭弁なんか聞きたくない」


 その反応に俺は若干、戸惑った。まさか、恫喝が通じないとは。


 今まで相手にしてきた連中はスジモンでもない限り、こちらが胸倉を掴んで怒声と共に睨みつけようものなら簡単に恐れをなして屈服した。中には、ひと睨みしただけで全身がすくみ、小便を漏らした者までいたほどである。それだけ、脅しには自信があった。


 (こいつ、俺が怖くねぇのか……?)


 だが、こちらとて屈するわけにはいかない。相手が誰であろうと、初対面でプライドを傷つけてきた奴をすんなり許すほど俺は甘くはない。そう思って、掴んだ手にグッと更なる力を込めた。


「離さなかったらどうすんだ。親父さんにチクるってかよ」


「別に。お父様が怖くないと?」


「ああ。村雨組がナンボのもんだよ。残虐魔王が何だってんだよ。ちっとも怖くねぇわ! 言いてぇことを我慢して無様な生き恥晒すよりかは、本音ぶちかまして、ひと思いに殺された方がマシだ。いや、むしろ本望ってもんだぜ!」


「黙りなさい!! お父様を悪く言うのは私が許さない!」


 間近で放った言葉の迫力にも、まったく動じる気配を見せない絢華。どうしたものだろう。こんな奴は初めてだ。それからしばらくの間、彼女とは激しく言い合いを交わした。しかし、俺がいかに屈辱的な罵り方をしても同等の言葉で応じてくるのでなかなかしぶとい。


 勢いに任せて怒鳴っても、怒鳴り返されるだけ。俺に向けられた敵意の眼差しは、揺らぐどころかますます強まるばかり。まさか、俺とここまで張り合ってくる人間がいたとは。実に嫌な女である。


 ただ、俺は彼女から自分とまったく同じものを見ていた。


 周囲をぐるりと取り囲んで他者との交わりを阻む、透明な心の障壁。根っからの不良少年ワルとして周囲に拒絶されて生きていた俺とは境遇こそ違えど、どこか似ているように思えたのだ。


 程なくして俺の口から自然と出てきたのは、歩み寄りの言葉だった。


「……俺が悪かったよ。つい、カッとなっちまった」


 少しの間黙っていた絢華だったが、やがてはゆっくりと俯いて視線をそらした。掴んでいた手を俺がやんわり放すと、静かに呟くように吐き捨てる。


「わりとすぐに謝るのね。まあ、とりあえず受け取ってあげるわ。一銭の価値も無い、とっても安っぽい謝罪だけど。首を刎ねられないだけありがたいと思いなさい!」


 ずいぶんと傲慢な物言いである。


 これは上から目線というよりは、そもそも最初から俺と同じ目線で話をしていないのだろう。だが、不思議とそれ以上の不快感は催さなかった。いつもであれば、煽り文句の1つでも浴びせてやるのに。


 今までの自分では有り得なかった感情の出現に戸惑いつつも、俺は静かに話を切り出す。


「……なあ、お前。どうしてそんな態度なんだ?」


「どういう振る舞いをしようと私の自由。あなただって、似たようなものでしょう。自分のことを棚に上げて他人を非難するなんて勝手が過ぎる」


「たしかに俺もそうだけどよ……お前は違うだろ。何つーか、年頃の女の子っていうか。そうやってトゲトゲしてたらモテねぇぜ? まともにダチだって出来ねぇだろ」


 すると、答えは少し強めの声で返ってくる。


「それで結構。私、そもそも友達なんていらないから」


 自然と納得してしまった。


「……だろうな」


「正確に言えば『いらない』のではなく、『いない』のだけどね」


「ああ。そうだと思ったぜ」


 矢継ぎ早に言葉をぶつけてくる絢華に呆れつつも、ひとまず正面から受け止めてやる俺。奇妙なやり取りが続くと思われたが、彼女が放ったのは意外な言葉であった。


「そもそも私、人と話すのが好きじゃない。関わろうって思わない。どんなに愛想良くしたところで同じ事よ。どうせ、皆は私のことが嫌いなんだから。最後は私から離れてく」


「……何で、そう思うんだ?」


「見ての通り。自分の力で歩くことができないから」


 絢華の口調から、一気に勢いが消えていく。


「きっかけは2年前、1人で散歩に出ていた時のこと。駅の前を歩いていると突然、後ろから銃で撃たれてしまった。犯人は、父と敵対する組織の人間。背中を何発も、何発も、撃たれて……それから先は覚えてない。気が付いたら、病院のベッドの上。脚に力が入らなくなってた」


