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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第7章 そして少年は極道になった
103/252

恐るべき謀反人

「お前ら村雨組が俺のタマを取りに来るって話は、ちょっとばかし前に掴んでたからよ。こちとら予め代役を立てといたんだわ。俺と背格好が殆ど変わらねぇ男を用意してな」


 その瞬間、全容を理解した。どうやらあれは笛吹本人ではなく、彼の影武者だったようである。あまりにも見た目がそっくりだったために、現場では気づけなかったらしい。


 まるで側頭部をハンマーで強かに打たれたような、恐ろしくも凄まじい衝撃に包まれる。脳内にモヤモヤと居座っていた疑問の数々に、次々と模範解答が示されていくような感覚だ。


(マジかよ……)


 こちらの想像が1ミリも及ばなかった事実を前に、一切の言葉を失ってしまう。てっきり、刺されはしたものの何らかの処置で助かったのだと思っていた。それがまさか、そもそも襲われてすらいなかったとは。


 そんな俺を嘲笑うかのように、笛吹の話は続く。


「あの日、お前が時間通りに来てくれたのは好都合だったぜ。おかげで俺は死んだ風に見せかけて、無事に地下へ潜れたんだからなあ。わざわざデマを流した甲斐があったってもんだわ!」


「……ぜんぶ、テメェが仕組んでたってことか?」


「そうだ。たしかお前、あの場から鞄を持ち去ったんだよな。中身を見て、さぞかし驚いたろ。何せ入っていたのは末端1億の覚醒剤シャブじゃなくて、新潟産の米だったんだから! ひゃははははっ!」


 村雨組内部に送り込んだスパイから7月もたらされた情報によって、組長の村雨耀介には大鷲会攻略のために自身を暗殺する計画があると知った笛吹。奴は一計を案じ、俺たちの作戦を逆手にとる算段を立てた。


 手順としては、実に単純。まずは「長者町のホテルで中国人から麻薬の買い付けを行う」といった流言をばらまいて村雨組の刺客を誘引。そして事前に仕立てておいた影武者を殺させることで、襲撃に遭って死亡した風を装ったのである。


 ちなみに、影武者の仕事を与えたのは笛吹に近い大鷲会の下っ端組員。特に本部長命令で強要したわけでも無く、「兄貴のお役に立てるなら」と快諾したとのこと。


 村雨組長が以前に話していた通り、やはり笛吹には若手からの人望があったようだ。そうでなければ、部下が自ら整形手術を受けてまで生還率0%の役目を買って出たりはしないだろう。


 他者を思いのままに動かす力が、自分には有る――。


 少なくとも、笛吹自身は確かな自信を抱いているようだ。その証拠に、本人はやけに得意気だった。馬乗り状態で銃口を向けられているにもかかわらず、煽るような言葉を次から次へと浴びせてくる。


「お前らは俺を殺して、そいつを会長オヤジの仕業に見せかけることで大鷲会を攪乱する腹だったらしいけどなぁ、何もかもがお見通しだったんだよ。最初っから! 俺を利用するつもりが、逆に利用されてたってわけだ!!」


「そうかよ……」


「あの米は俺からのささやかなプレゼントだった。無様に出し抜かれた挙句、俺の計画の小さな駒として利用された惨めな負け犬クンたちに対する、気持ちばかりの慰めだったんだよ! で、どうだった? 味は? 持って帰ったんだろ? ああ?」


 おそらく彼にとって自分以外の他人は全て「愚者」であり、卑しむと同時に慢侮の対象でしかないのだろう。腹立たしさを通り越して最早滑稽にも思えたが、とりあえずは黙って聞いておいてやる。


「言っとくけどよぉ、あれは新潟産の純コシアカリだったんだぜ? ちゃんと味わって食べたか?」


「……」


「ま、所詮お前らみたいなアホに味なんざ分からねぇか! 風の噂を鵜呑みにして動いちまうような連中だもんなぁ! だよなぁ! そうだよなぁ! アホすぎて目も当てられねぇよなぁ! あーはっはっはっはっはっ!!」


