第1話 人間と魔族
「姉様、どこですかー?」
僕の名前はルーク。
僕は今、姉であるエリーナ姉様を探している。
「ねえ、エリーナ姉様を見なかった?」
「すみません、ルーク様。今日はエリーナ様の姿は一度も見ておりません」
「うーん、どこ行っちゃったんだろ?」
僕とエリーナ姉様は、この国で聖母と呼ばれて慕われている、マリーヌ母様の子供だ。
エリーナ姉様は僕より二歳年上の十五歳で、まだ学生の身分だが、既に多くの国民から支持を集めている。
僕の自慢の姉ではあるのだが、時々フラッと居なくなるのは止めてほしい。
この広い宮殿を探し回るのは、結構疲れる。
「あ、エリーナ姉様」
ようやく見つけた……まあ、いつものことと言えばそうなんだけど。
「あら、ルーク。そんなに息を切らして、どうしたの?」
「……姉様、分かって言ってますよね?」
僕がそう言うと、エリーナ姉様は意地悪く笑う。
やっぱり……。
最近のエリーナ姉様は、僕が困るのを知っていて、わざと姿を消すことがある。
「ごめんね。ルークの困った顔が可愛いから、つい」
笑いながら謝る姉様。
絶対に悪いと思ってないな、これは。
……ちょっと、やり返してみようかな。
「ふん、なら良いよ。こんな意地悪な姉様とは、もう話さないから」
「えっ、ちょっと待ってよ、ルーク!」
突然僕から拒絶され、慌てる姉様。
「る、ルーク? 本当にごめんね? お姉ちゃん、ちょっと悪ふざけが過ぎちゃったというか……」
「……ふふっ、冗談ですよ、姉様」
「ルークが可愛くて可愛くて、ちょっと弄りたくなっちゃってそれで……って、え? ……冗談!?」
エリーナ姉様は口をあんぐりと開けて、とても驚いた表情をしている。
……うん、偶にはこんな姉様も良いかもな。
「僕にとって、エリーナ姉様は大切な家族ですよ? 嫌いになる訳が無いじゃないですか」
「ルーク……!」
涙を浮かべて、姉様が僕に抱きついてくる。
……まったく、大袈裟だなあ。
僕はただ、当然のことを言っただけなのに。
※ ※ ※ ※ ※
「……見て、貴方。エリーナったら、ルークに抱きついているわよ」
「ああ。仲の良い姉弟に育ってくれて、私も嬉しいよ」
ある二人の人物が、ルークとエリーナの様子を、物陰に隠れて見ていた。
この二人は、マリーヌ・グランエイムとゼハイル・グランエイム。
ルークとエリーナの両親であり、代々教会を導いてきたグランエイム家の人間でもある。
「ルークもエリーナも、まだ学生なのに協会の仕事を手伝っているんだもの。……立派になったわね」
「そういう事は、本人たちの前で言ってやりなよ。二人とも、本当によく頑張ってくれているんだから」
マリーヌとゼハイルは、自分たちの子供が立派に育っていることを喜び合う。
その二人の顔は、“優しい両親”の顔そのものだった。
『皆さん、魔族は残虐な種族です。弱き者を甚振り、無抵抗の相手を躊躇なく殺す、最低最悪の存在なのです』
娘が、民衆に魔族への憎しみを植え付けていてもーー
『魔族は野蛮で、話が通じる相手じゃないんだよ。しかも、心優しい人を騙して利用する、酷い奴らなんだ!』
息子の言葉で、息子の友達が魔族を嫌うようになってもーー
『そうか、それは良いことをしたな、ルーク』
『素晴らしい演説だったわ、エリーナ。これで、民たちも道を誤らずに済むでしょう』
ーー優しい両親は、優しい笑顔で二人を褒めるのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「ああ、どうして……どうしてこんなことに……」
一人の魔族が、自らの運命を嘆いていた。
「私が……弟を止められなかったから!」
彼女の弟は、まだ幼くて、好奇心が旺盛だった。
