運命の邂逅
村雨組――。
相手が恐ろしい集団である、という事実は以前から認識していた高坂であったが、肝心な組長・村雨耀介の容姿をまったく知らなかったそうだ。
「戦において、相手の情報を把握するというのは基本中の基本だからね。写真の1つでも、入手できれば良いんだけど……」
そう悩む高坂に俺は、彼自身のコネクションを使う事を提案した。当時の早稲田大学はOB会の力が強く、卒業後の結びつきは非常に強いと聞いていたのだ。
「早稲田だったら卒業した後、ポリ公になった奴もいるだろ? そいつから村雨の情報を得るってのはどうだ?」
「なるほど。その手があったか!」
東京に戻った高坂は即座に、OB会に掛け合った。卒業生には警察庁に入庁した者が確かに沢山いたようだが、いずれも多忙を理由に断られてしまったらしい。そこで彼は次に、新聞社に入った先輩・Hを頼る。
Hは高坂の頼みを聞き入れ、多額の情報料と引き換えに村雨の経歴や身体情報、さらには写真を独自のルートで入手してきてくれた。映っていたのは、想像を超えて厳めしい容姿の男である。
「この男が……村雨耀介?」
髪型は黒のオールバックで、ソファーに深く腰掛けて、向かい側にいる誰かと話している。眉は非常に細く、それでいて威圧的な目元が印象的だった。
何だ、この男は――。
鳥肌が立った。ゾクゾクと凍るような感覚が背筋に走る。
「……」
言葉を失う俺に、高坂が更なる説明を加えてくる。
「1968年6月15日生まれ。身長は182cm。ちょうど3年前に、自分の組を立ち上げたようだね。裏社会での異名は……ええっと、残虐魔王?」
Hが寄越して来たもう1つの書類によると、村雨はこれまでに殺人など複数の罪状で何度も逮捕されているようだ。ところが、どういうわけか全ての事件で不起訴になっている。その理由について、Hは『証人をことごとく抹殺して証拠を隠滅しているから』だと考察しているそうだ。また高坂は彼に、強い口調で言われたとのこと。
『村雨には関わるな。マジで死ぬぞ』
しかし、彼が事態を打開するためには村雨と直接、話をつけねばならない。避けては通れない道だった。
「明日あたり、行ってみようよ」
「事務所に乗り込むのか?」
「いや、違う。そんな事をしても待ち伏せされて、殺されるだけだ。逆に僕らの方が、“奇襲”をかけてやるのさ」
ついでにHが調べてくれた情報によると、村雨は元町にあるクラブで頻繁に飲んでいるらしい。そこに押しかけ、和解の交渉をするのだと高坂は話した。
「おいおい……ヤバいぞ、それは」
「どうして?」
「どうしてって、護衛の取り巻きがいるだろ」
「それについては問題ないよ」
俺は耳を疑った。高坂曰く、村雨がそのラウンジで飲むときはいつも、1人なのだという。部下を連れずにやってきては、懇意にしているママと飲み明かすのだとか。
「おいおい。マジでやるのかよ!?」
「大丈夫。僕だって、全く無策で行くわけじゃない。作戦は練ってあるよ」
「作戦?」
不安を隠しきれず眉間にしわを寄せる俺に、高坂は“作戦”の内容を淡々と説明した。
「いくら村雨が1人とはいえ、離れた場所で、護衛の部下が待機してるはずだ。そいつらが駆けつけてくる前に、奴に本題を切り出して交渉する。それで、もしも囲まれたら……とにかく暴れるんだ。僕はボクシングをやってるし、キミは喧嘩じゃ負け無し。何とかなるって」
「おいおい……」
思わず、拍子抜けしてしまった。あまりにも単純である。一般的には頭脳明晰で知られているエリート大学生の発想とは、到底思えない。だが裏を返せば、高坂の聡明さを以てしても、これが限界だという事だ。
得体のしれない相手の所に乗り込んで、圧倒的に不利な状況で交渉を成立させ、どうにか和解に持ち込む――。
この絶望的にも程があるミッションにおいて事前に立てられる作戦など、たかが知れているだろう。俺はどうにか、心を奮い立たせた。そして、最早なるようになってしまえという思いで覚悟を決める。
「よし。やるっきゃねぇな」
「うん。行こう」
村雨の顔も分かったので次の日の晩、さっそく直談判に乗り込もうと決まった。
1998年5月21日。
向かったのは、中区元町の『フェアリーズ』という店。クラブといってもマーキュリーのような形態ではなく、接待型飲食店だ。「高級クラブ」などという俗称を出せば、イメージしてもらえるだろうか。
「いよいよだな……」
「あ、ああ」
現場に着いたのは、夜の9時を少し過ぎた頃。入り口で身分証の提示を求めたボーイを突き飛ばし、開いたばかりの店内にズカズカと踏み込んでいく。すると、奥のカウンター席に、1人の男が腰かけているのが見えた。
(いた!!)