 拷問の末に自白させられている側とは思えぬテンションで高笑いした、目の前の男。もしかして虚勢を張っているのではとも考えたが、それにしては異様の度合いが過ぎる。


 どこからどう見ても、まさに狂っている人間の情緒ではないか。いや、そのような些末事はどうでも良い。こちらはあくまでも冷静に、相手から聞きたいことを聞き出すだけだ。


 ひとまず、多少強引に遮っておく。


「ヘッ、そうかよ! 勝手にほざいてやがれ。俺に言わせりゃ、自分が置かれた立場が全く見えてないテメェの方がよっぽどアホで、目も当てられねぇけどな」


「ププッ。開き直りか?」


「黙れ。質問するのは俺だ。下手に喋るとドタマに風穴が開くぞ。死にたくなけりゃ、もっと真面目にするこったな。少しは考えて口を開けや。次はマジで殺してやるぞ。この野郎」


「……っ!?」


 俺が右手に構えた拳銃の引き金にかけた指をわずかに動かしてみると、笛吹は両目を一瞬ギョッと大きく開かせて沈黙した。


 この場で俺が成すべきは、相手の挑発とも取れるくだらぬお喋りに付き合うことではない。村雨の暗殺計画に自ら乗ってまで、自らの死を偽装した真意を吐かせる。ただ、それに尽きる。


「そもそもどうして、死んだふりをする必要があったんだ? 藤島の爺さんたちを殺したかったのは分かる。けど、それなら普通に組を割れば済む話じゃねぇか。わざわざ俺に殺されたって風を見せかける、そんな面倒な手順を踏んだ理由は何だ?」


「……俺たち極道にとっていちばん大事なのは体面、つまりはメンツよ。組から離反するってのは、すなわち『親に弓をひく』ってこった。この世界じゃあ、そいつは最大級のタブーだ。それで始めた戦争なんざ、お世辞にも大義名分が立たねぇわな。けど、先に親の方から手を出してきたんなら話は別だ。『親の勝手で理不尽に殺された男の弔い合戦』。これなら、少しは世間体もマシになるだろ」


「なるほど。それで、自分テメェの派閥が組を割って出る口実を得たってわけか。俺たちの作戦をまんまと利用して」


「ああ。そういうことだな」


 そんな笛吹にとって、藤島の仕業に見せかけるという村雨の暗殺計画はまさに渡りに船だった。これほど都合の良い出来事は無かったように思える。僥倖、などと形容しても何ら大袈裟ではないだろう。


「けどよ、そんなにメンツが大事なのか? どういう経緯であれ、結局は戦争に勝った奴が正義ってことになるんじゃ……」


「馬鹿め。戦争に勝っても、その後で支持を得られなきゃ意味がねぇだろうが。いくら身内に慕われたところで、他所様に認めて貰えん限り渡世じゃ食っていけない。大鷲会うちみてぇな一本独鈷の組なら尚更な。お前、実の親がヤクザの癖にそんなことも分からねぇのかよ」


 たしかに、笛吹の言う通りであった。元号が平成に変わってから10年ほど経っていたが、極道社会の根本的な掟は依然として変わらず。


 子は親を尊んで忠孝を尽くし、親は子を命がけで守る――。


 古風な任侠精神を愚直なまでに重んじる人間が、当時はまだまだ多かった。笛吹から見れば時代に遅れた「アホ」なのだろうが、それが多数派とあらば自身が適応するのが正解だ。


 藤島体制派を一掃して組織を掌握した後のことを考えても、やはり抗争に大義名分は欠かせない。なりふり構わず我が道を突き進む村雨に比べると些か小胆なやり方に見えなくもないが、理解の余地のある話だった。


 ただ、一方で疑問も浮かんでくる。


「テメェは表向き“死人”なんだろ? それなら事が収まるまでの間、どっかに隠れてるのが普通だろ。どうして今になって出てきたんだ?」


 今一度銃口を突きつけながら、率直に問うた俺。すると、意外な言葉が返ってきた。


「決まってるじゃねぇか。“死人”だから、だよ」


「は?」


「言葉通りの意味だ。本当は、もうじき顔も名前も変えてまったくの別人になる予定だったんだがな。このままボーッとしてんのも面白くねぇ。新しい戸籍を貰うまでの間、ひと暴れしてやろうと思ったのさ。“死人”なりに出来ることがあると思ってよ。そうでもしなきゃ、時間がもったいねぇよ」


