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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第7章 そして少年は極道になった
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栄光か、あるいは。

「来たか、涼平。遅かったな」


 村雨の部屋の襖を開けて早々、例によって淡々と出迎えられた俺。言われた通り誰にも気取られぬよう自室から忍び足で来たために、思ったより時間がかかってしまった。


 最も、平常時と変わらない速度で来たとしても「遅い」と叱られるのだろうが。組に来てから通算4ヵ月。こうした反応は最早慣れっこだ。


 俺としても特に重く受け止めることはせず、代わりに廊下をこっそりと歩く途中で温めていた言葉を投げかける。


わりぃな。遅くなっちまって。っていうかあんた、さっきはびっくりしたぜ。ぜんぜん嬉しそうにしねぇんだもんな。何つーか、気持ちの切り替えが早すぎるっていうか」


「先ほどの話か」


「ああ。だって、ほら。直系昇格だぜ? 俺に煌王会の詳しい事情はよく分かんねーけど、あんたにとっては昔からの夢だったんだろ? もっと喜んでも良いとこだと思うけど」


「喜ぶには、まだ早い。それだけの話だ」


 何とも冷淡、かつ想像以上にドライな返答である。念願の地位を得た歓喜の余韻に浸る間もなく、もう既に“次”を見据えているというわけか。煌王会貸元として横浜を手中に収めた、その後の展開を。


「そうかよ。やっぱり、あんたはすげぇな」


 壊滅してもなお大鷲会になびくカタギ連中を弾圧する算段か、近い将来に必ず起こり得る斯波一家や中川会との戦争に対する備えか。


 何にせよ、きっと俺には想像もつかぬほどに先を読んでいるのだろう。思考力も去ることながら、周囲が舞い上がっている時でも冷静さを保つ精神軸の強靭さには、脱帽するしかない。


 いずれ天下を獲る男――。


 前月、本庄組長は村雨をそのように形容した。持ち上げていい気にさせるための麗句とばかり思っていたが、今となってはなかなかに確信を突いた評価だ。


 偉丈夫には内面から滲み出るオーラがあるとは言い得て妙で、こうして座卓を挟んで相対しているだけでも残虐魔王の醸し出す雰囲気には圧倒されそうになってしまうのだ。


 毎度のことながら、これだけは一向に苦手のまま。されど気持ちで負けてはいられない。必死で心へ活力を送りつつ、俺はどうにか本題を切り出してみる。


「で、何なんだ? 俺に伝えておきたい話ってのは。人目につかねぇように来いっていうなんて、よっぽどだよな」


 すると、村雨は一切表情を変えることなくわずかにコクンと頷いた。そして、数秒の間を置いた後に相変わらず低い声で話を始める。


「大叔父上……いや、家入のことだ。あの御仁の話には必ず裏がある。左様に思えてならんのだ。村雨組われらにとってあまりにも都合が良すぎるゆえな」


「あのオッサンが、俺たちに何かを隠していると?」


「いかにも。あれには何らかの思惑があると見て間違いない。美味い話で我らを抱き込み、ゆくゆくは体のいい駒として使わんと企んでいるのだろう。直系昇格のくだりも、どこまで真実なのか分かったものではないわ」


 直系昇格を口添えしてくれたばかりか、その後の抗争にかかる資金・戦力まで面倒を見てくれるという家入。


 いくら煌王会の今後を担う若手の有力株として期待をかけているといえども、家入本人に村雨を助けるメリットは何処にも無い。にもかかわらず至れり尽くせりというのは、流石に出来すぎた話だ。


 美味しい話にこそ、最大限に警戒する――。


 これは極道社会を生きる上での大前提であり、絶対に守るべき鉄則である。ヤクザが義理人情ないしは任侠精神に基づいて行動するというのは、あくまで映画の中での話といって良い。


 自らに利益や旨味がもたらされぬ限り、盃を交わしていない赤の他人を助けることなど基本的には皆無。カネにがめつく、煌王会直系組長の中でも指折りの拝金主義者として名高い家入行雄なら、なおの事だろう。


 眉間にしわを寄せながら、村雨は言った。


「涼平、お前はまだ知らぬだろうがな。家入と深く関わって得をした者は、私の知る限り1人もおらぬ。相手の野心を口八丁で煽って大胆な行動に出るよう嗾け、自らは上前だけを掠め取り、失敗すれば全責任を相手に押し付ける。あの御仁の常套手段やりかただ」


