おまけ フィズと三つ子のお散歩と少し未来
クロディア大陸北西にある小さな新興国家。流星国の王様フィズの最近の趣味は、可愛い子供と散策をすることです。
★☆★★☆
【長男エリニス】
本日は晴天なり。雲一つない澄み切った空。うだるような暑さになる夏前の、気持ち良い気候。
フィズ国王は3歳になる長男エリニスを抱っこして、工房通りの視察という名の散策に出ることにした。
騎士3名と共に出掛けようと、城のホールに移動した時に、エリニス王子はフィズ国王の腕の中でもがいた。
「この世の王たるもの、赤子のように抱き上げられて民に会うなど尊敬されません!」
そう言うと、エリニス王子はフィズ国王の腕から飛び降り、くるりと一回転して床に着地。おおー、と騎士2人が拍手喝采。もう1人の騎士、先日雇用された新米騎士は唖然とした表情を作った。
エリニス王子の側に常にいる、謎の角蛇が、フィズ国王の足元からエリニス王子の体へ移動。彼の体に巻きつき、肩の上に頭を乗せて、眠そうに欠伸をした。
「バシレウス、昼とは起きるものだぞ」
エリニス王子は角蛇バシレウスの頭を撫でながら、ゆったりとした足取りで歩き出した。両手で城の重たい扉を開け放ち、差し込んだ日の光を背に仁王立ち。
獅子の立髪のような黄金稲穂色の髪が煌めく。エリニス王子は屈託のない笑顔をフィズ国王へ向けた。
「さあ父上、民への挨拶まわりへ行きましょう」
フィズ国王は苦笑して、息子の隣に並んだ。
「我が息子は立派だなエリニス。しかし一言だけ注意しよう。自らをこの世の王などと呼ぶのはやめなさい」
「何故ですか父上。力を有し、賢くて美しいこの僕こそ王になり、民の幸福を作るのが天命というものです。ああ、実るほど頭の垂れる稲穂ということですか? まだまだ未熟者ですけど、このように特別な存在なのに、それはあんまりです」
3歳児エリニス王子が「未熟な時は自分ほどできる者はないと自惚れるものだ」なんてまさか。自惚れていない。あんまりだ。という返答。
フィズ国王は、息子のあまりにも早い成長ぶりに、ますます苦笑いした。
「おお、エリニス。そのような難しい言葉、読書で得た知識か?」
「城中の本は、必要そうなものはもうほとんど読みました。早くおじい様に本を送ってもらうか、煌国へ行かせて欲しいです」
「何を言うエリニス。父も母も君が大好きで、このように幼い頃から留学などさせるなんて寂しく、辛く、悲しい。本ならあれだ。煌国も良いが、連合国内の各国にも多くの図書館があるぞ」
フィズ国王はエリニス王子に近寄り、しゃがみ、息子の側頭部を優しく撫でた。
エリニス王子の頭の上には、常に冠のように鎮座する、小さな鷲蛇がいるので、髪をくしゃくしゃとは撫でられない。
エリニス王子が破顔して、フィズ国王に抱きついた。
「父上、僕も家族やこの国を愛しています」
「そうか、それは嬉しいな」
「子は宝と言いますものね。僕は成人したら、妃を連合国各国からそれぞれ1人ずつ娶り、平均3人なら……100人近い子供が生まれます。大家族です。しかと教育して働かせて、より良い世界を築きます」
ぶほっとフィズ国王は咳き込んだ。今の発言は、とても3歳児の発想ではない。
「いやエリニス。何故そのような考えを……」
「一代限りの賢王では、次世代の王朝の幸福は作れませんよ? 父上が僕を育てているように、優秀な者が優秀な者を数多く育てなければなりません。この世の王とは、多くの賢者を輩出し、見張り、働かせる者です」
エリニス王子はフィズ国王の手を取り、引っ張って歩き始めた。
「偉大な王を継ぐ者は大変です。父上の次にはレクスがいますけれど、僕の次となると、大陸中を探したって見つかりませんよ」
頬を膨らませると、エリニス王子は大きなため息を吐いた。
