勘違い皇子は婿になる
【大陸中央 煌国】
机の上に置いた手紙を、もう一度手に取った。
窓から差し込む、夕暮れの明かりが羊皮紙を橙色に染める。
震える手で書いたのか、手紙の文字はよたよたしている。しかし、時間をかけて書いたと分かる。丁寧で読みやすい。
何の病なのか、痛々しい程腫れた指で、ここまで美しい字を紡げるとは信じられない。
コーディアルの浮腫んだ指や、彼女が時折関節をさすっていた事を思い出し、胸の奥を痛めた。
胸が押し潰されそうなのは、それだけではない。
貴女と踊りたいです。どちらかというと、女性に慣れていない自分にしては、高台から飛び降りるつもりで誘った。それなのに、あっさりコーディアルに袖にされた。
皇居や後宮で多くの女達が私に熱視線を送っている。だから、いつか心を動かされる女性が現れた時、すんなり上手くいくと思い込んでいた。多分、そう驕っていた。
穴があったら入りたい。むしろ、穴を掘って入りたい。
「レージング。あの姫は、私にまるで興味を示してくれなかった。外交相手としてではないぞ。男としてだ」
友狼である、黒狼のレージングは冷めた視線。
黄金太陽のような瞳が、その通りと訴えている。
「尊大さと未熟な事を見抜かれたのだろう。あの宝石でも見たことがないような瞳。私を丸裸にするような透明無垢さ。私よりも幼いのに、あのような広大な領地を背負い、より良くしようと励んでおられる」
思い出したら益々、息が苦しい。
渋々踊るしかなかったコーディアルの姉ローズ。彼女は確かに佳人だが、あのような娘はこの国にも大勢いる。
権力者の娘にありがちな、尊大で傲慢さが隠れていない、嫌な光の目。思い出しただけで、嫌な気分になる。
それに、香水がキツくて鼻が曲がるかと思った。
外交であるし、コーディアルが嬉しそうに笑って見つめてくるので、我慢するしかなかった。しかし、何とも苦痛な時間であった。
レージングの尾でベシリと背中を殴られる。結構痛い。
レージングは、とても愉快そう。小馬鹿にするように笑っている。
「おい、レージング。友に向かってザマアミロとは酷いではないか」
ふんっ、と鼻で笑われた。レージングは割と容赦無い。
幼い頃、怪我を手当てしたら懐かれた。勝手に現れ、勝手に去る。自由な狼。
狼にしては大きく、そして表情豊か。多分、賢く決して人に飼われないという大狼だろう。
レージングを犬ころだというように侮辱した官吏が、おもむろに腕を折られたりしているらしい。
自分はこのような、どう見ても普通の狼ではない、聡明かつ強そうな獣と反目する気はおきない。
尊敬には尊敬が返ってくる、という格言通りに、レージングは長年私を導くように、寄り添ってくれている。
「甘やかされ、チヤホヤされ、何も成さずに十八歳にまでなってしまった」
うんうん、というようにレージングは頭部を縦に振った。結構落ち込む。
街に出て、市民の声を集めたり、不足している医者や薬師になろうと、自分なりに励んできた。
「私の周りにはロクな女がいないと思っていたが、逆だ。私がロクデナシだからだ。あのような娘、直ぐに良き婿を迎えてしまう。側近達が縁談の噂をしていた」
またレージングは背中を尻尾で殴ってきた。先程より痛い。
彼の目が、考えるより動け。実行しろ、と訴えている。
「分かった分かった! 分かっている! しかし、私は変わる。それなりに励んできたと自負しているから大丈夫だ。きっと、コーディアル様は私の良いところを見つけてくれる」
再び、レージングは頭部を縦に揺らし、笑うように口を開いてくれた。
「なので、何の問題もない。政略結婚だろうと、いつか必ずコーディアル様の心をこちらに振り向かせられる」
呆れたような目になったレージングを無視した。言いたい事は分かっている。
立ち上がると、レージングに脛を蹴られた。痛い。
「仕方ないだろうレージング! うかうかしていたら、婿を迎えてしまう! 何とかという貴族の長男。側近の自慢の息子」
外交の際に、こっそり聞き込み調査——という名の盗み聞き——をした。
レージングはまたしても、脛を蹴り上げてきた。かなり痛い。
「勿論、私は彼等以上にコーディアル様を大切にする。こちらに振り向いてくださるまでは、指一本触れない。とにかく、先に妻にしておかないと奪われてしまう」
レージングに無視される。彼は窓から外へと飛び降りてしまった。慌てて窓から身を乗り出す。
「レージング! 確かに極悪非道だが、女性を物のように扱うなど言語道断だが、本気なんだ! こんな気持ちは初めてなんだ! レージング! どうか私を見張り、律してくれ!」
するすると皇居の庭を通り過ぎて、砦へ飛び乗ると、レージングは砦の屋根を駆けていく。
あっという間に姿が見えない。
窓から離れ、床や寝台に並べた婿入り道具を確認することにした。
必要なのは本だろう。
農耕、医学、それに法律関係。異なる文化と合わせたら、新しい素晴らしいものが生まれるに違いない。絶対に役に立つ。重いが、本をなるべく沢山持っていきたい。
衣服は大して必要ない。私物の分、コーディアルへの贈り物を増やす予定。
姉ローズ同様に、コーディアルの髪は艶やかで美しかった。
夜風に揺れる、蜂蜜色の髪。是非、手に取ってみたい。
花のような仄かな芳香。上品で、淑やかな仕草。それに何より、あの美麗な笑顔。
屈託無い、それでいて親愛こもった笑みを思い出すと、何とも甘ったるい気分になる。
「西の醜い姫か……。おまけに愚図で尊大だとは、ライバルを減らす為の大嘘だな。私だってあのような娘に惚れたら隠したい」
コーディアルの為に選びに選んだ髪飾りを手に取って、装飾のサファイアを見つめた。母の形見の一つ。気に入ってくれるだろうか?