それは別に悪いことではなかったのだが、彼女の弟は人間に興味を持ってしまったのだ。
ーー人間には、決して近づいてはいけない。
彼女たちの親は、いつも口を酸っぱくしてそう言っていた。
その理由は言うまでもなく、人間が魔族を毛嫌いしているからだ。
ーーあいつらの俺たちへの憎しみは……異常だ。
三百年ほど前は、人間と魔族の仲はそこまで悪くはなかったそうだが、教会が力を持つようになってから全てが変わった。
彼らは魔族を憎悪することでより統率力を増し、それまでは友好的だったエルフや獣人族に対しても排他的になった。
ーーだから、決して人間には近づくな。それがたとえ、俺たちを嫌悪しない人間であったとしてもだ。
未だに教会の手が届いていないところには、魔族に対して比較的友好的な人間もいる。
人間の世界から淘汰されたエルフや獣人、ドワーフを受け入れている国もある。
だが、教会はそんな国や人間をーー人間と他種族を繋ぐ、残された絆すらーー裏切り者として消し去ろうとしているのだ。
「何で……! 何でこんな簡単に命が奪えるの……!」
「あ? 人間と魔族の命が、同じ価値なわけねえだろ?」
魔族の少女は、弟を殺した相手を睨む。
彼女が弟を見つけた時には、既に弟は事切れていた。
そして、周囲には十代の少年少女が集まって、既に動かない弟の身体を蹴って笑っていたのだ。
「そんな……。私たちは何もしてないのに……」
「何言ってんだお前? 魔族は生きてるだけで重罪だろうが」
「そんなことも分からないの?」
「魔族は馬鹿だから、考えることができないんだね」
弟を殺した子供達は、彼女を寄ってたかって痛めつけ、見下していた。
通常、人間の子供より魔族の子供の方が強いのだが、少年たちは“護身用”に魔族の力を弱める魔道具を貰っていた為、魔族の少女は反撃すらできない状態だった。
この魔道具は大人の魔族には大して効果が無いが、子供の魔族の力を封じるには十分な性能を持っていた。
“教皇の孫”であり、“聖母の息子”でもある少年が友人たちの身の安全の為に渡していた魔道具は、十分にその役目を果たしていた。
「というか、その薄汚い口で、私たちと同じ言葉を喋らないでくれる?」
「あー、何でこんな奴が生きてるんだ? ムカつくんだけど……もう殺して良いよな? どうせ魔族には生きている価値なんか無いんだし」
「そもそも魔族ってのはーー」
口々に彼女を罵倒する少年たち。
それらの言葉は全て、彼女には身に覚えのないことだった。
……彼女は至って善良な魔族であり、少年たちが教え込まれてきた魔族像とはかけ離れた存在なので、それは当然のことなのだが。
「そうだね、さっさと殺しちゃおう。そうした方が世の中の為になるし」
「いや、ちょっと待てよ。確か前にルークが言っていたけど、貴族様の中には、魔族を奴隷にしている人もいるんだってさ」
「あ、じゃあこいつ、俺たちの奴隷にしようぜ!」
「それが良いよ! 魔族なら、どれだけこき使っても何も問題ないし!」
彼女には、何故自分がこんな目に遭うのか分からなかった。
否、分かっていた。
自分が弟を止められなかったせいだ。
こんな地獄に迷い込む前に、なんとか弟を説得していれば……。
「よし、じゃあ決まりだな! こいつは孤児院の共同奴隷にしよう!」
「院長に頼んで、首輪も用意してもらわないとな!」
ーーあの時、自分が弟を止められていれば。
そう願わずにはいられなかった。
しかし、今更後悔してももう後悔しても遅い。
彼女は孤児院の奴隷として、散々な扱いを受けることになる。
地獄のような日々の中で、彼女は孤児院の子供達……そして彼らに魔道具を渡したルークという少年に、復讐を誓うのだった。
ルークに復讐と言っていますが、ルークに会うまでに復讐心が残っているのかな?