「え、そうなのか?」


「なればこそ、私は先ほど敢えて居留守を使ったのだ。見たい顔ではないゆえ。話は全て隣の部屋から覗かせてもらったが、やはり会わなくて正解だった。家入は口ではああ申しておったが、心の奥底では我らを蔑み、見下している。菊川め、まんまと乗せられおって……!」


「……」


 さっきの菊川が異様なまでに嬉々としていたのは、単に村雨組の直系昇格を喜んでいたからだろう。持ち上げられていい気になっていたようには思えなかった。


 洞察力と観察眼に優れ、相手の本心や魂胆を見抜くことには人一倍長けた若頭のこと。きっと家入が油断ならない相手であると気づいていたはず。


 いや、気づいていたと信じたい。そうでなくては、組の今後を大きく揺るがしかねない事態に発展してしまうからだ。


「あの場に居た者は皆、驚喜しておったな。下の者どもは殆ど全員だ。誰もが家入の言葉を鵜呑みにし、信じて疑わぬ様であった。お前も見たであろう?」


「ああ。たしかにテンション高かったな」


「かような時こそ、気を引き締めてかからねばならぬというのに。まったく情けない限りだ。なれど、その点お前は冷静であったな。涼平。周りが沸き立つ中でも平常心を保ち、話の正誤を一歩引いた所から見極めているように見えた。大したものだ。やはり、私が見込んだ男だけのことはある」


「あ、いや……別に、いつも通りだって。何つーか、あの家入とかいうオッサンは胡散臭く見えたんだよ。俺、ああいう輩はどうにも好きになれねぇ。ちょっと気になることもあったし」


 家入という男に対して抱いていたほのかな違和感が、どうやら顔に出てしまっていたらしい。心情を態度で隠しきれないのは生来の困った性分だ。


 そいつが村雨からすれば、さも落ち着きを維持しているように見えたのかもしれない。とんだ偶然である。本当のところは若干違うのだが、ここは有り難く乗っからせてもらうとしよう。


 何があったのかと興味深そうに詳細を尋ねる組長に、俺は先ほど感じた疑問を率直に述べてみた。


「あのオッサン、さっきこんなこと言ってたんだよ。『藤島が死んで街の勢力図に空白が生じた~』って。でも、これっておかしくねぇか? あんたは藤島が死んだ件について他言無用にするって言ってたのに」


「……!?」


 流石に想定していなかったのか。村雨は一瞬、ひどく驚いたような眼差しになる。すぐに元の表情に戻ったが、動揺は明らか。瞳の奥に、確かな衝撃の色が含まれていた。


「自分から伝えたわけじゃねぇだろ? なのに、家入が知ってるのはおかしいと思うんだよ。あれに関しては完全に部外者なのに。そもそも藤島の爺が死んだことを知ってるのって、俺とあんたに菊川とスギハラ、それから笛吹の5人だけのはずだろ?」


「……菊川とスギハラのいずれかが情報を流したと申すか」


「いや、そうじゃねぇ。笛吹と家入が裏で繋がってんだよ。俺はそう思ってる。いや、そうとしか思えねぇ」


「何だと?」


 次第に空気感がピリピリと張りつめてきたが、ひと度口を開いてしまった以上は止めるに止められない。軽く呼吸を整えた後、訝し気な目をする組長に俺はなおも続ける。


「菊川もスギハラもああ振る舞っちゃいるが、あんたへの忠誠心だけは本物だ。あんたに『秘密にしろ』と言われた以上、そいつを墓場まで持って行くくらいのな」


「よって、お前は消去法で笛吹と家入が繋がっている節を考えるのだな?」


「うん。そうなっちまうな。おまけにあの日、笛吹とった時。奴は俺にこう言ったんだよ。『自分のバックには煌王会の幹部が付いてる』って」


「なるほど。だが、仮にそうであったとしてだ。煌王会の敵である笛吹と組むことによる、家入側の旨味は何か? 奴が何の実入りも無しに動く男でないことは先ほど教えたであろう」


 そこを尋ねてきたか。前もって回答を用意していなかったので少々たじろいだが、仕方のないこと。ひとまず頭の中で、どうにか主張を組み立てながら応じる。


「……横浜を自分テメェモンにしようと企んでるとか。まずは村雨組に横浜を一旦獲らせてシノギを整えさせ、その次に笛吹や中川会をぶつけて戦争をやらせて、ボロボロになったところで一気にシマを奪う算段だったりして」


