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勘違い皇子は悶える

 西の果てにある死の森、そこに住まうという巨大昆虫。化物。怪我をしていた大きな蜂もどきは、多分それだろう。一目見た時、そう思った。しかし、とても化物には見えず、フィズの勘も恐らく正解だった。あれは全くもって化物なんかではなかった。

 触れると死ぬと聞いていたが、あながち嘘では無い。蜂に似た生物を抱きしめたフィズの腕は、激痛とともに腫れ上がった。まるで火傷。緑色の体液のせいかとも思ったが、胸元周りなどにも付着していたのに無事。腕だけの理由は分からず終い。

 原因不明であり、何の薬が効くのか分からず、清潔に保って包帯を巻くという治療をしてもらっている。不幸中の幸いで、痛くない。神経障害かもしれないとは医師談。動かないというのが難点である。


 ナイフか何か、鋭利なもので腹部あたりを切られていた大きな蜂は助からず、フィズは気落ちした。あれは絶対に自然にあるもので出来た傷ではない。


 落胆していたのは、蜂もどきが死んでしまった朝までだった。


 夜になった今など真逆の気持ち。


「フィズ様。本日の夕食は魚の香草焼きです。川で釣ってきてもらいました」


 食堂、隣の席から「はい、あーん」というように魚の身を刺したフォークを差し出すコーディアル。


 微笑みながらフィズに魚を食べさせてくれるコーディアルは、はっきり言って、可愛い。恥ずかしくてならないのだが、いかんせん逃げ道はない。手が使えないので、食べさせてもらうしかない。そしてコーディアル以外、今ここにいない。料理を全部並べると侍女は食堂から出て行った。護衛に目付け監視なので、いつも一緒に食事をしていたアクイラ、オルゴも食堂の外。常日頃、コーディアルの近くにいるレージングさえ不在。コーディアルと二人きり。


「お味はどうです? 塩加減ですとか」

「た、た、大変美味しいですコーディアル様」


 コーディアルは前みたいに俯かない。悲しそうな顔もしない。ニコニコとフィズに笑いかけてくれる。おまけに、この料理はコーディアルの手製だと聞いている。


「美味しい、は嬉しいですがフィズ様の好みも知りたいです」


 次の魚の身をフォークに刺すコーディアル。


「こ、この味が好きです」


 大きく頷くと、コーディアルははにかんだ。これはまた愛くるしい笑い方。フィズはピピピピンッときた。これは、夢だ。好き放題するなら、夢である今のうち。


「最近、良い夢ばかり見る。コーディアル様。いや、コーディアル。実は頼みがある」

「夢ではございませんフィズ様。痛いでしょう? 頼みとは何ですか? 遠慮せずに申して下さい。あと、(わたくし)もお願いがございます」


 コーディアルに頬を抓られた。痛い。クスクス笑うコーディアル、かわゆい。夢でないなら幻覚か。それにしては意識は明瞭。


「願い? 何でしょうかコーディアル様」

「それですフィズ様。コーディアル、と呼んで欲しいです。それから今夜、フィズ様の部屋のベランダから星を眺めませんか?」


 コーディアルの頬は赤い。今、フィズの前でみるみる赤くなった。それにコーディアルはとても恥ずかしそうに見える。視線を泳がせながらの微笑。だから、熱発した訳ではない。彼女は照れている。


 フィズの思考は停止しかけた。何だ、これは。勘違いして良いのか? やはり幻覚か?


 その時、食堂の扉が開いた。現れたのは、収穫祭のために来訪して、まだ帰らないローズ姫だった。また、ぞろぞろ従者をはべらかしている。


「両腕を怪我されたと聞きましたフィズ様。食事をするのは大変でしょう」


 ツカツカと靴音を鳴らしてフィズ達に近寄ってきたローズ姫。コーディアルの手からフォークを引ったくり、フィズの隣の椅子に座る。コーディアルと反対側の位置。


「食欲が失せるものが近くにあると困りますでしょう?」

「ええ、そうですね姉上。過剰な香水には辟易します。落としてきてくださるなら有り難いです」


 せっかく、香草の良い香りが食堂を満たしていたのに、とフィズは顔をしかめてローズ姫にも後頭部を見せた。


「何ですって?」

「姉上、労ってくださるのは嬉しいですが代わりに染物を頼めます? 私がコーディアルさ……コーディアルの手を煩わせているので、滞っています」


 チラリ、とローズ姫に視線を送る。恥ずかしい事この上ないが、コーディアルと二人きりで天国にいる気分だった。邪魔だな、この義姉。


「まあ、フィズ様。姉上の白魚のような手が汚れて赤切れてしまいます。姉上、ありがとうございます。フィズ様を宜しく頼みます」


 立ち上がって去っていくコーディアルの姿をフィズは、彼女が食堂から出て行くまで見つめ続けた。それから、ローズ姫に視線を移動させた。多分、フィズはローズ姫を睨んだ。抑えようとしているのだが、勝手に表情筋が動く。


