第二音【黒い三日月】
第二音【黒い三日月】
「少女の身元が判明しました」
朝一のニュースで流れているのは、先日の事件の内容だ。
身元不明だった少女の身元がようやく判明したのはよかったのだが、しかし、そこにはまた大きな疑問が生まれることとなった。
少女は19年前、当時13歳時に失踪したことになっており、すでに死亡したものだと家族も葬儀をしてしまったらしい。
「だってあの子、全然家に帰って来なかったんですよ。本当なら、失踪届けだって出さなくてもいいかと思ってたくらい」
というのが親の主張というか、話ではあったのだが、この際親子関係がどうこうというのはいいとして、なぜその少女が今になって死体となって発見されたのかが問題だった。
なにせ、少女の身体は13歳の頃とほとんど変わっていなかったのだから。
流れているニュースを横目に、柑野は頬杖をつきながら口を開く。
「ゆっきーのお陰で身元がわかったってのに、何もねぇのな」
「別に恭久は何も求めちゃいないよ。な、恭久?」
紫崎の問いかけに、碧羽は退屈そうに大きな欠伸をしながら頷いた。
少女の失踪後の足取りがつかめていないが、失踪届けが出された直後の目撃者の証言によると、男と一緒にいたという。
その男の顔ははっきりと覚えていないようで、というよりも、帽子にサングラスという出で立ちだったため、顔の特徴を覚えようにも覚えられなかったのだろう。
そんな怪しい男と仲よさそうにしていた少女は、忽然と姿を消した。
そこで、当然だが、紫崎たちはその男のことを調べることにした。
時間と日が経ってしまっているため、調書を読んだところで男のことなどほとんど分からず、裏の方から調べてみることにした。
「ということで、ここはりゅうちゃんの出番だね」
「俺か」
紫崎はパソコンで、普通は見てはいけない場所へとスイスイ入って行き、そこから当時の資料を盗み見る。
当時目撃した男の住所へ向かった柑野だったが、男は引っ越しをしてしまったらしく、今何処に居るかは分からなくなってしまった。
碧羽は当時のことを知っている関係者、主に少女の友人に話しを聞いてみたのだが、やはりこちらも情報を得ることは出来なかった。
碧羽と柑野が戻ってきたところで、紫崎がとある防犯カメラの解析を進めていた。
「りゅうちゃん何してんの?」
「防犯カメラ見てる」
「防犯カメラって・・・。あんなの少し経ったら上から書き変えられてるもんでしょ?何をどうやって調べてんの?」
柑野が、椅子に座っている紫崎の肩に肘を乗せ、少し体重を乗せるようにしてその画面を覗こうとすると、碧羽もひょこっと顔を出してこう言った。
「19年前なら、もうあのシステムが出来上がってる頃だから、防犯カメラ映像は幾らでも解析出来るってことか」
「あのシステムって何?」
柑野がぽけっとした顔で聞けば、碧羽は酷く呆れたような顔を見せる。
その、明らかに柑野を蔑んだような表情に、柑野は思わず何か言い返そうとしたのだが、その前に紫崎の説明が入る。
「防犯カメラの映像は、確かにしばらくすると書きかえられる。でも、今回みたいな時間が経った事件や事故の場合、その証拠が無くなってしまうことを意味する。ここまでは分かるな?」
「そこまでは馬鹿じゃないからね」
「よし。そこで政府は、防犯カメラの映像を警察や警備関係に送ることで、映像を全て保存することにしたんだ。そうすれば、上書きされたとしても、こっちで映像を見つけることが出来るだろ?」
「なるほどね。でも、それってよからぬこと考える奴が出るんじゃないの?映像を書き変えちゃえー、とか」
「そういうことが出来ないよう、映像が送られてきた時点で書き換えブロックが貼られてるよ。まあとにかく、大丈夫ってこと」
