偶然の出会い
東京都、とある市街地にて。
いくつかのビルが点在するその場所。かつては首都の名にふさわしく人の往来も激しかったのだが、魔族が攻めて来た今となっては廃墟に近い。人が全くいなくなったわけではないが……平時とは完全に異なっている。
そんな人気のないビルの一つ。その頂上に一体の魔族が立っていた。一見すると老執事に見えなくもない彼であるが、その正体はただの魔族ではない。
魔族三巨頭の一柱、悪魔王イグナートである。
「かかかっ、気が付いたかのう、マリエルよ」
イグナートの隣には別の魔族が立っていた。
キツネをベースとした魔族であり、美しいドレスと精巧な化粧で彩られた妖艶な美女。キセルを口に近づけ、タバコのようなものを吸っている。
彼女の名前は大妖狐マリエル。
獣系の魔族たちを束ねる、魔族三巨頭の一体である。
「〈エコー〉、確か天使たちが使っていた魔法であったと思うが……」
かつて異世界で魔族と天使たちは争っていた。聖魔大戦と呼ばれるその戦は、基本的には魔族優勢のまま進んだものの、全く戦いにならなかったというレベルでもなかった。
〈エコー〉は天使たちが仲間を探すときに使う魔法だった。当時、肌のざわつくこの魔法が幾重にも放たれ、魔族たちにとってずいぶんと気分が悪かったことは今でも記憶に残っている。
「天使がこの世界にやってきた、と考えるべきか?」
「あるいは、天使から術を学んだ人間の仕業とみるべきか。かっかっかっ、それにしてもこの感覚、久方ぶりよ」
魔族の感覚器官は〈エコー〉を感知する。しかしそれは彼らにとってあまり気持ちの良いものではない。
しかしイグナートは今良い気分だった。かつて大戦時に天使たちと戦った懐かしい記憶を思い出したからだ。
「さて、この魔法。我らにとって何の意味もない魔法」
「とはえいこの魔法には魔王陛下も気が付いておるじゃろうな。この不快な感触も。捕えた天使の件、事情を話さぬわけにはいかぬじゃろう」
イグナートは天使を捕えて実験をしていた。
それは魔王の許可を得てやったことではない。別に隠していたわけではなく、その程度のことをいちいち報告する義務がないというだけだ。
ただし、先ほどの〈エコー〉は当然ながら魔王も気が付いているはずだ。彼を不快な気分にさせてしまったことを弁明しなければならない。
「では我も参るとしよう」
「お主も可か? なにゆえ?」
「主の顔を拝みたい、そう思うことが不自然か?」
「ふむ」
こうして、大妖狐マリエルと悪魔王イグナートはこの場を離れた。
それは匠たちの予想とは全く異なる展開であったものの、戦力分散という意味では的中していた。
悪魔王イグナートと大妖狐マリエルはここにいる。
だが魔族の幹部は三巨頭。ここにはいないもう一体について……彼らは自然と思い出していた。
「そういえばイグナートよ。ゼオンはいずこへ?」
「あ奴のことじゃ。己の力を磨くため、武者修行を行っているのではないか? もっともその修行がなんであるか……わしにはさっぱり分からぬがのぅ」
いずれにしろ、単独行動の多いゼオンをいちいち呼び寄せている暇はない。
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匠たちがミカエラの救出に向かっている、ちょうどその時。
関西地方へと子供たちを逃がすために西へと向かうこととなっていた一団は、順調に西へと進んでいた。
運転手は鈴菜、護衛は小鳥とひより。そして子供たちの世話に子猫がという構成だった。
軽自動車でないといっても、これだけの人数が乗れば窮屈なことこの上ない。しかし子供たちの安全を考えるのであれば、多少の無理は通さなければならない。
「そろそろ、神奈川を抜ける頃かな……」
運転手の鈴菜が呟いた。
破壊された高速道路を使うことは難しいため、一般道での移動だ。障害物も多いから余計に時間がかかってしまうが、着実に前へと進んでいるのを感じている。
「この自動車って乗り物、すごいですね」
「お母さま、これはどうやって動いているのですか?」
リンカとエドワードは興味津々といった様子だ。異世界にはない乗り物だから……子供としては当然の気持ちなのかもしれない。
「これは、まず原油から……」
と、鈴菜はそこで言葉を切った。
目の前に人が現れたからだ。
もはや信号機が正常に機能していないこの状況だ。目視で障害物を確認して、ひいてしまわないようにしなければならない。
鈴菜は車を急ブレーキで停止させた。
衝撃は決して少なくなかった。一応全員シートベルトをして、物心つかない年齢の子供たちは子猫が抱きかかえるようにしている。だからブレーキ程度で死にはしないはずだが、それでも衝撃でどこかをケガしているかもしれない。
急ブレーキの衝撃から脱した鈴菜は、真っ先に進行方向を歩いていた人物に目線を移した。
「……っ!」
そして、理解した。
自分たちが、窮地に陥っているという事実に。
「…………ふふふ、なんという偶然か」
その男は、魔族だった。
姿形は人間のそれであるが、鈴菜は知っていた。匠から聞いていた、とある魔族の特徴に彼がよく一致していたからだ。
鈴菜の予想が正しいとすれば、この展開は……限りなく絶望的だった。
「それがしの名はゼオン。刀神ゼオンっ!」
魔族三巨頭の一体、刀神ゼオン。
「異世界から帰還した勇者一行。いざ尋常に……勝負をっ!」