 “死人”なりに出来ること。裏を返せば、“死人”にしか出来ない何か。


 具体的にどういう事がそれに当たるのかは想像も及ばなかったが、確かなのは笛吹が打算のひとつも無しに動く男ではないということ。俺自身の足りない知恵では推理に限界がある以上、彼の口から更なる言葉を引き出したいところだ。


「ハハッ。透明な幽霊にでもなって、気づかれねぇように敵を仕留めるってか?」


「透明ねぇ。まあ、そういうことかもしれんな。今の俺が好き放題に動いたところで、笛吹慶久って人間は既に存在しねぇんだからなあ……この旨み、利用しないわけにはいかねぇぜ」


「何を言ってやがる?」


「ほーう。ここまでヒントを出してやったのに、まだ分からねぇか。やっぱりお前はアホだわ。父親譲りの……いや、父親を超えるドアホの極みだなァ。クックック……」


 またしても薄気味の悪い笑みをつくった笛吹だったが、もちろん挑発に乗ることはない。できるだけ冷静でいるように努めて気を落ち着けつつ、淡々と言葉を返す。


「うるせぇよ。あんまり無駄口叩いてっと、マジで殺すぞ? アホで悪かったな。んじゃ、アホにも分かるように、もっと噛み砕いて説明してくれや。出来るだろ? インテリ気取りさんよ」


「ヘへッ! いいぜ。教えてやる。要は、どれだけ暴れてもパクられねぇってことだ。考えてもみろ。とっくに死んでいる人間に警察サツがどうやって逮捕状を出す? 今の俺は戸籍上、現世にいねぇんだからよ」


 その瞬間、背筋にゾクッとした寒気が走った。


(なっ!?)


 合点がいった、とでも書けば良いのだろうか。己を標的とした暗殺計画にわざと乗っかってまで死を偽装した笛吹の真意が、みるみるうちに理解できたのである。同時に、全身の鳥肌が立ってゆく。


「……そういうことだったか」


「ああ。そういうことだ。ようやく分かったみてぇだな、麻木涼平! 俺にはもう、戸籍が無い。だから、警察は俺を逮捕できない。法律なんか気にせず、派手に暴れられる! そして殺したい奴を沢山殺してまわれる! 今の俺は無敵ってわけだッ!!」


 得意気にそう叫んだ男に、俺は戦慄が止まらなかった。


 後になって分かったことだが、笛吹の策はたしかに日本の刑事司法の死角を巧みに衝いている。この国で捜査当局が被疑者の身柄を拘束するには、裁判官が出す逮捕状が必要である。同書類は被疑者の戸籍情報に基づいて作成されるため、そもそも戸籍が無ければ発給不可能なのだ。


 たとえば何らかの凶悪事件を起こして捜査線に浮上したとしても、法律上上「笛吹慶久」なる人物は存在しないため、当局としては彼に手出しができない。に現行犯で取り押さえて身柄を確保したとしても戸籍が無いため、その後で起訴および裁判へと持ち込めないのである。


 つまり、笛吹は日本の刑事司法の力が全く及ばぬ絶対安全圏にいるのだ。それが一体、何を意味するのか。彼の口から飛び出した「無敵」という単語が、俺の頭の中で不気味に響き渡っていた。


(わざと殺された理由はこれかよ……)


 法の縛りを完全に無視して動けるので、何をしでかすかはそれこそ分からない。カタギを巻き込んだ無慈悲な攻撃で、村雨組の前に立ちはだかることは火を見るよりも明らかであった。


 ひょっとすると、この場で一思いに射殺して本当の意味で“死人”にしてしまった方が良いとも考えられる。ただし、まだ少し知りたい情報があるので引き金をひくのは後回し。


 一旦気持ちを切り替え、俺は再開した。


「俺たちの計画はどうやって知ったんだ? いくらテメェの頭がキレるからって、まさか予知能力みたいなのがあるわけじゃねぇだろ」


「ヘへッ。予知能力ねぇ……たしかにそんなものがあったら便利かもしれんがな。生憎、俺には無い」


「だろうな。で、どうなんだ? 計画を前もって知った方法。勿体ぶってねぇで、さっさと教えろや。今さら隠そうだなんて思うなよ。素直に口を開かないなら殺すだけだ」


「……身内にスパイがいる、と言ったらどうするよ」


 返ってきたのは予想通りの答え。こちらも予め内通者がいる前提で話しているので、別段驚きはしない。やはりそうだったかという思いだった。問題なのは、それが誰なのかということ。