「たしかに、横浜は美味しい街ゆえ。さような奸計を抱くに至ったとしても不思議ではないな。では、家入は笛吹を騙して手駒にしているということか?我々と争わせるために」


「ああ。こいつは予想だけど、たぶん『村雨組を倒したら横浜を全部やる』みたいな与太話を吹き込んだんじゃねぇの? だから、笛吹は強気に動いている。親分だった藤島に背いて大鷲会を割ったのだって、家入っていう後ろ盾があったからだと俺は思うぜ。まあ、家入から見て笛吹は横浜を獲るための使い捨ての駒でしかねぇが」。


 俺の話を聞いた村雨は、わずかに首を傾げつつジッと考え込む素振りを見せた。おそらくはこちらが提示した推論を基に、彼なりに考察を試みたのだと思う。


 もちろん話としては甚だ根拠が薄く、現時点ではあくまで「~ではないか」といった憶測の域を出ない。俺自身も重々承知していることである。


 しかしながら、どうにも疑わずにはいられない。老齢な落語家を想起させる、家入のあの独特な喋り口調のせいだろうか。黙って聞いているだけでも、第六感が過敏に反応してしまう。


 自分の中で「この男は怪しい」という漠然とした危機意識のようなものが、本能的に思考へ訴えかけてくるのだ。初対面で相手にここまで思わせる輩は、そういるものではないだろう。


 笛吹と水面下で通じている――。


 この仮説が正しいか間違いかはさておき、家入行雄という人物から不穏な気配を悟っていたのは俺も村雨も同じ。やがてしばらく経った後、村雨は意を決したかのごとく沈黙を破る。


「涼平。お前は、たしかに笛吹の口から聞いたのだな? 自らの後ろ盾は、他でもない。“煌王会”であると」


「ああ。聞いたぜ。たしかにそう抜かしてやがったな。具体的に誰が付いてるのかまでは言ってなかったけど。」


 今一度確認するつもりなのか。念を押すかのように、同じ質問が繰り返し飛んできた。


「本当だな? 誤りではないな?」


「本当だって。二言は無い。わざわざ聞き間違いを伝えたりなんかしねぇよ。っていうか、あんたもトランシーバーで俺と笛吹の聞いてただろうよ……」


「わかった」


 何度も浴びせられた問いかけに俺が全て首を縦に振って応じると、村雨は深々と頷いた。まるで「確信を得た」と言わんばかりの満足気な表情。


 組長の次の行動は、意外にも早かった。


「……私だ。急ぎの事情が出来たゆえ、速足で我が部屋へ来い。良いか? 内密の用事だ。くれぐれも、誰かに背後うしろを尾けられるでないぞ?」


 壁際にあった白い電話から受話器を手に取ると、向こう側の相手に低い声でそう申し伝えたのである。発話前、村雨は本体における【内線】のボタンを押していた。


(屋敷ここにいる誰かを呼んだってことか? )


 俺の中で真っ先に浮かんだのは、菊川塔一郎。村雨組長の頼れる片腕であり、尚且つ腹心中の腹心ともいうべき若頭だ。彼に家入の件を話し、一緒に今後の対策を練るつもりなのか。


 ところが、15分ほど経って現れたのは全く違う人物だった。おそるおそる襖を開けたその人物の顔に、俺は思わず目を見張る。


「く……組長……お呼び……ですか……?」


 日高だった。


「遅かったな。ずいぶんと待ち侘びたぞ」


「す……すみません……さ……作業部屋から……出るのが……3日ぶり……だったもので……ちょ……ちょっと……迷っちゃいまし……た……」


「すなわち風呂にも3日3晩、浸かってはおらぬということか。臭うのも道理だ。まあ、良い。ともかく座れ。お前に新しい仕事を与えてくれようぞ」


「お……お邪魔……します……」


 そう言って、彼は俺の隣にぎこちなく腰を下ろす。部屋に籠りきりで入浴をしていないとのことだったが、近くに来ると確かにキツい臭いが鼻を伝った。


(風呂くらい入れってんだよ。くせぇなあ)


