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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第7章 そして少年は極道になった
108/252

埋め合わせ

 福富町『ジュリエット』での件があってから、2度目の朝を数えるこの日。俺は村雨に呼び出された。いつもならば朝食を摂るはずの定刻に、食堂ではなく奥座敷へ来いという。


 おまけに「急げ」との注文付き。無論、心当たりは大いにある。いざ執務室の戸を引いてみると開口一番、苦々しい言葉が飛んできた。


「ずいぶんと出過ぎた真似をしてくれたものだな、涼平。話は全て聞かせてもらったぞ。小泉の仕切りを邪魔したに飽き足らず、奴の頬骨にヒビまで入れるとは!」


 どんぴしゃり。予感は100%的中してしまった。俺と絢華の関係を嘲笑した例の舎弟=小泉をボコボコにした件が、組長の耳に入ったのだろう。決して少なからぬ怒りが伝わってくる。こちらにも言い分はあれど、まずは素直に謝るしかない。


「あ、ああ」


「全治3週間。奴を診た医者はそう申していた。何でも、頬骨の一部が粉々に砕けているとのことだ。ただでさえ人手が足りぬという時に……しでかしてくれたな。この大馬鹿者め!!」


 激情に任せた一方的な暴行だったので、相手のケガの程度は大きくなって当然。一応、自分でも何となく想定はしていた。されど、こうして具体的な詳細と共に事実を突きつけられると胸がすく思いがする。


「……」


「何故、黙っている? 言い訳があるなら申してみよ!」


 懲罰の鉄拳が飛んでくるものと恐る恐る歯を食いしばっていたが、どうやら申し開きの機会を与えてくれるらしい。ここはひとつ、自己弁護を試みることに決めた。


「……やり過ぎたのは悪かった。けど、あの場を見たら放ってはおけねぇよ。だって小泉の野郎、店の女をレイプしようとしやがったんだぜ? あれじゃあ用心棒の意味が無くなっちまうだろ」


「つまりは奴の粗暴を止めるためであったと」


「そ、そうだよ。あのまま黙ってたら、店が滅茶苦茶になってるところだった。そうなったら組の評判はガタ落ちだろうし、あんたの名前にも傷がつくんじゃねぇの?」


 正義感からの行動――。


 俺の弁明の主旨はそんなところだが、実際は違う。ただ単に小泉が言い放った台詞が癇に障っただけ。店の連中を助けたかったなどという気持ちは、微塵も有りはしない。


 取って付けたような美辞麗句に、その場しのぎで咄嗟に考え出した付け焼刃の理屈。


 説明を補足する際に声が若干上擦ってしまったこともあり、言い訳としては実に不自然なものとなった。与太話と看破されれば、忽ち火に油を注ぐ。


 俺は動悸が止まらなかった。


「……」


 緊張が全身を凍らせる。しかし、おおよそ10秒間の静寂を挟んだ後に返ってきたのは何とも意外な言葉であった。


「たしかに一理あるな。お前の気持ちは分からんでもない。しかしな、涼平。あれらは全て私が小泉へ直に命じたのだ。『店の者が従順でなければ暴れて構わぬ』とな」


「えっ?」


 きょとんとする俺に、村雨は続ける。


「極道は所詮、ならず者の集まりだ。元より強欲を貪らんがために渡世を続けているようなもの。ゆえに多少の狼藉は目を瞑ってやるのが得なのだ。さもなくば、奴らの中で憂さが生じてしまうゆえ」


 勿論、カタギの前で敢えて派手に暴れさせることで、彼らに村雨組の恐怖を植え付ける意図もあったらしい。これから本格的に街を支配する前の、謂わば“足固め”だ。


 しかし、最たる主旨は組織のガス抜き。店を滅茶苦茶に破壊した挙げ句従業員を凌辱させたのも、殆どは日々激務に忙殺される組員たちの慰安が目的だったという。


「じゃあ、あれはあんたの命令だったってわけか? 女の顔に小便ぶっかけてる奴もいたけど。そいつも含めて?」


「左様。いずれも私が許した。皆、獣のごとき振る舞いだったであろう。憂さを晴らすには情事に耽るのが最も手っ取り早い」


「マジかよ……」


 どんなに小さな鬱憤であれ、溜まりに溜まれば組織の屋台骨を根本から揺るがしかねない。そうしたリスクの芽は出来るだけ早い段階で摘み取っておくべき、という考えだった。


 ここまで来てしまうと流石にやり過ぎな気もしたのだが、残虐魔王にしてみれば日常茶飯事。最早、取るに足らない話のようだ。


「涼平。我ら極道にとって、最も大きな悦びとは何だと思う?」


「出世したり、大金を稼いだりとか」


「それもあるが、いちばんは奪うことだ。誰かの営む生活を暴力をもっておかし、全てを根こそぎ奪い取る。その者の屈辱に歪んだ顔を見た時、我らは無上の悦びを得られるのだ」


