ロック冒険記 その1
昭和30年2月3日、木曜日。
治美と横山は大阪松屋町のI出版を訪れた。
治美は最後の書き下ろし単行本の「化石島」を、横山はデビュー第二作目の「魔剣烈剣」の原稿を渡すためだ。
「化石島」は新聞記者のロック、作詞家の谷間コダマ、漫画家の手塚の三名が化石島を訪れ、不思議な夢をみるというオムニバス形式の漫画だった。
現実世界の場面はリアルなペン画で、夢の世界はマンガタッチという実験作だった。
現実世界の部分はペン画の得意な安村たちが張り切って描いてくれた。
ただメインの登場人物の一人に漫画家手塚治虫がでてくるのだが、彼はメガネとベレー帽の青年で手塚治美とはまったくの別人であった。
手塚漫画に登場する手塚治虫の姿を男にするか、治美の姿にするか悩ましいところだった。
なにしろ手塚作品には漫画家手塚治虫がしょちゅう登場する。
例えば動物に変身する人間の物語「パンパイア」では、虫プロが舞台で漫画家手塚治虫がメインキャストで出てくる。
「パンパイア」は水谷豊主演の特撮テレビ番組として放映され、なんと手塚治虫自身が手塚治虫役で登場するのだ。
また、自伝的マンガ「がちゃぼい一代記」「ゴッドファーザーの息子」「紙の砦」「どついたれ」等にも手塚治虫は青年の姿で登場する。
これを金髪の美少女に変えてしまったら物語が成立しないのだ。
「まあ、女性が男性の名前で漫画描くなんてよくあることだし、漫画に登場する手塚治虫は架空の人物ということにしときましょ。第一、手塚治虫のキャラクターをわたしの姿に描きかえるって大変でしょ」
と、治美はとくに考えもせずにそのまま漫画に登場する手塚治虫は男性にすると決めた。
こうして「化石島」と「魔剣烈剣」の原稿は何の問題もなく採用された。
二人はその足で大阪ミナミの道頓堀へと向かった。
アシスタント志望の手紙を寄越した小森章子と会うためだった。
二人とも道頓堀に来たのは初めてだったので、せっかくだからとコミックグラスで写真を撮りながら商店街を散策した。
「道頓堀はこの頃からド派手だったのね」
治美は周りのゴテゴテとした看板だらけの商店街を見て楽しそうだった。
「グリコの看板ってこの頃からあったのですねぇ。夜に来たならもっと派手でしょうね」
「ねぇ、横山さん。戎橋の上に立つからグリコと一緒の写真を撮って!」
「でも僕のコミックグラスで撮った写真は僕しか見られませんよ」
「あっ、そっか!わたしのコミックグラスを横山さんに渡しても起動しないし。どうやっても無理か」
「だったら普通にカメラ持ってきたらよかったのに」
「そっか!どこかでカメラ買う?」
「観光はまた今度にしましょう。小森章子さんに会わないと」
章子は喫茶店でウェイトレスとして働いていた。
きらびやかな道頓堀商店街を西に向かうと、南北に通る千日前通りが現れた。
二人は「純喫茶アメリカン」と書かれた立て看板を見つけると、店内に入って行った。
店内はかなり広く、二階席まであった。
天井には豪華なシャンデリアが飾られ、床は分厚いじゅうたん、壁には風景画、そして店内には静かなクラッシックが流れていた。
「さすが大阪は都会ね!昭和レトロな素敵なお店だわ!」
「これでも最新のモダンな内装のつもりなんですよ」
二人は上質なビロード張りのソファに座ると、すぐにメイド服を着たウェイトレスがやって来た。
「わたしホットケーキと紅茶とプリン!」
「僕はブレンドひとつ」
「かしこまりました」
立ち去ろうとするウェイトレスを治美は呼び止めた。
「小森章子さんっていませんか?」
「小森さんですか…。彼女ならあそこにいますよ」
ウェイトレスが指さす方を見ると、着物に前掛け姿の二十歳ぐらいの女性がコーヒーを運んでいた。
セミロングにパーマを当て、面長で目鼻立ちがはっきりした優雅なムードの女性だった。
「どこかで見たことのある顔だわ……」




