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03:高貴な嗜みと花吹雪

「いい加減に、お手付きになされませ。奥方様が不憫ではございませんか」

「何、こんな真昼間からそんな話をしちゃうの。やらしーんだー」

「ご冗談はお控えください。王家唯一の王女の閨事を、やらしいだのなんだのと……」

 アナスタシアが嫁に来て、ふた月も経った頃。領地に古くから仕える執事の言葉に、ミツルは頬杖をついて溜息を零した。


「まだ21歳の女性の夜の事情を、屋敷内のみんなが知ってるんだもんなぁ。可哀想な身の上だ」

「も・う・21でございます。魔王さえ現れなければ、アナスタシア様は本来18で嫁いでいらした御方。すでに3年も時期を逸しております」

「はい、はい。聞いてますよ」

 何度もね。小指で耳をほじくっていたミツルは、執事に目線をやりもしない。


「悠長にかまえてらっしゃいますなあ。救世の褒美にまで強請った姫君を、どこの馬の骨とも知れぬ男に奪われてもよろしいとでも?」

 執事はまるで取り合わないミツルの様子に息を巻いた。しかしその瞬間、普段はのんびりと構えているミツルが、信じられないほど鋭い視線を放つ。


「へぇ、どこの馬の骨って?」

 失言に気付いた執事が、咄嗟に頭を下げる。魔王を討ち果たした英雄の眼光に晒され、顔面を蒼白させた執事に、ミツルが首を振る。


「恐縮しなくていいよ。どういうことか教えてくれる?」


「……古時計と揶揄されるほど長くお屋敷に務めさせていただく私は、高貴な嗜みをずっとおそばで見守っておりました」


「高貴な嗜み?」


「元来、貴族は恋を――結婚後に嗜まれますので」


 執事が何とか声を絞り出すと、ミツルは「なるほどなぁ」と顎を撫でた。


「世界と時代が違うからかな。僕にはちょっと理解できないな……是非、うちのお姫様にも、そんな大人の遊び、覚えないようにお願いしたいね」


 例え、どれだけ知ってる馬であっても――ね。


 言外にグラースの事を滲ませながら、声を落としたミツルがドアに向かってそう言った。視線に気づいた執事がドアを開ける。ミツルの執務室の外には、いつノックをしようか迷っていたアナスタシアが、少しばかり緊張した面持ちで立ち尽くしていた。


「……失礼致しました。お仕事中だとは存じていたのですが……」

「いらっしゃい。いいんだよ。君はそんなこと気にしなくても。いつだって来ればいい」

 アナスタシアの緊張をほぐすように、ミツルは笑みを浮かべる。いつも通りの彼の声色にほっとしたアナスタシアは、侍女を引き連れ執務室に足を入れた。


「どうしたんだい。君から僕を尋ねてくれるなんて、珍しいね」


 近づいてきたアナスタシアの両脇に手を入れ、ミツルは彼女を持ち上げた。見た目からは想像がつかないほど、軽々と。いくら平凡な男に見えても、魔王殺しの英雄なのだと感じさせた。


 ミツルはアナスタシアを膝に座らせる。机の上の書類は全て一か所に寄せられた。


「旦那様……お行儀が悪うございます」

「知っているかな、アナスタシア。夫婦と言うものはね、お行儀の悪さで愛を乞うんだよ」

 ミツルがあまりにもキリッとした真顔でそう告げたため、アナスタシアは不安になって侍女を見上げた。直立しながら冷や汗をかいている侍女は、自らの主に何と答えていいかわからず、執事に目線で助けを求める。執事は侍女に視線で乞われると、ゆっくりと、首を縦に振った。


「大変結構かと」

「ほら、聞いたかな、アナスタシア。君はこれから僕といるときは、ここにいるといい」

 アナスタシアの柔らかい毛に顔を埋めたミツルが、ぐりぐりと額を押し付ける。纏めていた髪はぼさぼさとはねる。

 好意も持っていない男にそんな風にスキンシップをはかられれば、鳥肌ぐらいたちそうなものなのに、アナスタシアは何故か嫌悪を抱かなかった。手負いの獣が、傷の痛みを訴えているような、そんな弱弱しさを感じたからかもしれない。


「……善処いたします」

「おや、難しい断り文句を知ってるね」


 顔を上げ、笑みを浮かべているミツルには、もう弱さは見えなかった。


 アナスタシアは自分の見間違いだったのだろうかと、彼の深い茶色の瞳を覗き込んだ。


「……アナスタシア、そういうのは二人きりの時に是非お願いしたいな」


 覗きこんだまま、しばらく見つめ合っていたが、珍しく照れたようにミツルが視線を外す。二人きりの時にしたところで、手を出してくるわけでもない男の戯言とわかっているのに、アナスタシアはほんのりと目尻を赤らめた。


「さて、君が用もないのに僕を訪ねはしないでしょう。なにかあったのかな?」

 自虐的なミツルの冗談に、否定を送れなかったアナスタシアは、彼の膝の上で遠慮がちに口を開いた。


「こちらに嫁いで早ふた月――私も何か、皆さまのお役に立ちたくて」

「アナスタシア、君が稀に見るほどいい子なのを僕は重々――」

「私! 何か、事業が、出来ないかと思いまして!」

「事業?」


 いつもの断り文句が始まる前に、アナスタシアは言い放った。目を見開いたミツルはすぐ近くにある美しい少女の顔を見つめる。


「王都にいた頃、よく孤児院に寄付するために針を刺しておりました。その経験を活かして、王都で流行っているものなどを流通させれば、領地内の女性も喜ぶのではないかと――」