「いやあのな、エリニス。その自分が……」
「早く挨拶まわりに行かねば、大雨が降ります。坂の下まで競争です父上! 馬にはまだ足が短くて乗れません!」
言うや否や、エリニス王子は走り出した。フィズ国王が慌てて追いかける。しかし、追いつかない。フィズ国王は飛ぶように跳ねながら進む息子の名を叫んだ。
「エリニス! そのように慌てると転ぶぞ!」
名前を呼ばれた瞬間、エリニス王子は足を止めた。遠くを見つめて、急にぼんやりした表情。
「……。……た。歌です父上! きっとあの鳥です! 近くで見ないと何の鳥か分かりません!」
そう叫ぶと、エリニス王子は駆け降りた丘を引き返し、一目散に丘を駆け上がってきた。
「おおエリニス。鳥が見たいなら私が抱き上げて……」
「バシレウス! 木を登ろう! 手助けしてくれ!」
エリニス王子の台詞に、角蛇バシレウスは彼の体から離れて、近くの木の枝に食らいついた。バシレウスの尻尾に飛びついたエリニス王子を、バシレウスが反動をつけて空へと飛ばす。
エリニス王子はより高い木の枝へ見事に着地した。
「エ、エ、エリニス! 危ないから降りてきなさい!」
「父上! アローリスの巣があります! 可愛らしいです!」
登った木の幹をジイッと見つめ、エリニス王子はニコニコと笑っている。フィズ国王はエリニス王子の登った木の下に腰を下ろした。
「流れて輝く星は、叶えてくれる」
エリニス王子が歌い始めた。フィズ国王は木の枝に座り、白い小動物を肩に乗せ、プラプラと足を揺らす息子を眺めた。
「わたしの願い、あなたの想い」
息子が作った歌を一緒に口ずさみながら、フィズ国王は目を閉じた。胸の中で「また城下街にまで行けないな」と呟き、口角を上げる。
「幸せ作る、夜明け星。アローリスよ、あの雲は美味しそうだけど、食べられないのだ。近寄ると霞だという。あのようにフワフワなのに面白いだろう? 山へ行って確かめてみたいものだ」
エリニス王子は一緒懸命、リスに語りかけている。
「本当に、大人なのか子供なのか分からないな」
小一時間すると、鳥のことをすっかり忘れ、アローリスにも飽きたエリニス王子が、木の上から降りてきた。フィズ国王の背中にしがみつき、肩の上に顎を乗せる。
「父上。アローリスは返事をしません。何故です?」
「エリニス、何故とはどういうことだい?」
「僕に色々教えてくれるのはアローリスではないようです」
「そうか。誰かが君に色々教えてくれるのか。角蛇のバシレウスや鷲蛇のココトリスもかい?」
「父上、知っていますよね。海蛇は喋りません。風なのか、空なのか……神ですね。僕は神に愛されている。それなら流星のように……幸せつく……。疲れて眠い……」
フィズ国王の耳元にすーすーという規則的な寝息が聞こえてきた。
「日の半分以上寝て、謎の蛇は見たこともない海蛇で……」
異常な身体能力。速すぎる知能発達。フィズ国王はエリニス王子をおんぶして立ち上がった。
小さく、柔らかく、温かい可愛い息子。あまりにも不思議な存在。
「エリニス。君はいつまで私達の側にいてくれるかな……」
フィズ国王が小さく囁いた時、ポタリポタリと降り始めた雨が彼の頬を濡らした。
***
【次男レクス】
本日は雨なり。どんよりした雲が空を埋め尽くしている。
フィズ国王は3歳になる息子レクスに手を引かれている。
レクス王子はスキップしながら鼻歌混じり。レクス王子の隣には、彼がフェンリスと呼ぶ白い狼がピタリと寄り添う。
白狼の尻尾には傘。その傘に守られて、レクス王子はちっとも濡れない。上半身だけは。
「あめはぴっちゃん、ぴっちゃん、とんでいる」
雨水がしみにくい革靴が嬉しいレクス王子は、歌いながら水溜りに積極的に足を踏み入れる。それから、踊るように軽く跳ねる。なのでレクス王子のズボンはすっかりびしょ濡れ。
