01 望まぬ召喚
……あれ? 何が、どうなったんだっけ?
ぼんやりとした視界のまま辺りを見回す。
ボロいテーブルと椅子が何組か置かれていて、潰れかけの喫茶店の様相を呈している。
どこだここ? て言うか、俺は何でこんな埃っぽくて薄暗い部屋に座っているんだぜ?
「ほっ、本当に召喚されたっ?」
「っ!?」
声に驚き振り返ると、そこには獣耳と尻尾を有した、小柄な美少女が驚愕の表情を浮かべて俺を見下ろしていた。
けもみみ美少女……だとっ!?
俺はあらゆる疑問と思考を放棄して、目の前に居るファンタジーな存在に目を奪われてしまった。
かわいい系の整った顔立ちで、ゆるふわにカールされた亜麻色の髪が胸元へ流れ、立体的な曲線を描いている。
有り体に言っておっぱいだ。
ロリ巨乳で獣っ娘か……何という贅沢丼。プリン体過剰で痛風になっちまうぜっ……って、何だこの子は?
「あ、あなたは、私の願いに応えて召喚された英傑かっ?」
そして、その女の子は意を決したように両の手をぎゅっと握りしめて、期待感に満ちた表情で、そんなわけのわからぬ事を言ってくる。
は? 英傑? 何いってんの?
「……いえ、違いますけど?」
「……え?」
「えっ?」
俺と目の前の少女は、互いに意味がわからん、と行った風に聞き返し合った。
何だこれ。何だこれ。何だこれっ!!
いや、落ち着け。落ち着いて状況を整理しよう。……そうだっ! 確か宝くじが当たって、人生勝ちゲーになった筈だ。それから、それから……。
「……っ。……るのっ?」
そうだ。確かしょうもない欲望を綴ったコピー用紙をまるめてゴミ箱に投げたら、いきなり凄い光が部屋を包んで……。
あれ? もしかして、もしかしなくても、これって……。
目の前には、ファンタジーなケモミミ美少女。そして、俺の足元に描かれた幾何学かの魔法陣。これらの情報から導き出される答えは……。
はははっ、御冗談を。
現実にそんな事が有るはずがない。夢に決まっている。
うむ。夢の中で夢と気付けた、これは明晰夢ってやつだな。ならば、目を閉じて違う状況を想像すれば、すぐに場面が切り替わる筈だ。
高鳴る鼓動を抑えて、静かに目を閉じた瞬間。
――っ!?
襟首を引っ張られ、ゴっ! と鈍い音と共に、頭に鈍痛が走った。
「いーーーってぇっ!?」
痛みに目を開けると、そこには俺と同じく額を抑えてうずくまる獣耳少女の姿があった。どうやら俺は頭突きされたらしい。
くっ。まじで痛え。いや、ちょっと待てよ。痛みがあるって事は……っ!?
俺は額をさすりながら、嫌な汗が背中に滲んでいくのを感じていた。
「無視すんなっ。私はこのギルドのギルマス、コロモ・ユニエール。あなたをこの世界に呼び寄せた召喚主よっ」
コロモという名らしいケモミミ少女は、涙目のまま居住まいを正すと、ビシッとその細い指を俺に向けた。
召喚主? じゃあ、この獣耳少女に俺は召喚されたってことか?
「……まじですか?」
「まじよ。あなたには、これから私の願いを叶えるためにギルドで力を振るってもらうわ」
………………。
「ちょっと? 聞いて――っ!?」
「ふざけんなああああああああぁーっ!! 今すぐ俺を元の世界に帰せっ!! 俺の6億円と夢の生活を返せえええええええっ!!」
俺は少女に掴みかかり、その小さな体をガタガタと揺さぶる。
「なっ、ちょっ、やめてよっ! 揺すらないでっ。て言うか何? あなた本当に英傑じゃないの?」
「英傑っ? ばっかじゃねえのっ! そんなの居るわけねえだろっ! こちとら幸せを手に入れたばかりの善良な一般市民なんだよっ!」
「はぁっ? 一般人っ!? なんでそんな奴が召喚されてくんのよっ! こんなの詐欺よっ! 返してよっ! 私の召喚札返してよぉっ!」
コロモというらしい少女は言って、俺の手を払いのけると、すがるように掴みかかってくる。
「ざっけんなよっ! それはこっちのセリフだんだよっ! 今すぐ俺を元の世界に帰しやがれっ!」
俺は6億円当てたんだ。本当ならば、毎秒勝ち続けている勝ち組として、オシャレなマンションで寿司の上に寿司を乗せて食っている筈なのだ。
それがどうして、こんなところで、獣耳少女と取っ組み合いをして、息を切らしているのか。
くそがぁっ!
