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勘違い皇子は歩み寄りたい

 この領地はとんでもない。毎日毎日腹が立つ。フィズは今日も怒っていた。台に思いっきりパン生地を叩きつけた。もう、一年経つがちっとも領地を好きになれない。


「聞いたかアクイラ。街での噂の酷いこと。コーディアルの真心を何だと思っているんだ!」


 真顔でパン生地を丸めるアクイラは無表情。隣のオルゴは眉根を寄せている。


「まあ、これだけ奉仕されているのに感謝どころか足りないと騒ぐ。真実と異なる誹謗中傷。姫が醜いから、王に見放されているなどとは呆れて物が言えません。ですから、フィズ様。コーディアル様を伴って国に帰りましょう」


 オルゴが大きくため息を吐いた。アクイラが手に持つパン生地を睨みつけた。


「そうですフィズ様。この城の献身的な従者達を選んで、帰りましょう。皇帝陛下や皇子達には、フィズ様の力添えが必要です。帰国せよ。そう、何度も手紙が送られてきてますよね? 隠していても知っていますよ。別にこの地に住まわなくても、夫婦継続なら協定破棄にはなりません」

「未だコーディアル様を口説き落とせないようですが、いつまでも恥ずかしがっているからです。こそこそ影でコーディアルと呼び捨てにして情けない。単なるボランティアだと思われていますよ。コーディアル様を連れて帰国しましょう。続きは祖国で。コーディアル様も、我が国の皇居での暮らしに感激して、フィズ様の勤務姿にも胸打たれましょう」


 フィズは手を止めて、すまないと頭を下げた。アクイラとオルゴの、冷ややかな視線が辛い。二人の、帰りたいという気持ちを全然見抜けていなかった。


「帰りたいなら帰りなさい。我儘に付き合わせてすまない。私はここに居る。コーディアルはこの土地を好いておられる。山脈の雄大さに、なだらかな丘の街並み、広大な海原。母君との思い出が詰まった城。私はコーディアルから奪いたくない。下心がバレバレだから、心動かしてくれないのだろう。私はこの土地の卑しい、腹が立つ民ごと愛するように努める。そうすれば、コーディアルに負けない偉大な者になれる」


 アクイラとオルゴが顔を見合わせて、肩を揺らした。


「はいはい、フィズ様。まあ、この城の者の大半は我等に友好的で親切です。特に侍女達などチヤホヤしてくれる。貴方を置いて帰りたいなどとは思っていませんよ」

「そうだな、オルゴ。昨年、寒かろうと手製の手袋をもらった。今年は靴下だ。何でも、コーディアル様がセーターを解いて毛糸を用立てたとか。あの方は、何でもかんでも与えてしまう。フィズ様が隣にいるくらいで丁度良いでしょう」


 何だって⁈ フィズの眉間に自然と皺が寄った。


「昨年の手袋に、この間の靴下は民から貰った。私はコーディアルからそう聞いたぞ」

「コーディアル様はすぐに嘘をつきます。私はエイミーから聞きました。エイミーはラス。ラスはハンナ。ですので、確実な情報ですよ。フィズ様が本国から送ってもらった宝飾や手袋は、先日いらしたローズ姫が持ち帰りました。あとその侍女達」


 オルゴが丸めたパン生地に切れ込みを入れて、苦笑いした。またしても、何だって⁈


「卑しい侍女もおりますので、コーディアル様に嘘をついて巻き上げてしまったのです。美しくても、あんな女は御免です。コーディアル様の調度品をあれこれ巻き上げて。ハンナが激怒していましたよ。以前かららしいです」

「私がフィズ様と狩りに行っている間に、そんなことがあったのか。ふうん、あの絶世の美女にフィズ様が嫌な顔をする筈だ。おいオルゴ、次に同じことがあったら領主代理として戦え」


 アクイラがオルゴに軽く体当たりした。


「勿論、バース様や侍女達に並んで皮肉や文句を言おうとしたさ。しかし、コーディアル様がニコニコと渡してしまうんだ。あんなの、どうしろと。薬湯用の薬草だけは死守した。コーディアル様の後ろで、気づかれないように殺気放ってやった」

「やるなオルゴ! よし、本国からお前の兄弟も呼び寄せて騎士団を再編成しよう。軟弱で治安維持が出来ていないのが気になっていたんだ。フィズ様がこの地に骨を埋めるなら、もっと整備しないとならない」