「フィズ様?」


 ローズ姫が顔を青くして、少し仰け反る。コーディアルの姉なのだから愛想良く、と心掛けようとしても、口がへの字に曲がる。食堂にアクイラとオルゴが滑り込むように入室してきた。ローズ姫は気がついていない。フィズは目で「義姉を追い出してコーディアルを連れ戻して欲しい」と訴えた。アクイラとオルゴは澄まし顔で扉の傍に立っているだけ。


「腕が思い通りにならない上に、あのような醜い顔を近くで見せられては不機嫌にもなりましょう」


 ローズ姫の手がフィズに向かって伸びてきた。頬を触られた瞬間、フィズは勢い良く顔を背ける。いくら義理の姉とはいえ、未婚の女性に軽々しく触るなど紳士ではない。それに、この一年に及ぶコーディアルへの中傷発言はうんざり。こんな女と仲良くするなんて、吐き気がする。


「いいえ、姉上のその目こそが不機嫌な理由です。嫌味や人の悪口ばかりの形だけ良い口も。老いれば皆醜くなる。むしろ、それまでの人柄が皺となり人相に出ます。今、美麗なうちに己を省みるべきです」


 フィズはわざとらしく、大きなため息を吐いた。コーディアルが焼いてくれたという、パンを見つめる。フィズも阿呆ではない。ローズ姫の行動の意味は何となく察している。度々この領地にくる理由も。注がれる熱視線は、かつて故郷の皇居に勤める女官達や公務の度に現れる妃がね達と同じ種類。末っ子で皇帝陛下や兄や姉達に溺愛されるフィズの裏にある権力を欲しているのだろう。

 元々、政略結婚の相手に臨まれたのはローズ姫。父である皇帝陛下はこの国と縁を結ぶつもりは無かった。三国一の、いや、絶世の美女ならばフィズの心を奪うと、画策されたのは知っている。


「貴女は一目で胸を貫くような方です。まあ、悪くないと思いました。私も未熟者ですので共に成長するのも悪くない、と。両国の協定の橋渡し、人柱。その中で自分なりに励み歩み寄れば良いと考えもしました」


 背けた顔をローズ姫へと戻す。やはり、奇跡のような美女。しかし、フィズの心の中には嫌悪感しか湧かない。コーディアルの姉なのだから、歩み寄らないとならない。彼女の良いところを探すべき。何度もそう思って、言葉を選んできた。多分、それが悪かった。ローズ姫に必要なのは甘やかさない相手。叱ってくれて、導く者。悪いのは環境で、ローズ姫のせいではない。


「ローズ姉上、今持つものは、その美貌はいつか貴女の手から溢れ落ちる。もしかすると地位や財産も失うかもしれない。しかし磨いた品性、知性、そして心の豊かさは決して失われません。流行病に、貧富格差や他国との政治情勢。この国は実に不安定ですので、どうか励んでください」


 ガタガタと音を立てて、ローズ姫は勢い良く立ち上がった。真っ赤な怒り顔。フィズは真っ直ぐにローズ姫を見据える。


「妻を貶める貴女を滞在させたくありません。アクイラ、オルゴ、ローズ姫様と御一行の荷造りを皆に手伝わせ騎士団に本国まで見送らせろ」


 ローズ姫の腕が振り上がる。辛辣なのは彼女の為だがこのような叱責は屈辱だろう。黙って殴られるかと、フィズは動かなかった。


「何たる侮辱! 見る目無しの酔狂男! 揶揄って遊んでやろうと思っただけなのに勘違いとは身の程を弁えよ!」


 ローズ姫の腕が振り下ろされる。パアアアンと乾いた平手打ちの音が食堂に響く。フィズの眼前でさらら、と黄金稲穂色の髪が揺れた。殴られたのはコーディアルだった。彼女が手に持つグラスから、ばしゃりと水が溢れてテーブルクラスや床を濡らす。


「どうされたのですか? この短い時間に何で喧嘩など?」


 コーディアルがフィズとローズ姫を交互に見て、悲しそうに瞳を揺らす。


「私が我儘を申して姉上の親切心を無下にしました。貴女の姉上なので仲良くとは思っているのですが、価値観が違いすぎて中々歩み寄れません」

「お前のような化物女には奇天烈男が似合い。貧乏な田舎領地で朽ち果てよ。二度と気にかけたりしません。父上にもしかと伝えます」


 背中を向けて歩き出したローズ姫。彼女の捨て台詞にコーディアルが目に涙を溜めた。抗議しようとしたら、アクイラとオルゴに睨まれた。この状況はフィズのせいなのに傍観せよとはどういうことだ。


