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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第7章 そして少年は極道になった
121/252

わずかな光を求めて

 インターコンチネンタル・ホテル横浜――。


 村雨邸からタクシーを飛ばして30分ほどの尾瀬島地区に聳え立つその施設は、俺の想像を大きく超えた場所だった。


 欧州の宮殿を彷彿とさせる荘厳な様式で建てられた外観といい、ペルシア風絨毯が床一面に敷き詰められて天井からはシャンデリアがぶら下がっている内部といい、目につくものすべてが豪華絢爛。


 受付付近には敢えて利用客に見せびらかすかのごとく数々の調度品が展示してあり、エレベーターの扉やエスカレーターの踏み段には金箔がおしみなくあしらわれている。壁や柱に至っては丸ごと大理石を使っている有り様だった。


 こうした高級ホテルの宿賃は、1泊するだけで一体いくらを要するのやら。想像するだけで頭がおかしくなりそうだ。金持ちの考えることは流石に規模が違う。最も、煌王会本家舎弟頭補佐ともなれば安い出費なのだろうか。関東出張の際の定宿として毎回難なくチェックインできるというほどに。


(ったく。あいつめ……)


 俺がここへ遣わされた目的はたったひとつ。先ほどまで村雨邸に居た、件の煌王会幹部・家入行雄の足取り調査だ。


 持ち帰るべき獲物は決まっている。家入による敵対勢力の人間との密通を明確に示す、決定的スクープ。ヒョンムルの構成員と談笑している場面でも撮って帰れば良い。写真さえあれば、家入をはっきりと問い質せるのだ。「あなたは在日コリアンのマフィアとつるんで我々を陥れる気なのか?」と。


 家入の企みを見抜くことができれば、村雨組を取り巻く状況も打開の鍵が見つかるかもしれない――。


 暗闇の中に差し込んだ微かな光。たとえか細く垂らされた1本の蜘蛛の糸であったとしても、俺たちは縋るしかなかった。案外、物事の突破口は近くに転がっていることも多い。ならば掴んでやろうではないか。


 そんな淡い期待を胸に秘め、俺は観察を開始する。ひどく冷房の効いた空間の中、キョロキョロと周囲を細かく見渡していた。


(家入はいるか……?)


 見たところ、奴らしき人物の姿は無し。時間的におそらくは客室へ入ってしまったものと思われるが、そもそもホテルのロビーは人が多い。おまけに「インターコンチネンタル」の名を冠するだけあって、1階の奥行きがかなり広いときている。大空間でごった返す客の中から目当て人物を探さねばならないとは、とても難しい。


 また、桜木町や関内あたりの安宿とは違い、首都圏でも指折りの高級ホテルだけあって集まる人々の装いにも品性が漂っている。ゆえにスカジャンにジーパンというきわめてラフな格好で来てしまったことを強く後悔した。明らかに場違いだ。


(ったく、さっさと出て来いってんだよ!!)


 非常識な服装に加えて、せかせかと落ち着かない挙動。近くを通り行く者たちの冷たい視線が俺に容赦なく刺さったのは言うまでもない。耳を傾ければ、軽い嘲笑の声も聞こえる。自分を包み込む居心地に、俺は何度も吐き気を催してしまったのだった。


 だが、そんな時。


(ん? あれって……!?)


 見るからに異様な集団が目に留まった。ノーネクタイのシャツに派手なスーツを着込み、屋内だというのにサングラスをかけた15人前後の男たち。中には目元や頬に斜め一文字の傷が入った者もちらほら。全員、顔に見覚えは無い。されど彼らの職業が何か、俺は一瞬で分かった。


 あれは、ほぼ間違いなく暴力団関係者だろう。醸し出す雰囲気に殺伐としたものが混ざっている。少なくとも素人特有の緩さは無し。目の前に現れた人間がカタギであるか否か、極道社会にて数ヵ月暮らしたおかげで何となく分かるようになってきていたのだ。