村雨だ。俺たちの存在に気づいたらしく、こちらに向かってぐんぐんと歩いてくる。胸がギュッと締め付けられる感覚がした。
(こ、こっちへ来る……)
あの衝撃は未だに覚えている。
写真で見た時よりも、生の村雨が放つ威圧感は桁外れだった。背広の上を脱いだYシャツの袖からは、刺青が透けて見える。きっと身体全体に彫られているのだろう。まさに、幾多もの修羅場を潜り抜けてきたであろう本物の極道の貫禄であった。圧倒されないわけがない。彼が「残虐魔王」と呼ばれている理由が、何となく分かった気がする。
そんな村雨は俺たちの目の前まで歩いてくると、低い声で言った。
「誰だ。お前たちは」
たった一言だけだが、冷酷な殺気に満ちている。負けるまいと思ったのか、高坂は少し声にドスをきかせながら、言葉をぶつけた。
「どうも。村雨組の組長さん。僕の顔は知ってるよね?」
「知らんな」
「僕は高坂晋也。あなたが殺したいと思っている相手だよ」
正面から切り出していく高坂に、目を丸くする村雨。
「殺したいだと?」
「ああ。あなたは僕を標的にかけて、血眼になって探し回っている。だから、こっちから来てやったのさ」
「はて? そのようなことを考えたおぼえは無いが」
2人のやり取りを見た俺は、違和感を覚えた。
何かが、おかしい――。
村雨は麻薬取引の件で、高坂を狙っていたのではなかったのか。まるで初対面のような反応である。
「今日は、あなたにお願いがあって来た」
「ん? 何の話をしている?」
駄目だ。話が噛み合わない。
どうやら村雨は、高坂の事を本当に「知らない」ようだ。何を尋ねても、何を言っても首を傾げるばかり。
(いったい、何がどうなっているんだ!?)
その時、店に複数の男たちがなだれ込んで来た。皆、それぞれ派手な柄のスーツを着ている。
「組長、ご無事ですか!?」
彼らは皆、マーキュリーを襲撃した7人である。
「テメェら、ここがどこだか分かってきたのか? ああ!?」
あっという間に、俺たちは囲まれてしまった。だが、こうなる事は事前のシミュレーションで想定済みである。
「うおおおおーっ!」
交渉などは二の次。
当初の計画通り、俺と高坂は暴れ出す。現役のヤクザを相手にどこまで通用するのか、まったく分からなかった。しかし、ここで何もしなければ一方的に嬲り殺しにされて死ぬだけ。生き残るためには、やるしかない。
――バキッ!
さっそく、拳で右の頬を殴られた。
「うぐっ」
ジワジワと効いていく強烈な痛みに耐えながら、俺は反撃する。
「この野郎、舐めるなぁっ!!」
――ボコッ!
