優しい醜い姫と流星群の夜
屋上へ一人で向かいながら、コーディアルはフィズ皇子の言葉を何度も思い返した。
——コーディアル様と私はちっとも親しくなれてませんので、至極当然。そんな男と、二人で星を眺めるなど気が乗らないでしょう。
——コーディアル様と私はちっとも親しくなれていませんので
——二人で星を眺めるなど気が乗らないでしょう
——二人で星を眺める
突然、ハンナやラス達がコーディアルにドレスを着せるので理由を尋ねた。中々答えないので、詰問のようになった。それで、フィズ皇子がこっそりとコーディアルの誕生会の準備をしてくれていたと知った。それが、二人で星を眺める?
「くだらないなんて、何でそんな言葉を選んでしまったのでしょう……」
フィズ皇子の、あまりにも悲しそうな表情が脳裏によぎる。親切心を無下にするなど、最低。朝から晩まで働いて、疲れているフィズ皇子が心配だった。コーディアルの誕生会など、今年は開催する必要が無いのでしなかっただけ。それだと機会がないので、側近や侍女達、それにフィズ皇子や彼の家臣達を労う計画はきちんと立てていた。だから、つい口から出た。コーディアルの誕生会など、不必要だから「くだらない」と。あれではまるで、フィズ皇子の企画を貶したようなもの。
「いつも、不思議な方……。あのように、誰にでも分け隔てなく与える者になりたいわ」
呟くと、また脳内にフィズ皇子の言葉が反響した。
——そんな男と、二人で星を眺めるなど気が乗らないでしょう。
つまり、フィズ皇子はコーディアルと星を眺めたかった? 二人きりで?
——私はそれはもう楽しみにしていたのに貴女様は……。
何だかよく分からない。フィズ皇子がこの領地を助けに来てくれて約一年。随分と領地は良くなった。民は飢えてなさそうで、治安も向上。城裏の山脈から水を引く、水路も完成間近。城裏の畑は予定よりと、うんと広くなっている。新法案に、新しい医学知識も増えた。フィズ皇子とまではいかないが、コーディアルは自分なりに彼の背中を追った。だから、そんなに二人で話をする事は無かったけれど、盟友と思ってくれているのかもしれない。そろそろ帰るから、その前に二人で星空を眺めよう。そんなところだろうか?
城の屋上に足を踏み入れると、ソファが置いてあった。その下には赤い絨毯。ソファの脇にはテーブル。近寄ってみると、何だか暖かい。簡易式の暖炉が置いてあった。ソファの上には裏地が羊毛のブランケット。
「まあ、星を眺めるのにこんな……」
ふと、空を見上げる。雲一つない夜空に煌めく星。それが流れ落ちる。次々と、雨のように降る光。また、星が闇夜を横切った。コーディアルはしばらく声を失った。目を瞑り、流れ星に願う。両手を握りしめて、強く祈った。
「土は豊かに、緑が芽吹いて実がなりますように。民の幸福が、少しでも長く続きますように。懸命に働くフィズ様や、彼の家臣の方々に、城の者達に、隣国に、相応しい命の輝きが訪れますように……。もっと励みます」
サワサワと足元に気配を感じ、コーディアルは目を開いた。
「レージング様。いつも気にかけてくださってありがとうございます。レージング様のことも祈りますね」
レージングが浮腫んだ足を労うように、優しく頬を寄せてくれた。手を伸ばして、レージングの頭を撫でる。
「コーディアル様」
名を呼ばれ、振り返る。フィズ皇子の家臣であるアクイラとオルゴが、扉前に並んで立っていた。アクイラがコーディアルへと近づいてくる。
「こんばんはアクイラ様」
「コーディアル様、失礼を承知でお願い申し上げます」
真剣な眼差しに、コーディアルは体の向きを変えてアクイラと向き合った。フィズ皇子と共にそれはもう熱心に働いてくれている男。扉前で直立しているオルゴもそう。侍女達の何人かは、彼等に見初められたいと密かに胸をときめかせている。勤勉で働き者なうえ、彼等は愉快。朗らかながら豪快。見ていて飽きない。隣国の話も聞いていて楽しい。
「いえ、失礼など何一つ無いと思います。毎日、毎日、世話になっています。何なりとお申し付け下さいませ。オルゴ様もです」
「それでは、遠慮なく。そちらのソファなど、フィズ様がお一人で準備されました。どうしても自分だけでと我儘を申すので放置致しました。どうかお掛け下さい」
お掛け下さい? 疲れているのは彼等だと思い、そう告げようとしたらアクイラが一歩前に進み出て、首を横に振った。
「コーディアル様の為に用意されたソファですので、絶対に座って下さい。いえ、座りなさい。何なりと、と申されました」
アクイラは指でソファを示して、おまけに顎も座れというように動かした。このような礼節知らずな方ではないのは知っている。何か怒らせたのだろう。
