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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第7章 そして少年は極道になった
124/252

やりすぎた一番槍

 2日後。


 予想に反して軽かった腹部の切り傷が快方に向かい始める一方、我らが村雨組は1つ大きな決定を下す。それは、旧大鷲会残党グループの完全掃討である。組長の命令だった。


「今のうちに笛吹一党を始末する。この機会を逃せば、我らにもはや先は無いと心得よ」


 屋敷の大広間に組員たちを集め、演説のごとく檄を飛ばした村雨耀介。随分と思いきった判断のようにも聞こえるが、決して事態解決を焦ってのことではない。


 先日、俺が見聞きしたように、笛吹は煌王会幹部の家入と結託している。その家入が狗魔とも協力関係にある以上、笛吹は中国マフィアを味方につけているも同然。言うなれば“味方の味方は味方”の論理だ。だからこそ、連中が本格的に共同戦線を張り出す前に倒しておこうというのである。


 居並ぶ若衆たちを前に、村雨は宣言した。


「現状、笛吹が中華人どもと手を携えている気配は見られぬ。ゆえに今が狙い目なのだ。村雨組われらは全兵力を以てして、大鷲会を根絶やしにする!!」


 奇遇なことに、俺もまったく同じことを考えていた。笛吹および家入が狗魔とくっついてしまえば、これから俺たちが挑む戦いは非常に苦しいものとなる。


 そうならぬうちに対処するのが賢い選択。目の前で敵同士が結び付き、大きな塊になってゆくさまをみすみす黙って見逃がす手は無い。各個撃破は戦略における基本中の基本だ。


 村雨組長の言う通り、現状で両陣営に連携の兆しはない。むしろ俺には然程上手くいっていないようにも見えた。笛吹が起こした曙町銃乱射事件を自分達のせいにされ、ちょう覇龍はりゅう総督はひどくお怒り。笛吹・家入と狗魔の同盟は所詮、いつ崩れるとも知れぬ砂上の楼閣であることは火を見るよりも明らかだ。


(うん……やるなら今しかねぇよな……)


 先に小さな敵を殲滅して後顧の憂いを絶ち、来る大きな敵との戦いに向け余力を温存する。


 これこそが村雨の戦略だった。具体的な流れとしては、大鷲会笛吹派、ヒョンムル、狗魔の順で倒してゆくことになる。各々の兵力の大きさを見積もれば、実に適切な計画設定であるといえるだろう。俺にとっても異論はない。


 ちなみに、笛吹のアジトの所在は既に掴んでいるという。そこに奴本人が居るか居ないかにかかわらず、拠点を押さえてしまえば後は勝ったも同じ。笛吹の手勢たちを血祭りに上げ、そのうち1人から兄貴分の行方を聞き出せば良い。条件は既に揃っている。


 わずか2日間でそこまでを調べ上げた村雨組の情報収集力に感心しつつ、俺は決意を新たにした。抗争が始まるからには、何としても手柄を立てねば。是が非でも武勲を挙げ、成り上がりの機会を掴んでやろうではないか。


 無論、そう息巻くのは俺だけではない。極道者にとって戦は立身出世の好機。ヤクザであれば、きっと皆同じことを考えるはず。隣の組員が村雨に揚々と問うた。


「笛吹の首を獲ってくりゃあいいんですね。お安い御用っすよ。じゃあ、笛吹の取り巻き達も? そいつらも含めて皆殺しにするってことですかい?」


「左様。大鷲の代紋を掲げる者は生きて残すな。根絶やしにしてやるのだ。遠慮は要らぬぞ! 存分に暴れて参れ! 大叔父上とて、きっと何も申すまい。我らはあの御仁の弱みを握っておるのだからな」


「へへっ! そいつぁ愉快ですね! ま、了解しやした。任しといてください。後先気にせず喧嘩できるなんて、願ったり叶ったりですよ。久しぶりに腕が鳴りますぜ!」


 組長の言葉に満面の笑みを浮かべた男。剃り残した髭が目立つ口元から覗く黄ばんだ歯が、どこか不気味に見えた。己の腕に余程の自身があるのだろう。派手なドンパチができると分かり、子供のように大はしゃぎだ。