「……あっ、あんた今、どさくさに紛れて胸触ったでしょっ!?」
コロモは、しゅばっと俺から飛び退くと、ワンピースの肩紐が片方外れた状態で、油断なく構えを取る。
「うるせえっ! 等価交換だっ……いや、6億円とおっぱい一回触ったくらいじゃ釣り合わない。キスもさせろっ!!」
「っ! 私とした事が、とんだ変態野郎を召還してしまったみたいね」
少女はごくりと喉を鳴らして、嫌悪感丸出しで睨んでくる。
そうだ。この女のせいで、異世界召喚と言う普通に生きてりゃ百パー達成不可能な実績を解除してしまった。
無論、宝くじを当ててなかったら、こんな展開で獣耳美少女と異世界なら泣いて喜んだかもしれない。
でも、俺は確かに6億円当てたんだよ。今更、死と隣り合わせの危険な異世界で一からやってられっか。
「……本当に、英傑じゃないの?」
コロモは、少し冷静になったのか、しょんぼりとした様子で聞いてくる。
そうだ。いきなり異世界召喚キメられて混乱していたが、しっかり説明して元の世界に帰してもらおう。
誰にだって失敗はあるさっ。
「ああ。取り乱してすまなかった。悪いけど俺は本当にただの……平民だ。魔物と戦ったことなんてないし、魔法も剣も使えない。この世界の事もわからない。そんなわけだから、俺を元の世界に帰してくれないか?」
俺は、無駄に彼女を期待させないよう、村人相当であることを精一杯アピールしておく。
「……はぁ」
コロモは大きく一つ特大のため息をついて、落胆した様子だ。もうひと押しだな。
「君との出会いは僅かな時間だったけど楽しかった。一生忘れないよ。もし、またどこかで出会うことがあったなら、その時は必ず君の力になる。約束するよ」
小窓から差し込む日差しが、けもみみ美少女と俺の間を照らし、幻想的な別れのシチュエーションを演出している。
こないだやったエロゲーにこんな別れのシーンあったな。やばい、ちょっと感動してきた。
「……無理」
「はっ?」
今何て言いましたかね?
「無理って言ったのっ!」
「……いやいやいや、ご冗談を。今、良い感じの雰囲気だったじゃん? ご都合主義的に俺をお家に帰す流れ作ったじゃん?」
元の世界に帰れない? まじで? 6億円がベッドの上で待ってるのに?
「召喚されたからには、召喚主である私の願いを叶えるまで帰れないのよ」
この獣っ娘の願いを叶えるまで帰れない……だとっ?
