勘違い皇子は愛を囁きたい
フィズ皇子が婿入りしてから約三ヶ月後
★☆
領地は少し、暖かくなってきた。生活に慣れてきたし、コーディアルのことも前よりうんと知る事が出来ている。
領地隣の森で、私はは鼻歌混じりに薬になりそうな草を探す。もうすぐ昼になりそう。
コーディアルは今日、領地北地区の教会で行う炊き出しの準備をしている筈。侍女に任せれば良いのに、きっとスープを作っているだろう。
「レージング、私もコーディアル様の手製のスープが飲みたい」
木に登って日向ぼっこをしている、黒狼レージングに話しかけた。艶やかな黒い毛が、微風に揺れている。実に気持ち良さそう。
「しかしなあ。城で裕福に暮らしているのに、炊き出し用のスープが欲しいとは言えない」
レージングは目を瞑って、私を無視している。
「味見だとか、理由をつけて台所へ行けば良いではないですか」
レージングの代わりに返事をしてくれたのは、側近のアクイラ。
「新婚早々、別室。それも、正反対の寝室。フィズ様、最後にコーディアル様と会話をしたのはいつです?」
「俺が答えようアクイラ。フィズ様がコーディアル様と最後に会話をしたのは、四日前。その前は五日前。お休みなさいを言うだけの為に、本を片手に一時間も廊下をうろうろしていた」
もう一人の側近であるオルゴが、愉快そうに肩を揺らす。
「コーディアル様はもうお休みになられているのに、うろうろ、うろうろ。あれは愉快だった。なあ? オルゴ」
「ああ、アクイラ。それから、寝間着姿を直視するべきではないと、壁影から眺める。それこそムッツリだというのに、コソコソ隠れている。全く、そんな男に育てた覚えはありませんぞフィズ様」
乳兄弟のアクイラ、アクイラの幼馴染オルゴが顔を見合わせてゲラゲラ笑う。はっきり言って、面白くない。
護衛兼目付け監視役のこの二人は、私のことを毎日のように嘲笑う。育てられてなんていない。共に育った、だ。親友だと思っているが、何て友。恋路を邪魔するなら馬に蹴られろ。私の愛馬パズに蹴らせてやりたい。
コーディアルにフィズの長所を教えないどころか、短所を吹き込んでいるという噂も耳にした。実に腹立たしい。
アクイラが鍬を木に立てかけて、フィズに近寄ってきた。
「コーディアルよ、評判の良いスープだと聞いた。是非、味を確認したい」
アクイラが、大袈裟な仕草で、歌うように告げた。また、芝居口調で私を笑うらしい。
「まあフィズ様。評判の良いだなんて、ありがとうございます。良くしたいので、お願いします」
オルゴがアクイラに手を伸ばして、高い声を出した。ムカつく二人を睨みつける。
「コーディアル様だアクイラ。コーディアル様はそんな濁声ではないオルゴ。あの至極の声を真似るなど無理。大体何なんだ。お前ら二人は毎日、毎日、コーディアル様と楽しそうにして。見せびらかし教育は止めろ」
突然、頭を叩かれた。真横にレージングが降り立つ。頭を殴ったのはレージングの尻尾のようだ。レージングは私を見上げ、鼻を鳴らすとタタッと駆け出した。
「レージング! お前まで私を笑うな!」
レージングは一瞬足を止め、振り返り、ニヤリと笑った。単なる狼なのに、実に人間臭い表情。大狼という種族は、実に奇妙な生物だ。
「毎日励んでいるのに、どうしてコーディアル様と離れていくんだ?」
私を嘲笑ったレージングは、コーディアルととても親しい。小憎たらしい狼め。
しゃがんで、木の根に生えるキノコを見つめる。ん? これは見たことがない。何か利用法はあるのか? 食用になるなら、栽培したい。食べられないなら薬の材料になるか検討しよう。
「フィズ様が、よく部屋にこもっているからです。それに早朝の鍛錬もですね」
「そうです。アクイラの言う通りです。連日連夜、勉学に勤しむのは感心です。しかし、夫婦なのに会話しなくてどうするのですか?」
顔を上げると、アクイラとオルゴが、揃って肩を揺らした。呆れている。そう顔に描いてある。私は目の前のキノコを木の根からむしって、腰につけている袋に突っ込んだ。
「夫婦、かあ……。コーディアル様は私を家臣だと思っておられる。私が話しかける度に、悲しそうな、苦しそうな表情をするのはお前達も知っているだろう? 何故、日に日に嫌われているのだろうか。私は良い男になろうとそれなりに努力をしている」
