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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第7章 そして少年は極道になった
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多勢に無勢?

 笛吹が去って、ひとり残された病室。


 その場に呆然と座り込んだまましばらく身動きが取れずにいた俺だが、やがてはゆっくりと膝を起こして立ち上がると足元のトランシーバーを手に取った。ひとまず、村雨に連絡をしなくては。


 しらせるべきは、いくつかある。殺したと思っていた笛吹が生きていたこと。その笛吹に藤島を殺された挙句、まんまと逃げられてしまったこと。要は、今回の作戦が全て失敗に終わったという事実だ。


 勿論、事の成り行きを知った組長が怒り狂う姿は目に見えていた。「何故、笛吹を追いかけなかった!?」等と叱責の言葉を貰うことも覚悟の上。


 残虐魔王には如何なる言い訳も無用なのだ。下手に隠し立てを試みたところで、却って火に油を注ぐ結果になるだけ。そもそも誤魔化す手段を知らないので、どうすることも出来ないのだが。


(……ここは正直に打ち明けるしかねぇな)


 エアコンが効いた室内の冷気が、先ほどにも増して涼しく感じる。端末を握る右手にも少なからぬ震えが起こり、『発信』のボタンがすぐには押せない。自分が極度の緊張状態にあるのは明白だった。


 されど、モタモタしている暇は無い。病室には藤島と彼の護衛を含めて計4名の死体が転がっているのだ。この凄惨な現場を部外者に目撃されようものなら、忽ち警察を呼ばれる。


 殺したのは笛吹だが、どう説明したところで当局は相手にせず、現場に居た俺を犯人として捜査を進めるだろう。何故なら笛吹は法律上は既に存在しない人間であり、捜査のしようが無いのだから――。


 そんなことを考えていると、入り口の扉が勢いよく開いた。


「涼平。でかしたぞ! よくぞこらえたな」


 現れたのは村雨。その後ろに続いて白衣姿の男が3人、ぞろぞろと室内に入ってくる。


「えっ?」


「まさか、お前が討ったのは影武者だったとはな。さすがに私も驚いた。なれど、気に病むことではないぞ。大鷲会に内輪揉めをもたらす我が目論見は、既に成就しているゆえ」


「それって……」


 組長の声は思いのほか穏やかで、俺は戸惑いを隠せなかった。顔を合わせて早々に殴られることさえ覚悟していただけに、安堵を通り越して少々面食らってしまう。


 どうやら俺が先刻に笛吹と繰り広げた会話は、村雨にも聞こえていたようだ。実は尋問中に通知音が鳴ってトランシーバーを手に取った折から、ずっと発話状態になっていたらしい。


 笛吹による反撃を食らって端末が床に落ちた後も、こちらの音声は向こうに筒抜けだったというわけだ。


「……あ、ああ。なるほど。そ、そうだったのか」


「うむ。ともあれ、涼平。さっきはよくぞ辛抱してくれたものだ。あの後、お前が笛吹を逃がしたおかげで助かった。奴の背後にいるのが一体誰であるか、しばし泳がして探ることができるのでな。恩に着るぞ。礼を言う」


「いや。俺は、別に何も……」


「お前も成長したな。討ち漏らした敵を追いたい気持ちは山々だったであろうに」


 怒られるどころか、お褒めの言葉を賜った上に感謝までされるとは。日頃より褒められることには慣れていないので、どこかむず痒い。叱責されるのに比べたらずっとマシなのだが。


 衝動的にとった行動が、良くも悪くも己の意図とは別の結果を生むこともある。それを身をもって学習させられたような気がした。


 一方、村雨は随行者に一も二も無く檄を飛ばす。


「何をしておるか。さっさと藤島を運び出せ!」


「しかし、既に頭を撃たれて……」


「構わぬ! 亡骸だけでも持って帰る。このまま置いてあっては後々で面倒なことになるのは必定。わざわざ殺人の証拠を残して警察を喜ばすことも無かろう。すぐに取りかかれ!」


「……」


 困惑していた開科研の職員たちも、組長の強い口調を前に黙々と作業を始めるしかなかった。


 とはいえ、彼らに出来ることといえば藤島の頭部をタオルでグルグル巻きにして車椅子に乗せるくらい。これは病院から退出するまでの間、被弾した額の傷を隠すための措置である。