ここは城の裏の畑周り。
雨が降った! 新しい靴を履く! と目を輝かしたレクス王子にせがまれて、フィズ国王は息子と2人での散歩をしている。
「ご機嫌だなレクス」
「ちちうえとふたりです」
繋いでいる手をギュッと握り締められ、フィズ国王は破顔した。
「そうかそうか。レクスと2人で楽しいな」
レクス王子は足を止めた。
「レクス?」
「フェンリスがいっぴきです」
そう言うとレクス王子は白狼フェンリスの方を向いてしゃがんだ。
「あり」
「ん? 蟻を見つけたのか」
どれ、とフィズ国王もしゃがんだ。息子の視線の先には水溜り。そしてその中で懸命に泳いでいる蟻の姿。
「ちいさいからこうずいだ」
そう言うと、レクス王子は両手で蟻をすくい上げた。その後、レクス王子は水の少ないところへと蟻を逃した。
我が子の慈しみのこもった行動に胸を打たれたフィズ国王は、息子の頭へ手を伸ばした。
しかし、白狼フェンリスが先にレクス王子の頬を舐め、頭部をスリスリと寄せた。
更には、前足を上げてレクス王子の手を器用に毛で拭いた。
「ありがとうフェンリス」
「うぉん」
「ありがとうフェンリス君」
「ふっ」
白狼フェンリスは、レクス王子の感謝には軽く吠えたのに、フィズ国王に対しては、笑うような鼻息を吐いた。
「うぉんうぉん」
白狼フェンリスが、泥に足を取られて転びそうになったレクス王子の襟首を噛んで、持ち上げた。またしても、フィズ国王よりも早い。
白狼フェンリスは尻尾で持つ傘を器用に傾けながら、そのままレクス王子を運び、泥が酷くない所へと移動。
「フェンリスはちからもち!」
短い草の生えた場所に下されたレクス王子は白狼フェンリスの首に抱きついた。
「うぉんうぉん!」
「かたつむりがいるな」
レクス王子は再びしゃがんだ。フェンリスの尻尾が傘をしっかりとレクス王子へ傾ける。
「うおん」
「やさいをたべるから、とおくにはこぼう」
レクスは上着を器代わりにして、近くにいるカタツムリを捕まえてはそこに入れていった。
「どれ、レクス。父も手伝おう」
「ちちうえはみはりです!」
「見張り?」
「かたつむりがはたけへいくからです」
そうか、と口にする前にレクス王子は伏せたフェンリスの背中によじ登った。
「うぉんうぉん」
「ありがとうフェンリス」
白狼フェンリスが駆け出し、息子を連れて少し離れた泉の方へ向かって行く。フィズ国王が追いかけようとすると、レクス王子に「ちちうえみはり!」と怒られた。
傘をさして、裏庭にぼんやり佇むフィズ国王。一方、カタツムリや、ダンゴムシを集めては白狼フェンリスと去るレクス王子。
「息子と楽しい散策のはずが、これだとなんだか従者だな」
小一時間して、満足したらしいレクス王子と手を繋ぎ、フィズ国王は城内へと戻った。
ふと見たら、白狼フェンリスは消えていた。
城内へ戻り、玄関ホールへ入ると、白狼フェンリスが口にタオルを咥えて鎮座していた。
「おお、フェンリス君。ありがとう」
タオルを受け取って息子を拭こうとしたフィズ国王の足を、白狼フェンリスの尻尾がベシリと叩いた。
白狼フェンリスはレクス王子の前へ移動。前足で器用にレクス王子の靴の泥を拭き始めた。
ふさふさした長い尻尾が、レクス王子の全身を撫でていく。泥だらけになったタオルを、白狼フェンリスはフィズ国王に目配せしてから、彼の足元へそっと投げた。
「あはは。くすぐったいフェンリス」
「うぉん!」
一吠えすると、白狼フェンリスはレクス王子の襟首を咥え、歩き出した。
残されたのは泥まみれのタオル。それからフィズ国王。
「タオルを片付ろということか?」
またしても、従者の気分。息子と過ごすために作った時間はまだあると、フィズ国王は汚れ物のタオルを使用人に頼み、レクス王子を探した。
