御影新のやり直し⑪
僕はとうとう下条匠と遭遇した。
異世界帰りの彼は、加藤君傘下の不良たちを次々となぎ倒していった。
力を失った今の僕が逆立ちしても勝てない、そんな実力だった。
前回の世界みたいに、敵対的な行動や不興を買う行為をすれば反感を買ってしまう。彼が急に僕を殺したりはしないと思うけど、強制的に関西に避難させたり、アメリカ軍に僕を引き渡したりなんてことはするかもしれない。
そうなってしまえば僕の野望は潰えてしまう。ここはなんとしても、本心を隠して友好的に接触しないと。
「御影君、どこかケガはしてないよな?」
下条匠が僕に近づいて、すぐに眉をひそめた。
気が付いたんだ。
僕の下半身が、今、どういう状況になっているのかを。
「……うぅ」
僕は思わず呻いてしまった。少しの間だけ忘れてしまっていた羞恥心を思い出してしまったからだ。
「あ……」
「あれ?」
「……」
続いて、後ろの女子たちも僕の状況に気が付いたらしい。
哀れみ。
嘲り。
もちろん、彼女たちは『トイレトイレ』といって相手を馬鹿にする小学生とは違う。面と向かって僕を馬鹿にしたりからかったりすることなんてない。
だけど、感じるんだ。いじめられっ子として人一倍視線に敏感な僕だからこそ感じ取れる、ある種の視線。自分よりも下の人間を見るときの微かな安心、同情、そして憤り。男として……いや、人としてあまり褒められた状態ではない。
それに比べて勇者下条匠のなんと勇ましいことか。こんなみじめで情けない僕を助けて、不良たちを一瞬にして薙ぎ払ったのだ、まるで物語に出てくるヒーローか何か。いや、例えでもなんでもなくて、彼は異世界でそれだけの活躍をしてきたんだ。
自分の旦那が大活躍で、嫁たちは鼻が高いのかもしれない。
僕をダシにして、下条匠の株が上がっていく。
その事実が……腹立たしくて……悔しくて。
くそっ!
本当ならあの場に立っているのは下条匠じゃなくて僕だった。僕は未来を知りスキルを駆使して、クラスの女子たちの処女を貰ってハーレムを作り出すはずだった! みじめに漏らしてはいつくばってるのは僕じゃなくて奴だったはずなんだ。
何で僕は漏らしてるんだ?
僕は何のためにここにいたんだ?
栄光を掴むためにリスクを……なんてかっこいいこと言ってたけど、これじゃあパチンコに金を溶かす底辺と一緒じゃないか?
僕は……馬鹿だったのかな?
くそっ、くそくそくそくそっ!
「ああっ、漏らしてる~」
不意に、そんな声が聞こえた。
声を上げたのは下条匠の嫁の一人、ずいぶんと背の低い……まるで子供のような容姿をした女の子だった。
僕はクラスメイトの名前全員を覚えているわけじゃない。えっと、確か、四家さん? だったかな。僕の股間を指差しながら大声を上げている。
「ひ、陽菜乃……」
「お兄ちゃん見てみて! あの人うんち漏らしてるよ!」
こ……こいつ。
確かに、僕は漏らしている。たぶんここにいる全員がそのことにもう気づいていると思う。だけどみんな小学生じゃないんだから、空気を読んで目をそらしたり話題にしなかったりしてくれていただけだ。
こんなに、子供みたいに馬鹿にされるとは……思ってなかった。
「ひなはね、パパとママにおもらししちゃ駄目って言われたの。だからもう何年もずーっとずーっと我慢してるのに、この人は我慢できなかったんだね。かわいそう! 恥ずかしいね! うんち臭い!」
まるで犬の糞を見つけた小学生のように、この女は僕の状況を面白おかしく話し始めた。周りの空気なんて……おそらく理解できていないのだと思う。
確かに、僕は漏らしてしまった。しかし一度下条匠たちに見つかってしまったのだから、もうこれ以上どん底に落ちることはないと思っていた。
だけど今、僕は今さらなる恥辱を味わっている。面と向かって指摘されるのは、とても恥ずかしいことだ。
空気を読まないこの女が、途方もなく煩わしかった。
だから……僕は。
「う、うるさあああああああいっ!
気が付けば、僕はこの女を殴っていた。
「あ……」
「ふ、ふええええええええええっ!」
四家さんが泣き出す。その姿はまるで親に叱られた子供のようだった。
ああ……僕はなんてことを。
大慌ての下条君が、すぐに僕と四家さんの間に入ってきた。
「み、御影君。本当に悪かった。俺がもっと早く来てたら、御影君はこんな目にあわなかったのに。怒るなら俺を怒ってくれ。陽菜乃は思ったことを口にしてるだけで悪気はないんだ。暴力では何も解決しないよ」
「…………」
一応、こちらに気を使っているようには見える。
だけど同時に、僕の態度を非難しているように見えなくもない。まるで悪質なクレーマーを相手にしてしている店員のようだ。
ああ……僕はどれだけ加藤君に殴られても蹴られても、ただみじめになるだけだったのに。
それなのにこの女は泣けば助けてもらえるのか? しかも僕が悪人なのか?
女って本当に人生イージーモードだね。泣けばなんでも許されるって思ってるよね? 非処女のビッチのくせに子供ぶってて腹が立つよ。
だけど……ここは怒りを抑えないと。
「う、ううん。僕こそ……気が立っていた。助けてくれたのは下条君たちなのに、変なことをしてごめん。早くここを離れよう」
「うん、そうだな。校舎の中に入れば代えの下着も用意できる。すぐに来てくれ」
「ありがとう、下条君」
一応、この場は下条匠のとりなしでどうにかなった……ように見える。
でも、後ろから突き刺すような視線を感じるのは……決して勘違いではないと思う。
僕は……どうやらクラスの女子たちに嫌われてしまったようだ。