「良いか? 何があっても藤島は生きていると装うのだ。撃たれた傷を見られるなど、もっての他だ。徹底して隠し通せ!」


「か、かしこまりました。いちおう出血は拭き取ります。死後硬直の前に体勢を変えましたので、ひとまずどうにかなるとは思われますが……」


「よし。支度が済んだら、さっさと引き上げるぞ。下手に長居すれば怪しまれるのでな」


 偽装工作を施したところで気休め程度にしかならないと、きっとあの場に居た誰もが分かっていたはず。しかし、それでも全く何もせずにいるよりは足しになるために皆、必死で手を動かしていた。


 特に難しくは考えず、ただひたすら目の前のやるべきことをこなし続ける。何も渡世に限った話ではない。生きるとはそうした単純かつ小さなアクションの積み重ねではなかろうか。


 どうにも妙な境地に至った俺を尻目に、スタッフたちの作業は早い。始めてから、ほんの5分程度で搬出の準備が整ってしまった。


 確認を終えた村雨は、トランシーバーのボタンを押した。


「……私だ。藤島の確保は済んだ。しかし、むくろが3体ほど出てしまった。処理を頼めるか?」


『ハハッ、了解』


 相手は若頭。病院側の動向を探るとの目的で、たまたま組長たちとは別行動をとっていたらしい。彼を通して、贔屓にしている処理業者に大鷲会の護衛の組員3名の死体を預けるとのことだ。


『あれ? もしかして麻木クンが殺しちゃったの? 藤島のおじいちゃんを? はあ~、相変わらず無茶な奴だよねぇ、彼は』


「詳しいことは、後ほど説明する。それよりもはよう始末屋を呼べ。此度ばかりは笑っていられる事態ではないぞ」


『はいはい。分かったよ~』


 村雨の端末から聞こえてきた菊川の声にもまた、大きなため息が混じっていた。おそらくは今回の任務が失敗に終わった全責任が、俺にあると思ったのだろう。


 大まかな流れを見れば確かにそうだが、厳密に言えば違う。しかしながら、ここでは正しい補足説明をしてやる余裕が無い。後々で若頭に言われるであろう嫌味を厭わしく思いつつ、俺は村雨たちに続いて病室を出た。


 残った死体をいかにして、菊川が片付けるのか。そちらもそちらで疑問だが、今は冷たくなった藤島を運び出すことに集中するのみ。全神経を研ぎ澄まし、病院の廊下を通りかかる人々の目線から車椅子を隠すように歩いてゆく。


「……」


 誰も決して俺たちの方を見ているわけではないのに、凝視されているように感じてしまうのは何故だろう。人が何か後ろめたい事実を抱えている時に決まって発動する、被害妄想にも似た一種の過敏症といえようか。


 あまり考えすぎないことが唯一無二の処方箋なのだが、ついつい気になって仕方がない。6階のエレベーターに辿り着くまでの間、俺は額に冷や汗が浮かぶのを我慢することができなかった。


「涼平。だいぶ緊張しているようだな」


「えっ……? ああ、うん。たしかにな」


「気持ちは分かるが、斯様に挙動不審ではかえって怪しまれるぞ。だが、案じずとも良い。今に限って申せば、誰も我らを怪しんではおらぬゆえ」


 どうして、そのように断言できるのか。意味が分からない。思わずギョッと両目を見開き、村雨の顔を食い入るように覗き込んでしまった。


「憶測だ。私なりのな」


「はあっ? お、憶測!?」


「左様。この世界で14年も生きているとな、目の前を歩く者が何を思い何を考えているかくらい、ほんの数秒で分かるのだ。大抵、狂いは無い」


「……」


 てっきり、いつものように明確な理由を示してもらえるものと期待していたが、今回ばかりは違ったようだ。俺を安心させようとする意図だけは伝わってくるも、ますます懸念の色合いが強まってくる。


「普通は瞳の色や動きを探らねばならぬのだが、その点お前は分かりやすいな。涼平。心情がすぐ態度に表れる」


「……それって悪いのか?」


「無論、極道としては致命的だ。本心を隠せぬ者は早死にする。それが我らが生きる世界の理と思うことだな」


 ヤクザの喧嘩は単純な暴力による組み打ちだけではない。時には頭脳を用いた心理戦を行う場面も必須。むしろ、近頃はそちらの方が増えてきたとも考えられる。実に的を得たアドバイス、というか苦言だと感じた。


(俺みてぇな奴は駄目ってことかよ……)


 自分はあなたが思っているほど単純ではない、などと反論したいところであるが生憎にも図星。昔から誤魔化しが達者ではない、もしくは隠し事が不得手という認識はあったのだ。


 最たる原因が豊かすぎる感情表現にあるならば、これからは己の短所と位置付けて直していくべきだろう。最も、鉄仮面のごとく貼り付いたポーカーフェイスになれるかは甚だ疑問なのだが。


