優しい醜い姫と勘違い皇子への奇跡
年が変わり、冬が過酷になっても旦那様の腕は治らない。火傷のような皮膚は治ったが、まるで石のように灰色となり全く動かない。嫌なことは重なるもので、城下街では流行病が広がっている。謎の発疹と高熱。接触してもうつらないようなのに、徐々に罹患者は増えている。
「コーディアル。今夜は城に帰ってきてくれ。休んでから、また看病に来なさい」
病院の病室入り口から旦那様に呼ばれ、コーディアルは患者から離れた。朦朧として、熱に浮かされているのに濡れた布を変える手が足り無い。城下街にある、二つの病院の入院室はもう一杯。重傷者は入院しているが、お金が無い者や軽症者は自宅療養。それで看護の者も不足がち。色々な仕事の働き手がいなくなっているので、領地の運営にも支障が出ている。悪循環とはこのこと。
「はい、フィズ様」
コーディアルは侍女ハンナとラスを手招きした。二人は首を横に振る。
「明日、コーディアル様と交代致します」
「ハンナと交代交代で働きます」
コーディアルが断る前に、二人はまた首を横に振った。
「コーディアル、指揮官は倒れてはならない。行こう。厄介事も舞い込んできた」
旦那様は後半の台詞をコーディアルにだけ聞こえるように、小声で耳打ちした。コーディアルはハンナとラスに頭を下げてから、フィズと共に病室を後にした。病院の外で、レージングとアクイラが待っていてコーディアル達の後ろにつく。病院前には人だかりが出来ていて、騎士団が民衆を抑えるように並んでいた。
またか。コーディアルはため息を堪えた。旦那様は涼しい、澄ました顔をしている。
「疫病神達を追い出せ!」
「領地をこのまま地獄にするつもりですか!」
身なりの汚い若い男が二人、旦那様の前に飛び出してきた。即座に騎士達に捕まる。
「疲労困憊し、病人までいる難民を見捨てるなどせん! 今、蔓延しつつある病は伝染しないと判明している! 共に耐えてくれ、民よ。明けない夜は無い。行いは良くも悪くも巡り巡って返ってくる」
旦那様の凛然とした声が響き渡る。アクイラが進み出て、捕縛者二人の前で剣を天高く掲げた。分厚い雲に覆われた空は鉛色。今夜は雪が降るかもしれない。群衆から悲鳴が上がる。
「民を代表してよくぞ吠えた! 汝、領主の素質がある。と、フィズ様なら申すでしょう。よって無礼分働け! 人手が足りぬ! ビアー、マルク、その二人を私の従者とするので連れてこい! 他者の為に声を上げた勇敢な者よ。信じる者を選べ。両の眼でしかと見定めよ! 本国ならば首を刎ねられているぞ」
アクイラは地面に剣を突き刺しただけだった。旦那様はもう背中を向けて歩き出している。レージングがコーディアルの背中を尾で押すので、コーディアルも旦那様に続いた。歩幅を大きくして隣に並ぶ。城へ続く丘の、一番高いところで旦那様は振り返った。
「民より難民を庇護するなど浅はかだった! 新たな従者と共に城の保管庫をさっさと空にせよアクイラ! 食料配布の采配、城の調度品の売買を全て任せているが遅い! 私は国王陛下からの勅命があり忙しい! 信頼しているのだから応えよ!」
こういう時の旦那様はまるで王。ようやく19歳だというのに、威風堂々と民衆の先頭に立つ。強風が旦那様の真紅の外套をはためかせる。銀刺繍の国紋に、尊敬の視線が集まっているのは背後にある権力が理由だからでは無いだろう。そう、はっきりと伝わってくる熱視線。コーディアルは改めて隣の旦那様を尊敬し、愛おしいとも思った。腕は使いものにならないが、健脚な足がある。そうやって泣き事一つ言わない。
その時、突風が吹き荒れた。地鳴りがして、大地が縦に揺れる。コーディアルは旦那様を支えようとしがみつく。アクイラが揺れる地をものともせず動き、コーディアルを支えてくれた。旦那様の隣にピタリとレージングが並ぶ。
レージングが眼前の大通りに向かって、巨大な咆哮をした。空気が震える程の大咆哮。三回吠えると、レージングは三歩進み、下半身を地につけて座った。黒檀のような艶やかな毛が、穏やかになった風に揺れる。
「神は本当にいるのか……」
旦那様が猫のような目をこれでもないかというほど見開いて、小さく呟いた。コーディアルは旦那様の視線の先に目を向けた。
城下街を囲う砦向こうの平原に、巨大な蛇が二匹。夕暮れの紅蓮の太陽に照らされる、荘厳な姿。森で見かけた大蛇など、比べ物にならない。
それだけではない。いつの間にか、大通りに蛇が現れていた。道を作るように左右に二列。二種類いる。角あり蛇と、頭部の口元が鋭い蛇。どちらも体は硬そうで少し光を放つような銀とも鉛ともいえない色。
