表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第2章 ふたりの異端者
13/252

与えられた“仕事”

本日より第2章開始です。


 村雨は店主を呼びつけた。


「おい。紙と筆はあるか?」


「申し訳ございません。あいにく、こには……」


「ならば買って参れ。筆に関してはペンでも構わぬ」


 ふと時計を見やると、時刻は23時を過ぎている。勿論、こんな時間に空いている文房具店などは無く、筆を売っているとすればコンビニくらい。にもかかわらず「買って参れ」と命令できるところに、村雨耀介という男の強かさを感じた。


 そして1分ほどで戻ってきた店主から手渡された和紙に、筆ペンで何やら書き始める。さらさらと筆記音を鳴らした後、村雨は俺に問うた。


「お前、名は何という?」


 そういえば、まだ名前を聞かれていなかった。中華屋にやって来てから既に30分が経っていたが、よくよく考えてみれば奇妙な話である。


「……麻木」


「下の名は?」


「涼平」


「字は何と書く?」


 答えた瞬間、反射のごとく次の質問が飛んでくるので考える暇が無い。漢字はあまり達者ではない俺だったが、自分の名前くらいは説明できる。


「ええっと……麻薬の『麻』に『木』という字。それから清涼感の『涼』、平和の『平』って字だけど」


「そうか。なかなか、良い名だな」


 かなり乱雑な説明であったが、どうにか伝わったようだ。しかしホッとする間もなく、村雨は俺に1枚の書きつけを寄越してくる。


「では、涼平。明日から、私の家に来い。その際、この紙を必ず持って来るように。住所も書いてある。舎弟頭の芹沢にこれを見せよ。分かったな?」


「しゃ、しゃてい……?」


「来れば分かる。では、私はこれにて引き揚げるとしよう。勘定は組の方で持たせるゆえ、今宵は好きなだけ食っていくが良い」


 聞き慣れない単語に首を傾げた俺を置き去りに、村雨は店を出て行ってしまった。つい先ほど山盛りのチャーハンを食べさせられたばかりなので、何かを追加で頼むなどという気分ではない。


 それよりも、渡された紙切れの方が気になった。曰く、


 -------------------------------------------------------


 ・麻木涼平という者を新たに、部屋住みとして面倒を見る。


 ・歳のわりには体つきが良く、腕力も申し分ない。


 ・小部屋が開いているから、そこに住まわせるように。


 ・ゆくゆくは盃を与えたいので、修行を積ませる。


 -------------------------------------------------------


 とのことだった。


 毛筆で書かれた文字は上品で迷いがなく、美しく整っている。噂に聞く残虐性、初めて相対した時の気迫ともそぐわない。文面から感じられる威力に、俺は若干鳥肌が立った。


 翌日。


 ひと月ほど滞在したホテルに別れを告げた後、俺は荷物を詰め込んだボストンバッグを片手に村雨組の事務所へと向かう。渡された紙にあった「中区山手町134」の記載を頼りにバスを降りておよそ数分歩いたところで、目的の場所が見えてくる。


「ここか……」


 そこは“事務所”というよりも、“屋敷”に近かった。


 中世ヨーロッパの城郭を思わせる、独特のレンガ造りの2階建て。周囲を塀でぐるりと囲まれており、中でも正門の大きさが目立っている。門の上部中央には、でかでかと「村雨」の2文字。


(まさに親分の家って感じだな……)


 邸宅の壮観さに圧倒されていた俺。しばらくボーっと眺めていると、門番らしき男に声をかけてくる。


「何だ。テメェは。さっきからジロジロ見やがって」


「村雨の組長さんに呼ばれて来た」


「は?」


 黒のスーツに身を包んだその男は、少し小柄だった。おそらく、村雨組の組員だろう。身分はさほど高くないと見た。


 こちらをジッと訝し気に睨みつけてくる。


「組長が、ガキに一体何の用があるってんだ? だいたいお前、何だよ。その格好は。頭おかしいんじゃねぇのか?」


 言ってくれるじゃないか。


 その時の俺の装いがジーパンと白のロンティー、それから地味なスニーカーという、豪邸に釣り合わぬカジュアルな組み合わせだったことは認める。だが、その嘲笑の色が混じった表情はひどく癇に障った。