「よっしゃあ! そうと決まれば喧嘩支度だ! ってなわけで、俺はここで失礼させてもらいます。どこの馬の骨とも知れねぇ麻木ガキに手柄を横取りされるわけにゃあいかないもんでね。早速、カチコミの用意にかかりますわ。それじゃ!」


 そう言い残すと、組員は颯爽と大広間を出て行く。組の中でも相当な地位にあるらしく、何人かの舎弟が一緒に付いていった。


 俺への盛大な嫌味はともかくとして、気持ちが昂るのは理解できる。背後関係などの難しい事情を一切鑑みず好き放題に大暴れできることは、渡世に生きる者にとってはこの上ない悦びといえよう。


 前々日に俺が仕掛けた策略ハッタリにより、村雨組を陥れんとする家入行雄の奸計は一旦封じられた。その証拠に、偽手打ちの「回答期限」を過ぎても奴から連絡は無し。企みを全て知られた以上、いま迂闊に動くのはまずいと家入なりに悟ったものと推測できる。逃げ去るように愛知へ帰った家入が煌王会に件の暴力行為を訴え出ていないのもまた、然り。俺たちは奴の急所を押えたも同じなのである。


 大甥にあたる笛吹を村雨組が殺したところで、現状の家入にはどうすることもできないはず。後顧の憂いは全て絶った。村雨組を縛る制約は完全に消えている。そうした状況下にあって、組員たちが浮足立つのはむしろ当然の至りだ。


「けど、みんな。くれぐれも無謀な真似は慎んでくれよ? 今回の目的は、あくまでも笛吹グループを横浜から一掃するだけ。狗魔には手を出すな。あいつらと事を構えるのは、大鷲会が軒並み片付いてからだ。いいね?」


「もちろんですとも! 分かってますって!」


「それと、カタギには絶対に火の粉がかからないようにすること。近頃はどうも暴追運動の雲行きが怪しい。市長選だって近いんだ。ここで下手を打てば、当局の取り締まりが一気に激化しかねない。曙町の件では、既に死人が……」


「大丈夫ですよ、若頭カシラ! そんなに心配しなくったって! 俺たちはちゃんと弁えてます。間違ってカタギを撃ったりしませんよ。どっかのシャブ中じゃあるまいし? まあ、似てりゃ気づかねぇかな? へへへっ」


 不安に満ちた面持ちで釘を刺す菊川をよそに、皆抗争で武功を上げることで頭がいっぱい。想定外の犠牲が出てもどこ吹く風といった雰囲気だった。俺が見た限り、まともに話を聞いていた者は皆無。馬の耳に念仏とは、まさしくこの事。終了後、村雨と顔を見合わせ、菊川はひどく呆れ返っていた。


「困ったもんだねぇ……うちは根っからの武闘派揃いだから、喧嘩を前にすると歯止めが効かなくなる。普段は賢く頭が冴えてても、いざ喧嘩が始まった途端に周りが見えなくなるんだ。ほんと、どうしたものか。胃が痛いよ……」


「仕方あるまい。極道とはそういうものだ。渡世人のみならず、この国の人間は皆同じと思った方が良いやもしれぬな。今も昔も、何も変わってはおらぬ」


「たしかに。キミの言う通りだよ。日本人は日頃穏やかな分、一度頭に血が上ったら最後、情け容赦ってものが無くなるところがある。まあ、僕らに関して言えば……ちょっと下の育て方を間違えたかもしれない。うーん、何て言うか……今まで組を大きくすることばかり考えてきたからね」


「フフッ、一理あるな。されども悔やんだところで事は進まぬ。臣下の尻を拭ってやるのは主君の務めよ。此度も、予め手は打っておくとしよう。役人どもに媚を売るのは癪だがな」


 謂うなれば、武闘派組織ゆえの悲哀。血の気の多い猛者ばかりが集うことは好ましいが、一方で内部統制が取りづらくなるという難点がある。それは抗争勃発時に顕著な形で表面化し、時として組織の足を引っ張ったりもする。人材の育成と支配が一筋縄ではいかないのは、極道社会においても同じだった。


 もちろん全ての組が同様というわけではなく、中には全構成員を経済ヤクザで固めたせいでインテリジェンスなシノギを得意とする反面、喧嘩や抗争などの荒事には滅法弱い組も少なからず存在する。そうした点において、かつて俺が居候していた本庄組などは文武のバランスが取れていたと思う。


