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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第8章 餞別
137/261

囚われの若頭

 豊橋駅直結の『ホテルアカシア』、12階の6号室。予定よりも少しだけ遅めに戻ってきた俺の姿を見るなり、沖野は驚愕の声を上げた。


「お、おい! どうしたんだよ、それ……!?」


 ずんぐりむっくりした男の体を担いで入室したのだから、当然の反応である。むしろ想定外でない方がおかしい。沖野としては多少なりとも俺に“成果”を求めていたようだが、これは流石に次元が違ったか。


「このホテルに泊まってたもんだからよ、とっ捕まえてやったんだわ。後ろから首を絞めてやったが、安心しろ。気を失ってるだけで死んじゃいねぇ」


「そ、そうかよ」


 俺に調査活動の“成果”を求めていた沖野だったが、流石に組のナンバー2を拉致してくるとは思いもしなかったのか。少々呆気に取られているようだ。まあ、皆無のまま戻ってくるよりは良かろう。


 何にしても、まずは状況の説明だ。俺は沖野に先刻豊橋市街地にて遭遇した出来事をひと通り話す。


 居酒屋で飯を食っている最中に地回りが来たこと、豊橋での家入組の力が想像以上に強かったこと、そして三代目伊東一家が総長令嬢を救出すべく精鋭部隊を送り込んできたこと――。


 沖野にとって伊東の豊橋急襲は想定の範囲内であったらしく、特に驚いてはいなかった。むしろ、何処か上機嫌。部隊の指揮官が若頭の堀内だと分かると、指をパチンと打ち鳴らして笑みを見せた。


「おおっ! そうか! そう来たか! そいつぁ良かったぜ! ナンバー2がいるってなると、話も早いだろ。いやあ、助かったぜ」


 一体、どこに喜ぶべき要素があるというのか。尋ねてみると、伊東一家側に幹部陣がいた方が後々の展開が有利になると沖野は語った。


「こりゃあ政治的な問題だがよ、伊東一家やつらには恩を売っておく必要があるんだ。そいつをダシに横浜のドンパチに協力させることだって出来る」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。恩を売るって、まさか大原の娘を……!?」


「ああ。連中よりも早く見つけ出して、俺たちが身柄を引き渡す形にする。そうすりゃあ体裁が良いだろ」


 今回の豊橋潜入の目的は大原恵里の救出であると、沖野は未だに思い込んでいる模様。今更考え直してくれるなど元から期待してはいないが、やっぱりこの男はアホだ。俺は大きなため息をつくしかなかった。


(こいつ、まだ言ってるよ……)


 彼の言い分も一理ある。現在、横浜における情勢は依然として先が見通せない。伊東一家の侵攻の脅威こそ消えたものの、横浜市内には在日コリアンとと中国マフィアの勢力が健在。特に中国人には家入の息がかかっているため、早々に倒さなくてはならない相手だ。そんな時、伊東一家の兵力を借りることが出来れば村雨組としては大助かりであろう。


 だが、それでも実現性は低い。仮にも中川の直参である伊東一家が煌王会系の枝にあたる村雨組のために兵を貸す道理が無いし、いま迂闊に中川会系組織に擦り寄れば坊門らクーデター派から内通の疑いをかけられてしまう。ただでさえ、連中は煌王会内の統制に神経を注いでいるのだ。然るべき時まで波風を立てずにおいた方が無難だし、坊門グループとは現時点では穏やかな関係を保っておいた方が良いに決まっていよう。


 伊東一家との間に事実上の不可侵条約を締結できただけでも、大きな収穫だと俺は思っていた。彼らとは積極的な関係を結ぶ必要は無い。持ちつ持たれつ、付かず離れずの仲を続けていくのがベストである。


 ただ、名古屋で起きた謀反の件を沖野は知らされていないので、彼の考えが少々短絡的になってしまうのも仕方ない。


「……まあ、その辺りもは富田から聞き出してみるか。たぶん、こいつなら大原の娘の居所も知ってるだろうし。いや、知らないはずは無い。何か分かるはず」


 ここでまともに異を唱えて揉めれば体力を消耗するだけなので、適当に話を合わせておいた。尋ねるだけならば手間も労もかからない。質問事項の中に、そっと「大原恵里の居場所」を盛り込んでおくだけで良いのだ。