レクス王子は、自室の暖炉前で眠っていた。白狼フェンリスが守るように寄り添っている。
むにゃむにゃ何かを言いながら眠るレクス王子の頭を、白狼フェンリスの尻尾が優しく撫でている。
「疲れて寝てしまったのか。レクスを寝台へ……」
レクス王子に近寄り、かがんで腕を伸ばしたフィズ国王の手の甲を、白狼フェンリスの尻尾がペシリと叩く。
「フェンリス君、君は私に手厳しいな」
フィズ国王が笑いかけると、白狼フェンリスは「ふんっ」と笑うような鼻息を吐いた。その後、レクス王子の上に尻尾を乗せて、彼の姿を完全に隠してしまった。更には、前足がしっしっ、というように動く。
その後、白狼フェンリスは目を瞑ってしまった。
「神の遣いらしきフェンリス君、息子の世話係として頼もしく、有り難いが、愛息子の寝顔を見るのも許されないのですか?」
フィズ国王は白狼フェンリスのすぐ隣に腰掛けた。フィズ国王は頭を掻き、苦笑い。
すると白狼フェンリスの尻尾がフィズ国王の腕をつっついた。その後、レクス王子の髪の毛をさわさわと撫でた。
フィズ国王はレクス王子の頭に手を伸ばした。今度は叩かれない。優しくレクス王子の頭を撫でると、レクス王子はくすぐったそうに身をよじり、むにゃむにゃ何か言い、微笑んだ。しかし起きない。熟睡という様子。
「寝台よりも自分の方が寝心地が良いということです?」
「うぉん」
白狼は自慢げに笑った。そうとしか思えない口の動き。神の遣いと呼んではいるが、白狼フェンリスは大陸中央部で時折見られる大狼の仲間だろう、とフィズ国王は確信している。
時に村一つ滅ぼすという凶暴獰猛な肉食獣。しかし、白狼フェンリスは常にレクス王子の世話をしてくれている。
この世は謎に満ちている。そして、生まれた時からここまで大狼に好かれている、自分の息子もまた不思議。血筋だろうか?
そんな風にフィズ国王は息子と白狼に、かつての自分と黒狼を重ねながら、昔を懐かしんで微笑んだ。
【末っ子長女ティア】
本日は曇り空。月が灰色の雲に隠れたり、現れたりを繰り返している。
同じように、星々も見えるものと見えないものに分かれている。星座を探すには、あまり適していない夜だ。
フィズ国王は3歳になる娘ティアと手を繋ぎ、城の砦の上を散歩している。
謎の生物、三つ目で人の顔程ある蜜蜂に似た灰色の昆虫と共に。蜜蜂もどきプチラはフィズ国王の頭に張り付き、ジッとしている。
ティア姫と2人きりの時、蜜蜂もどきプチラはいつもこうなので、フィズ国王は何の感想も疑問も抱かなくなってしまっていた。今夜も、頭が少し重いな、くらいにしか思っていない。
「ふむ。今夜はティアの好きな星は見えなさそうだな。ティア、また明日の夜も、父とデートしようか」
「おとうさま。ないのよ」
「ない?」
腕の中で、頬を膨らませたティア姫の顔を覗き込むと、フィズ国王は足を止めた。
「おかあさまなの。おこられるのよ?」
「ん? 怒られる? お母様なの?」
「そうでしょう?」
ティア姫はしかめっ面になると、フィズ国王の頬を小さな手でつまんだ。
三つ子の子供達の中で、フィズ国王が1番意思疎通が難しいと思っているのは、このティア姫である。
「そうか、私はコーディアルに怒られるのか」
「そうよ」
「そうなのか」
今日、妻を怒らせるような事をしたか? とフィズ国王は1日の出来事を振り返った。彼に、特には心当たりはない。
「あのね、ティア、ほしのおひめさまになるもの」
ティア姫は不機嫌そうな表情から、屈託のない笑顔になった。その愛くるしさに、フィズ国王は破顔した。
娘の意思をイマイチ汲み取れないが、笑ってくれるのなら嬉しいと、フィズ国王は再び歩き出した。
「ああティア。こんなに可愛いティアなら、星のように輝く姫になれるだろう」