 あそこは組員数が少ないこともあって、組長の統制もしっかりと行き届いていた。立場も状況も違うから、単純な比較はいけないのだろうけど。


(やっぱ、組を仕切るって大変なんだな……)


 戦を目前にして舞い上がるヤクザたちの姿に、俺は組織管理の難しさを見た気がする。圧倒的なカリスマ性を持つ村雨耀介でさえ、組員たちの動きを完全には支配しきれていないのだ。むしろ覇道を驀進する組長の背中が、却って目下の者の血気を逸らせていると見るべきか。


 やや諦観したようにため息をつく、村雨と菊川。そんな両者を俺はただ黙って見ていることしかできなかった。


「明日の午前中、県庁で副知事と会う段取りをつけてある。戦がどう転ぶかは分からんが、打てる手は打っておきたい。副知事であれば警察にも顔が利くゆえ。少しの気休めにはなるだろう。菊川よ。お前に任せたい」


「ああ、行くのは別に構わないけど……僕でいいの? やっぱり組長自身が行った方が話も通りやすいんじゃ……?」


「生憎、私は別の用事が入っていてな。どうにも都合が合わんのだ。それに、役人連中との折衝はお前の得意事であろう。よろしく頼むぞ」


「分かったよ。とりあえず、幾らか“手土産”を包んでいってみる。あの人なら力になってくれるでしょ。だぶん当面の間は大丈夫だと思う。あとは、祈るしかないね。皆が馬鹿をしでかさないことを」


 不穏な雰囲気のまま、村雨組の集会は幕を閉じた。組長たちがどんなに裏で奔走しようと、結局は若衆の動き次第。


 言い付け通りにスマートな戦いをしてくれれば全て丸く収まるが、万が一暴走しようものなら何もかもが水泡に帰す。最悪の場合、尻を拭いきれない事態に陥ることも十分に考えられよう。菊川の言葉を借りるまでもなく、本当に「祈るしかない」のである。乱暴な喩えをするなら、完全な運任せ。


(これから、どうなることやらな……)


 村雨の下に来てから半年以上。未だ正式な盃は貰っていないものの、俺は組の一員として初めて本格的な抗争に身を投じることとなった。手柄を立てて極道としてのキャリアの始まりを華々しく飾りたい野心が募り上げる一方、今後に対する何処か漠然とした不安が心に漂っていた。


 そんな俺ではあるが、いちおう役目が与えられる。翌日の強襲に一兵卒として加われとのご命令。夕食を済ませた後、組長室に呼び出された。


「明朝、この屋敷より真金町へ向かえ。兵はお前の他に14名。音頭は沖野おきのに任せてある。奴に従い、大鷲の残党どもを片づけて参れ」


 沖野というのは、昼下がりの集会にて「腕が鳴る」と鼻息を荒くしていた例の武闘派組員。どうやら彼が今回の作戦部隊長らしい。曰く、今までに幾多もの死線をくぐってきた歴戦の勇者で、単純な腕力はもちろん射撃にも長けた人物なのだとか。俺の仕事とは、そんな沖野の指揮下で戦ってくることだった。


「ああ見えて面倒見の良い男である。下の者にも、よく慕われているようだ。お前が妙な気さえ起こさねば、自ずと上手くやれるであろう。しかと頼むぞ」


「うーん。上手くやれるのかねぇ」


「案ずるな。沖野は将たり得ぬ男ではあるが、下の者を思う心は持っておる。礼をもって接すれば、諍いなど起こらぬはずだ。お前はただ、言われたことだけに淡々と従っておれば良いのだ」


「まあ、分かったよ……」


 数時間前に大きな声で思いっきり嫌味を言われているので、俺としては沖野なる男にいまいち好感が持てない。面倒見の良い兄貴肌だと村雨は評するが、きっと俺に対しては例外。組長の目を離れた途端、容赦なく喧嘩腰で突っかかってくるだろう。そうに決まっている。


 この組で、俺に親和的な人物など存在しないのだ。誰かと行動を共にすれば必ず衝突が起きる。ゆえに俺は可能な限り単独で動きたかった。なれど、組長の命令とあらば致し方無し。承服せざるを得ない。


(どうして俺をあんな野郎に付けるんだ……?)