「姉上、無抵抗な者を殴るなど恥です。ましてや姉上は王位継承位三番目という尊いお方。フィズ様に謝罪くださいませ」


 コーディアルの凛としながらも低い声にフィズは驚いた。まさか、ローズ姫を非難するとは思わなかった。ローズ姫が振り返る。美女が台無しな鬼のような形相。


「何ですって?」

(わたくし)への仕打ちは、姉妹同士の戯れの一環。本国本城での暮らしは息が詰まりますし、小さな背に乗る大き過ぎる期待や圧力。息抜きは必要です。妹に甘えてくれる姉上を嬉しく思っております。しかし、フィズ様は違います。縁を結んだとはいえ、未だ停戦にとどまり同盟には至っていない、隣国の皇子。それも皇帝陛下が溺愛する方でございます」


 コーディアルの小さな背は故郷にいる兄達のように大きく見える。


「フィズ様は再三、この領地を離れて帰国せよと皇帝陛下より催促されています。停戦破棄にて戦という思惑があるのかもしれません。ですから姉上、フィズ様に謝罪してください」


 狼狽してすっかり萎縮しているローズ姫は固まっている。コーディアルはローズ姫の隣に並び、無理矢理ローズ姫に頭を下げさせた。それから、自らも深くこうべを垂れる。


「姉上を庇ってくださり、ありがとうございますフィズ様」


 フィズは慌てて立ち上がり、コーディアルの頭を上げさせようとした。しかし、腕が動かない。下からコーディアルの顔を覗き込む。


「庇ってなどいません。私の口が少々過ぎました」

「コーディアル様。フィズ様は貴女様を少々貶められて腹を立てたので、ローズ姫様を過剰に責め立てたのです。我が国としては、両成敗として無かったことにして頂きたいです。些細なことで戦など困ります」


 口を挟んできたアクイラをフィズは睨みつけた。アクイラは涼しい顔をしている。オルゴには睨み返された。


「フィズ様。あしらいと自己抑制を覚えて下さい。兄弟喧嘩、痴話喧嘩で済むことに感謝せねばなりませんぞ。目上のローズ姫様への無礼、国王陛下に伝わるのは我が国としても不利益。不問にしてくださるローズ様へ謝礼を用意しておきます」


 これか、アクイラとオルゴはフィズを叱責する良い機会だと見定めたのだろう。常日頃、コーディアルのことだと過剰だと怒られていたのに耳を貸さなかった。だから、本人の前で注意することにしたのだろう。


 アクイラとオルゴが放心しているような、青白い顔でぼんやりとしているローズ姫を労わるように食堂の外へと連れていった。未熟で傲慢だった。コーディアルの前で大恥晒し。穴があったら入って隠れたい。いや、穴を掘って入るしかない。しかし、この腕。コーディアルがフィズを立たせた。


「フィズ様。コーディアルは醜い化物と呼ばれても構いません。嘲笑われても全く気にしません。そうすることに致しました。ですので領地をより良くするために社交場へも顔を出します。フィズ様の腕が良くなるまで領主として堂々と公務をこなします」


 コーディアルがフィズの胸にそっと体を預けた。次はフィズの体にコーディアルの腕が回る。突然の事態に、フィズは全身を強張らせた。


「フィズ様がいます。それだけで心強く、前を向いて歩けます。その腕が治らなくても、コーディアルが支えます。代わりにどうか、ずっと隣でコーディアルに勇気を与えて下さい」


 照れ顔の上目遣いでフィズを見上げたコーディアル。これは、つまり、どういうことだ? そういうことか? 何故? 最近、親しくなれてきたとは思っていたが、そもそもフィズは何にもしてない。今など醜態を晒した。腕が治らなければ役立たずな上に迷惑になるからこの地を去るという考えもあった。コーディアルはそのフィズの気持ちを汲んでくれた?


 コーディアルはそっと目を閉じた。長い睫毛が震えている。


 何だこれは。据え膳か? 据え膳食わぬは男の恥。しかし、誤解なら極悪非道だ。ぐるぐると正解は何かと迷っていたら、パチリとコーディアルが目を見開いた。拗ねたように唇を尖らせるコーディアル。


「し、し、然るべきところへはフィズ様からお願いします。出来れば星を眺めながら……」


 背伸びをしたコーディアルがフィズの頬に唇を押し当てた。逃げるように去っていくコーディアル。


 フィズはその場に脱力してへなへなと座り込み、自分でも気持ちが悪い悶絶の声を漏らした。


 コーディアルと入れ違いで食堂に現れたレージングが、フィズの前まできて尻尾でベシリとフィズの頭を殴った。次は、フィズの頭を尾で撫でる。レージングは狼の癖に、良くできましたというような笑顔を見せてくれた。

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