「……いいから、早く取り次いでくれや」


「駄目だ。怪しい奴を通すわけにはいかねぇ」


「俺が来ることになっているはずだが?」


「知らねぇなぁ。ほれ、さっさと帰れ! 大人しく回れ右すんなら見逃してやるよ」


 駄目だ。話が通じない。俺を通すまいと頑なに譲らぬ門番と、何が何でも通ってやろうとする俺。しばらくの間、押し問答が続く。だが、冷静にディスカッションを行えないのは俺の悪い癖である。


 気づいた時には、手も出てしまっていた。


 ――ドガッ!!


「うっ!?」


 門番の左頬に、俺の右の拳が飛ぶ。


「て、てめぇ! 何しやがる!!」


 通りたくても通れない現状に、俺の苛立ちはピークに達していた。怒りが沸点を超えてしまうと、瞬間湯沸かし器的に手が出てしまう。この困った傾向は、ガキの頃から一向に直らない。


 でも、やるしかない――。


 俺はそのまま、相手の胸倉を掴んだ。こちらの身長が勝っていたためか、向こうの身体が容易く持ち上がる。


「おい……お前こそ、さっさと失せろってんだよ」


「放せっ! た、ただじゃ済まなくなるぞ!」


「ただじゃ済まない? 上等だよ、この野郎」


 すると、門番は上擦った声で言い放った。


「て、てめぇ、俺が村雨の人間って分かっててやってんのか!?」


 要は自分は村雨組の組員であり、自分に狼藉をはたらけば後々、組からの報復が待っていると言いたかったのだろう。


 だが、怯むわけにはいかない。


「それで? だから何だってんだよ。相手が誰だろうが、俺は目の前にいるムカつく野郎をぶっ殺すだけだ。容赦はしねぇ」


「なっ!?」


「だいたい、お前は何なんだよ。自分から喧嘩を吹っ掛けといて、いざ不利になったら組の名前を出してビビらせる? フッ。ダサすぎて、見てるこっちが恥ずかしいぜ。お前はどうしようもねぇヘタレだな!」


「いっ、言わせておけば!!」


 すると、門番は俺に掴み上げられたまま、ジャケットの胸ポケットをまさぐった。彼が取り出そうとした物の正体を何となく察した俺は、即座に掴んでいた手を離す。


(まさか、コイツ……)


 その時、門の内側から声がした。


「おい! 何をやっている!!」


 野太い声と共に現れたのは、強面の男だった。


「騒がしいと思って来てみれば……おい、これは一体どういうことだ?」


 門番は、小競り合いで外れてしまったジャケットのボタンを直しながら、俺を顎で指して報告する。


「こっ、こいつが門の前でウロチョロしてやがったんで、声をかけたらいきなり、殴ってきやがったんです!!」


 強面の男が、今度はこちらを向いた。


 さながら昭和の任侠映画から飛び出してきた角刈りの短い黒髪で、眼光は非常に鋭い。さらには、目元から鼻筋にかけて横一文字の傷跡が走っている。村雨とは少しタイプの異なる威厳と覇気を備えていた。