「へー」
わかっているのかいないのか、柑野は適当な返事をしていた。
紫崎がしばらくパソコンをいじっているところで、何かを見つけたらしく、碧羽と柑野の名前を呼んだ。
呼ばれた2人が画面を覗くと、そこには防犯カメラのものと思われる映像と、その横に1人の男の顔写真がヒットしていた。
「こいつって、鴻巣馬美弥だよな?」
「どうやら、少女失踪にはあのエリュシオンが関わっているらしい」
その聞き覚えのある単語に、碧羽と柑野はピクリと反応する。
紫崎は顔だけを動かして2人の方を見ると、口角を少しだけあげてこう言った。
「どうする?止めとくか?」
「「・・・・・」」
碧羽と柑野は互いの顔を見合わせたあと、紫崎の方を見る。
「やっぱりあの映像は鴻巣だった」
映像のもととなったカメラのあるもとへと向かっていた碧羽は、当時からそこにあった店に聞きこみをしていた。
すると、当時から働いているバイトの男性が、その日のことを覚えていた。
「なんかー、不倫カップルか何かかと思ってたんですよねー。そしたらー、その子がいなくなった?とかやってて、まじか!って感じでした」
そのバイトは翌日から当時付き合っていた彼女と旅行に行っており、さらには旅行先で骨折してしまったために入院。
警察の聞きこみ時にはその店にはいなかったために、その情報を何処にも伝えられなかったそうだ。
当時付き合っていた彼女とは別れてしまったようだが、今や店長代理として楽しくバイトしている、と言っていたが、それを誰に伝えろというのか。
とにかく、男の目撃者だった。
帽子とサングラスをしていて顔はよく分からなかったそうだが、少女が男のことを呼んでいたため、名前が分かった。
「鴻巣が事件に関与してるってことか?でも、個人が関わってるだけでエリュシオン自体が関わってるかどうかはわかんねぇだろ」
「それは調べていけばわかるだろ」
紫崎の言葉に、柑野はニヤリと、碧羽はわからないが多分少しだけ、微かに、僅かに、口角を上げた。
調査はするなと、肆ヶ内から軽く圧力を受けたような気もするが、あれは聞かなかったことにしようと思う3人であった。
調査を始めてわずか3日程した頃のことである。
「あー、アイスが美味ぇ」
柑野はコンビニに立ち寄ってアイスを買ってから家路に着こうとしていた。
家に着いたらテレビをつけて、お湯を沸かしてカップ麺を食べ、シャワーを浴びてさっさと寝ることを想像する。
溶ける前に無事にアイスを食べ終えた柑野は、ポケットから家の鍵を取りだしてチャリンチャリンと音を出すように指で回す。
「!!!」
指で回していた鍵を空中に飛ばし、それをキャッチしたその時、柑野は身をかがめて何かを避ける。
そしてすぐに曲げた膝で地面を蹴飛ばし前に出ると、掌で地面に触れてその腕に力を入れ、反回転して着地する。
すると目の前に鉄パイプが迫ってきていたため、コンビニの袋を持っている方の腕でそれを受け止めた。
「誰だぁ?てめぇ・・・」
覆面を被った全身真っ黒の男は、ただその目だけがギラリと光る。
その頃、碧羽のもとにも覆面の男が来ていた。
覆面の男が黙ったままで、碧羽も特に何も言わないため、無言のままの攻防戦が続いていた。
人通りの少ない道が好きな碧羽は、街頭さえあまりない場所を歩いていたため、そこを通るのは街頭の灯りに寄ってくる蛾くらいなものだろうか。
ヒュンッ、と風を斬る音が聞こえて来たかと思うと、碧羽の目元にはすう、と一筋の傷が現れる。
「素手相手に武器はどうかと思うけど、正々堂々と勝負するような奴は、こんな場所で襲ってきたりしないよな」
そうぼそっと呟くと、碧羽はため息を吐く。
「あーあ。壊れた・・・」