「知ってるよ。日高か?」


「日高……ああ、ニンベン屋の日高健次郎のことか。ププッ! あんなドモリ野郎に何の仕事ができるかよ。人とまともに話すことすら危うい奴をスパイとして送り込む馬鹿が、一体どこにいるってんだ! ひゃはははっ!」


「そうかよ。んじゃ、早いとこ教えてくれや。インテリさんよ。こちとらアホだから、見当もつかねぇもんでね」


「ほーう……自分の愚を認めるか……まあ、良いだろう。教えてやるよ」


 ひと呼吸分の間を挟んだ後、笛吹の口から出たのは意外な名前であった。


「……木幡こわた和也かずや。お前もよく知ってるだろ?」


 完全に想定外というわけではなく、いちおう可能性のひとつとして頭の中にはあった。それゆえ大して驚きはしない。


 しかしながら、今までに木幡が俺に見せた行動の中でスパイらしいものがあったかと問われれば些か心当たりに欠ける。説の根拠となり得る補強材料が欲しかった。


「なんだよ、あいつか。ちょっと違うと思ってたけどな。」


「へッ。間抜けなお前に教えてやるよ。村雨の屋敷に『資料室』みてぇな部屋があんだろ? 実はな、あそこには発信装置を置いてんだよ。屋敷中に仕掛けられた盗聴器の電波を中継して、俺の所に飛ばすためのな」


「盗聴器か。気づかなかったぜ」


「そりゃそうさ。何せ、そいつは本の形をしてるんだからなァ! お前のようなアホに気づけるはずもない! 他にも、あの部屋にゃあ木幡が俺に秘密の暗号を送るための信号機だって置いてある! どうだ? 気づかなかったろ?」


 なるほど。そう言われてみると、一気に真実味を帯びてくる。


 書庫にて文献を読み漁った前月、退室するタイミングで木幡からは入念なボディチェックを受けた。重箱の隅をつつくような執拗さだったので違和感を抱いていたのだ。まさか、室内に置かれた装置に勘づかれぬ為だったとは。


 他にも「長居されると困る」などと、声をかけられたような気が。こちらも組長には許しを貰っているのに何故と首を傾げたが、木幡が書庫を拠点に諜報活動を行っていたとなるとあっさり説明が付く。


 木幡の行動には、たしかに不自然な点がはっきりと見えていた。見落としていたわけではないにせよ、もっと早く疑い始めれば良かったと思う。己の注意力の浅さを悔やむしかなかった。


「ああ。たしかに気づかなかったな。じゃあ、笛吹。テメェが俺らの作戦を知ったのは、その木幡からリークがあったってことか?」


「おうよ。3日前くらいに暗号が届いてな。凶器には氷のナイフを使うことも、その中に猛毒のパリトキシンを仕込む予定だってことも、何から何まで筒抜けだったぜ」


 そうして情報を得た笛吹は、即座に今回の偽装死の計画を発案。すぐさまダミーの麻薬取引を設定し、村雨組の情報網に引っかかるよう敢えて大々的に情報を流したとのこと。


「ああ、そうそう。たしかお前、最初はアーミーナイフを使って首の後ろの『盆の窪』とかいう神経を狙う予定だったんだろ? でも、それだと凶器の処理に困るからって村雨に駄目出しされて、急遽氷のナイフを使う計画に買えたとか」


「……」


「ははっ! その顔じゃあ図星だな! ったく、どこまでアホなんだよ。お前って男は!」


 その辺の流れは本来、俺に組長に日高、そして木幡の4人しか知らないはず。ここまで来ると、もう内通者はあの男なのだと確信せざるを得ない。


「木幡をスパイとして使ってたのはいつからだ?」


「だいぶ前だな。ちょうど村雨の野郎がこの街に来た頃だから、もうすぐ7年くらいにはなるか。あいつは元々、俺の舎弟でな。顔が地味なもんだから潜り込ませるにゃあぴったりだと思ったのさ」


「ぜんぶ、テメェひとりの差し金か?」


「そうだ」


 7年という時の長さもさることながら、驚いたのは村雨がその間に気づかなかった点だ。知った上で敢えて泳がせていた可能性も否定できないが、あの残虐魔王の目を誤魔化し続けるとは見事なものだ。少し、妙な感心をおぼえてしまった。