 俺の本題は、あくまでも家入組についてのあれこれ。恵里の救出は沖野が勝手にやれば良い。こちらはこちらで、粛々と村雨組長の命令をまっとうするまでだ。


 それから程なくして、話題は再び捕虜に戻った。俺がつい先ほどエレベーター内で拉致した男についてだ。


「そいつは気絶してるだけか。なら良かったぜ。テメェのことだから、勢い余って殺しちまったもんだと思ったわ。んで、そいつの処理を俺に任せようと……」


「んなわけねーだろ! あんたじゃあるまいし。後先考えずに殺しはやらねぇよ。大体、こいつにゃあ色々と聞き出さなきゃならねぇことがあんだ。簡単に死なせてたまるかよ」


 軽快に言い放つと、俺は部屋の床に肥えた身体を投げ下ろす。軽快な音を立ててドサッと仰向けに転がった男=家入組若頭の富田とみたは、幸いなことに失神状態から醒めていない。俺としてはかなり乱暴に放ったつもりであるが、依然として深い眠りに落ちたままだった。


「富田さんねぇ。このツラを拝むのは久々だな。あんまり見たくはねぇが」


「知り合いなのか?」


「知り合いも何も、俺は村雨組の若頭補佐だぞ。麻木ィ。家入の事務所にゃ組の使いで何度か行ったことがあるって、さっき話して聞かせたろ。もう忘れちまったのかよ。これだから最近のガキは困るぜ。記憶力が無くていけねぇや」


 俺を罵る余計な言葉はさておき、沖野は富田と面識があるようだ。聞けば、あまり良い関係ではないという。顔を合わせる度に嫌味を浴びせられるため、たびたび喧嘩沙汰に発展していたのだとか。


「このオッサン、いちいち見下してきやがるんだよ。自分テメェのインテリを鼻にかけてな。鬱陶しいったらありゃしねぇぜ」


 なるほど。富田は自分の部下だけでなく、他の組の人間にも慇懃無礼な態度を取っていたのか。己の頭の良さを誇示して他者を貶める、それでいて自分こそが万能と勘違いするのだから質が悪い。尤も、背後から不意討ちを受けて気絶する時点で万能に非ずなのだが。


 おそらく、富田は沖野にさしずめ「刀を振るうしか能が無いあなたと違って、私は~」などと突っかかったのだろう。先ほどの路上でのやり取りを見ているので、容易に想像がつく。


「……なるほどな。確かに嫌な野郎だな」


「おう。俺が家入組の事務所に行くたびに絡んできやがってよ。前からムカついてたんだ。この機会だから、ひと思いにぶっ殺してやる」


「待てや。殺す前に、こいつからは情報を引き出さなきゃならねぇだろ。早まってんじゃねぇよ。刀バカが」


「ああ!? テメェ、いま何を言いやがった!?」


 いきり立つ沖野は無視して、俺は尋問の準備を始める。尋問と言っても現状手元にはこれといった拷問道具が無いので、方法はシンプルなものに限られてくる。ひたすら殴って痛みを与え、自白へと誘導するしかないだろう。


(良いネタを持ってるか、まずはそこだよな……)


 家入行雄は秘密主義者だ。重要な情報は配下の組員たちと共有せず、自分あるいは側近の中だけで留めているらしい。若頭と言えば組のナンバー2で側近中の側近なので、たぶん富田は家入組の機密を知っているだろう。しかし、万が一ということもある。今回の捕縛が無駄骨にならないよう、富田が有力なネタを持っていることを祈るしかなかった。


「なあ、沖野さん。ガムテープ持ってるか?」


「ガムテープなら鞄の中だが。何に使うんだよ」


「こいつの手足を縛って椅子に固定するんだ。動けねぇようにな。んで、顔をサンドバックみてぇにタコ殴りにしちまえば良い」


「なるほど。そうやって吐かせようってのがテメェのアイディアか。まあ、有り合わせの道具で尋問をやるのも悪くねぇな……」


 俺の案を頷きながら聞いた後、沖野は言った。


「……だが、良くもねぇ。お前が思ってる以上に富田はしぶとい野郎だぞ。この男は見た目通りのボンクラだが、家入への忠誠心は人一倍に強い。顔を殴られたぐらいじゃ揺らがねぇだろうな」


