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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第7章 そして少年は極道になった
127/252

血統ゆえの決闘

 すぐさま、俺は身を反転させた。右から左へ次々と飛んでくる刃を動体視力に頼ってかわした後、即座に後方へ距離を取る。


「ふうっ!!」


 各々に刃物を携えた黒服の男たちを前に、俺が正面から向き合う格好となった。


 突然の攻撃ということもあって対応が遅れたが、こういう時の俺は切り替えが早い。すぐに思考が追い付いてくる。己の遭遇している状況については、すぐに理解できた。どうやら俺は奇襲を受けたようだ。


 闇夜に紛れていて分かりにくいが、敵はそれなりにいる。対するこちらは1人きり。不利な形勢であることは言うまでもない。ただ、それはあくまで数の上での話。


 俺の実力をもってすれば、集団相手の喧嘩だろうと何てことない。少々、手間はかかってしまうだろうが。


(はあ、早くコンビニへ行きてぇのに……)


 そう軽くため息をついた瞬間。男たちは再び襲いかかってきた。得物の鉈を構えて怒涛の速さで距離を詰め、俺の目前まで達した所で一気に振り下ろす。


 このまま突っ立っていたのでは、頭から真っ二つにされるだけ。されど今更回避も間に合わなかったので、俺は止む無く男の腹部に蹴りを入れ、攻撃を未然に終わらせる。


 しかし、その間に背中が不注意だった。すかさず後方へまわり込んだ他の敵が、鉈で力強い横薙ぎを放つ。


(こりゃあ、速い……!)


 今度は反射神経と勘に頼って見事に避けてみせたが、代償に頭頂部の髪が何本か切れた。返す刀で飛んでくる斬撃をバックステップでいなした後、俺は再び男たちから距離を取って逃げる。単騎で集団を相手にする喧嘩も不得手ではないが、取り囲まれない方が良いに決まっている。敵方が全員武器を持っていているのに対し、こちらが丸腰となれば尚更だ。


 たまたま近くにあった空き地まで逃げ込むと、男たちも後を追ってついてきた。その中の1人が、嘲笑うかのように言い放つ。


「無様なものだな! 麻木涼平! 敵に背中を向け、おめおめと逃げ出すとは! どこへ逃げようとも所詮は同じこと。俺たちは地の果てまでお前を追いかけて、殺す。せいぜい己の墓場となる場所が変わっただけのことだ!!」


 元よりこちらに逃げ延びるつもりなどない。ただ単に狭い路上では迎え撃つのが難しいと判断しただけのこと。心外な指摘に少し腹が立ったが、ここは言わせておいてやろう。暗さに目が慣れてきたので、俺は冷静に敵を観察する。


 よく見ると皆、似たような装いをしていた。黒いジャンパーに黒いズボン、頭部はフードを深々と被って顔を覆面で隠している。俗に“目出し帽”と呼ばれるタイプではなく、正真正銘の“お面”。独特な色彩で描かれた紋様が薄気味悪かった。何故にそのような面を被っているのかは分からないが、はっきりとしている事実がひとつだけある。


 それは連中に自らの素性を隠す必要性があるということ。おそらくは誰かに命じられて来たものと思われるが、公には明かせぬ秘密作戦だろう。雰囲気からして抗争における鉄砲玉ではないらしい。鉄砲玉であれば、己の手柄とするために顔を隠したりはせず敢えて堂々と名を名乗るものだ。


(秘密で俺を殺しに来たってことか……?)


 現状、俺は村雨組の正式な組員ではない。立場的にはカタギも同然。それゆえ大っぴらには鉄砲玉を差し向けられず、こうした隠密下で暗殺部隊を送り込むしかなかったというわけか。ただ、そこまでして俺を狙う理由に見当がつかない。格も身分も無い15歳の少年の首に、一体何の価値があるというのか。甚だ疑問だ。


 まともに答えてもらえるとは思えないが、いちおう尋ねてみる。


「……てめぇら、何者だ? どこの組の人間だ? 誰の差し金で俺を襲った? 鉄砲玉って面構えでもねぇよな?」


 すると、返ってきたのは高笑いの声だった。


「あはははっ! 気づかないのか! さっき特別にヒントを出してやったというのに! 俺たちがヤクザだと? ふふっ、そんなわけないだろう! これだから、時代遅れの人間は困る!」


「おい。真面目に答えやがれ。さもねぇと血を見ることになるぜ。ヤクザじゃねぇなら何なんだよ。ヒントってのも意味が分からねぇが」


「ははは! そうか! まあ、いい。どうせお前はここで死ぬことになるんだ。親の罪は子の業。全てはお前の親、麻木光寿のしたことだ! 覚悟はいいか? 麻木涼平!」


 中央に立った男が指図するわけでもなく、他の者たちは一斉に散らばって俺の周囲を取り囲む。全員、闘志を昂らせて戦闘態勢。覆面で顔が見えずとも迫力が伝わってきた。ここで俺を嬲り殺しにしようというのか。


 こちらが身構えると、男は言った。


「おい。遺言があるなら聞いてやるぞ。今、ここで亡き父親の非を詫びて膝をつくというなら、少しは穏やかな殺し方をしてやってもいい! さあ、どうする!」


「別に。来るなら来いよ。父さんと何があったのかは知らんが、俺とは関係ねぇ。俺は俺、父さんは父さんだ」


「そうか! そんなに惨い死に方をしたいのか! ならば、その願いを叶えてやる! おい、お前ら! 思う存分、こいつを血祭りに上げてやれ!!」


 男の言葉で、周囲の兵が一気に沸き立つ。そして息をつく暇もなく、怒声を上げて襲いかかってきた。


「うおおおおーっ!」


 勿論、この程度でやられるわけがない。刀身を水平に構えて迫り来る男たちに対し、俺は素早く体勢を低くして刃を避ける。


 そして瞬時に右脚を伸ばして地面に沿わせ、付いた右手を軸に踵で左回りの弧を描いた。


 俗に云う、あしばらい。


 技としてはいささか古めかしい部類に入るが、四方を取り囲んだ敵の一斉突撃に対処するにはこれしかなかった。事実、効果は思いのほか覿面。俺の蹴りでふくらはぎに予期せぬ打撃を食らった男たちは、次々とその場に尻餅をついてゆく。


「うわっ!」


 俺を囲んだ連中は全員が転倒した。その隙をまんまと見逃す俺ではない。倒れた人間には、大なり小なり動作の空白が生じる。一瞬の怯みであろうと、こちらにとっては好都合である。


「そのまま寝とけっ」


「ぶはあっ!?」


 ちょうど目の前にいた1人の顔面を思いっきり蹴り上げ、先ずは顎を砕く。次に衝撃で右手からこぼれ落ちた武器を拾い上げ、その男の喉元に逆手で突きつけた。


「こいつは貰っとくぜ」


「なあっ!? 何だと!?」


「悪いけど、死んでくれ。俺もあんたらに恨みは無いんだがよ。仕方ねぇんだわ。じゃあな」


「やっ、やめ……ああああああああ!!」


 ――グシャッ。


 一瞬で武器を奪われた事実に愕然とする男。だが、所詮は雑魚以下。命乞いをする寸暇も与えず、俺は奴の喉笛を押し当てた刃で深く切り裂いてその命を絶った。


(ふう……)


 途端、手の甲を生温かい感覚が伝う。おそらくは噴き上がった鮮血に汚れたのだろう。生憎にも暗くて分からないが、確かにべっとりと濡れていた。宵闇で手元が見えないことが残念でならない。


 もしも仮に敵の血が見えていたら、きっと歯止めが効かなくなったことと思う。戦闘のアドレナリンによって誘発される、一種のトランス状態は。


「……」


 幸か不幸か。激しい快感で脳細胞が軽い麻痺を起こしつつも、思考回路は辛うじて冷静さを保っていた。


 されども、この状況が俺にとっては至極悦楽である事実に変わりは無い。やがてよろよろと立ち上がる他の者どもを一瞥し、口元にはにんまりとした薄気味悪い笑みが浮かんでいたと思う。


