ハイルングの盲点
乃蒼から話を聞いた俺は、すぐさま一紗の元へと向かった。
アメリカ軍人たちの案内は、子猫とつぐみに任せてある。いろいろあった彼らだから、俺たちに何かあったという事情は察してくれていたようだ。
乃蒼の案内に従い、俺と鈴菜は校内を歩いている。
連れてこられたのは、体育館だった。
倉庫前の扉に、俺たちは集まっていた。
すでに日は落ちて夜になっている。一紗はもう目を覚ましていると思うのだが……。
「ここに……一紗がいるのか?」
「ごめんなさい」
何を謝られているのか分からないが、事態が深刻であることは何となく分かった。
乃蒼が懐からカギを取り出し、ゆっくりと倉庫の扉を開けた。
「あああああああああああああっ!」
叫び声を上げているのは、金髪ツーサイドアップの女の子――一紗だ。
両手両足を縛られた一紗が、運動用のマットの上に転がっていた。
「〇〇〇っ! 〇〇〇っ! 〇〇〇欲しいっ! 〇〇〇〇に〇〇〇で〇〇……」
結婚した俺でも赤面してしまうような、卑猥な言葉だった。それを荒い息で舌を突き出しながら叫んでるんだから、見るに堪えない。
できの悪いAVみたいな構図だ。身内だと思うと吐き気がしてくる。
「ごめんなさい。ここに閉じ込めておかないと、一紗さん暴れて……。このままじゃあ体を傷つけちゃうかもしれなかったから」
「乃蒼も……みんなも悪くない。一紗を守るためにはこれくらいしておかないとな……」
一紗の状態は分かった。
一紗は媚薬にその体を侵されていた。加藤たちの卑猥な目的のためだけに生み出された、恐ろしい薬だ。性的欲求が異常なまでに高まり、理性が吹っ飛んでしまっているように見えた。
ここを出るとき、一紗には回復の聖剣を使っておいた。これまでどんな傷も毒も直してきたあの力なら、絶対によくなるだろうという確信をもっていたからだ。
だけど、聖剣の力は効かなかった……のか?
一体どういうことだ?
まさか加藤のスキルが聖剣の力を上回ったのか? 奴の生み出した薬にはそれほどの効果があるのか?
「なんで……一紗は治らないんだ? 媚薬の力が強すぎるのか?」
「おそらく……そもそも効果がないのじゃないかな?」
と、俺の隣で考え込んでいた鈴菜がつぶやいた。
「効果がない? どういうことだ?」
「癒しの聖剣はケガや毒薬の治療に効果を発揮していた。だけど媚薬は、本当の意味で人を苦しめる毒薬だとは言い切れないとは思わないかい?」
……なるほど。
確かに、毒と薬の境界は難しい話だ。
性欲が強いということは、生き物にとって決して悪いことではない。あからさまに人を殺す毒薬なんかと違って、むしろ体を活性化させているといっても過言ではない。
死に至る毒であれば、乃蒼の力で治せたかもしれない。しかしこれは性的欲求を強めるだけのただの薬だ。ハイルングによって良薬扱いされ、相手にされなかったのかもしれない。
……なんてことだ。無敵の聖剣だと思っていたけど、こんな落とし穴が存在しただなんて。
「じゃあいったい、どうすれば一紗を治すことができるんだ?」
「加藤の〈創薬術〉で解毒剤を作るか、御影の〈時間操作〉で正常な頃の体に戻すか……」
「……どちらも敵の能力か。難しいな」
ともかく、今すぐにはどうにもできないらしい。
「あひいいいぃいぃいいん! 男! 男を連れてきて! 誰でもいいわ。〇〇〇しゃぶりたいのおおおおおおお、早くううううううううっ!」
一紗……。
すまない、俺があの時……加藤を殺しておけば。こんなことにはならなかった。
申し訳なさでいっぱいだった。
苦しむ一紗を救いたい。
俺にできる唯一のことがあるとすれば……それは……。
「……俺、一紗を慰めてくるよ」
乃蒼と鈴菜がはっとして俺の顔を見た。
「こんなことしてどうにかなるとは思えないけど。苦しそうな一紗を見てるとさ、放っておけなくて。これでも夫だからさ」
俺はシャツのボタンを外し、半裸になった。
「あ……ああ……ああああああああっん!」
一紗がよだれを垂らして、がくがくと震え始めた。鼻をひくつかせているところを見ると、男の匂いに敏感になっているのかもしれない。
「ここには誰も入れないように伝えてもらえるか?」
「一紗を頼む」
「匠君……」
空気を読んだ二人が、そう言って倉庫から出て行った。
「ああああんっ! 匠、好き! 大好き! 愛してるっ! 愛してるわ! だから早く」
「一紗……俺も愛してる」
その夜、俺は一紗を抱いた。
…………。
…………。
…………。
目覚めるとマットの上だった。
窓の外が暗い。まだ深夜なのだろう。
隣に一紗が寝ていた。
全裸のままの彼女にそっと上着をかけて、俺はマットから抜け出した。
「…………」
激しい夜だった。
俺と一紗は激しく求めあった。何時間そうしていたかは分からないけど、とにかく時間を忘れるほどに互いを貪っていた。
そして俺と……そして一紗は眠ってしまった。
疲れれば寝る。
それが分かっただけでも良かった。一紗が疲れ切るまで相手をすればいいだけのことだ。
解決策……とはいいがたいけど、妥協点にはなったと思う。
この件は先延ばしできたけど、今、俺の抱えている問題はこれだけじゃない。
新しく来たアメリカ軍人。
逃げ場を失ったミゲルの元信者たち。
加藤とその仲間たち――スカル・ジャンキー。
徘徊する魔物たち。
それを操る魔族。
そしていまだ合流できていない、俺の妻たち。
問題は多いが、はっきりしていることがある。
もう、すぐに異世界に戻るなんて話じゃなくなった。向こうにいる俺の娘、息子、そして友人たちには申し訳ないが……事態は切迫している。
俺はこの世界に居続けなければならない。少なくとも、いなくなったクラスメイトたちが全員揃う……そのときまで。
時間がかかるかもしれない。この世界で半年、一年。これは向こうの世界では何年になるのだろうか? 五年か? 十年か? 物心ついてなかった俺の子供たちは、もう言葉を話せて学校にも通っているのだろうか?
切ないな。できれば成長を見守りたかったんだけど。親に手紙を……なんて安易な考えで来るべきじゃなかったのか?
俺は異世界で勇者だ英雄だと呼ばれていた。
だったらこの世界でも活躍できるはずだ。
かつて倒した魔族たちを、もう一度倒す。そして混沌としたこの日本に、再び平和をもたらすのだ。
それが俺にできる、唯一の償いであると信じて。