 思いのほか、打たれ強いらしい富田。沖野曰く、家入行雄に対しては極端なまでに滅私奉公を貫いているようで、己はどんな目に遭おうと主君の不利益となる行動だけは絶対に取らないそうだ。


 無論、それは拷問を受けたところで変わらず。前にも似たようなシチュエーションが富田の身に降りかかったものの、彼は最後まで意地を張り通したという。


「今から5年くらい前、家入組が中川会系の枝と揉めてた時、富田が敵に捕まったんだよ。足の指を潰されたり、手の指を折られたり、けっこうひでぇ目に遭わされたみたいだが、富田は最後まで屈しなかった。敵の求める情報をを吐かなかったんだ」


「ほう。そりゃあすげぇな」


「で、味方の助けが来るまでひたすら粘り続けて、その時に見事耐え抜いたってわけさ。おそらく、こいつに並大抵の拷問は通じねぇよ。まあ、うちの組長の手にかかれば別だろうがな。テメェごときには無理だ」


 俺が情報を聞き出そうと試みたところで、せいぜい根負けして終わるのが関の山だと沖野は言い放った。


 だったら富田が吐くまで執拗に痛めつけてやるまでだと思ったが、そう長期間にわたって奴を拘束してはいられない。組の実働を仕切る若頭が消えたとなれば、組員たちは当然、騒ぎ出す。忽ち捜索が始まり、豊橋市内に張り巡らされた情報網を通じて富田および俺たちがこのホテルに居ることが突き止められてしまうだろう。


 そもそも富田は派遣型風俗を頼むべく、ホテルアカシアを訪れたのだ。確か、彼の押さえた部屋は上階だったか。呼び出されたはずの部屋に依頼主が居なければ、風俗嬢が不審に思うのは必然。そこから家入組へ連絡が入り、組員たちが若頭の失踪に勘付く可能性はきわめて高い。富田への尋問は、まさに時間との戦いであった。


 では、どうすれば良いものか。俺は頭を抱える。暫しの間、思考をフル回転させた末に導き出した方法は、言ってしまえば一か八かの賭け。


(だけど、拷問が通じねぇならこれしかない……!)


 俺はすぐさま、沖野に尋ねた。


「なあ、沖野さん。家入の野郎は、いま豊橋に居ないんだっけ?」


「そういやあ居ねぇみてぇだな。ちょうど議定衆は幹部会だから、たぶん名古屋の総本部だと思うぜ。それがどうしたんだよ。麻木ィ」


「一応、確かめときたくてな」


 家入行雄は名古屋に滞在中――。


 やはり、先ほどチンピラの杉村らと話していた通りであった。沖野曰く、煌王会では組織の臨時幹部会が招集されていて、舎弟頭補佐の家入もそれに出席するべく現地に滞在しているだろうとのこと。「定例会は来月の初旬あたまなのに、何故に今幹部会を開くんだろう」と沖野は不思議がっていたが、奴はクーデターの件を知らない。察するに臨時の幹部会は坊門が呼びかけたもので、この機会に議定衆全員を集めて自らへの忠誠を誓わせる腹積もりと考えられる。いずれにせよ、家入が豊橋に居ないのは有り難かった。


 主君の不利益となる行動は絶対にとらないという富田に対し、違った方向からアプローチを仕掛けることが出来るからだ。


「んで、どうやって富田の口を割らせるつもりだ? 麻木ィ。さっきも言ったが、こいつに拷問は通じねぇぞ? しぶといってレベルじゃねぇ。家入のためなら、最後の最後までダンマリを決め込んで自分テメェの舌を噛み切って死ぬだろうよ」


「じゃあ、逆に言えば『家入のためなら情報を吐く』ってことだよな。吐かなきゃ親分の身が危ねぇってんなら、こいつも口を割る。その状況を作り出せば良い

 」


「どうやって?」


「決まってるだろ。脅すんだよ」


 俺には確信があった。家入行雄に対する富田の忠誠心は並大抵のものじゃない。まさに“絶対的”という表現が相応しいほど。拷問に際して黙秘を守り通すためには自殺も厭わないというのだから、それはよっぽどだ。


(富田は家入のためなら何だってやる……!)