紫崎のもとにも現れた男によって、いつも碧羽や柑野と連絡を取っているイヤーカフが、男の振りまわしている鉄パイプによって外れてしまい、さらには踏みつけられてしまった。
結構作るのに苦労したんだけどな、と思った紫崎だったが、男はそんなことお構いなしに攻撃してくる。
「今俺を襲ってくるってことは、そういうことだって言ってるようなもんだけど」
素人とは思えない男の動きが、さらに紫崎の思考を活動させる。
10分ほどいざこざがあったところで、近所の人が仕事から帰ってきたらしく、男は捨て台詞も言う事なく去って行った。
部屋に入った紫崎は、すぐさま2人に連絡を取る。
「りゅうちゃんが作ってくれたやつ、ほとんど壊されたし」
碧羽も柑野も、顔に擦り傷程度のものはあれど、身体は少しの打撲程度で済んでいた。
碧羽は目の下に、柑野は鼻の上に、紫崎は額に絆創膏をつけていた。
洋服の隙間からちらっと包帯や湿布が見えるものの、とりあえず骨折などはしていなくて良かったというところだ。
「ま、こんなことで調査を止めるような俺たちじゃないもんねー」
そう言って柑野が笑ったところで、3人の仕事部屋に沢山の書類を持った男たちが入ってきた。
なんだなんだという間に、部屋は段ボール箱でいっぱいになった。
「なんだよこれ」
見たこともないような資料の量に目を血飛沫を浴びたような勢いをつけた柑野が聞けば、3人の仕事だといわれた。
「早く片付けておくように言われた仕事だ。どうせ暇なんだろ、たぬき」
呆然としている柑野の後ろで、早速段ボールに手を伸ばして中を見ている碧羽と紫崎は、冷静にこう言う。
「大人しくしてろってことだろ」
紫崎と碧羽が黙々と仕事を始めてしまったため、柑野はぐぬぬ、と文句があったのだが言えなくなってしまった。
2人がデスクに座って大人しく仕事をしている姿を見て、柑野も仕方なく書類を取りだして自分のデスクの椅子に腰かける。
「紫崎たちが?」
紫崎たちが缶詰状態になっていることを知った幵呂と寐童。
これまでそんなに接点の無かった2人だが、心配になって紫崎の様子を見に行くことにした。
実際に紫崎がいる部屋まで行ってみると、部屋の中で何やら荷物整理をしながら、山積みになっている段ボール箱を漁っている紫崎たちがいた。
しばらくその様子を眺めていたのだが、視線に気付いた碧羽が顔を動かすと、自然と2人と目が合う。
「あ」
碧羽の一言、というよりも一句によって、紫崎と柑野も顔をあげる。
すると、ドアのところでこちらをじっと見ている幵呂と寐童を見つけた。
紫崎は曲げていた膝を伸ばしてゆっくり立ち上がると、頭に巻いていたタオルを取りながら2人に向かって近づいて行く。
そのタオルを腰に適当に挟み、空いた手でお尻やその下辺りをパンパンと叩いて埃を落とす。
「何か用か?」
「いや、用ってほどじゃないんだけど、缶詰め状態になってるって聞いたから、何かあったのかと思って。ていうか、その絆創膏、どうしたんだ?怪我でもしたのか?」
紫崎と幵呂が話し始めたのを見て、碧羽と柑野も立ち上がる。
顔にかいている多少の汗をタオルで拭いながら、紫崎たちの会話に耳を傾ける。
「まあ・・・。実は」
碧羽と柑野の顔にも怪我の痕跡が見えたことで、幵呂と寐童が碧羽たちに目をやると、紫崎もその視線を追って一度碧羽と柑野の顔を見てから、経緯を話すことにした。
見知らぬ男に襲われたことを説明すると、どうしてそんなことになったのか心当たりは無いのかと聞かれた。
紫崎は碧羽と柑野の方を見てみると、「あるみたいだな」と言われたため、後頭部をぽりぽりとかきながら続ける。
一通りの説明を受けた幵呂は、顎に手を当てて険しい顔をする。
「それはまた、面倒なことに首を突っ込んだもんだな」