 そんな他愛もない談義を繰り広げているうちに、時間はあっという間に流れた。下降するゴンドラの動きがぴたりと止まるや否や、軽快なチャイムの音が響く。


『1階です』


 到着したようだ。エレベーターホールは人の数が多い。それゆえ下手に長居をすれ、ば要らぬ注意の目を引きかねない。俺たちは扉が開くなり、即座に移動を開始する。


 病院正面の玄関口までは近いので、早歩きでサッと出るだけ。走っても良いのではと思ったが、組長曰く「病院で走る者がいれば余計に目立つ」とのこと。これまた、何とも的確な指示であろうか。


 そんなこんなで構内を抜けると、迎えの車は既に近くまで来ていた。


「ハーイ、ミスター・ムラサメ! 待ってたヨ~」


 運転手の調子は相変らず。窓から顔を出し、くしゃんとした笑顔を向けている。よく見たら口の周りが白く汚れているではないか。待機中、洋菓子の類でも食したのだとすぐに悟った。


 緊迫した場面だというのに、この陽気ぶり。


 元軍人ゆえの強心臓から来る平常心なのか、それとも単に状況が分かっていないだけなのか。どちらにせよ、場に相応しいとはきわめて言い難い彼の声量は村雨の苛立ちを買ってしまった。


 すぐさま、譴責けんせきの声が飛ぶ。


「何だ、そのふざけた物腰は! スギハラ、貴様は今がどんな時か分かっているのか?」


「もちろんサ。分かってるとも~」


「ならば、もっと気を入れて事に当たれ!!」


 いつにもない剣幕で怒声を浴びせられたにもかかわらず、一切悪びれる様子の無いスギハラ。まるで幼い子供のようである。暴力団関係者とは思えぬユーモラスなやり取りに、俺は笑いを抑えることが出来なかった。


 本来ならば我慢するべき場面のはずなのだが、やむを得ない。ともあれ、心を表裏一体で支配していた不安と緊張もこれでだいぶ和らいできた。


 後は医療スタッフの指示に従い、荷室から遺体を積み込むみ。ワゴン車の後ろの扉を開けて、車椅子ごと持ち上げる。


「うわっ!」


 藤島の元々の体重などは分からないが、異様に質量を感じてしまった。生命活動が停止したことで重みが増したのが正確な理由なのだが、医学の知識の無い俺には勿論のこと分からない。普通に驚いてしまった。


 しかし、衝撃はそれだけにとどまらない。職員達と共に、やっとの思いで藤島の遺体の積み込みを終えた刹那。聞き慣れぬ声が俺の鼓膜を伝う。


『そこまでだ! オヤジを返してもらうぞ!!』


 組長でも若頭でも、ましてやスギハラでもない、まったく覚えのない声。一体、誰なのか。恐る恐る振り返ってみると、そこに広がっていたのは思いもしない光景だった。


(えっ……!?)


 そこにいたのは、厳つい集団。全員、派手な柄のスーツに身を包んでいて見知らぬ顔ばかり。各々が鉄パイプや木刀などを携行しており、彼らがカタギではないという事実はひと目でわかる。


 ただ、問題なのは連中の頭数。駐車場の端から端まで、武装した男が俺たちを取り囲むようにずらりと並んでいるのだ。おそらく、100人は下らなかったと思う。「集団」を通り越して、もはや「群衆」と呼ぶに相応しい数だった。


 空気感は一瞬で変わった。彼らの姿が視界に入ったのを境に、夏とは思えぬほどにひんやりとした寒気が背中を走り抜けてゆく。たまたま近くにいた医師と、思わず顔を見合わせたのを覚えている。


「……」


 立ちすくむ俺たちを尻目に、一歩前に進み出たのは村雨だった。一寸のブレも無い真っ直ぐな声で、村雨は彼らに問う。


「お前たち、一体何の用だ? 渡世の者と見受けられるが、私が誰であるかを存じて斯様な無礼を働くのか?」


 すると、群衆の中から1人の男が現れる。


「ああ! そうだとも!」


 左右に広がった恰幅の良い体形に、見る限り2メートルにも及ぶであろう長身。まさしく絵に描いたような大男である。そんな彼は村雨の真正面で対峙するなり、勢いよく言葉を続けた。


「俺の名は坂木場さかきば大至ひろし。横浜大鷲会若頭補佐だ。村雨、あんたが会長を病院から攫おうとしてるってタレコミがあったもんでな。引き取りに来たんだよ。あんたと、そこにいるガキの命と一緒にな!」


