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REMAKE~わたしはマンガの神様~  作者: 八城正幸
第7章
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漫画大學 その4

「何ですか、これ?」


 縁側に置いた陳列ケースを見つけて、治美は不思議そうに尋ねた。


「まあ、見てくれよ」


 雅人は陳列ケースのガラス蓋の上に治美が描いた鉛筆書きの4コマ漫画と模造紙を重ねてクリップで止め、裸電球を点けてみた。


 電球の光に照らされて模造紙が透け、下に置いた4コマ漫画がはっきりと見えた。


「わあっ!お手製のトレース台だ!」


「これを使って、俺が直接模造紙にペン入れしていくよ!治美は細かい仕上げをしてくれ」


「えっ!?」


「美術部でペン画を描いたことがあるだけ、俺の方がペンに慣れてるからな。治美はまず、ペンの使い方を勉強してくれ」


「あ、ありがとうございます!」


「平日も学校から帰ったら手伝うからペン入れはここでやりな。食事と寝る時だけエリザの家に戻ればいい。5月の飛び石連休の間に新聞社に持っていくだけの原稿を完成させよう」


「そんな……いいんですか?」


「屋根裏部屋は暗いからな。目が悪くなって眼鏡を2個もかけるようになったら不便だろ」


 下絵も鉛筆のため消しゴムがかけられないから、下絵の上に新しい紙を重ねて清書したらいい。


 たまたま雅人が自分で思いついたこの方法は、いわゆるクリンナップって言われる作業で、アニメーターが動画を作成する時の基礎的な仕事だった。



 雅人は治美が買ってきた模造紙を短冊型に切り、それを30枚ほど重ね合わせ四隅にキリで穴を空けた。


 次に母親から借りた裁縫用の長い物差しをその穴に合わせ、烏口(カラスグチ)を使って枠線を引いてみた。


 烏口を使ったことはなかったが、ネジを回してペン先の2枚の鉄板の幅を調整し、綺麗に枠線が引けた。


 と思ったら、物差しを外す時にインクが表面張力で物差しの下に入り、枠線が汚れてしまった。


「あらら!どーしましょ!?」


「これぐらい大丈夫さ!物差しの裏に1円玉を張り付けて、少し浮かせて線を引けばいい」


「なるほど!アナログ世代の知恵袋ですね!」


「……アナログって何だ?」


「よくわかりませんがデジタルの逆です」


 ともかく物差しを改造すると今度はうまく枠線が引けた。





 さて、これから10日間、雅人と治美はひたすら『マァチャンの日記帳』のペン入れを続けるのだった。


 さして面白い出来事もないので、忙しい読者は飛ばし読みして下さい。




 ひとつのちゃぶ台に雅人と治美は向かい合わせに座り、根気よくペン入れを続けた。


 静まり返った茶の間には、カリカリッというペン先が紙を引っ掻く音だけが響く。


「……………シーン……………」


「……シーン?何だって?」


「何って…何が?」


「いや。今、シーンって言っただろ。どういう意味だ?」


「えっ?音がなくて静かな時の擬音ですよ?オノマトペ!」


「無音の音って矛盾してないか?」


「シーンと静まりかえるって言いません?」


「言わない!」


「……………そっか!聞いたことがあります!『シーン』って言葉、手塚先生が作ったんだ!」


「ふーん…………」


「マンガの場面(シーン)だからシーンなのかしら?センスがいいですね!マンガの表現のために、新しい言葉まで作るなんて、さすが手塚先生ですね!」


「『しんと静まる』って言い方があるから、そこからきたんじゃないのか?」


「ち、違いますよ!とにかく漫画に関することはすべて手塚先生が最初に始めたと思ったら間違いありませんから」




 再び、静まり返った茶の間には、カリカリッというペン先が紙を引っ掻く音だけが響いた。


「――このバツ印はなんだい?」


「そこは『ベタ』と言って、筆で黒く塗りつぶしてほしいところです」


「ベタ……?ベタベタ、塗るから?」


「多分……」


「これも手塚治虫が考えた言葉かい?」


「担当の編集者が命名したそうですよ。センス、ないですね」




 再び、シーンと静まり返った茶の間には、カリカリっというペン先の音だけが響いた。


「雅人さん。原稿料、手に入ったら………」


「ん………?」


「ラジオ買ってあげますね」


「ありがたいね」


「来年ね、東京通信工業(現ソニー)が、国産初のトランジスタラジオを発売するんですよ。年表に書いてます」


