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07:救世と忠誠

「アナスタシア」

 グラースはアナスタシアが落ち着くのを待って声をかけた。僅かに震える肩は、まるで罪を犯した者のよう。


「……力なく、ミツルにお前を預けた俺を、厭っているのか」

 アナスタシアが顔を上げる。涙に濡れた瞳は赤く、焦がれる視線の先にグラースがいないことは明白だった。


「……預けた……?」

「聞いていないのか」

 どちらの声にも驚きの色が乗った。見開く彼女の瞳に、グラースは違和感の真実を見つけた。


「……いいや。ミツルに信じて貰えていなかったとは、思いたくない。真実を伝えていなかったことは、あいつなりの思慮があってのことだろう」

 グラースは自己完結するように呟くと、アナスタシアをじっと見下ろした。


「……アナスタシア。驚かないで聞いてほしい。我がメール侯爵家は、取潰しとなった」

「はっ――?」

 驚くなと言う方が無茶である。突然の事態にアナスタシアは口をあんぐりと開ける。


「不忠義者の末路だ。気にしなくていい」

「取潰し、不忠義って――あの、メール家が……?!」

「そう。俺も寝耳に水だった。魔王討伐から帰ってきたら、屋敷はどこもかしこもきな臭い。おまけに、俺が戻れば百人力と諸手を挙げて歓迎された――我が一族ながら、情けなさに涙が出そうだったよ」


 メール家は建国時代からバレストラ国を支え続けてきた、いわば盟友であった。ただ一人の姫君の結婚先に抜擢されるほどである。

 そのメール家が謀反を企てていたなどと、アナスタシアはとても信じられなかった。しかもそれを、元次期侯爵から直々に聞かされているのである。


「貴方は、グラース、貴方は――っ!?」

「もし何らかの処罰が課せられているのなら――俺は、きっとこの首でジャグリングできただろうな」

 似合わない冗談を口に載せるグラースを、アナスタシアは疑わし気に見つめる。しかしグラースはその視線には何も言うことなく、話を続けた。

「すぐに陛下に上申すれば、既にご存知であった――が、メール家はでかい。もし万が一の采配を間違えば、一大事となる」

 グラースの話を聞いているアナスタシアは、こんなにもあたたかいのに手が冷えていくのを感じた。

「事は慎重さを要した。だからこそ、アナスタシア」


 いやだ、聞きたくない。

 アナスタシアは耳を塞ぎ、背を丸めたくなる衝動を、これまで築き上げてきた誇りで止めた。


「俺と関係の深いお前がメール家に利用されぬよう――ここに、避難させた」


 そう、そう。なんだ。

 なぁんだ。そんな……そんなことだったの。


「……あは、あはは……」

 アナスタシアは笑った。心が急速に乾いていく。


 グラースの説明で十分だった。十分すぎるほど、アナスタシアは貴族の事情に明るかった。


 アナスタシアをこんな田舎に寄越したのは、彼が彼女の外出を渋ったのは、情報を他所に与えないため。


 アナスタシアに公務がなかったのは、アナスタシアにこの領地の仔細を伝える必要がなかったため。


 ほどんど会話さえしたことのなかったミツルが夫役に選ばれたのは、彼しかいなかったため。箔打紙はくうちし付きの最優良株グラースとの、定められていた運命を塗り変えられるほど、強い発言力ちからを持つ者が。


 バタバタと行われた移動。参列者の少ない結婚式。全てはただ――国に仇名すものを欺くためだけに整えられた舞台。


 彼は笑って言ってたじゃないか、ずっと――「お姫様」と。


「そう、そうなの……この結婚は……最初から、ずっと……」


 全ては、国を、アナスタシアを守るため。



 ――君を僕の自由にしていいなんて心底嬉しいけど


 嘘付き。


 ――……アナスタシア、そういうのは二人きりの時に是非お願いしたいな。


 嘘付き。


 ――今だって、傍に行って抱きしめられないのが悔しいぐらいなのに。


 嘘付き。


 ――その時は、美味しく召し上がらせてください。


 嘘付き。


 ――ハンカチは僕に刺してくれないかな。


 嘘付き!


 アナスタシアは顔を伏せ、ドレスに忍ばせていたハンカチをぎゅっと握りしめた。始まってもいなかった恋を失って泣いているなんて、余りにも情けない。


「――行ってこい」

 グラースの、低い声がアナスタシアに届く。


「きっとミツルも、待っている」

 アナスタシアは顔を上げられないまま、ぶんぶんと首を横に振った。


「彼は―― 一度っだって、私にっ、本当のことなんてっ!」


 伝えられ、注がれていた愛情は、嘘だったのだ。

 贈られる笑顔も、向けられる眼差しも。全て、全て――こんなにも。信じさせたくせに。


「……お前は、良き妻だったんだな。真実を知らぬままでは、気持ちの整理を付けるのも大変だっただろうに。突然の事に不貞腐れもせず、心の折り合いをつけ、夫を支え――愛した」

 グラースの声が、眼差しが、アナスタシアを大きく鼓舞する。

「そんなお前を、俺は――誇りに思う」


 行ってこい。


 懐かしい友の声でそう言ったグラースに、アナスタシアはもつれる足で立ち去った。




***




 アナスタシアが立ち去った後の畑に、ひょこりと人影が現れた。


「意気地なし」


 気配を消し、城の壁と完全に同化していた格闘家は、心底呆れかえった顔でグラースを見上げた。


「なーんのために、私の護衛って名目で、こんなとこまで押しかけたんだか……アナを連れて帰らなきゃダメなんでしょ。いいの?」


 無くした恋に見切りをつけて、新しい人生を歩み始めたアナスタシアとは違い、いつか彼女を迎えに行くことだけを目標に足掻いていたグラースは、苦く笑う。


 アナスタシアに伝えたように、次期侯爵であったグラースがおとがめなしと言うわけにはいかなかった。

 それでも首が繋がっていたのは、救世とこれまでの忠誠に他ならない。


 国王の温情の元、アナスタシアとの婚儀による、華々しい政界復帰を予定されていた。

 元の鞘に納まるだけの、他貴族に向けた建前だけの形式。それが適わないとなれば……国に居続けることはできない。これより、定められた十年の歳月、名を、過去を、故郷を捨てた旅に出ることになる。


 本当は、攫ってしまいたかった。愛した女を。愛している女を。

 けれど、以前婚約破棄を伝えてきた彼女の瞳には宿っていなかった熱に、彼は気づいてしまった。幼い頃から一度だって見たことのない、彼女の涙を目の当たりにすれば、どこに心があるかなど考えるまでもない。


 時に妹のように、時に友のように、時に恋人のように愛したアナスタシアに、罪悪感を植えるだけのこの感情ならば――


「いいさ、旅も合っていた」

「ええかっこし」

「それについては、アナスタシアの好みの範疇じゃないかと思ってるんだがな」


 ええかっこしの勇者を思い浮かべ、グラースとノチェは笑った。


「あーあ。ミツルとまた試合したかったのになぁ。大好きなお姫様には睨まれちゃったし……しょうがないから、私も傷心旅行、付き合ってあげるよ」


 ぐーと、猫のように背伸びをしてノチェが言った。

 ノチェの隣で、赤い実が二人を見つめていた。





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