触媒
胴体を切り裂かれた加藤。
頭に剣を振り下ろした俺。
誰がどうみても、勝利は目前……のはずだった。
「…………っ!」
かきん、と耳障りな金属音が聞こえた。
俺の剣が加藤のピアスに当たったわけではない。骨や歯程度に競り負ける軟な材質の剣でもない。
俺は確かに、加藤の頭蓋骨を砕くレベルで力を込めたはずだった。
だが、俺の刃は通らなかった。
突如として黒く硬くなった加藤の皮膚が、俺の攻撃を阻んだのだった。
金属化? 硬質化? あるいはバリア? 何事かは分からないが、加藤が何らかの薬を使ったのだけは確かだ。
一体どういうことだ? 加藤は薬を持っていなかったはずなんだが……。
とにかくもう一度……聖剣を。
「がっ……ぐっ……」
突然、激しく咳き込んだのは……俺だった。
血だ。
咳とともに肺から血が込み上げてくる。そしてどれだけ激しく呼吸をしても、肺に空気が満たされていない感覚。
攻撃?
俺は加藤から攻撃を受けている……のか? 空気に晒して体へと侵入するタイプの薬か?
「なんだ……これ……?」
俺は即座に廊下の後方へと飛んだ。加藤の攻撃はすべて薬によるものだ。奴から距離さえとってしまえば、それ以上の追撃はあり得ない。
だけど、肺から出血というのは俺にとっても重傷だった。すでにかなり息苦しさを感じている。このままでは、やがて酸素が脳に回らなくなり……倒れてしまう危険性がある。
仕方ない。
「――来い」
俺は〈籠ノ鞘〉を起動し、異空間に収納した聖剣を取り出した。
聖剣ハイルング。
乃蒼の剣だ。
誰もついてこなくていい、と豪語した俺だったが、念には念を入れて乃蒼の剣だけは所持しておくことにしたのだ。ただし彼女の身に危険が及ぶことを恐れ、戦闘中は異空間に収納しておく……つもりだった。
〝匠君、大丈夫?〟
「すまない乃蒼、頼む」
俺は乃蒼の力で損傷していた肺を回復した。
息苦しさが消えていく。
「…………」
とんだ失態だった。いますぐ遠距離から加藤に止めを……。
そう思っていた俺は、信じられない光景を目の当たりにすることとなった。
加藤が、回復していたのだ。
地面には横たわったままだったが、すでに出血は止まっており、切り裂かれたはずの胴体はくっついている。足がぴくぴくと動いているから、神経も繋がり始めているらしい。
これは俺も知っている。
加藤の『再生薬』だ。対象のケガを直し、失われた体の部分を再生する力を持った強力な回復薬。
またして……薬?
「馬鹿な……」
加藤のスキル――〈創薬術〉は俺もある程度知っている。しかし奴は瞬時に強力な薬を合成することはできなかったはずだ。
体を硬質化し、俺を攻撃し、そして自らの体を回復させる。三つすべてを満たすには、三つの強力な薬が必要となる。
奴は薬をもっていなかったはずだ? どうやってこんなことをしたんだ?
体を完全に回復させた加藤が、ゆっくりと起き上がった。
「何をした加藤? お前は薬をもっていなかったはずだ」
「俺の歯にはよぉ、何かあったときのために薬を仕込んである。そいつを使ってこの危機を脱したんだぜ」
歯……か。
そいつは盲点だったな。確かに歯なら胴体が切り裂かれても……。
いや、待て。
「じゃあお前は歯に薬を三種類用意してたのか? いや、緊急時に備えて、もっと用意している?」
「くくくっ、おいおい下条。俺の歯をボロボロにするつもりかよ? 何種類も用意してたら、俺が差し歯だらけになっちまうだろ」
それも……そうだよな。
歯に薬を仕込む、ということは危険性を伴う行為だ。体に優しい再生薬や硬質化の薬ならともかく、肺を傷つける薬は下手をすれば自分が死んでしまう。そんな危険薬物を、自分の体に仕込んでおくとはどうしても考えにくい。
加藤は腰に巻いたホルスターから、一個の薬瓶を掴んだ。
「こいつだ」
中には薬と思われる透明な液体が入っている。何の効果があるのかは分からない。
「こいつは俺が知恵を絞って生み出した薬。まっ、分かりやすく言えば『触媒』だな」
「触媒?」
「すべての薬の合成を早める薬、っていえばお前でも分かるか」
「…………」
合成を早める薬? 触媒?
「……そうか、やっと分かった。お前は、薬を瞬時に合成したんだな」
「くくく、正解だ。俺は昔の俺とは違う。この触媒を使えば、スキルの時間制限を無視できるっつーことだ」
加藤のスキルでは強い薬を瞬時に合成できない。
だからこそ俺は一芝居打って奴を油断させ、奇襲で薬瓶を加藤の体から切り離した。
だが奴の方が一枚上手だったらしい。
「分かるか下条! 俺はもう新ちゃんの〈時間操作〉を使わなくても、望む薬を望むままに生み出すことができるんだぜ!」
媚薬――〈イシュタル〉を大量合成したのは、時を操る能力者である御影の力添えがあってこそだ。
だが、プライドの高い加藤が、かつていじめていた相手である御影に対して、いつまでも助力を請うているだろうか?
そんな状況、いつまでも我慢できるはずがない。
だから加藤は生み出したのだ。たとえ御影に頼らなくても、自分で望む薬を望むままに合成できる……その方法を。そしてもし万が一の事態があったとき、御影と争っても勝てるように……。
「まあ、あいつにはこの触媒のことは伝えてねぇがな。てめぇが奴にばらすとは思えねぇが、秘密を知ったからには生かして返せねぇよな」
もともと殺すつもりだったくせに。
奇襲は、失敗した。
このまま奴を逃がせばエドワードに危険が及ぶ。
ここで、決着をつける以外ない。
あらゆる薬を瞬時の合成できる加藤。
異世界にいた頃より、完全無欠の存在。普通に考えたなら、勝てるわけがない強敵だ。
だが、付け入る隙はある。
俺が得た異世界の力は、こんなものじゃないってことだ。