 ヤクザだとすれば、おそらく家入組。遠地へ赴く親分の護衛にしては少し数が多いような気もしたが、この嬉しい想定外を活かさぬ手は無い。


 よもや自らお出ましになるとは。家入組長本人が現れるのをじっと待つ手間が省けるため、俺にとってはとてつもない僥倖。彼らの後をつければ標的の元へたどり着ける。突如として現れた厳つい集団に辺りが騒然となる中、俺は周囲の人混みに紛れてゆっくりと近づいてゆく。すると、会話が聞こえてきた。


「おい。頼んでおいた例の件はどうなった」


「つつが、なく。進んでおります、よ」


「仕掛けは順調か? あれが上手くいけば俺は一気に出世できるんだ。絶対に気を抜くなよ? しくじったらただじゃおかないぞ」


「もち、ろん。わかって、いますとも」


 中央に立つ大柄な男が、何やら険しい顔つきで指示を飛ばしている。彼は組の幹部なのか。随分と尊大だ。すっかり縮こまっている部下たちの様子からして、きっと普段から威丈高な振る舞いで畏怖されているものと思われる。ああいう部類の人間はヤクザにはかなり多い。俺の勘は的中した。


(やっぱり家入組……とすると、若頭か?)


 プロレスラーを想起させる恰幅の良い体躯に、背中のあたりまで伸びた金色の長髪。ただでさえ異質な集団の中にあって、ずば抜けて目立つ容姿をしていた。その上、身に纏っているのは軍服のような少々変わったデザインの背広。小柄で地味な風貌のボスとは対照的といえる。こんな人物が家入組のナンバー2だったとは。


 少し首を傾げながらも、俺は張り込みを続行する。人影に身を隠してしばらく様子を窺っていると、やがてそこへ1人の男が現れる。


「遅くなりました! 申し訳ございません!」


 エレベーターの方から小走りで駆け寄ってきた痩せ型のチンピラ。今度は見覚えがある顔だった。先ほど村雨邸にて、ふんぞり返る家入の背後に立っていた随行の組員だ。能の小面のような平べったい顔が印象的だったので、よく覚えていたのだ。


 ともあれ、これではっきりした。家入はこのホテルに滞在している。ここが奴の関東出張時の定宿であるという噂は、やはり本当だったようだ。村雨組の諜報活動も伊達ではない。組長から伝えられた事前情報によれば、たしか7階のスウィートルームを愛用していたのだったか。


 しかし、直後に俺の耳へ飛び込んできた会話は意外なものだった。


「気にするな。我々も今しがた、ここへ到着したところだ。家入さんと契約の詳細を確認したい。さっそく、案内してもらおうじゃないか」


「ええ。こちらへどうぞ」


「村雨組に察知されてはいないだろうな? 今や、横浜中に奴らの目があるようなものだからな。下手な動きは慎まねばならない。俺がこうして、ここであなた方と会うことも……」


「ああ、その辺についてはご心配なく! どうせ村雨は何も知りませんよ。うちの組長も抜かりないですから。何もかも、大丈夫です」


 思わず、ハッとさせられる。やって来た男が村雨組の情報網に気づいていたことではない。家入を「家入さん」、家入組を「あなた方」と呼んだことだ。


 普通、若頭なら前者は「組長」あるいは「親分」、後者は「身内」などと呼ぶべきところだろう。出迎えた者の態度も、どこかよそよそしい。若頭どころか家入組の人間ですらなかったようだ。


「本当に大丈夫なのか? おたくらのボスは何も言ってこないが、例の物はきちんと保管できているのか? 莫大な実入りが見込めるからこそ、我々はリスクを負ってまで家入さんの話に乗ったんだ。しっかりやってもらいたい」


「あははっ! 大丈夫ですとも! 事は順調に運んでますから。ただ、今はマーケットの数字を見定めてるだけです。チョウ総督が不安に思われることは何ひとつありませんよ」


 組の関係者でないとすると、男は一体何者なのか。家入の子分にはチョウ総督と呼ばれていた。“総督”という肩書きもさることながら、“チョウ”なる響きには違和感がある。明らかに日本人の名前ではない。とすると、思い当たる可能性はたったひとつ。


(こいつらはヒョンムル……!?)