 わかりやすく言えば、この男にとって最も重要なのは主君の身の安全。それを守り抜くためには、結果として主君の命令に背くことも平然とやってのけよう。富田とはそういう男だ。先ほどのエピソードから考えれば、奴の人物像は容易に想像できた。


 俺の考えたプランは果たして正解なのか。何であれ、物事が立てた見通しの通りに進まないことは世の常。ゆえに、少なからず懸念はあろうとも突き進むしかなかった。


 この男から情報を引き出す他に、有力な調査活動の方法は無いのだ。心配は事を始めた後ですれば良い。


「脅すってお前、何かネタでも持ってんのか」


「さっき街を歩いて手に入れたんだ。それはそうと。沖野さんよ、このホテルってルームサービスは使えるかい?」


「ああ。使えるぜ。何か飲むのかよ」


「いや。俺じゃなくて、このオッサンが。酒を飲ませた方が喋りやすくもなるだろ。なるべく、強いやつを頼むわ」


 すると、沖野は鞄から1本のガラス瓶を取り出した。


「だったら、こいつを飲ませれば良い。酒が自白剤の代わりになるたぁ思えねぇが、無いよりはマシだな。少なくとも普通の酒よりは効くぜ」


 そのガラス瓶には「ELECTRICAL SHINE」なるロゴが記されている。英語には明るくなかった俺だが、辛うじて読める。その酒の名は「エレクトリカル・シャイン」だ。


 輸入物の蒸留酒の一種だろうか。見たことは勿論、聞いたこともないワードである。


「こいつは東欧由来のウォッカでな。アルコール度数は95%もあるバケモノみてぇな酒だぜ」


「きゅ、95%だと!?」


「へっへっへっ。驚くのも無理はねぇよなあ、麻木ィ。何しろ世界最高クラスの度数なんだからよ。これを飲めばどんな酒豪でも忽ちトラになっちまう。ストレートで飲むなら尚のことだ」


「マジかよ……」


 あまりの強さに驚いてしまったが、決して密造酒の類いではない。特別な手段を講じなくとも合法的に手に入る代物で、普通にスーパーや酒屋で売っているという。沖野は横浜、桜木町のコンビニで買ったとの話だった。


「……あんたはこれを普段から飲んでるのか?」


「いいや。飲んじゃいねぇ。俺は、酒なら吟醸の日本酒って決めてるからよぉ。ウォッカは性に合わねぇんだわ」


「だったらどうして鞄に入れてんだ? 確かに、見た限りじゃあ新品のままだな。誰かが口をつけた跡はねぇ」


「まあな。この酒は“飲む用”じゃなくて、“使う用”だ。西洋の兵隊は傷口の殺菌や消毒に使う場合もあるみてぇだし、大道芸人なんかにも御用達だ。けど、俺の場合はじゅつに使ってる」


 術とは何か。首を傾げながら尋ねると、沖野は部屋の壁に立て掛けてあった縦長の袋から、白鞘刀を取り出す。


 そしてゆっくりと鞘から抜き放つと、銀色に輝く刃を俺の方に見せつけた。


「術ってのは、その刀を使うのか?」


「おうよ。百聞は一見にしかず。自分テメェの目に焼き付けるのが一番早いわな。文字通り、な」


 不敵に笑った沖野。すると、次の瞬間。沖野はエレクトリカル・シャインの瓶を手にとって蓋を開け、酒を数滴、刃に垂らしていったではないか。


「おっ、おい……!」


 酒を刃に垂らす行為に、一体何の意味があるのか。ただ刃が濡れてしまうだけではないのか。室内は強烈なアルコールの匂いで、みるみるうちに満たされてゆく。まさしく消毒液のそれにそっくりであり、どちらも“アルコール”なのだなと再認識させられる。鼻を刺す刺激的な香りだ。


 沖野によるあまりにも奇想天外な動きに困惑し、呆気に取られてしまった俺。


 更なる驚愕は、その直後に訪れた。


「よーく見とけ。ほらよっ!」


 何を思ったか。ポケットから取り出したライターの火を沖野が刃に近づけた、その時。彼の握る刀が瞬く間に炎に包まれた。


 ――ボウッ!!