 単純に情欲を発散させたいならば、娼館にでも行けば良いところ。


 若衆たちが現場で女を無理やり組み敷いていたのは、その強引な行為によって相手が苦痛に悶える姿を観るため。完全に合点がいった。


 貰うではなく、あくまで奪う。


 やはり、ヤクザとはつくづく野獣のごとき存在らしい。以前から分かりきってはいたが、改めて痛感させられた気分だ。


 同時に、若干の感傷も巻き起こった。自分も然程さほど遠くないうちにそうなってしまうという現実が、心にじわじわと染み渡る。


 いや、この時点で俺は既に変貌を遂げていたのかもしれない。同世代の少年であれば戦慄に震えるであろう恐ろしい環境に身を置いても、ずっと平然としていられるくらいの肝っ玉と、邪悪な因子を備えた人間に。


 専門的な観察を受けたわけではないので詳細は分からないが、ひとつだけ確かなのは当時の俺が特異な存在であったということ。なおも続く話に、至って軽い調子で相槌を打ってゆく。


「お前も悟る日が来よう。我欲の赴くままに暴れることは人として最も根幹たる部分、つまりは本能なのだ。それゆえ、粗暴は誤りではない。我ら極道にとってはな」


「ああ。かもな」


「組織を率いるとは即ち人を動かすということ。ぬ。まさに『飴と鞭』とは、よく言ったものだな。飴が快楽で、鞭が秩序。もう分かっているとは思うが、秩序だけでは人は動かんのだ」


「だよな」


 それからも村雨は組織論だの人心掌握術だの、よく分からない持論を懇々と説いてきた。大半は聞き流していたので覚えていないのだが、要は組員たちの狼藉をいちいち咎めるなという話。


 どうやら、俺の渾身の言い訳を鵜呑みにしてくれたようだ。福富町で小泉を病院送りにしたのは先走った正義感ゆえの過ちだったと、本気でそのように思っている様子。


 途方もない安堵感がこみ上げてきて、俺はホッと胸を撫で下ろす。


 本当の動機は絢華との関係をあからさまに指摘された件なのだが、それを打ち明けてしまった日には何が起こるか分からない。


 組長にとっては既知の事実かもしれない。それでも、当面は黙っておくのが無難というもの。絢華がアメリカから帰国するまでは、ひとまず心の奥にしまっておくことにした。


「さて。本日のところはこのくらいにしておく。良いか? 次は無いぞ。もし今後、お前が同じことを繰り返せばその時は責めを負わせる。肝に銘じておくように」


「う、うん。覚えとくわ」


「涼平。少しは辛抱も身につけよ。 いずれ、お前は私の“子”になるのだ。もっと己を律してもらわねば困るぞ」


 最後の最後で思いっきり釘を刺されてしまったが、半殺しにされなかっただけ儲けもの。村雨の言葉を脳内で反復しながら、俺は逃げるように部屋を後にする。


 次は無い――。


 非常に重い響きだった。金輪際、組の中で諍いを起こしてはならないというわけか。


 思春期特有の血気の逸りもあったと思う。ムカついた奴は、とにかく殴らなければ気が済まない。そんな厄介な性分が当時は殊更に強かった。「怒り」というものをまるでコントロールできなかったのだ。


 1度でも頭に血がのぼったら最後、周囲がどんなに制止しても鎮まりはしない。自分自身が満足するまで徹底的に痛めつける。


 たとえ相手が途中で死のうが屁の河童。命を奪ってしまうことへの抵抗感などは、とっくに無くなっていた。実際、小泉は本当に殺してやろうと思っていたくらい。


 ゆえに「変われ」と言われて変われるかどうか、大いに不安。いや、無理だ。暴力を振るう快楽で正常な思考・判断力を失った俺に、今さら何の努力ができるというのか。


(……連中と会わねぇようにするとか?)


 それしか思い浮かばなかった。村雨組の人間は組長と絢華以外、ほぼ全員が俺のことを激しく嫌っている状況。


 こちらから絡まずとも向こうから突っかかってくるので、顔を合わせれば十中八九トラブルになる。売られた喧嘩を買わずに受け流す技術は、あいにく俺には無い。


 ならば、対面の機会自体を減らせば良い。


 用がある時以外は自室から出ず、食事や入浴などの際も可能な限り組員が少ない時間帯に行う。そうすればリスクは自ずと減るはずだ。そもそも彼らと遭遇しないので、喧嘩の可能性自体が消滅する。


