御影新のやり直し⑨
魔族襲来。
それは人類にとっての一大事だ。今やスキルも何も持たない僕にとっても、身に迫る最大の危機である。
だけど、危機だからこそ得られる希望もある。
下条匠と接触することだ。
僕がこの都市に残れば、下条匠と接触できる。逃げ遅れたから一緒に行動したい、といえば問題なくそばにいれるはずだ。彼は基本的に優しいからね。
彼がスキルを使うためのバッジを持っていれば貸してもらう。そうでなければ彼と加藤君が戦うことになるまで待つ。
どう転んでも、僕が力を取り戻すために前に進める。
さて、この計画を成就させるためには、混乱するこの都市に残る必要がある。
僕の家には両親がいる。あまり僕の学生生活について関心がないようだけど、かといって魔族が迫るこの地にいつまでも残っているような愚か者でもない。すぐにでも僕を連れてここから逃げ出してしまうだろう。
スキルを持たない僕だ。無理やり連れていかれる、となったら抵抗することができないかもしれない。
だから僕は、失踪した。
それほど不自然な話じゃない。今、この都市は魔族の侵攻で大混乱であり、そしてなにより僕はいじめられていたため日常生活や精神状態に危うさがあった。すべてを捨てて逃げ出したい、自殺したいという展開は他人から見ればあり得るものだったと思う。
平時であれば捜索願い出されてすぐに発見されてしまったかもしれない。だけど、人のいなくなったこの都市で隠れることは……そう難しいことじゃなかった。
最後に時任君たちと話してから、しばらくの時がたった。
僕は校舎近くの民家に住み着き、時々学園の様子を見に行く日々を続けている。
「…………」
時刻は正午前後、晴れた日。
僕はいつものように校舎に向かった。
この都市には何人人が残っているだろうか? 逃げ遅れた人や、大丈夫だと信じて疑わない人もいるはずだ。決して無人ではない。
彼らに見つかって強制的に避難させられたら厄介だ。その時の言い訳は適当に考えておこう。
「……静かだな」
加藤君いじられて、苦々しい記憶しかないこの世界。教師も、クラスメイトも、みんな敵だった。誰もいなくなってしまえばいい、とひそかに願っていたこともあった。
でも、本当に誰もいなくなるとこうもむなしいものなんだね。僕はとても小さなことを、まるで世界の終わりみたいに悩んでいたのかもしれない。
そろそろ下条匠が来ててもおかしくない時期のはずなんだけど……。
そう都合のいいタイミングで会えるわけもなく、僕はいたずらに時間を消費する日々を過ごすだけだった。
保存食や水だけの生活にも飽きてきた。コンビニの弁当や菓子パン、普段何気なく食べていた粗悪な食品すらも懐かしくなってくる。
ああ……くそっ。
本当に下条匠は僕をイライラさせるな。さっさと戻って来いよ!
「あれ?」
曲がり角を曲がると、人影が見えた。
まさか、下条匠?
一瞬そう思った近づいた僕だったけど、すぐに落胆することになった。
「あれれー、まだ人が残ってたのか?」
相手は下条匠とは似ても似つかない、六人の男たちだった。
この男たち、ただの避難民じゃない。
話しかけてきた男の頭部には、タトゥーが彫られていた。
髑髏が薬瓶をかみ砕いている様子の書かれたその絵を、僕は良く知っている。
加藤君配下の組織、〈スカル・ジャンキー〉の構成員だ。
ヤクザまがいの非合法組織だ。何人もの人がその薬で犠牲になったと聞いている。
「…………」
まずいな……。
魔物ばかりに警戒してたけど、まさか……加藤君の手下に出会ってしまうなんて……。
ど……どうすれば……。
「おいおいおい、そこのメガネ。挨拶もなしかよ。なんか喋れよ」
「あ、す、すいません。驚いてしまって……」
お、落ち着け。
こいつらは基本的に女を襲うだけの屑だ。だから僕は大丈夫。
「ぼ、僕、この辺りに住んでいる者です。見慣れない人がいっぱいいたから驚いてしまって。すぐに失礼しますね」
「待てよ」
男がその屈強な腕で僕の肩を掴んだ。
……に、逃げられない。
「へへっ、そういうや加藤さんから新しい薬をもらってたな。こいつで試してみようぜ」
「ああ、あの全身から血が噴き出すってやつ? 人殺しかよ」
「ちげーよ。死にやしねぇ。量を調節すれば貧血で倒れる程度で済むっつー話だ。まぁ、貧血の前に痛みで倒れる奴もいるって話だがな」
「怖っ! 俺ら離れてから使えよなっ!」
僕を掴んでいた男を除いて、全員がまるで汚物を見るかのような離れていく。
全身から……血?
そ……そんな恐ろしいことが……。スキルも何もないのに……。
「ちょ、ちょっと待ってください。く、薬の実験とか、許してくださいよ。お、お金なら用意できますから」
「ごちゃごちゃうるせぇな! 黙ってじっとしてろよっ!」
「で、でも……薬なんて……こ、怖い……」
「うるせええええええええっ! ぼそぼそと気持ち悪ぃ喋り方だなぁ。いいから黙ってろっつってんだよおおおっ!」
男の怒声が、道路に響く。
あ……あぁ……あああ……。
出血、ショックで気を失う?
い……いやだ。
魔物には警戒して道を歩いていたのに、まさか人間にこんなことされるなんて……。
誰か……誰か助けてよぉ。
男が……懐から薬瓶を取り出した。中には血のように真っ赤な液体が入っている。
その……瓶を見て……僕は……。
「あ……あぁ……ああああああああっ! いやだあああああああ! 許してよおおおおおおおおおおおおおお! お願いだよおおおおおおおおおっ!」
「はははっ、おいみろよお前らっ! こいつ漏らしてやがるぜ」
僕は……漏らしてしまった。
「うう……ううぅ……」
恐怖と恥ずかしさで、死んでしまいそうだった。