 一秒にも満たぬ寸暇の出来事だった。さながら油を注がれた火のごとく、柄から先の刀身がメラメラと燃えている。剣が炎をまとった、と説明するのが相応しい光景であろうか。


「うわああっ! こ、これはすげぇ!!」


 勿論、俺はびっくり仰天。おったまげずにはいられない。サーカスにおける剣芸や観光地でのガマの油売りでも、ここまで激しく火を燃やしたりはしないだろうに。


 そんな俺の様子を見て、沖野はご満悦の表情。薄汚れて黄ばんだ歯を剥き出して高笑いしていた。


「あーはっはっは! 驚いたか、麻木ィ!」


 これが沖野による術か。仕組みも、目的も、まったく理解不能だ。呆然としつつ沖野に尋ねてみると、剣術の技であると彼は誇らしげに語った。


「橿原鬼神流奥義、“業火ごうかけん”。刀に炎を纏わせる秘伝の技だ。開祖の頃は胡麻油でやってたみたいだがな。見ての通り、この酒も油の代わりになるんだよ」


「油の代わりになる…? よく分かんねぇが、それってつまり、火がつきやすいってことか?」


「そうだ。度数が尋常じゃねぇくらいに高い酒だからよ。たった数滴で忽ちこのようだ。引火のしやすさは灯油並みだぜ。気を付けるこったな」


 エレクトリカル・シャインの揮発性の高さを説明するために、わざわざ刀に火をつけて見せた沖野。そこまでしなくても良いのにと思ったが、余興としてはなかなか面白い。迫力ある光景を目の当たりにして、俺の心は自然と弾んだ。このような時には知的好奇心が騒いでしまう。


「そうかい。にしても、初めて聞いたぜ。“業火の剣”だなんて。その、カシハラ何とかってやつにはマジでそういう技があるのか?」


「あるぜ。他にも刃を凍らせる“氷結の剣”とか、砂を巻き上げて相手を撹乱する“砂塵の剣”とか、いろいろある。自然現象をあまねく味方につけるのが橿原鬼神流なんだよ」


「すげぇな。それって、ファミコンのゲームでいうところの属性攻撃みてぇなもんだよな? そんなのが剣道にあったなんて……」


「剣道じゃねぇ。古流剣術だ」


 剣道と古流剣術の違いはさておき、そういえば沖野は橿原鬼神流の免許皆伝者と以前誇らしげに語っていた。よく分からないが、相当の使い手なのだろう。それだけの実力者ともなれば流派の歴史についてもかなりの知識がある。気づけば、沖野による蘊蓄披露が始まってしまっていた。


「橿原鬼神流の起源は文安2年、室町時代中期にまで遡る。大和国の守護大名に仕えたさざくになおが、混迷を極める乱世にあって主家を守るべく独自に鍛錬を重ね、橿原の社に籠って悟りを開いた末に……」


「あー、もういいよ! そっから先は」


「んだよ、ちゃんと聞きやがれ!」


「悪いけど歴史にはこれっぽっちも興味が無いんだ。あんたの使う橿原鬼神流ってのが強いのは分かった。それで良いだろ」


 途中で講釈を強制終了させた俺に、沖野は舌打ちをする。だったら何のために秘技を披露してやったんだと彼は文句をこぼしたが、それ以上聞き続ければ確実に眠くなってしまう。歴史だとか昔話だとかが苦手なのは、小学生の頃より相変わらず。どうにもむず痒くなる。


「ったく! これだから最近のガキは困るぜ! 『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』って言葉を知らねぇのかよ! 何事も歴史の根本まで辿ってみねぇと本質は見えてこねぇってのに」


「ああ。分かってる。んで、その火はどうすんだ? さっきから物凄い勢いで燃えてっけど。消せるのか?」


「んなこたぁ、どうだって良いんだよ」


 沖野の持つ白鞘刀の刃は炎を纏い続けている。まだ片手で制御できるレベルではあるものの、このままでは天井に燃え移ってしまいかねない。沖野自身も流石にまずいと感じたのか、彼は足早に風呂場へと駆けて行き、シャワーの流水をかけて刃の炎を消した。


「……ふう。危なかったぜ」


「それ、やる必要あったのか? そのエレクトリカル・シャインとかいう酒の度数が高いって説明にしちゃあ、かなりオーバーだったと思うが」


「うるせえなあ。黙って見てりゃあ良いんだよ。あまりに強い酒は油の代わりになるって話をテメェみたいな馬鹿なガキが理解するには、実際にやって見せるのが手っ取り早いだろ」