「申し訳ございません。何か不快な思いを……」
「そうでございます。座っていただかないと怒ります。そもそも、コーディアル様がフィズ様と我が国にいらしてくださらないことが不満です。皇帝陛下や皇子様方から再三、帰国せよと手紙が届いております」
コーディアルの胸が強く締め付けられた。やはり、そうなのか。フィズ皇子のような者を異国の僻地に置いておきたいなど、誰が考えるだろうか。ましてや隣国の皇帝陛下や皇子達はフィズ皇子の家族。帰国せよ、には会いたいという意味も含まれているだろう。
「申し訳ございませんアクイラ様。フィズ様に甘えて……」
「いいえ。全くもって見当違いです。まずは座りなさい」
今度のアクイラはコーディアルを見なかった。代わりにレージングの尻尾が手首に巻きつく。レージングがソファまでコーディアルを引っ張った。アクイラがコーディアルの前まで移動してきて、肩を押してソファに座らせる。少々乱暴な手つきだったが、アクイラはコーディアルの膝にブランケットを掛けてくれた。レージングがコーディアルの隣に座った。
「あの、ありがとうございます」
「いいえ、我が女王陛下。このアクイラ、例え心臓に刃を突きつけられようと貴女様の盾となります。それが騎士です」
燃え上がるような、黒い瞳がコーディアルを貫く。
「我が……女王陛下……?」
「そうでございます。コーディアル様はフィズ様の伴侶です。我が主には勿体ないくらいの方です。生物、植物研究やら、市街地で医者の真似事をしていたフィズ様を見事に人の上に立つ者に育てて下さり、我が国としては頭が上がりません。皇帝陛下がフィズ様に領地を与える予定で、首を長くしてお待ちしております」
予想外の言葉に、コーディアルはあんぐりと口を開いた。
「この地に住まわなくても、夫婦継続なら協定破棄にはなりません」
背中から、オルゴの声が届いた。
「そうですコーディアル様。貴女様がこの城や領地、従者や民をそれはもう愛しておられるのは存じ上げております。しかし、貴女様は我が国の妃でもあるのです。何故、我等の国には手を差し伸べて下さらない。一度も見てもいない国を嫌っておいでです? かつては敵国で、この地の騎士も散っていった。お気持ちは分かります」
「しかしながら申し上げます! フィズ様はそのような禍根からは目を背けて、この地を愛するように努めてまいりました。好きでもない料理に精を出し、パンなどこねる。裁縫も毛嫌いしていらっしゃるのに、針糸と格闘。コーディアル様も同じように我が国で励んで下さい」
アクイラとオルゴの真剣な眼差しに、恐れ慄く。言われている意味を考えてみる。フィズ王皇子を帰国させたいのと、フィズ皇子は多くの嘘をついていることは分かる。思わず立ち上がろうとしたら、膝の上にレージングが上半身を乗せてきた。
「申し訳ございませんアクイラ様、オルゴ様……。誤解もあるようなので……」
「誤解? 私達は何度も何度もフィズ様を説得しました。その度に、フィズ様はコーディアル様はこの地を離れたくないのだから帰らない。一生帰らない。コーディアル様の隣に並ぶ。その一点張りです。夫婦ですから、勿論話し合いをしていると思いましたが、フィズ様が頑ななのでこうして直訴にまいりました。様付けはおやめください。我等は貴女様の下僕です」
「そうです。オルゴと呼んで下さい。それから本国に帰国し、新たな領地を治める際は是非私を近衛兵長にして下さい」
「おいオルゴ! 近衛兵長は俺だ。お前は副近衛兵長。俺の下だ。コホン。話が逸れました。コーディアル様、フィズ様を呼びますのでよくよく話し合って下さい」
立ち上がったアクイラが、レージングの背中を優しく撫でた。体を捻って、後ろを見る。アクイラとオルゴと入れ替わりで、ハンナとラスが屋上に現れた。ハンナは手にティーセットを持っている。ラスは何か乗っているお皿。丸くて白い物。あれは、何だろう。
「コーディアル様、紅茶をご用意致しました。フィズ様が選びに選んだ品だそうです。余りは皆でと申してくださいました」
「お待たせ致しましたコーディアル様。フィズ様はまだいらしていないのですね。こちらのお菓子もフィズ様が祖国からわざわざ取り寄せたそうです。それにしても、星降る夜に二人で空を眺めるとは、ロマンチックでございますね。羨ましいですわ」
呑気そうな二人に、コーディアルはまくし立てるようにアクイラとオルゴからの話を説明した。何が何やら分からない。何故、自分がフィズ皇子と共に隣国へと望まれているのか? そもそも、フィズ皇子も変だった。その事も話す。二人で空を眺める? ロマンチック? 誕生会と聞いていたが違うのか?