 闇夜の不意打ちという想定外の事態に始まった急展開ではあるが、せっかくの機会だ。存分に楽しんでやろうではないか。


 謂わば、狩りの時間。俺は言い放った。


「おーい。ゴミカス野郎ども。お前らの仲間は死んじまったぜ? つくづく情けねぇ哀れな死に様だったな。ああ?」


「貴様……よくも……」


「何だ? 文句でもあるのか? だったら、かかってこいよ。その代わり、こっちも容赦なくらせてもらうぜ。すぐに仲間の所へ送ってやる。度胸があればの話だけどな」


「黙れぇぇぇぇぇぇぇーっ!!」


 挑発が効いたのか、男たちはまたもや飛びかかってくる。俺への怒りで冷静さを欠いている分、先ほどよりも回避がしやすい。


(動きが見えてんだよ。馬鹿野郎が)


 何ら難しいことはない。大きく振り上がった刃の斬撃を避け、カウンターをお見舞いするだけ。俺が奪い取った得物はなた。見た限り30センチ前後の刃渡りは少し中途半端にも思えるが、取り回しが容易いのでそれはそれで良い。


 まずは1人目。こちらを狙った渾身の一閃が振り下ろされる直前、俺は敵の胸部めがけて思いっきり刃を浴びせてやった。


 ――グシャァァァァッ。


 またもや飛び散る鮮血。敵の体の中心部分を横一文字に切り裂いた所為か、出血量が尋常ではない。声にならない声で断末魔を上げながら、男は膝からうつ伏せに崩れ落ちた。


 剣術において、上段の構えは相手に隙をつくりやすい。さほど間合いが開いていない状態で剣を頭上に掲げようものなら、がら空きとなった上半身を攻撃されるのは当然の至り。


 そんなことも分からずに突進を仕掛けてくるとは。もしや、この男。喧嘩はあまり得意ではなかったか。最早どうでもいいのだが。


「よくも同胞を! 舐めるなーっ、小僧ッ!」


「うるせぇなあ……」


 お次は2人目。0.2秒前に倒した男とは異なり、彼は刀身を横向きに構えていた。なるほど。この構え方であれば身体ががら空きにならなくて済むし、程よいタイミングで薙ぎ払いを繰り出せばそれなりの威力はある。たしかに賢い攻撃法だ。


 しかし、俺の敵ではない。向こうにしてみれば全力を込めて放った神速の横薙ぎだったのだろうが、避けてしまえば済む話。


「何!? 躱されただと!?」


「おらよ。これでもくらっとけ」


 上体を後方に反らして回避しきった俺の俊敏さに驚く間もなく、男は一瞬で絶命した。すっかりがら空きとなった彼の心臓あたりに、俺が鉈の刃先を強かに突き立てたのである。


 ――ドサッ


 胸部にプロテクターの類は装着していなかったらしい。鉈を引き抜くと、男はそのまま仰向けに倒れた。


 さらなる敵が迫り来るまでの僅かな余韻の中。俺の頭にあったのは、こんな瞬く間に勝負がついてしまう面白味の無い喧嘩に対する不満ではない。ましてや、命乞いをする暇も無くあの世行きとなった敵に捧げる哀悼の意でもない。


 先ほど聞こえた男の言葉に、どこか覚えがあったのだ。


(あれって……もしかして……!?)


 明らかに日本語とは一線を画している、破裂音を含んだ独特なイントネーション。語学にはまったくもって疎い俺でも、どこの国の言葉かは何となく察しが付く。


 敵の正体がにわかに分かった。もし俺の推察が当たっていれば、先ほどの連中の台詞も合点がいく。覆面で顔を隠している理由も、「麻木涼平個人には恨みが無い」にもかかわらず何故か俺を殺そうとする理由も然り。結論は瞬く間に導き出されていった。


(……なるほど。そういうことか)


 俺への敵意で冷静さを欠いてしまっている男たち。笛吹の時と同様、そういう敵を相手にするのはとても簡単だ。


「おらっ、どうした! もう終わりか? さっさと来いよ! このままじゃ赤ん坊と喧嘩してるみてぇだぜ? もっと本気で殺しに来やがれってんだよ!!」


 声に出せばたった数秒ほどの短い煽り文句で、男たちは一気に沸騰した。それからも激情に任せた突撃が何度も敢行されたが、俺は軽くいなしてやるだけ。3人目、4人目、5人目と一閃を浴びせ続け、その場に斬殺体の山を築き上げていった。


「この野郎! お前のせいで同志たちが!」


「悪いな。俺、馬鹿だから。日本語しか分かんねぇんだわ。そちらさんが何言ってるか、さっぱりだぜ」


「黙れ! 殺してやる!」


「だーかーら、日本語で喋れってんだよ!!」


 振り回される刃を避けて、避けて、隙を見つけて反撃を見舞い、一撃で仕留める。こんな単調な動作の繰り返しで、みるみるうちに敵が減ってゆく。


 途中、敵兵の1人に背後から羽交い絞めにされて挟み撃ちに遭いかけたりもしたが、俺には大して効果も無い。剛力をもって振り払い、2人まとめて命を刈り取ってやるだけだ。


 結局のところ、俺は以降10分ほどで全ての敵を片付けてしまった。


(ふう……)


 一方的な虐殺劇が終わり静まり返った山手町番地の路上にて、俺は軽く息をつく。ふと手元に目をやると、べったりと血で濡れている。月明かりに照らされた鉈の刃も、真っ赤に染まっている。当然といえば、当然だ。何せ俺はこの戦いにおいて、ざっと数える限り12人も斬ってしまったのだから。


 いくら徒党を組んだところで、雑魚は雑魚。数の利を活かした戦術も無ければ、味方同士の連携も取れていなかった。いずれも激情に駆られ平常どおりの思考を失ったことが要因だろう。尤も、連携を取ったところで俺には大したことないのだが。


 本音をいえばもっと骨のある喧嘩がしたかったが、集団による奇襲を退けられただけでも良しとすべきか。


 そんなことよりも、今は後事を考えなくてはならない。前の前に積み重なった亡骸の数々。これをどうやって処理するか、そちらの方がよほど重要だ。


 見たところ、全員が息をしていない。ゆえにどこかで燃やすなり埋めるなりすれば良いのだが、いかんせん12人もいるのだ。それではあまりに手間がかかり過ぎる。1人ずつ村雨邸へ一時運搬するにしても、重さと血痕の量を考慮すれば如何ほどの時を要するのか未知数だ。


 おまけにここは住宅街。いたずらに時間を費やせば費やすほど、人に目撃される危険性も比例して高くなる。幸いにも今は夜更けで、出歩く近隣住民の姿は無し。だが、俺と同じように夜間の急な買い物へ出かける者がいないとも限らない。巡回中の警察官と出くわそうものなら、もっと面倒な事になる。


 好き放題に暴れる快感で頭がいっぱいになるあまり、後先の始末を何ら考えていなかった自分が愚かしい。無い知恵を絞ってあれこれ考えたところで、今更思い浮かぶ案などたかが知れているではないか。


(うーん。どうすりゃいいんだ……)


 だが、そんな時。不意に背後から男の声がした。


「見事な腕前だな。麻木涼平。街でも指折りの精鋭を差し向けたつもりが、瞬く間に返り討ちにされてしまった。大したものだ」


 わざとらしい拍手と共に現れたその男は、例によって仮面を付けていた。口元が覆われているため声は若干こもり気味だが、内容は聞き取れた。察するに、こいつは先ほどの連中の頭目。服装も奴らとほぼ同じ上下黒ずくめ。


 ただ、ひとつ違うのは身長の高さ。パッと見た感じ2メートルは超えるのではないかといった雰囲気で、死体となって転がってる集団と比べてもずばぬけて巨漢だ。あれほどの体躯を誇る人間は、極道でも滅多にいないだろう。ゆっくりとこちらへ迫ってくる姿は月と街灯の光に照らされ、どこか不気味に見えた。


(デカい……! プロレスラーか何かか……?)


