ジャングル大帝 その3
昭和30年1月23日、日曜日。
横山浩一は秋田県仙北郡角館町の駅に降り立った。
駅前は凍てつく白銀の平野だった。
「みちのくの小京都」と称される街並みと桜の木々も今は雪に覆われている。
まだ誰の足跡もついていない雪道を苦労しながら横山は小一時間歩いた。
武家屋敷通りの家々も降り積もる雪の下に埋れていた。
そして、彼は「こどものいえ」と書かれた表札が飾られた門柱を通り抜け、古ぼけた木造の建物の中に入っていった。
養護施設の食堂で昼食を食べていた孤児たちの前にリックサックを担いだ横山が現れた。
子供たちは皆、興味津々で横山と彼の背中のリックサックを凝視していた。
横山の傍らに立つ女園長が笑顔で子供たちに呼び掛けた。
「みなさん!慰問のお兄さんが来てくださいましたよ!ご挨拶しましょうね!」
「こんにちは!」と孤児たちが声を揃えて挨拶をした。
「はい、こんにちは!」
横山はリックサックをテーブルの上にドサッとおろした。
リックサックの中からは大量の漫画本やおもちゃが出てきた。
「うわーい!」
孤児たちは一斉に歓声を上げた。
「まあ!こんなにたくさん!ありがとうございます」
人の良さそうな小太りの園長が手を打ち小躍りして喜んだ。
「僕の名前は伊達直人と言います。みなさん、僕の職業を知っていますか?」
突然、横山が子供たちに向かって話しかけた。
園長が怪訝な顔で横山に尋ねた。
「伊達さん。いきなり何を尋ねてらっしゃるの?あなたのご職業なんて子供たちが知る筈ありませんわ」
と、孤児たちの中から一人の女の子がスクッと立ち上がった。
白いセーターに赤いスカート、背中まで伸びた髪を三つ編みにした背の高い女の子だった。
「プロレスラー!」
女の子がそう言うと周囲の子供たちがドッと笑った。
長身だが痩せた横山は、どこからどう見てもプロレスラーには見えなかったからだ。
横山は周りに合わせて笑いながらもしっかりとその色白の女の子を凝視し続けた。
女の子はおもむろにスカートのポケットから黒縁の眼鏡を取り出すと、自分の顔に掛けて見せた。
(コミックグラスだ!)
横山はニヤリとほくそ笑んだ。
食堂では横山が配ったおもちゃに子供たちが群がり、楽しそうに遊んでいる。
みんなとはポツンと離れて座っている三つ編みの少女の前に横山はそっと座った。
「君が望月玲奈ちゃんだね?」
「『ちゃん』はやめて!」
「これは失礼した」
「あなた、誰?」
「僕は横山光輝と言う漫画家の卵だ。手塚治虫先生の代わりに君を迎えに来た」
「手塚先生の!?」
玲奈の顔がパッと明るく輝いた。
「手塚先生にファンレターを出してくれただろう。イラストを一杯描いた?」
「手塚先生は気が付いてくれたのね!やっぱり手塚先生も未来から来た人間だったのね!」
「ああ、そうだよ!そして、僕も君と同じく未来からタイムスリップしてきた人間の一人だ」
「えっ!?未来から来た人って他にもいるの?」
「君で4人目だ。僕らは手塚先生のもとに集まり、お互いに助け合っている」
「そうなんだ………」
「玲奈はいつからこの世界にいるんだい?」
「―――昭和26年7月6日。まだ10歳だったわ」
「君は3年以上もこの養護施設にいるのか!?」
「私が平成の時代から来たって言っても誰も信じてくれなかった。みんな私の頭がおかしいってバカにした。だからもう誰にも本当のことは言わないって決めたの。でも、『新寶島』のあとがきを読んで、手塚先生も未来から来た人じゃないかと思った。それで私も未来人だと証明するためにコミックグラスの中にあったマンガを描いて出したの」
「聡明な子だ」
「助けて!元の時代に帰りたい!」
玲奈は横山の腕にすがりついた。
「それは僕も同じだよ」
「帰れないの…?」
「手塚先生の所に連れて行ってあげよう。そこで君もマンガを描くんだ」
「マンガを描いたら元の時代に帰れるの?」
「確約はできない。でも僕たちはそうすることでいつか元の時代に帰れると信じている」
「手塚先生に会いたい!」
横山は周囲を横目で注意しながら玲奈に小声で囁いた。
「今夜10時に角館駅に来たまえ。誰にも見つからないようにして」
「園長先生にも黙って出てゆくの?」
「仕方ないだろう。僕が君を引き取りたいと言っても、園長先生が許してくれないだろ」
玲奈は遠くの方で子供たちと笑い合っている園長先生の顔をじっと見つめた。
駅の待合室で座り、ストーブで暖を取っていた横山は、窓ガラス越しに夜空を見上げた。
いつのまにか雪が降り始めていた。
横山はコミックグラスを起動し、デジタル時計で現在時刻を見た。
もう10時を過ぎていた。
(ダメだったか…)
横山は煙草に火をストーブに押し付けて消すとゆっくりと立ち上がった。
と、待合室のガラス戸をガラッと開けて、玲奈が飛び込んできた。
「ハア!ハア!ハア!」
全身が粉雪にまみれた玲奈は、上下に激しく肩を動かして苦しそうに呼吸をしている。
横山は急いでリックサックの中から着替えを取り出して玲奈に渡した。
「このマフラーを巻いて、帽子を深くかぶるんだ。できるだけ顔を隠して!誰かに気づかれたら、僕は誘拐犯として捕まるからね」
駅のホームに蒸気機関車が入ると同時に、横山と玲奈は改札口を通り抜けた。
切符を切った駅員が不審げに玲奈の方をじっと見つめている。
二人は走り出したい気持ちを必死に抑えて、落ち着いた足取りで汽車に乗り込んだ。