 フィズは感極まって、泣きそうになった。しかし、男たる者、泣き顔など見せるべきではない。


「私はなんて果報者なのだ。よし、ここは勇気を出してコーディアルにもっと近寄る努力をする。側近達に用無しと言われる恥晒しも御免だ」


 拳を握り、天井に向けて突き上げる。


「はいはいフィズ様。うかうかしていると、横取りされますよ。薬湯の効果が芳しいですし、行商が方々でコーディアル様を褒め称えているので、ライバルがうじゃうじゃ湧いて来ます。南の大国、宗教の頂点である御曹司とやらが気にかけてるとか、そんな噂も聞きました」


 何だって⁈ フィズは腕をだらんと下ろした。


「聖人君子だという御曹司のことか? 至宝とまで呼ばれているという? それはまた……。コーディアルの為には良い事だ。しかし嫌だ。断固拒否。私は絶対にこの地位から退かないぞ。例えコーディアルが泣こうと……泣いたら嫌だな。すぐに離縁する。幸せを祝わないとならない。しかし嫌だ。考えただけで吐きそう。おいアクイラ、オルゴ。私はどうするべきだ。心が狭過ぎる。励み足りないようだから鍛錬法を教えて欲しい」


 今までは、勝手に惚れてくれるのが女というものだった。しかし、そんな事はない。フィズにまとわりつくのは、フィズではなく後ろにある地位や名誉に金を求めていただけ。全部捨てたら、誰も見向きもしない。この城の侍女達が誰もフィズに色目を使わないのが最たる証拠。全くモテない。コーディアルにも全く相手にされていない。やはり、驕っていた。穴を掘って埋まるべきだ。


「フィズ様、その面倒臭い自己反省をお止めください。ですから、早く口説き落としなさいと進言しました。鍛錬したいなら、恥ずかしいという気持ちを飲み込んでください」

「畑を耕したり、パンをこねたり、街に出て医者の真似事をしている場合ではありません。指揮官として下々にやらせて、空いた時間でコーディアル様に楽をさせ、褒め称え、愛おしむ。何度も申したではありませんか!」

「そうですフィズ様。コーディアル様にまとわりつくのは正解ですが、代わりに仕事をして、離れては元も子もありません。最後にコーディアル様と会話をしたのはいつです? 三日も前です。侍女達に相談してみると良いと思います」


 アクイラとオルゴにしっしっ、と手で追い払われた。戸惑っていたら、アクイラがフィズからパン生地を奪い取った。


「しかしなあ、アクイラ、オルゴ。あの寄る辺のない小さな手。手当の為に握っただけで、耐えきれなかった。危うく国に連れ去ってしまうところだった。なので、私はコーディアルに触らないように気をつけている。あの宝石のような瞳で見つめられると、言葉が上手く出てこない。心地良い声をずっと聞いていたいのに、コーディアルは私の事が苦手なよう。私とはあまり話をしてくれない。知っているだろう?」


 返事はない。無言でまたもやアクイラとオルゴに手で追い払われる。追い出されるといえば、半年少し前に指輪を返されたときは、コーディアルに追い出されると思って慄いた。無理矢理コーディアルに結婚指輪を返し、忘れたフリをしている。たまに帰れといわれるが、聞かなかったことにしている。時折、なんて最悪な男なのかと眠れなくなる。でも、近くにいないと好きになってもらえる訳がない。休戦協定を盾にこの地位にしがみつくしかない。


「きっと、侍女達経由で権力振りかざして結婚に持ち込んだ事を知っているのだ。もしかしたら、好いた男がいたのかもしれない。あれだ、多分ルイだ。あれは良い男だからな。それかハルベルか? 彼は素晴らしい医者の卵だ。コーディアルは私に対して、ちっとも笑ってくれない。君達とはいつも楽しそうに喋っているのに。あれは何だ。この地に君達を縛り付ける私への嫌がらせか? レージングもそうだ。毎晩、毎晩、コーディアルの寝顔を見ている。何て不埒な狼なんだ」


 ぐちぐち言っていると、オルゴに首根っこを掴まれて食堂から追い出された。しかも背中を殴られた。最近、皇子の威厳も失っている気がしてならない。


「楽をさせ、褒め称え、愛おしむ。楽をさせられていないのがまず問題だ。裏の畑と、水路をコーディアルから奪うしかない。あれを私の仕事だと主張しよう。褒め称えるかあ……それが出来たら苦労してない……」