 突如として現れた大男。やがて俺と一対一サシで殴り合いの勝負ができるくらいに距離を詰めると、奴は静かに言った。


「流石、あの男の息子というだけのことはあるな。俗に“カエルの子はカエル”というが、お前の場合はまさに“ライオンの子はライオン”か。喧嘩上手の遺伝子、つまり獅子の血は受け継がれていると見た。麻木涼平」


「あの男……ああ、父さんのことか。どうして俺たちのことを知っていやがる? そもそも、てめぇは何者だ? さっきの雑魚どもの親玉と見たが」


「我々の素性を知る必要は無い。何故なら、もうすぐお前は死ぬのだから。さっきはまぐれで上手く戦えたようだが、俺が来たからにはそうはいかんぞ。ものの数秒で終わらせてやる」


 この男もまた、俺の首を獲りに来たらしい。瞳の色は覆面で隠されて分からないが、全身から殺意のオーラが溢れ出ていた。謂わば問答無用。殺害実行に際して前置きの会話を続けてくれるほど、生易しい奴ではなさそうだ。不意に舌打ちがこぼれる俺。


「ちっ、そうかよ……」


 新たな敵があらわれた事実にではない。こちらの質問に対し、きちんとした答えが返ってこなかった点にだ。


 強そうな奴と戦えるのは、むしろ好都合。後始末をどうするかといった問題は変わらず付きまとうが、それ以上に歯応えのある喧嘩を味わえることが俺にとっては大変喜ばしい。


 素性を隠し一貫して秘密を守り続けるのが“奴ら”の流儀なら、いっそこちらの方から答えを言ってやろう。身に覚えの無い“奴ら”の因縁で、今後延々と悩まされ続ける運命にある俺だ。それくらいのことをせねば気が済まない。相手がどう思うかなど、最早知ったことに非ず。


「……違ってたら、悪いんだけどさ。お前らが誰なのか、こちとら何となく予想は付いてんだわ」


 含みのある言葉を置いた後、俺は高らかに吐き捨てた。


「お前ら、ヒョンムルだろ。川崎にいた、韓国のマフィアの。もうとっくに分かってんだよ! 馬鹿野郎が!」


 しばらくの間、向こうの返事は無かった。


「……」


 勿論、表情をうかがい知ることはできない。けれども言葉が途絶するというのは、図星を突かれた証。経験上、こうした絵に描いたような沈黙をする奴は決して少なからぬ精神的動揺を得ているもの。中学時代、俺が校則と学年内ルールにおけるダブルスタンダードを指摘した際の担任教師の反応が、まさにそうだった。


 ここはあの時と同様、こちらが気づいた点を淡々と指摘してやるのが妥当。敵がセン公だろうと海外マフィアだろうと、することは基本的に同じ。向こうの虫の居所を悪くする煽り文句を散々言い立て、最後にとびきり痛烈な罵倒を放つ。そうして相手が激昂して殴りかかってきたところを返り討ちにするのだ。


 遠慮や情け容赦など、今更あるわけが無い。気づいた時には、俺の口は既に開いていた。


「さっきの奴らがグタグタ言ってたんだよ。あとは『親の罪は子の業~』だとか。死んだ父さんのことを心底恨んでる連中だってのは、すぐに分かったわ。その恨みを息子の俺に向けてるってこともな。まったく。ウゼェったらありゃしねぇ」


「だから……何だ? それだけで、何故に我らの正体を見破ったというんだ……?」


「バレバレなんだよ。何もかもが。てめぇらがヒョンムルだってのを隠してぇなら、少なくとも韓国語は喋らないよう気を付けるべきだな。さっきの奴ら、軽く痛めつけたらすぐに韓国語で泣き喚きやがったぜ。まあ、当然だわなあ」


 考えれば考えるほどに笑いがこみ上げてくる。思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、俺は続けて言い放った。


「井戸に入れられた毒に気づかねぇような、マヌケだもんなぁ! てめぇらは! んで、最後は街に火を付けられてバーベキューになったんだっけ? その程度のアホが自分の素性を隠す技なんか持ってるはずがねぇ! どんだけ知恵をこさえたところで、結局はボロが出ちまうんだよ!」


「……」


「所詮、てめぇらヒョンムルは俺たち日本人には逆立ちしたって勝てやしない! 汚ねぇ地べたを這いずりまわった挙句に嬲り殺しにされんのがオチだ! 分かったか、この野郎! 分かったら、さっさと地元へ帰りやがれ!」


「……なるほど。それがお前の主張というわけか」


 意外にも冷静さを保っていた巨漢の部隊長。ここでキレて手が出てくるものと思っていたが、どうにも落ち着いている。殺し合いを始めるタイミングを逃してしまった。少しずっこけそうになった俺だが、ここで止まったりはしない。


「いいか? てめぇらが父さんに負けたのは運命みてぇなもんだ。その恨みを息子の俺にぶつけて晴らそうとしてるらしいが、やめといた方が身のためだぜ? 父さんの時と同じように、格好悪く死ぬだけだ」


「そうか。つまりは、お前自身も我らの敵になるということだな。父親同様、自らの意思で我らに仇を成すと。そういうことだな」


「ああ! そうさ! 父さんにぶつけられなかったモンを俺にぶつけようってなら、好きにしやがれ。何だって受け止めてやる。その代わり、こっちも容赦はしねぇ。全力でやらせてもらうぜ。てめぇら全員、根絶やしにしてやるから覚悟しやがれ!!」


 気づけば、俺は熱くなっていた。


 自分でも軽く引いてしまうくらいに醜い語句が飛び出したが、当初頭の中でイメージしていたものとはだいぶ形が違う。「挑発する」よりかは「啖呵を切る」というニュアンスになっていた。


 村雨組の一員として、ではない。あくまでも麻木光寿の息子、そして一人の男として、かつて父と戦火を交えた旧敵に自らも宣戦布告していたのだった。


 ひたすら煽って激昂させるだけのつもりが、どうしてこうなってしまったのか。要因は自分でも明確に説明ができない。しかし、分かっているのはそれが俺の本能に基づく行動であったということ。俺に流れている喧嘩好きの血と戦闘中毒者の遺伝子が、きっと少なからず作用していたものと思う。


 難しいことは考えず、ただ「目の前の敵を倒したい」と欲する野性的かつ原始的な感情。そうした欲求は既に俺の中で最高潮に達しつつあった。「喧嘩は先に熱くなった方が負け」という、己の勝負哲学さえも忘れてしまうほどに。あれは俺の悪い癖が悪い形で表面化してしまった現象であった。


 いつもなら、こちらの煽りで憤怒を爆発させた敵が襲いかかってきて殺し合いが始まるところ。だが、今回ばかりは相手が違った。


「そうか。よく分かったぞ。そんなにもお前は我らと戦いたいのだな。麻木涼平。親によって背負わされた業を抜きにしても。よく聞かせてくれた。礼を述べたい。ああ。こういう時、日本語では『ありがとう』と言うのだったな。未だ、よく分からん言葉だが」


「はあ!? てめぇ、何言ってやがる!?」


「言葉通りの意味だ。俺は感謝しているんだよ。これでやっと、お前自身を殺す大義名分が立った。俺だって、悪人の子だからという理由だけで年端もいかぬ少年を殺すのには辟易としていたんだ。けれど、もう遠慮は要らない。遠慮なくお前を殺せる。何故ならお前自身も父親と同じ、俺たち同胞に牙を剥く大悪人ということが分かったからな」


 まるで声の調子を変えることもなく、冷徹な台詞を吐き出していった大男。覆面によって隠された表情はどうなっていたのか、もはや知る由も無い。ただ、俺の先刻の言葉が奴に火を付けてしまったことは確かなようだ。明らかに、戦闘態勢に入っている。


 身構えた俺に、大男は続けた。


「今までに何度も聴いた言葉だな。『日本人には勝てない』というのは。お前たち、日本人の口から。何百回、何千回と言われ続けた。だから、慣れている。俺を罵って冷静さを失わせるつもりだったようだが、とんだ戦略ミスだ。麻木涼平。あの程度の言葉じゃ、俺はどうってことない。我らコリアンがお前たちから受けた屈辱の総量に比べれば、塵にも等しい」


「へぇ~。じゃあ、どういう言葉でキレるのやら。 知りたいもんだねぇ……っていうか、お前。いまコリアンって言ったよな? ようやく認めるわけだな? 自分がヒョンムルだと」


「ああ。そうだとも。認めよう。我らは愛しき同胞の守護者、ヒョンムル。時に同胞の盾となり、時に剣とならん。お前も気づいている通り、俺たちには沈黙の掟が存在する。何人たりとも、組織の秘密を侵した者は決して生かさない掟だ。俺たちを秘密組織マフィアと呼んだからには、その辺りのことはお前もよく分かっているだろうがな」