「かわいいのはおかあさまになの」
はあ、とため息を吐くと、ティア姫は顔を横に振った。言動のちぐはぐさに、フィズ国王は小首を傾げた。
「もしやティア。父に似たかったのか? それは嬉しいような、嬉しくないような」
「いしになるの」
「石になる?」
「かえるにもなるわ」
「かえる? ティアはかえるになりたいのかい?」
「それでもわかるのよ」
ニコニコ笑いながら、ティア姫は夜空を指差した。遠くを見つめる空色の瞳が、雲間の星を捉えてキラキラと輝く。
「はあ。ティアははやくあいたいの」
そう口にすると、ティア姫は両手をくんで握りしめて、目を閉じた。柔らかく微笑んでいる。さらら、と蜂蜜色の巻き髪が微風に揺れた。
「会いたい? 誰にだい?」
フィズ国王は愛娘の愛くるしさに、思わず頬に軽いキスをした。目に入れても痛くないとはこの事だ、と。
「めーっよ! とうぜんでしょう?」
目を開いたティア姫は、フィズ国王の頬をベシンッと平手打ちした。
幼児のビンタはフィズ国王にとって物理的には痛くなかったが、彼の心には大打撃だった。フィズ国王はぶたれた頬に手を当てて、放心。
「おでこなのよ!」
ティア姫は火がついたように泣き出した。すると、フィズ国王の頭の上に鎮座していた蜜蜂もどきプチラが、ブブブブブブと羽音を鳴らし始めた。
「プチラもわかるのね? なのにおとうさまはおかしいわ!」
ティア姫は両手を上げた。すると、蜜蜂もどきプチラはティア姫の背中に貼り付いた。茫然としていたフィズ国王の腕の中から、ティア姫の体が浮く。
「ティ、ティア! プチラ君! このような高所で娘を連れて飛ぶのは危険だ!」
フィズ国王が叫ぶのとほぼ同時に、蜜蜂もどきプチラが、ブーンと低空飛行を始めた。
「こんなにひくくておちないのよ!」
背中を掴まれて飛ぶティア姫が、顔をフィズ国王に向けて叫んだ。その怒り泣き顔に、フィズ国王は傷つき、床に両膝をついた。可愛い娘と散歩をしていたはずなのに、どうしてこうなった、と心の中で泣く。彼は両目には、うっすらと涙が滲んでいた。
しばらくして、フィズ国王は落ち込んでいる場合ではないと、娘と蜜蜂もどきを追いかけた。簡単に追いつく速度だが、ティア姫が「おちないの!」と何度も怒り泣き声で怒鳴るので、フィズ国王は途方に暮れ、歩く速度を落とすしか無かった。
ティア姫達が砦上の通路と城内を繋ぐ扉の前へ来た時に、扉が開いた。
「ティア、泣き声がしたから来た」
「エリニスおにいさま」
扉を開いたのはエリニス王子だった。彼の体には、いつも通り角蛇バシレウスが巻きつき、頭の上には鷲蛇ココトリスが乗っている。
彼の後ろには、レクス王子もいる。その背後には白狼のフェンリスが立っていた。
「ティアがないているとエリニスがいうからきたよ」
「レクスおにいさま」
蜜蜂もどきプチラがティア姫を床に下ろし、ブーンと中庭の方へと飛んでいった。
「おとうさまがティアにあいのキスをしたのよ! だいすきなおとうさまがへんたいだったの!」
そう言うと、ティア姫は自分の頬を指差した。フィズ国王は頭に岩石が落ちてきたような衝撃を受けた。愛娘に「変態」と罵られるなんて、彼の心臓は今にも止まりそうだ。
「いくらティアがかわいくてもゆるされないわ! おかあさまにあやまらないとならないの!」
地団駄を踏むと、ティア姫はフィズ国王を睨んだ。その姿はまさに激怒。そのあまりにも高い攻撃力にフィズ国王の体はよろめき、砦の壁に肩をぶつけた。
ティア姫はエリニス王子の背後に移動し、両手で顔を覆うと、うええええんと泣き始めた。
「きんだんよ。すむいえをさがさないとならないわ! みんなおわかれなのよ!」
エリニス王子がティア姫とフィズ国王を見比べた。