 そう仮定付ければ様々な疑問に説明が付く。チョウ総督とやらが連れている部下の日本語のイントネーションが妙に不自然だったことも、そもそも日本人でないというなら納得できるのだ。総督自身は流暢に喋れるものの、部下たちは不得手で片言。十分にあり得る話である。


 韓国人における文化や風習は知らないが、ヒョンムルではボスのことを「総督」と呼んでいるのか。醸し出す雰囲気や風格を見るに、この人物が連中の頭目であることは容易に合点がいく。よもや、こんなにも早くお出ましになるとは。


 想像の斜め上をいく急展開に多少戸惑ったが、いちおう期待通りの光景ではある。俺はポケットからペン型カメラを取り出すと、素早くシャッターを切った。家入組の若衆と韓国マフィアのボスらしき男が会っている現場。もちろんこれだけで家入の奸計を証明することはできないが、事態打開に向けて一歩前進できた。


(家入本人が出てきたらなぁ……)


 心の中でボソッとため息をつく。されども美味しくない結果ではない。念のための予備として1枚ほど余計に撮ったが、連中に気づかれた気配は無し。人混みのおかげか、ここに俺が潜んでいる事すら気づいていない。


「ささ、そろそろ上へ参りましょうか。うちの組長も首を長くして待っておりますので。何かお召し上がりになりますか? ここのホテルはルームサービスで和洋中、好きなものを注文できますよ。ああ、皆さんなら炒飯とか回鍋肉とか?」


「けっこうだ。既にたらふく食ってきた。あと、俺たちは毎日そういうものを食ってるわけじゃない。ステレオタイプな見方は感心しないな。あんたに限った話じゃないが、日本人は昔からそうだ」


「へへっ。そいつぁ、すんませんね」


 軽口を叩く家入組組員に先導され、チョウ総督たちは奥のエレベーターホールへ消えていく。部屋の前まで追いかけることも一瞬考えたのだが、結果的には止めておいた。同じゴンドラに乗れば確実に気づかれるし、階段で上がろうにもエレベーターの速さにはとても追い付けない。


 おまけに俺が知り得ているのは「家入はスウィートルームに泊まっている」という情報のみ。階数までは不明。ホテル上階の構造を把握していない以上、迂闊に動くのは危険でしかなかった。


(とりあえず、あいつらが帰るまで待つか)


 俺は改めて気合いを入れ直す。身を潜めるという行為は意外と大変なものだが、己の行動に大切な人の未来が懸かっていると思えば苦ではない。もちろん四六時中意識を張り続けているわけでもなく、途中で寸暇を挟む。


 すると、近くの会話が聞こえてきた。コンシェルジュらしき女が客の男と何やら地図を見ている。


「あのさぁ。このホテルはバスターミナルも兼ねてるんだよね? 乗り場にはどこから行けるわけ?」


「南側通路をお出になって、まっすぐ進んだところでございますね。ここからですと、あの木を左に曲がって頂いて……」


「えーっ。わかりにくいなあ。申し訳ないけど、案内してもらっていいかな? これじゃあ人が多すぎて迷っちゃうよ」


「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」


 然もありなんといった面持ちで誘導を始める女性従業員に、不機嫌そうな目をしながらついてゆく男性客。どうもロビーの人混みが多すぎて、玄関の場所が分からなかったとのこと。おまけに玄関自体もひとつではなく複数あり、訪れた客を大いに惑わせる構造をしている。


「先月に来た時もそうだったんだけどさ。このロビーは常に混んでるよね。たしか、あの時は夜だったかな。0時を過ぎてもけっこう人がいたから、思わず『はあ!?』って思っちゃった」


「たしかに多いですよね。私自身ここで働き出してから5年目になりますが、利用されるお客様の多さには毎度のこと驚かされております。たぶん、港に近いからではないでしょうか? 埠頭には24時間、ひっきりなしに船がやってきますし」


「ははーん。どうりで外国人が多いわけだ。あと、空き部屋さえあればチェックインも自由な時間にできるんだっけ。そのせいで愛人を連れてラブホ代わりに使う金持ちの客も多いって噂も聞いたけど」


「さ、左様でございますね……」


 なるほど。家入がここを宿泊先に選んだ理由が何となく分かった気がする。三ツ星ランクの高いサービス品質以上に、安全性という点において非常に優れた特徴を備えているのだ。