 彼は、こちらに質問を投げてくる。


「……誰だ? お前は」


「麻木涼平。今日、ここに来ることになっているんだが」


 一瞬、上を向いて何かを思い出す仕草をした男だったが、すぐに元の表情に戻った。


「ん? アサギ? あ、ああ。お前か! お前が例のヤツか!」


 険しい顔つきから一転、柔和な笑みを浮かべた彼は、ややかしこまった口調で俺に右手を差し出す。


「初めましてだな。俺は、この村雨組で舎弟頭をやらせてもらってる、芹沢せりざわあきらってモンだ」


「あんたが、例の舎弟ナンチャラか。そういやあ昨日、これを預かった」


 そう言って、俺は村雨から預かった書きつけを手渡す。芹沢はゆっくりと視線を落としていく。


「ほう。新しい部屋住みか。聞いてた話と違うな。でも、これって……」


「なんだよ」


「いやいや。こっちの話だ。お前が知る必要は無い。とにかく、ついて来い」


 途中で濁された言葉の真意がひどく気になったが、とりあえず俺は芹沢に言われるがまま、ついて行くことにした。


「おう」


 その途中、うずくまった門番の男の肩を芹沢が「次からは喧嘩を売る相手を選べ」とポンと叩く姿が目に付いた。


「わ、わかりました。気を付けます……」


 窘めの言葉に、すっかり縮こまった門番。俺は、芹沢が組の中で相当の力を持つポストに就いている事を何となく、察した。


 そんな彼と共に屋敷に入り、玄関から続く長い廊下を歩き始める。前を歩く芹沢の背中は大きく、グレーの背広が似合っていた。


「麻木とか言ったな。お前はどうして、自分がここに呼ばれたか分かるか?」


「さあな。分かんねぇ」


「そうか。まあ、あの人の考える事は大抵、分からんが……さしずめ、お前の度胸が気に入ったんだろうなぁ。うちの若衆相手にあそこまで啖呵を切れる少年ガキも珍しい」


 首を傾げていた。しかし、経緯を知らない彼からすると、単なる街の不良が組長の目に留まる理由としては最も妥当なのだろう。やがて芹沢は立ち止まると、淡々とした口調で話を続けた。


「ちょっと厳しい言い方にはなるがな、身の振り方はよく考えて行動しろ。早いうちに追い出される可能性もあれば、ちゃんと盃を貰える可能性もあるんだから。その辺りも肝に銘じて、しっかりと働くように。分かったな?」


「ご忠告、どうも」


 しばらく芹沢は険しい表情を崩さなかったが、軽く返事をした俺の方を向き直ると、わずかに微笑みを向けた。


「よし! んじゃ早速、お前の部屋に案内してやる。今日からそこで暮らすことになるんだ。今後は1人で不安かもしれねぇが、仕事で何か気になる事があったら、いつでも話してくれ。俺のことを頼ってくれる以上は、味方になってやるから」


「はいはい。分かったよ」


 やがて案内されたのは、六畳半ほどの小さな部屋だった。大きなシングルベッドが置いてあって、他には机と椅子がワンセットだけ。


 もちろん、あまり広くはない。


「ここで待ってろ」


 そう言うと、芹沢は行ってしまった。


 ひとり残された俺はバッグを机の上に置くと、光が差し込む窓の方に歩み寄る。中庭の景色が目に飛び込んできた。


 ほど良く刈られた深い緑色の芝生に、石の燈籠が絶妙な間隔を保って点在している。中でも、庭の中央にどっしりと構えられた桜の木は壮観で、その耽美な佇まいに俺は思わず、感嘆の声を漏らしてしまった。


「すげぇ……」


 その時、音がした。


 ――コンコン


 どうやら、部屋の扉が叩かれたらしい。


「はい!」


 慌てて返事をして扉の方を向き直ると、40代後半くらいの中年女性が、車椅子を押して入ってきた。座っているのは、若い女。


 大きな瞳に、少し厚めの唇。背中あたりまで伸びた黒髪には、ウェーブが掛かっている。着ている白のブラウスにはフリルが付いていて、清楚で気高い雰囲気を漂わせていた。


(綺麗な女だな……)


 素直に、そう思った。


 しかし、リボン付きのブラウスの両袖から覗く腕は明らかに細く、顔もどこかやつれて見える。頬の肉付きが好きないせいか、お世辞にも健康的とはいえなかった。


 そんな彼女に視線を奪われていると、後ろの中年女が俺に口を開く。


「麻木涼平君ですか?」


「ああ、そうだけど」


 女はキリッとした目でこちらを見ると、甲高い声で言った。


「初めまして。私は、この家で給仕長を務めている秋元あきもとと申します。あなたには今日から、お嬢様の小姓こしょうとなって頂きます」


「コ、コショウだって?」


 戸惑った。


 またしても聞き慣れぬ単語だ。それが調味料の“コショウ”を意味していないことは直ぐに分かったが、俺がそれまでの人生において構築した語彙の全てにも当てはまらない。どうやら単に村雨組の組員になる、というわけではなさそうだ。


