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REMAKE~わたしはマンガの神様~  作者: 八城正幸
第8章
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きりひと讃歌 その1

 昭和29年5月10日、月曜の夕方。


 学校から帰った雅人が茶の間に入ると、治美が畳の上で煎餅をかじりながらうつ伏せに寝転んで雑誌を読んでいた。


(やってることがエリザとそっくりだな…)


 学生服の雅人の姿を見つけると、治美は慌てて煎餅と雑誌を置いて立ち上がった。


「お帰りなさい、雅人さん!遅かったですね」


「治美がいると思って、直接エリザの家に行ってたんだよ」


「あら?すれ違いでしたか?真知子と春樹みたいですね」


「えっ!?真知子と春樹を知ってるのか?まさか、一人で黙って映画を観に行ったのか?」


「エリザさんと一緒ですよ。え~とこ、え~とこ、しゅ~らっかん!」


「ああ、聚楽館(しゅうらくかん)に連れて行ってもらったのか」


「聚楽館」は東京の帝国劇場をモデルにして大正2年、神戸市兵庫区南部の繁華街新開地に建てられた洋風の大劇場である。


 歌舞伎、新劇、少女歌劇からバレエ、コンサートと様々な公演が行われたが、つい最近まで米軍に接収されて進駐軍専用の劇場として使用されていた。

 

 ジャズの街神戸にふさわしく、ルイ・アームストロングという黒人ジャズ・シンガーが来日公演をしたのはつい昨年末のことである。



「今の新開地ってすっごい華やかなんですね!映画館だらけ!昨日あれからチンチン電車に乗って新開地に行って、映画観ておいしいオムライスをご馳走になりました。原稿完成のお祝いです!」


「エリザが奢ってくれたのか。珍しいこともあるもんだ」


「早く漫画で稼いで、下宿代払うんやでって念を押されました」


「――そんなことだと思った」


「『君の名は』って新海誠監督のアニメ映画と違うんですね。実写映画でしたよ」


 治美の観た「君の名は」という映画は、岸恵子と佐田啓二主演の昭和29年の邦画興行収入一位になった恋愛映画のことだ。


 東京大空襲の夜、数寄屋橋(すきやばし)で半年後に会おうと約束した真知子と春樹が、なんやかんやで毎回、邪魔が入って会えないという「すれ違いドラマ」の古典だ。


 元はNHKのラジオドラマで「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションが始まったら、女湯から人が消えたという伝説が残っている。



「『マアちゃんの日記帳』の原稿、最終チェックは終わったかい?いよいよ明日は俺が毎日新聞社に持ち込みに行くからな」


「それがですねぇ、ちょっと問題がありまして……」


「今さら何だよ?」


「手塚先生の自伝を読んでたら、気になる出来事がありました。手塚先生、最初に毎日新聞に漫画を持ち込みに行った時、ボツにされていたんですよ」


「なんだって!?」


「終戦後すぐに『幽霊男』という長編漫画を社長宛ての手紙を添えて新聞社の受付嬢に渡したそうです」


「どんな手紙だ?」


「この荒廃した社会を救うにはユーモアと笑いが必要である。新聞には漫画が必要だ。だが現在の御用漫画家には何もできない。それは私のような新人にさせるべきだ。幸い、私には戦時中に書き溜めた作品がある。これを御社の新聞に掲載してもらいたい」


