優しい醜い姫と浮かれ皇子
フィズ皇子がコーディアルを好いている。衝撃的かつ天変地異のような事実で、一晩眠れなかった。大混乱だが、とりあえずフィズ皇子に必要なのは栄養と休養。なので、コーディアルはスープを作った。
「フィズ様、大変喜ばれると思います。かねてより、炊き出しのスープを飲みたい。そう申しておりました。も、ち、ろ、ん、コーディアル様の手料理が食べたい、という意味です」
スープ皿の乗ったお盆を持つハンナが、ニヤニヤ笑う。
「か、から、からかわないでハンナ。フィズ様は……」
「嘘ではありません。知らぬのはコーディアル様のみです。むしろ、あちらこちらで噂しているのに何故気がつかないのか不思議でした」
ほら、早く歩けというようにハンナが顎を動かす。コーディアルの足をペシペシと尻尾で叩くレージング。フィズ皇子の寝室は目と鼻の先。
「そもそも、影からこそこそコーディアル様を付け回す……コホン。もとい見守る熱視線。大量の贈り物。寝室移動。何一つ知らなかったということに驚愕しています」
「そ、そ、そんなの分からないわよ! 熱視線なんて無かったわ。差別的ではない温かな視線だと感じていました。そうです。ハンナやラス、アクイラ様やオルゴ様の深読みとは異なります。張本人の私の感じ方が正しい筈です。フィズ様は人類愛に溢れております。そのような、勘ぐった見方をしてはなりません」
ジト目でコーディアルを見つめるハンナ。レージングが鼻を鳴らす。そうだ、博愛主義のフィズ皇子の優しさを、皆が勘違いしているのだろう。危うく騙されるところだった。騙される? コーディアルを騙してどうする。ハンナ達は、コーディアルを滑稽だ、などとケラケラ笑う者達ではない。しかし、フィズ皇子が? 不釣り合いなコーディアルを好き? 政略結婚でも、同情でもないだなんて信じ難い。
バクバク煩い心臓を抑えるように、コーディアルはなるべく深くゆっくりと呼吸することを心掛ける。廊下を進み、フィズ皇子の寝室前に立った。
「ハ、ハンナ、後は頼みまし……」
「逃亡禁止でございます。フィズ様は大変傷ついて熱まで出しました。謝るべきです。嫌いではなく好き……コホン。尊敬しているとお伝えください。恋でなくても、良い印象を持たれていると知ればフィズ様は元気溌剌になるでしょう」
思わず、コーディアルは首を横に振った。違ったら恥ずかしいこと、この上ない。
「フィズ様の心より、恥ずかしさが優先ですか?」
「まさか! し、し、しかしですねハンナ……」
「コーディアル様がフィズ様を恋い慕っていないのは誰もが知っております。なので、尊敬しています。それだけで良いのです。この一年のフィズ様への御礼だと思えば簡単ですよね?」
「それは、まあ、そうね。そ、そ、そうねハンナ。尊敬しております。ええ、それは是非伝えないとならない言葉です」
意を決して、寝室の扉をノックする。熱で寝ているのだから、返事はないのは当たり前。コーディアルはそっと扉を開いた。フィズ皇子が窓際でしゃがみこんでいる。
「まあ、フィズ様。大丈夫ですか?」
顔だけ動かしたフィズ皇子と目が合う。紅潮した頬にボンヤリとした視線。フィズ皇子は何故か自分の頬をつまんでいる。まだ熱があるのだろう。起きてみたが、倒れそうになってしゃがんだに違いない。コーディアルは慌ててフィズ皇子に駆け寄った。
「まだ、顔が赤いです。熱が下がっていないのでしょう」
体を支えようと手を伸ばす。やはり、フィズ皇子の体は熱かった。シャツ越しでも分かる。フィズ皇子は背が高いので、肩にフィズ皇子の腕を回すのは楽だった。フィズ皇子が寝台まで移動するのを手伝う。寝台にフィズ皇子が座ると、コーディアルは彼の膝の上に布団をかけた。その上に、レージングが乗っかって伏せた。働き出さないように、ということだろうか?