 ああ、何て素晴らしい施策だろう。我ながら名案であると自分を褒めた。そうと決まればすぐさま部屋に戻って扉を閉め、不本意ながらもセルフ謹慎生活を始めるだけ。


 そう心に決め、俺は足早に歩き出す。だが、ここで不運にも邪魔が入ってしまった。聞き覚えのある声が背後から耳に飛び込んでくる。


「あーあ。怒られちゃって。情けないねぇ、まったく!」


 菊川だった。


 一体、いつからこちらの後ろに付いていたのか。気配がまったく感じられなかった。どうやら恥ずかしいことに、村雨から叱責されたくだりを丸々聴かれてしまったようである。


「……な、何だよ」


「別に。大したことじゃないよ。ただ暇を持て余して屋敷をうろついてたら、たまたま麻木クンに出くわした。それだけの話さ」


 いきなり話しかけられた驚きをかわしきれずに戸惑う俺に、いつもの調子で薄ら笑いを寄越してくる若頭。


 毎度のことながら気色の悪い男である。奴のニヤニヤとした表情の裏には、底知れない何かが潜んでいると思わずにはいられない。妖狐が人間に擬態しているのではと思うほどだ。


 続けざまに浴びせられるのは、例によって皮肉の数々。


「それにしてもさぁ、お見事だったねぇ! さっきの言い訳は。『小泉の乱暴狼藉を止めようとした』だなんて、よくもまあ、あんな短時間で思いついたよね。実に素晴らしいよ。僕には到底できっこない芸当だ」


「おう。そうかよ」


「普段からあれくらいの知恵が働けば良いのにね。そしたら、キミ。この組の中で一気に出世できるんじゃない? 何せ、組長のお気に入りだもんねぇ! 絢華ちゃんだってキミのことが大好きみたいだし」


 清々しいくらいの嫌味だった。本当ならば今すぐにでも飛び掛かって殴りつけてやりたいところだが、ついさっき戒められたばかりなので躊躇わざるを得ない。


 部屋を出てからほんの3分で再び諍いを起こしたとなれば、大目玉を食らうだけでは済まされないだろう。沸騰する怒りを堪えつつ、俺は無言でその場を離れようとする。


(今日の所はスルーしてやるか……クソが)


 ところが、そう簡単に通してはくれなかった。


「あのさ。本当のところはどうなの? 小泉を病院送りにしちゃった理由。なんかムカつくことでも言われた?」


「うるせえなあ。本当も何も、さっき組長に話した通りだよ。あんたもコッソリ聞いてたんだろ。なら、分かってんじゃねぇか」


「いいから。勿体ぶらないで教えてよ。村雨組うちの流儀を知らなかったにせよ、まさかキミにあんな正義感があるとは思えないからねぇ。ほら、早く!」


 しつこい。あれは本心だったといくら説明しても、菊川は変わらない。重箱の隅をつつくように同じ質問を繰り返してくる始末だ。


「このままじゃ店が滅茶苦茶に壊れちまうかもしれなかったから、ひとまず止めなきゃって思ったんだよ」


「なるほど。本当はムカついたから殴ったと?」


「だから、違うって! 何度言ったら分かるんだよ。ヤバそうだったから止めた。それ以外でもそれ以下でもねぇよ」


「へぇー。そうなんだ。で、どうなの? 本当のところは。小泉をあそこまで過剰に痛めつけた理由わけは」


 埒が明かないとは、まさにこの事。どんなに丁寧な返答を投げたところで、軽くあしらわれてしまうだけ。説明が通じる気配すら無い有り様。


 出来るだけ平静さを保っていようと心に銘じていた俺であったが、ここまでくると流石に苛立ちを隠せない。不本意ながらも、次第に空気が険悪になる。


「いい加減にしてもらえねぇかな。何回、同じことを言わせんだ。そろそろ聞く耳を持ってくれや。若頭さんよ」


「キミの方こそ、いい加減に話したらどうだい? 僕の可愛い弟分をあんな目に遭わせてくれた、本当の理由をさ。そろそろ僕を納得させる答えをくれよ。麻木クン」


「さっき答えた通りだ。以上」


「そっか。あくまでも自分の口からは答えたくないって腹か。なら、良いよ。僕の方から言ってあげるまでさ!」


 菊川が小泉の件にご執心なのは、単純に目をかけていた部下を傷つけられた怒りによるものなのか。詳細な真意は察知できなかったが、何にせよ真面目に答えてやる義務はない。


「上等だ。聞いてやろうじゃねぇか。あんたのくだらん妄想をな」


「うん。それじゃあ、遠慮なく当てさせてもらうよ。キミが愚かにも長幼の序をわきまえず小泉を傷つけ、あまつさえ顔の骨を叩き割って病院送りにした理由。それは……」


 簡単な話である。どんな言葉が飛んで来ようと、冷静に受け流してやるまで。そう改めて心に決め直し、俺は饒舌な若頭に黙って耳を傾ける。


 しかし、次の瞬間。菊川の口から思いもしない台詞が飛び出した。


「……こう言われたんでしょ? 『お嬢以外の女とヤるのは気乗りしねぇってか』って」


「なっ!?」


 2日前に小泉から浴びせられた屈辱的な煽りの句が、一字一句そのまま脳内で再生される。何から何まで一致しているではないか。流石に驚かざるを得なかった。


「……」


「おっ? その表情は正解ってとこだね。ふふっ、やったー。当たったよ。見事に図星を突いちゃったな」


 どうして当てられたのか。というより、どうして知っていたのか。そんな悔しさと不可解さを半々に織り交ぜながら菊川を睨みつけると、またもや見透かされたようだ。すぐさま答えは返ってきた。


