ロストワールド その4
「新寶島」は9月1日に発行されると、たちまち重版に次ぐ重版で大ベストセラーとなった。
治美が「新寶島」を買取ではなく印税にして大正解だった。
「新寶島」が大ヒットしたおかげで、あの頼りなかった治美が堂々とした風格を身にまといだした。
治美の通帳には今まで見たことのない金額が記載されたが、彼女はそれぐらいで満足はしていなかった。
「本物の手塚先生は1954年に年収217万円で関西長者番付・画家の部でトップになっています。217万ってわたしのいた時代だといくらぐらいですか?」
「そうだな。治美のいた時代では銀行員の初任給はいくらぐらいだった?」
「うーん、20万ぐらいかしら?」
「昭和29年の今は、大卒の銀行員の初任給は5600円だ。だから………」
雅人が算盤を取ってこようとすると、治美はコミックグラスの電卓アプリを起動させた。
治美は空中をポンポンと指で叩いて、計算しているようだった。
「約7750万円ですね!こんなに儲けてるのに手塚先生、安アパートでマンガ描いていたのかあ!」
「なんだ!手塚治虫はケチだったのか?」
「違いますよ!!失礼な!!将来自分で会社を作ってアニメを作るためですよ。いくらお金があっても足りやしない!」
「アニメを作る……!?そうだったな。漫画だけでなく漫画映画も作るのだったな」
(漫画映画ってどうやって作るんだろう?本当にそんなことが俺たちにできるのだろうか?)
先行きは不安で一杯だったが、雅人が弱音を吐くと治美も落ち込んでしまう。
「ともかくやれることからやって行こう!明日、『ロストワールド・地球編』を売り込んでくるぞ!」
「お願いしまーす!」
昭和29年9月19日、日曜日。
雅人は漫画原稿を持って、意気揚揚と大阪松屋町のI出版を訪れた。
ところが、原稿を読んだI出版の社長は、腕組みをしてうーんと唸りだした。
「こりゃあ、あきまへんわ!」
「えっ!?ど、どこがあきまへんか?」
「内容がなあ、難しすぎますわ。エネルギー石とか遊星とか改造動物とか植物人間とか………。大人のわしが読んでもちんぷんかんぷんや」
「難しかったですか………」
まさかこんなことを言われるとは思っていなかったので、雅人は意気消沈し何も言えなくなってしまった。
「今は山川惣治の絵物語、『少年ケニヤ』が流行ってますやろ。あんなジャングルが出てくる冒険活劇がええな」
「ジャングル………!?」
「あれはどうでっか。『新寶島』に出てきたターザンみたいに青年!」
「バロンのことですか?」
「そうそう!あれ、子供らに評判よろしゅうてな、今、ターザンも流行ってますやろ。ターザンを主人公にした冒険物を描いてくれまへんか?」
「でもターザンは元々はアメリカの小説家エドガー・ライス・バローズが創造した架空のキャラクターで、勝手に漫画に使ったらダメでしょう」
「何を固いこと言うてまんねん!たかが漫画に誰がわざわざ文句つけますかいな!」
治美たちが待つ神戸に戻ると、雅人はうなだれながら報告した。
「残念ながら、『ロストワールド』は没だった!」
安村は涙目になったかと思うと、本当に泣き出してしまった。
「ひどい!あんな素晴らしい作品を没にするなんて!」
「『新寶島』で儲けてるくせに、恩知らずめ!」
治美はと言うとさすがに渋い顔をしながら、戻ってきた「ロストワールド」の原稿をパラパラとめくって読み返していた。
「うーん………。これ、難しいですかねぇ………?」
「俺なんかは海外のSFとか読んでるから慣れていたけど、ちょっと馴染みのないSF用語が多かったかもしれないなあ」
「なるほどねぇ!ちょっとわたし、焦って急ぎすぎましたね。まず、編集者と読者を手塚漫画を読めるレベルにまで教育してあげないといけなかったですね」
「編集者と読者を教育する!?なんと言う、驕り高ぶった高慢な発言なんだ!」
「そんなことないですよ。例えばですね、エネルギーって言葉を日本に広めたのは手塚先生ですよ。英語読みだとエナジーですが、手塚先生はお医者だったからドイツ語読みでエネルギーって呼んだのが始まりです。エネルギーって単語も知らないこの時代の子供たちに、エネルギー石とか言っても確かに難しかったですね」
安村達が怪訝な表情でお互いの顔を見合わせている。
治美が「手塚先生」とか「お医者」とか「この時代」とか迂闊なことを言うからだ。
「コホン!コホン!」
雅人がわざとらしく咳払いをすると、ようやく治美も失言に気が付いたようだ。
「ともかく、わかりました!ターザンの出てくる漫画を描きましょう!」
「ええっ!?ロストワールドはどうするんだ?後編は描かないつもりか?」
「心配しなくても描きますよ。うふふ!そんなに続きを読みたいですか?」
治美は小悪魔的な笑みを浮かべて雅人の目を見つめた。
「でも、出版社の希望には答えないと。何作かジャングルを舞台にした単純な冒険物を描きましょう」
「しかし、ターザンの出てくる漫画なんて言われてすぐに描けないだろう」
「手塚先生は……、いえ、わたしは依頼された仕事は絶対に断りません!」
本物の手塚治虫はそうだったのだろう。
手塚治虫を崇拝し演じている治美も本物に倣った。
「それじゃあ、大急ぎで描くから、みんなも手伝ってよね!」
「はい!」
安村、藤木、赤城の3名は食堂の各自の机に座った。
「えっ!?今から描くのか?」
治美が小声で雅人に耳打ちした。
「実はちょうどターザンの出てくる作品があるんですよ」
「どうせ、そんなことだと思ったよ」
「いい機会だからアシさんたちの目の前で手塚先生の神業を披露してあげましょう」
治美はまた小悪魔の笑みを浮かべた。