「本当にな。そのお陰で、こんなに余計な仕事を回されたってわけだ」
「この調子だと、調査に戻るのには時間がかかりそうだな」
「ああ。戻れるかも分かったもんじゃない。1つ終わると別の仕事持ってくるから、エンドレスって感じだ」
「手伝ってやりたいところだけど、俺達も別の事件抱えてるから」
「ああ、いいんだ。これは俺達の仕事だからな。気持ちだけ受け取っておくよ」
ふと、紫崎と幵呂の会話を聞いていた寐童が何かに気付く。
紫崎だけでなく、碧羽と柑野も、以前来たときとは異なる格好をしていたのだ。
厳密に言えば、雰囲気や服装はさほど変わってはいないのだが、紫崎が作ったと見せてもらった装備たちが見当たらないのだ。
耳についていたイヤーカフは勿論、他の装備品も身につけていなかったため、なんとなく紫崎に聞いてみる。
「ああ。男に襲われたときに壊されたんだよ。もっと頑丈に作っておけばよかった。材料費とかまじで馬鹿になんないから」
「なんだ。折角本気で俺達にも何か作ってもらおうと思ってたのに。なあ、幵呂?」
隣にいる幵呂に同意を求めると、幵呂は一度だけ頷いた。
「本当に全部壊されたのか?何か無事だったものはないのか?襲ってきた奴らの顔が映ってるとか、声が残ってるとか」
あれだけ色々あったのだから、1つくらいは無事でもおかしくはないと思った寐童だったが、紫崎は眉をハの字に下げて困ったように笑いながら否定した。
残っていれば良かったんだけど、と付け加えると、自分が時間をかけて作りあげたものが全て壊されてしまったことを鮮明に思いだしたのか、紫崎の表情は少し暗くなる。
というよりも、面白いくらいズ―ン、と沈んでしまった。
それを見て、寐童は「悪い」とだけ言った。
黙り込んでしまった紫崎の肩を、ポン、と一度だけ優しく叩きながらやってきた碧羽の横で、柑野がこう言った。
「お前等何か知らねえか?エリュシオンについて。上が掴んでる情報とかあったら教えてくれよ」
「エリュシオンか・・・。それは極秘扱いされてるから、知ってるのは上層部の限られた奴らだろうからな。そう簡単に情報はくれないだろう」
「そっかー」
すでに一般人にも知れ渡っている施設ではあるものの、その詳細については誰も知らず、知っているのは政府関係者と警察関係者の数名のみと言われている。
なぜ一般人に施設が知れ渡っているのかというと、施設自体は開設当時に公表されており、さらには人体の凍結という未来へのタイムトラベルが出来るということで話題にもなったからだ。
科学の進歩によってなされた業ではあるものの、批判も勿論あった。
しかし、政府や警察が推奨しているという噂が流れ始め、一般人である程度金に余裕のある人たちが、娯楽の一環なのか、それとも夢を持ってなのかは定かではないが、自分という存在が何百年、何千年という未来に行けるなら、という気持ちで応募が殺到したという。
これまでに凍結された人間は、わかっているだけで200名を超えており、時には可愛がっているペットと一緒に未来へ、という者もいたというから驚きだ。
予算も相当回されているらしく、過去の大物政治家や有名歌手、一世風靡した俳優なども凍結されているらしいが、そこの裏付けはなされていないため、なんとも言えない。
「開設された当時は相当ニュースでも流れてたらしいけど、それからすぐに火を消したみたいに話を聞かなくなったからな」
「その頃は批判もあったみたいだし、取り壊しにされたんじゃないかって噂もあったみたいだけど。決定的だったのは、死んだって言われてた芸人が、エリュシオンで凍結されたっていう話があったことだよな」