 話す内に熱が入ったのか、顔を輝かせてアナスタシアが希望を語る。

「王都では、ペリアーノ侯爵夫人式の刺繍の入ったハンカチや、多色染めの羊毛などが流行っておりましたの。袖もふんわりとパフをきかせたものが。こんな田舎ではなかなかそう言った情報も入ってこないでしょうし――」


 ミツルは膝の上にアナスタシアを乗せたまま、そっと目線で助けを求めた。

 アナスタシアの言葉を侍女は止めない。彼女が与えられた自由の中で、義務を見出そうと頑張っている姿を見守っていたからだ。

 執事も涼しい顔をしてアナスタシアを見守っている。自らの腕の中で顔を輝かせるアナスタシアの顔を曇らせる役目は、自分なのだとミツルは悟った。


「……アナスタシア」

「羊毛は規模が大きくなりそうですけれど、私、これでも刺繍はとても得意で……」


 弾む声を止めるため、ミツルはアナスタシアの小さな口元に自分の指をあてた。


「アナスタシア」

 その時になって、ようやくアナスタシアはミツルの顔を見た。


「――何と言っていいかわからないけど、曖昧な言葉で君に期待を持たせてはいけないから、きっぱりと言うね」


 ミツルはそう前置くと、心底つらそうに眉を下げた。


「私は王にこの地を賜った。領民を支える義務と責任があると、若輩ながらに感じている。手慰みに起こす事業の資金にするための血税とは――とても思えない」


 アナスタシアは目を見開いてミツルを見つめていた。紅潮していた頬は、雪のように白く染まっている。


 ミツルに断わられるなんて、微塵も思ってもいなかった。アナスタシアに与えられた「自由」の中で、まかり通る領域だと思っていたからだ。

 彼女は決して暇つぶしを目論んだわけではない。だが、魔王討伐後の復興が必要なこのご時世に、優先的にしなければならないことではなかった。


 アナスタシアが暮らしていた王都は、徹底された魔法管理によって魔物の被害は極小。その加護を求めて王都内に避難してくる貴族からの税収も、またたんまりと入っていた。

 王都であれば簡単に興ったかもしれない。友人の令嬢たちに声をかけ、余った布と刺繍糸を持ち寄れば、孤児院や病院に寄付することも出来ただろう――けれどそれは、ここで求められることではなかった。


 それをアナスタシアに教えなかったのは、ミツルだ。ミツルは愕然としているアナスタシアに、出来る限りゆっくりと、優しい声をかけた。


「――ハンカチは僕に刺してくれないかな」

 苦笑に染められたフォローをアナスタシアは彼の膝の上で聞く。ただ、目線を合わせるミツルの顔がひどく心細そうで、アナスタシアは少しだけ笑顔を零した。




***




 カタタ カタタ

 車輪が舗装された煉瓦の道を、物々しい花嫁行列が進んでいる。中に座す高貴な姫君に、一つの振動も与えぬようにと、歩はゆっくりだ。花吹雪を通り抜けてきた馬車には、花びらの冠があちこちに飾られている。色とりどりの花びらたちが姫の門出を祝っていた。

 王都では花吹雪を散らしながら賑わいでいた花嫁行列も、今は幾分か落ち着いている。鳴りやまない祝福のファンファーレも、遥か後ろに置いてきた。


 ――あぁ、これは輿入れの日だ。

 アナスタシアは自分が夢を見ているのを感じていた。


 この後アナスタシアは、形ばかりの結婚式を執り行い、妻としての責任も背負わせてもらえず、夫に見当違いな空回りを指摘されるのだ。


 恋を潰されて王都を立った。けれど、新しい夢を見なかったわけじゃない。その夢さえ、彼は潰してしまうというの。


 夢の中のアナスタシアは、馬車が落としていった花びらを拾った。進む馬車は、誰も乗せていない。殻の箱をミツルの元まで運ぶだろう。


 王都では華やかに舞っていた花びらも、人知れぬ場所で落ちてしまえば、それっきり。誰にも拾われなければ、そこにいたことすら忘れられるようなちっぽけな存在。


 王女、国一番の美女、メール次期侯爵の婚約者――


 そんな肩書一つない場所で。肝心の夫には責務一つ与えてもらえずに。私は枯れていくのだろうか。


 アナスタシアは舗装された道路に蹲った。膝を抱えれば、今までずっと我慢していた涙が零れ落ちる。


「……母様、アナスタシアはまだまだ未熟です……」

 母ならどうしただろうか。幼い頃、優しく頭を撫でてくれた、今は亡き母をアナスタシアは思い出す。


 こんな時に泣き付ける人が、アナスタシアにはいなかった。ずっと一人で立っていた。恋人でもあったグラースには、弱みなんて一度も見せたことはない。彼とアナスタシアは対等だった。だからこそ、見せられなかった。


 母もグラースもここにはいない。それどころか、アナスタシアには最初から、泣ける場所なんて存在しない。たった一人で、たとえ人知れず枯れたとしても、耐えるしかないのだ。


 あたたかい何かが頬を撫でた。顔を上げれば、花吹雪がアナスタシアを囲んでいる。


 あたたかい花弁は、アナスタシアの頬を包み、目尻の涙を拭ってゆく。

 知らないはずのあたたかさが、なぜかとても心地よかった。アナスタシアはほっと息をついて、そのぬくもりに身を委ねた。




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