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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第7章 そして少年は極道になった
111/252

危険な取引

 一夜明けて、1998年8月31日。


 またしても、俺は村雨から呼び出された。例によって自室でボーッと午後の暇を持て余している最中、伝令役の組員が乱暴に扉を叩く。何でも、“火急の用”があるのだという。


「急いで来い、とのお達しだ。ったく。組長のお気持ちが分からねぇな。どうして、お前みてぇなガキを高く買ってらっしゃるのか。格段に頭が良いわけでもなけりゃ、シノギに通じてるわけでもねぇ。ただ、他の奴より腕っぷしが強いだけだろうに」


「ヘヘヘッ、そうかもしれねぇな。けどよ? ヤクザにとって、喧嘩の強さってのは何より大事なことなんじゃねぇの? 少なくとも、俺はあんたの数百倍は強い自信があるぜ。何なら、今ここで試してやろうか? ああ? この下っ端野郎」


 早々に露骨な台詞が飛んできたので、こちらも負けじと威圧で返してやった。


 売り言葉に買い言葉。傍から見れば実に稚拙かつ短絡的な光景だったであろう激しい応酬は、村雨の執務室へと繋がる廊下を歩く間、ずっと続いた。


 お叱りを受けた翌日と言えど、こうした場面でつい熱くなってしまうのは俺の性。自分でも、だいぶ悪辣な文言を使ってしまっていたと思う。


「麻木……覚えとけ。この世界、上には上がいる。お前なんか所詮は井の中の蛙。ましてや自分テメェが組長と肩を並べるくらいに強い、などとは間違っても思わねぇこったな」


「うるせぇなあ。んな事は思っちゃいねぇよ」


「だと良いのだが。まあ、何にせよ。いつか泣きを見る日が来るだろうな。今まで喧嘩で負け知らずでいられたのは、たまたま相手にした奴らが弱かっただけのことだ。くれぐれも勘違いはしねぇようにな」


「どうも。参考程度に頭の片隅にでも置いとくわ。で? あんたは俺より強いのかよ? 話を逸らさねぇでくれや。俺の存在がそんなに不満なら、さっさとかかって来ればいいじゃねぇか。あんたにその度胸と腕っぷしがあれば、の話だがな。ハハハッ!」


 俺としては、もはや慣れきっている。村雨組に戻ってから1ヵ月以上。こうした口論を他の若衆どもと繰り広げる頻度は日に日に増えていった。


 向こうから浴びせられる言葉の大半は嫌味。人によってはキツメの忠告もしくは助言アドバイスと捉える場合もあるかもしれないが、生憎そのように受け取ってやる素直さなど持ち合わせてはいない。


 いちいち真に受けて気にしていたのでは、心が擦り減る。だからこそ、こちらは挑発的な煽り文句と罵詈雑言に昇華させ投げ返してやるのみだ。


 やがて、互いに早口でまくし立てる口喧嘩に疲れたのか。2階の階段を昇り終えた直後、組員は大きなため息をわざとらしく吐き捨てたのだった。


「はあ……本物の馬鹿には、何を言っても無駄か」


 そう呟くと、彼は静かにその場を去って行ってしまう。


(ああ? 何だあいつ、すっげえムカつくわ)


 されど、呼び止めたりはしない。今は村雨から呼び出しを受けている。要らぬ喧嘩を終わらせるのは、もってこいのタイミングだろう。ここで敢えて後を追いかけていたのでは時間の無駄。


 やり場を失くした怒りで拳を強く握り震わせながら、俺はまっすぐ目的地へと向かう。数分後、襖を開けた先に居た組長は案の定、首を長くして待ちかねていた。


「遅い! 遅すぎるぞ。急いで来いと申し伝えたはずであろうに。どこで油を売っていた?」


 こちらも予想通り。やっぱり叱咤が飛んできた。一体、この人はどこまでせっかちなのか。しかしながら、今回ばかりは俺にも言い分はある。


「いや、あのさ。途中で邪魔が入っちまってよ。あんたが呼び出しに遣わした野郎にグダグダ絡まれたんだ。それさえ無かったら、もうちょい早く来れたかもしれねぇのに」


「さようなものは腕ずくでも振り切って来れば良かろう。わざわざ、構ってやることなど無い。奴はお前を妬んでいるだけだ。相手にするな」


 俺だって本当は一発ぶん殴ってでも組員を振り切りたかったが、先に「揉めるな」と言ったのはあんたの方じゃないか――。


 そんな反論が一瞬頭に浮かんだが、藪蛇に激昂されるのも面倒なので言わないでおく。もはや過ぎた話。いつまでも引きずっていては精神衛生上よろしくはない。


 気持ちを切り替えるかのごとく、俺は一呼吸分の間を挟んだ後に本題を切り出した。


「……わかったよ。で、何だ? “火急の用”ってのは。よく分かんねぇけど、どうせまた何か仕事があんだろ?」


「家入の件でな。少し、気になっていることがある」


 具体的には何をすれば良いのやら。いまいちピンと来なかったので首を傾げていると、村雨は俺に一枚の紙を寄越してきた。手帳のページを破り取ったようで、罫線が付いている。


