雫の出産
校舎での、出産。
決意してからの行動は早かった。
俺たちは教室に座り込んでいた雫を、すぐに移動させた。ここには机と椅子しかない。安静にするには向かない場所だ。
向かったのは、保健室だった。
ベッドのあるこの場所で、出産を待つこととなった。
鈴菜の見立て通り、雫の陣痛がすぐに始まった。
想像を絶する痛みというらしいから、他人……ましてや男の俺に想像なんてできるわけがない。
「雫、俺に何かできることはあるか? 背中さすろうか?」
「うる……さい……」
まあ、今は口が悪くても許す。大変だろうからな。
「……手を、握っていてくれ」
「こうか」
「離すなよ」
本当はいろいろと気になることもある。すぐにでもここを飛び出して、両親のことや友人のことを確認しに行きたい。
でも、俺はここにいる。
雫と、生まれてくる子供のために。
夜、雫がいきみだした。
俺は雫の手を握りながら、何度も声をかけた。聞こえてたのか、そうでないのか分からないけど、少しでも励みになってくれたと信じたい。
これで出産に立ち会うのは五度目だというのに、この緊張と不安はいつまでたってもなくなってくれない。
普段大声をあげない雫だけど、この日ばかりは頭を揺さぶられるような悲鳴をあげていた。誰かに見つかるとか、そういう懸念もあったけど、苦しんでいる雫を止めることはできなかった。
長丁場の果てに、雫は出産を終えた。
「女の子、か」
無事に生まれてよかった。
出産を終えた雫は休養中。生まれた赤ちゃんは乃蒼が世話をしている。もう五回目だから手慣れたものだ。
俺たちはそんな彼女たちを保健室において、別の教室へと集まっていた。
「……出生届出さないといけないんだよな」
「そもそも役所が開いているのかも問題だ。いずれは異世界に戻るつもりなら、そこはでしなくてもいいのでは?」
つぐみに突っ込まれる。
「そーいえばそうだな、俺、婚姻届けも出してないよな。何言ってんだろ……」
異常な事態が続き、少し冷静さを失っていたのかもしれない。
正気に戻らなくちゃな。
「じゃあ改めて、俺たち……今の状況を解決しないといけないよな?」
本当は、もう少し雫のそばにいてやりたいんだけどな……。
この状況を解決しない限り、俺たちは安心して暮らすこともできない。
なぜ誰も人がいないのか?
電気、ガス、インフラはどうなっているのか?
そもそもここは、本当に元の世界のなのか?
答えを出す必要がある。
「今までよりも、もっと広範囲で探索する必要があるよな。つぐみはどう思う?」
「物資の調達も問題だ。食料、飲料水、着替え、化粧品下着寝具……あげればきりがない。いくつかは自宅に帰ればあるだろうが、数には限りがある」
すぐに元の世界に戻るつもりだった俺たちは、それほど準備をしていなかった。ありとあらゆるものが不足している。
「じゃあやっぱり外に出ないといけないんだよな?」
「二人一組になって探索を行おう。匠と一紗は予定通り時任君の園田君の家に向かってくれ。もし二人に会えたらここに連れてきて欲しい」
元の世界、と言っても誰もいない不気味なこの状況。まさか戦争が起こっているわけではないと思うが、用心に越したことはない。
俺も一紗も異世界では勇者として戦っていた。俺たち二人そろえば勝てない人間なんていない。
「私は住宅街を探してみよう。少し気になることがある。何か使えるものがあれば持って帰ることにしよう。璃々は私の護衛としてついてきてくれ」
「はい、お姉さま」
璃々は異世界で近衛隊の隊長を務めていた。彼女たちはそれほど高い戦闘力を有していないものの、魔法や剣術に関しては基本的なことができる。この世界の暴漢や野生生物程度なら、難なく追い払うことができるはずだ。
「明日の朝、ここを発つ。日の落ちるころまでには再び保健室に戻ってくる。こういう流れで行こう」
「分かった。ってことは、今日はもう寝るってことだよな」
雫の出産に立ち会ったから、もう深夜だ。夜明けまでそれほど時間がないが、徹夜してしまうわけにはいかない。
「俺はその辺で寝るよ。今更家に帰っても仕方ないからな……」
自宅、がどうなっているのか考えるのは不安だ。この状況なら父さんや母さんはいないと思うけど、仮にいたとしても事情を説明するのは難しい。
俺のことを諦めて……部屋とかもなくなってるかもしれないよな。
「同感だ。保健室のベッドが四つと、職員室……あるいは校長室のソファーか。なかなか難しいところだ」
「あたしベッドがいい」
と、一紗が手をあげた。
こいつ図々しい奴だな。みんな我慢してるんだぞ? 自重しろ自重。
「俺は今日、雫と一緒にいたいから保健室にいさせてくれ。ベッドは譲るが。りんごも一緒にいた方がいいだろ?」
「しずしずと一緒がいいな」
りんごがベッドを使う、と。
「僕はソファーで十分だ。職員室に行くよ」
「この配置なら私も遠慮するべきか。ベッドは譲ろう」
「なら私もお姉さまと一緒に」
「俺は保健室のソファーで寝るから、ベッドは乃蒼に使わせてやってくれ。エリナは?」
……いない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
また廊下走ってるのか? 元の世界に帰ってきてからテンション高いな。でもお腹に俺たちの子供がいるんだからほどほどにしてくれよな。
「ジャスティイイイイイイイイイスッ! 空中二回転キックッ!」
おおおおおおお……お腹の子供が……。
廊下に出るとエリナが飛ぶ寸前だったため、未遂で止めることができた。
こうして、俺は保健室で寝ることになった。
産まれてきた子供と、雫、乃蒼、一紗、りんご、俺。みんな俺の家族で、本当なら異世界の屋敷で一緒に寝ているはずだった。
こんなことになるなんて……。
不安を胸に抱きながら、俺はゆっくりと微睡に沈んでいった。