 正直、村雨の考えが分からなかった。伊勢佐木町のクラブでの一件を忘れたのか。あそこで小泉をボコボコにしてしまったのは、奴が俺を口汚く罵ってきたから。沖野だって同じだろうに。


 しかし、話を聞いていると村雨には何やら別の意図があるようだった。


「沖野には昔から、熱くなりやすい傾向きらいがあってな。ひと度戦が起きれば我を忘れてのめり込み、周りが見えなくなる。あれではいかん。軍勢の将としては些か失格だ」


「はあ? おいおい、何だそれ。失格だったら、どうして行かせるんだよ。他に適任の奴が居なかったからか?」


「うむ。たしかに人手が足りぬのもあるが。我が組の今後を見据えて、沖野にはここで経験を積ませておきたいのだ。隊を率いる経験をな。涼平、お前には奴の視野を補ってもらいたい。奴が無事に将としての務めを果たせるよう、支えてやるのだ」


「いや、ちょっと待ってくれよ……」


 つまりは俺にカチコミ部隊の“副将”をやれということか。眉間にしわを寄せつつ尋ねてみると、村雨組長は案の定大きく頷いて見せた。


「ああ。それもまた修行のうちよ。他者の不足を補い支えたという経験は、必ずやお前の今後これからにとって大きな糧となるであろう。ゆえに、しかと励め。よろしく頼むぞ」


 いやいや。冗談じゃない。誰が好き好んで、あんな男のアシスタントを請け負うというのか。経験以前に、強襲作戦自体が失敗に終わるではないか。


 そもそも俺に補佐役が務まるわけがない。誰かを近くで支えたことなんか無いに等しいし、生まれつき団体行動は大の苦手。ギャング集団に身を寄せていた時には、むず痒くて仕方なかったくらいだ。何かに向かって集団で動くという感覚が生物的に受け付けないのだ。


 組の未来を見据えての判断であると村雨組長は言う。ひとりの兵としては優秀であるものの将としては未熟な沖野が、いずれ自分の組を持った際に困らぬよう、早いうちから勉強させておく目的とのこと。実に素晴らしい、村雨の親心だ。主旨は大いに賛同できる。


 だが、どうしてパートナーが俺なのか。沖野の未熟さを補う役回りが必要というが、もっと他に適格者がいるはず。それこそ、腰巾着のごとく沖野にくっついている舎弟たちに任せる方が良いと思う。協調性の欠片も無い俺より、よっぽど相応しい。


(俺自身にも経験とやらを積ませるため……?)


 だとしても、理解に苦しむ決定だ。俺の修行が目的ならば「お前ひとりで大鷲会残党を壊滅させろ」と命じた方が、難易度的にも十分すぎるほどの経験値を得られるものを。むしろ、そちらの方が良かった。誰かとチームを組んで動くなど、当時の俺にとっては単騎で修羅場をくぐるよりも難しいことだった。


 しかしながら、ここでは組長の意思が全て。あれこれ理屈を並べて抗議したところで、怒りを買うのが関の山。不興を買って良いことなど何ひとつ無い。俺は渋々承諾するしかなかった。


「……ああ。わかったよ。その沖野って奴の下に付けばいいんだな。やるだけ、やってみるよ。上手くいくかどうか、分かんないけど」


「うむ。今宵は早く休め。明日は実に忙しいぞ。少しでも体に力を蓄えておくことだな」


「あ、ああ……」


 歯噛みして組長室を出た俺は、まっすぐに自室へと向かう。


 こういう心理状態のことを「不本意」と呼ぶのだろう。納得できない苛立ちは嫌悪感に変わり、やがては虚しさとなって胸を刺してくる。来る明日が憂鬱で仕方ない。順調に事を成し遂げる己の姿が想像できない。考えれば考えるたび、ため息が口をついて出てくる。


(……明日、マジで不安だな。ヤバすぎる)


 予定では午前9時に2台のバンに分乗し村雨邸を出発することになっている。真金町の笛吹派のアジト前で暫し張り込んで、人が集まり始めたタイミングを見計らってカチコミをかける手筈。


 敢えて白昼堂々、陽の出ている時間帯に強襲を行うのもれっきとした作戦の一部である。夜討ちを警戒しているであろう敵の裏をかく、村雨の策だ。この手の荒事は少年期から成功させてきた百戦錬磨の組長の立てた計画というだけあって、安心感は非常に大きい。単純な行程だけを見れば、成功する気しかしなかった。


