【外伝】侍女ハンナと奇跡の日
すっかり冬です。枯葉は畑の肥料になり、土には霜柱。洗濯物が中々辛い季節です。今日の私は洗濯後、城下街の病院へ来ました。
今、この領地では謎の病気が流行っています。発疹と高熱。接触してもうつらないようなのに、徐々に罹患者は増えていて病院は一杯。看病する人が不足していて、私達城の侍女は病院で看護師の手伝いをしています。
城下街にある、二つの病院の入院室はもう一杯。重症者は入院していますが、お金が無い者や軽症者は自宅療養。それで看護の者も不足がち。色々な仕事の働き手がいなくなっているので、領地の運営にも支障が出ているそうです。悪循環とはこのこと。
民は難民が病を持ち込んだと、度々不満を爆発させて小競り合いが起こっています。
そんな風に、領地は少し殺伐としています。しかし、頼りになるのはフィズ様。19歳という若さなのにそれはもう、従者達やコーディアル様と共に民を宥め、病対策にも励んでいます。そのフィズ様こそ、火傷のような大怪我により何故か両腕が灰色になり、更には動かなくなっています。それなのに、フィズ様は殆ど笑顔。
献身的に支えるコーディアル様、アクイラ様、黒狼レージング様、それに宰相のバース様やアデル様。もちろん、私達侍女に執事や騎士まで、城勤務の従者はフィズ様を全力支援です!
通常の仕事に、オルゴ様の関連場所への気配りに、病院での病人看護の手伝い。正直、疲れています。せめてオルゴ様が帰ってくれれば、元気が出るのに……と思う今日この頃です。
笑顔が大切。ため息は禁止。辛いのは熱に湿疹が出ている病人達。私はコーディアル様とラスと共に、病人達のタオルを変えたり、食事の介護をしています。病院中、患者だらけ。窓の外では、太陽が沈もうとしています。
「コーディアル。今夜は城に帰ってきてくれ。休んでから、また看病に来なさい」
不意に、フィズ様の声がしました。病室の入り口のところに立っています。
「はい、フィズ様」
コーディアル様がフィズ様の方へと移動しました。それで、私とラスも手招き。私とラスは2人同時に首を横に振りました。
「明日、コーディアル様と交代致します」
「ハンナと交代交代で働きます」
頷いたコーディアル様が、フィズ様と共に去りました。
「ハンナ、先に休んできなさい。貴女、働き過ぎよ」
ほら、行きなさいという強い視線。先にラスが休んで、そう断っても拒否されるでしょう。ここは、さっさと休んで交代するのが一番。私は頷いてから、ラスに軽く会釈しました。
「夜中前に戻るわ」
交代したラスがしそうな仕事を減らしておきましょう。私は病室から出て、一階へと向かいました。
「ハンナ、表は少々煩い。城に戻るなら送ろう」
病院の入り口へ行く前に、騎士のベルマーレさんに声を掛けられました。フィズ様かコーディアル様の計らいでしょう。
「疫病神達を追い出せ!」
「領地をこのまま地獄にするつもりですか!」
入り口の方から聞こえてきた怒声に、私は少し身を竦めました。また暴動? 疫病神とはフィズ様とコーディアル様が受け入れた難民達のことです。
ベルマーレさんに促されて、私は裏口の方から病院を出ました。細い路地の向こうに群衆が見えます。嫌な雰囲気の喧騒。
「またあのような騒ぎ……」
「城の者ばかりが無事なのも気に障るのだろう。どうも奇妙な病だ。接触者がうつる訳でもなく、重症者は治ってもまた罹患しているらしい」
並んで歩くベルマーレさんは険しい表情です。
——袋の中身はサファイヤと1つずつ食べなさい。残りは城の井戸に入れなさい
蛇神エリニース様のその言葉が私の中でくすぶっています。城の従者は誰1人として、流行り病にかかっていません。あの苦かった白い金平糖のようなものが、私達の身を守っているような気がしてなりません。
——これは姫に対する奉仕への礼だ
——牙には牙。罪を贖え
蛇神エリニース様はコーディアル様を「可愛い姫」と呼んでいました。私は病院に入院する者達の中に、チラホラとコーディアル様を酷く中傷した者や、裏切った人を見つけています。
——牙には牙。罪を贖え
今のところ、流行り病による死者はいないそうですが……生死を彷徨っている方はいます。このような考えはなんだか怖いのと、蛇神エリニース様に秘密だと言われているので、私は自身の考察を自分の胸の中にしまっています。
「ハンナ、大丈夫か?」
ベルマーレさんが私の顔を覗き込みました。
「はい。大丈夫です。ありがとうございます」