「え、これって……?」


 若干の見覚えがあった。


「ああ。お前も昨日、応接室で目にしたと思うがな。そこに載っている家入の得意先とやらが、果たして信用に足るところなのか。見極めなくてはならん」


 俺が両手に取った、はがきサイズの紙切れ。


 前日に家入が菊川に渡したものだった。視線を落としてみると万年筆の楷書体で何やら銃の名前が一行ずつ、住所らしきものと共に事細かに羅列されているではないか。


【横浜市〇〇区△丁目 ××-××××】


 そう。家入が「今後の抗争の助けになる」とわざわざ提供してきた、彼が懇意にしているという武器の闇ブローカーの連絡先である。


 ご丁寧にも、名前のすぐ近くに電話番号とおぼしき記載まである。もちろん上から下まで手書き。思わず息を呑んでしまうくらいに全ページ分、詳しく書かれていた。


(うわあ。こいつは細かいな……)


 ただ、問題はその信憑性。いくら家入組が諜報活動と調査力に長けた集団であるとはいえ、こんなにも沢山の情報を1度に持って来られるはずがない。


 ましてや銃というハイリスクな物品のこと。洗剤や食器類といった日用品を売る店をリストアップするのとは、明らかに勝手が違うのだ。どう考えても怪しいだろう。


「なんか、すっげえ胡散臭いわ。つーか、よく分かんねぇけど銃とか麻薬ってのはヤクザの専売特許なんだろ? この街でハジキを扱う売人が村雨組以外にいて良いもんなのか?」


 村雨も、俺とまったく同じ意見だった。


「うむ。無論、良くはない。この街で我らの知らぬ者が道具を売るということは、それ即ち我らの所領が荒らされていることに他ならん。例外を認めては組の名が廃る」


「なるほど。そういう奴が横浜に居るって事自体、あんたらにとっちゃあ死活問題ってわけだな。前に高坂の野郎が追い込みかけられてたから、その辺の事情は一応分かるぜ。最も、若頭は気づいてないみたいだけど?」


「……あれは浮かれておるのだ。極道のさだめの何たるかを忘れ、守るべきを見失うほどにな。つくづく困ったものよ」


 嘆息が室内を支配する。菊川の有頂天ぶりは、もはや組長の目に余る域にまで達しつつあるらしい。きっと長年にわたる悲願を叶えた喜びがそうさせてしまったのだろう。


 されど、直系昇格の話が出鱈目である可能性も捨てきれない以上は慎重になるべき。とりあえず推論を述べてみた。


「ぜんぶ罠なんじゃねぇの? 村雨組を嵌めてやろうっていう家入の罠だ。大体、あのクソオヤジ。どうして横浜の事情を知ってんだよ。あいつのシマ、たしかけっこう離れたところにあんだろ?」


「ああ。家入の所領は豊橋だ。同じ県ですらない。おまけに奴は生まれも育ちも愛知。まともに考えれば、こちらの地理に精通しているはずも無いのだ」


「だよな。この“得意先”とやらも絶対におかしいぜ。他の街を縄張りにしてるヤクザが、何でわざわざ横浜で銃を仕入れる必要があるんだよって話」


「うむ」


 大きく頷いた後、村雨は続けた。


「涼平。お前を呼んだのは他でもない。お前にはこれより、この紙に記された闇商人の素性を暴き、そこに潜む家入の悪しき思惑が何であるかを調べてもらう」


「調べる……? えっ、どうやって?」


「この後、16時に〇〇の埠頭で菊川が件の売人と会うことになっている。お前は奴に付き添い、そこに現れた相手の出方をしかと見張るのだ」


 例によって、今回はずいぶんと展開が早い。


 村雨の裁可を仰がぬまま、闇売人との商談を独断でセッティングしてしまった菊川。ひとまず会って話を聞き、条件さえ良ければその場で購入を決定するのが彼の段取りとのこと。