「実は、さっき村雨邸ここへ来る前に寄ってきたんだ。開科研で入院してる小泉のお見舞いに。そして、キミと揉めた時の状況を詳しく聞かされたってわけさ。本人の口から、たっぷりとね」


 なるほど。そういうからくりだったか。想像もつかなかった。てっきり、小泉は意識も危うい容体だとばかり思っていたのである。


 顔の骨が砕けているとはいえ、懇意の若頭に告げ口が行えるくらいには元気なようだ。あの時、もっと痛めつけておけば良かったと嘆息がこぼれる。


 昏睡状態に追いやらないまでも、しばらく話せぬように奴の歯を全て折っておくべきだった。何故、自分という人間はかくも詰めが甘いのだろう。


 尋常ならざる口惜しさに顔をしかめながらも、俺は竦むことなく言葉を返した。


「あんたの言う通りだ。たしかに小泉の野郎からは、そんなことを言われたな。あんまりハッキリとは覚えてねぇんだけど」


「認めるんだね?」


「けど、それは動機じゃねぇよ。いくら俺だって相手にムカついたくらいで殴ったりはしない。そんなのでいちいち喧嘩してたら、時間がいくらあっても足りねぇだろうが」


「ほうほう。小泉をボコボコにしちゃったのは、あくまでも店が滅茶苦茶に壊れるのを防ぐためだったと……この期に及んで、まだそう言い張る気か」


 やはり、菊川は引かない。ここまでくると苛立ちを通り越して、ある種の虚しさすらおぼえてしまう。一体、俺は何に付き合わされているのやら。


 いくら掘り返そうと所詮は過ぎ去った話。「麻木涼平が小泉を倒した」。その事実に変わりはないのだから、どうだって良いではないか。


 されども迂闊に認めようものなら、俺の命運は忽ち暗転する。サディスティックな若頭のこと。後々で弱みに付け込まれるのは確実だ。そのため何が何でも真の動機は隠し通さねばならない。


 ちなみに、俺が引き起こす喧嘩のきっかけといえば九割方が相手に対する瞬間的な激情なのだが、もちろん黙っておく。


「だから、そうだって言ってんじゃねぇか! 何度答えさせりゃ気が済むんだ。脳ミソが無いアホなのかよ。あんたは」


「疑問に思ったことは納得するまで徹底的に追求する、それが僕の流儀なもんでね。キミにどう思われようと関係ない。大切な弟分を傷つけられた手前、個人的に怒りが抑えきれないというのもあるが」


「くだらねぇよ。そんなのはバカのするこったな」


「おまけに、さっきからキミの説明にはどうにも不可解な点がある。『店が破壊されるのを防ぎたかった』んだよね? じゃあ、何故に小泉ひとりを殴ったんだい? ジュリエットで大暴れしていたのは彼だけじゃなかったはずだろう?」


 そう来たか。思わず、胸がドキッとする。


 当時、店内では小泉を含めて9人の組員が乱暴狼藉をはたらいていた。暴力の目的が彼らの制止であったならば、全員に対して実力行使に及ぶ必要があるだろう。


 にもかかわらず、小泉だけを選んで集中的に痛めつけたのはおかしい――。


 悔しいが、菊川の指摘は確かに的を得ている。推理ドラマを想起させる実に見事な指摘だ。自分自身、矛盾が生じると薄々気づいてはいた。しかしながら、ここであっさり負けを認めたりはしない。


「たまたま真っ先に目に付いたのが小泉だっただけだ。奴をボコったら、疲れちまってな。殴る気が失せたもんで帰ってきたんだ」


「疲れた……? 大鷲会の兵隊100人以上を相手に堂々と喧嘩したキミが、たった1人を痛めつけただけで疲れるものかね?」


「あいにく、その時は眠気もあったんだよ。昼間に暴れるのとは勝手が違う。それに、小泉を殴ったのが良い見せしめになったんだろ。他の連中はビビってたぜ」


 実際のところ、小泉の顔面を幾度も踏みつけている最中に残りの若衆たちは特に何もしてこなかった。凌辱や破壊行為をピタリとやめ、全員青ざめた顔つきでこちらを凝視していたと思う。