 多くの脅威を抱える者にとって、最も懸念すべき事態が敵の来襲。暗殺を企てる人間は大抵の場合、標的が滞在する場所の周辺に隠れ潜んで待ち伏せ攻撃を仕掛けてくるもの。


 ロビーがいつも人でごった返している空間ならばヒットマンは迂闊に発砲できないし、銃でなくとも刃物や爆弾といった道具を抜いた時点で騒ぎになる。また、玄関口が複数あることは即ち「脱出経路が複数ある」ことを示す。襲われる可能性のある極道者から見れば、実に嬉しい点が揃っている。


 単純なように見えて、警戒心は人一倍のものを持っている家入。曲がりなりにも煌王会で幹部に成り上がっただけのことはある。己が周囲に反感を買ってつけ狙われる可能性も全て織り込み済みか。だとすると、これから奴の足取りを追うのは容易ではないと思えてくる。


(何としても奴の尻尾を掴まねぇと……)


 先ほど貰ったパンフレットによると、すべての玄関口がこのロビーに繋がっている。上階から降りるエレベーターもまた然り。よってホテルを出る際には必ずここを通らねばならない。ずっと見張っていれば、いつかは必ず姿を現わしてくれる。


 ただ、問題は人混み。ここは渋谷の交差点かと見紛うほどに人が多すぎる。前回、村雨組の諜報部隊が途中で見失ったというのも大いに頷けた。この混み具合では是非も無し。家入の容貌は把握しているが、行き交う客の中に溶け込まれてしまったらどうしようもない。


 厄介なことに、奴は小柄だ。仮にロビーへ降りてきたとしても「近くを通る一般客が邪魔で見えなかった……!」という展開も十分に考えられる。ゆえに出来るだけエレベーターホール周辺で待機した方が良いのではとも思ったが、近づきすぎれば却って見つかる危険性が高まってくる。


 考えれば考えるほど、様々な懸念が脳裏をよぎっては消えてゆく。しかし、俺が実行に移せたのはせいぜい近すぎず遠すぎず、適度な距離を保つことのみ。


「ねぇ、さっきからあそこにいる人は何をやってるんでしょう? ずーっと、キョロキョロして。パパラッチか何か? 気味が悪いわ」


「放っておけ。このホテルは各界の著名人御用達なんだ。特ダネを求める記者がいても不思議じゃないだろう。誰を追いかけてるのかは分からんがな」


「ほんと、嫌な職業ね。誰かの醜聞を糧にお金を稼ぐなんて。ほら、見てよ。あの人の顔。内面の下品さが顔つきに表れてるじゃない」


「ははっ。言えてるな。きっと普段から下品な暮らしをしているんだろう。ドブの中を走り回るネズミみたいに」


 裕福そうな老夫婦に軽蔑の詞を浴びせられたが、ここでいちいち気にしている余裕は無い。少しでも視線を逸らそうものなら、たちまち見過ごしてしまいそうで怖かった。本音をいえば「おい、ジジイ。誰が下品だって? もう1回言ってみろや!」の台詞と共に、右ストレートをお見舞いしてやりたかったのだが。


「……」


 湧き起こる雑念を抑え、ただひたすらに張り込みを続けること暫くの後。どれくらい、時間が経った頃だろうか。俺の視界の警戒線に何かが触れる感触がした。自然に意識へ反射する。


(あ、あれは……!)


 1人の男が目に飛び込んできた。がっしりとした大柄な体格に金髪のロン毛。半歩後ろを歩くスーツ姿の厳つい集団を従え、多くの人波を威圧でかき分けるように進んでいる。その隣には、薄っぺらい能面みたいな顔の男。間違いない。先ほど見た顔だ。ヒョンムルのボスらしき人物と、家入組の舎弟である。


 会談が終わって、引き上げるところなのだろうか。俺は慌てて彼らの方へ接近してゆく。集団の中に家入本人の姿は無い。先刻踏んだ通り、見送りは部下に任せて自らは部屋に留まっているものと考えられる。