「スープを用意しました。飲めそうですか?」
ハンナからお盆を受け取り、寝台脇の机にお盆を置く。汗ばんでいる肌に、やはりボンヤリとした表情。余程疲れていたのだろうと、胸が痛んだ。頼り甲斐があり、何でもこなしてしまうので、つい甘えてあれこれ任せてしまっていたが、フィズ皇子はコーディアルのたった二つ上。働き詰めで、熱くらい出す。
「どうにも腕が怠いので、難しそうです。コーディアル様、手伝っていただけますか?」
渋い顔のフィズ皇子。体に力が入らないのか、レージングの背中に乗る腕はだらんとしている。
「まあ、そんなにも辛いとは、おいたわしや。過労だそうですフィズ様。滋養をつけて、休み、元気になって下さいませ」
気を利かせたハンナが、コーディアルに椅子を用意してくれた。ハンナはそのまま、部屋から出て行ってしまった。待ってと言う前に、あっという間に扉を閉められる。やはり、ニヤニヤと笑っていた。フィズ皇子と二人きり。病人なのだから、妙な意識をしてはならないのに、なんだか途轍もなく緊張する。
椅子に腰掛け、スープ皿とスプーンを持つ。コーディアルはスープをすくったスプーンをフィズ皇子へと差し出した。フィズ皇子は目を瞑り、顔を近づけて、スプーンを口の中に入れた。
「お口に合いますか? オルゴ様にトマトが好きだと教えていただきました」
一年共に暮らして、そんなことも知らなかった。
「これは、コーディアル様が?」
「ええ、はい……」
トマトが好きなのが伝わってくる、屈託無い笑み。子供みたいに笑ったフィズ皇子に面食らった。このような顔もするとは知らなかった。何だか可愛い。クスリ、と笑ってしまったせいか、フィズ皇子が顔をしかめた。
「困りましたコーディアル様。いや、コーディアル。あまりに可憐な笑みに、手製のスープとは胸が一杯で食べられない。いや、スープだから飲むのか。いいや、具沢山だから食べるのか? 食べるだな」
今、何か幻聴が聞こえた。可憐な笑み? 胸が一杯? 耳を疑っていると、フィズ皇子の手が伸びてきた。何だろう? ゴミでもついているかとそう思ったら、フィズ皇子はコーディアルの髪をそっと手に取った。枝毛を探すように眺めている。次は指でくるくるしだした。顔が化物みたいだから、髪だけはと気をつけている。ハンナやラスも手伝ってくれて、中々艶やかだと思っていたが、パサパサしていて気になった?
恥ずかしいのと、情けなくて、コーディアルの顔は自然と下がった。すると、今度は頭を撫でられた。まるで、子供を撫でるように、そっと優しい手つきのフィズ皇子。
えっと、これはどういうこと?
「あ、あの、フィズ様……」
「胸が一杯で食べれないと言ったが、食べられる。このスープは、皇居の料理人にも勝る」
コーディアルの手からスープ皿とスプーンを引ったくると、フィズ皇子は自分でスープを飲み始めた。いや、食べるのか? フィズ皇子曰く、具沢山だから食べるらしい。もりもり、元気にスープを食べるフィズ皇子。
「私の方が元気な手だ。よって自分で食べる」
腕が辛いと言わなかったか?
「そ、そうですか……では……」
何か気に障ったのだろう。フィズ皇子の顔は険しい。コーディアルは立ち上がろうとした。
「なあ、コーディアル。私が過労なら、コーディアルはもっとだろう。私がスープを食べ終わったら共に休まないか? 幸い、この寝台は広い」
「へっ?」
物凄く間抜けな声が出た。フィズ皇子がコーディアルと添い寝したい⁈ 今、そういう台詞が聞こえた。夢か。コーディアルは夢を見ているらしい。どこからが夢だ? きっと流星群を見たときからだ。天からの遣いのようなフィズ皇子が、コーディアルを好いているという時点からおかしい。おとぎ話の王子様は、絶世の美女——それも顔良し性格良し——を見初める。フィズ皇子はまさに、そのようなお姫様に相応しい皇子様。祖国に愛する女性がいるとも聞いている。
フィズ皇子は何とも言えない、大人っぽい艶のある笑みを浮かべて、コーディアルを見つめている。
「改めて見ても宝石のような目だ、コーディアル。最初に会った時も思った。色も素敵だけど、ここまで澄んでいる者は少ない。君の瞳に似た宝石を探して結婚指輪に使ってもらったが、やはり私は本物を見ていたい」
微笑んでから、フィズ皇子はコーディアルから顔を背けた。スープ皿を凝視している。みるみる、悲しそうな表情に様変わり。
「はあ……。なあ、夢とは私の幻想だろう。コーディアルにここまで言ったら、変態とか言われるのか? 言わないか。コーディアルは悪口を全然言わない。言えば良いのに言わない。心の中で思うだけだろう。どう思う? 私の夢のコーディアル。どう励めば親しくなれるのか……」
夢? これはコーディアルの夢だ。いや、目の前のフィズ皇子は夢を見ていると思っているらしい。全身の熱感に、爆発しそうな心臓は、多分、夢ではない。本当に? こんな素敵な言葉で褒められて、相手を「変態」と罵る女性なんていない。いや、いるのか? いないはずだ。アクイラやオルゴがフィズ皇子は珍妙というのはこのこと?