 ヒラ組員の中でも指折りの喧嘩自慢で通っていたらしい小泉が、いとも簡単にノックアウトされたのだ。きっと、俺の勢いに恐怖を見出して竦み上がったのだろう。


 麻木涼平と拳でやり合っても勝ち目がないという事実は、もはやその時点で既に下っ端連中の共通認識となっていた。


「小泉をボコった時、みんな人が変わったようにおとなしくなりやがったからな。そんな状況で、さらに痛めつけてやる必要もねぇだろ」


「つまりは見せしめに小泉ひとりを痛めつければ十分と判断したわけか……なるほどね。これまた、上手な言い訳を考えたものだ。僕にしてみりゃ、単なる後付けの屁理屈としか思えないけど」


「疑うんならジュリエットの女どもに聞いてみればいいじゃねぇか。俺が帰った後でどうなったかは知らんが、少なくとも俺がいた間は至って静かだったぜ?」


「レイプされたホステスが全員PTSDを発症したのを知ってて言ってるだろ。彼女たちは現在いま、精神を壊して廃人も同然の状態だ。まともに会話なんかできっこない。そこに追及の逃げ場をつくるとは、何とも巧妙だね。僕でも思いつかなかったよ」


 本音をいえば今後回復する見込みは殆ど無いらしいホステスたちの悲惨な状況も、PTSDなる精神疾患が存在することも、全てこの時に初めて知った。


 だが、事実だけを並べて整理するなら「客観的な目撃証言ができる者が消えた」という結果に行き着く。道徳的に良いか悪いかはさておき、自分にとっては好都合以外の何物でもない。


(こいつはラッキー。ついてたぜ)


 心の中でほくそ笑みながら、俺は菊川に言い放った。


「さっきから何回も言ってるけど、俺が小泉をボコボコにした理由は組長にも説明した通りだ。それに文句をつけようってんなら、はっきりとした証拠を揃えてきてもらおうじゃねぇか。出来れば、の話だがな。ああ? 若頭さんよ!」


「ふふっ、たしかに。防犯カメラの映像の保存は48時間が限界。女の子たちから直接話を聞けない以上、小泉と揉めた件においてキミの主張を崩す具体的証拠は得られない。これ以上の追及は無駄みたいだね」


 ようやく諦めてくれたらしい。次から次へとペラペラ詰問が飛んでくるので、本当に冷や汗をかかされた。口下手な俺が延々と話を続ければ、どこかで必ず言い負かされていたことだろう。


 そのためここで話が終わるのは非常にがたかった。ホッとしつつも、俺は通せんぼしていた菊川を強引に押しのける。


「おい、分かったらさっさとどけよ。いつまでもあんたと話してるほど、俺に余裕なんかねぇんだよ」


「はいはい。すまなかったね。時間を取らせて。けど、さっきも言ったように何事も細かい所まで突き詰めなきゃ気が済まないのが僕の性分だから。それに今回、ケガ人だって出てるわけだし」


「だから『あんまり悪く思わないでほしい』ってか? ヘッ、今まで人様の時間を奪っといてよく言うぜ。調べものならあんた1人だけでやるこったな」


「かもしれないね。そう言われちゃ、こっちも返す言葉も無いなあ。だけど、これだけは言っときたい。キミは自分が完璧と思ってるみたいだけど……」


 何やら、間を入れた若頭。最後の最後に特大の嫌味でも食らわせるつもりか。聞いたところで苛立つだけだと思った俺は、そのまま無言で立ち去ろうとする。


 しかし、数秒後に聞こえてきたのは決して受け流せない言葉だった。


「組長、本当は気づいてるよ。キミの弁明が全て苦し紛れに放ったでまかせの言い訳だってことにね」


「はあ!?」


 今になって、何を言い出すのか。反射的に怪訝な声が出てしまう。尋常ではないくらい、眉間にしわが寄っていたと思う。


 ここにきて話を蒸し返される理由が分からない。自分としては、一応は誤魔化し通したつもりでいたのだ。


「どういうことだよ」


 再び燃え上がった苛立ちと困惑に包まれながら、俺はそのまま真っ直ぐ菊川を睨みつける。奴がこちらの心情になどお構いなしなのは分かっていたが、そうせずにはいられない。いや、そうするべきだろう。


「……」


 若頭が更なる言葉を寄越してきたのは、それから10秒くらい経った後。先ほどとまったく変わらぬニヤケヅラが恐ろしいほど憎々しげに見える。


「そのまんまの意味さ。彼は昔から勘の鋭い人だったからね。ぜんぶお見通し。キミがそれを理解してるか否かってだけの話だ」


「だから、違うって。何を言ってやがる」


 いくら否定しても、一向に止めない菊川。彼曰く、村雨は俺が付け焼刃の詭弁を弄したことを見抜いていながら全てを水に流したのだという。


 だいたいにして、先ほどはそんな素振りを見せなかったはず。偽りだと見抜いていたならばその場で即座に一喝してくることだろう。


「勘の鋭い人」であるならば、何故にとって付けたような言い訳を信じてしまうのか。とても理解できない話だ。


 しかしながら、それには明確な理由があったらしい。


「組長がそれでもキミを許したのは、他でもない。麻木涼平っていう存在を高く買ってるからだ。これから組をどんどん大きくしていくための強力な戦力としてね」


「俺を……買ってる?」


「そうだとも。でなきゃ、稼ぎ手を戦線離脱に追い込んだ人間を説教のみで許したりはしないよ。他の連中だったら、確実に指の1本は落とされていただろうね。いかなる理由があったにせよ、今回キミがやったことは村雨組うちにとって、決して笑い飛ばせない大損失なんだし」