「先日は友が世話になった領主様方」
振り返ると、黒い法衣を纏う者が立っていた。顔は見えない。声は男。フードの上に、以前森で旦那様と遭遇した蜜蜂もどきが乗っている。
「行いは良くも悪くも巡り巡って返ってくる。良い言葉だ。今夜、流星のような空を見れるだろう。やがて奇跡の雨が降る」
男はコーディアル達に背を向けた。斜めに掛けている小汚い鞄から何かを出す。キラリと光ったそれを投げてきた。回転しながら旦那様へ向かって飛んでくる何か。アクイラが前に出ようとしたが、旦那様は前に進み出てアクイラを止めた。地を蹴って跳ねたレージングが何かを口で捕らえる。
それは、白銀に輝く金属製の輪だった。旦那様とコーディアルの結婚指輪に良く似ている。蛇の形で、目の位置に紅色の石が付いている。レージングが旦那様の前まで移動し、輪を咥えたまま旦那様を見上げた。
「流星で作った冠、とでも呼んで欲しい。人の王よ、友と私からの礼だ。流れ星は幸福の象徴。毎晩感謝し、時に歌え。特に隣の妃に歌わせよ。子々孫々、夫婦の矜持を伝えるが良い。二人でその袋に入っている流星を食べよ。友からの謝礼なので、他の者が横取りすれば厄災訪れる。ではレージング、約束である。行こう」
レージングが頭部を揺らし、旦那様の頭に向かって冠をふんわりと投げた。旦那様に誂えたというように、ぴったりと嵌った冠。ポトリ、と冠についていた袋が地面に落ちた。レージングが袋を前足でコーディアルの足元に移動させる。コーディアルは袋を手に取って開いた。中に金平糖のような白いものがいくつも入っている。
「ふははははは! 気高き大狼の子を親友にし、妻は生娘にしたまま。おまけに化物を助けようとして腕を捨てるとは珍妙怪奇な男! 十八歳、成人と共に妻に迎えようと思っていたたおやかな娘を横取りとは腹立たしい! おまけに我が友まで味方につけおって、許し難いのでお前の無二の親友は貰っていく!」
高笑いしながら、遠ざかっていく黒法衣の男。レージングが旦那様に向かって小さく三回吠え、コーディアルにも同じように吠えてから駆け出した。レージングが黒法衣の男に追いつくと、黒法衣の男はレージングの背に飛び乗った。みるみる遠ざかっていく。
再び地震が起き、巨大な蛇が大地へ潜っていった。大通りに整列していた蛇も同様に地面に潜っていく。
誰も、何も言葉を発することが出来なかった。
その夜、本当に空へ流星群のような光が現れた。しかし、輝きは赤。月に照らされてキラキラと舞い落ちてきたのは、紅色の冷たくない雪。コーディアルは屋上で旦那様と並んで空を眺めた。
「大蛇の国、蛇神か。私は信仰心を持たなかったが、これからは崇めよう。以前この城の図書室で見つけた古い虫食いだらけの書に記されていた。昔、死の森で暮らす生物と人間は親しかったらしい。あの男はその子孫だろうか? 世界は謎に満ちているなコーディアル」
「ええ。身近な方も謎だらけですし、世の中は奇々怪々です。美麗な景色を見て、前を向いて頑張りなさいとは素敵な贈り物ですね。それにその冠。フィズ様ならこの困難を乗り越えられるという啓示だったのでしょう」
白銀に煌めく冠は、旦那様に本当に良く似合っている。旦那様は、とても大きなため息を吐いた。
「先に妻にしておかないと奪われてしまう。私の勘は正しかった。神だか、神の使者が妻にと望んでいたなど危なかった。それにしても、レージング。神に側仕えを頼まれるとは、偉大だ。追わないとならない。今の私だと、走らないとならないな。コーディアル、私はいつか必ず君に相応しい伴侶となる。真の夫となりコーディアルを幸せにする」
胸を張り、キリリとした顔になると旦那様はコーディアルの頬にキスしてくれた。またほっぺた。いつになったら旦那様は然るべき場所にキスをしてくれるのか?
「もうっ! また……。フィズ様、コーディアルは既に幸せです。理由はうんと沢山ありますが、一番はフィズ様という旦那様がいるからです」
旦那様はぼんやりとコーディアルを見つめている。この顔をしている時、理解し難いが旦那様はコーディアルに見惚れている、らしい。この醜い顔を可愛いと言っているらしいが、信じられない。視界が変なのだろう、とはコーディアルと従者達の総意。神様にまで珍妙怪奇と呼ばれていたので、その通りなのだろう。コーディアルは手に持つ袋から、金平糖もどきを取り出した。
「旦那様? 今、私を旦那様と呼んでくれたか?」
コーディアルは旦那様の頬にキスをした。このやり取りはもう何度目だ?