フィズ皇子が不機嫌そうにスープを食べる。八つ当たりみたいにバクバク、バクバク。
「良い男になろうと、それなりに励んでいる。領主としてもだ。コーディアルと同じように与える側に立っているつもりだが、真心ではなく下心からだから何か違うのだろう。声に聞き惚れて、仕事をサボってしまうのもバレているのだろうな」
何だって? コーディアルの声に聞き惚れていたことなんてあったか? 全く記憶にない。
「それにしても美味しい。目が覚めたらコーディアルにスープを作ろう。食料保管庫に隠してあるかぼちゃを出してこよう。いや、かぼちゃプリンか? 多分、紅茶に合う。行商がそう言っていた」
かぼちゃは幼少から好きだ。あまり収穫出来なかったのに、やたら食事に出てくると思っていたら、コーディアルの為にフィズ皇子が隠していたのか。そんなの、何にも知らなかった。それにプリン。孤児院への差し入れにと、フィズ皇子は良くプリンを作っている。そして、必ずコーディアルや侍女達にも配っていた。大好きなので、密かに嬉しくてならなかった。つまり、これは……どういうことだ?
「夢なら、湧いて出てきそうだよな。出てこいスープ」
唖然としていたが、フィズ皇子の台詞に更に茫然とした。この人、まだ夢だと思っているらしい。こんな現実感のある夢が、ある訳がない。いや、あるのか? フィズ皇子の言葉達だけは非現実的。
「ゆ、夢で、夢では、あり、ありません。 フィズ様……」
口にした途端。フィズ皇子の腕が伸びてきた。背中に回された腕に引き寄せられる。厚い胸板、逞しい腕。軽く引き寄せられただけだが、すっぽりおさまった自分。コーディアルの息が止まる。身が縮まる。フィズ皇子の鼻がコーディアルの首を撫でる。
「私の願望が次々叶うのだから、これは夢だコーディアル。現実ならこんなに近くに居てくれない」
切ない吐息のような声。果物を絞るみたいに、コーディアルの胸がギュッと締め付けられた。
「っ痛!」
ガアアン! フィズ皇子の顎に皿がぶつかっていた。立ち上がったレージングのせい。皿とスプーンが床の絨毯の上に落ちる。次の瞬間、レージングの尻尾がフィズの頬を殴った。しかも、往復ビンタ。頬を引きつらせたフィズ皇子が、膝の上に立つレージングを見つめる。
「レージングは私の理性の象徴だったのか……。なんて淫らな夢を見ているんだ私は。これは、極悪非道の変態になる前に起きないとならない」
そう告げると、フィズ皇子は布団を被ってしまった。しばらくすると、寝息が聞こえてきた。
何もかもが衝撃的過ぎて、コーディアルは約一時間、フィズ皇子の寝息を聞いていた。
我に返って、フィズ皇子の部屋から飛び出す。どうするべきなのか分からず、コーディアルは廊下をウロウロしてから、自室に戻った。
「こ、これは、これはどうしたら……」
コーディアルは椅子に座り、机に突っ伏した。惚れた腫れたなんて、自分に縁がないと全く考えたことがない。つい、さっきまでは。いつの間にか足元にレージングが寝ていた。レージングは物音一つさせずに部屋に入ってくるので、よく驚かされる。
——コーディアル様、フィズ様をそういう目で見てください。しばらく待ちます。ダメなら貴女様の為に、フィズ様の首根っこ掴んで連れ帰ります
アクイラの言葉が蘇る。政略結婚ではなく、無理矢理結婚に持ち込んだと、アクイラから教えてもらった。フィズ皇子は、わざわざコーディアルを政治情勢を盾に妻にしたという。それで、した事と言えばコーディアルに優しくし、コーディアルの従者達にも優しくし、コーディアルの領地の為に働き、豊かさと幸福を作った。コーディアルに嫌われていると思い込んでいるのに、一年間ずっと。
コーディアルは机に突っ伏すのは止めて、背筋を伸ばした。紙とペンを持つ。
「レ、レージング様……こ、こ、恋とは何なのか分かりませんが……嫌われているなどという誤解は解かねばなりません。よね?」
レージングの前足がコーディアルの足の甲ペチペチと叩く。
「尊敬していると書きましょう。それに感謝。政略結婚といえど、夫婦は夫婦……。私、フィズ様と恋をするべきなのでしょうか? 恋とは何でしょう? 私なんかがフィズ様の隣に並ぶ? いえ、もう並んでいるのですね……夫婦ですからね……。お国に想い人という話は……」
レージングを見下ろすと、頭部を横に振られた。レージングの尻尾がコーディアルを示す。
コーディアルは頭を抱えながら、フィズ皇子への手紙を書いた。先程から、色んな事がぐるぐると頭の中を回って胸が苦しい。恥ずかしくてならない。状況も飲み込めきれない。しかし、手紙を受け取ったフィズ皇子が、スープを飲んだ時のように無邪気に笑ってくれたら嬉しい。コーディアルの事で傷ついたりしないで欲しい。
コーディアルの足にレージングが頬を寄せる。書き終わった手紙は、レージングに託した。レージングはコーディアルの頭を尻尾で撫でてから、手紙を咥えて部屋を出て行った。