「あれは確か、その芸人が芸人仲間に『これからエリュシオンに行って凍結されてくるわ!』みたいなメールを送ったって話があったからだよな?実際にそのメールも残ってたみたいだし。真偽のほどは未だ不明だけど」
幵呂と寐童の会話を聞きながら、紫崎は徐々に落ち着きを取り戻したのか、顔をあげて話を聞いていた。
2人の話によると、その芸人のことをきっかけに、エリュシオンという施設が未だ活動を続けていることが分かり、それを知った金持ちたちが予約を始めたそうだ。
自分が一番美しい時、自分が一番輝いている時、自分が一番若々しい時、自分が一番幸せな時、など時期は様々であるが、とにかく、未来で自分が目覚めたときに最も良い状態になるようにと考えているらしい。
一方、エリュシオンは誰でも受け入れ可能であることを設立当時に謳っていたため、金持ちだけでなく一般人もどんどん受け入れようと、金額を幾つかに設定した。
食事の松竹梅のように、金額によってレベルの違いをつけるようだが、実際にどのような違いがあるのかは分かっていない。
その詳細が聞けるのは、予約を入れて、凍結するためにエリュシオンの扉を開けたときだと言われている。
予約自体は取り消すことが可能であるが、一度エリュシオンに入ってしまうと、その後の取り消しは出来ない。
そう言ったところで、徹底的に内部のことを外に漏らさないようにしているとも言える。
「エリュシオンについては、利益についても予算についても何も分からない」
「政府公認施設ってことになってるから、確実に金がそこから流れてるってのは分かってるんだけど、詳しいことは何も」
「政府関係者とよほど強い繋がりを持っているのか、警察も深く絡んでいるのか、それとも個人的に繋がっている奴がいるのか、何も分かってない状態だ。それをお前等だけで調べようっていうのがまず無理だったんだよ」
寐童の言葉に、紫崎たちは何も応えられなかった。
紫崎は近くにあった柑野のデスクの椅子を動かして自分の方に持ってくると、そこに座って膝に肘をつけるようにして少し猫背になる。
それを見て、碧羽も自分のデスクの上に軽く座ると、柑野は部屋に沢山ある段ボール箱の上に腰掛ける。
紫崎が何も言わないため、代わりに柑野が何か答えようと口を開いたとき、紫崎が小さく笑ったのが聞こえた。
「そうだよな・・・」
「紫崎?」
「りゅうちゃん?」
ふう、と、疲れた時に出るため息ではないため息を吐くと、紫崎は顔を下に向けたまま話し続ける。
「俺達たった3人、出来ることなんてたかが知れてる。むしろ、出来ないことの方が多いのも事実だ」
その紫崎の様子を見て、幵呂は紫崎に声をかける。
「よくやってきた。こんな端に追いやられても、たった3人で、ここまでよくやってきたよ」
それから少しして、幵呂と寐童は去って行った。
とある暗い部屋で、電気も点けずに男たちが集まっていた。
ここは相当高いビルの中の一室で、なんとかと煙は高いところが好きだと言うが、どちらなのかという質問には答えないでおく。
“特別会議室”と書かれた部屋は、広さで言うとだいたい20畳ほどのそれほど広くはない部屋で、限られた者しか入って来ないからか、特別広く取る必要も無かったのだろう。
そこに集められた男たちは、こんな会話をしている。
「準備は出来てるのか」
「もちろん。俺ってばやること早いもんで。いつだって潰せますよ」
「それは頼もしい。して、そっちはどうなんだ?計画通りに事を進めているか?」
「進んでますよ。そんなに焦らなくたって、いつかは滅ぶ運命の下っ端の駒。それとも、焦ってる理由でもおありで?」
黙り込んでしまい、顔も身体も背けてブラインドが下ろされている窓の方を見ている男に対し、別の男が豪快に酒を飲み、大笑いしながら答える。