「いやあ~、わざわざご苦労様でした。チョウ総督。後は我々の方で進めておきますので、どうかご安心を。皆さん方にデメリットは何らございませんよ。大丈夫です」


「くれぐれも頼むぞ。分かってると思うが、もしも約束を違えるようなことがあれば、その時は……」


「大丈夫ですって! うちの組長は今の今まで、あちら方面のシノギをしくじったことがありませんから。煌王会の現会長がバカなのはあなたもご存じでしょう。安心してお待ちください」


 相変らずヘラヘラと笑う家入組組員に対し、チョウ総督はどこか不安げな様子。一体、何について話したのだろうか。煌王会六代目を「バカ」呼ばわりした時点で、よからぬ内容でないことは容易に想像がつく。


(家入はヒョンムルと組んで、何かを企んでる)


 疑念が確信に変わるのに、大して時間はかからなかった。陰謀の詳細は不明である。しかし、話の節々から察するに家入組とヒョンムルは、共同で何か利益を上げようとしていると見て間違いない。やはり、確かめるべきは舎弟が口にした「あちら方面のシノギ」の正体。帰ったら、すぐにでも村雨組長に調査を進言しようと思った。


 また、気になることはもうひとつ。チョウ総督を含めて、ヒョンムルの皆々は家入のことをいまいち信用しきれていないようなのだ。後ろで控えていた構成員は首を傾げつつ、あからさまに表情を曇らせた。


「やっぱり怪しいんじゃないですか? 家入は信用できないと思います。金塊の隠し場所だって、こっちには一切教えてくれないし……」


「おい。外ではリーベンの言葉を使えと、いつも言ってるだろ。何度言えば分かるんだよ。馬鹿者が」


「す、すみ、ません」


「話は後で聞いてやる。いずれにせよ、いま我々にすべきことは村雨組を潰してハン・ピンの権益を拡げることだ。そのために家入さんは欠かせないお人なんだよ。1度は乗りかかった船だ。降りるわけにはいかない」


 向こうの言葉で何を言ったのか。当時は語学に明るくなかったので詳細な和訳こそできなかったが、家入は信用できない等の懸念を表明したことは何となく伝わってくる。


 一方、ボスに真顔で窘められて、部下の男は「わかりました」と素直に引き下がった。そんなチョウたちの様子を見ていた家入組の組員は満面の笑みで言い放つ。


「その通りですよ! 我々と組んでいれば莫大な実入りを手にできる! あなた方は我々の大切なパートナー。心配することなんて、なにひとつありません。きっと、上手くいきます」


「……」


 さながら新興宗教の宣教師。目元から口調まですべてが胡散臭い。たぶんチョウ総督も本心では、ひどく怪訝な感想を抱いたことだろう。苦笑を交えて一礼すると、逃げるようにその場を後にしてしまった。


(ヒョンムルは家入を快く思っていないのか?)


 推論の域を出ないが、連中のやり取りを見れば一目瞭然だ。利害関係が一致しているため表面的には手を携えているものの、裏では信用ならざる相手として警戒している。謂うなればビジネス上の付き合い。利害の一致が無くなれば即座に破綻する関係といえよう。


 問題は、家入の本当の思惑だ。ヒョンムルを駒に使って、成そうとしている最終目的。その辺りが分からなかった。村雨組を潰して、横浜の利権を奪うあたりまでは読める。しかし、その先だ。組員は煌王会にまで言及していた。いずれ煌王会の現体制から離反する腹積もりなのか。


 俺は家入の立場でシミュレーションを行ってみた。


 ニセの和平協定を持ちかけ、村雨組を心理的に油断させる。体よく武装解除に持ち込んだところでヒョンムルを嗾け、一斉攻撃によって村雨組を壊滅に追い込む。その後は横浜を支配し、煌王会から離反できるくらいの財を蓄える。そして用済みとなったところで手を切り、今度はヒョンムルを滅ぼす――。


 流れとしては、そんなところか。もちろん自説に疑問が無いわけではない。家入が煌王会を裏切るつもりなら、たかだか川崎と横浜の一部を仕切るだけのヒョンムルでは手駒として使うには少し物足りないではないかという点だ。


 前に菊川から聞いた話だと、さほど兵は有していなかったはず。元々は川崎のコリアタウンを守る自警団として始まった組織。韓国本国から増援を呼ぶにしても、限りがある。家入組も一緒に戦うとして、2万6千人の煌王会と渡り合えるとは到底考えにくい。