 いや、恐れ入っている場合ではない。


 笛吹からはまだ聞き出すべき話があった。前週から、ずっと頭の中で燻ぶり続けていた疑問。それを本人の口から証言させて答え合わせをしない限り、どうにもスッキリしないのだ。個人的な心情を抜きにしても、きっと村雨組のためになる情報であろう。ここでみずみず聞き逃してしまうのは愚の骨頂。俺は目の前の男の胸倉を掴むと、力強い声で問うた。


「たしか、テメェには協力者がいるんだったよな? そいつの力を借りて横浜を乗っ取る腹積もりだとか」


 その言葉に、笛吹の目元が一気に細まるのが分かった。


「ああ。そうだとも。俺にはデカい後ろ盾がいる。お前ら村雨組とは比べ物にならねぇ、大物中の大物よ。だから俺を殺すってことたぁ、そいつら全員をまとめて敵にまわす……」


「うるせぇよ! 俺が確かめてぇのは、その後ろ盾とやらが誰なのかって話だ。グダグダ抜かしてっと、本気マジで殺すぞ。この野郎」


「……」


 まさか、この期に及んで虎の威を借るとは。大鷲会で若くして本部長の地位にまで昇ったとはいえ、やはり所詮は小物。意に介さず、こちらは尋問を続けるだけだ。


「バックにいるのは中川会の伊東一家か?」


「ヘへッ……」


「笑ってねぇで答えろッ!!」


 どうやら、怒声を浴びせるだけでは無駄のようである。俺は右手に携える拳銃のグリップ部分の底で、顔面の中央を思いっきり殴ってやった。


「ぶはぁっ!?」


 再び、笛吹の醜い声が室内に響く。既に骨が折れて青紫色に変わり果てている鼻からは鮮血がドロッと流れ出て、彼の左頬を伝い床に滴り落ちていった。


「答えねぇならさっきみたいに、答えるまで殴り続けるだけだ」


「フッ。そうかよ……」


「もう1度だけ、聞いてやる。テメェのバックは伊東一家か? そいつらの兵隊を使って、横浜を獲ろうって計画なんだな?」


「はあ。さっきから何を言ってやがるのか……つくづくアホな男だぜ。一丁前に知ったかぶってはいるが、なーんにも分かっちゃいねぇんだな」


 分かっていないとは、どういう意味か。ふと首を傾げる。もしや答えたくない一心で、苦しい負け惜しみを言っているのか。だとすると、滑稽を通り越して最早哀れにすら思えてきてしまう。


 大いに呆れつつ、俺は言った。


「伊東一家が助けてくれると本気で思ってんのかよ。なら、 見当違いも良い所だぜ。言っとくが、中川会はテメェに横浜を任せる気はねぇぞ。今まで散々東京のシマを荒らしといて、善意で協力してもらうなんざ虫が良すぎるだろ」


「ああ?」


「五分五分の関係で手を組んだつもりかもしれねぇが、連中にとっては単なる使い捨ての駒だ。横浜を制圧できたら切り捨てられるのがオチだろ。トカゲのしっぽみてぇによ。それが分かってねぇテメェの方が、よっぽどアホだと思うけどなあ!」


「……なるほど。そういうことか」


 機関銃のごとく畳み掛けた俺の煽り文句を受けて、一体何を思ったのか。ふと目を閉じた笛吹。しばしの間、沈黙が流れる。


「……」


 やがて、彼から吐息が漏れた。


「……ふっ……ふふっ……っっはははははははははははっ! あーはっはっはっはっはっ!! バカだ! バカだなぁ! 麻木涼平! やっぱりお前は、俺が思った通りの大バカ野郎だ!!」


「んだと!?」


 咄嗟に銃を構えて睨みつけるも、笛吹の調子は変わらず。押さえつけられている体を震わせて高笑いし、その後で軽蔑の眼差しを向けてきた。


「だいたい俺が何時いつ、中川とつるむ素振りなんか見せたよ? たしかに伊東の総長は横浜を欲しがっちゃいるが、別にそれは俺を使わなくたって済む話だ」


 先ほどから笑いが止まらない口元とはまったく以て対照的に、目元は鋭いままの笛吹。決して、冗談を言っている風ではない。文字通り「本気」そのものである。しかしながら、背後に伊東一家が付いているとの話が間違っているとも思えなかった。こちらは同じ中川会の直参である本庄組が情報源ソースなのだ。どう考えても笛吹の方が疑わしい。