「どっちにしたって、俺のことは殺すってことか……まあ、いいや。そっちがその気なら受けてやってやるけど」


 沈黙の掟とは即ち、秘密を知ってしまった外部の人間は必ず始末するということ。死をもってその者の口を塞ぎ、組織の秘密を守るのである。


 ヒョンムル内の慣習については知らないが、連中が徹底した非公然集団である事実は以前に菊川からレクチャーを受けて学習済み。それゆえ、何となく頭に入っていた。


 とはいえ、大男の語る論理は納得できない。自分から「我らは~<以下略>、ヒョンムル」と名乗ったのだから、掟破りを咎められるべきは俺ではなく大男の方であるはず。どこか理不尽というか、横暴が極まっている。ともかく、これから殺し合う相手にこのようなツッコミは意味を成さないのだが。


 若干の苦笑を交えつつ、俺は奴に言った。


「んじゃ、そろそろ始めようや。このままグタグタ御託を並べてたって仕方がねぇ。こう見えても、俺は忙しいんだ。近くの店にサイダーを買いに行かなきゃならなくてよ。てめぇをぶっ殺して、早いとこ通らせてもらうぜ」


「サイダーか。安心しろ。後でお前の墓前に供えてやる。きちんと埋葬できるくらいに死体が残るとは限らんがな。言っておくが、俺はレベルが違うぞ。さっきと同じように楽な喧嘩が出来ると思ったら、大間違いだ」


 凄みを返しながら、男が取り出したのは巨大な刀。子供の頃に観ていたアニメ作品で敵キャラが振り回していた得物にそっくり。刃渡りだけでも奴の背丈の半分はありそうな両刃の剣だった。


 見るからに重そうで、持ち運ぶだけでも困難そうな代物。しかし、男はその剣を片手で軽々と振り上げた挙句、手首のスナップを効かせてブンブンと高速で振り回して見せた。まさに己の剛力を誇示するがごとき剣技。敵ながら、見事と思う他なかった。


「こいつは朝鮮大刀。俺の祖国では代々、罪人の処刑に使われてきた剣だ。こいつでお前を叩き斬ってやるよ。今のうちに、覚悟を決めておくんだな」


 あれほどの巨大剣を今までどこに隠し持っていたのか。ここへ現れた際、片手に剣を担いでいる様子は無かった。おそらくは鞘に入れて背負っていたのだろうが、まったく気づかなかった。普通、何か重たいものが背中にあれば姿勢が後方に反ってしまうもの。しかし、大男は一切姿勢を崩さず背筋は真っ直ぐに伸びている。


 どうやら、剛力なのは腕だけではないらしい。巨大な武器を軽々と扱う筋力もさることながら、それをしっかりと支えられるだけの体幹があの男には備わっていると見た。


 俺もある程度は鍛えてはいるが、体つきの頑強さが桁違いだ。きっと並大抵の打撃では倒れないはず。正面から挑みかかっても巨大剣の刃でこちらの攻め手は十中八九防がれ、奇跡的に当たったとしても堅牢な筋肉を前に弾き返されてしまう。そうして攻めあぐねているうちに、振り下ろされた朝鮮大刀なる武器で木っ端微塵に両断されるのが関の山。なかなか手強そうな予感がした。


(こいつは厄介だぜ……)


 だが、焦燥感だとか恐怖感だとか、マイナスな感情の類は全く生じない。怯えるどころか、嬉しさで全身が震えそうだった。強い奴と、真っ向から戦える。冗談抜きで、その事実が嬉しくて仕方がなかった。当然、俺の表情を支配したのは、無上の歓びであふれるニヤニヤとした笑み。


 その様子を不快に思ったのか。大男は俺に剣の刃先を突きつけ、少しばかり語気を強めて問うてきた。


「気持ち悪い男だな、麻木涼平。何が可笑しい? 何をそんなに笑っている? お前は今から殺されるんだぞ。自分の置かれた状況が分かっていないようだな」


「いいや……分かってるとも……ただ、楽しくてよ。久々に骨のある野郎と喧嘩ができると思ったら、楽しさで心が躍っちまってなあ! おかしくなりそうだぜ! くくくくっ」


「そうか。なら、お前には“現実”を見せてやらねばならんな。これから徹底的に痛めつけて、戦いとはどういうものかを体で教え込んでやる。授業料はお前自身の命。決して安くはないぞ。覚悟するんだな」


「おお! いいねぇ! そいつは楽しみだ! それでこそ、喧嘩のしがいがあるってもんだぜ! たっぷりと楽しませてくれよ。敵さん。でなけりゃ、てめぇを殺す意味が無い……ふふっ……」


 特に意図せずこみ上げてきた不敵な言葉の数々と、微笑みと呼ぶには気味が悪すぎる薄ら笑い。自分を客観的に見たわけではないので具体的な詳細は定かではないが、きっと妖怪のごとき顔つきになっていたと思う。


 これらは全て、俺が生粋の戦闘中毒者だからだ。誰に何と評されようと、持って生まれた性は変わらない。きっと今後も変わらないだろう。それこそが俺という人間なのだから。


「전투에 대한 당신의 중독은 아버지로부터 물려받았습니다……나는 메스꺼움을 느낀다……」


「ん? 何だって?」


「独り言だ。そんなことより、いつまでそうしているつもりだ。そこまで喧嘩が好きなのなら、かかってきたらどうだ。来ないのなら、こちらから行かせてもらうぞ。本気でな。行くぞ」


 俺の問いを軽くいなした後、男は剣を両手で腰だめに構えた。はっきりとは聞き取れないが、韓国語で何やらぶつぶつと唱えている。


「이제 돌아가신 조상들아, 저를 축복해 주십시오……우리가 패배시키려는 것은 당신의 적들입니다……나는 네가 성취 할 수 없었던 복수를 할 것이다……나는 영광이 겐부류에 있기를기도합니다」


 そして唱え終わるや否や、剣を頭上高くに振り上げて一気に距離を詰めてきた。


「死ねーっ! 麻木涼平ーっ!」


 物凄い勢いで大剣が振り下ろされる。


「おうっ! いいねぇ!」


 俺は体を即座に右へよじって躱す。見るからに渾身の一撃であった。その証拠に、剣が刺さった地面からはおびただしい量の土埃が舞い上がっている。もし食らっていれば、おそらく頭を割られて死んでいただろう。


「避けたか……なら、こいつはどうだァ!!」


「おっと!」


 空振りとなった全力の縦斬りの余韻に息を切らすまでもなく、大男はさらなる一閃を見舞ってくる。今度は斜め上方向への振り上げ。


 例によって恐ろしいスピードだ。勘と反射神経に頼って何とか回避に成功した俺だったが、右頬に軽い痛みが残った。どうやら剣の切先がわずかに顔を掠めたらしい。まさに間一髪、ギリギリの所で俺は一刀両断を免れたようだった。


「くくっ……こりゃあ、良い。痺れるぜ……」


 顔を切られたのは想定外だが、俺としては大変満足。こういう喧嘩がしたかったのだ。


 いつ命を取られるか分からないスリルと、そんな状況に身を置く高揚感。これらは並大抵の凡人が相手では味わえない。剛腕自慢の比類なき豪傑を前にして、初めて喧嘩というものは楽しむことができる。強敵を前に己がピンチであればあるほど、俺の心は燃え上がるのだ。


「どうした!? さっきから避けるだけか!?