 思い立ったら吉日。フィズはコーディアルの側近達に相談しつつ、街から働き手を雇うことにした。この城に婿入りして約一年、遠慮していたが、領主として振る舞うことにする。フィズは益々張り切った。相変わらず、照れてしまって、フィズはコーディアルと上手く接触出来なかった。


 そんな、ある秋の夜のこと。


 侍女達に相談に相談を重ね、フィズこそがコーディアルに歩み寄り足りないと判明した。嫌われてもいないらしい。そこでフィズはコーディアルを夜の散歩に誘った。今夜は流星群が見える。そういう情報を旅人から仕入れたので、城の屋上にソファを運び、簡易暖炉も用意した。祖国から、この国では珍しいお菓子を仕入れておいたし、コーディアルが好んでいるという紅茶も手に入れた。

 格好良いと思われたいので、久々に祖国の一張羅を箪笥から引っ張り出した。侍女達に根回しをしたので、コーディアルも普段の質素な服ではなくドレスを纏ってくれる予定。

 コーディアルが無駄だと開催しなかった、今年の誕生会の代わり。


 多分、コーディアルは星が好きだ。良く夜空を眺めている。目を瞑り、歌を口ずさんでいることもある。寝室のベランダから見えるその可愛らしい姿を見たくて、フィズはよくベランダに出る。フィズの寝室のベランダは特等席。ついでに危険がないか見張っている。毎日ではないが、夕暮れから夜になるまで水路を作ろうと励み、星を見ながら歌って帰るコーディアル。手伝いたいが、つい見惚れてしまう。

 レージングが近くで護衛をしながら、時折フィズを咎める視線を送ってくる。全くもって指摘通りで部屋を慌てて飛び出す。毎回そう。レージングには世話になりっぱなしだ。

 共に水路を作るのは楽しい。風が運ぶコーディアルの歌は、とても元気が出る。揺れる美しい髪にたまに見惚れる。一生懸命働いて、素晴らしいと褒めてもらいたいという下心があるのに、よく手が止まってしまう。


 胸を躍らせて、フィズはコーディアルの寝室の扉をノックした。現れたコーディアルと、フィズは目を合わせられなかった。珍しく髪をまとめ上げていて、見慣れないうなじを凝視してしまいそう。昨年の晩餐会で着ていた海色のドレスは、やはりコーディアルの夏空色の瞳に良く似合う。


「あの、申し訳ございませんフィズ様。侍女達が何やらあれこれお願い事をしたそうで……」


 身を縮めて、コーディアルが頭を下げた。どういう事だ?


(わたくし) の誕生会を開催するとか、なんとか……。急にこんな支度をするので問いただしたのです。お忙しいのにくだらない事でお手を患わせたようで……」

「くだらない⁈」


 思わず、大きな声が出た。びくりとしたコーディアルがフィズをそろそろと見上げた。


「私はそれはもう楽しみにしていたのに貴女様は……。ああ、いえ、そうです。そうですとも。コーディアル様と私はちっとも親しくなれてませんので、至極当然。そんな男と、二人で星を眺めるなど気が乗らないでしょう。私は何て浅はかなんだ……」


 フィズはコーディアルに背を向けた。間違えた。そもそもコーディアルは贅沢が苦手。なるべく質素にしたつもりだが、多分、コーディアルの質素とは差があったのだろう。豪華に着飾ってと呆れられたに違いない。


「今すぐ城中の者に声を掛けます。手を休め、コーディアル様と素敵な流星群を眺められる。そう、聞いたら皆が屋上に向かうでしょう」


 そうだ、自分の事ばかりで思い至らなかった。自分がコーディアルなら、そうしたい。


「フィズ様?」


 コーディアルに名を呼ばれ、フィズは振り返った。


「コーディアル様! 屋上へどうぞ! 私が皆に声を掛けておきます!」


 この時間、繕いや食器の洗い物をしている侍女達を呼びに行こう。側近ルイはまた図書室で調べ物をしているに違いない。医者の卵、ハルベルはきっと調薬をしている。労うべきなのはコーディアルだけではない。何故、気がつかなかった。

 

 毎日、毎日未熟だが、コーディアルと少し話すだけで目が覚める。フィズは屋敷中を走り回った。

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