(おいおい、マジかよ……)


 流石に呆れざるを得なかった。あまりに短絡的すぎる。つい前日に情報を貰ったばかりの得体の知れぬ相手、それもシマ荒らしの張本人と、何故にここまで早く取引を行う流れへ至ってしまうのか。


 さらに聞けば、菊川は取引用に1000万円ほどの現金を用意したという。


 極道にとっては所詮「はした金」と割り切れる程度の額で、支出先も村雨組の活動資金ではなく全てポケットマネーなので道義的な問題は一切生じない。


 しかしながら、組織の実務を取り仕切る若頭としてはあまりに軽率な行動だ。浮かれているとはいえ、これでは自らカモにされるようなものではないか。


「武器を安く売る云々の話が出鱈目なら、行った先で何が起こるか分からねぇだろ。相手は家入組の兵隊かもしれないし、家入が差し向けたヒットマンって可能性もある。殺されてまんまと金だけ奪われる顛末オチは目に見えてるぜ? 行かせちまって、本当に良いのかよ?」


「構わん。お前も知っているだろうが、菊川は強い。大勢の敵に囲まれる展開になったとしても奴ほどの腕があれば容易に切り抜けられよう。むしろ少なからず痛い目に遭った方が、あれにとっては良い薬となる。頭を冷やすにはもってこいではないか」


 菊川自身の身の安全について、村雨はほとんど心配していないようである。厳しいというかドライというか。菊川の強さに絶対の信頼を置いているとも受け取れる一方、彼がどうなろうと知ったことではないと突き放す冷たさも感じられる。自然と苦笑がこぼれてしまった。


「ははっ……ちげぇねぇや。ま、いざとなったら俺も加勢するぜ。そのために一緒に行かせんだろ?」


「たしかに、そのねらいも無くはないのだがな。本当の仕事は別に用意してある。涼平にしか頼めぬ仕事だ」


「えっ」


 どうやら、乱闘沙汰に発展した場合における喧嘩の助っ人だけではないらしい。戸惑う俺に村雨が指し示したのは、少し意外な内容であった。


「誰であろうと、私は所領を侵した不届き者を許すつもりは無い。ゆえにお前は取引の場に現れた人間の顔を全て押さえて参れ。後日、徹底的に追い込みをかけてやる」


 相手の顔を把握する――。


 たしかに、重要な役回りだった。組の縄張り内で勝手に拳銃を売ることは立派なシマ荒らし。これをみすみす放置していては極道の名折れであり、組の威信を守るためにも断固として対処せねばならないのだ。


「なるほどな。でも、どうやって……? 名前なら紙にでもメモっとけば大丈夫だと思うけど、顔ってなると……うーん、悪いけど、俺に似顔絵を描く才能は無いぜ?」


「分かっておる。写真に収めれば良い」


「写真? いや、無理だろ。相手が素直に写ってくれるとは思えねぇ。隠し撮りしようったってシャッターの音で気づかれちまうだろうし、だいたいカメラの大きさが……」


「案ずるな。これを使え」


 そう言って、村雨は俺に1本のボールペンを差し出してきた。一見すると街の文房具店で打っているありふれた製品だが、どこか高級感が漂っている。


「こ、こいつは……?」


「お前には言っていなかったが、先々月に日高が完成させたものだ。写真が撮れるように改造が施してある」


「えっ! マ、マジかよ!?」


 正式名称は『ペン型隠しカメラ』。


 上部に小さなレンズが搭載されており、ボタンを押すことでシャッターが切られる仕組みだという。レンズの位置はパッと見ただけでは分からないが、よく目を凝らしてみると中くらいの穴が開いている。非常に精巧なつくりだった。


 先日の氷のナイフに引き続き、こんなハイテクノロジーなものまで用意できるとは。偽装師・日高健次郎には凄腕の道具屋としての一面もあるのだと改めて実感した心地だ。


「すげぇ。こんなの、初めて見たぜ……」


「撮れる写真は少々質が粗いのだがな。まあ、大まかな場面を押さえる分には障り無かろう。音も出ぬゆえ隠し持つには適している。懐にでも忍ばせておくが良いぞ」


 さながらスパイを題材とする創作物に登場する秘密アイテム。幼少の頃に銀幕で観た光景が脳裏をよぎり、俺は刹那に心が躍った。


 しかし、話を聞いてみると然程凄い道具でもないのだとか。村雨曰く、この程度の隠しカメラであれば探偵業を営む人間なら基本的に誰もが所有しているとのこと。


「いや……マジで知らなかった。てっきり映画の中の話だと思ってた。まさか、本当にあったなんてな。驚いたわ」


「それはともかく。己の役目を忘れるでないぞ。取引に現れた全ての者の写真を撮れ。良いか? 先刻も申したが、涼平。お前にしか頼めぬ仕事である。しかと務め上げて参れ。分かったな?」