 そう言って、坂木場と名乗る男は俺に指をさす。


(……あっ、そういうことか)


 わずかに戸惑いはしたが、彼らの意図は何となく理解できた。どうやら坂木場たちは大鷲会の中でも藤島派であり、会長を銃撃した(ことになっている)俺を仇敵と見定めているようだ。前日の問罪表を書いたのも、さしずめこの男だろう。


 憎き麻木涼平が村雨組長と共に、藤島を病院から連れ出そうとしている――。


 そんな情報を何らかの手段で入手し、兵隊を率いて駆けつけてきたと思われる。誘拐を阻止するだけにしては大袈裟な人数だが、相手は音に聞こえた残虐魔王。普通に挑んでは勝ち目がないため、圧倒的な数の力で押し潰す策を採ったのかもしれない。


 されど、敵が誰であろうと村雨は村雨。100人前後の暴徒を前にしても一切揺らぐことは無い。いつも通りの様子を崩さず、平然と返した。


「悪いが、藤島は渡さぬ。この老爺は生け捕りにする。そして本日より、我が虜囚となってもらう」


「ああ。そうだよな。別に、素直に会長を渡してくれるとはこっちも思っちゃいないさ。けど、現実をみろよ。この人数だぜ。どう見積もったって多勢に無勢だろ。取り囲まれて嬲り殺しにされる前に、大人しく渡した方が得なんじゃねぇのかよ。ああ!?」


「フッ、それで脅したつもりとはな。現実が見えていないのは坂木場とやら、お前の方だ。たったその程度の人数で、私を殺せるとでも? お前こそ、みすみす返り討ちに遭う前に大人しく引き下がるが得ではないのか?」


「うるせぇ! 舐めんじゃねぇぞ! 言っとくが、こう見えても俺は元王者だ。俺の剛腕にかかりゃ、テメェの首をへし折るなんざ朝飯前。5秒で勝負ケリをつけてやるよ。さあ、どうするよ。大人しく会長差し出して詫び入れるか、それとも無様に殺されるか……さっさと選びやがれ!!」


 拳を鳴らしながら、煽り文句の大音声を放ってみせる坂木場。そんな中、俺の背後にいた医師が呟く。


「思い出した! たしか、あれはグレート・キバです。」


 どこかで聞いたような名詞の登場。無論、聞き返さずにはいられなかった。


「えっ? グレート・キバって、あの五冠チャンピオンだった?」


「そうです。麻木さんもご存じでしたか。いやあ~、懐かしいですね。最近見ないとは思いましたが、まさかヤクザになってたとは……」


 グレート・キバ――。


 完全に思い出した。それこそが大鷲会若頭補佐、坂木場さかきば大至ひろしの以前の名前だった。俺も子供の頃には親父と頻繁にプロレス中継を観ていたので、よく覚えている。


 日本人離れした屈強な体格を生かした力押し戦法が持ち味のプロレスラーで、得意技は大木のごとく太い右腕で放つラリアット。そんな文字通りの剛腕を武器に昭和の日本マット界で暴れまわり、1度は世界ヘビー級王座のベルトを5本も手に入れる栄光の日々に華やいだ。


 しかし、1988年に一般人相手の傷害事件を起こして逮捕。執行猶予付きの判決を受けて王座剥奪、所属団体からも解雇処分を受ける末路を辿った。それからはぱったりと姿を消し、レスラー稼業も事実上引退。表舞台で彼の姿を見ることは無くなっていたのだ。


 あれから、ちょうど10年。現役時代には金髪のロン毛だったグレート・キバのヘアスタイルは黒のパンチパーマとなり、眉毛も綺麗に剃り落されている。極道一色に染まってしまった、とでも言えば良かろうか。


 一体、何が彼をそうさせたのだろう。変わり果てた姿にかつてお茶の間を沸かせていたヒーローの姿が重なり、思わず大きなため息がこぼれてしまう。


 レスラーに限らず元大相撲力士、元プロボクサーといった格闘家が引退後の第二の人生としてヤクザに転身するケースは非常に多いらしいのだが、当時はその辺の事情をよく知らなかった。


