火の鳥 その2
早朝の神戸港を行き交う大型貨物船。
その間を縫うように船長はタグボートを操舵していた。
さっきまでこの船長はフィリピンからバナナを運んできた大型貨物船をタグボートで押し、港に停泊させる作業をしていた。
無事に一仕事終えて、船長はメリケン波止場にある事務所に戻ろうとしていた。
その時だった。
船長の頭上で何かが光った。
「な、なんや?」
船長は眩しそうに眼を細めて空を見上げた。
朝焼けの光の中、何かの影が見える。
「鳥……?」
何かの影がドンドンと大きくなってゆく。
と、タグボートのすぐ横に、水飛沫を上げてベッドが落下した。
「ウギャアー!」
船長は慌ててタグボートを停船した。
海面にベッドがプカプカと浮いている。
そして、ベッドの上には白いワンピース姿で黒縁メガネを掛けた金髪の美少女が横たわっていた。
我に返った船長は、金髪の少女の腕をつかむとタグボートの上に引きずりあげた。
(飛行機から落ちてきたんやろか?)
船長は空を見上げて考えた。
(いやいや!飛行機からベッドごと落ちてくるわけないやろ)
海面に目をやると、朝陽に輝く波がしらに包まれ、見る見るうちにベッドは海中に沈んでいった。
甲板に横たわる金髪の少女は失神しているだけのようだ。
(なんてきれいな娘だ!金色の長い髪。すらりと伸びた手足。まるでフランス人形みたいやな!)
船長は目の前に横たわる金髪の少女の美しさに目を奪われていた。
だが、すぐに船長は我に返った。
(外国人なら税関に届けた方がええけど、ベッドごと空から落ちてきたなんて誰も信じてくれへんやろな。
ヘタしたら国際問題になるかもしれん。どないしょ?)
港に戻った船長はキョロキョロとあたりを気にしながら、誰にも見つからないようにメリケン波止場にある事務所に入っていった。
事務所には港湾管理の所長が一人で机に向かっていた。
「おう!どうした、その麻袋?」
所長は船長が背中に担いでいる大きく膨れた麻袋を指さした。
船長は無言でその場に濡れた麻袋をドサッと降ろした。
そして麻袋の端を持つと、一気に引っ張って中身を床の上にぶちまけた。
麻袋からは全身ずぶ濡れの金髪の美少女、治美が転がり出た。
「うわっ!?」
所長は飛び上がって驚いた。
治美はビクッとも動かない。
「し、死んどる!?土左衛門か!?」
「いや!いや!失神しているだけや。空から突然、ベッドに乗って降ってきたんや!」
「空から降ってきただと!?そんな奇妙奇天烈、摩訶不思議な話は聞いたことないぞ!」
所長と船長はただただ困惑して、その美少女を見つめていた。
とりあえず所長と船長の二人は、治美を宿直室の布団に寝かせた。
青白かった頬もすっかり血色が戻っている。
「ん、うーん……」
潤いのあるピンク色の唇が動いた。
金髪美少女が目覚めたのだ!
治美は布団の上でゆっくりと上半身を起こした。
周囲を見回すと、ぱっちりとした大きな青い瞳で二人の顔を順に見ている。
「き、気がついたぞ!」
「所長はん!所長はんは英語できるやろ。話を聞いたってくれや」
「よっしゃ!まかしとけ!」
所長は治美の顔を見つめながら話しかけた。
「Are you okay?」
所長が下手くそな英語で話しかけたが、治美は寝起きで状況が飲み込めないのかボーとしていた。
「If you need anything,let me know please.」
「What's your name?」
「English,do you understand?」
いくら所長が話しかけて治美は無言で所長を見つめているだけだった。
「ドイツ語ならわかるんちゃうか?」
「お、おう!」
今度は所長はドイツ語で治美に話しかけた。
「Verstehst du Englisch oder Japanisch?」
と、治美は動揺してあたふたと口を開いた。
「―――え、英語は苦手よ!」
「いや、英語やないし!」と所長が突っ込む。
「おっ!日本語、話せるんかいな!」
日本語が話せるとわかったとたんに船長が身を乗り出した。
「はあ…?わたし、日本人ですから」
「あんた、日本人なんか!?でも、髪の毛、金色やないか?」
「え!まあ、わたし、クォーターですから………」
「クォーターってなんのこっちゃ?」と船長が所長に尋ねた。
「4分の1って意味だが、それが何だろう?」
所長たちがワイワイと話していると、治美はおずおずと尋ねた。
「――――あのう…、ここ、どこですか?」
「メリケン波止場にある港湾管理の事務所や。あんた、わしの船の目の前にベッドに乗って落ちてきたんやで。一体、何があったんや?」
治美は小首を傾げ、腕組みをして考え込んだ。
「――わたし、昨日の夜はいつも通りに部屋で寝ました。どうして海に落ちたのかしら?」
治美はハッとした。
「もしかして、また大地震が起きたの!?それでマンションから飛び出したの!?」
「地震?そんなものないぞ」
「神戸で大地震なんかあるかいな!」
所長と船長は笑いあった。
まさかこれから40年後にあんなことになるとは、当時、神戸に住んでいた人間は誰ひとり想像さえしていなかった。
「あんた、名前は?年齢は?」
「手塚治美です。17歳です」
「17歳か?とてもそうは見えないが……」
実際、金髪美少女、いや手塚治美は外見は大人びており、手足もスラッと伸び、背丈も所長達と変らなかった。
「あんたの家はどこや?」
「――ポーアイです」
「ぽ、ぽうあい………!?」
「はい。ポートアイランド。神戸市中央区港島中町。ポートライナーの中公園駅で降りてすぐのマンションです」
所長達は顔を見合わせてヒソヒソと話し合った。
「そんな町、あったか?」
「さあ?そもそも神戸に島なんかあらへんよな」
「ポートアイランド」とは、後に神戸沖に出来た総面積436ヘクタールの世界初の人工島である。
六甲山の土によって埋め立てが始まったのは1966年からだから、1954年当時の人間が知る由もない。
治美は落ち着きを取り戻したらしく、興味深げに宿直部屋をキョロキョロと見回した。
柱にはネジ巻式の振り子時計。
茶ダンスの上には招き猫と達磨の置物。
天井からぶら下がったコードには裸電球。
「――随分とレトロなお部屋ですね」
所長たちは顔を見合わせてヒソヒソと話し合った。
「レトロって何や?」
「さあ?」
「さっきから言葉が全然通じん!やっぱり外国人違うんか」