 だいたいの事情が理解できた。察するに、父親が抱える組同士の抗争に巻き込まれて下半身の自由が効かない身体となってしまったのだろう。


「……皆、最初のうちは私を気遣ってくれた。私が悲しみを吐き出すのに、じっと耳を傾けてくれたりして。だけど、だんだん『関わるのが面倒』とでも思ったのでしょうね。皆、離れていった。自力で歩けない私を置き去りにして」


 ふと気づけば、絢華の表情が変わっていた。強気で凛とした、先ほどまでの雰囲気が、すっかり無くなっている。そこにあるのは過酷な現実に押しつぶされそうになった女の子の姿だ。


「……大変だったな。でも、そいつは大袈裟だぜ」


「大袈裟?」


「ああ。どうもお前は勘違いしてるみてぇだ」


 ゆっくりと頷いた後、俺は言葉を続けた。


「お前から離れたのは『皆』じゃない。一部の分かってねぇ連中だ。少なくとも、お前には支えてくれる人がいるだろ。さっきのババアだって、見た感じ精一杯お前に尽くそうとしてたし。そんな身近な真心にお前が気づけてねぇだけの話だ」


「いいえ、そんなことは……!」


 俺の指摘を全力で否定しようとしたのかもしれない。しかし、結局絢華は上手く反論の句をまとめることができなかった。少々、下品な言い方をすれば「図星」。きっと、彼女の中に思い当たる節が幾つもあったのだろう。


 俺は続ける。


「たしかに、お前は不幸だよ。それまで当たり前に持ってたモンを、失くしちまったんだからな。人生に制約も生まれちまった。そいつを不幸と呼ばねぇで何と呼ぶって話だ」


「……そう思うでしょ?」


「ああ。けどな、人間どんなに惨めに落ちぶれても自分テメェの行動ひとつで人生を変えられる。だから、お前も不幸から抜け出したいなら動くしかねぇと思うんだ。いつまでもメソメソ嘆いて立ち止まってる限り、いつまで経っても不幸のままだ」


 その瞬間、絢華の頬を涙が伝った。彼女は震える声で俺に問うてくる。


「じゃ、じゃあ……私は……どうすれば良いっていうの? 動くための脚の自由を失ったというのに……」


 つい先ほどまで絢華の周りを取り囲んでいた透明な障壁が、すっかり消えていた。瞳の奥で燃えていた敵愾心も、もはや感じられなくなっている。


 俺は出来るだけ優しく、言い聞かせるように答えた。


「そうだなあ……まずは、もっと周りに心を開いてみたらどうだよ。お前は組長のお嬢様だ。組にいる奴らは、黙ってたってお前のことを支えてくれんだろ。素直に頼るんだよ。そいつらに。皆、お前の味方だから。自分の殻に閉じこもってるんじゃなくてな」


 前日まで行動を共にしていた秀才大学生の高坂とは違って、中卒の俺は致命的なまでに語彙力が無い。面白い例え話や慣用句の類も知らないし、ユーモラスな言い回しも全くもって出来はしない。


 しかし、確実に何か伝わるものはあったと思う。


 その証拠に、先ほどから俺の言葉を黙って聞いていた絢華は時折涙を流しながらも小刻みに頷いていた。そして、最後には穏やかな声で返事を寄越してくる。


「うん……」


 涙を溜めて真っ赤になった目のまま、絢華は部屋を出て行った。

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