「いや、そもそも今は油なんざ必要無いだろ。富田に飲ませるのに強い酒が必要って話をしてたのであって」


 俺が冷静かつ的確なツッコミを浴びせると、沖野はそれ以上何も言わなくなった。重要な点にようやく気付いたような、ハッとさせられた顔が滑稽だった。


「……」


 もしかすると、沖野は自らの剣術の技を俺に見せびらかしたかっただけなのかもしれない。刀が炎を纏うなどという奇天烈かつ衝撃的な光景を誇示することで俺を畏怖させ、震え上がらせる意図もあったのだろう。そもそも俺を「生意気な小僧」と快く思っていない沖野のこと。きっとそうに決まっている。


(けど、俺はビビらなかった……)


 まったくもって浅ましい男だ。されども、剣術について語る時の奴の表情はどこか楽し気で、純粋無垢な子供のごとく明るかった。もしかすると単に剣技を自慢したかっただけの可能性も少なからず考えられるが、俺にとっては取るに足らないこと。如何にして富田に口を割らせるか、それを考えねば。


「で、どうやって情報を吐かせる気だ? 麻木ィ。大原の娘が何処にいるかなんざ、機密中の機密情報だろ。そう簡単に吐くとは思えねぇぞ?」


「とりあえず脅しをかけてみる。『名古屋にいる家入の身柄ガラは押さえた。無事に返して欲しければ大原恵里を引き渡せ』ってよ」


「なるほど。人質交換か。だが、どうやってそれを思い込ませるんだ? 俺たちが家入のジジイを拉致パクった証拠でもなきゃ、難しいんじゃねぇか?」


「はっきりとした証拠は無いが、そう思い込んでもおかしくない状況は揃ってる。つくづく運が良いことにな」


 どういう意味だと首を傾げる沖野に、俺は言った。


「今、伊東一家の連中が豊橋にカチコミをかけてきてる。その別動隊が名古屋の方に行っててもおかしくねぇだろ。総長の娘を攫った家入に落とし前をつけるために」


「そういやあ、確かにそうだったな。伊東一家は家入組に抗争を仕掛けてる。抗争なら名古屋にいる家入が狙われるかもしれない。いや、きっと狙われる」


「ああ。組に兵隊に守られてる豊橋と違って、名古屋では敬語が手薄だ。一人になる機会も多いだろ。移動中なんかを襲われる可能性は十分にある」


 名古屋は煌王会のお膝元だ。しかし、娘のことになるとなりふり構わなくなる大原征信の性格を考えれば、その程度のリスクは何とも思わぬはず。たとえ煌王会本家と事を構える展開になろうと、娘を救い出すためならば堂々やってのけるだろう。


 大原総長が手勢を率いて名古屋へ乗り込み、家入を襲撃、身柄を押さえて拘束した――。


 そう富田に思い込ませることは可能だ。何故なら、彼は家入行雄の側近として何度も大原と向き合いし、日本橋の任侠人の人物像をよく存じているはずだから。


 家入組長が捕らわれたと思い込めば、組長の身の安全を何より重んじる富田は必ず動揺し、心に隙が生まれよう。そこに上手くつけこみ、大原恵里の監禁場所を吐くよう誘導する。


 それこそが俺の作戦だった。


 ただ、100パーセント完璧なプランではない。話を聞くうちに懸念点が見つかったのか、沖野は不安を呈する。


「いや、でもよ。村雨組の俺たちが大原の娘の誘拐を知ってるのは不自然じゃねぇか?」


「おう。だから、俺は今から三代目伊東一家の人間ってことにする。その設定テイで富田と喋るんだ。こいつは俺の顔も声も知らねぇから、何とかなるだろ。あんたはともかくだが」


「ああ、そっか。だとすりゃあ、俺がここにいるのはまずいのか。分かった。事が済むまで便所の中にでも隠れてるよ」


「頼むわ」


 三代目伊東一家による、豊橋侵攻の件を富田はおそらく知っている。ゆえに俺の素性を伊東の構成員ということにすれば、富田は自分が抗争相手に囚われたと思うだろう。


 うまく富田を誘導できるか、不安だった。しかし、ここまで来たらやるしか無い。大原恵里の監禁場所を吐かせられずとも、家入に関する何かしらの機密情報を掴めれば良いのだ。奴の弱みを握れば、今後の村雨組の抗争が大きく有利になる。すべては、村雨組長のため。俺は決意を固めた。


(よし。やってやるよ……!)