 逆に言えば、そうした許されざる大罪を一瞬で帳消しにしてしまうほどの価値を俺に見出しているということ


 曲がりなりにも組長の“お気に入り”である自覚こそあった俺だが、まさかそれほどまでとは。どうにも信じがたい。というか、実感が持てなかった。


(有り得ない。いくらなんでもそこまでは……)


 だが、一方で菊川の様子を注意深く観察しているていると、あながち大袈裟とも考えられなくなってくる。根底には妬みの念があるのか、彼の眼差しには時折どこか悔しさのような感情が垣間見えるのだ。


 そんな若頭は、なおも俺に話を続けてくる。


「キミも知ってる通り、戦争はいまだ継続中だからね。大鷲会は壊滅したけど、まだ笛吹グループが残ってる。奴らを倒さない限り、横浜を完全掌握したことにはならない。最も、法律上は既に死んでるらしいけど」


「あ、ああ」


「敵は街の外にもいる。浜松の斯波一家とは今後これから、うちの独立をかけて争っていくことになるだろうし。東京の中川会が傘下の伊東一家を使って横浜侵略を企ててるって噂もあるんだ。正直、兵は1人でも多く欲しい所だよ」


「……そうか。じゃあ、俺はその大事な兵とやらを戦線離脱に追い込んだ埋め合わせをしなきゃいけねぇってことか。小泉ができなかった分の働きをしろと」


 こちらの言葉に対し、大きく頷いてみせた菊川。


 戦闘力がどれほどのものだったかは知らないが、抗争における切り込み隊長として小泉が組長から期待されていたのは確からしい。


 動機が何であれ、俺のしでかした所業は取り返しのつかない大失態。先ほど表面的には許す素振りを見せた村雨も、やはり内心では激しく憤っていると考えて間違いない。


 ならば、相応の償いをするのが筋というもの。償う手段は、ただひとつ。目前に迫った斯波一家、中川会伊東一家、そして笛吹グループを相手に大暴れしてやるだけだ。


「さっきも言ったと思うけど、組長はキミに小泉よりずっと大きく目をかけている。百人規模に膨れ上がった敵を単騎で蹴散らすような戦いができるのは現状、村雨組うちでは組長と僕とキミしかいない。悔しいが、そこは認めざるを得ない」


「おう。そいつはどうも」


「僕はキミのことが大嫌いだよ、麻木クン。生意気だし、頭も悪いし。何より、僕以上に組長から信頼されてるってのが許せない。だけど、組長が……いや、ポンヨウがキミのことを認めている限りは……僕も受け入れるよ。僕の人生は、朋友のためにあるんだからね」


 まさに、菊川の本音がこぼれた瞬間だった。気持ちとしては大いに共感できる。同じ立場であれば、きっと俺も同じ嫉心を抱くことだろう。


 幼少の頃より苦楽を共にしてきた自分を差し置き、彗星のごとく現れた新入りが分不相応な贔屓を受けている――。


 この事実がいかに心をき乱してしまうか。俺に竹馬の友と呼び得る存在はいないものの、決して想像に難くない。と云えども、奴に遠慮する気はさらさら生まれなかったのだが。


「ヘへッ。そうかい。ま、お認めいただき光栄だわ。菊川さんよ。だったら、信頼を裏切らねぇように俺も頑張らねぇとだな。腕が鳴るぜ」


「うん。頼むよ。だからこそ、朋友相手に隠し事はしないでほしいな。お互いに偽りが無い状態でないと、信頼は生まれないからね。命を預け合う極道の主従関係なら、尚更だ」


「はあ? おいおい、まだ小泉のことを言ってんのかよ? いや、さっきから何度も言ってるけどさ。あれは単純にムカついたからじゃなくて……」


「もういい! 誰にも言えない秘密を抱えて、墓場まで生きる。これはキミが考えてる以上に辛いことだよ。麻木クン」


 やや大きな声で、菊川は俺の反論を遮った。


 ここへ来て、またしても嫌味。当然のことながら、フラストレーションは溜まる一方だ。


 あんたにだって、組長に話していないことの1つや2つはあるだろうに。今の今までコソコソ動き回っていた者が何を言うのか。瞬間的に沸騰した怒りを少し抑え、俺は目の前の男を再び静かに睨みつけた。