「確かに誕生会でございますよコーディアル様。まあまあ、それだと多分アクイラとオルゴは……」
バァンと大きな音がして、扉が開いた。レージングが膝に乗っているので上半身しか動かせない。振り返るとアクイラとオルゴがフィズ皇子の両腕をガッチリ掴んでいる。次の瞬間、フィズ皇子はポイッと投げ捨てられた。それなのにハンナとラスは楽しそうに笑いながら、床に座るフィズ皇子を無視して屋上から去っていった。無言のアクイラとオルゴも同様で、フィズ皇子を残して屋上の扉を閉めてしまった。
罰が悪そうなフィズ皇子が、ゆっくりと立ち上がった。何も言わず、コーディアルに背を向けて屋上の扉を叩く。返事はない。扉は押しても開かないようで、肩を下ろしたフィズ皇子がコーディアルの方に体を向けた。
「すみませんコーディアル様。皆を呼びに行ったのに、アクイラとオルゴが悪知恵を」
髪を掻きながら、フィズ皇子は眉尻を下げて俯いた。
「悪知恵? あのフィズ様。先程アクイラ様とオルゴ様に……」
「アクイラとオルゴです! 様を付けない! それとも我等が守護騎士とは不満ですか!」
扉の向こうからアクイラの怒声が飛んできた。
「アクイラ、貴様! コーディアル様になんて言い草だ! そもそもお前達は守護騎士ではなく私の目付監視だろう! コーディアル様の守護騎士はこのフィズだ! 毎日、毎日、自重しろ!」
扉に向き合うフィズ皇子が、拳を握りしめて扉を叩いた。
「嫌ですね! 近衛兵長にしてくれると約束したのにちっともだから、私はコーディアル様に祖国で出世させてもらうことにしました! 意気地なしのフィズ様の目付け監視などという子守はもう沢山です! 皇帝陛下もフィズ様とコーディアル様を連れてきたら出世させてくれると申してくれました!」
「おいオルゴ! お前、抜け駆けしたな! お前は副近衛兵長という約束だろう! しかし良くやったアクイラ。コーディアル様に直談判とは実に勇敢だった」
フィズ皇子が拳を少し下ろし、その後わなわなと震え出した。
「貴様等! 私を無視して何の話をしたのだ! 直談判とはどういうことだ! コーディアル様を追い詰めるような極悪非道、解雇するぞ!」
「それならコーディアル様に再雇用していただきます! この地で楽しく暮らすのです!」
「フィズ様より余程我等の方が親しいので問題ありません! コーディアル様は私達を雇うでしょう! なにせ民が潤います! この地では妻も手に入りそうです!」
これはどういうことなのか。コーディアルはポカンと三人の声だけの喧嘩らしき会話を聞く。こんなフィズ皇子、初めてだ。どちらかというと寡黙で、ニコニコしているフィズ皇子の意外な激しさ。それに、この地で楽しく暮らすというアクイラの声。妻が手に入りそうというオルゴ。帰国するという話ではなかったか?
「臆病者!」
「小心者!」
「今夜は逃がしませんよフィズ様!」
「そうですフィズ様! いい加減にして下さい!」
訳が分からなくて途方にくれていると、静かになった。コーディアルは無言でフィズ皇子の背中を見つめる。背を丸めて、扉に寄りかかっているフィズ皇子。コーディアルの膝の上で、レージングが小さく鼻を鳴らした。