 家入組とヒョンムルだけで、煌王会に対抗するすべ如何いかに。あれこれ考察を繰り広げてみるも、その疑問を明確に解決できるだけの答えは浮かばない。やはり、もっと深く調べてみる必要がありそうだ。家入が海外マフィアと組んでいる証拠は手に入った。後は、陰謀の真相究明を残すのみ。そのためにも、まずは家入の動向を追わなくては。


 だが、そう思って顔を正面に向け直した瞬間。俺は息を呑まされた。視線の先にあったのは、想定外の光景。恐るべき偶然だった。


(い、家入……!? なんでここに!?)


 チョウ総督らを見送り、1人になったと思われた薄い顔の組員。その隣に家入が立っていたのだ。


「……」


 先刻までは来ていなかったはず。一体、いつから居たのだろうか。無論、瞬間移動など不可能であろう。普通に考えれば俺が頭の中で考察に耽っていた間にやって来た、ということになる。夢中になっていた所為か、足音が聞こえず全く気づけなかった。とんだ不覚を食わされたものだ。


 とはいえ、幸いにも家入は俺の存在を悟っていない。火をつけたタバコを深く吸い込みながら、組員と何やら話している。先ほどにも増してロビーの雑音は騒がしくなっているが、ここでみすみす聞き逃す手は無い。俺は気を取り直して、奴らの声を懸命に耳で拾った。


「おう、帰ったか。チョウさんたち。前よりも日本語が上手くなってたよなあ。大したもんだ」


「ですねぇ。お上手になってました」


「最も、必死こいて日本語を学んだところで所詮は無駄な努力なんだけどな。どうあがいても、奴らは俺たちには勝てない。日本の極道が最強なんだよ。アジアでも。裏社会でも」


「ええ。組長の仰る通りです」


 真っ白な鼻息と共に吐き捨てた家入に追随するかのごとく、にこやかに相槌を打った薄い顔の舎弟。


 やはり、俺の予想は当たっていた。家入も家入で、ヒョンムルを使い勝手の良い駒としか思っていない。パートナーなどという対等な関係にあると嘯いておいて、本音では徹底的に見下しているのだ。両者の同盟は風前の灯火。少しでも行き違いが生じれば、簡単に破綻してしまうだろう。すぐに予想がつくことである。


「……んじゃ、中華街の段取りは確認できたことだし。俺はちょっと出てくるかな。軽く飯でも食ってくるよ。ひとりで行くから、ついてこなくていいぞ。ここで待っとけ」


「承知しました。では組長、お気をつけて」


「おう」


 呆れ返っている間に、家入はホテルを出て行こうと歩き出す。おっといけない。またしても意識が上の空を向いていて、危うく聞き逃すところだった。俺は慌てて奴の背中を追いかける。向かう先は何処なのだろうか。


 外は快晴。されども気温は25℃弱で、炎天下が照りつける残暑の続いていた当時の9月中旬にあっては、比較的穏やかな日差しといえる。決して涼しくはないが、いつもよりは屋外で過ごしやすかった。


 暑さが酷くないおかげか、10メートルほど先を行く家入の足取りは軽やか。こちらとしても尾行がしやすいので文句は無いのだが、奴の歩幅が大きい所為で、気を抜けばどんどん距離が離れていってしまう。ゆえに、途中で見失わないか不安だった。


(どこへ行くんだ? 散歩のつもりか……?)


 横浜という戦地のド真ん中にいるというのに、護衛もつけずに単独での外出。家入は煌王会の人間だ。ヒョンムルを手駒にしているとはいえ、横浜市内には他にも狗魔や旧大鷲会笛吹派などが跋扈している。万が一彼らと出くわせば、確実に襲われるだろうに。状況を考えれば不自然としか言いようがなかった。


 しかし、家入の歩みは止まらない。やがて奴は大通りでタクシーを拾うと、颯爽と乗り込む。こんな展開もあろうかと予め現金を持参してきて助かった。俺はすぐさま別の会社のタクシーに声をかけると、運転手に出発を促す。「あの車を追いかけてくれ」という指示には困惑されたが、ここは無理を承知で押し通すだけだ。