  そんな弱腰では俺には勝てんぞ!! もっと本気で俺にかかって来い!!」


「いやあ、あんたが思った以上の腕っぷしだったもんでな。ついつい感心しちまったんだわ……けど、そうやって余裕ぶっこいてられんのも今のうちだぜ? そろそろケリをつけさせてもらおうじゃねぇか!」


 いくら楽しいとはいえ、いつまでも防戦一方に甘んじているわけにはいかない。戦いは相手を倒してナンボ。こちらからも反撃を繰り出す必要がある。丁度良い。敵の剣をひたすら避けるだけの繰り返しにも、飽きが見え始めていた頃だ。


 俺は鉈を持つ右手に力を込めると、奴の心臓付近へ狙いをさだめて全身全霊で突きを放った。


「おらよ!」


「遅い」


 だが、こちらの刺突は当たらず。一瞬のうちに左へ避けられてしまった。やはりこの大男、巨体のわりに機敏な動きが可能らしい。そんじょそこらの攻撃速度では捉えきれないということか。


 ならば、話は簡単。こちらもスピードを上げてやるまで。失敗に終わった攻撃からコンマ数秒も置かず、俺は第二の手を披露した。柄に両手を添えての薙ぎ払いだ。


「食らえぇぇぇっ!」


「甘いなっ」


 ――ガチーン。


 向こうの大剣と、こちらの鉈の刃同士が激しくぶつかる。勢いで増した速度に任せて敵の首を一気に斬り落とすつもりだったが、寸前で阻まれてしまった。


 そのまま、奴と俺は鍔迫り合いの格好となる。


「へっ! やるじゃねぇか!」


「この程度がお前の本気とはな……笑わせてくれる……」


「この程度? その割には声が震えてるじゃねぇか。痩せ我慢は見苦しいぜ? 敵さんよ」


「そう言うお前は腕が痙攣しているな。多少は鍛えたのだろうが、所詮は日本人。古式武術を極めた、この俺には勝てんということだ。身の程を知れ」


 悔しいが、男の指摘は的を得ていた。奴の切り返しを鉈でがっちりと受け止めた際、俺の腕に伝わった物凄い衝撃。それを逃しきれていなかったところに、さらなる剛力が襲いかかったのだ。消耗するのも当然である。


(すっげえ力だ……こいつはやべぇな……)


 そもそも刀と鉈。同じ剣の類とはいえ、鋼の練度が違いすぎる。刃がぶつかり合った所からは火花が出て、宵闇を一瞬だけ明るく照らしていた。少なからず刃毀れも起こしてしまっただろう。こうした鍔迫り合いを複数回繰り返したのでは、いずれ鉈が根元から折れるかもしれない。ここで武器を失うのは痛すぎる。


 俺は咄嗟に思考を切り替え、右脚で大男の下腹部めがけて蹴りを放った。


 ――ドガッ。


 そこにあるのは人間の急所。いかなる猛者であれ、突かれたらひとたまりもない程の痛覚が集中している部分だ。そんな急所たる下腹部を強かに蹴り上げることで相手を怯ませ、わずかに生じた隙を狙って一気に勝負を決めようと俺は考えたのだった。我ながら妙案だった。


 ところが、男は姿勢を崩さない。


(……えっ?)


 崩すどころか、ほんの少しでも怯んだ気配すら見せないではないか。俺は呆気に取られた。まさか、あれほどの一撃を耐えるとは。目の前の男は化け物か。


 思わず、驚嘆の声が漏れてしまった。


「なっ!?」


「甘いな……こ、こんな子供じみた小細工で……俺を倒せるかあああああああああ!!」


 直後に飛んできたのは凄まじい刃の押し返し。


「ぐあっ」


 轟音が響き渡る。大剣を鉈で受け止めることで辛うじて斬られずに済んだ俺だったが、その破壊力だけは防ぎきれない。あまりの衝撃に後方へ吹っ飛ばされてしまった。無様にも尻餅をつき、地面を数回転がって倒れる。


「な、なんちゅうパワーだ……!」


 きっと数メートルは飛んでしまったと思う。相当な馬鹿力を込めて放たれた一撃であったことは、想像するに難くない。起き上がる途中でふと鉈の方に目をやると、刃が折れてしまっていた。さすがにこれは仕方がなかったか。


「……」


 全身にかけて走る鈍い痛みを堪えながら、俺はゆっくりと体勢を戻す。幸いなことに大男からの追い討ちは皆無。吹っ飛ばされたおかけで、少なからず距離が生まれたのだ。ダウンした状態から再び立ち上がるには絶好の間合いであった。


 また、奴が膝をついていたことも要因だった。俺を払い飛ばした後で前方に倒れ込んでしまったらしい。地面に突き立てた大剣を杖代わりに、辛うじて倒れずに姿勢を保っている有り様。肩で大きく息をしていた。


「はあ……はあ……」


 急所を攻められた痛みというものは、大抵の場合は時間差でやってくる。たとえ瞬間的に耐えたとしても、衝撃が強ければ痛みは次第に増幅される。俺は先ほど一切の加減をせず、全力で蹴った。それゆえ大男を一時的な行動不能状態に追い込んでしまったようだ。


 覆面で隠れているために素顔の程は分からないが、おそらくは苦痛に歪んでいる模様。敵の体力は明らかに削がれている。攻撃を仕掛けるなら、今が好機だ。ここを逃すわけにはいかない。


 俺は近くにあった死体の手から武器を取ると、再び水平方向に構え直した。種類は先刻と同じく鉈。


 おそらく鋼の強さも変わらないだろう。練度で劣っているため、鍔迫り合いには不向き。狙うは短期決戦。敵が体勢を立て直す前に距離を詰め、喉笛あるいは首筋めがけて刺突を見舞ってやるのが確実だ。


 向こうが痛みに悶えている、今がチャンス。だが、俺は思い描いた攻撃を実行に移せなかった。


「ううっ……!」


 俺の邪魔をしたのは、背中から胸にかけて上半身を襲った鈍い痛み。吹っ飛ばされて地面に叩きつけられた際、だいぶ激しく打ち付けてしまったらしい。心肺を揺さぶられた所為か、呼吸が乱れて体が動かない。地面を擦った背中の痛みも、少なからず影響を及ぼしていた。


(クソッ! 体が動かねぇ……!)


 不運に不運が重なるのはつきもの。こちらが必死で呼吸を整えているうちに、部隊長はゆっくりと立ち上がってしまう。


「お前が初めてだよ、麻木涼平……この俺に片膝を着かせた人間は。だが、さっきのは一種のミラクルだ。相手がガキだからと俺が油断していた結果に過ぎん。そろそろ本気で相手してやる。同じ手が通用するとは思うなよ……」


 算段が狂ってしまった。見れば、男は大剣を再び右肩で担ぎ上げている。察するに、体力はそれなりに回復したらしい。これで再起前に突撃を敢行するという俺の戦略は使えなくなった。


 さて。どうするか。鉈を構えて敵方に睨みを利かせながら、俺は頭を全力で回転させた。奴の言う通り、似たような奇襲戦法は二度と通用しないだろう。注意力も先刻に比べて跳ね上がっているはず。相手の虚を突く猶予は無いと思われる。


 ようやく呼吸が元に戻ってきたが、背中の痛みは消えず。また、体力の消耗も想像以上に激しかった。


 下手に戦いを長引かせても不利になるだけ。やはり、ここは一気に終わらせてしまうのが良いかもしれない。謂わば、短期決着。敵が予想もしない方向と角度から奇襲を仕掛け、確実に息の根を止める。俺が勝つには、最早これしかないように思えた。


(こりゃあ面白くなってきやがった……)


 思わず笑みがこぼれる。その様子を見た大男は、またしても不快そうな声をあげた。


「どうして笑っているんだ? 相変らず、気持ち悪い奴だな。自分が置かれた状況をやっと悟ったか? こんな場面でもニヤニヤ笑うとは、さてはお前は生粋のマゾヒストだな」


「別に。ただ、面白いってだけさ。こんなに面白い喧嘩は生まれて初めてだからよ。そりゃあ、嫌でもニヤけちまうわ。あー! 楽しみで仕方ねぇよ! これからてめぇをブチ殺すのが!!」


「とんだ変態だな。やっぱり、お前はさっさと殺してしまうに限る。ゆっくりと時間をかけていたぶりながら息の根を止めようと思っていたが、方針変更だ。お前のような戦闘中毒者は、下手に生かせば何をしでかすか分からない。今すぐあの世に送ってやる。覚悟しろ」


「おうおう! そいつぁまた。楽しみだねぇ! 俺はいつでもいいぜ。来るなら来やがれってんだ。てめぇ自身が返り討ちに遭う覚悟を決めたら、な」


 そう強がって啖呵を切った俺だが、劣勢を挽回する手はなかなか思い浮かばない。


 正面から斬り合えば、確実に負ける。斬撃を避け続けたところで、いつまで持ちこたえられるか分からない。かと言って、敵は隙を見せてはくれない。鉈で刃を受け止めようものなら、押し返しに遭って吹っ飛ばされるのが関の山。


 いずれも戦法に難点がある。地面に転がって起き上がれずにいるところに走り込まれたら、俺は一巻の終わり。敵は人間を剣撃で簡単に宙に跳ね飛ばすだけの剛腕を持っている。きっと、防御も鉄壁と見た。いかなる角度から間合いを詰めて斬りかかっても、結局は大剣で受け止められてしまうだろう。


(何か無いか……? 巻き返す方法は……?)