「……」


 しかし、先ほどとは様子が違う。ほんのわずかに緩んでいた目元と口元が、完全に引き締まっているのだ。


 一方で、眉がつり上がってもいない。真顔でありながら、彼の姿勢に怒りやその他憤りの情念は殆ど感じられない。言うなれば「至って真面目な表情」だ。


 どうしたというのか。ただならぬ違和感に俺が戸惑っていると、やがて菊川はゆっくりと口を開いた。


「木幡和也。笛吹から送り込まれたスパイだった彼がどんな死に方をしたのか、知ってるよね?」


「えっ、ああ。シャブ中だろ。短い時間で大量の注射を打っちまったとか。それが何だってんだよ」


 いきなり浴びせられた質問。ここで尋ねてくる意図こそ分かりかねたが、俺が返した答えは的確そのもの。他にどんな答え方があるのかというくらい、簡潔に要点だけを並べていたはずだ。


 ところが、それに対して菊川が寄越してきた話はあまりにも意外すぎるものであった。


「これは僕の推論なんだけどね。あいつが覚醒剤なんかに手を出したのきっかけ。それって、嗜好やら好奇心やらの類じゃないと思う。ずばり、恐怖を忘れるためだよ」


「恐怖?」


「そうだとも。『いつの日か村雨組への潜入がバレるんじゃないか』。そんな恐ろしいほどの不安を一時的にでも紛らわすために、木幡は逃げていたのさ。あれを使うことによってもたらされる、束の間の快楽にね」


「あっ……」


 先日に笛吹から聞き出した話によると、木幡の任務は村雨組へ潜入して内部情報や動向を探ること。世間一般で云うところの諜報活動だ。


 無論、素性が露見すればタダでは済まされない。激しい拷問で徹底的に痛めつけられた後、身も凍るようなやり方によって処刑される。「残虐魔王」の異名で畏怖される村雨組長のこと、その工程がハードなものになることは容易に想像できよう。


 発覚したら、おしまい――。


 そんな不安を木幡は7年もの間、抱え続けてきたのである。恐怖と隣り合わせの暮らしは精神を摩耗させる。強い快楽による刹那的な感情の上書きを行いたくなるのは、もはや必然だろう。


 一瞬で合点がいった。木幡の最期は自死ではなく、勢い余って致死量の覚醒剤を使ってしまったことによる事故死だったのだ。


 敵組織への潜入という、決して明かされてはならない秘密。人ひとりを破滅へと追いやるには十分すぎるくらいではないか。


 しみじみと頷く俺に、菊川は言った。


「秘密ってのは大きければ大きいほど、バレた時の代償も大きくなる。そして『バレたらどうしよう』って恐怖も生まれる。恐怖という感情は愛と同じく、人を狂わせるからね。大抵、ろくなことにはならないよ」


「……そうかもしれねぇな」


「キミの場合は、絢華ちゃんとの関係を朋友に知られるのが怖かったんだろ? だからあんなでまかせを言った。けど、そんなのは無用な心配さ。だって、その件に関しても朋友はお見通しなんだから。考えてみなよ? 下っ端の小泉でさえ知ってた話を朋友が知らないわけないじゃん」


「……」


 どうやら組長どころか、その時点でほぼ全員に知られていたらしい。聞けば、村雨組においては既に公然の事実と化しているとの話。


 周りにはとっくに知られていたにもかかわらず、自分ひとりだけが「気づかれていない」と思い込んでいただけ。恥ずかしさやら情けなさやらで、俺は紅潮する。顔面から火が出そうな思いだった。


「もちろん、朋友は認めてるよ。だからこそ、あの人はキミに早く一人前になってもらいたいのさ。目に入れても痛くない愛娘を託せる、立派な極道としてね。その期待と信頼に背を向けないでほしいな」


「……いつ分かったんだろ?」


「先月、アメリカにいる時に絢華ちゃんの方から打ち明けたらしいよ。麻木クンとの仲を。朋友は娘に弱いからね。『お前が選んだ相手なら』ってことで、快く許したみたいだよ」


 それならそうと、早く言ってくれたら良いのに。今までの村雨との会話でも、前月に受け取った絢華からの手紙にも、そのような事は何ひとつとして窺えなかった。


 最悪の場合は「お前に娘はやらん!」と激怒される展開すら想定していたので、拍子抜けに近い心地だ。ただ、どちらかといえば背負っていた重荷が一気に解消されたような感覚、比較的ポジティブな感覚の方が強かった。どこかスッキリした気分である。


(とりあえず、良かったのか……?)