私は大きくため息をついた。早朝鍛錬で体を鍛え、昼間はコーディアルがしそうな仕事を行い、医者カインの元では医学を勉強し、貧困な土地の改良を考え、畑も耕している。思いつくことは、何でもしている。
「生理的に嫌いなのか?」
「さあ、どうですかね? 話さないと何も分からないですよ」
「そうです。可愛い、可愛いと影から見ているだけとは、変態です」
腹が立つので、アクイラとオルゴの台詞は無視だ。
「顔かもしれない。つり目だから怖いのだろう。あまり目を合わせてくれない。あれをするな、これをするな、そればかり。家臣としての信頼さえ日に日に減っている様子……」
声に出してみたが、自問自答である。答えは出てこない。結局、人に頼らないとならない。仕方がない、と憎々しいアクイラとオルゴに問いかけることにした。
「アクイラ、オルゴ、私はどうするべきなのだ?」
立ち上がって、アクイラとオルゴを見つめる。
「目を合わせてくれない? 照れて顔を見れないのはフィズ様でしょう。あれこれするな、ではなくどうぞ休んで下さいです。フィズ様の脳みそはどうなっているのか、訳が分からない」
「兄上を見習えば良いではないですか。褒めて、褒めて、褒める。なあ? アクイラ。俺達に愛を囁かれるのは、うんざりだよな」
「その通りだオルゴ。宝石のような目だ。甘い香りがする髪を触りたい。働き者の手を労わりたい。今日の服は良く似合う。壁や私達に愛を語るのをお止め下さいフィズ様」
そろそろ城に帰りますよ、とアクイラに顎で示された。末の皇子から、一領主になったのに、扱いが酷くなっている。
手当たり次第、あちこちの女性に手を出す兄を見本になどするか。政務姿等は大変参考になるが、女関係はまるで役に立たない。
背中に衝撃がしたので、振り返った。レージングが口に、桃色の花がついた茎を加えている。パッと見、十輪はある。
「レージング! 君こそ真実の友だな。このような素晴らしい土産を渡せば、コーディアル様は笑ってくださるだろう」
恭しいと言う気持ちを込めて、レージングの口から丁寧に花を受け取る。凛とした、気品ある芳香が鼻をくすぐった。見たことがない花だ。
感謝を込めて抱きしめようと思ったら、レージングはもういなかった。多分、コーディアルの所だ。レージングは基本的にコーディアルの側にいる。コーディアルにブラッシングされるレージングの満足気な表情に、度々イライラさせられる。
手元の花束を眺める。清楚可憐で愛らしい花は、まるでコーディアルのようだ。渡したら、喜んでくれるに違いない。
——ありがとうございますフィズ様。なんて可憐な花でしょう。毎日眺めますね
レージングへの嫉妬は、この花でプラスマイナスゼロ。花を受け取ったコーディアルを想像しただけで、ウキウキする。私はスキップ混じりで歩き出した。
「おいオルゴ、ビール一杯を賭けようぜ。フィズ様はあの花を渡せない」
「ずるいぞアクイラ。それでは賭けにならないではないか」
後ろで、アクイラとオルゴがケラケラ、ケラケラ笑う。こいつらは真実の友ではない。そう呼ぶか。
城に戻ると、丁度炊き出しに向かう従者達に遭遇した。
「まあ、フィズ様。素敵な花ですね。コーディアル様にですか?」
侍女ハンナに声を掛けられ、私は大きく首を縦に振った。
「その通りです。コーディアル様はどちらに?」
「コーディアル様、台所で立ちっぱなしだったので、足が辛そうでした。なので、ラスに頼んで談話室に縛りつけています」
縛りつける? どういうことだろうか? 取り敢えず、コーディアルが談話室にいるのは分かった。
「ああ、そうか。炊き出しに参加されると更に体が辛くなる。そうだ、炊き出しには私が行こう。私は何もしていない。ハンナ、この花をコーディアル様に頼む」
ハンナに花を差し出す。しかし、と思い至る。ハンナが花を受け取ろうとしたので、慌て手を引っ込めた。
「ハンナ、君からということにしてくれ。コーディアル様は私を生理的に嫌いなようなのだ。つり目なので、怖いと恐れているのだろう。いや、背か? 見下すつもりはないが上から目線になっているのかもしれない。そのような男から花など、コーディアル様は笑ってくださらないだろう」
大事なことは、コーディアル様の笑顔を作ること。大切にしている侍女のハンナから花束を渡されたら、コーディアルは満面の笑みを浮かべるに違いない。
ハンナがつぶらな瞳をパチクリさせて、首を傾けた。何だろう? コーディアルから何か別の「フィズを生理的に嫌いな理由」を聞いているのか?