 問題は、俺と沖野の連携。それが唯一にして最大の懸案事項といえよう。


 沖野が俺を快く思っていない以上、顔を合わせれば確実に諍いが起こる。こちらが譲歩するなり堪えるなりして口論を避けたとしても、いざ戦闘が始まった時に向こうが俺のために動くとは思えない。


 また、村雨組長は状況次第では俺が沖野の代わりに組員たちをまとめ上げるよう指示したが、そんなことが出来る見込みは皆無。麻木涼平を嫌っているのは沖野だけに限らず、他の連中とて同じなのだ。彼らが俺の言うことを聞くとは考えられない。せめて俺にリーダーシップを発揮した経験さえあれば少しは違ったが、そんなものは無し。人を動かすこと自体が初めての俺にとっては、あまりにも不利な大仕事だった。


 敵意を持つ人間が目の前に現れた瞬間、スイッチが入ったように我を忘れて大暴れするという沖野。味方に犠牲が出ようが、自身がダメージを受けようがお構いなし。敵を殲滅するまで止まることは一切無いとのこと。村雨から聞いた沖野の普段の戦いぶりには、即座に思い当たるものがあった。


(いや、それってまさに俺じゃん)


 もしかすると俺と同等、あるいは俺以上の戦闘中毒者なのかもしれない。言ってしまえば似た者同士。だからこそ、俺が補佐役兼お目付け係に選ばれたのか。ますます理解できない人選である。こうした役回りには本来、性格が正反対の者が付いてこそ真価を発揮するというのに。


 風呂を済ませて布団に入ったが、俺は依然として納得できないまま。疑問や異論は増えこそすれ、減る気配は一向に見られない。


 言いたいことは沢山ある。吐露したい愚痴も大いにある。けれども次第に眠気の方が勝ってきたので、ひとまず俺は寝ることにした。そもそも心情を漏らす相手がいない点はさておき、人間疲労には抗えぬもの。気づいた時には、既に眠りに落ちていた。少しでも明日がマシになることを祈りながら。


「……」


 ところが、そうはならなかった。


 翌朝、俺は定刻通りに待機場所へと向かった。待機場所と言っても屋敷の門前で、バンやセダンなど組の車が複数台停めてあるだけのこじんまりとした空き地。そこで組員たちと合流する手筈となっていたのだが、肝心な人物の姿が見当たらない。沖野が居ないのだ。


(あいつ……まさかの遅刻か……!?)


 時間厳守の概念など毛頭にないヤクザのこと。きっと5分や10分の遅れは当たり前かと思ったが、沖野は以前として現れず。待てど暮らせど、姿を現わす気配が一向に無かった。


 ふと時計に目をやると、俺が到着してから30分が経過しようとしていた。こうなってくると流石に周囲も騒ぎ始める。元来神経質な性分ではない俺自身も少しずつ苛立ちが募り始める。


「……」


 無駄なトラブルに発展するのを防ぐため可能な限り話しかけまいと思っていたのだが、もはや止むを得ない。痺れを切らした俺は、たまたま近くに居た組員に問うた。


「あのさぁ。沖野はいつになったら来るんだ? いくら何でも遅くねぇか? どんだけ待たせんだよ」


 すると、その男は一瞬ギョッとした眼差しで俺を睨む。兄貴分を「沖野」と呼び捨てにしたのが気に障ったのか、明らかに不愉快そうな面持ちだった。


 しかし、彼の怒りの放出は寸前のところで抑えられた模様。深い呼吸を間に挟みつつ、淡々とした口調で答えてくれた。


「ふう……まあ、俺たちも気になり始めたところだよ。沖野の兄貴のことだ。きっと何処かに寄り道でもしてるんだろ。あの人の気まぐれは今に始まったことじゃない」


「ああ、そうかよ。だったら、さっさと呼び出せばいいだろ。早く行かねぇと。カチコミの算段が崩れちまう」


「バカが。そんなことしたら沖野の兄貴に殺されちまう。あの人はご自分の調子を崩されるのが何より嫌いなんだ。急かすなんざ御法度。ただ、俺たちは待つしかねぇんだよ。てめぇもだよ、麻木」