殴ってきた男の腹に、強烈なパンチを叩き込んでやった。
「ぐ、ぐはぁっ」
いわゆる「腹パン」である。力任せに極めたので、男はその場に倒れ込む。口からは血が噴き出ていた。
「まだまだぁー!!」
俺が闇雲に目の前の相手を倒していく一方、高坂の戦法は至ってスマート。ボクシングの基本動作を軸に、左右のパンチを交互に繰り出して、恐るべきスピードで相手を殴り倒していった。
(は、早い……)
やはり、ボクシング経験者は伊達ではないようだ。
喧嘩に慣れたアルビオンのメンバー全員をシメて、無理やり己の配下に置いたという武勇伝も納得できる。高坂と共に、俺は無我夢中で拳を振るい続けた。降りかかる火の粉を振り払うがごとく、懸命に相手に攻撃を叩き込んでいく。
そして、15分後。俺たちは全員を倒してしまった。
「はあ……はあ……」
俺はその場に座り込む。スタミナのある高坂でさえ、さすがに息をきらしているようだった。周囲には動けなくなり、ダウンした組員たち。相手を殴る事に夢中で気づかなかったが、この乱闘で店内は滅茶苦茶に壊れていた。テーブルはひっくり返り、観葉植物は倒れて床はグチャグチャ。
荒れに荒れた現場を見まわしながら、村雨が口を開く。
「大した暴れっぷりだな。改めて聞くが、うちの連中と何があったのだ?」
そういえば、まだ会話の続きであった。途中で組員たちが乱入してきたせいで、途切れてしまったのだ。最も、噛み合ってはいなかったが。切れる息を全力で整えながら、俺は村雨に尋ね返した。
「……あんたこそ、高坂を狙ってたんじゃねぇのかよ」
「知らんな」
「だったら、コイツらがこないだマーキュリーに来たのは何だ? あんたの手下なんじゃねぇのか?」
「知らない」
こちらの質問が、悉くスルーされている。返答の際、村雨の視線は一切、泳いでおらず「嘘をついている」といった気配は感じられない。
(もしかして、本当に知らないんじゃないか……?)
だが、あの時に来た連中は自分達が「村雨組」であると、たしかに名乗っていた。現に、こうして俺たちに再び襲い掛かって来たのだ。その事実に変わりは無い。埒の開かない問答に苛立ちが溜まった俺は、声を荒げてしまった。
「とぼけんなよ!! テメェが、けしかけたんだろうが!!」
「知らないと言っている。いい加減、しつこいぞ」
「うるせぇよ。下手な嘘ついていると……」
すると、その瞬間。村雨の声色が変わった。
「おい。『下手な嘘をついていると』、どうなるというのだ?」
先ほどよりも声が一段と、大きくなっている。眼光の鋭さも研ぎ澄まされ、ここへ来る前に写真で確認した時と同様のオーラを纏っているではないか。
「……」
恐ろしい気迫に圧倒されて硬直した俺に、村雨は貫くような声で続ける。
「小僧よ。私を脅すつもりなら、考え直した方が身のためだぞ。私とて、見たところ高校も出ていないであろうガキに打ち負かされるほど軟弱な男ではないからな」
そうして、彼はゆっくりと立ち上がり、こちらを睨みつけた。
「お前、自分が口を聞いている相手が誰なのか。分かっているのか?」
全身が凍るような思いであった。初めて相対するヤクザが、これほどまでに怖いとは。幼少期に親父の事務所で遊んでもらって馴染んだ連中とは、比べ物にならない。雰囲気から何まで全く違う。さながら、別世界の人物にも見えてしまう。
しかし、ここで負けたら全ての努力が水泡に帰す。バクバクと音を立て始めた胸の鼓動と、震えが止まらなくなっている両手の変化を悟られぬよう、俺は必死で言葉を繰り出した。
「……分かってるよ。泣く子も黙る村雨組の組長さんだろ? けどな。今はそんな事、どうだっていいんだよ!!」
「お前、私が怖くないのか?」
「あ、ああ! 怖くないね!! 何だったら、今ここでボコってやろうか?」
その瞬間、村雨は目を見開いた。
「!?」
だが、すぐにまた先ほどまでの厳しい表情に戻る。ほんの1秒にも満たない、わずかな瞬間であった。
「……」
俺は身構えた。
相手は現役のヤクザの組長である。戦闘力は十分にあるはず。おまけに喧嘩の経験値もたっぷりと有しているだろうから、いくら俺が川崎ではほぼ最強だったとはいえ、決して油断できない。というか、明らかにこちらが不利のように思えてならない。
(勝てるのか……!?)