「私が、どうしました? フィズ様?」
耳触りの良い声がした方向に、顔を向ける。疲れた顔のコーディアルが、侍女ラスと並んで階段の踊り場に立っている。よく見かけるエプロン姿。しかし、髪を横流しにして編み込んでいるのは初めて見た。レージングが見つけてきた花を添えたら、とても華やかで可愛らしいだろう。
「いえ、何も。これから皆と共に炊き出しに行ってまいります。向こうの森で、役に立ちそうな草を取ってきました。それからキノコも。何かに使えないか調べます。先日植えた果樹は順調そうでした」
コーディアルに見つめられ、視線を床に落とした。煌めく宝石のような瞳を直視するのは恥ずかしくてならない。
それに、やはりコーディアルは眉根を寄せて、あまり好ましくなさそうな表情だった。あんな目で見られるのは辛い。
生理的嫌悪は、性格の良さで吹き飛ばせるのか? 一刻も早く、偉大で誇り高い男になるしかない。全然足りない。何もかも不足している。取り敢えず、炊き出しに行こう。それで、次は準備から参加する。
私はハンナに花束を押し付けた。ハンナなら、コーディアルの部屋に花を飾ってくれるだろう。コーディアルの寝室は質素過ぎる。侍女達が「調度品をあちこちにあげてしまうから殺風景だ」と文句を言っているのは知っている。
コーディアルの姉ローズがこの領地を訪ねにきては、私が城に持ち込むものを盗んでいくからだ。姉よりもうんと身分の低いコーディアルは逆らえない。盗まれた、奪われた、とも絶対に口に出来ない。譲った、あげたと、悲しげに微笑むだけ。領地や従者の為だ。
あの性悪義姉は、許し難い。目の奥の光が卑しい。ローズが歩くたびに、従者や民が惚けるのが理解出来ない。それに比べて、コーディアルは——……。
「フィズ様? 何かございました? 酷く疲れた顔をしております……」
思い浮かべた本人が、目の前にいて、思わず仰け反った。危ない、つい抱きしめそうになった。
宝物のように抱き上げて、疲れただろうとソファか寝台に寝かしてあげたい。コーディアルに顔を覗き込まれる。今日のコーディアルは、浮腫みが軽度。骨格本来の顔が普段よりも分かる。
正体不明の全身病め、なんて病気だ。女性は身なりを気にしてならないというのに、この病は極悪非道。いつか絶対にコーディアルの中から追い出してくれる。
……。そうしたら、コーディアルは益々愛くるしくなる。自制が効かなくなったらどうしよう?
コーディアルは聡く、人の感情の動きにも敏感だ。私の不埒な思考など、読まれるだろう。そう気がついて、頬が引きつった。
「も、申し訳ございませんコーディアル様。全くもって、何も考えておりません」
不審そうな表情のコーディアルから、逃げないとならない。彼女の中の自分の評価を上げたい。逆は御免だ。
「いえ、炊き出しのことは考えました。そうです。行かねばならない。行ってきます」
背に負うカゴを、隣に立つアクイラに渡し、コーディアルに背中を向けた。逃げるように、全速力で走る。城門を抜け、小道を進み、城下街まで走り続けたら流石に疲れた。
城下街では、いつもいつも民に手を振ってもらえ、笑顔で挨拶をしてもらえる。この領地の民は、割と怠惰な者達ばかりなので、私くらいの器小さな男でも尊敬して好いてくれるらしい。
しかし、コーディアルは違う。彼女は父や兄達にも劣らない、あまりに大きな器だ。朝から晩まで、他人の幸福ばかり作っている。それも、ニコニコと。嫌な事は全部飲み込んで。
「今晩は私の隣で休んでくれないか?」
コホン、と先払いをして思いついた台詞を口にした。夫婦なのだから、と言えば渋々了承してくれるかもしれない。今夜、城の屋上から飛び降りるつもりでコーディアルに言ってみたい。しかし、無理。権力を振りかざすなど、最低最悪の極悪男になってしまう。隣で並んで休む、だけですまない自信もある。手を繋いでしまうだろう。最悪だ、最悪。もっと嫌われる。今の台詞は胸にしまっておこう。
「は、はい! フィズ様……」
「ちょっと、あんた! 何、色目を使っているのよ!」
「フィズ様、このような娘よりも私の方が……フィズ様?」
何か聞こえたような気がしたが、多分気のせいだ。目の前は壁。返事なんてある訳がない。私は北地区に向かって歩き出した。