〈アイギス〉の落とし穴
ホテルの一室にて。
俺と御影は、戦うことになった。
最初に思い描いていた奇襲という作戦は、奴の卑劣な行いによって破綻してしまった。
入口のドアからベッドまでの距離はそう遠くないが、かといって一歩や二歩で近づけるほどでもない。
ベッドのリンカを逃がしたいところだが、その隙は……ない。
御影が手を構えた。
来る……。
空気の変化を感じた俺は、即座に左側に飛びのいた。
瞬間、俺がいた空間を何かがよぎった……ような気がした。おそらく、御影のスキルが発動したのだろう。
「……く」
壁が邪魔で、完全に回避することができなかった。右手の甲が、わずかだが奴の攻撃範囲に入った。
「…………」
皮膚がカサカサになっている。乾燥した、というよりも……まるでミイラみたいに温かみを感じない……そんな状態だった。
かつてこの身に受けたことのある御影のスキル。ある空間、あるいは対象の時間を調節することができる。
この皮膚の変化はおそらく『老化』。御影は俺の体をろくに動かせないレベルで老化させようとしたのだ。
命まで取らなかったのは、俺への復讐を完遂するためか? 手加減といえば手加減だが、当たってしまえばもう殺されたようなものだ。
「ふひひ、うまく避けたねぇ。でもそんな偶然、何度も続くかな?」
「続けてみせるさ」
確かに、御影のスキルは強力だ。
だが御影は能力者ではあるが戦士でも勇者でもない。幾多の魔物、魔族との戦いを切り抜けてきた俺にとって、奴の動きはあまりに素人過ぎた。
目線、息遣い、細かな筋肉の動きがすべてを教えてくれる。
再び御影が攻撃してきた。
だがそれは俺にとって難なく回避できるレベルのものだった。
だが、回避できたからといって戦いが決着するわけではない。
次のステップに、進みたいところだが。
「ああ……もうっ! めんどくさいなぁっ!」
御影はベッドから立ち上がり、俺に近づいてきた。このままではらちが明かないと判断したのだろう。距離が縮まれば、攻撃を避けられることはなくなるからだ。
「させるかっ!」
対する俺もまた前にでた。
御影と一気に距離を詰め、スキルを発動させる前に聖剣で切り殺す。
……こういう作戦だと、御影が『勘違い』してくれれば嬉しいが。
俺が距離を詰めるが、御影もまたスキルを発動させるつもりらしい。
「これで、最後だっ!」
御影が俺を睨みつけながら、そう言った。先ほどと同じようにスキルを発動させ、俺を行動不能にしようとしているらしい。
このゼロ距離だ。どんな攻撃でも避けることはできない。
だが……。
「そうだな、もう……終わりだ」
「え……」
俺の勝利に、揺るぎはない。
「僕のスキルが、発動しない?」
御影のスキルは、俺が封じた。
俺には、二つの選択肢があった。
一つは〈アイギス〉によるスキル無効化。
そしてもう一つは、俺のスキル〈操心術〉で御影を操ること。
だが後者はあまりにリスクが高い。かつて加藤がスキルを防いだのと同様に、御影もスキルを防いだことがあるからだ。
本来なら奇襲して一気に距離を詰めるつもりだったんだけどな。結局、加藤と戦った時と同じ戦略になってしまった。
「リンカ、すぐに俺の後ろに来てくれ」
「……お父さん、ありがとう。私……」
弱々しい声でそう言ったリンカは、震えながら俺の後ろへと着いた。
よし、これであとは奴を殺すだけだ。
と、思った瞬間。
背後に不穏な気配を感じた。
「お父さん、あれ……」
振り返ると、そこには茶色い色をした薄っぺらい何かがあった。汚い色で、とてもではないがホテルの内装としてふさわしくない。
確か、あそこにはカーテンがあったはずだ。
「なんだ、スキル使えるじゃないかっ!」
「……っ!」
馬鹿な……。御影のスキルが発動した?
時間操作によってカーテンを経年劣化させた? なぜだ? スキル無効化アイテム――〈アイギス〉が効いてないのか?
「って、あれ……」
次に御影は俺を攻撃しようとした……ように見えたのだが、効果が表れることはなかった。
「お……おかしいな。なんで……」
「…………」
どうやらこの〈アイギス〉という盾、スキル無効化には効果範囲が存在するらしい。
この範囲に入った人間のスキルの発動を無効化する、ではなくスキルの効果を無効にするといった感じだろうか。御影のスキルは発動しているのだ。
対して俺の〈操心術〉は、俺の声を媒介として発動するスキルだ。声の発生源である俺自体が盾の範囲に入っているため、無効化されてしまっているのだろうか?
あるいは、御影のスキルが規格外過ぎて異常を起こしてるのか?
どちらにしろ、ここで確かめる術はない。
有能な盾、と思っていたが……思わぬところに落とし穴があったらしい。
だが――
「ぎゃああああああああっ!」
やることは変わらない。
俺は無防備となった御影の体を剣で攻撃した。
密着状態だから頭や心臓を狙うのは難しかったが、左腕を切り落とすことができた。
「ひぃ……」
リンカ、すまない。
子供には酷な光景だったと思う。だがこいつをここで仕留め損ねれば、俺たちの人生は終わりだ。どうか耐えて欲しい。
「痛い……痛いよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお、なんで僕が」
「お前には罪がある。そんなことは分かってるだろ」
「僕の……僕のスキルうううううううううううううううううううううっ! 最強の力がああああああああああああああっ!」
叫ぶ御影は、スキルを無茶苦茶に使用しているように見えた。
だが俺と御影の周囲のスキルは無効化される。だからどれだけ暴走しても、この状況は変わらな……。
「何っ!」
おそらく、経年劣化で建物が支えられなくなってしまったのだろう。天井から突然茶色い塊が落ちてきた。
たとえスキルが防げたとしても、元からあった物体までが消え去るわけじゃない。
こんな回りくどい攻撃法は想定外だ。御影を押さえつけている俺は、避けられなかった。
「ぐ……」
背中に、重い一撃を受けた。
意識を失わなかったことは……幸運だったかもしれない。
だけど……手に力が入らない。かろうじて剣を持っている体勢を維持できてはいるが、攻撃をするレベルの握力は残っていなかった。
苦しいが、この状況に気づかれてはいけない。
「無駄なあがきは止せ。お前はもう終わりだ。その出血ではもう後がない」
腕を切り落とした御影であるから、その出血量は尋常でない。失血死というのは脅しではなく本気だ。
「そんなバカな。お前さえ遠ざければ、僕のスキルで……きっと……」
「俺はお前から離れない。たとえこの建物が崩壊しても、お前が死ぬまで絶対にな。クラスメイトとして最後の情けだ。俺はもう攻撃しないから、そのまま失血死してくれ」
剣で攻撃できない言い訳は、これで通るはず。
頼む。
そのままおとなしく……死んでくれ。