「他に誰がいるのですか? それとも私の気持ちを疑っておられるのですか? いつになったら然るべきところへ……」
また旦那様はぼんやりしている。不満なので、コーディアルは旦那様の口に金平糖もどきを突っ込んだ。
「っんぐ。に、苦い……」
自分も食べてみる。苦い。苦すぎる。他の者に渡すなと言われたので、苦いが全部食べきった。二人で半分こ。十五個ずつもあって、最後は舌が痺れるような感覚になった。
「甘いと思ったのに苦いな。意外に美味しい気もした。柔らかくてすぐに溶ける。流星とはこのようなもので出来ているのだな。どうやって光るんだ?」
コーディアルにも不思議だった。闇夜を照らす光が、こんな代物とは驚きしかない。
「世の中には不思議が溢れていますね、フィズ様。あら、雨です。これも予言通りですね」
「冷える前に寝室に戻ろうコーディアル」
ポツポツと雨が降り出したので、コーディアルは旦那様と城中へと戻った。寝室に向かう。相変わらず隣同士の部屋。
「今夜は寒いので、フィズ様と寝ます」
勇気を振り絞ってそう告げたら、旦那様は驚愕して「また夢か。私は疲れているんだな」と言い出した。コーディアルは呆れて、無言で旦那様の寝室の扉を開いた。旦那様の背中を押して寝室内に入り、えいっと抱きつく。この人の思考回路はどうなっているのか、頭の中を覗いてみたい。
「おお、夢だから腕が動く。これで思う存分、コーディアルを愛でられる。手が使えないと何も出来ない。耐えるのが辛かった」
へ?
旦那様の腕が、コーディアルの体を抱きしめている。
「フィズ様、腕……」
あっと思ったら、旦那様の両手がコーディアルの頬を包んだ。割と強引にキスをされ、コーディアルは目を閉じた。何度かキスをすると、旦那様はコーディアルから顔を離した。
「これは夢ではない気がするな……。しかし、突然腕が治るとは……。コーディアル、初めて会った時からずっと愛している。何度も誘惑されて悶え死ぬかと思った。このまま、本物の夫婦になりたい」
情熱的な視線に射竦められる。コーディアルは小さく頷いた。旦那様の手が、コーディアルの手を握り、引っ張った。
目に飛び込んできたのは、白くてスラリとした腕に褐色の逞しい腕。コーディアルは驚いて旦那様の手を引っ張り返して、鏡の前へと移動した。
「フィズ様……これは……」
鏡の中には、見知らぬ女性が立っていた。
「コーディアル。いつも美しいが、今日は一際。まるで病など無いように見えるな……。辛くなさそうで何より。この甘ったるい優しげな顔には、いつも惑わされる」
コーディアルは旦那様に抱き上げられて、寝台へと運ばれた。
それはもう、甘くて蕩けそうな夜。
二人だけの秘密。
☆★
翌年、すっかり豊かになった領地は国の位を貰いました。北西の連合国に新たな国が加わったのは、随分と久々のことでした。記念すべき日に、それはそれは可愛い王子様二人とお姫様が生まれました。蛇の神を祀る神殿が完成した朝の事です。紅の雪が降り、王様とお妃様に奇跡が起こった日の丁度一年後でした。謎の奇病の罹患者、その最後の一人が元気になった日でもあります。
三つ子の誕生日には、流星祭りという名がつけられました。数々の奇跡に感謝して祈り、家族や友に知人隣人を労い、歌うべき日です。初めての流星祭りでは、出産したばかりの美しいお妃様自らが美声を披露しました。
王様は隣でずっとお妃様にデレデレの締まりのない顔をしたせいで、民に笑われ、従者達にも揶揄われ、大笑いされました。おまけに何故か空から魚が降ってきて、王様の頭をベシリと叩きます。王様の頭にはこのように、時折魚が降ってくるのです。北西の国には多くの謎が秘められています。
それは、また別のお話。
流星祭りの招待客で元々のお妃様を知っている者達は、口々に疑問を口にしました。替え玉、偽物と呼ばれた時に王様はポカンとしていました。
「病が治ればこのような顔だと、誰でも知っているだろうにどういうことだ? 骨格が変わった訳でもあるまいに。それに今も前も人柄が顔に滲んでいる」
流星祭りが過ぎても、同じやり取りが繰り返されました。やがて、誰もお妃様について尋ねなくなりました。そのうち、お妃様が醜かったことについても忘れられていきました。
可愛い三つ子はやがて、両親のような立派な者に成長します。長男は蛇、次男は狼、末娘は蜂に好かれたそうです。
それも、また別の物語。
これは、北西の国の古い、古い時代からある恋物語の一幕。
こうして、かつて醜くかった優しいお妃様は、立派で慈悲深いのに珍妙な王様と共に、豊かな国で死ぬまでずっと幸せでした。
★★☆
読んでいただきありがとうございました。
良かった、つまらない、でも良いので感想を貰えると励みになります。
おまけ、時折追加します。
補足を兼ねた侍女ハンナの物語から、4話分の一部分を外伝として、抜粋転載しました。
補足も兼ねて、三つ子の話を制作
エリニス王子「未定」
レクス王子「恋に気がつかない大狼王子の初恋物語」連載中
ティア姫「思い込み激しい蜜蜂姫と女嫌い皇子の恋物語」完結
よければお願いします。