 利用できるものはあるか。そう思いながら、周囲をぐるりと見渡してみる。ここは空き地。先ほど倒した死体の山を除けば、視界に入るのは物体のみ。鉄棒、ブランコ、ジャングルジム、砂場。子供が遊ぶのには最適だが、喧嘩に使えそうなものは皆無。環境を活かす戦い方は、今回は使えないというわけか。


 しかし、その刹那。俺にひらめきが走った。


 どういうわけか、頭の中に図式が浮かんだのだ。それはこの状況で確実に勝利を掴み取るための、ただ唯一の打算。ちょうど目に入った周囲の条件と、運よく合致している。すぐさま俺は思考を最大限に使い、順序を整理した。


(ジャングルジムがある……これはいけるな)


 どの角度から刃を打ち込んでも、それが地上からの攻撃である限り軽々と防がれてしまう。ならば、地上ではない所から奇襲を仕掛ければ良いのだ。


 成功率は限りなく低い。されども、ここで踏み出さねば俺は終わりだ。座して死を待つよりは、果敢に立ち向かって散った方が性に合っている。この期に及んで躊躇う選択肢などあるはずがない。一か八かの賭けというならば、是非とも賭けてみようではないか。自分自身の可能性に。


 意を決し、俺は鉈を構え直した。


「よう、敵さん。最後に俺と勝負しようや。かかって来いよ。さっきみてぇに、正面から。俺はいつでもいいぜ」


「勝負だと? 何を言ってる?」


「俺を殺したいんだろ。俺も同じだ。なら、お互い人生最後にでかい勝負をしようやって言ってんだ。さっさと来いよ……来ねぇなら、こっちから行くぜぇぇぇぇーっ!!!!」


 その瞬間、俺は走り出す。柄の部分を両手で握りしめた鉈を高く振り上げ、敵に向かって全速力で直進する。


 腹の痛みは気にならない。テンションが高くなっている所為か、あるいはアドレナリンの所為か。何にせよ、決死の突撃を選んだ俺にとっては些末事。一気に駆け抜けるだけだ。


「な!?」


 俺の急な突進に一瞬は戸惑いながらも、男はすぐに剣を手に防御の体勢に入る。そこへ一直線に距離を詰めた俺が飛び込んできて、力任せに斬撃を繰り出した。


 再び、刃同士が激しくぶつかる。例によって凄まじい衝撃だ。飛び出た火花の量も先刻の比ではない。しかし、今度ばかりは俺にも精神的余裕がある。こうした鍔迫り合いで腕に物凄い力が加わることも、予め想定済みだった。


「獣のような突進だな……ついに狂ったか?」


「へへっ! 狂っちまってんのは生まれつきさ! そんなことより、いいのかよ。本気を出さなくて」


「貴様、何を考えている?」


「下がお留守ってことだよっ!」


 そう言い放つと、俺は右足をわざとらしく振り上げる。大男の下半身に向けて、再び蹴りを叩き込む気配を見せたのだ。


 当然、これは通用しない。


「させるかぁっ!!」


 待っていたのは奴による強烈な押し返しだった。大剣を握る手に物凄い力を込め、勢いのまま競りり合う俺の刃を弾く。こちらもまた先ほどとは比べ物にならない、尋常ならぬ威力だ。またもや俺は後ろへ吹っ飛んでしまう。


「うおっ!! さすが、強いねぇ!!」


 だが、これも想定の範囲内だ。俺が飛ばされた方向にあったのはジャングルジム。それが後ろに来るよう、敢えて体勢を入れ替えていた。勿論、急所蹴りはフェイント。押し返しが来ることを狙い、わざと大袈裟な動作を見せたのだった。


(この勢いと間合い……よし、いける!!)


 敢えて鍔迫り合いに負けてまで、俺が吹っ飛ばされることを選んだ理由はただひとつ。俺の後ろにはジャングルジムがあって、俺自身は宙高く舞い上がっている。発動条件は揃った。何もかもが計算通りだ。


 成功の確信を得た俺は、即座に実行に移す。


 先ずは、すぐ背後まで迫ったジャングルジムの鉄パイプ部分に身を反転させてひょいと飛び乗る。お次は間髪入れずに立ち上がり、その場で跳躍する。そして真下にいる大男めがけて鉈を構え、落下しながら斬りかかった。


「おらぁぁぁぁーっ!」


「ぬうっ」


 機敏に反応した大男の剣により、俺の上段斬りは見事に押し返された。横払いで弾かれたため、俺の身体は今度もまた宙高くに吹っ飛ぶ。


「おおっと! すっげえパワーだ……!」


 ちなみに鉈の刃は折れてしまった。やはり、この鉈で大剣を受け止めるのは2回までが限界か。少しの名残り惜しさを感じながらも、俺は鉈の柄を手放す。


 だが、これもまた想定内。飛ばされた先にあったのはブランコ。足が触れた三角形の頂点部分のパイプを強く蹴り返し、敵に向けて猛スピードで加速する。


 吹っ飛ばされた反動をそのままに、水泳競技におけるキックの要領で放った突撃落下。まさか俺がそんな挙動に出るとは流石に思っていなかったらしく、仮面の大男の焦る声が聞こえた。


「ばっ……馬鹿な……!?」


 慌てて大剣を構えるものの、最早斬撃で防げる間合いではない。俺は完全に奴の射程圏を破った。


「食らえぇぇぇぇぇぇーっ!」


 自分でも驚くくらいの大音声を放った俺の手には、ナイフが握られていた。ブランコの支柱で蹴り返した直後に抜いたもので、刃先は真正面を向いている。


 ――グシャッ!


 超高速で飛びついた男の首筋に、俺の右手のナイフが勢いよく突き刺さった。左頸部は人間の急所。そこに刃先を受けて平気な人間などいるわけがない。言うまでもなく、効果は抜群だった。


「ぐぇっ!?」


 勝負あり。爬虫類のごとき呻き声を上げ、男はそのまま仰向けに大の字になって倒れた。奴の右手からは大剣がこぼれる。着地した俺はそれをすぐさま奪うと、ずっしりとした重量に耐えながら刃を男の顔面めがけて突きつけた。


「おお……ずいぶんと重てぇな。こんなのを軽々しく振り回すたぁ、大したもんだ。ま、勝ったのは俺だけどな。どうだい? 気分は。あんだけ嫌ってた、麻木光寿の倅に倒された気分は……?」


 文字通り勝ち誇った俺の問いに、男は消え入りそうな小声に吐息を混ぜながら静かに答える。


「は……早くトドメを刺せ……相手を舐めてかかった俺の、負けだ……さあ、早く……トドメを……」


 首筋をナイフで刺された痛みか、あるいは刃で声帯を損傷してしまった所為か。男の声量は、みるみるうちに小さくなってゆく。よく見ると、男の左頸部の傷口からはおびただしい血がドロドロと流れ始めている。この様子では直にこの男は死んでしまう。尋問は手っ取り早く行わねば。


「あー。ごめん。何言ってるか、聞こえねぇわ。とりあえず、こいつは取らせてもらう」


 そう言うと、俺は男の頭部から覆面を外す。討ち倒した敵の顔を拝んでやりたかったのもあるが、いちばんは尋問を円滑に進めるためだ。口元が覆われていたのでは、何を言っているのかが不明瞭だ。組織の掟で正体の秘匿義務があることは知っているが、ここは遠慮なくやらせてもらう。


「す、好きにしろ……もう俺は助からない。それに、標的を仕留め損なった時点で、どうせ俺は処刑される運命だ。そういう組織なんだよ、俺たちヒョンムルは……」


「へぇー。意外とイケメンだったんだな、お前。不細工なら面白かったのに。まあ、いいや。お前には聞きたいことがある。何にしたって死ぬんだろ? 最後に教えてくれや。な?」


「な……何が聞きたい……」


「誰に命じて俺を襲ったのか、について。さっきは俺のことを憎んでるとか何とか言ってたけど、結局のところは頼まれて動いたんだろ? 煌王会直系組長の家入行雄って野郎に。中国人と同じく、あいつの差し金で動いたと。 そうなんだな?」


 すると、露になった男の瞳に怒りが宿った。


「こ、煌王会の家入だと……!? ふざけるな。俺たちは日本人の命令で動くことは絶対に無い! たとえいくら大金を積まれても、だ……!」


「誤魔化すなよ。家入は横浜にいる外国マフィアを嗾けて、俺らを潰そうと企んでるんだ。実際、中国人が奴の手先になってる。てめぇらも同じように買われたんだろ? ああ?」