「はあ!? 何だよそれ……!?」


 俺の提案を険しい顔で一蹴した若衆曰く、沖野という男は兎にも角にもマイペースな人物とのこと。常に己の調子の如何によって行動し、寝坊や遅刻は日常茶飯事。過去には「つまらなそうだから」という理由で組の行事を途中退席したこともあったほど。


 話を聞いた俺は、開いた口が塞がらなかった。


「おいおい。とんだ気分屋じゃねぇかよ……」


「ああ。気分屋だな。おかげで芹沢の舎弟頭オジキがいた頃は大変だった。沖野の兄貴、顔を合わす度に怒鳴られて説教されてたよ。尤も、その舎弟頭は居ねぇんだけどな。てめぇのせいで」


 最後に嫌味が付け足されたが、ここは粛々とスルーするのみ。いちいち激昂して殴りかかっていたのでは体力が持たない。組長からの言い付けもある。我慢のしどころだ。俺は苦笑いで受け流した。


「ああ。そうかよ……」


「芹沢の舎弟頭が抜けた穴を埋めるために、兄貴も一段と忙しくなっちまってよ。あのご気性に多忙な日々はお辛かっただろうなあ。基本、自分の興味のあることしかやりたがらないお人なんだよ。沖野の兄貴は」


 それでも一騎当千の喧嘩の腕を持っているため、村雨組長からは贔屓ともいうべき扱いを受けているという沖野。日頃の素行不良も殆どが大目に見られ、罰を受けたことは一度も無いのだとか。この辺りは何とも村雨らしいというか、実力主義に偏り気味な村雨組の風潮が強く表れた人事といえる。


 しかしながら、組長から命じられた作戦の刻限に遅れるのはいただけない。己の遅刻のせいで計画が破綻したらどうするつもりなのか。


 沖野が「将たりえない」理由が、何となく分かった気がする。これでは集団を率いることなどできないだろう。付き従った者がいたずらに翻弄されて、泣きを見るだけだ。個人的には嫌悪感の方が強かった。


(ったく……何やってんだか……)


 そんなことを考えていると、周囲が再び騒がしくなる。組員たちが交互に顔を見合わせ、何やら驚いていた。


「なあ、あれって……兄貴じゃねぇか……?」


「あ、ほんとだ! 沖野の兄貴だ!」


「やっと来られたか……え、でも、待てよ? 何か服がボロボロになってねぇか……?」


「たしかに血まみれだよな。ま、まさか!? ここへ来る途中で!?」


 遠くからゆっくりとこちらへ近づいてくる人影。それは紛れも無く、沖野本人だった。しかし、どういうわけか服が汚れている。顔にもベッタリと血のようなものが付着している有り様。これは只事ではないと、すぐに分かった。組員たちは一目散に沖野の元へ駆け寄っていく。


「沖野の兄貴ー!!」


「おう。お疲れさん。待たせたな。どうした? お前ら。そんなに顔色を変えて。万有引力を見つけ出した時のニュートンみてぇなツラになってるぞ?」


「い、いや。だって。兄貴。そのお体」


「ああ? これか? 実はここへ来る前、ちょっと寄り道してきてたんだわ。心配かけてすまなかったな。実は……」


 もしや連中の懸念の通り、本当に道中で襲撃を受けたのか。沖野がどうなろうと所詮は俺の知ったことではないが、気になったのでとりあえず近づいて行ってみる。


 すると、沖野の口から飛び出したのは思いもよらぬ言葉だった。


「……さっき、大鷲会を壊滅させてきた」


 皆、衝撃に包まれる。


「ええっ!?」


 腰を抜かしかけたのは俺もまた同じ。一体、いかなる意味か。妙な胸騒ぎが起こる。


 その後、沖野の話に黙って耳を傾けて分かった真相は予感の通りだった。なんと沖野は、たったひとりでカチコミを仕掛けてきたらしい。それも4人や5人ではない。50人弱の敵が籠る雑居ビルに単身突撃を敢行、ほぼ全員を討ち取ってきたというではないか。


「何人か取り逃がしちまったけど、残りは全員ブチ殺してやったぜ。三下にしちゃあ、なかなか骨のある奴らだった。面白い喧嘩ができた。心残りといやあ、笛吹本人が敵陣ヤサにいなかったことだなぁ……」