今度は、両足までガタガタと震え始めた。目の前にいるのは、得体のしれないモンスターのような存在。俺は、底知れぬ恐怖というものを生まれて初めて味わった。一方、高坂はただ唖然として見ているだけ。きっと、彼自身も恐怖で震えていたのだろう。終始、無言であった。
「……」
慄然としながらもファイティング・ポーズを取り続ける俺に、ただ立ちつくす高坂、そして余裕たっぷりの姿勢で静かな威圧感を放つ村雨。いま振り返ってみても、胃の奥底が痛くなるようなプレッシャーだった。
ところが3人だけの空間がしばらく続いた後、村雨の口から飛び出したのは思いがけない言葉だった。
「まあ、いい。場所を変えよう。お前たち、腹は減っていないか?」
「えっ?」
「腹は減っていないかと聞いたのだ。そうだ、この近くに馴染みの美味い中華屋がある。ついてこい」
わけが分からない。正直なところ、戸惑いが強すぎて困惑した。しかし、ここで無暗に断れる空気でもない。本気で拳を交えたらきっと、負けてしまうだろう。
「あ、ああ……」
そのまま俺と高坂は、村雨に導かれるまま店を出た。白いYシャツを夜風になびかせながら、元町のネオン街を闊歩する村雨の後に続いて歩く。通行人は、サッと道を開けた。
「さて、ここだ」
やって来たのは、フェアリーズから50mほどん離れた位置にある中華料理店。そこには既に配下の組員たちが顔を揃えていた。
『ご苦労様です!!』
彼らが一斉に頭を下げる中、村雨は俺と高坂を席に着かせる。腰を下ろすなり、問われた。
「エビとカニ、どちらが好きだ?」
すかさず答える。
「エビ」
その時、店内にいた組員たちがギョッとした目で集まってきた。だが、円卓の向こう側にいる村雨が片手で制止する。
「お前たちは下がっていろ。問題はない。それから、厨房に『エビを1つ』と伝えよ」
組員たちはソロゾロと店を出て行った。
ちょうど、客が少ない時間帯だったのだろう。鍋を火にかけ、具材を炒める厨房の音が漏れてくる店のホールに居たのは俺と高坂、そして村雨の3人だけ。少し重い空気が流れ始めたところで、村雨が高坂に問う。
「話の続きをしようではないか。まず、私がお前らを殺そうと思った事は1度もない。にも関わらず、お前らは自分達が狙われていると主張している。この理由は何故だ?」
「……実は」
高坂は村雨に、組の縄張りの中で麻薬を売っていたこと、それを一部の組員に咎められた挙句に上納金を納めるよう要求されたこと、そして断ったら襲撃されたことなどを全て、説明した。
「なるほど。そういうことだったか」
話を聞き終わった村雨はコクンと頷くと、静かに言った。
「どうやら、とんだ誤解をしていたようだな」
「えっ?」
「そもそも私は、そのエクスタシーなる薬をシノギにしてはいないからな。カタギの素人に領地の中で勝手に売られようが、知ったことではない」
「でも、この間……」
村雨は首を大きく横に振った。
「あれは、私の意思ではない。下っ端連中が私の名前を勝手に用いて、こちらの許しも得ずに小遣い稼ぎしていただけのことだ」
「じゃあ、『上納金を払わないと、組長に殺される』っていうのは……?」
「方便だな。そのような命令、私は1度たりとも下した覚えは無い」
どうやら1週間前、マーキュリーに来襲した組員たちは親分の名前を勝手に使い、無断で収入を得ようとしていたようだ。
村雨組長は、自分を標的にしてなどいない――。
その事実を悟ったのかホッと息をつき、胸をなでおろした高坂。そこに、村雨が声のトーンを落として釘を刺す。
「だが、あまり調子に乗らぬ方が良い。チーマーとして遊ぶのも良いが、ほどほどにすることだ。我々は、その気になれば何時でもお前たちの人生を潰せるのだからな。肝に銘じておけ」
口調こそ淡々としていたが、目つきは非常に恐ろしい迫力に満ちている。
「……」
すっかり、高坂は縮こまってしまった。