 息を大きく吸い込み、気合いを入れる。まずは沖野から受け取ったエレクトリカル・シャインの瓶の蓋を開けた。強烈なウォッカの臭いが鼻をつく。


「ううっ……! やべぇな……!」


「気をつけろよ。人によっては臭いだけで酔っ払っちまう。ガキの鼻なら尚更だ。劇物の一種だと思った方が良いぞ」


 使い勝手には少々難があるが、こいつを飲ませれば自白剤の代わりとなる。早速、富田の口に流し込んでやろう。そのためにも、まずは捕虜を椅子に拘束しなくては。


 頭の中で段取りを整理し、実行に取りかかるべく富田の方を振り向いた俺。だが、ちょうど回れ右をし終えた瞬間、忽ち言葉を失ってしまった。


 思いもよらぬ光景が、そこには広がっていた。


(えっ……何で……!?)


 何ということだろうか。富田が起きていたのだ。気を失って床に寝転がっているはずの男が、どういうわけか目を開けている。上体を起こし、俺たちの方をジロリと睨み付けているではないか。


「なっ、気絶したはずじゃ……?」


 その様子を悟った沖野も俺と同様、ひどく驚愕に包まれている。そんな俺たちを嘲笑うかのように、囚われの若頭は高らかに言い放った。


「ずいぶん舐めた真似をしてくれましたねぇ。煌王会直系団体の最高幹部である私をこんな目に遭わせるなんて、愚かなものです。あなた方の話は全て聞かせていただきました。申し訳ありませんが、私はあなた方の思う通りにはなりませんよ」


 呆然とする俺をよそに、視線を沖野の方に移すと冨田はさらに続ける。


「お久しぶりですねぇ、沖野さん。これは一体、何の真似ですか? 村雨組は我々家入組に弓を引くのですか? だとしたら、正気とは思えませんよ。まったく」


「ううっ……!」


「私を捕らえて拷問して、あれこれ情報を吐かせようとしたんですよね。無駄な話です。私が打たれ強いことは、あなただってご存じでしょうに。馬鹿ですねぇ。あなたは」


「……」


 まさか、捕虜が失神状態から回復しているとは思わなかった。完全に想定外だ。先ほど沖野と取るに足らない話をしている間に、目覚めてしまっていたらしい。確認を怠った俺の失態だ。いや、確認する以前に、最初に奴を椅子に縛り付けて拘束しておくべきだった。


(これはやっちまったぜ……)


 そう思って俺は頭を抱えた。すると、冨田は今度は俺の方に視線を移し、ニヤリと笑いながら言葉を投げてきた。


「麻木さん、でしたっけ。この私を捕らえて拷問して吐かせようとは、あなたの思い付きだったんですか。猿知恵というか短絡的というか。バカの考えそうなことではありますが、つくづくみっともない」


「なっ、何で、俺の名前を……!?」


「言ったでしょう。あなた方の会話はすべて聞かせてもらったと。この私の記憶力を侮らないことですね。あなたとはさきおとに電話でお話したばかりです。その聞くからに間抜けそうな声を聞いて、すぐに気づきましたよ」


 俺の名前を知っていただけでなく、4日前に電話を通じて会話したことまでも覚えていたとは。完全にしてやられた。もし予定通り富田に尋問を行っていれば、沖野を便所に隠れさせたとて、俺が声を発した時点で素性を悟られてしまっていたのだ。


 またしても、その辺の確認に思慮が及ばなかった俺の戦略ミスだ。得意気に笑う捕虜の前で、俺は呆気に取られてしまう。


「……」


「おやおや。動揺しておられるようですねぇ。いい気味です。あなたたちごときが私を手玉に取ろうだなんて100年早い!」


 さて、これからどうするか。最早先ほどまでのプランは通用しない。おまけに富田が目覚めてしまった以上、奴を拘束するところから始めなくてはなるまい。情報を引き出す以前に、如何にして押さえつければ良いものか。


 俺は思案に暮れた。だが、例によって妙案は浮かばない。この状況を上手く打開して本懐を遂げるための策が、どうにも出てこないのだ。無い知恵を絞るも、やっぱり限界がある。


(しぶとそうだけど、拷問するしかねぇのか……?)