「違う!!!!」


 とてつもない大声が響いた。既に尽きかけた全体力を振り絞るかのように、男の喉から放たれた大声。


 思わず、たじろいでしまった俺。


(叫びやがった……)


 絶叫できるほどの余力が、まだ残っていたとは。見たところ奴の眼差しは震える気配も無い。一体、どういうことなのか。ここは詳しく尋ねてみる必要がありそうだ。


「お前らの雇い主は家入じゃなかったのか?」


「そうだ! そもそも俺たちに、雇い主など存在しない……俺たちは敬愛する同胞たちを守るためのみ動く! 狗魔のような汚い連中と一緒にするな……!」


「ああ。そいつは悪かったな。んで、つまりはあれか? お前らは家入や中国人と仲良しじゃないと?」


「何度も同じことを言わせるな……狗魔は俺たちの敵。煌王会の家入もだ……!!」


 尋問を続けてゆくと、少し意外な事実が分かった。


 ヒョンムルは家入組や狗魔と結託してはおらず、それどころか両組織を明確に“敵”と認識しているらしい。特に狗魔とは今までに何度も戦火を交えているそうで、その年の6月には激しい銃撃戦ドンパチで双方に死人が出たのだとか。


 大男曰く、開戦に至るきっかけは川崎でカタギの在日コリアンが殺されたこと。先に手を出してきたのは中国人の方だという。


「いかなる組織や集団が相手であれ、我々は同胞に仇成す者を許さない……狗魔は善良な市民を殺したのだ。桜町の一画で食堂を営んでいただけの、善良な市民を。よって狗魔には血をもって償ってもらう……奴らと手を組む家入も同罪だ!」


「へぇー。中国人が川崎にも進出してたとはな。てっきり、横浜ここの中華街だけだと思ってたぜ。じゃあ、要するにお前らは中国人と戦うために川崎から横浜へ出て来たってことか?」


「ああ! 我々は元より、シノギだのシマだのに興味は無い……! 無惨に殺された同胞たちの無念を晴らす、我々の使命はそれだけだ。そのためだけに横浜へ出てきたのだ…‥」


「うーん。確かにな。横浜には狗魔の支部があるって話だったもんな。で、中国人どもを片付けたらヒョンムルは川崎へ引き揚げるのか?」


 しかし、その問いに大男は首を横に振った。


「いいや。狗魔を倒しても終わりじゃない。俺たちにはもう1人、絶対に討つべき仇が残っている。そいつを討たないことには、俺たちは川崎へ帰れない」


「はあ? 誰だよ、その仇ってのは……」


「お前だ。麻木涼平」


「えっ?」


 予期せず告げられた自分の名に、一瞬は戸惑ってしまった俺。けれども冷静に考えてみれば、わりと早くに納得のいく理屈である。


「……ああ。そういやあ、そうだったな。お前らは俺をぶっ殺したいんだったな。忘れてたぜ。あまりにも話が退屈なもんだから、つい」


「悪いが、忘れてもらっては困るな。全ては貴様の父親が蒔いた種。麻木光寿は数百にも及ぶ我らの同胞を殺した。その罪業は、たとえ本人が死のうと決して消えるものではない!」


「あれか。昔の仕返しをしようにも殿様が死んでて出来ないから、代わりに息子の俺を狙うってか。まったく、いい迷惑だぜ。俺はお前らに何の危害も加えてねぇってのに……」


「確かに、お前自身に罪は無い。だが、親の罪業は子に引き継がれるのが世の理。我々は全力でやらせてもらうぞ。お前の息の根を止めるまで決して情け容赦はしない」


 なんと面倒臭い話であろうか。奴の瞳の奥に燃えた憎悪と敵意は、まっすぐにこちらを向いていた。大量出血でダウンした状態でなければ、すぐにでも俺に飛び掛かってきそうな雰囲気だった。


 おそらくヒョンムルには、このような連中が他にも数多いるのだろう。彼らの憤怒を一身に引き受けることになる今後を思うと、途方もない脱力感がこみ上げてくる。舌打ちをせずにはいられなかった。


「チッ。最高にだりぃーな。ほんとに。どうして俺がそこまで背負わなくちゃならねぇんだよ……」


「お前がどう思おうが関係ない。我々は我々の復讐を果たすまでだ。俺がここで息絶えてアジトへ戻らなければ、すぐに次の部隊が動き始める手筈となっている。皆、俺より強い手練れ揃いだ……覚悟しておくんだな」


 強い相手と喧嘩が出来ることは願ったり叶ったり。しかしながら、そこに親の代に始まる因縁だとか、因果だとか、ややこしい事情が絡み合ってくるのならば話は別。俺は複雑なものが苦手なのだ。「まとめて倒してしまえば一緒じゃないか」とも思うが、どうにも気持ちが萎えてしまう。ヒョンムルとの遺恨を持った自分がいることで村雨組に迷惑をかけてしまう忍びなさも、そこには少なからずあった。


(そもそもヒョンムルはどうやって知ったんだ……? 俺が村雨組にいるってことを……?)


 だが、それを更に問い質そうとした時には既に大男は虫の息となっていた。首元からの出血が止まらず衰弱が進んできたようである。ここで死なせるのは情報源として惜しい気もしたが、俺に医術の心得は無い。生かしておいても敵は敵。ひと思いにやってしまうのが良いだろう。


「は……早く……トドメを……刺してくれ……お前は憎き相手だが……強い……そういう奴の手で死ねるなら、俺も、もう思い残すことは……無い……」


「おう。お褒めの言葉、ありがとよ。いいぜ。リクエストに応えてやる。せっかくお褒めの言葉を賜ったんだし、ここはお礼をしなくちゃなあ」


「ああ……恩に着る……」


 こちらの返事に頬を若干緩ませた、死に体の男。その様子を見て二ヤリとしながら、俺は大剣を高く振り上げる。


 ここで行うべきは介錯。致命傷を負って痛みに悶える敵がそれ以上苦しまぬよう、命を絶って楽にしてやるのだ。互いに死力を尽くして戦った相手の最期に情けをかけるのは、日本のみならぬ万国共通の儀礼。戦場における勝者の作法といえるだろう。


 だが、この時の俺に慈悲は無かった。


「んじゃ、いくぜ……おらよっ!」


 ――グシャッ!


 剣を振り下ろした先は、男の首元ではない。大の字状態で地面に投げ出された、奴の右腕だった。


 噴水のごとく飛び出す鮮血と共に、肘から下が切断されて跳ね上がる。男は悲痛な叫びを放った。


「うぎゃあああああああ!」


 悲鳴を上げて顔を苦痛に歪ませる男にはお構いなしに、俺は再び剣を振り上げる。次なる一閃を見舞ってやるのだ。狙うは左腕。男の上半身を機能不全にしてやる。


「おらよっ」


「あああ! 何を! やめ、やめてくれっ!」


 ――グシャッ!


「ぎゃああああ! いてぇぇぇぇ!」


 数秒前と同様、胴体と切り離された腕が軽く宙を舞う。それだけ大剣の破壊力と切れ味が凄まじいという、何よりの証左だろう。まさかここまで朝鮮大刀が切れるとは。想像以上の結果に俺は満足した。


「중지하세요……! 중지하세요……!」


 尋常ならぬ痛みに襲われ、思考が軽い麻痺を起こしたらしい。日本語で話すことを放棄し、男は母国語で何やら俺に問うてきた。内容や意味はまったく不明だったが、一連の残虐行為にまつわる抗議の意思表示であることは何となく分かる。涙のたまった悲痛な眼差しが、それを示唆していた。しかし、ここで終わる俺ではない。


「おいおい。日本語で喋れよ。まあ、確かに俺はお前のリクエスト通り、トドメを刺してやるとは言った……けど、楽に殺してやるとは言ってねぇよ。今の俺はつくづく、機嫌が悪いんだ。申し訳ないけど、八つ当たりさせてもらうぜ」