「ちょ、ちょっと待ってください! 沖野の兄貴、本当におひとりで行かれたんですか!?」


「本当だとも。その証拠に、ほら。この服の染みは連中の返り血だ。おう、嗅いでみ? 鉄みてぇな匂いするだろ? 本当は拳銃ハジキを使いたかったんだけどな、ちょうど良い所で弾切れを起こしちまって。仕方ないから刀でやったよ。やっぱ、慣れねぇ道具は使うもんじゃないなあ。おかげで時間かかっちまったわ」


「いや、でも、何でまた……? 兄貴おひとりで。仰って頂けたら、俺たち駆け付けましたのに。どうして……?」


 あたふたする舎弟たちに、沖野は笑みを浮かべながら言った。


「そりゃあ、決まってるだろ。面白い喧嘩がしたかったからだよ。大勢を相手に単騎で切り込む機会なんざ、そうそう巡ってくるもんじゃねぇ。お前らには悪いが、独り占めさせてもらったよ。ま、おかげで丁度良い憂さ晴らしになった。ありがとな」


「……」


 周囲が唖然とする中、沖野は何食わぬ顔で屋敷の方へ向かってゆく。得物の白鞘刀の手入れを舎弟に押し付け、自らは組長へ“戦勝報告”へ向かう模様。何というか、起きた出来事が想像の斜め上を行き過ぎて理解が追い付かない。俺自身も、言葉を失うしかなかった。


「な、なあ……これって、今日のカチコミは終わったってことか?」


「うん。一応、そういうことになるのかもな。だって、敵は沖野の兄貴が壊滅させちまったわけだし。俺たちが出る幕は、もう無いかも」


「いや。でも、兄貴。何人か取り逃がしたって言ってなかったか? それに、笛吹本人は居なかったって……」


「組長の判断を仰ごう。俺たちの一存じゃあ決められねぇ。ともあれ、麻木ガキと一緒にカチコミをやらなくて済むのは僥倖だわな。とりあえず、行こう」


 しばし呆気に取られていた組員たちは、やがて沖野の後を追ってぞろぞろと戻り始める。ひとり、その場に残された俺。頭をよぎったのは決して少なからぬ懸念だ。またしても聞こえるような嫌味を言われた件もさることながら、どうにも引っかかることがあったのだ。


(笛吹の行方が分からなくなった……)


 真金町の雑居ビルに集団でカチコミをかけ、大鷲会笛吹派の面々を制圧する。笛吹が居合わせた場合は配下ともども殺し、不在だった時には敵兵の1人を捕縛して拷問にかけ、居場所を吐かせる――。


 それが今回の作戦の主旨だった。移動手段が普通の車ではなくバンだったのは、捕らえた敵構成員を村雨邸まで拉致するためでもある。襲撃場所に笛吹が居ても居なくても、効率的に掃討計画を進められるよう緻密に練られた策だったのだ。沖野の抜け駆けにより、全てがパーになってしまった。


 笛吹の所在は依然として不明なままで、ビルに居た子分たちを殺してしまったことで情報を得る唯一の術すらも失われた。


 挙げ句の果てには、現場から何人か逃げ出した者がいるというではないか。奴らは確実に笛吹の元へ向かい、拠点を襲撃を受けた旨を報告する。一連の事実を知った笛吹は警戒心を更に強め、村雨組おれたちに尻尾を掴ませぬよう息を潜めるはず。


 そうなったら、笛吹の身柄を押さえるのが格段に難しくなるのだ。あるいは己の可愛い弟分たちを惨殺されたことに激昂し、もっと過激な攻撃行動に走るかもしれない。どちらにせよ村雨組にとっての状況は、今よりも芳しからざるものとなる。それを分かっていて、沖野は勝手な抜け駆けを行ったというのか。元来戦闘中毒者に考える頭など無いのだろうが、俺はあの男の正気を疑わずにはいられなかった。


(あのクソが……余計なことしやがって!!)