 なお、すっかり両頬が綻んでしまった俺とは対照的に菊川の表情は硬いまま。軽く咳払いをすると、淡々と言葉を繰り出してきた。


「話を戻そう。せっかくキミは朋友に期待をかけられてることだし。金輪際、彼への隠し事はしないことだね。もしも朋友の信頼に背くようなことがあれば、その時は死を意味する。あの人は昔から、裏切り者に対してだけは本当に容赦が無いからね」


「ああ、気をつける」


「覚えておくといいよ。僕たちヤクザを破滅させる5大要素。それは『浮気』、『借金』、『敵に情けをかける』、『身の丈に合わない野心』、そして『親分への隠し事』。渡世で若くして死ぬ奴は、皆必ずこのうちのどれかをやってるよ」


 菊川自身、村雨に対しては1度も偽りを述べたことが無いという。俺にしてみれば非常に怪しい限りだったが、彼は胸を張っていた。


「見ての通り、僕は女遊びが趣味だけどね。それを朋友に隠したことは無いよ。そうしないと、信頼関係を保てないからね。長年に渡る友情の秘訣ってやつさ」


 しかしながら、改めて考えてみるとあながち間違ってはいない。


 藤島が村雨邸に乗り込んできた夜、菊川は桜木町のソープランドに入り浸っていた。舎弟から襲撃の一報を受けた後もサービスを受け続け、最終的に朝まで過ごした彼であるも、その事実を伏せたりはしなかった。


 村雨の詰問に対し、彼は娼館に居た事実をすんなりと認め「だから何?」とばかりに開き直ったのだ。この態度の是非はともかく、組長への偽や偽りが無い点ではたしかに一貫している。


 菊川塔一郎という男は、どうも俺が考えている以上に芯が通っているのかもしれない。良い意味での二面性。このような人物を目の当たりにするのは初めてだ。


「なるほどな。まあ、参考にさせてもらうぜ。あんたって意外とまっすぐなんだな。ちょっとばかり見直したわ」


「ふふっ、キミに褒められるいわれは無いよ。まっすぐじゃなきゃ、朋友の片腕は務まらない。ただ、それだけだよ。別に大したことじゃないさ」


 ただの女好きの変態だとばかり思っていたが、人物評に加筆を施す必要があるらしい。表面的に滲み出した軽薄さの裏に、強固な信念と忠誠心を秘めていることがはっきりと分かる。


 ただ、ここでひとつ疑問が芽を出した。


「ところで、さっきから気になってるんだけど。その『ポンヨウ』ってのは何だ? 組長のことをそう呼んでんのは分かるんだけど、あんまり聞き慣れない言葉だよな。どういう意味だ?」


 ポンヨウ――。


 こうした二人称を日常生活で用いている者は、俺の知る限り他には皆無。明らかに異質なワードであろう。


「ああ、それね。『親しき者』って意味だよ。親友とか兄弟分とか、そういう大切な相手を呼ぶときに使うんだ。たしかに、キミにとっては馴染みが無いかもね」


「馴染みも何も。『ポンヨウ』って発音自体が独特だろ。何語だよ」


「あはははっ。だろうね。普段から聞き慣れてない人からすれば戸惑うのも無理は無いかぁ。だけど、僕はずっとそうやって呼んできたもんだからね。かれこれ、15年くらいにはなるかね。話せば長くなるんだけど、キミにはそろそろ……」


 だが、ちょうどその時。遠くからひどく慌てた様子で駆け寄ってきた組員により、菊川の声は中断されてしまう。


「カシラ、ここに居られましたか!」


「ん? どうした?」


「いま、1階にお客人が見えてます……」


「組長に客人? 誰だい? それって」


 階下の応接間から、急いで走ってきたのだろう。組員は大きく息を切らしている。そのためか、首を傾げてながら尋ねた若頭の問いへの答えは若干のタイムラグが挟まれてしまう。


「はあ……はあ……」


「おいおい? 大丈夫かい?」


「も、申し訳ありません……実は……こ、煌王会本家の……家入いえいり組長です」


「な、何だって!?」


 菊川の顔つきが変わった。


「悪い、麻木クン。話はまた後だ。本家からの使いとなれば待たせるわけにはいかない。だいぶ早い到着のようだが」


「あ、ああ」


 そう言い残すと、菊川は足早にその場を歩き去っていく。やけに急いでいるらしく、ほぼ小走りに近かった。その走り幅も一足一足が大きかったことから、件の家入いえいりなる客人はよほどの存在と見て間違いないらしい。


 ひとりだけ廊下にぽつんと残される形となった俺。


 頭の中では、先ほどに菊川から受けた忠言の数々がぐるぐるとよぎる。良薬は口に苦しとは言い得て妙で、素直には受け止めきれない話ばかりを貰った。

 中でも、「ヤクザを破滅させる5大要素」は殊に実用的だ。とりあえず、そのうち1項目を心の中でそっと復唱してみる。


(親分への隠し事か……)


 ヤクザの世界における信頼関係とは即ち、互いに命を預け合える関係を指すのだろう。そうなってくると、やはり腹に一物を抱えている者には心を許せないし、一方的に抱える秘密などは無い方が良いに決まっている。たしかに、菊川の言う通りだ。


 しかし、そんな菊川と村雨にこそ重大な“秘密”があり、それを知ってしまったことで俺は後に大きな衝撃を受ける運命が待っていた。


 言うまでもなく、この時はまだ想像してもいない。

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