「じゃあ、聞くけどよ。お前の本当の後ろ盾は誰なんだ? 勿体ぶらずに早く教えてくれや」


「ほーう。そんなに知りたいかよ」


「ああ。知りたいね」


 もう、いくら考えたところで仕方がない。


 だいぶ焦らされているような気がするが、ここは本人の口から吐かせるのが最も手っ取り早い。俺は右手の9mmオートマチックを改めて持ち直しと、消音機付きの先端を笛吹の額に押し当てた。


「……わかったよ」


 このような動作を世間様では“無言の脅迫”と呼ぶらしい。そう以前、何だったかの書籍で目にしたことがある。


 銃口を突きつけられる中での下手な誤魔化しは、却って身を滅ぼす。そのことは極道として長く場数を踏んでいる分、痛いほどに分かっているのだろう。奴は忽ち、笑うのを止めた。


「なら、教えてやるよ。実は、俺には親戚がいてな。俺の実の母親の叔父にあたる遠い親戚だ。今回、俺はその人にケツを持ってもらってるのさ」


「親戚?」


「ああ。続柄としちゃあ『大叔父』だ。とはいえ子供ガキの頃から、ずっと可愛がってもらってる親しい仲でな。伊東と違って俺を切り捨てることは無い。それどころか、事が片付いたらその人の組織に拾ってもらうことになってる」


「ふーん。で? 結局のところ、誰なんだよ。そいつは」


 俺の問いに対し、笛吹の赤黒い血に塗れた唇が静かに動く。喉仏がゆっくりと上下に移動し、今まさに笛吹は声を紡ぎ出そうとしている。一体、どんな名前が飛び出すのか。若干の緊張のせいか、胸の鼓動が強かに早鳴ってくる。俺は即座に気を鎮めるがごとく息を吐くと、唾をゴクリと飲み込んだ。


 ひとまず、耳を傾けてみる。正しいか否かの判断は、それからだ。


「……腰を抜かすなよ? きっと、お前ら村雨組はこの名前を聞けばひっくり返ると思うぜ。むしろ知らねぇ方が良かった、なんて後悔するかもなぁ」


「いや、だから早く言えって」


「そうかい。じゃあ、教えてやる。いま、俺の後ろにいるのはこうお……」


 だが、その時。


 ――ピピッ、ピピッ、ピピッ!


 突如として鳴り響いた無機質な電子音によって、笛吹の言葉は中断されてしまった。


 この耳をつんざくけたたましい音には聞き覚えがある。そう。任務が始まる前に村雨組長から渡された、連絡用のトランシーバーだ。笛吹を拷問するのにかまけてすっかり忘れていたが、役目を終えたら向こうに一報を入れることになっていたのだった。差し詰め、しびれを切らして連絡してきたのだろう。


 ――ピピッ、ピピッ、ピピッ!


 呼び出し音は鳴り続ける。このまま無視し続けるわけにもいかない。せっかくの状況を邪魔された気分に陥りつつも、俺はズボンの後ろポケットに入れた端末を手に取った。


「……もしもし」


『涼平! 何故、いつまでも連絡を寄越さぬのだ? いま、どこにいる? 藤島の部屋からは離れたのか!?』


 スピーカーから聞こえてきた村雨の声には、少なからぬ苛立ちが混じっている。それもそのはず。本来ならば5分前後で片づける予定が、30分も費やしてしまったのだから。


(何て言えば良いんだ……?)