 だが、呆然とする俺の心中には全くお構いなしといった様子で、秋元と名乗る女は更に言葉を浴びせてくる。


「小姓……要は、雑用係ですね。あなたにはこれから、お嬢様の日常のお世話を私と共にこなしてもらいます。常にお嬢様の事を考え、すべての行動に責任を持つこと。いいですね?」


「おいおい、ちょっと待てよ。俺は……」


「断ったら殺します!!」


 困惑気味に苦笑する俺を制するように、秋元の怒鳴り声が部屋に響く。


「……ッ!?」


 その耳をつんざくような太い声には、十分すぎるほどの迫力があった。その様子で「殺す」と言われたら、流石の俺でも萎縮するほか無かった。


 数秒の沈黙を挟んだ後、秋元は軽く咳払いして話を再開する。


「失礼しました。正確に言えば、殺すのは私ではなく御父上の村雨組長です。これは組長がお決めになった事ですから」


「……わかったよ」


 流れるような脅迫を受け、俺は渋々承諾した。承諾するしか選択肢が与えられなかった、と言えば適切だろうか。


 自分はこれから、目の前にいる女性の“使つかい”となる――。


 実感が湧かない。今まで誰かの身の回りの世話をした経験など、皆無に近かった。それどころか、俗にいう「おてつだい」をした経験さえも殆ど有りはしない。強いて言うならば、小学生の頃に妹の靴ひもを結んでやったことくらい。


(何をすれば良いんだよ……)


 ぽかんとしている俺を尻目に、令嬢が秋元に言った。


「少し、外してくれないかしら」


「えっ? ですが……」


「いいから。これは命令」


「……承知しました」


 言われた通り、秋元は部屋を出て行く。その際、俺をキッと睨んで「下手な事をしたら、殺しますよ!」と釘を刺すのを彼女は忘れなかった。己が仕える主人が、来たばかりで何の信用も無い男と2人きりになるのだ。


 当然といえば、当然であろう。しかし、あまり良い気はしなかった。


「ったく。何もしねぇってのに」


 秋元が部屋を出た後、室内は嫌な沈黙に包まれる。


「……」


 当時の俺は、女と2人きりという空間が苦手だった。それまでの人生において色恋沙汰と全く縁が無かったのもあるが、異性と面と向き合うと何処どことなく“気まずさ”を覚えてしまうのだ。


 緊張を振り払わんがごとく、俺は咄嗟に話を切り出す。


「なあ、お前。名前は何て言うんだ?」


「先に自己紹介すべきはあなたの方よ」


「さっき聞いただろ……まあいいか、俺は麻木涼平。お前は?」


「よろしい。私は村雨むらさめ絢華あやか。今年で16歳になるわ」


 少し驚いた。想像していた答えよりも、ずっと若かったのだ。


「おっ! 俺と同じじゃねぇか。もうすぐ、俺も16になるんだ」


「あら。そう」


「お前、あの怖い親分さんの娘なの?」


 そうくと、絢華と名乗る少女は突き刺すような眼差しジッと俺を見ている。いや、やっぱり苦手だ。女性に見つめられるというのはどうしても。失笑で誤魔化すしかなかった。


「……おいおい。恥ずかしいじゃねぇか」


「御想像の通り、娘よ。そんなことはどうでもいいわ。それよりもあなた、新しい部屋住みだそうね?」


「そうだな。まあ、さっきのおばちゃんは小姓とか言ってたけど。具体的に何をすりゃあ良いのやら」


「なるほど。お金目当てね?」


 思わず聞き返してしまう。


「ん」


 すると、絢華は見下すように冷たい笑みを浮かべてきた。


「あなた、どうせ昨日まで桜木町あたりで暴れてたんでしょう? それでお父様に声をかけられて村雨組うちにやって来たと。お金さえもらえれば、何だってやる。ヤクザ者の行動原理なんて所詮はそんなものよ。私への真心は1ミリも無いくせに。どう? 違う? 下品なチンピラさん!」


 言葉を失った。


 村雨が俺に云った「組で働け」の真意とは、こんな娘の世話をすることだったのか――。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