阿澄咲ご一行
――関西、兵庫県にて。
「…………」
阿澄咲は深いため息をついていた。
ここは兵庫県の北部、海岸に近い公園である。南部の大坂や神戸市からかなり離れた位置にあるそこは、落ち着くことのできる静かな場所だ。
咲はベンチに座り物思いに耽っていた。
異世界のマルクト王国という国で王妃を務めていた咲は、その日も夫である国王と他愛もない話をしていた。
この世界に来たのは本当に突然だった。
最初、咲は何が起こったのか理解できなかった。突然景色が変わり……この公園に立っていたのだ。幻覚か? 転移か? それとも白昼夢か?
咲は道行く人々に事情を尋ね、すべてを知った。
ここが元の世界であること。
関東地方が魔族に襲われていること。
すべてが、咲にとって予想外の出来事だった。
「月夜、報告なさい」
シュ、と風を切る音とともに……咲の前に一人の少女が跪いた。
日隠月夜。
彼女は異世界における忍者的な存在であり、その日も咲の護衛として身辺警護をしていた。マルクト王国が雇っている、というよりも下条匠の妻同士。頭を下げたりする必要はないのだが、生真面目な彼女の性格がそうさせているのかもしれない。
「まずはこれを……」
月夜が差し出したのは、薄手のアウターだった。
咲は今、王室用のドレスを身に着けている。
パーティーでもなんでもないこの場所できらびやかなドレスを身に着けている咲は、はっきり言って目立っていた。ここが田舎であるからなおさらだ。
「他に何か報告することはあるかしら?」
「……仲間を」
「咲さん」
「よかった、咲さん無事だったんですね」
そういって咲に語り掛けてきた二人の声には、聞き覚えがあった。
玉瀬美織。
玉瀬ひより。
双子の姉妹であり、二人とも匠の妻だ。
護衛のいる咲と違って、彼女たちは冒険者ギルドに所属していたこともある実力者だ。美織は剣と鎧、ひよりはローブと杖といった様子でいかにも異世界風の格好だった。
「わたくし、着替えない方がいいかしら? ドレスに鎧にローブに忍者。これなら立派なコスプレよ。このままでいた方が逆に自然じゃないかしら?」
「や、やめてくださいよ! 目立って恥ずかしいじゃないですか」
ひよりはすぐに杖を木陰に隠した。
「えー、この方がかっこいいと思うけどな」
美織は隠す様子もなく、むしろ目立っていることを喜んでいる様子。
双子なのに性格が違うな、と咲はその様子を微笑ましく思った。
二人がマルクト王国を訪問していたことは、咲の耳にも入っていた。
「二人に聞きたいのだけれど、この世界に来る前はどこにいたのかしら?」
「私たちはマルクト王国の首都マルクスにいました。村での復興支援の一環で、首都に用事があったからです。ついでに咲さんに挨拶をと思って、城の近くを歩いていたのですが……」
「やっぱり、召喚時の場所が関係していそうよね……」
ここに召喚されたばかりのころを思い出す。
咲は激しく混乱したが、すぐに月夜を発見した。彼女は咲の護衛としてすぐ近くに控えていたのだ。
そして美織たちは公園の東側からやってきた。マルクト王国の東側には大通りから城に至るための門がある。二人がもし王城を訪れようとしていたのだとしたら、位置関係はぴたりとあてはまる。
「たしか、下条君は異世界に帰る予定だったわよね?」
「そうです、そうなんです。確か……私たちがこの世界に来たちょうどその時に……」
「召喚が失敗したのかしらね? わたくしたちもそれに巻き込まれた? なら……」
匠はおそらく関東地方にいる。
咲のいたマルクト王国と、匠のいたグラウス共和国。二つの国の位置を考えると、この兵庫県の北部から関東の南岸あたりに相当するはずだ。
しかし現在、関東地方は魔族の大暴れによって完全に封鎖されている。東名・中央高速道路の封鎖はもちろんのこと、各地域の一般道すらも完全に通行止め。加えて航空機・船舶による輸送も避難を除いて停止状態。
金の当てがないわけではない。鉄道やバスを使って名古屋あたりまで行くことはたやすいだろう。だがそれより先は過酷な道だ。
「困ったわ、本当に困ったわね」
咲は妊娠している。お腹には匠との間に授かった子供がいる。そしてこの子は次代のマルクト王国の王となることが決まっている。
他の妻たちとは違い、なんとしてでも元の――すなわち異世界へと帰らなければならない。下手をすれば内乱が起こってしまうかもしれないのだから。
だから何とかして自分たちも匠のもとへと向かいたい。それがダメならせめて連絡を取りたいというのが咲の願望であった。
「月夜、わたくしのお願いを聞いてもらえるかしら?」
「……なんなりと」
「わたくしたちは下条君と会いたい、もしくは連絡を取りたい。そのためには、今……侵入禁止になっている関東地方に向かうか、その情報を集める必要がある。わかるわね?」
「……(こくり)」
「路銀は明日までにわたくしが工面します。まず、あなたはそれまでこの周辺で情報を集めてほしいわ。関東のこと、魔族のこと、わたくしたちが知らないことがいっぱいあるのよ。頼める?」
「――御意」
月夜は木の陰に隠れた。
関東地域への侵入は危険な賭けだ。月夜は暗殺集団の長として戦闘術には長けているが、強力な魔族相手ではさすがに分が悪い。
できれば遠くから連絡を取りたい。できなければ関東に侵入してでも……匠たちと合流する必要がある。
咲が真剣に物思いに耽っている中、双子の姉妹は別のことをしていた。
「月夜さん、どうしてすぐに木陰に隠れるんですか? 一緒にいればいいのに」
「おーい、月夜さん! 一緒にお話ししましょうよー」
美織が剣で木の陰を揺すり始めた。そのあたりはさっき月夜が隠れた場所だ。
「ちょっとあなたたち、やめてあげなさいよ。月夜は会話下手なのよ」
「…………」
シュ、と別の木に月夜が移る音が聞こえる。
「あっ、月夜さんがそっち行ったわ! ひより、捕まえて!」
「ええと、お姉ちゃん。捕まえるって……」
そんなじゃれ合いを遠目に眺めながら、咲は今後の計画を練っていくのだった。