 無論、憤慨したのは俺だけではない。血まみれで鼻を高くして帰ってきた沖野の口から事の経緯いきさつを全て聞かされた村雨組長は当然、烈火のごとく怒った。沖野が得意気な口調で話したことにより、火に油を注いだのだろう。村雨は怒髪天を衝き、奴を殴り倒したという。


 組長の剣幕は凄まじく、その怒鳴り声は部屋を通り越して廊下にまで響き渡った。2階が大変な騒ぎになっているというので恐る恐る村雨の部屋の前まで行ってみると、瞬間的な衝撃が目の前を襲った。


 ――ドサッ!!


 刹那に肝を冷やした俺。何事かと思い状況を注視してみると、組長室の前に沖野が倒れている。顔面には複数の傷痕と、強く打ちのめされたような痕。周囲には沢山の木片らしき物体が散らばっていて、そんな中で沖野は外れた部屋の戸を背にして仰向けに倒れている格好だった。


(もしや、部屋から叩き出されたのか……?)


 そう思った瞬間。室内から村雨が出てきて、大の字にのびた子分を見据えて荒々しく言い放った。


「少しは己を省みたか! 愚か者め! 若頭補佐でなければ、即刻首をねておったところだ! お前ごときが我が主命に背くなど、百年早い!!」


「ぐうっ……ううっ……」


「これに懲りたら、二度と勝手な振る舞いは慎むことだな。次は無いものと心得よ!!」


 さんざん折檻した部下に駄目押しの叱責を浴びせた後、村雨は懐から銃を取り出して容赦なく引き金をひく。


 その行為に俺は仰天したが、それだけ村雨の怒りが沸騰状態にあるという何よりの証といえよう。勿論、村雨も殺す目的で発砲したわけではない。射線は中心を敢えて逸らしている。放たれた弾丸は横たわる沖野の頬をかすめ、彼の顔に新しい切り傷をつけた。


「ぐああっ!」


「此度のけじめぞ。この痛みを終生忘れず、心を入れ替えて勤めに精進せよ。分かったな?」


「す、すんませんでした……組長……つ、次こそは……次こそは笛吹の首を獲ってみせますから……! この沖野おきの一誠いっせい、命に懸けて……!」


「ほう。あれほど痛めつけてやったというに、お前は何も分かってはおらぬのだな。もう良い。お前に期待した私が誤っておった」


 一連の場面を呆然と見つめていた俺たちをよそに、村雨は一旦部屋の中へと戻って背広を羽織る。そして険しい表情で再び出てくるや否や、近くに居た組員に吐き捨てるように命じた。


「出かけて参る。戻るまでに片づけておけ」


「は、はい! 行ってらっしゃいませ!」


 これから会合へ出かける途上だったようだ。居並ぶ若衆たちが一斉に「行ってらっしゃいませ!」と頭を下げたので、ひとまず俺も頭を下げておく。


 無言で去って行く村雨だったが、通り過ぎる間際に一瞬だけ俺と目が合った。ちょうど立礼の姿勢から頭を起こした時だ。


 いつになく殺気立った雰囲気で、こちらから話しかけるなど出来る由も無い。向こうも向こうで特に言葉をかけたりはせず、互いに気まずい沈黙を保ったまま距離が離れてゆく。ただ、俺には確かに感じられていた。もしかすると気のせいかもしれないが、俺の心は正確に1つのメッセージを受け取っていた。


 極道たるもの、主君の命令に背くことは絶対に許されない――。


 原則中の原則とも云うべき渡世の掟であり、大前提。この意味をほんの一瞬たりとも忘れた自分が愚かしい。集団行動が苦手という下らぬ私情にとらわれ、あまつさえ村雨組長の命令に軽々しく異議を訴えようともした。俺は馬鹿だ。とんだ大馬鹿者だ。


 君臣の関係とは、すなわち滅私奉公。疑問を挟む余地など無い、絶対的なことわりである。そこを外れることは死を意味する。命をもって抗う覚悟が無い限り、主君に逆らってはいけないのだ。


(こいつが、ヤクザの世界の掟ってやつか……)


 しっかりと胆に銘じつつ、俺はその場を離れた。嫌な役回りを務めなくて済んだのは結果として果報といえるが、特に喜んだりはしない。弟分の手を借りて辛くも起き上がる沖野の様子を横目で睨み、反面教師にしようと己に言い聞かせるだけであった。

村雨組若頭補佐・沖野おきの一誠いっせいが初登場。

涼平とは上手くやっていけるのでしょうか……?


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