「무엇? 여덟 안타? 결국, 당신은 악마입니다! 당신은 당신의 아버지를 넘어서는 악마입니다!」


「お前に罪は無い。恨むなら、自分の運の無さを恨むこったな。んじゃ、今度は両脚といくか」


「やめろ! やめ、やめてくれぇぇぇぇ!」


 ――グシャッ。


 ようやく韓国語が日本語に戻ったが、そんなことはお構いなし。俺は高々と構えた大剣を一気に叩きつけ、男の右脚を切断した。


「うがああああああああ!」


「よく叫ぶねぇ。お前ほどのツワモノでも痛みには弱いってか? まあ、その方がこっちにとっても好都合だ。楽に死なれちゃ八つ当たりにならない。んじゃ、次は左な? おらよっ」


 ――グシャッ。


 耳をつんざくほどの絶叫と共に、とびきり多い血が噴き上がった。人体をカットした際に鮮血が飛び散る仕組みは、ハンバーグをナイフで切った際に肉汁が溢れ出てくる現象と似ている。下品な例えかもしれないが、俺の中で真っ先に想い起こされたのは食事風景だった。晩飯は済ませているというのに、少し腹が減ってこなくもない。先ほどの戦闘で体力をエネルギーを消費した所為もあろうか。色々な意味で、人間の体とは不思議なものだ。


 一方、男はのたうち回っていた。


「あああああ! 俺の腕がああ! 俺の脚がああ! 助けてくれぇぇぇぇぇぇぇ!」


 四肢を切断されてダルマになった体をバタバタと動かし、その場で暴れ狂う男。つい先刻までは「殺してくれ」と懇願していたはずではないのか。にもかかわらず、どうして今になって己の腕と脚が失われた事実を嘆くのだろう。


 よくよく考えてみたら、滑稽な話である。いくら泣いて悲しんだところで、男はもうすぐ死に至るのだ。死んでしまえば、四肢など有っても無くても一緒だろうに。俺にはつくづく、奴の心情が理解できない。


「へぇー。今にも息絶えそうな感じだったけど、なんかさっきより元気になってきたな。少なくとも、叫ぶ元気は残ってるみたいだし。意外だな」


「もう、やめ……やめて、くれ……」


「無理な相談だね。今さら生きて帰すなんて。お前にはこれからたっぷりと味わってもらう。身に覚えの無い不条理を背負わされる人間の苦しみってやつを」


「た、た、頼む……許して……許してくれぇぇ……! やっ、やめろ……うわ、うわあああああああああああ!」


 それから俺は大剣の刃を何度も叩きつけ、ゆっくりと時間をかけて斬り刻んでいった。


 当初は肉が切断される度にいちいち慟哭していた男も、回数を重ねる中で次第に鎮静化。やがて言葉を発しなくなった。その頃になると“体”というよりは単なる“欠片”へと変わっていて、少し前までは人間だったものが辺りに散らばっていた。奴の命が尽きたようだ。


(ふう……終わったか……)


 両手に握りしめていた大剣を下ろし、俺はホッと一息つく。得物の重量から解放された瞬間、腕に疲労感が襲いかかる。ああ。これは明日以降、必ず筋肉痛に悩まされる流れ。自分が使っていたのは推定10キロは下らぬであろう巨大な金属。当然といえば当然だ。


 朝鮮大刀という武器がこんなにも使い手に負担をかけるとは、夢にも思わなかった。やはり現実はアニメの世界とは違うらしい。


 たった十数分持っていただけで、この疲れ具合である。あれだけ重い大剣を毎日のごとく振り回していたヒョンムルの部隊長は、さぞ頑強な鍛え方をしていたことだろう。先ほど切り落とした腕には、一体如何ほどの筋肉が付いていたものか。参考までに確かめてみたくなった。


 ふと視線を下に移せば、ちょうど自分の地面に左腕らしき物体が転がっている。手に取ってみようと、俺はしゃがみ込む。だが、結果として拾い上げるには至らなかった。拾い上げることが、出来なかったのだ。


(ううっ……!?)


 姿勢を低くした刹那、俺の背中を鈍いな痛みが襲った。痛みの正体はすぐに見当がつく。先ほどの戦闘で負った打撲だ。興奮のおかげですっかり忘れていたが、だいぶ痛みが酷い。怪我を自覚した瞬間、身体の動作が一気にぎこちなくなってくる。


 戦闘が始まると他の事が一切見えなくなるのは俺の悪い癖だ。血の匂いを嗅ぐと最高レベルの快楽と高揚感に包まれるからいけない。どうにも喧嘩のアドレナリンには痛覚を一時的に麻痺させる効能があるようだ。


 斬り落とした敵の腕がどうなっていたかなど、元より大した問題ではない。そんなことより、一秒でも早く帰って休みたい。興奮状態が解けた所為か、猛烈な眠気も襲ってきていた。ここで睡魔に負けて倒れてしまっては元も子もない。敵の死体の件もある。すぐさま村雨邸へ戻らなくては。


(仕方ねぇ。サイダーはまた今度にするか)


 コンビニへ行けなかった悔しさに歯噛みしつつ、俺は来た道を戻ってゆく。殺戮劇の現場となった空き地から屋敷までさほど距離は無かったのだが、今は足取りが重い。思うように体が動かなかったこともあり、だいぶ時間を要してしまった。


 村雨邸の正門までやって来ると、そこにいたブラウンヘアーの門番は俺を見るなり驚愕の声を上げた。


「なあっ!? お、おい! お前、どうした? その血は!? 全身血だらけじゃねぇか!」


 血だらけという台詞には違和感を覚えたが、確かに俺が来ていた服は真っ赤に染まっている。どうやら相当な返り血を浴びてしまったらしい。こちらもまた、興奮のせいで気にも留めていなかった。空き地の照明が乏しかったこともあるのだが。


 苦笑しながら、俺は軽く状況を説明する。


「ああ。ちょっと襲われちまってな。けど、全員まとめて返り討ちにしてやったぜ。そこの坂を降りたとこにある公園に死体が転がってる。悪いけど、片づけてくれねぇか。10人はいたと思う」


「じゅ、10人ってお前……ともかく、誰にやられたんだ? まさか狗魔か!? それとも……斯波一家か!?」


「ヒョンムルだよ。韓国人の。みんな雑魚だったぜ。俺に言わせりゃ赤ん坊みてぇなもんだった。ぜんぜん大したことねぇんだな。軽い運動にもならなかったわ」


「な、ヒョンムルだと……!? お前、奴らの襲撃をひとりで片付けたってのか……!?」


 少し大袈裟な答え方をしてみた俺だったが、この門番の組員の驚きぶりは尋常ではなかった。俺がコンビニへ赴く道中で韓国マフィアの襲撃を受けたという話もさることながら、それをたったひとりで返り討ちにしてしまったことが到底信じられないようだ。


「お前が戦ったのは本当にヒョンムルだったのか……!? ヒョンムルって言ったらお前、全員が韓国本土で軍事訓練を受けた戦闘のプロだぞ……!? そんじょそこらの外国マフィアとは格が違う……! 沖野の兄貴でさえ、単身での殴り込みを躊躇う相手だってのに……!」


「そんなに信じられねぇなら、自分で行って確かめてみろよ。お面を被った黒ずくめの連中の亡骸ムクロが転がってるから。大体、沖野が何だってんだよ。そいつに度胸が足りねぇだけだろ。あんな雑魚集団相手に何をビビる必要があるんだか」


「……」


「ほら! そうやって突っ立ってねぇで、さっさと行けって! 俺は他にすることがあんだよ。死体の後始末はあんたらに任せる。んじゃ、頼むわ。よろしくな」


 目が点になって唖然とする若衆を尻目に、俺は屋敷の中へと入ってゆく。真っ先に向かったのは風呂場。この血塗れの身体を早く綺麗にしたかったのだ。


 服を脱いでシャワーを浴び始めると、排水溝へ流れる温水に混じる赤色の多さに驚いてしまった。不意に背中がジンジンと痛む。ふと後ろを向いて鏡で覗き込むと、青あざが出来ていた。


(うわっ、マジかよ……!)


 あざが出来たということは、それほど地面に叩きつけられた衝撃が大きかったということ。もしや、背骨の一部が折れているのではないか。一瞬そう思ってしまったが、背骨が折れていたのでは歩けないはず。ゆえに骨に問題は起きていないのだろう。


 束の間の安堵感に胸を撫で下ろしながら、俺は手短に入浴を済ませて風呂場を出る。そうして身体を拭いて自室のベッドにもぐりこむと、崩れ落ちるように眠りに落ちてしまった。長い長い、一日の終わりであった。

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