 返答に困った。現着したら藤島が既に殺されており下手人の笛吹がいたので拘束して拷問中、というのが現状の概略なのだが、それでは流石に情報量が多すぎると思ったのだ。


 そもそも藤島を生け捕りにする作戦が失敗した時点で不興を買いかねないのに、そこに「殺したはずの男が生きていた」と付け加われば、激怒されてしまうこと間違いなし。ゆえに慎重な説明が求められる。


「……」


『おい、涼平! 何を黙っている!? 聞こえているのか? 聞こえているなら返事せよ!』


 さて、どうやって伝えるか。


 如何なる物事にも順序というものがある。何を先にするか、それによって事の次第は大きく変わってくるのが世の常。いまの状況で云うならば、どれから先に伝えるかである。藤島の身柄を生きたまま奪取する作戦が失敗したことを先ずは詫びるか、それとも笛吹が生きていたという驚愕の報告から始めるのが正しいか。


「……」


 与えられた時間は少ない。返答はすぐにでも返すべきだ。俺はほんのわずかな短い間に熟慮を重ね、頭の中をフル回転させることを余儀なくされた。思考にどっぷり浸かっているせいか、時の流れが非常に遅く感じる。経過としては5秒も経っていないのだが、揺れに揺れる心の中ではあたかも数分の暇を過ごしたかのような感覚であった。


(……よし。決めた)


 考え抜いた末、ようやく導き出せた答え。村雨の怒りを買うことを覚悟の上で、現状を速やかに理解してもらうための説明の文言が頭に浮かび上がる。俺は左手に掴んだトランシーバーを強く握りしめ、本体中央に設けられた小さなマイク部分に向かって低く、尚且つはっきりと声を発した。


「……あんたに言わなきゃいけないことがある」


『どうした!?』


「生きてやがったんだ。あいつが。てっきり、俺も殺したもんだと思ってたんだけどよ。どういうわけか、影武者を使ってたらしい。笛吹が……」


 しかし、俺の言葉は途中で遮られてしまった。組長の怒りにではない。ほんのわずかな刹那に左頬を捉えた、強烈な打撃によって。


 ――バキッ。


 己の身に何が起こったか分からなかった。あまりにも突然の出来事だったのである。事態を把握するのに、嘆かわしくも3秒ほどの時を要した。


「ぐうっ!?」


 思わず口から飛び出た醜い声と共に、俺の顔面を襲ったのは物凄い衝撃。どちらかといえば、痛みよりも圧力の方が勝っていた。喩えるならば頬から脳全体にかけて力強く揺さぶられるような感覚、とでも云ったところか。


 どうやら馬乗りの姿勢で俺の下に居た笛吹が、一瞬の隙を突かんと反攻を試みたらしい。拳ではなく、右の掌の底面の手首に近い部分での打撃だ。先ほど徹底的に痛めつけてやったのに、それほどの技を繰り出せるほどの体力を未だ残していたとは。完全に不意を打たれた。


 当然、まともな対処などできない。100%ノーガードで食らう形となってしまった俺は、怯んで後ろに仰け反った。


「ッ……!?」


 それによって生じた新たな隙を笛吹は見逃さない。次に待っていたのは、捨て身の頭突きだった。


 ――ゴンッ!


 再び脳を揺さぶられるような凄まじい衝撃が、今度は額から波状に広がってゆく。無論、適切な受け身など出来はしない。飛びそうになる意識を保持するので精一杯だった。


「ううっ!」


 火事場の馬鹿力とも云うべき打撃技を立て続けに食らった俺に、もはや相手をマウントポジションで押さえて居られるだけの力は残されていない。


 あっという間に引っ繰り返され、すぐさま体を起こして起き上がった笛吹の前で仰向けに倒れてしまった。右手にあった拳銃も、瞬く間に奪い取られる。


 またしても、形勢逆転。言うまでもなく、俺の方が制圧される側だ。つい数秒前までは笛吹の額に向けてあった銃口が、今度はこちらに突きつけられている。


「ははっ! あっけないもんだなぁ。麻木ィ!」


「くっ、クソが……」


「やっぱりお前は、父親譲りの間抜けだぜ。肝心な時に油断するから足をすくわれんだ。そういうのを『慢心』ってんだよ。この青二才が!」


 そう言って、笛吹は俺の顔面めがけて蹴りを放つ。銃口を向けられている状況では迂闊な回避行動をとれず、またしても正面から食らう格好になってしまう。力任せに顔面を蹴られた俺は、そのまま後ろに吹っ飛んで背中を打つ。背骨のあたりを中心に痛みがジワジワと広がってゆくのが分かる。口元の鈍痛も相まって、何も喋ることが出来ない。