「あー、んーっとティア。王子と姫のキスは口と口だけだ。額へのキスは娘や息子、子供への挨拶だけど、額へのキスだけがそうな訳じゃない」
「そうなの?」
「ああそうだ。本に書いてあった。ティアはまだまだ物知らずだな。頬へのキスは恋も愛も、挨拶でもあるのさ」
「そうなの?」
ティア姫の二度目の問いかけに、白狼フェンリスが「うぉん」と吠えて、頭部を縦に揺らした。するとレクス王子が「エリニスがいうならそうだよティア。エリニスはぼくらのなかでいちばんものしりだ」と頷いた。
「ねえ父上? 父上の星のお姫様は母上だけですよね? ティアに恋だなんて、娘に恋だなんてあり得ないですよね?」
エリニス王子はそう言うと、フィズ国王に向かって小さく頷いた。
フィズ国王はティア姫が何故泣いたのかを理解した。
「あー、そうだ。父は実の娘に恋をする変態ではない」
フィズ国王は自分で口にして、ダメージを受けた。誤解のようだが、娘に「変態」と罵られた事実は辛いと俯く。
それから、エリニス王子が瞬時にティア姫の泣いている理由を理解し、誤解をとき、問題を解決する賢さに感心した。
「ティア。父上はティアの物知らずと誤解で傷ついたようだ。こういう時はどうする?」
エリニス王子が言うやいなや、ティア姫はフィズ国王に向かって走り出した。
「おとうさま! ティアはごめんなさい! なかないで!」
よたよた走るティア姫は、床を形成する石と石の隙間に足を取られて転びかけた。
間一髪、歩き出していたフィズ国王が愛娘を抱きとめる。
「おとうさま、ごめんなさい!」
フィズ国王は泣きじゃくるティア姫を抱き上げた。
「ありがとうティア。泣かないでくれ。父の察しが悪くてすまなかったな」
「ティアはごほんをいっぱいよむわ」
「そうかそうか。本を読むのは良い事だ」
「まだまだほしのおひめさまになれないのよ」
「ん? ティアは既に素敵で可愛い、星のように煌く姫君だ」
よしよし、とティア姫の背中を撫でながら、フィズ国王は優しい笑みを浮かべた。ティア姫はめそめそ泣きながら、首を横に振った。「ぢかうのよ」と呟きながら。
「父上、ティアの言う星のお姫様は星の王子に愛されて女神になった姫のことですよ」
エリニス王子に教わり、フィズ国王は「醜い姫と流れ星」のおとぎ話を思い浮かべた。
先日ハンナが城の倉庫の中で見つけてきた、タイトルは掠れているが、中身は無事だった古い絵本。
フィズ国王は妻のコーディアルと相談し、家系に伝わっているものなら継いでいこうと決め、話と絵をなるべく似せて絵本を新しく作り直して、3冊作り、子供達へ贈った。
従者達はこの絵本の物語を、まるでフィズ国王とコーディアル妃のようだ、と評した。
ただ、フィズ国王は腑に落ちていない。彼の中で、コーディアル妃は今も昔も美しい女性だからだ。
絵本の中の主人公、醜くも優しくて働き者の姫と自分の妻は、フィズ国王の中では結びつかないのだ。
「ティアはうんめいのほしのおうじさまにみつけてもらうの」
うっとり、と言うようにティア姫は両手を頬に当てて空を見上げた。いつの間にか空の雲の数は減っている。
「ああおうじさま。ティアははやくほしのおひめさまになります」
ティア姫は「きゃあああ」と照れ出した。
「最悪だバシレウス。ココトリス。僕は可愛い妹を嫁にする手助けをしてしまったみたいだ。しかし妹が性格の悪い女性になると、見た目だけのおば様のようになる」
げえ、と口にすると、エリニス王子はフィズ国王達に背を向けた。
「エリニス。みためだけのおばさまとはローズおばさまのことか? わるくちはわるいことだ」
歩き出そうとしたエリニス王子に向かって、レクス王子が仁王立ちした。
「悪口ではなくて真実だ」
「あしきはみずからにかえるぞ」
「煩いレクス。お前はすぐ説教をする」