「―――絶対その手紙、社長は読んでいないと思うぞ」


「でしょうね。何の音沙汰もなかったそうです」


「手塚治虫の作品と言えども必ず採用されるとは限らないということか。高校生の小僧がいきなり新聞社に持ち込みに行ってもまず読んでもらえないか」


「まあその当時の新聞は2ページしかないので、長編漫画なんか載せられるスペースがなかったですけどね」


「だったら『マアちゃんの日記帳』はどうやって毎日新聞に採用されたんだ?」


「手塚先生の家の隣に毎日新聞の印刷局に勤めている女性がいて、その女性が学芸部の人に話をしてくれたのがきっかけです。雅人さん、新聞社に知り合いなんかいますか?」


「いるわけないだろ!だけど、なんとか探して口をきいてもらわなきゃならないな」


 雅人が頭を抱えて思案を巡らせていると、治美が得意げに笑みを浮かべた。


「実はですねぇ、わたしに一人だけこころ当たりがあるんですよ」


「えっ!?どうして未来世界から来たばかりの治美に知り合いがいるんだ?」


「えへへへ!」


「あっ!もしかして母方の親戚とか?」


「まあ、すぐにわかりますよ。その人宛てに原稿を送って、電話で直接お話したいのですが」


「治美が直接話すのか?大丈夫なのか?」


「やだなあ!もうわたし、昭和のことは十分理解してますよ。この先ずっとわたしは手塚治虫として漫画を描くのだから、自分ひとりで交渉ぐらいしなくちゃね!」


 治美は自信満々だったが、雅人はとっても不安だった。


「雅人さん!電話、貸して下さい」


「………うちにそんな高級品、あるわけないだろう」


「えっ……?でも、表の駄菓子屋さんの看板に電話番号、書いてますよね?」


「あれは近所の煙草屋の電話番号だ」


「ええっ……!?」


「よく見ろよ。電話番号の最後に(呼)って書いてるだろう。あれは煙草屋に電話したら、うちを呼び出しってくれるって意味だよ」


「ゲゲゲ!他人の家(ひとんち)の電話番号、看板に書いてるんですか!?」


 治美は犯罪者を見るような非難の眼差しで雅人を見た。


「別に俺の家が特別貧乏でも、図々しいわけでもないぞ。この頃はまだ、一般家庭には電話が普及していなかったし、今より近所付き合いも多くてお互い助け合っているんだ。だから電話を引いてる家の者が、近所の人の電話を取り次ぐのはごく当たり前のことなんだぞ」


「さすが昭和ですねぇ。でもどうしましょ?ちょっと人前では話しづらいんですけど……」


「だったらエリザんちでかけたらいいだろう?」


「えっ?あの家、電話ありましたっけ?」


「何だ。ずっと住んでるくせに知らなかったのか?」




 雅人は部屋着に着替えると治美と一緒にエリザの屋敷に赴いた。


 玄関の呼び鈴を押すといつものようにスーツ姿の横山が出迎えてくれた。


「治美さん、おかえりなさい。おや?雅人さんも御一緒ですか?」


「あのう……、横山さん。電話を貸してくれます?」


「電話ならそこにありますが……?」


 そう横山が指で示した先には、猫脚のラウンドチェストが置かれていた。


 ラウンドチェストは玄関の両脇に二つ置いてあり、片方には生け花を飾った花瓶が、もう片方には花柄のカバーを被せた黒電話が鎮座していた。


 治美は花柄のカバーに包まれた受話器を持ち上げ、目を丸くした。


「これ、電話だったの!?何かの置物だと思ってたわ!」


「こちらは家族が使うための私用電話です。どうぞ、ご自由にお使いただいて結構ですよ」


 横山にそう言われても、治美は蛇に睨まれた蛙のように固まっていた。


「…………どうした?電話番号、わからないのかい?」


「い、いえ!番号はここにちゃんとあります」


 治美はメモを左手に持ち、じっと電話を睨みつけている。


「あっ!そうか………!」


 治美はいきなり、ダイヤル回転盤の数字の穴を、人差指でポンポンと押していった。


「違う!違う!ダイヤルを回すんだよ!」


「ダ、ダイヤルを回すッ!?」


「その回転盤の中央に書いてるだろう」


 ダイヤル回転盤の中心には「送受器をはずしてから回転盤を指とめまで回して必ず指をお放しください」と懇切丁寧に書いてあった。


「ゆ、指とめまで回して、指を放す……………?」


 ようやく雅人は、治美が電話のかけ方がわからなくって困っていることに気が付いた。



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