「いやいや。お客さん。刑事ドラマじゃあるまいし。そういう悪ふざけには協力できませんって」


「うるせぇ! 黙って車を出せや! 金なら払う。ほら、何をもたもたしてんだ。早く行かねぇと、見失っちまうだろうが」


「大体、何のために追いかけるっていうんです? そもそもお客さん、あなたは何者? まあ、まずは会社に許可を取らないことには……」


「おい、いちおう言っとくけど。俺は村雨組の人間だ。名前くらいは知ってんだろ? 断ったら後でどうなるか、分からねぇとは言わせねぇぜ?」


 村雨組。その名を聞いた瞬間、運転手の表情が一気に青ざめた。


「た、大変失礼いたしました……すぐに発車いたします」


「うん。物分かりが良くて助かるわ」


 このような場面で軽々しく組の名を使うことは不本意ではあったが、やむを得ない。渋る相手を“説得”するには最も効率の良い。まだ正式な組員ではないが、組長の使いで動いている分には立派な関係者だろう。その程度の認識でシートベルトを締め、荒い運転のタクシーに揺られ続けること20分。


「あれっ。停まりましたね……ああ、あのビルの前で降りるみたいですよ? いや、でもあそこはたしかマンションの建設予定地だったような……?」


「んなこたぁ、どうでもいいよ。どんな場所だろうと奴が降りた場所が目的地だ。ま、いいや。俺も降りるわ。運賃の釣りは要らねぇよ。ありがとな」


 俺は千円紙幣を2枚置くと、すっかり怯えきった様子の運転手にドアを開けて貰い降車する。着いた場所は鶴見。人通りの少ない静寂に包まれた所だった。俺を乗せ終えたタクシーが行ってしまうと、他に見当たる車も無し。辺りは落ちた陽の夕闇に包まれていた。


(えっ、どこだ……?)


 ふと前方に目をやると、家入は1軒の建物の中へ入ってゆく。先ほど運転手が言った通り、そこは建設中のマンション。しかしながら工事は半ばストップしているようで、作業員の姿は皆無。むき出しになった鉄骨や未完成の内壁が目立ち、もはや廃墟と呼ぶにふさわしい空間だった。


 こんな場所に、何の用があるというのか。散歩の終着地点にしては不気味すぎる。まさか、食事をしに来たわけではないだろう。目的は当の家入のみぞ知ること。俺は恐る恐る、出来るだけ距離を保ちながら慎重に奴の背中を追った。


 最大限に音を立てぬよう、壁を伝って1歩ずつ足を踏み出してゆく。すると、通常の住居でいえば5階のフロアに差し掛かった時。不意に話し声が聞こえた。疲労感ゆえのノイズではない。男が2人、確かに談笑している。


(んっ?)


 ゆっくりと近づいて壁に身を隠し、ホテルのロビーに居た時以上に息を潜めた俺。研ぎ澄まして傾けた耳の中には、どこか聞き覚えのある声が飛び込んでくるではないか。吐息を漏らさぬよう口に手を当てながら、どうにか脳内で照会をかけてみる。


 答えは、意外にも早く出た。


「……遅くなって悪かったな。そろそろお前も、“生きた人間”に戻る頃だ。準備はこっちで整えてある。少し手間取っちまったが、各方面に話は通してあるぞ」


「へへっ。さすがは大叔父さん。感謝するぜ。けど、俺には未だやり遂げなきゃいけねぇことが残ってんだ。せっかくだが、もうちょっとだけ“死人”のままでいさせてもらうよ」


「おいおいよしひさ。もう十分に暴れただろ。他に何が残ってるって言うんだ? 俺はそろそろ潮時だと思うが?」


「何が残ってるって、決まってんだろ。復讐だ。そうじゃねぇと、わざわざ死を偽装した甲斐が無いってもんだ。これからが本番だぜ。麻木涼平を地獄に突き落とす、最高の計画のなぁ」


 家入と語らう、黒髪の男。その男の名を俺は知っている。笛吹うすい慶久よしひさ。たしかに、その男だった。

家入と笛吹の関係とは……!?

次回、恐るべき真相が明かされる。

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