私は元気だと伝えたくて、駆け足で坂道を登りました。城へ不満を告げにくる民、難民に難癖をつける民、騎士達は彼等の暴動を抑制しようと昼夜領地内のあちこちで働き詰め。先週は大雨で氾濫した川の補強。私なんかよりもベルマーレさんの方が疲労の色が強いです。
突然、地面が揺れました。地響きと共に縦に大きく震動した大地。そこに突風が吹き荒れました。
「きゃあ!」
「ハンナ!」
転び掛けた私にベルマーレさんが手を伸ばしてくれました。しかし、私の体は何かに掴まれてベルマーレさんから遠ざかりました。
「きゃああああ!」
体が揺れます。足が地についておらずブラブラ。黒い布が私の視界を覆っていて何も見えません。これは、また蛇神エリニース様⁈ お腹に当たる感触は人の腕のよう。それが離れた時、全身に力が入らなくて私は座り込みました。いつぞやの夜のように、建物の上です。私の隣には黒法衣の者。
蛇神エリニース様……。
「やあ、こんにちは紅葉姫にして姫を飾る宝玉ルビーちゃん。もう、こんばんはの時間かな? 折角の戴冠式なので特等席で見なさい」
ぽんぽん、と頭を撫でられました。確かに、ここは城下街の様子がよく見えます。驚愕していたら、蛇神エリニース様は建物から飛び降りました。
「あのっ!」
叫んで、手を伸ばしてみましたが、腰を抜かしてしまっていて動けませんでした。
突如、大咆哮が聞こえました。空気が震えて体がビリビリする程巨大な吠え。3回続きました。恐怖で目を瞑り、吠えが消えた時に目を開くと、とんでもない光景が目に飛び込んできました。
城下街を囲う砦向こうの平原に、巨大な蛇が2匹。夕暮れの紅蓮の太陽に照らされています。城の砦よりも高いです。とぐろを巻いているのに、その高さ。あまりにも大きな蛇。少し光を放つような銀とも鉛ともいえない色の体です。1匹は頭部にいくつも角が生えています。もう1匹は角あり蛇よりは小さく、鷲のような頭部をしています。2匹とも炎のような真紅の瞳。
私は這うように建物の端に移動しました。ここは大通りに面した建物の1つのようです。下の様子を見ると、大通りに巨大蛇を小さくした蛇が道を作るように左右に二列並んでいました。
丘の上にフィズ様とコーディアル様がいます。後ろ姿ですが、分かります。コーディアル様の艶やかな蜂蜜色の髪が強風に靡く。フィズ様の背中で翻る、真紅の外套。銀刺繍の国紋——双頭竜——が波打っています。フィズ様の近くにはアクイラ様がきて、黒狼レージング様がフィズ様から少し離れたところに座っています。
丘の1番高いところに蛇神エリニース様がいました。相変わらず黒法衣で全身見えません。フードの上に化物のような生物が乗っています。見た目は蜜蜂が1番近い、鉛色の体をした大きな昆虫。緑色のふさふさした毛が生えています。人の顔くらいある大きさ。3つ目で、目の色は若草色。あれも、蛇神エリニース様の遣い?
「行いは良くも悪くも巡り巡って返ってくる。良い言葉だ。今夜、流星のような空を見れるだろう。やがて奇跡の雨が降る」
斜めに掛けている薄汚れた鞄から、蛇神エリニース様が何かを出しました。キラリと光ったそれは、回転しながらフィズ様へ向かって飛んでいきます。アクイラ様がフィズ様の前に出ようとしたけれど、フィズ様は前に進み出てアクイラ様を止めます。
地を蹴って跳ねた黒狼レージング様が何かを口で捕らえました。
白銀に輝く金属製の輪。ここからだとやや遠いですが、冠のように見えます。蛇の形に見えて、紅の宝石が瞳のよう。黒狼レージング様が、黒檀のような艶やかな毛を、穏やかになった風に揺らして、悠然と歩いてきます。
「流星で作った冠、とでも呼んで欲しい。人の王よ、友と私からの礼だ」
冠を咥えた黒狼レージング様はフィズ様を見上げています。しかし、蛇神エリニース様はコーディアル様の方へと体を向けています。
——この国の真の王を決めるのは我等である
——王の戴冠は盛大に行う
私の全身に鳥肌が立ちました。この国とは大蛇の国。我等とは、神々。そうに違いありません。今、目の前で行われているのは歴史的瞬間? 神話? しかし、お礼とはどういうことでしょう?
「流れ星は幸福の象徴。毎晩感謝し、時に歌え。特に隣の妃に歌わせよ。子々孫々、夫婦の矜持を伝えるが良い」
そんなに大きな声ではないのに、蛇神エリニース様の声はよく響きます。周囲が静まり返っているからでしょう。
——さてルビーよ、間も無く失われかけたものが蘇る
廃れかけている信仰の復活。そういうこと?
