01:勇者と姫君
※真麻一花さん主催の「大団円ハッピーエンド企画」参加作品
お題:年の差、すれ違い、ご都合主義、大団円の恋愛成就のハッピーエンド
闇の縁より出でし魔の王は、虹の界より現れた勇猛果敢な勇者によって討ち滅ぼされました。世界は薄皮一枚のところで闇から抜け出し、勇者と仲間たちの手によって平和の輝きを取り戻します。
その勇者は、世界を救ったのち、褒美を尋ねる王様にこう答えました。
「では、姫君を貰い受けたい」
お父さん、お嬢さんを僕にください。
この世界の誰も知らない所作で国王に頭を下げた勇者様。その様子を、褒美に所望された麗しい姫は唖然として見つめておりました。
【 婚約者がいるのに勇者に嫁にと望まれ、文字数 】
「救世の褒美に、魔王を滅ぼした勇者が望んだのは、光輝く玉のように美しい姫。こうして、姫君の初恋を犠牲に、世界は安寧を手に入れ、幸せになりましたとさ……ちゃんちゃん」
物々しい花嫁行列をなし、本日、勇者の元に輿入れしたアナスタシア・バレストラは、鏡台の前に座り自らの顔に向けてそう言った。
窓ガラスの向こうに見える闇に溶けた空はすでに暗く、燭台のあかりがほんのりと彼女を照らしている。
アナスタシアの絹のような髪を櫛で梳く侍女は、彼女の感傷を許さずに顔を顰めた。
「滅多なことをおっしゃらないでくださいませ、奥方様」
「やめてよ、アナスタシアでいいわ」
今朝まで「姫様」とアナスタシアを呼んでいたジャネットの言葉に、彼女は笑って頷いた。
「承知してるわ。誰もが無しえなかった偉業の褒美にと望まれたこの身は、何よりの誇り。私の笑顔こそ、民にとっての平和の象徴。我が世界のためその身を捧げてくださった勇者様が、例えちょっと背が低くて顔つきが平凡でも――」
「アナスタシア様」
「これよりは身も心も存分に尽くすつもりよ」
その言葉の通り、アナスタシアは今夜、夫婦の寝室に入る。
よくある昔話の一節のように、彼女は嫁いだ。魔王の悪の手から見事世界を救った勇者の元へ。
片田舎の辺鄙な領地で行われた結婚を誓う式には、父王はもちろん親戚の姿もなく、周辺の田舎貴族がポツポツと参列しているだけ。魔王討伐後すぐとあり、何処の領地も自分の事で手いっぱい。
むしろ、よくこんな強行軍のように式を挙げたものだった。それほど早く、そして確実に、アナスタシアを嫁に迎えたかったのだろう。
領地の騎士団が厳重に守る中、アナスタシアの知る顔は王都から共に下って来たジャネット一人。
在りし日の母が娘のためにと用意していた一級品の布で仕上げたドレスも、その美しさを花婿に褒められることすらなく、役目を終えた。そんな場所に、アナスタシアは薄い下着一枚で出陣しなければならない。
「美しいって罪ね」
「罪など、アナスタシア様にはひとつたりとも、ございません」
時間稼ぎのようにゆっくりと梳いていた髪も、すでに艶々だ。これ以上何処も磨き上げる場所は無いだろう。その見目麗しさから、勇者に褒美へと望まれたアナスタシアは、まるで輝きを放つ玉のような美しさであった。
「ジャネット、ありがとう」
アナスタシアは侍女に合図をした。ただ一人、王都からこんな片田舎の領地についてきてくれた彼女に微笑むと、アナスタシアは背筋を伸ばして立ちあがる。
「アナスタシア様、ご武運を」
「戦ではないのよ」
硬く響く侍女の言葉にアナスタシアが少しだけ頬を和らげる。
勇者に、身も心も存分に尽くすつもりだ。
――あの人でなければ、私はきっと誰だって同じなのだから。
***
「式ではありがとう。お互い、無事に済んでよかった。長旅大変お疲れ様。今日はゆっくりと休んで」
キリリと顔を引き締めて入室したアナスタシアに、ベッドの横のナイトテーブルで読み物をしていた男は微笑みを向けた。
魔王殺しの英雄――ミツル・タテイシ。異世界からやってきた彼は、顕現ながらに魔王を葬る術を持っていた。絶大な魔力を有する魔の権化に唯一討ち勝つ術、それは、完全なる魔力の無効化。ミツル自身も魔法を操れない代わりに、どんな魔法も彼に通じることはなかった。
どれほど強力な魔法でも、効かなければ意味がない。颯爽と異世界からやってきたミツルは、世界を救うためにパーティを組むと魔王を滅ぼす旅へと出かけた。
そのパーティのひとり。騎士グラース・メールこそ、アナスタシアの幼馴染にして婚約者であり――彼女の初恋の人であった。
「あの、旦那様……ゆっくり、お休み……とは……」
「旦那様……旦那様。いい響き……呼び捨てとかみっくんとか、みっちゃんとか、つるちゃんも捨てがたかったけど……いいね……旦那様……」
うんうん、と好色な親父そのものの顔で頷く夫に、アナスタシアは言葉を失っている。
アナスタシアとミツルは、交流を持たないまま今日の日を迎えた。
魔王討伐の旅に随行しなかった王女アナスタシアと、異界人ミツルが言葉を交わした回数など、片手で数えられる程度。アナスタシアは彼自身のことを全く知らなかった。
当然、性格など知る由もない。形式だけの式を終えた二人は、ほぼ初めてまともに会話を交えている。
ミツルの背にある豪奢なベッドは、二人のために用意されたことがわかるほど広い。何に使うのか、明確な用途に対する知識はなくとも、義務はあった。
「なぜ、初夜の務めは……」
王侯貴族として、嫁いだ女の務めの重要性をアナスタシアはよく理解していた。元々の婚約を破棄してまで、この男の元に嫁いだのだ。やけくそだとは知りつつも、自らの責務は果たしたかった。
「あ、うーん。そっかごめん。こういうカタチも君たちにとっちゃアリなのか。なんてトレビアンな」
「と、とれびあ……?」
聞き慣れない言葉にアナスタシアはまごついた。その様子を見てミツルはようやく椅子から立ち上がった。
「ごめん。立たせたままだったね。座って」
アナスタシアをベッドに腰かけさせたミツルは、毛布を彼女の肩に羽織らせる。彼によって照明が遮られ、夜のとばりが生まれた。一瞬だけ濃厚に陰ったその匂いにアナスタシアの肩が強張る前に、そっとミツルは彼女の肩から手を離した。
「せっかく勇気を出してくれたのに、ごめんね。君を僕の自由にしていいなんて心底嬉しいけど、出来ればもう少しお互いを知ってからにしようよ。こんな形式だけ整ったって、心がついていかないでしょ? 君に信頼してもらえるよう頑張るから。その時は、美味しく召し上がらせてください」
このとーり。そう言って両手を合わせ、アナスタシアの夫は頭を下げた。
……意気地なしの、とんだヘタレだわ。
アナスタシアは、男のつむじを呆然と見つめた。
その日、二人は初めて同じベッドで眠った。当然のことながら、何も起こることはなかった。