「昇進の話が進んでるんだろ!?この仕事に対して正義のせの字も見せねぇ男が、それ以外の理由で俺達集めると思うか?」
「なるほど。ここらで恩を売っておきたいってところですか」
それでも何も言わない男に、他の男たちだけでどんどん会話が進んで行く。
ふかふかの椅子も背もたれにどさっと凭れかかっている男は、ビニール袋から別の酒を取りだすと、同じように椅子に座っている男に呑むかと聞く。
しかし、仕事中だからと断られてしまった。
仕事中なのに呑んでいることを遠回しに咎められていることなど露知らず、男は所構わず再び呑む。
ぐびっと半分ほどを一気に飲んだところで、顔色1つ変えずに唇についた液体を舌で舐めとる。
「今回の件が片付けば、もっと美味い酒が呑めるってことだよな」
「お前の頭はそればっかりだな」
「それ以外に楽しいことが世の中にあるか?罪人のケツばっかり追いかけるより、女のケツ追いかけてる方が俺は楽しいね」
「なんでこの仕事を選んだのか甚だ疑問だ。そしてなぜ採用されたのかも疑問だ」
「そりゃ俺の素質を見抜いたんだろ?」
「素質ってなんだ」
「こういう、厄介者を追いこむ素質?そこに正義があろうとなかろうと、俺はとんと無頓着だから。自分で言うのもなんだけど、ちょっとしたサイコ素質もあると思う」
「確かに猟奇的だよな。それがこっち側にいるってだけで、犯罪者として扱われてないんだから、不思議なもんだ」
「こいつを世に放った方が危険だ。ある程度綱を引いてる人間がいる方が安全っちゃ安全かもな」
「手綱引かれてる馬ってことか?そりゃ俺は種馬として夜の街では結構有名・・・」
「そういう話はしてない」
「あれ?違った?」
「まさか、最近の女性ばっかりを狙った猟奇的殺人事件、犯人はお前じゃないだろうな」
「ああ、“あやなす猟奇殺人事件”のことか?俺じゃねえよ?てかアレ容疑者が犯人で決定だろ?俺ならまず絶対に証拠掴ませるようなことしねぇし」
「そういう問題じゃない」
話が徐々にズレていったところで、話をもとに戻そうと窓の外を眺めていた男がようやく口を開く。
男にみられたことで、椅子に座っていた男たちは、1人を除いて背筋を伸ばす。
「お前達の不祥事なら俺が握りつぶしてやる。どんなに不正な事をしても構わない。早く俺の望む景色にしてくれ」
ピリ、とした空気が漂っている中、たった1人、この空気を感じているのかいないのか、マイペースにこの密室でサバ味噌の缶詰を食べようとしている男。
プルタブを開けると、中から味噌の良い匂いが部屋中に広がって行く。
コンビニで貰った割り箸を横に口に咥え、それを手で引っ張って使える状態にすると、遠慮などまったくせずにサバを食べ始める。
一口食べたところで、ビニール袋からピーナッツの袋を取り出して開けると、指で何粒かつまんで頬張る。
それから頬杖をつき、楽しそうに笑う。
「俺を自由に使うのもあんたの権限の1つなんだろうけど、あんたがもし、万が一にも俺を裏切ろうってなったら、俺、何するかわかんねぇからな?」
割り箸の先を上下に動かながらそう言う男に、立っている男は再び窓の方に身体を向けながら答える。
「俺がお前達を裏切る?そんなことは有り得ない」
その答えに満足したのか、箸を動かしてまたサバを食べ始める男の近くで、別の男たちもまた納得したような顔を浮かべる。
それから男たちは特にこれといった大切な話をするわけでもなく、各々がそれぞれのタイミングで部屋を出て行った。
残った男も部屋を出ようとすると、そこに一本の電話がかかってきた。
手にビールを持ったままの男は、すれ違う人達に怪訝そうな表情を向けられたが、そんなものには気にも留めず、ただただ楽しそうに微笑んでいる。
「さーてぇ・・・。最高の一杯を嗜みにいこうじゃねえか」