 そんな俺に、富田は言った。


「あなた方の意図は分かっています。中川会直参、三代目伊東一家総長の娘の身柄を我々が何処へ監禁しているのか、それを私から聞き出そうというのでしょう?」


「……ああ。素直に教えてくれると助かるぜ。それならこっちもあんたをボコボコに殴らなくて済むからよ」


「殴るだなんて、馬鹿馬鹿しい。その程度で口を割るほど私は軟弱者じゃありませんよ。足を潰されようが、指を折られようが、私はあなた方には屈しない。これまでも、そしてこれからも。殴れるものなら、どうぞやってみなさい」


「そうかよ。大した度胸だ」


 俺は富田を無言で睨みつける。奴の視線は一寸も揺らいでいない。これは覚悟を決めた男の目だ。経験上、俺はよく知っている。この手の男はどんなに徹底的に痛めつけられようと、決して己の信念を曲げないということを。


 なお、富田は未だ拘束されていない。そのため拷問に取り掛かるためには、まずは奴を組み伏せなくてはならない。


 よく見ると、富田は体つきが良い。ぱっと見た限りでは肥満体に見える容貌も、おそらくは服の内側に筋骨隆々とした肉体が隠れているのかもしれない。だとしたら、富田は意外と強いのだろう。しぶといどころの話ではなく、格闘戦でそれなりに応戦してくる可能性もある。


(まあ、どんな奴が相手でも俺ならぶっ倒せる……!)


 殴り合いなら殴り合いになっても構わないとするこちらの考えは、見透かされていたのか。富田は先制するかの如く、俺に煽り文句をぶつけてきた。


「一応、言っておきますけど。私は空手の六段を持っていましてね。こう見えてもパンチには自信があるのですよ。おそらく、あなたごときでは相手にならないでしょうね。やるだけ無駄です。止めておきなさい」


「勝負ってのはやってみなけりゃ分かんねぇもんだろ。ちょっと前に、俺は柔道の段を持ってる奴を素手で殺したことがある。テメェも同じだぜ。泣きを見るのはそちらさんの方だ。笑わせんな」


「柔道と空手は違うでしょう。柔道の技は実戦には殆ど効きませんが、空手には一撃必殺の力がある。そんなに言うなら試してみますか? ほんと、お馬鹿な人ですよ。あなたは……」


 望むところだと身構えた俺。傍らにいた沖野も、すかさず刀の柄に手をかける。


「……」


 しかし、暫くの沈黙の後、空手の基本動作らしき構えをとる富田の口から飛び出したのは、あまりにも意外な台詞だった。


「……まあ、私たちとしても処理には困っているんですよ。大原恵里。殺そうにも殺せない。半ば、押し付けられたようなものですからね」


「はあ? どういうことだ? 押し付けられただなんて、何を寝言ほざいてやがる。大原の娘はテメェらが誘拐したんだろうが」


「ええ。誘拐したのは事実です。ただ、結論を申しますと、大原恵里は豊橋には居ません。身柄を預かっておくのが面倒なので、引き取ってもらったんですよ」


 豊橋に居ないとは。おまけに、引き取ってもらったとは。目の前の男は、先ほどから何を言っているのだろう。連続して繰り出された意味深な言い回しに、俺は思わず首を傾げる。


「豊橋に居ない? じゃあ、どこに居るってんだ? この期に及んで出鱈目を言おうったって無駄だぜ。いちおう、参考までに聞いといてやるけど」


とうだいもとくらし、ってやつですよ」


「ああ? どこだって?」


「横浜です。大原恵里が居るのは、あなた方のシマのど真ん中。探せば意外と早く見つかるんじゃないですかねぇ。まだ彼女が生きていれば、の話ですけど」


 大原恵里は横浜に居る――。


 俺には、わけが分からなかった。

大原総長の娘の監禁場所は、なんと横浜……!? しかし、家入には絶対忠実なはずの富田は何故に易々と情報を明かしたのか? 彼の思惑とは……?


次回、誘拐事件の真相が語られる。

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