 ましてや、今のこの場面に関係があるはずが無い。複雑な目で見つめる俺の心境などお構いなしと言わんばかりに、村雨は坂木場に鋭い眼光を飛ばす。


「“5秒”でケリをつける……そう申したな?」


「おうよ! それが何だってんだ! ビビったのかよ!」


 ニヤリと笑う巨躯の若頭補佐。片や村雨は淡々と続ける。


「いかなる確信があって“5秒”と申したのかは存ぜぬが、実に面白い見立てであるな。良いだろう、せっかくの機会だ。付き合ってやるとしよう」


「ああ?」


「私もお前を“5秒”で仕留める。それだけの話だ」


「はあ? さっきから、何を言っ……」


 その時だった。


 ――バキッ。


 村雨の姿が俺の視界から消えると同時に、何か金属のようなものが折れる音が辺りに響く。何が起こったのか、分からなかった。


 されど、すぐに理解は追い付いて来る。そう。とてつもない速さで一瞬のうちに坂木場との間合いを詰めた村雨が、その左側頭部めがけて右脚で蹴りを放ったのだ。


「フフッ。私としては、だいぶ手加減をしてやったのだがな。かつて世界を制したと云えど、所詮はこの程度か。反応も遅ければ、対処も遅い。口ほどにもない奴め」


「ぐえぇっ」


 掠れ気味に出た醜い声を最後に、バタリと崩れ落ちる坂木場。瞬きをする猶予も無い、ほんのわずかな間の出来事だった。だが、それ以上に驚いたのは、強烈な蹴撃を食らった坂木場の頭部から血が噴き出していたこと。大きく、えぐられたような形になっていた。


(おいおい。嘘だろ……)


 頭蓋骨が完全に陥没しているのだ。言うまでもなく、坂木場は即死。鮮血と共に飛び散った肉片や骨が潰れたスイカのようにグチャグチャと散乱し、地面を赤く汚していた。


 この日、俺は生まれて初めて、人が人を素手のみで殺す瞬間を目の当たりにしたのだった。他には喩えようの無い戦慄と衝撃が同時に襲い来て、忽ち言葉をなくしてしまう。


「……」


 一方、わずかに後方を振り返った組長は静かに告げる。


「スギハラ、ここは私と涼平が引き受ける。お前は藤島を連れて開科研へ向かえ。一刻も早くだ。分かったな?」


「……了解ラジャー


 命令を承ったスギハラはそれ以上は何も言わず、スタッフが乗り込むや否や即座に車を発進させた。それまで呆然としていた大鷲会の面々が慌てて制止しようとするも、車の馬力には敵わない。ワゴン車は駐車場を出て行ってしまった。


「よくも坂木場の兄貴を!」


「会長に続いて兄貴まで……絶対に許さねぇ!」


「そうだ! 殺してやる!」


「覚悟しやがれ! 麻木! 村雨ーッ!」


 いきり立ち、口々に怒声を上げる組員たち。100人前後が一斉に叫び出したので、その場は瞬く間に騒然となる。何が起きているのかと遠目で眺める通行人の姿も見られた。


 どうやら、こちらの命を取る気でいるようだ。それぞれ手にした武器を構えて振り回し、凄まじい雄叫びと共に殺気を漂わせているではないか。


 しかし、放つオーラの大きさで云えば組長に遠く及ばない。相手にしているのは残虐魔王。身に纏う雰囲気はさながら怪物。一瞬で気圧され、大鷲会は静まり返ってしまった。


「……」


 きっと、村雨耀介の辞書に「多勢に無勢」の文字は無いのだろう。俺の方には一切目もくれずにまっすぐ前方へ歩みを進めると、並び立つ敵に向かって堂々言い放つ。


「ここのところ、期待外れの連続でな。何をやってもつくづく運が無い。それゆえ、にわかに機嫌が悪いのだ。今日は私の八つ当たりにとことん付き合ってもらうぞ」


「……っ?」


「恨むなら、未熟な分際で私と相まみえた己の愚かさを恨むが良い! その身体に罪を刻み込んでやる!!」


 言上が終わると、間もなく100人は下らぬ暴徒の中へ村雨は果敢に飛び掛かっていった。ひとり、またひとりと組員たちは倒されてゆく。


「ぐへぇっ!?」


「うぐあっ!」


 悲鳴と共に築かれる人の山。激情に満ちた残虐魔王の拳の前には、やはり誰であろうと手も足も出ないようだ。しかし、それでも戦いは終わらない。


「な、何やってる! ひるむなーッ! 相手は1人だ! 押し返せ! 押し返すんだ!!」


 リーダーらしき男の掛け声とともに、何とか奮い立った大鷲会の連中。もはや勝敗はついてしまっているような気もするが、ここで何もせずただ黙って見ているわけにもいかない。


(しょうがねぇ。行くか)


 目の前で繰り広げられる乱闘の渦の中へ、俺は意を決して駆け込んでいった。


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