「……あ、ああ。分かったよ」


 生まれて初めて触れる高性能機材をじっくりと眺める余裕も無く、己の任務を今一度確認させられた俺。執務室を出て廊下を歩きながら、少し頭の中を整理してみる。


 問題は、どうやって撮るか。いくら一般的なカメラの形をしていないとはいえ、怪しまれる可能性はゼロではない。不用意にボールペンを取り出してカチカチといじっていたら、忽ち相手に不信感を抱かれてしまうだろう。


(軽くメモを取るふりをすればいいのか……)


 悩んだ末に導き出した結論は、実にシンプル。猿知恵に思われるかもしれないが、形状がペンである強みを最大限に活かした策だ。「組長の指示で、買った銃の種類を控えさせてもらう」とでも言えば、簡単にまかり通る。我ながら名案であった。


 そうと決まればメモ帳の調達。あいにく俺の私物の中には無かったので、近くのコンビニへ買いに出かけることを余儀なくされた。些か面倒ではあるが、大事を前に散歩を兼ねた気分転換に行けると思えば楽しめる。


 この日の天気は曇りで気温がさほど高くなかったこともあり、外を歩くのも決して苦ではない。屋敷から続く坂を全て下りきった麓にあるフレンドマート横浜山手町店まで、俺の足取りは非常に軽やかだった。


「ああ。そういやあ、今日で8月も終わりか」


 買い物を終えて手渡されたレシートを見た時、上部の日付を見て不意に声が漏れてしまう。実にあっという間だ。前月下旬に村雨組に戻ってからというもの、ただ目の前の役目を必死でこなし続けてきた。暦を気にする余裕も無かったのも道理。


 考えてみれば、実に奇妙な話である。


 世間一般的に15~16歳が過ごす夏といえば、勉学や運動に励み、友人と遊んだり異性との恋愛に耽ったりと眩しくも甘酸っぱい、人生のうちで最も輝く時期へと進み始める頃かと思う。それが「普通」であり、健全な青少年として本来あるべき姿のはずだ。


 一方、俺はどうだろう。高校に通っていないどころか表社会で居場所を見出せず、追われるように故郷を離れ、あろうことか血で血を洗う極道たちの抗争の尖兵にまでなっているではないか。


 言うまでもなく、自分で選んだ道だ。ゆえに後悔はその時点で1ミリも無かった。もはや「普通」の人生を歩めないことは分かりきっているが、だとしても前へ進み続けるのみ。そもそも、そんな生き方しかできないのだから。


「……どうせヤクザになるしかねぇなら、とことん上に行ってやるさ。金も、力も、すべて手に入れてやるよ」


 小さく独り言を呟いた後、村雨邸への帰路につく俺。途中で自転車を押しながら談笑する高校生の男女5人組とすれ違ったりもしたが、特に何の感情も生まれない。


 表社会への未練は、とっくに断ち切っていた。俺が歩むのは修羅の人生。まっとうな感受性を残していては、却って邪魔になるだけ。確かな覚悟が固まっていた。


(それでいい……それでいいんだ……)


 屋敷に戻ってから、およそ2時間。暇を潰す傍ら頭の中で何度も計画を確認し直した俺は、1人で駐車場へと向かう。若頭たちは既に車の準備を済ませ、もはや出発間近の段階だった。


「お疲れさま。組長から聞いたよ。キミも来るんだってね。現場で経験を積ませるとか何とか言ってたけど、くれぐれも足手まといにだけはならないでよ? 大事な取引なんだから」


「……ああ。武器の取引ってのを生で見てみたくてな。分かってるとも。邪魔はしない。全部あんたに従うよ。俺はただ、見てるだけだ」


「よろしい。んじゃ、早いとこ乗ってくれ。後部座席うしろは一杯だから助手席にお願いね」


 定刻通りにやって来た俺の肩を軽くと叩いた菊川は、スライドドアを開けて颯爽とワゴン車に乗り込む。俺も続いて助手席へ入ると、中には5人の組員が居た。


「カシラ、こいつも連れて行くんですか?」


「うん。組長からのお達しだ。正式に盃を下ろして組へ入れる前に、出来るだけ色んな現場を見せておきたいんだと。ま、仲良くやってちょうだいよね」


「はあ……仕方ない。組長のご命令っていうなら」


 やはりそう来た。俺の姿を視界で捉えた瞬間、組員たちから一斉にブーイングが起こった。予め想定していた流れではあるが、気分が悪くないわけではない。特にピリピリとした車内の空気感が痛かった。