いや、無理っすわ。せっかく人生がイージーモードになったってのに、異世界で一からハードモードとかむりむりかたつむりっすわ。
「何とかなんないの?」
「ならないわ」
「……絶対の絶対に無理なの?」
「絶対の絶対に無理よ」
即答かよっ。
「いくらなんでも理不尽すぎやしませんかね?」
「悪いとは思っているわ。でも、私もあんたみたいな変態の役立たずが召喚されて十分絶望してるから」
コロモはこめかみのあたりをぐりぐりしながら、見下すような眼を向けてくる。
ぐっ。この獣耳ビッチがぁっ。段々腹たってきたぞ。何で勝手に召喚されてそこまで言われなきゃならんのだ。
俺の秘奥義スーパーでこぴんを炸裂させてやろうか。
……いや待てっ。落ち着け俺。召喚主とやらにどんな権限があるかもわからない。下手に刺激して奴隷としてこき使われる、なんてことは絶対避けないとな。それに案外コロモの願いは大した事ないかも知れないじゃないか。
まさか、魔王を倒して欲しいとか、そんなくそテンプレじゃあるまい。
俺は頭を少し切り替えることにした。
「よくわかんねえけどわかった。んで、お前の願いってのはなんなんだよ? 俺との性行為か?」
俺は、やれやれ仕方ない、とズボンのチャックを下ろしながら、大事なことを確認する。
「そんなわけないでしょ? バカなの?」
コロモは胸を隠すように身体を斜に構えて、キっと睨んでくる。
しまった。欲望が先行してしまったか。
「じゃあ、何だよ? なるべく早く終わらせて帰りたいんだが」
「……ギルド」
コロモは、消え入りそうな小声で、ぼそっとつぶやいた。
「え?」
「このギルドをSランクにすることよっ」
コロモは少し恥ずかしそうに、おんぼろの室内を見渡したあと、はっきりとそう言った。
「ギルドってあれか? 冒険者がクエスト受けたりとかする」
「うん。それ」
そういや、ギルドマスターとか言ってたな。
「ていうか、ここギルドなのか? てっきり潰れた喫茶店かと思ってたぞ」
改めて室内を見渡してみたが、俺の知ってるギルドとは大分様子が違う。
「うるさいわねっ! 昔は繁盛してたのよっ」
コロモは、ムキー、と怒って抗議してくる。
「つまり、この豚小屋をSランクギルドにするって言う願いを叶えない限り、俺は元の世界には帰れない。そういう事だな?」
「……うん。この豚小屋を……ってどこが豚小屋よっ!!」
ノリツッコミか。意外と面白いやつだな。
「で、よく仕組みはわからんが、今のランクはどのくらいなんだ?」
「一番下の、Fランクよ」
コロモは、言いたくないことを捻り出すように言って、視線を逸らす。
「それで、反則級の強さを持った英傑を冒険者にして、ギルドのランクを上げようとしてたのか」
「ううん。それは過去に私のおじいちゃんが英雄召喚札を使って失敗してる。私が使ったのは英傑召喚札。才知に優れた者を召喚して、ギルオペやってもらおうと思ってたの」
コロモは、そうじゃない、と俺の考えを否定する。
「ギルオペ? なんじゃそりゃ?」
「ギルドオペレーター。冒険者をダンジョンに送ることができる唯一無二の存在よ」
冒険者をダンジョンに送る? それだけ?
「じゃあ、あれか? 俺は実際にモンスターと戦わなくていいってことか?」
「モンスターと戦うのは冒険者。ギルオペの仕事はダンジョンの外から、スキルのタイミングとか戦術を伝えてクエスト達成に導く事よ」
なるほど。数々のネトゲでギルマスを務め、指示厨として忌み嫌われてきた俺にうってつけの仕事ってわけだな。
珍しく早朝にログインしたら、チャットログに俺の悪口が残っていたのを見て引退したのは良い思い出だ。
「わかった。そういうことなら、俺は英傑かも知れんぞ?」
「えっ?」
この世界がどんなかはわからないが、魔法、スキル、魔物、冒険者のクラス、そういった事の知識なら誰にも負けない自信がある。
「どういうことっ? あんたやっぱり英傑だったの?」
「かも知れないってだけだ。まあ、とにかくギルオペってのやってみるわ」
何より他に方法がないなら仕方ないしな。これも6億円の生活を前に、神が与えた試練だと割り切るしかなさそうだ。
「……」
「ん? どうした?」
コロモは押し黙ったまま、じっとこちらを見つめてくる。
「あんたの名前、教えてよ」
「ああ、一ノ瀬律だ。リツでいいよ」
「リツ……イチノセ? 変な名前ね」
コロモは片眉を釣り上げながら、そんな失礼なことを言ってくる。
「名前がこどもなやつに言われたくない」
「なっ!? 誰がこどもよっ! 私はコロモっ。コロモ・ユニエールよっ」
コロモは憤慨して地団駄を踏んだあと、すっと口元を緩めて手を差し出してきた。
「これからよろしくね」
おお。なんか物語の主人公にでもなった気分だ。
「お、おう」
何だかちょっと緊張するが、俺はその小さな手を取り握手を交わした。
だが、コロモはちょっと感動している俺の手を握るやいなや、
「ひぇっ。何かリツの手、湿ってて気持ち悪いっ」
心底嫌そうな顔をして、さっと手を引っ込めた。
さすがに傷つくわっ!