「へぇ……」


「トランジスタって知らないでしょう?」


「真空管の代わりに信号を増幅する部品だろ」


「ちぇ!知ってたのか………」


「昭和生まれをバカにしてるだろ」


「――真空管って何ですか?」


「誰が教えてやるもんか」




 カリカリカリカリ………。


「指、痛くないですか?」


「ペンダコができたら痛くなくなるさ」


「タコなんかイヤですよ!」


「我慢しろ!」


「いちいちペン先にインクをつけるのが面倒ですね」


「そういうもんだ」


「インクをいちいち拭き取るのも面倒ですね」


「仕方ないだろ」


「カリカリって音、気になりません?」


「気にするな」


「手が真っ黒です」


「洗えばいいだろ」


「アナログって、ホント手間ですね!」


「だから、アナログって何だ?」


「昭和か!」


「昭和だよ」


「雅人さん?」


「何だよ?」


「グチってるだけですから、いちいち相手してくれなくていいですよ」


 そう言って、治美はケラケラと笑った。


 再び、シーンと静まり返った茶の間には、カリカリっというペン先の音だけが響いた。




「雅人さん?」


「……………………」


「雅人さん?」


「……………………」


「わざと無視してますね」


「……………………」


「毎日新聞社で、もしも採用されなかったら、原稿返してくれるでしょうかね?」


「……………………」


「原稿、コピーしといた方がいいですよね」


「………コピー?複写のことかい?カーボン紙なら売ってるよ」


「やっぱり、コピー機なんてまだないんですね」


「図面用の謄写版とか青写真ならあるけど?」


「コピー機って、いつできるんだろ?」


 治美は持っていたペンを机の上に置くと、人差し指で何もない空間をポンと叩いた。


 人差し指を上下左右に移動させ、年表を検索しているようだ。


「――ゼロックスが1959年に世界初の普通紙複写機を発売しますね」


「あと、5年待つんだな」


「でも、どうせお高いんでしょう……。コピーがあれば、ラクなんだけどなあ…。いっそUSBでつながるプリンタがあれば、メガネの中の原稿、全部印刷しちゃうのになあ………」


「口じゃなく、手を動かせよ!」


 治美はペンを握りしめると、こぶしを振り上げて叫んだ。


「それでも私は、漫画を描くんだっ!自分が生きるために!!


 ―――『ブラック・ジャック』『ふたりの黒い医者』より」


「………………」


 雅人は無視して、黙々とペンを走らせた。


「―――ちょっとは遊んで下さいよ」


「そんなことより、『マアちゃんの日記帳』、後半になると線が太くなってないか?」


「えーと、戦後間もない頃なので紙が悪くて、細い線が印刷で出ないので竹ペンを使ってますね。状況に応じて、すぐにタッチを変えるなんて、さすが手塚先生ですね!」


 治美はすぐにメガネで調べて、そう答えた。


「今は印刷もきれいだから、普通のGペンで書くぞ」


「お願いします」


「いや!治美も描くんだよ」


「わかってますよ!冗談ですよ」


 治美は面白そうに笑った。


「雅人さん、いちいち真面目に答えてくれるので、からかい甲斐がありますね!」





 昭和29年5月9日、日曜のお昼時。


『古い日記は これでおわりです。さようなら』


『マァチャンの日記帳 おしまい』


 最後のコマにそう書くと、治美はちゃぶ台の上にそっとペンを置いた。


「……完成しました!!」


「やったな!!」


 5月の飛び石連休を中心に二人で懸命にペン入れをしていた「マァチャンの日記帳」もリメイクが終わったのだ。


 雅人と治美は満足げに微笑むと、お互いの顔を見つめあった。




「はい、はい!お邪魔しますよ!」


 そこへ、雅人の母親が鍋を持って茶の間に入ってきた。


「お二人さん。そろそろお昼ご飯の準備をしたいんやけど。ちゃぶ台、開けてくれる?」


「はーい!」


 待ってましたとばかりに、治美は原稿を片付けた。


「治美ちゃんもご飯、食べてゆくやろ」


「はーい!」


「今日はあんたらの原稿完成記念に、奮発してあげたで。元町、森谷商店のミンチカツや!」


「やった!!」


 治美が諸手を挙げて喜んだ。


 母親と治美がちゃぶ台に食器を並べるのを見ながら雅人はつぶやいた。


「さて、今度はこの漫画をどうやって売り込むかだな」

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