「っ……」


「さっきはよくもやってくれたな。あそこまでタコ殴りにされたのは8年ぶりだ。親子二代、つくづく癪に障る野郎だぜ。この借りはきっちり返させてもらうからなぁ!!」


 腫らした目元を大きく広げ、笛吹は鋭い眼光を浴びせてきた。話から察するに、彼は過去に俺の親父と何らかの諍いがあったものと思われる。おそらくは喧嘩を挑むも返り討ちに遭い、ボコボコにされたのだろう。


 だが、俺には何の関係もないことだ。切れた唇から滴り落ちる血を右手の甲で拭い、とりあえず凄みを返してやった。


「……ケッ! 知ったことかよ。悪いけど、俺はテメェの昔話なんざこれっぽっちも興味はねぇんだわ。俺は俺、父さんは父さんだ。いつまでも死んだ人間を無様に追い続けるテメェとは違う」


「何だと」


「そんなにお望みなら、さっさとやれば良いじゃねぇか。親子二代、ずっと復讐を望んでたんだろ? だったらやれよ! 親の罪を子に背負わせて、その引き金をひいてみろやぁぁぁ!!」


 勢いのままに啖呵を切ったせいか、余計な挑発まで付け加えてしまった。されど、俺に後悔はない。先ほどと同様に、拳銃の弾など避けてしまえば良いと思っていたのだ。


 そうして2度目の不意打ちを仕掛けて奴の懐に飛び込んで拳銃を奪ったら、次ばかりはまわりくどいことをせず、ひと思いに射殺してしまおう――。


 完全にその気でいた。そもそも弾丸をかわすという行為自体が常人から見ればひどく無謀なのだろうが、俺にとっては大した問題ではない。


 前も大丈夫だったのだから、きっと今回も大丈夫。それが当時の自分判断基準であり、生き方そのものだったのだから。


「……どこまでも舐めたガキだぜ」


 煽られた笛吹の指が、再び引き金へと伸びる。その動作は例によってスローモーションのごとくゆっくりと視界に映り、銃口から火が吹かれる瞬間が脳内で予知できたかに見えた。


(ああ、今回もいける! 避けられる!!)


 興奮で理性を失っていた前回とは違い、笛吹はすっかり落ち着いている。だが、それが何なのか。向こうが撃つというなら、今回も対処してやるまでのことだ。


「……」


 だが、引き金がひかれることは無かった。


「えっ!?」


 きょとんとするこちらの眼差しをよそに、笛吹は銃身を下ろす。そして静かに先端の消音機を外し、2つに分解したパーツを背広の内側へと仕舞い込んだ。


 何故、撃たないのか。まったく理解できない。気持ちが昂っていただけに、自然とため息が漏れてしまう。絵に描いたような拍子抜けである。


(いや、どうして……?)


 ひどく困惑する俺に、言葉が飛んできた。


「麻木涼平、お前を殺すのは後だ。考えてみれば、ここで終わらせちまうのは勿体ない。俺はお前ら父子に、晴らしても晴らしきれん山のような恨みがあるんだからなぁ……鉛玉なんかで楽に死ねると思うなよ。これからたっぷりと苦しませて、自分の運命を後悔させながら父親の元へ送ってやる……それまで、せいぜい残りの人生を楽しんでおくこったな」


 血に塗れた顔で不気味な笑みをたたえながら、ゆっくりと踵を返す笛吹。奴が最後に見せた眼光の鋭さに一瞬圧倒されながらも、俺は慌てて追いかける。


「おい! 待ちやがれ! 逃げるってのか!?」


「どうとでも言えよ。いちばんの楽しみは後にとっておく、そいつが俺の主義なもんでね。メインディッシュを味わう日を心待ちにしとくぜ」


「なっ……」


 颯爽と出て行こうとする笛吹に対して、俺は何もすることが出来ない。状況から考えれば背後から飛び掛かることも出来たであろうに、両脚が重くて動かなかったのだ。つい先ほどまではあれだけ戦闘のアドレナリンが漲っていたのに、何とも不思議なことだ。しかし、それがあの頃の俺の限界だったのではないか。そう思えてならない。


「ああ、さっき言いそびれちまったな。今の俺のバックについてる組織な、そいつは名を『煌王会』っていうんだ。知ってるだろ? コウオウカイ。だから俺に弓をひくってこたぁ、そいつら全体を敵にまわすってことになる」


「……」


「村雨にも伝えといてくれや。んじゃ、そういうことで」


 ただ1人俺が残された病室には、無言の空気が流れるだけであった。

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