蛇鷲神話、それがこの大蛇の国の創世記。図書室にあった書物から得た知識です。
悪魔の炎により、死にゆく世界を自らと従者である鷲神を盾にして救った女神シュナ。慈愛と自己犠牲の果てに失われた命。シュナは不死鳥の如く蘇り、闇夜しかなかった大蛇の国を照らす満天の星々に変わったそうです。
一方、双子の妹が守り抜いた世界を従者である蛇神と共に蘇らせ、氷の大地を耕し、人の姿となって選ばれし王を守り続けた男神にして聖騎士エリニース。大蛇の国の守護神にして監視者。
「二人でその袋に入っている流星を食べよ。友からの謝礼なので、他の者が横取りすれば厄災訪れる。ではレージング、約束である。行こう」
黒狼レージング様が頭部を揺らし、フィズ様の頭に向かって冠をふんわりと投げました。フィズ様に誂えたというように、ぴったりと嵌った冠。ポトリ、と冠についていた袋が地面に落ちました。黒狼レージング様が袋を前足でコーディアル様の足元に移動させます。コーディアル様が袋を手に取って開いて、中を覗きます。中身は流星らしいですが、星が食べれる?
「ふははははは! 気高き大狼の子を親友にし、妻は生娘にしたまま。おまけに化物を助けようとして腕を捨てるとは珍妙怪奇な男! 18歳、成人と共に妻に迎えようと思っていたたおやかな娘を横取りとは腹立たしい! おまけに我が友まで味方につけおって、許し難いのでお前の無二の親友は貰っていく!」
高笑いしながら、遠ざかっていく蛇神エリニース様。黒狼レージング様がフィズ様に向かって小さく三回吠え、コーディアル様にも同じように吠えてから駆け出しました。
——化物を助けようとして腕を捨てる。
フィズ様の大怪我の原因。私の中で、コーディアル様の気持ちの変化がストンと腑に落ちました。
——コーディアルは醜い化物と呼ばれても構いません。嘲笑われても全く気にしません。そうすることに致しました
化物とは、何を助けたのか分かりませんが、コーディアル様はご自分を重ねたのでしょう。
コーディアル様は本物の愛と真心を知れたということです。私達従者では届かなかった気持ちを、フィズ様がコーディアル様へ届けてくれた。私の頬に涙が伝いました。
——私は君を気に入っている。私が好むのは友愛を知る者。この城の主は真に果報者だな。レージングよ、無理についてくる必要はない
蛇神エリニース様は大嘘つきです。黒狼レージング様がフィズ様とコーディアル様、そして私達城の従者を守ろうと蛇神エリニース様に頼んだのでしょう。それに、蛇神エリニース様には「側室禁止」と宣言する奥様がいます。コーディアル様を妻にではなく、ちょっと火遊びする相手と思っていただけ。そう言っていましたもの。
読んだ神話の中に、女に奔放という話がいくつもありました。全く、神様でも男は浮気をしたい気持ちがあるとは、許し難いです。オルゴ様には神の教えは逆だと伝えようと思います。
黒狼レージング様が蛇神エリニース様に追いつきました。レージングの背に飛び乗った蛇神エリニース様。みるみる遠ざかっていきます。
再び地震が起き、巨大な蛇が大地へ潜っていきました。大通りに整列していた蛇も同様に地面に潜っていきます。
私は眼前の現実味のなかった光景に放心して何も言えませんでした。
「紅葉姫とは可愛い名前を貰いましたね。あの2人の存在に免じてこの地の者達は許されます。気にいられた分、裏切りや迫害には激怒が待っています。信仰を伝えなさい。それが貴女への罰にして救いです」
この声はシュナ様の声です。振り返ると、白い法衣が風に揺れています。
「ローズ様……」
よく似ていますが、瞳の色が空色。それに黄金稲穂色ですが巻き髪ではありません。サラサラの直毛。あとローズ様より大人っぽい。目の光も温かで嫌な光は一切ありません。
「罰……?」
「世界は不公平で不平等なのです。彼等が愛するのは血脈。貴女、宝石姫をチクチク攻撃したからね。代わりにうんと星姫を愛でた。天秤にかけると、救いと許しが圧倒的に強い。そういうことよ。サファイアや他の宝石達と今まで通り生きていけば、素晴らしい人生で、命の幕が下りるでしょう」
近寄ってきたシュナ様が、私の額にキスを落としました。
「妹をありがとう。それから、末永くよろしくお願いします」
白い巨大狼が疾風のように現れ、シュナ様を尻尾で連れ去りました。
妹?
コーディアル様の姉はローズ様しか……いえ、ドメキア王には側妃と成した子供がいます。本家別筋のお姫様。その誰か? しかし、ローズ様と同様に美しい姫がいれば噂になるでしょう。そんな噂、聞いたことありません。
蛇神エリニース様と妻のシュナ様。コーディアル様は神様の妹?
私は混乱しながら、建物の屋上に座り続けました。日が沈み、夜が来て、空へ流星群のような光が現れました。しかし、輝きは赤。月に照らされてキラキラと舞い落ちてきたのは、紅色の冷たくない雪。
この世界は謎に満ちています。