「エリニスがりっぱなおうになるためだ」
エリニス王子とレクス王子は言い合いをしながら、階段を降り始め、フィズ国王達から遠ざかっていった。
そこへ蜜蜂もどきのプチラがブーンと戻ってきた。足に中庭の薔薇を一本掴んでいる。
「プチラ! ほしのおうじさまにあったのね! バラはあいのはななのよ!」
蜜蜂もどきプチラから薔薇の花を受け取ると、ティア姫は「きゃあああ」と嬉しそうな悲鳴を上げた。蜜蜂もどきプチラがフィズ国王の頭の上に乗り、彼の髪をわしゃわしゃと乱す。
「ああ。ティアにがんばってだなんて……すてき。あいだわ」
フィズ国王は腕の中の娘のうっとり顔を、微笑ましいなと眺めた。恋に恋する乙女。なんとも可愛らしい。
しかし、ふと気がつく。成長した娘は、いつか本物の恋を知る。実れば嫁に行くか婿を取る。結婚だ。
「そ、そのようなこと……」
許さん! とフィズ国王が叫ぶ前に、ティア姫が「おとうさまねむい」と呟いた。
「お、おお。そうかティア。部屋へ戻るか」
「ティアはこんやおとうさまとねたいわ。ごめんなさいのしるしよ」
そう言うとティア姫はフィズ国王の頬にそうっとキスをした。
その後には、はにかみ笑い。更に「おとうさま、だいすき」と父親の首に腕を回した。
フィズ国王は「天使だ」と娘に向かってデレデレ顔を向けた後に、心の中でこう誓った。
絶対に嫁になんてやらない。
★☆15年後★★☆
「父上、父上と母上の息子ということは誇りです。しかし、俺はエリニスとはもう二度と名乗りません。エリニスとしての人生が、もう終わりだからです。この世に生み、育ててくれてありがとうございました! どうか母上と天寿まで息災で!」
それが、エリニス王子のフィズ国王への別れの言葉。
フィズ国王は「この世の王」と自らを称してきた息子の、人生の答えを察しましたが、誇らしくも寂しく、夜な夜な空を見上げて歌を口ずさみます。
その歌は、エリニス王子が良く歌っていた、もはや流星国の国家のようになっている歌。
「おお、フェンリス。その花は……素晴らしいなフェンリス。君は誠の友だ。ピンクのサザンカの花言葉は永遠の愛。まさにその通りだ。早速、彼女に渡そう」
フィズ国王がレクス王子の幼い頃に想像した通り、レクス王子と白狼フェンリスは、フィズ国王と黒狼レージングと似たような関係を築きました。
そうして、息子達は別れることなく共にあり、一方で自分と息子は遠く離れた場所で暮らしていることに、羨ましさと切なさを抱いています。
フィズ国王は、自身の父の気持ちを理解し、以前より祖国へ行ったり、文を出すようになりました。
「病めるときも、辛いときも、悲しみのときも、貧しいときも、苦しいときも、恐怖に襲われていても、心臓を突き刺されようと、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、命ある限り、真心を尽くすことを誓います」
それが、ティア姫の結婚時の宣誓の言葉です。
愛娘の晴れ姿。美しい純白ドレスに身を包み、この世で最も幸せだと言わんばかりの、はちきれんばかりの可憐で愛らしい笑顔。そして誓いのキス。
フィズ国王は大泣きし、絶望しました。すると、妻のコーディアル妃に「あれ程絶賛していたのに、急に最悪な男だなんて、また何か勘違いがあります?」と、背中を撫でられました。
長男エリニス
◉彼の恋物語は制作中。恋物語より大河ものになりそうな……。タイトルに俺様海蛇王子と入れるつもりです。
次男レクス
完結【恋に気がつかない大狼王子の初恋物語】
末っ子長女ティア
完結【思い込み激しい蜜蜂姫と女嫌い皇子の恋物語】
連載中の「逃げる女好き王子と巻き込まれた男爵令嬢」に、流星国やフィズ一家がちょこちょこ出てきます。