「分かったら、さっさと帰るが良い」
「……はい。失礼します」
背中を小さくして、彼は去っていった。俺も慌てて後に続こうとしたが、村雨に止められる。
「待て!」
ビクッとして固まった俺に、村雨は席に戻るよう促す。
「飯を食っていけ。ここの料理は絶品だぞ」
それから間もなくして、料理が運ばれてきた。海鮮チャーハンだった。メインの具材にはズワイガニがたっぷりと使われ、ほんのりとした胡麻油の香ばしい香りが、食欲を掻き立てる。
「……これを俺に?」
「ああ。食ってみろ。美味いぞ」
俺は軽く「いただきます」と呟くと、言われた通りにスプーンでひと掬いして口へと運んだ。何のことは無い。ただのチャーハンである。
「どうだ?」
しかし、正直に感想を答えるわけにもいかない。「美味くも不味くもありません」と答えようものなら、即座に殺されそうな雰囲気だったのだ。
「……悪くない」
「フフッ。そうか。遠慮せずに食え」
特に腹が減っているわけでもなければ、中華料理が食べたい気分でもない。俺は、目の前で自分をジッと見つめる極道者に配慮しながら、山盛りのチャーハンを黙々と口に運び続けた。その途中で、村雨は様々な質問を投げてくる。 俺は緊張感を保ったまま、一言で簡潔に答えていく。
「年はいくつだ?」
「15歳」
「若いな。仕事は何をやっている?」
「何もやってない」
淡白なやり取りが、更に続く。
「横浜の人間か?」
「川崎。ちょっと前に、ここに来た」
「ほう。そうか。あの高坂という男とは、どうやって知り合ったのだ?」
「偶然」
炒飯を噛みしめながら、俺は思った。
(何だ……この会話は……)
傍から見れば、とんでもなく奇妙なやりとりであろう。しかし、それは俺が皿の上に盛られた炒飯をすべて平らげるまでの間、ずっと続いた。
「……ふう。ごちそうさん」
やっとの思いで炒飯を完食した俺に、村雨が思いがけない言葉をかける。
「お前、明日からうちの組に来い」
「は?」
沈黙が一瞬、その場を呑み込んだ。
「あの、それってどういう……」
「言葉通りの意味だ。お前、明日からうちの組で働け」
村雨は続けた。
「衣食住は与えてやるぞ。このまま無職でフラフラし続けても、先なんかあるまい」
「いや、そんな。いきなり言われても……」
突然の話に思わず、俺は腰が浮いてしまう。
しかし、その瞬間。村雨がギロリ、と険の浮いた目で睨みつけてきた。そして低くて抑揚の無い声で、ただ一言、問うてくる。
「……私の要求を拒むと言うのか?……」
恐ろしい世界でその名を轟かせる、武闘派ヤクザからの恫喝。
これは最早、応じるほかに選択肢は無い――。
腹を括った俺は、静かに軽く頭を下げた。
「おう。よろしく頼むぞ」
こちらの反応を見て、満足そうに目を細めた村雨だったが、簡単に納得できなかった。筋の通った話ではないのはもちろん、支離滅裂が過ぎる。
(どうして、俺が……?)
頭の中が、大量の疑問符で埋め尽くされる。先ほどの会話の流れから、どうしていきなり「ヤクザになれ」と言われるのかが分からない。勧誘の仕方があまりに強引だ。しかし、同時にある考えも浮かんでいた。
村雨の話に乗ってみるのも、悪くないのではないか――。
事実、彼の指摘はもっともだった。その時点では高坂およびアルビオンと行動を共にし、一定の収入を得ていたものの、将来が見えるかと問われたら決してそうではない。善良なる市民が大企業への就職を目指すのと同じように、永続して安定した暮らしを目指す、という点において、どこか強い組織に属する事は必要不可欠なのだ。
(まあ、嫌になったら辞めれば良いか)
軽い気持ちのまま、流れに身を任せることにした。しかし、この時の俺は気づいていなかった。
ヤクザの世界の光と影を。
そして、村雨耀介という男の本当の恐ろしさを。
これにて「第1章」は終了です。
ヤクザの世界に片足を突っ込んだ涼平クン、
これからどうなるのでしょうか……?