「おい、麻木。分かってると思うが。余計なマネだけはするんじゃねぇぞ? テメェは組にとっちゃ疫病神以外の何者でもねぇんだから。まったく、組長も何を考えておられるのか……こんな大事な取引に麻木を同行させるだなんて……」


「はいはい。大人しくしてりゃ良いんだろ」


「当たり前だ! 何もせずに黙ってジッとしてやがれ!! いいか、これは米軍仕様の銃器ハジキを格安で入手できるまたとない機会なんだ。もしテメェのせいで駄目ボツになったら、その時はタダじゃおかねぇからな!」


「うっせえなあ。だから、大人しくしてるって言ってんじゃねぇか。タダじゃおかねぇならどうすんだよ。ああ? お前ごときに俺を倒せんのかよ。少しは自分の腕っぷし考えてから喋れや。この三下ヤクザ」


 早くも険悪な雰囲気になってきたが組長の手前、ここで小競り合いを起こすのは憚られる。露骨に罵声を浴びせてきた運転手に凄みで返しつつ、俺は黙って正面を向いて座った。


 なお「現場で経験を積ませるために見学する」というのは、俺を随行させるにあたって組長が菊川に話した方便。単にお目付け役だと説明するより、そちらの方が都合が良かったのかもしれない。


(でも、どうして俺なんだろう……?)


 車が走り始めて程なくして、今さらながらの疑問が浮かぶ。村雨組長は「お前にしか頼めぬ仕事」と言っていたが、いまいち理由が分からない。ただ単に取引を監視させたいなら、ここに居る組員のうちの誰かに申しつけても良いはずなのに。


 しかし、答えは思いの外すぐに出てしまった。車が通りにて信号待ちをしている最中、俺の耳に飛び込んできたのは後部座席にて繰り広げられた、菊川と組員たちとの軽快な会話。


「いやあ~楽しみですね、カシラ! あのベレッタ拳銃が1丁2万円で手に入るなんて。普通なら6、7万はしますよね。まさにバーゲンセールじゃないですか!」


「ほんとだよ。よもや、こんなにも良心的な値段で売ってくれる武器商人が横浜に居たなんてね。さすがは家入の大叔父貴。凄い人脈をお持ちだ」


「はい! この機会に沢山買っちゃいましょうよ! 銃を揃えたら、俺たちは最強です。大鷲会の残党もフィリピンマフィアも早々に片づけて、横浜を完全掌握しましょう。そしたらシノギもバンバン転がり込みますよ! 大儲けです!」


「だね。『煌王会横浜地区貸元・村雨組』。いい響きだなあ~、あはははっ!」


 今回の取引に対して最初から乗り気だった菊川だけでなく、護衛の組員たちまでもがすっかり舞い上がってしまっている。この街で勝手に武器を売る行為自体が“シマ荒らし”である旨を見落としているばかりか、最新鋭の銃器を格安で大量に入手できるものだと信じて疑わない始末。


 なるほど。そういうことだったか。自分が同行させられた理由をようやく理解した。きっと、浮かれているのはこの車に乗っている連中だけではないはずだ。組全体の空気が大いに緩んでしまっている。そんな中で、喜びに逸る菊川を諫止して取引を冷静に注視できる者が他の何処に居るというのだろう。消去法で勘案した結果、任せられるのは俺だけというわけだ。


 お前にしか頼めぬ仕事だ――。


 村雨耀介が放った言葉の意味は、想像以上に重かった。よくよく考えてみれば随分と危うい状況である。菊川たちは明らかに目が眩んでいる。彼らそうさせてしまったのは、直系昇格という突如として舞い降りた出世の糸口。与太話か否かはさておき、村雨組がどこかおかしな方向へ進んでいる気がしてならなかった。


(責任重大だな……俺……)


 どうにも嫌な予感と胸騒ぎは止まらないが、己に出来ることといえば目の前の仕事を1つずつ着実にこなしてゆくことだけ。埠頭へ向かって移り変わる車窓の景色を眺めながら、俺は無言で決意を固めていた。

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