ある街角の物語 その5
昭和36年9月になると母屋の隣にある百坪の土地でアニメ制作のためのスタジオの建設が始まった。
雅人はスタッフにどんな間取りのスタジオにしたいかと建物の希望を聞いて回った。
するとはみ出し者や変人の集まりだったスタッフがふざけた案ばかりだし、その通りに作ったためあっちこっち斜めになったイビツな建物になってしまった。
スタジオ名は「虫プロ」と治美が命名した。
周囲の住民は手塚治虫が「蒸し風呂」を作っていると聞き間違えて何度かひと悶着があった。
治美は「蒸し風呂」とは当時のソープランドのことだとは知らなかったのである。
治美は過酷な漫画連載のかたわら、少しでも時間ができると動画部にも顔を出し原画の手伝いをした。
治美はコミックグラスで「ある街角の物語」の動画を少しずつ再生してはトレースし、ストーリーボードを描いていった。
治美の描いたストーリーボードの用紙は大きなベニア板に並べて張られていった。
そのラフなストーリーボードを坂本と山本の二人のアニメーターが中心になってちゃんとした画コンテにしていった。
こうして治美たちは例え完成しても一円の儲けにもならない実験アニメを黙々と作っていったのだ。
昭和37年4月、ついにアニメ制作のための虫プロ第一スタジオが完成する。
治美はコミックグラスの年表通りに順調に物事が進んでいるのを喜んでいた。
しかし、アニメの制作には莫大な費用がかかる。
虫プロのスタッフもどんどんと増やさないといけないし、スタジオも増設しカメラも増やしたい。
金が湯水のように使われて、治美は原稿料を稼ぐためにますます仕事を増やした。
そのため治美は漫画制作に追われ、肝心のアニメ制作の時間がなくなってきた。
次第に多忙な治美に代わって雅人が動画部を仕切る様になっていった。
雅人は何度も新聞広告で動画、仕上げ、背景、撮影、制作のスタッフを募集した。
手塚治虫の名前と高給のおかげで毎回、何百人もの応募があり、そのつど雅人は時間をかけて面接審査をしていった。
ある日、いつものように雅人が新入社員の面接をしていると、いかにも勉強の出来そうな眼鏡をかけた痩せたスーツ姿の青年、山崎賢一が現れた。
山崎賢一の履歴書を見ると東京大学法学部卒と書いてあった。
雅人は心底驚いた。
この時代、漫画映画みたいな幼稚な物を作るなんて大の大人のする仕事ではないというのが一般人の考えであった。
「君、東大卒かい!?それなのどうしてうちなんかに応募したんだい?」
「御社では商業用アニメーションの制作を計画していると伺いました。僕は将来アニメーションは日本の一大産業に発展すると思います。僕は子供の頃、両親からマンガやテレビを見たらバカになると言われ育ってきました。しかし僕が大人になって役立ったのはテレビやマンガで培った感性です。僕は日本の子供たちの未来のためにアニメーションを作るお手伝いをしたいのです!」
山崎は話し方が巧みで自己主張がはっきりしていた。
今までに雅人の周囲にはいないタイプの人間だった。
「山崎賢一君、君の絵を見せてもらえるかい?」
山崎は一冊の分厚い手帳を雅人に手渡した。
「僕の描いたパラパラ漫画です」
「ほう……」
手帳を開くとドレスを着た三人の黒人の女性が鉛筆で描かれていた。
雅人は手帳をパラパラとめくって見てみた。
すると、女性たちは体をゆすったり腕を回したりしながら華麗に踊りはじめた。
動きは滑らかで、まるで実写のダンスシーンを見ているようだった。
「彼女たちは歌を歌いながら踊っているのです。僕は商業用アニメーションのエンディングに主題歌を流し、その歌に合わせてキャラクターを踊らせたいのです。これはそのためのサンプルとして作りました」
「サンプルでこれだけの動画を描けたら大したもんだ!採用だよ、山崎君!」
山崎は立ち上がって、雅人に手を差し出し握手を求めた。
「友人はみんな僕のことは親しみをこめてニックネームで呼んでくれます。どうか僕のことは『ヤマケン』と呼んで下さい」
こうして「山崎賢一」こと「ヤマケン」は動画担当のアニメーターとして採用された。
ところがいざヤマケンに動画を割り振ってみると、毎日なんだかんだ言い訳だけをしてまったく仕事が進まなかった。
ヤマケンの指導を担当していた坂本が、とうとう堪り兼ねて雅人に直訴した。
「ヤマケンの奴、態度が横柄で口ばっかり達者ですが、まったく絵を描きません。いえ、描かないのではなく描けないのですよ!」
「まさか!そんなはずはないよ。入社の時に見たパラパラ漫画はいい出来だったよ」
雅人は履歴書と一緒に保管していたパラパラ漫画の描かれた手帳を捜してきて坂本に見せた。
坂本は手帳をパラパラとめくってみてすぐに言った。
「これは実写フィルムをトレースしただけのものですよ」
「えっ!?」
「この動き、テレビで見たことがあります。アメリカの女性コーラス・グループ、『マーヴェレッツ』ですよ。間違いありません。多分去年ヒットした『プリーズ・ミスター・ポストマン』を歌ってるシーンですよ」
「そうですよ。フィルムを一コマずつトレースして描きました」
雅人が慌ててヤマケンを呼んで問いただすと、ケロッとした顔でそう言った。
「いけませんか?ディズニー映画だって人間のモデルが動いているところを見て描いているんですよ」
「いや。見ながら描くのとトレースは違うだろう」と言いかけて、雅人は口をつぐんだ。
トレースを否定することは治美と雅人がやって来たことを否定することになる。
治美と雅人は自分たちがずっと本物の手塚治虫のトレースをしていることに罪悪感を感じていた。
「しかし実際問題、君にはアニメーターの仕事は無理じゃないのか?」
「その通り!僕に動画を描かせるなんて才能の無駄使いですよ。僕は虫プロでプロデューサーをしてあげますよ」
「プ、プロデューサー?プロデューサーって何をするんだい?」
「プロデューサーも知らないのですか?ほんと虫プロの人間は素人ばっかりだ。経営はドンブリ勘定だし、採算度外視のアニメばかり作っている。企業としては子供の集まりのような幼稚さだ」
「はあ……」
「プロデューサーとは、映画やテレビ番組などの制作活動の予算調達や管理、スタッフの人事などをつかさどり、制作全体を統括する者のことです」
「それって俺の仕事じゃないのかな?」
「あなたはただの手塚先生のマネージャーでしょ。プロデューサーの器じゃない。僕が虫プロのプロデューサーになってあげますよ!」
「はあ……」
いまさらクビにはできないし、ただ遊ばせておくわけにもいかないので雅人をヤマケンにプロデューサーをやらせてみることにした。