 日高健次郎。ご存じ、村雨組専属の偽装ニンベンである。旅券や免許証といった公的証書の偽造からシノギに用いる各種小道具の作製までを幅広く担う人物だ。


 彼の手掛けた“作品”はどれも恐ろしいほどに巧妙かつ高品質で、天才的な腕を持っているといって良い。かくいう俺も、つい前月に氷のナイフを作ってもらったばかり。


 そんな日高に、今回は如何なる仕事が与えられるというのか。村雨の口から飛び出したのは、思いがけない話であった。


「日高よ。お前は書状に記された文字を鑑み、そこから特定の個人によって書かれたものであるか否かを調べることは出来るか?」


「ひ……筆跡鑑定……ですね……う……うーん……やり方は……知ってるんですが……実際にやったことが無くて……誰かが……書いた文字を……完全に真似することなら……しょっちゅう……やってるんですが」


「ならば出来るであろう。大まかで構わぬ。ひとまず、見てみよ。つい今しがた本家より届けられたものだ」


「こ……これは……なっ……ええっ!?」


 村雨が日高に手渡した、外側に『勅』の文字が記された1通の封書。それは俺にも見覚えがあった。先ほど家入が持ってきた、村雨組の直系昇格ならびに横浜貸元就任の伝達状だ。


 ギョッと目を丸くした日高に、組長は言った。


「お前には、これが煌王会六代目・長島勝久公がおんみずらしたためた書状であるかどうかを調べてもらう。六代目の名を騙った偽者が書いた可能性を捨てきれぬゆえ。いかがか? 1日あれば出来るな?」


「や……やるだけやってみますけど……サ……サンプルを……貰えませんか? そ……その方が……俺としても……し……調べやすいので……」


「構わぬ。では、この年始挨拶の文字と見比べるが良い。いずれも長島公の直筆だ。あの御方は筆まめゆえ、私のような陪臣にも時折こうして御言葉をくださるのでな。最も、かような時に役立つとは夢にも思わなんだが」


「た……助かります……ありがとう……ございます……じゃ……じゃあ早速……取り掛かりますね……お……俺はこれで失礼……いたします……」


 村雨が戸棚から取り出したハガキを受け取ると、吃音の偽造師は足早に部屋を出て行った。


 どうして鑑定を行う必要があるのか、その理由を敢えて聞かなかったあたりが何とも日高らしい。内容のいかんに関わりなく、村雨から与えられた仕事は何であれこなす。それが彼のポリシーと見た。まさにプロ意識といえよう。


「涼平。お前の申す通り、家入は笛吹と何らかのよしみを通じておる節が捨てきれぬ。単なる思い過ごしであれば良いのだが、もしもそれが本当だった暁には、此度こたびの話は全てあの男の罠ということになる」


「直系昇格の話は、あんたをいい気にさせるための罠……? いい気にさせて、笛吹と同じく自分の思い通りに動く駒にするための……?」


「ああ。家入ならば考えそうなことだ。こちらから六代目に問い合わせるわけにもいかぬ以上、やはり伝達が本物であるかを確かめるのが最も早かろう。お前も少しは知恵がはたらくようになったな」


 ちなみに当時、極道社会で組の重要事に際しては親分が手書きで書状を認めることが当たり前だった。


 件の伝達状に始まり、組からの追放を意味する破門状や絶縁状、他所と抗争を始める宣戦布告を担う問罪表など、すべてが親分による直筆で書かれていたと思う。


 組によっては一部配下の者が代わりに筆をとるところもあったようだが、「親分の字には組の勢いが滲み出る」等の古い風潮が残っていたこともあってか、基本的には完全なる手書きが推奨されていたとのこと。


 それは平成の世にあって未だ明治の頃より続く復古的な伝統・慣習を維持していた煌王会という組織では些か顕著で、六代目の長島勝久会長も例に違わず。


 各行事における書状は勿論、構成員宛ての暑中見舞いや年賀状までをも自分で書かなければ気が済まぬほどの執心ぶりであったというから驚きである。俺には全くもって理解できないのだが。


 何にせよ今回ばかりは、ヤクザ独特の古風な文化に助けられた格好だ。終盤、卓上の箱から取り出したタバコに火をつけながら村雨は語った。


「あの書状が偽物であれば、家入は我らだけでない。六代目に対しても背を向けたことになる。いかなる結果が出るものか、楽しみだな」


 煌王会本家から突如としてやって来た使者によりもたらされた、村雨組直系昇格の話。疑わしき書状が指し示す未来は、栄光への契機か。あるいは転落へと誘う罠か。


 運命の岐路が迫ろうとしていた。

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