ロック冒険記 その8
担当者が決まったところで、治美はアシスタントのために各作品の第1話の第1ページのネームを書き始めた。
原稿用紙はすべて4段割りでコマ割りがされている。
治美は8つの作品のそれぞれ最初の1コマ目の下書きを鉛筆で描き終えると担当のアシスタントたちに渡してペン入れを指示した。
アシスタントたちがペン入れをしている間に治美は8つの作品の2ページ目の1コマ目の下書きを描いていった。
その2ページ目の1コマ目の下書きが終わると、治美の前にはペン入れの終わった原稿が積み上げられていた。
治美はペン入れの終わった原稿を無造作に取ると作品名を確認し2コマ目の下書きを始めた。
こうして治美は8つの作品を同時進行で描いていった。
安村たちはそんな治美の執筆風景を畏怖の表情で見ていた。
「8つの作品を同時に描くなんてどういう頭の構造をしているんだ!?」
「でも、確かにこの方法ならアシスタントが全員待ち時間なしに作業が進んでいく」
「まるで手塚先生の頭の中にはすべての作品が最終回まで記録されているみたいだな」
「やはり手塚先生は天才だ!」
(実際、わたしの眼鏡の中にはすべての作品が最終回まで記録されているのよね)
安村たちの会話を小耳にはさんだ治美は心の中でそう呟いた。
(でもね、わたしはコミックグラスの力を借りてるけど、本物の手塚先生はコミックグラスなしで同じことをしていたのよ。どこか一社の作品が先にできたら不公平になるから、複数の作品を同時に描いていたのよ。本当の天才とは手塚先生のことよ!)
持ち込み原稿の作画は順調に進んでいた。
治美がネームを描くスピードは凄まじく、アシスタントたちのペン入れの方が追い付かなくなってきた。
しかし、小森章子は「ピピちゃん」の第一ページ目のペン入れでずっと悩んで手が止まっていた。
最初の一コマ目は海底でハリセンボンの群れが人魚のピピを見つけるシーンだった。
これは治美がでハリセンボンを細かく描いていてくれたので、それを真似して描いたのでなんとかできた。
ところが2コマ目ではいろんな魚たちが奇妙な姿のピピを見つけて不審げに取り囲むシーンだった。
(いろんな魚ってどう描けばいいの?それも不審げな魚ってどう描くん!?)
章子が原稿用紙を睨んだままピクッとも動かないことに治美が気が付いた。
「章子さん、どうしたの?」
治美が優しく話しかけると、章子は泣きそうな声で叫んだ。
「手塚先生!あきまへん!うちには描けません!」
治美は章子の描きかけの原稿を見た。
「ああ!ごめんなさい!いきなり難しいシーンをさせちゃったわね。ちょっと待ってね」
そう言うと治美はコミックグラスを操作し始めた。
「章子さん。本棚の一番上の右から3番目に『化石島』って単行本があるから取ってきて」
「は、はい?」
章子が仕事部屋の隅に置かれた本棚を見に行くと、確かに一番上の右から3番目に「化石島」という手塚治虫作の単行本が置かれていた。
「先生。ありました!」
治美は別のネームを描きながら章子に指示をした。
「その本の117ページを見て。海底のシーンがあるでしょ。それを参考にして描いてちょうだい」
章子が急いでページをめくると確かに海底のシーンが描かれていた。
「手塚先生、この本は?」
「先々月に発行した『化石島』ってオムニバス形式の漫画よ。その中に人魚が出てくるエピソードがあるの。そのエピソードを膨らませたのが『ピピちゃん』よ」
章子はその単行本を机の上に広げて置くと、じっくりと見ながら模写をしていった。
模写するだけなので、章子の原稿はどんどん出来上がっていった。
章子はホッと胸をなでおろした。
その様子を見ていた安村たちはまた畏怖の表情を浮かべた。
「手塚先生は自分の描いた原稿をすべて記憶されているのだ!!」




