ロストワールド その2
「それでは、手塚作品の初期SF三部作、『ロストワールド』、『メトロポリス』『来るべき世界』を描きましょう。この三部作で、世間に手塚治虫の名前を知らしめます!わたし、早くこれを描きたかったんですよね」
いつものようにコミックグラスを操作して年表を確認しながら治美が言った。
「SF三部作か……。面白そうだな」
もともとSF好きの雅人は興味津々である。
「えーとですね、わたしのいた世界では、『ロストワールド』 は1948年12月20日、『メトロポリス』は1949年9月15日、そして『来るべき世界』は1951年1月10日に発表されました」
「よし!まずは『ロストワールド』から始めるか」
「はい!」
治美はちゃぶ台の上のケント紙にいきなり鉛筆でコマ割りを始めた。
「実は『ロストワールド』にはいろんなバージョンがありますが、一番有名な1948年に発売されたバージョンにしますね」
「『ロストワールド』か。アーサー・コナン・ドイルが書いたSF小説に同じタイトルの物があるな」
「コナンって名探偵コナンですか?あのマンガ、こんな頃からあったんですか?」
「名探偵コナン?コナンは作者名だよ。名探偵といえばシャーロック・ホームズだろう?」
「ホームズ?名前は聞いたことありますが、読んだことないから知りません」
どうも話がかみ合わない。
「コナン・ドイルの小説は、古生物学者のチャレンジャー教授が、アマゾンの奥地で恐竜の生き残りや猿人を発見するという冒険物語だ」
「あっ!恐竜が出てくるのは同じです!それでタイトルを借りたんでしょうね」
「手塚治虫のはどんな話だい?」
「手塚先生の『ロストワールド』はですね、500万年ぶりに地球に接近した遊星ママンゴから飛来したエネルギー石を巡って秘密結社と戦う少年科学者ケンイチと私立探偵のヒゲオヤジのコンビ。エネルギー石を手に入れたケンイチは、改造動物のうさぎのミイちゃん、植物人間あやめともみじ達と共にロケットで遊星ママンゴへ行きます。すると、そこは太古の恐竜が生き残ったロストワールドだったのです!」
「面白そうじゃないか!」
あらすじを聞いただけで、雅人は目を輝かせた。
「平成生まれのわたしでも面白かったですよ。昭和生まれの雅人さんならきっと大興奮でしょうね」
(相変わらず昭和生まれを下に見てやがる!)
「早く読みたいな。どんどん描いてくれ」
「――雅人さんがうらやましいです」
「何が………?」
「これからいっぱいこの世界の誰よりも早く手塚先生の漫画を読めるからです」
「ロストワールド」、「メトロポリス」、「来るべき世界」………。
題名を聞いただけでどんな物語だろうと雅人はわくわくしてきた。
まだ、世界中の誰も読んだことのない漫画をこれから彼は一番最初に読めるのだ。
「そうかもしれないな………」
雅人は子供みたいに素直にコクリと頷いた。
小一時間程でネーム原稿が23枚できた。
「ある夜の惨劇」と「ガラス屋敷」とういう冒頭の二つの章である。
人物は顔だけはちゃんと本物の手塚治虫の原稿をなぞって丁寧に描いているが、手足はただの棒であった。
それどころか、顔を描いているのは主要人物だけで、その他大勢の登場人物など、顔もただの丸を描いているだけだった。
しかし、美術部の後輩達は「新寶島」の原稿を手伝って、漫画の描き方をかなり習得している。
これぐらいのネームを渡せばちゃんと仕上げてくれるだろう。
「これだけあれば、明日安村たちに渡すのに十分だ」
「それじゃあセリフを言いますから、雅人さんお願いします」
「よし、まかせておけ!」
雅人はネームを受け取ると鉛筆を手にした。
「まず最初のコマは章題です。『ある夜の惨劇』と大きく書いて下さい」
「『バアン』、『ゲエッ』」
「『ウィツヒッヒッ』、『おとなしく こっちへ わたしさえすりゃあ 無事にすんじまうものを』、『ばかな男め!』」
次々と、治美は漫画のセリフを読み上げていった。
この頃になると、治美も旧仮名遣いとか(書けないが)読めるようになっていたので、セリフを書きこむ作業は順調に進んだ。
途中、一度雅人の母親がお茶を持ってきてくれたが、治美が「キャンキャン」とか「ブー」とか大真面目に言っているところを見てそそくさと逃げていった。
「しかし、登場人物が多いなあ。ちょとした群像劇だな」
「それがストーリーマンガですよ」
「登場人物の姿の一覧表が欲しいな。できることならいろんなポーズや表情を描いてほしいな。安村たちにそれを参考に描いてもらうから」
「キャラクター表ですね。おまかせ下さい!」
わら半紙に鉛筆描きでサラサラと治美は「新寶島」の主人公、ピート少年の絵を描いた。
「まずは主人公の敷島健一博士。彼は『新寶島』でピート少年としてデビューした少年です。無個性と言われがちですが、正義感あふれる普通の少年を演じたら、彼の右に出る者はいません。これからもたびたび主役を張る手塚作品の大スターです」
「前に言っていたスターシステムってやつだな。一度描き方をマスターしたら、次からはネーム上にケンイチと描けばわかるから便利だな」
次に治美は禿げ頭に白い口髭の中年男の絵を描いた。
「お次は私立探偵のヒゲオヤジ。本名、伴 俊作。禿げ頭に白いヒゲがトレードマークの江戸っ子気質の中年オヤジです。彼もまた、手塚作品のトップスターです」
続いて治美は高笑いをする太った白ヒゲの男を描いた。
「こいつは見たことあるでしょ。豚藻負児です」
「『新寶島』に出てきた船長さんじゃないか」
「そうです。彼はですねぇ、ケンイチの保護者役をヒゲオヤジに取られて、悪役が多くなります。あと、悪役といえば、アセチレン・ランプもいますね」
治美は髪を七三分けし黒縁メガネをしたギョロ目の中年男を描いた。
「彼も最古参のスターですが、単なる悪役じゃなくていい味を出している名優ですね。彼はこの『ロストワールド』がデビュー作で、頭の後ろにくぼみがあって、驚いた時にそこへ火のついたろうそくが立ちます。『メトロポリス』『来るべき世界』にも登場しますからちゃんと覚えて下さい」
また、何かのスイッチが入ったらしく、治美が畳み掛けるようにしゃべり始めた。
「アフィル、カオー・セッケン、グラターンの悪役たちも、この頃から活躍していたんですね。力有武、大場加三太郎、山野穴太、花輪重志の名脇役達も登場します」
その後1時間ほど、それぞれのキャラクターの説明と登場作品について詳しい説明があった。
雅人はそれを辛抱強く聞き、細かくメモをしていった。