この髪飾りは、夏の空のような瞳と、良く似合うだろう。きっと可憐な笑顔を見せてくれる。
コーディアルはこの国の衣装は着てくれるだろうか。
異国の服を昼間に堂々とはいかないだろう。しかし夜、人目につかなければ、寝巻きくらいなら身につけてくれるかもしれない。
肌触りがよく、快眠出来そうなものを選んだ。あのような病だ。上質な素材のものでないと、悪化してしまう。
一刻程して、レージングが戻ってきた。口に麻袋を咥えている。渡されて、確かめると中身は何かの種だった。
「レージング! 君は誠の友だな。この発想は無かった。ついついコーディアル様を飾る衣服や装飾選びに夢中になっていた。やはり私は未熟。君を見習わないとならない」
荷物にレージングがくれた麻袋をしまう。
レージングの毛をぐしゃぐしゃに撫で回した。よしよし、というようにレージングの尻尾が私の頭を撫でる。
ノック音がして、声を掛けられた。
「フィズ様。失礼致します」
「アクイラか、入れ」
扉を開いたのは、やはり乳兄弟のアクイラだった。
「隣国に婿入りとは、どういうことでしょうか!」
激怒という様子のアクイラに、私は少し後退った。
「アクイラ、君まで私を責めないでくれ。レージングは渋々だが、理解してくれた」
「責める?」
「違うのか? 私が父上に頼み込んだのだ。元々、隣国と縁を結びたいという話だっただろう? そりゃあ権力をかざして手に入れるとは悪しき行為だが、仕方ない。あのような娘、先手を打たないと妻に出来ない」
眉根を寄せて、唇を一文字に結んだアクイラを見て、私は項垂れた。
「そのような非難の目で見るな」
「あの、フィズ様……」
「いや、付いてきてくれるなら私を見張ってくれ。コーディアル様に真の夫と認められるまで、私は決して彼女に手を出さない。必ずや相応しい伴侶となる。私にはレージングやお前が必要だ。是非、助けて欲しい」
情けないだけでいるつもりはない。私は胸を張った。
アクイラは不審そうに顔をしかめ、レージングを見つめた。レージングが頭部を横に揺らす。
「あー、フィズ様。嫌々でないのなら良いのです。毎度のことながら、私はどうも貴方様の事が分かりません」
「嫌々? 嫌なのはコーディアル様であろう。外交の一環として、一度会っただけの男を婿にする。おまけに、十数年前までの戦相手国の皇子だ」
自分で口にして、改めて非道さに気がつく。しかし、他の男の妻になんてなられたら最悪。
急がないと、彼女のような素晴らしい女性は、すぐに結婚してしまう。
「いや、まさか。女性という女性が、貴方の妃になる事を望んでいますよ」
「コーディアル様には望まれていないぞ! 父親であるドメキア王にかなり渋られた」
「あー、そうなのですか?」
「そうだ。娘にお前は相応しくない。私には、コーディアル様ではなく、あの嫌な感じの王女が似合いだと言われた。最低の評価だ。私は変わる。絶対に変わってみせる」
「また何か妙な勘違いをしたんですね。あの国に単身乗り込んだそうで……。どんな話をしてきたんです?」
「勘違い? まさか。いや、君がそういうなら己と向き合って考察しないとならないな」
「自己反省は一人でして下さい。話の内容は?」
「ドメキア王に会いに行き、煌国と休戦や交易をして栄えたいなら、コーディアル様と結婚させろ。そう、父上の名を使って脅した。こう、上手いこと言葉を選んでだが……本心はそれだ」
アクイラが両手で顔を覆って、ため息を吐いた。
「フィズ様の気持ちは、よく分かりました。そんなにあの姫を気に入ったとは……信じられませんが……信じます。まあ、フィズ様がここまで執着するのなら、良い方なのでしょう」
「君は人を見る目を養うべきじゃないか? いや、会っていないから分からないんだ。もう彼女は私の婚約者だ。それに君と彼女が会うのは私達が婚姻後。横取りするなよ」
アクイラから返事がない。額に手を当てて、困り顔。
素晴らしい未婚女性が一人この世から消えたのだから、仕方ない。まだ婚姻前だが、婚約したからコーディアルは既婚女性とほぼ同様だ。
「はあ……。無下にはされないだろうが、私の傲慢さや未熟なところを露呈し続けたら嫌われるかもしれない」
自然とため息が漏れ出る。
「コーディアル様のような娘に、軽蔑の視線を投げられたら大恥晒し。想像しただけで、倒れそうだ……」
温かい瞳のコーディアルが、正反対の冷ややかな視線を私に投げる。想像しただけで気分が悪くなった。現実になったら、寝込む自信がある。
「帰国してから憂いたお姿ばかりなのは、あの地の貧困者に御心を痛めているからかと……」
「そのように手厳しい事を述べるなアクイラ。コーディアル様は私の二つも下。あのような辛そうな病だ。家臣の数も少なそう。手が足りないのは明白。私はきっと役に立つ。立ってみせる」
拳を握り、天井に向かって腕を伸ばす。気合が入る気がする。
「この国には兄上方や、お前の父上のような立派な官吏もいる。私は色々と学んできたので、必ずやコーディアル様を照らす太陽となり、彼女が愛する地も豊かにする」
コーディアル様のような女性に尊敬される男になれば、偉大で立派な父や兄の横並びになれるだろう。そういう予感がする。
こうして、私は意気揚々と隣国のコーディアル姫の元へ婿入りした。
☆★